「テキトーに座ってて。飲みもん取って来る」
蘭ちゃんはそれだけ言うと、部屋から出て行った。
六本木ヒルズ近くにあるタワーマンションの一室。そこに連れて来られた私は、とにかく唖然としか言いようがなかった。無茶な突をして蘭ちゃんと分かりあえたのは嬉しい。でもいきなり「二人きりになりたい」と言われて、この豪華なマンションに連れて来られた私は、ハッキリ言ってビビっていた。てっきり実家に戻ったものだと思っていたのに、蘭ちゃんと竜胆くんは今、このマンションで一緒に暮らしてるという。蘭ちゃんいわく、
「前科ついたことで親がブチ切れでさ。家の敷居はまたぐなって言われて、このマンションあてがわれた」
そうだ。いくら何でも16歳と15歳の男の子ふたりが住むようなマンションじゃない。
(でも…そうか…。親に見放されたのも同然なんだよね)
いくら豪華なマンションでも、高価な家具が並ぶリビングでも、そこに愛情がないのなら、どこか寒々しい気がした。
「うわ、夜景は最高…」
ふとカーテンのない窓の向こうに見えるキラキラしたネオンに目がいき、私はそっちへ歩いて行った。前方には視界を遮る建物はなく、少し離れたところにヒルズが見える。
「たか…歩く人すら見えない…」
窓も開かない設計になっているようで、ベランダすら設置されてないのは強風予防なんだろうか。
「何、窓に張り付いてんの」
その声にドキっとして振り向くと、蘭ちゃんが手にグラスとコーラを持って立っていた。
「あ…け、景色いいなと思って…」
「あー…そこだけだよな、こんなマンションのメリットって。いちいち上がり下りに時間かかるし、オートロックだらけだしでマジ面倒」
苦笑交じりで言いながら、蘭ちゃんは手にしていたものをテーブルの上に置くと、私の方へ歩いて来た。
「でも誰かに覗かれる心配はない」
「え…?」
後ろに立った気配がして仰ぎ見ると、すぐに唇を塞がれた。窓に身体を押し付けられて動くことも出来ない。
「ん…ふ」
性急に入って来た舌に絡み取られた舌を軽く吸われると、体の中心から何かが迫り上がって来る気がしてかすかに足が震えた。蘭ちゃんの身長が少し伸びてるからか、上を向く角度が違う、なんて、こんな時にどうでもいいことが頭を過ぎる。でも蘭ちゃんの荒々しいキスで、胸元にしがみついていないと立っていられなくなりそうだ。
「…ま…って…蘭ちゃ…」
「ん…無理、かも」
腰に回されていた手が服の中に侵入してきて、背中を撫でていく感触にゾクゾクして肌が粟立つ。こんな風に触れられるのは、初めて抱かれた時以来だから凄く恥ずかしい。今夜は会うことも、話すことも叶わないと思っていただけに、急な展開すぎて脳内が軽くパニックだ。
その時――背中を撫でていた指先がブラのホックにかかった、と思った瞬間、プチっと外れた音がして、慌てて体を離した。蘭ちゃんの指は器用すぎる。
「ダ、ダメ…っ」
「えー…」
制止すると明らかに不満そうな声を出した蘭ちゃんはちょっと可愛い。だけど、いきなり何をする気だという焦りの気持ちの方が勝ってしまった。
「ひ、久しぶりに会ったんだから、ちゃんと話したい…」
「久しぶりに会ったからこそのエッチだろ、フツー」
「ら、蘭ちゃんのフツーと私のフツーは違うのっ」
シレっと綺麗な顔でとんでもないことを言う辺り、ちっとも変わってない。こうやってあの頃の蘭ちゃんも私の気持ちをかき乱すだけかき乱していなくなった。あげくオレのことは忘れろなんて一方的に別れを突きつけられて、この二年、私はずっとずっと苦しかった。私の為を思ってのことだって今は分かってるけど、この複雑な思いをどうにか消化したい。その為には蘭ちゃんが戻って来てくれたって心の底から実感したかった。今は抱き合うよりも、ちゃんと蘭ちゃんの顔を見てゆっくり色んな話をしたかった。
