それだけで⑶


夏特有の湿った風が頬を撫でて、俺の髪をさらっていく。
夜とはいっても、7月半ばも過ぎればコンクリートに蓄積された昼間の熱で空気を沸かしているような気さえする。毎年言ってる気もするが、今年の夏は昨年以上に暑いように思う。
コーラを流し込むと、冷たい炭酸が喉に気持ちのいい刺激をくれた。
隣ではマイキーがひたすら"彼女"の話をしていて、俺は相槌を打ちながらその光景を想像しては、密かに笑みを浮かべた。

「…てか何で女ってすぐ仲良くなれんの?会ったばっかで風呂も一緒に入るとか、マジ、エマのヤツ信じらんねぇ」

マイキーはベンチの背もたれに両腕を乗せ、足を組んでふんぞり返っている。
口がいつも以上に尖っているのを見れば、妹のエマに何度も邪魔をされたことで少々ご立腹のようだ。

「オマエ、妹にまでヤキモチかよ」
「当たり前じゃん。は俺んだし。エマの友達じゃねーから」
「でもが楽しそうにしてるならいいんじゃねーの?オマエがうるさいから普段お洒落も出来ねーんだし、マニキュアくらい――」
「はぁ?はそんなことしなくても可愛いんだから良くね?何もわざわざ色を塗ったくんなくても…」

マイキーはがエマに影響されるのが嫌なようだ。
まあその気持ちは分からなくもない。
確かにはメイクなんかしなくても自然体のままで十分に綺麗だと思う。
それは顔が可愛いとか、スタイルがいいのと少し違う。
自分以外の人間を彼女はごく自然に大切に出来る子で、心の中にも何か譲れない芯のようなものがあって、そういったもんを全てひっくるめて綺麗なんだと俺も分かって来た。

"佐野くんは私なんかのどこを好きになってくれたんだろう"

ふと、以前が呟いてた言葉を思い出す。
はこれまで恋愛というものをしてきたことがないと言っていた。
だからこそ自分に自信が持てないようだった。
それにマイキーや俺達とは住む世界が違う。不安になるのも仕方のないことなのかもしれない。

あの日のことはマイキーにも話していない。
ふたりだけの秘密にした。
たった30分、俺の家とゲーセンまでを往復するまでの他愛もない時間だったけれど。

あれは下着泥棒を捕まえた日からすぐ後のこと。
あの日も梅雨に相応しい鬱々とした一日で、朝から雨が降っていた。



* * *




「本降りかよ…ついてねえ」

学校を出た時には小降りだった雨が、いつものたまり場に向かってる最中、激しくなってきたのを見て溜息をついた。
目的地はすぐそこだが、"バケツをひっくり返したような雨"という形容詞がふさわしいほどの雨に心が折れて、俺は近くのコンビニの店先まで走った。
数秒ほど大雨に打たれただけなのに、学ランには雨水が滲みこみ、少し肌寒いくらいだ。

「はぁ…傘持ってくりゃ良かったか?」

普段から雨でも傘を持つ習慣がない俺は、ハッキリ言って近年の日本の梅雨を舐めていた。
日本の梅雨と言えば、本来しとしとと静かに振る雨のイメージが強かったものの、最近は年々スコールといった突然降り出す土砂降りの雨が増えて来たように思う。
ストップ温暖化などと、この前もどっかの気象予報士が真剣な顔で訴えていたけど、あれも大げさな話じゃないと思えて来た。

「…ックシュ!」

濡れた学ランを着ているだけで体温が奪われていくのか、派手なクシャミまで出る始末。
これは一度家に帰ってから着替えて来た方が良さそうだ。
と言って、この大雨じゃここから出るに出られない。
コンビニで傘を買おうかとも思ったが、たった15分ほどの道のりの為に600円も払ってビニール傘を買うのも腹が立つ。
どうせ一度使ったら殆ど使わず、傘立てに入れられたままになるのだ。
現にそういった傘が家には5~6本あった。

