1.
あんなに会いたいと願っていた人が、今――目の前にいる。あまりに蘭ちゃんが恋しかったから、幻なんじゃないかと心配になった。
蘭ちゃんは少し大人っぽくなっていた。長かった髪が肩くらいに短くなっていて、金髪だった髪は黒金の2ートンだけど、間違いなく。今、私の前で目を見開いて驚いているのは、蘭ちゃんだった。
「蘭ちゃ…」
なのに、私が声をかけようとした時、蘭ちゃんは顔を反らして歩き出した。よく見れば蘭ちゃんの隣には竜胆くんがいて、気まずそうな顔で私を見ている。そして彼らの周りには怖い感じの不良達が大勢囲んでいた。私のことを怪訝そうにジロジロ見て来るから、怖くて蘭ちゃんの名前すら呼べない。
「え、ちょ、ちょっと、!あれって灰谷兄弟じゃ…」
私の方へ駆け寄って来たリコが驚いたように蘭ちゃんを指をさしている。でも私は蘭ちゃんに無視されたことがショックで泣きそうになった。追いかけたいのに、足が震えて動くことすら出来ない。
「…追いかけないの?アンタ、あんなに会いたがってたじゃん!」
「…された」
「え?」
「蘭ちゃんって呼ぼうとしたら…無視して行っちゃった…」
「はあ?何それ!いいから追いかけなよっ!アンタ達、嫌いになって別れたわけじゃないでしょ?ちゃんと話してきなって」
「…で、でも…何か周りに怖い人達がいっぱいいたし…」
「関係ないよ。は彼女だったんだから。ほら!私もついて行ってあげるから」
リコは私の手を掴んで蘭ちゃん達が歩いて行った方向へ、どんどん歩いて行く。でも私の頭の中は何で無視するの?って言葉がずっとぐるぐるしてた。ふたりはいつ、少年院から出て来たんだろう。
「あ、ほら!あそこにいる!」
リコがお祭り会場から出て行こうとしている蘭ちゃん達を見つけてくれた。心臓が口から飛び出そうなほど、ドキドキしてきて、体が強張ってしまう。
「、しっかりしなよ!ここで話さないと絶対後悔するよ」
「…う、うん…」
そう、それだけは確実に分かってる。このまま家に帰っても、ひとりで延々と答えの出ないことを考えて悶々としてしまうのは目に見えていた。だったらいっそ当たって砕けてしまった方が…そんなネガティブなことばかりが頭に浮かぶ。
リコが私の手を引いて蘭ちゃん達の方へ歩いて行く。ドキドキが加速して手がじっとり汗ばんで来るのが分かった。
「え、嘘…」
「リコ…?」
いきなりリコが驚いたような声を上げて立ち止まった。
「灰谷兄弟と一緒にいる奴らの中に私の彼氏がいる!」
「えっ!」
それには驚いて「どこ?」と聞いてしまった。
「ほら、首の横にタトゥーしてる」
「みんなタトゥーだらけだよっ」
「だから黒髪短髪の!あれ、私の彼氏だよ。急用ってこのことだったんだ!ちょっと声かけてくるから待ってて」
「え、ちょ、ちょっと、リコ…!」
蘭ちゃん達のところに走って行くリコを唖然としながら見ていた。でも、これをキッカケに蘭ちゃんと少しでもいいから話せないかと祈るような気持ちで、ただひたすら待つ。すると三分ほどでリコが慌てて戻って来た。
「…!灰谷兄弟、ふたりとも先に六本木のGってクラブに行ったっぽい!」
「…え?」
そこは前に蘭ちゃんに連れられて行ったクラブだった。
「そのクラブ、前に連れてってもらったことある」
「マジ?何か約束してるからふたりだけ先に行ったって。私の彼氏は後で合流するみたいなんだ」
「そ、そっか…」
「何かね、灰谷兄弟、三日前に出て来たばかりで、今、六本木中の不良達が盛り上がってるらしーよ?」
「も、盛り上がってるって…?」
「ほら、だって狂極潰したんでしょ?すでにカリスマ扱いで、ふたりの周りにどんどん悪いのが集まって来てるみたいでさ。今後は六本木を灰谷兄弟が仕切ることになるって彼氏が言ってたし」
その話を聞いてジンさんが言ってたことを思い出した。
"年少から退院して来たら二人の環境は今よりもっと悪い方へ変わるはずだ"
ジンさんはハッキリとそう言っていた。そして実際、そうなろうとしてる。あの時は蘭ちゃんに前科がつこうと関係ないって思ってた。でも、私だけそう思ってても仕方がない。蘭ちゃんが受け入れてくれなければ、私のちっぽけな覚悟なんて全て無意味に変わる。
"六本木のカリスマ"
蘭ちゃんが遠くへ行ってしまうようで、胸が苦しくなった。
2.