思い切ってその気持ちを蘭ちゃんに話したら、蘭ちゃんは何故かニッコリ微笑んで両手を広げてきた。
「来いよ」
「え…?」
「実感したいんだろ?させてやるよ。ぎゅってしてやっから」
両手を広げて微笑む蘭ちゃんは死ぬほどカッコいい。三つ編みじゃない蘭ちゃんは蘭ちゃんぽくないと思ってたけど、下ろしてる黒金2トンの髪も凄く似合ってて、単純な私の胸がキュンと鳴った。二年分の恋心が溜りに溜まってるから本当なら本能に任せて今すぐ蘭ちゃんの腕の中に飛び込みたい。でも、だけど。この悪魔の誘惑に乗ってしまえば最後、絶対に話なんか出来ない気がする。
「い、いい…今の蘭ちゃんエッチなことしか考えてないし…」
「……チッ」
「あ!今、舌打ちした!」
優しい微笑みから一転、今じゃ顔を背けて下唇を突き出してる。どうして男ってこういう大事な場面でも関係なく盛れるんだと言いたい。
「んじゃー話するー?」
蘭ちゃんは諦めたように苦笑交じりでソファに座ると、持って来たグラスにコーラを注いでくれた。
「早く座れよ」
「う、うん…」
「あーオレ、ビール飲むわ」
「え、ビール…」
そんなもの飲めるようになったのかと驚いてたら、前からお酒はちょいちょい飲んでたらしい。ほんと蘭ちゃん達はやること成すこと法律違反のオンパレード状態だ。でも今更かと思う。そんな蘭ちゃんを好きになったのは私なんだから。そしてこの先も、蘭ちゃんと一緒にいることを選んだのも私だ。
「んじゃーはい、再会を祝してカンパーイ」
「か…乾杯……って、ノリ軽すぎだよ」
楽しげに乾杯してくる蘭ちゃんに、ムっとして睨む。どれだけ私が悩んでは毎晩枕を濡らしたと思ってるんだ。こういう場合、待ってる方が絶対にツラい。蘭ちゃんは別れるって決めて、少年院にいる間に気持ちを切り替えられてたかもしれないけど、私は毎日目が覚めるたびに、現実を感じるたびに、一日生きるのが憂鬱になってた。
「何だよ…そんな顔して」
「だって…」
「そんな暗い顔すんなよ…せっかくこうして再会してふたりきりになれたんだろー?」
俯いた私の顔を、蘭ちゃんが覗き込んで来る。その顏は意外と優しい。さっきスネたように見せたのも本気じゃなかったみたいだ。
「…そう、だけど…でも今日、私があそこに行かなかったら…蘭ちゃんはきっと私に会いにも来なかったのかなって思うと悲しくなるんだもん…」
「そりゃ…オレだって生半可な気持ちであんな手紙書いたわけじゃねえし…オレから会いに行けるワケねえじゃん…」
「お祭りで会っても無視するし…」
「だからーあん時はオレだって正直めちゃくちゃびっくりしたんだって。だいたい、どんなツラ下げてオマエに話しかけられんだよ」
そう言われると何も言えなくなった。確かに、あの時もし蘭ちゃんが"よ、久しぶり"なんて普通に声かけてきたら、それはそれで凄くムかついたかもしれない。だけど、あの時の蘭ちゃんの冷たい背中を思い出すと、やっぱり胸が痛む。
「…泣くなって」
「…う…だって…蘭ちゃんに背中向けられたの思い出したら涙が出て来るんだもん…」
「悪かったよ…今はこうして一緒にいるんだし、泣くなよ…」
蘭ちゃんは手にしていたグラスをテーブルに置くと、私の体をそっと抱き寄せてぎゅっとしてくれた。頭に蘭ちゃんの頬が寄せられるのを感じたら、また涙が溢れて来る。大好きだった香水の匂いも、蘭ちゃんの腕の強さも、昔と何も変わっていない。
「ってか…オマエは色々言うけどさ…オレが何もツラくなかったって思ってんの」
「…それ…は……蘭ちゃんも…ツ、ツラかった……?」
そう訊いたら少しだけ体が離れた。恐る恐る見上げると、不満げな蘭ちゃんと目が合う。
「オレが年少入ったあと…が最初に手紙くれたろ」
「う…うん…」
「あれ、マジで嬉しかった…」