「仕方ねえ…小降りになるまで待つか…?」

どんよりとした雨空を見上げながら独り言ちていたその時、鈍色の背景の中にひときわ鮮やかな赤が視界を過ぎった。

「あ…」
「…場地くん?」

今まさにコンビニに入ろうとしていたのは、俺の幼馴染が初めて本気で惚れたという女の子――だった。

「よお、どうしたん?ひとりでこんなとこで」
「あ、えっと…。そ、それより場地くん、びしょ濡れ」

は濡れ鼠の俺を見てすぐに駆け寄って来ると、鞄の中から綺麗にアイロンされたハンカチを取り出し、俺の頬へ当てた。

「い、いいよ…汚れるって」
「ハンカチは汚すものだから」

慌てた俺を見て、は笑いながらそんなことを言った。
思わず「確かに」なんて頷いちまったが、その間もは濡れた頬や髪を拭いてくれている。
屈んではみたが俺より小さいからつま先立ちで一生懸命に手を伸ばしてくる彼女に、申し訳ない気持ちになり、思わずその手を掴む。あまりの細さにビビった。

「いいって、マジで。これくらい平気だよ」
「ダメですよ。風邪引いちゃう」

はそこで鞄からもう一つハンカチ、いや今度は可愛らしいミニタオルを出すと、俺の学ランも軽く拭いてくれた。
何とも用意がいい子だな、と思いつつ「わりぃな」と言えば、笑顔で首を振っている。
相変らず度の強そうな眼鏡をかけて、髪はきっちり後ろで縛られているが、こうしないとマイキーがうるさいから仕方ないといったところか。

「ってか、マイキーは?」
「あ、佐野くんと待ち合わせしてて。でもまだゲームセンターには誰も来てないからコンビニで飲み物でも買おうかと」
「あーそうだったんだ」
「場地くんは?」
「俺?ああ、俺もゲーセン行く途中で土砂降りになったから雨宿りしてたんだけど…濡れちまってさみぃから一回家に帰ろうかと思ってたとこ」

言いながら空を見上げたが、相変わらずの本降りで、コンクリートに落ちる雨粒が跳ね返って来るくらいの大雨だった。
するとは何を思ったのか、手にしていた赤い傘をパチっと開いた。
随分と大きなこうもり傘で、赤いのは初めて見る。
柄の部分も変わってるから、もしかしたら海外で買ったものかもしれない。
その大きな傘を、は何故か俺の頭上へ傾けた。

「場地くんの家はどこですか?前に近いって言ってましたよね。私、送ります」
「は?」
「傘、ないんですよね?早く着替えないと風邪引いちゃうし」
「い、いや、いーって!小降りになるまで待つし」
「でも小降りになっても濡れるのには変わりないし…私は傘持ってるから送ります」
「いや…でも…」

"は言い出したらきかない"

ふとマイキーが彼女について話していたことを思い出した。
マイキーと出会った時も、傘のないアイツを彼女は家まで送ると言い張ったらしい。

「場地くん?」
「あ、ああ…じゃあ……頼むわ」

迷った結果、結局俺はに家まで送ってもらうことにした。
あそこで問答してても時間が過ぎていくだけだ。
彼女は引かないだろうし、そうこうしているうちにマイキー達が来てしまったら大変だと思った。

「わりぃな…何か。ああ、傘は俺が持つよ」

身長の小さい彼女に持ってもらうには無理があるから俺が彼女の手から傘を受けとった。
は「ありがとう」と言って「ひとりで待ってるのも何だからちょうど良かった」と笑った。

「え、マイキーとは何時に待ち合わせ?」
「えっと…4時半です」
「え、今、4時少し前だけど…」
「今日はウチの学校、授業が短い日なの忘れてて、いつもの時間で待ち合わせちゃったんです。だから早く着いちゃって」

なるほど、と思いながら、改めて隣を歩くを見下ろす。
初めて並んで歩いたが、こうして見るとマジでちっせぇなと苦笑が洩れる。
これじゃキスする時は大変だろうな、なんて変なことを考えていた。
その時、不意にが俺を見上げてきて、もろに目が合った。
ドキっとして視線を反らしたが、は気にすることなく「この前は本当にありがとう御座いました」と笑顔でお礼を言って来た。
何のことかと思えば、この前の下着泥棒の件だと言う。

「一晩中、見張りしてくれて…おかげで心強かったです」
「いや、別に俺ら何もしてねえし、捕まえたのマイキーじゃん」
「でも暑い中で見張りしてくれたことに変わりないし、本当に東卍の皆には感謝してます」