(き、来てしまった…)
目の前の煌びやかな入口を見上げながら、何度も深呼吸を繰り返す。蘭ちゃん達が来てると言ってたクラブ"G"。どうしても蘭ちゃんに会いたくて、初めてひとりで来てしまった。リコが背中を押してくれたのもある。蘭ちゃん達は前に行ったビップルームにいるらしいと彼氏経由で教えてくれた。
「よし…」
覚悟を決めて中に入ることを決心する。前と同じように少し大人っぽい恰好をしてきたし、メイクもしてきたから大丈夫。そう言い聞かせながら、震える足を一歩踏み出した。
中は相変わらず凄い音量で音楽が鳴り響いていて、フロアは結構混雑していた。前よりも怖い見た目の人達が増えたのは気のせいじゃない。
「えっと…ビップルームは…どこだっけ」
記憶を頼りに歩いて行くと、入口らしきところで店員の人に呼び止められた。
「彼女、この先は貸し切り」
「えっ?入れないんですか?」
「ツレがいるの?名前言ってくれたら入れていいか訊いて来るけど。君の名前は?」
「え、えっと…」
蘭ちゃんの名前を出すかどうか迷った。もし私が来たことを知ったら、蘭ちゃんは会ってくれない気がしたのだ。
「い、いえ…いいです」
「あ、ちょっと君!」
踵を翻し、私は出口に向かって歩き出した。覚悟を決めて来たくせに、いざとなるとすぐに弱気になってしまう。それに今は仲間の人達と一緒にいるんだろうから、そんな時にゆっくり話せる気もしなかった。
(今度…家に行ってみよう)
そう思ったら今は早く帰りたかった。こういう場所は、やっぱり蘭ちゃんと一緒じゃなきゃ怖い。
"だーいじょうぶだって。オレがいんだろ?"
前、ここに来た時。蘭ちゃんがそう言いながら優しく手を握ってくれたのを思い出したら涙が溢れて来た。あの時は凄く幸せで、そばにいてくれるだけで安心してた。なのに、何で私はひとりでこんなところにいるんだろう。今もまだ、蘭ちゃんのことがこんなに大好きなのに、何で別れなきゃいけなかったんだろう。
(ダメだ…こんなとこで泣いたら変な目で見られちゃう…)
手の甲で涙を拭いながら、足早にホールを抜ける。その時、腕をぐいっと引っ張られてびっくりした。
「彼女~何で泣いてんの?ひとり?」
「え…」
私の手を掴んでいたのは大柄の男で、肩や首には沢山のタトゥーが彫られていた。見ただけでヤバい類の人だと分かる。顎髭を生やして歳は随分と上に見えた。
「ひとりで寂しいならオレと遊ばない?君、めっちゃ可愛いしタイプなんだよねー」
「は?い、いえ…もう帰るところなんで…」
「ちょっとくらいいいじゃん。お酒奢ってあげるからさー」
「お、お酒なんて飲めません…!あの放して下さいっ」
その男は私の腕を掴んだまま、どんどん奥へと歩いて行く。怖くなって足に力を入れたけど、大柄の男の力には敵わない。意志に反してずるずると引かれるまま奥にあるビップルームへ続く通路に連れて行かれた。もしかしたらこの男も蘭ちゃんの仲間なのかもしれない。
「やっやだ…!放して!私、灰谷蘭の知り合いです…っ」
この男から逃げたくて、思わず蘭ちゃんの名前を出した。その瞬間、男が「はあ?」と呆れたような顔で振り向く。
「嘘つけよ。オマエみたいな普通の子が蘭さんの知り合いなわけねえだろ」
その反応を見て、やっぱり蘭ちゃんの仲間なんだと思った。
「ほ、ほんとです…!彼に聞いてもらえばわかります…」
「そうやって蘭さんの名前出せばいいとか思ってんの?甘いなー。ほら、こっち来いよ」
男は全く信じてないみたいだ。無理やり私の手を引っ張って、手前のビップルームへ入って行く。