「…え?」
「嬉しくて…早くここ出てに会いに行きたいって本気で思ったんだよ」
「…蘭ちゃん…」
「オレが捕まったことが知ったら…今度こそマジでフラれるって思ってたし、正直あの手紙を読むまではビビってたんだよ…でもオマエはずっと待ってるって書いてくれたろ。それが…凄く嬉しかった」
まさかの言葉に驚いた。じゃあ何であんな手紙を?って思った。それが本当なら、あんな手紙なんか送ってこないはずだ。でもその答えは蘭ちゃんが教えてくれた。
「年少に届いた手紙は刑務官が検閲すんのは聞いた?」
「…う、うん…ケンヤに教えてもらった」
「まあ、軽く目を通してからオレに届くって形なんだけどさ。そのの手紙を検閲した刑務官に言われたんだよ」
「…な…なんて…?」
蘭ちゃんが悲しそうな顔で目を伏せるのを見て、心臓がきゅっと音を立てた。
「"この彼女はかわいそうだな"って」
「…え……かわいそうって…何で…?」
「"人殺しって最悪な前科のついたオマエをずっと待ってるなんて、この子の未来を、オマエは奪ってるも同然だ"…って」
「な…なにそれ…酷い…!何?その人…私は――」
「…」
蘭ちゃんは困ったように微笑んで私の言葉を静止した。でも悔しくて、何も知らないくせに勝手に私の気持ちを語ったその刑務官の人に、無性に腹が立った。
「そう言われて、ああ…そうかってオレも思った。オレが出て来るのを待ってたら、の二年は…いや、その後の未来も全部、オレが奪うことになんのかなって思ったら…待ってろなんて軽々しく書けなかった」
「蘭ちゃん…」
「まあ…その後に年少内であるヤツとゴタゴタして…そういうのもあってオレがどうせここを出ても前よりいい未来なんて想像も出来なくてさ。悪い方にしかならないなら、これ以上の人生、奪うのはダメだって思ったら…あの手紙書いてた」
その時はそれしかないって思ったんだよ、と、蘭ちゃんは言った。私の知らないところで、蘭ちゃんは蘭ちゃんなりに考えてくれてたんだって思うと、余計に涙が止まらなくなった。
「ご…ごめんね…私…自分ばっかり…ツラいみたいなこと言って…」
「だーから泣くなって…。もう終わった話だろーが…今はこうして会えたし…オレも気持ち固まったからツラくねえよ」
ボロボロと次から次に溢れて来る私の涙を、蘭ちゃんは指で拭ってくれた。でもそれじゃ追いつかないと思ったのか、今度はティッシュをとって、それで濡れた頬を拭いてくれる。ついでにティッシュで鼻をつまんで「鼻かめ」なんて言って来るから、だんだん恥ずかしくなって来た。
「…ごめんな。あん時はその方がいいってオレも信じてたけど…結果、オマエを傷つけただけだったな…」
「…ううん…私こそ…ごめんなさい…」
こうして蘭ちゃんの本心を聞けたら、やっとバラバラだった疑問点が繋がって、心の隙間が全て埋まったような気がした。
「あーあ…メイク、全部はげちゃったじゃん」
「え…うそ…」
慌てて顔を隠したものの、蘭ちゃんは嬉しそうに笑ってる。
「さっき会った時も大人っぽくなった見て、すげー可愛いと思ったけど…他の男の膝の上に座ってるオマエ見たら、マジ腹立ったけどなー」
今まで笑顔だった顔が一転、急に不機嫌な顔になって、また私の鼻をむぎゅっと摘んで来る。それがなかなかに痛いから嫌になる。
「あ、あれは…らって…不可抗力らもん…」
「ま、アイツは後日ボコるけど」
鼻から指を放すと、蘭ちゃんは怖いことを言いながらニヤリと笑った。でもあの男達に同情はしない。一応、蘭ちゃんの知り合いだって伝えたわけだし。
「じゃあ……」
「え?」
「仲直りのちゅーでも、する?」
「…え、ちょ…」
腰に回っていた腕に抱き寄せられて、再び体が密着する。無意識に体が後退したものの、ソファの背もたれが逃げ道を塞いで、私は再び固まった。