「おーい、女の子ひとりゲットー!」
「おーかーわいいじゃん」
中に連れ込まれてギョっとした。強面の男達が数人、お酒を飲んだり煙草を吸ったりしている。でも中に蘭ちゃんはいなかった。
「この子、泣くくらい寂しいみたいだからさー。オレらで慰めてやろうぜ」
「いいねー。ほら、コッチ座れよ」
「…いや…!帰らせて下さい…っ」
男達に囲まれて恐怖で足がすくんだ。逃げ出したいのに体が思うように動かない。腕を引っ張られ、知らない男の膝の上に座らされた。
「君、かーわいいねー。高校生?」
「…や、やだ、放してっ」
「もしかして処女?」
男の手がスカートの中に入って来るのを感じて鳥肌が立った。
「や…っ!触らないでよっ」
男達は皆が酔ってるようだった。あちこちから手が伸びて来て体を触ろうとする。身を捩りながら私は必死で抵抗した。その時――ビップルームのドアが勢いよく開いて誰かが入ってきた。
「お、蘭さん!」
「―――ッ」
その名前を聞いて驚いた。慌てて入口を見ると、不機嫌そうな顔の蘭ちゃんが立っていた。目が合った瞬間、心臓が飛び跳ねる。
「おい、そこのオマエ」
「は、はい。え?オレ?」
私を後ろから抱えていた男が、上ずった声で応える。さっきまでの威勢の良さはどこに行ったんだと聞きたくなるくらい、ビビってる空気が伝わって来た。
「…オマエが膝に乗せてる女さぁ…それ――オレの」
「…は?」
「蘭ちゃん…」
蘭ちゃんは真っすぐ私を見て指をさした。男が唖然としたように腕の力を緩める。突然体が自由になったことで、私は慌てて男の膝から下りた。
「、こっち来い」
「……っ」
久しぶりに名前を呼ばれたことでドキっとした。それもかなり機嫌が悪い。でもこの機会を逃せば、もう二度と会ってくれないかもしれないと思った。震える足で、一歩、一歩、蘭ちゃんの方へ歩いて行く。その間、さっきまで騒いでた男達は誰ひとりとして口を開かなかった。
「ら…蘭…ちゃ…ひゃっ」
目の前に行った瞬間、凄い力で腕を掴まれた。でも蘭ちゃんは部屋にいる男達を見渡して睨みつけると「今後コイツには関わんなよ?」とひとこと言って、私を連れて部屋を出た。あまりに突然、蘭ちゃんに会えたから、これは夢の続きなんじゃないかと、腕を引かれてる今も信じられないでいる。蘭ちゃんはクラブ内の従業員専用と書かれたドアを平気で開けて、そのまま裏口に私を連れて行った。そこは飲み物などの配達が来る場所なのか、外に出るとビールケースが乱雑に積まれている。そこまで来て、蘭ちゃんはやっと立ち止まった。中からは相変わらず派手な音楽が鳴り響いている。かすかに聞こえるその音を聴きながら、目の前の蘭ちゃんの背中を見つめた。
「…蘭ちゃ――」
「オマエ、何考えてんの」
「……っ」
やっとふたりで話せると思ったのに、やっぱり蘭ちゃんは機嫌が悪そうだ。声の感じが怒ってる時の蘭ちゃんで、私は少しだけ怖くなった。蘭ちゃんは相変わらず背を向けていて、私を見ようともしない。前よりも確実に身長が伸びていて、いつも背中に垂れていた三つ編みがない。そんなことでさえ、年月を感じさせるから寂しくなってしまう。
「オレが気づかなかったら、オマエ、アイツらにヤられてたんだぞ…!」
「…ご…ごめん」
「ここはオマエが来るとこじゃねえ。サッサと家に帰れ」
冷たい声。素っ気ない言葉。やっぱり蘭ちゃんは私ともう向き合うつもりはないのかもしれない。だけど、私にだって言いたいことはある。
「こうでもしないと蘭ちゃんに会えないじゃない」
「…は?今更オレに会ってどーすんの。人殺してんだよ、こっちは」
「分かってる」
「分かってねえだろっ!」
そこで蘭ちゃんはやっと私の方を見てくれた。さっきお祭りで会った時よりも近い距離で目が合う。二年前よりも大人っぽくなった蘭ちゃんは、相変わらずカッコいいんだから嫌になる。
「傷害致死。オレの罪状。これは絶対に消えない前科だ。当然、一生ついてまわる。そんな奴のそばにいてもろくな人生歩めねえだろ」
怒った顔も好きだなんて、自分でも笑っちゃう。だけど、二年間ずっと燻ってた怒りは、私にだってあるんだ。
「だからって一方的に…それもたった一行の手紙で終わらせる蘭ちゃんは酷いよ…私がどんな気持ちで今日まで待ってたか分かる?!蘭ちゃんは勝手だよ!勝手に近づいて来て、こんなに好きにさせといて、なのに最後も自分で勝手に決めて…私にだって心はあるんだよっ!傷害致死でも何でもいい…蘭ちゃんが何人人を殺したって、私は蘭ちゃんが好きだもん…そんな理由でさよなら言わないでよ…っ」
これまで溜まっていたものを一気に吐き出した。言いたかったことの半分も言えてないけど、でも蘭ちゃんは面食らったような顔で私を見下ろしてる。こんな風に感情的な自分を見せたのは初めてだったかもしれない。どうか、この心を焦がすような想いの半分でもいい。蘭ちゃんに届いて欲しかった。
沈黙が続いた。一分、二分、蘭ちゃんは何も言わない。怒りをぶちまけたら急激に熱が冷えて、少し冷静になってみると、とんでもない言葉を吐いてしまったかもしれない、と不安になった。でも、蘭ちゃんは私を見下ろすと不意に笑みを浮かべた。
「…勝手に人のこと殺人鬼にすんのやめてくれる?」
「……っ?」
「ったく…そんなに何人も殺してたらオレは一生、塀の中だわ」
蘭ちゃんはそう言って、昔みたいに困ったような顔で、笑った。
「……ほんとに…」
「…え」
「後悔しねえのかよ」
「…蘭ちゃん…」
僅かに目を伏せて、蘭ちゃんはぽつりと呟いた。その顏がどこか寂しげで、あの夜、私に会いに来てくれた夜に見せた顔と同じに見えて、思い切り抱きしめたくなった。でも蘭ちゃんは、ふと視線を反らして苦笑いを浮かべた。
「オマエ…結婚してお嫁さんになるの夢じゃなかったっけ」
「え?」
「ガキの頃…オマエと約束したろ」
そう言われて、ふと保育園の頃のことを思い出した。蘭ちゃんと結婚する、なんて、無邪気に言えてたあの頃が懐かしい。
「でも今のオレじゃ叶えてやれそうもねえし」
「蘭ちゃん…」
「今さら真っ当な生き方する気もねえからさ…。そんなオレの人生にを巻き込むわけにはいかねえだろ」
「そんなの…そんなのどうでもいい…!私は…蘭ちゃんと一緒にいたいの…っ」
本当なら蘭ちゃんの言っていることは正しいのかもしれない。まだ私達はたった15歳で、今すぐ色んなことを決められる歳じゃない。これから先の人生の方が長いのだ。でも、大人にならなくてもこれだけは分かる。蘭ちゃんは私にとって、最初で最後の人だって。ううん、そうであって欲しいと、今も思ってる。これから先、またこんな風に互いの心がすれ違ってケンカをしたとしても、何度だって本音をぶつけ合えれば、私達は上手くやれる。
「さあ…何だかんだオレのこと大好きじゃね?」
照れ臭いのか、蘭ちゃんは視線を反らしながら笑っている。
「当たり前じゃない…大好きだよ…私は世界で一番、蘭ちゃんが大好――」
大好きって言おうとしたのに、その言葉は蘭ちゃんの口内に飲み込まれた。強い腕に抱き寄せられたら、軽い眩暈がした。夢にまで見た蘭ちゃんの腕の中で優しいキスを受けながら、どうかこのまま。夢なら覚めないで、と神様に祈っていた。