があまりに嬉しそうに言うもんだから、俺はどう応えていいのか分からずに「暇つぶしだよ」なんて言ってしまった。
それでもは気を悪くするでもなく、笑顔のまま「みんな、優しい人たちですね」なんて言っている。こんなに素直すぎると悪いヤツに騙されそうで心配になるな、と思った。
通りでマイキーが変な心配ばかりしているはずだ。
まあ、暴走族やってる俺らだって、他人から見ればその"悪いヤツ"の部類に入るんだろうけど。

「あ…ここ。俺んち」

団地が見えて来たところで言えば、は「ほんと近いですね」と辺りを見渡している。

「まあ、ここに引っ越した時、少し学区が変わってマイキーとは中学が別になってさ」

そんな話をしながら俺の家のある建物まで来た時、は「じゃあ私はこれで」と俺の手にある傘へ手を伸ばした。
けど彼女の肩が濡れていることに気づいた。それにここから彼女をひとりで帰せるはずもない。

「あー。オマエも少し濡れてっから俺んち来い」
「え…?」
「着替えたら、またさっきのとこ戻るんだし一緒に行こうぜ。薄暗いし、この辺ちょっとヤンチャな奴らもいるからさ」

は申し訳なさそうな顔をしていたが、俺は無理やり腕を引っ張り、家まで連れて行った。
俺を送って風邪を引かせたとあっちゃマイキーに合わせる顔がない。

「ちょっと待ってて」

を玄関に待たせて脱衣所から新しいタオルを取って来ると、すぐに玄関へ戻った。

「ほら、これで拭けよ」
「あ、ありがとう」

その時「圭介ー?帰ったの?」とお袋がリビングから顔を出す。
てっきり仕事でいないもんだと思っていた俺はギョっとした。

「お…お袋、いたのかよ…」
「何よ、いちゃ悪い?って、あら…お友達?」

お袋は玄関に立っているを見て、驚いたように俺を見た。
凄く嫌な予感がする。

「え、嘘。やだ…圭介の…彼女?」
「ば…っちげーよ!」

案の定、お袋はとんでもない勘違いをし、あげくの前でそんなことを口走った。
でもは動揺するでもなく、お袋に「初めまして。と言います」とバカ丁寧に挨拶をしている。

「まあ、礼儀正しいのねー。?」
「あ、と言います」
ちゃん!圭介の母ですー。ちゃんは圭介と同じクラス?っていうか、そんなとこで待たせてないで上がってもらいなさいよ、圭介」

お袋は俺が初めて家に女を連れて来たから、やたらとテンションが上がっている。
面倒なことになりそうで、俺は溜息をついた。

「うるせーな!これからまた出かけんだよ」
「えぇ?こんな大雨なのに?」
「ちょ、マジでお袋、向こうでテレビでも見とけって」

グイグイと背中を押しやると「分かったわよー!」と言いつつも、俺を見上げてニヤリと笑った。

「これからデート?」
「だーから違うって言ってんだろ?は―――」
「きゃーだなんて。やっぱり彼女なんでしょ?」
「…だからはマイキーの彼女だよっ」

あまりにうるさいから本当のことを告げると、「えー万次郎くんの彼女さん?」とお袋は明らかにガッカリしたような顔をした。
だが次の瞬間、少し眉間を寄せると「え…もしかしてアンタ達、彼女巡って三角関係とか…」と言い出し、俺の血管がキレそうになった。

「ちーがーう!とにかく俺は着替えて出かけっからに変なこと言うなよ?」

自分の部屋に入り際、そう怒鳴ると、お袋は「なーんだ、つまんない」とぬかしてリビングに戻って行く。ったく、勝手に人の修羅場を想像して楽しむなと言いたい。
とりあえず俺は急いで着替えて濡れた髪を適当に拭くと、急いでのところへ戻った。

「わりぃな…お袋が変な勘違いして」
「ううん。明るくて優しそうなお母さんですね」
「うるせーだけだよ。んじゃ行くか」
「はい」

そのまま出かけようとした時、またしてもお袋が顔を出すと「ちゃん、また遊びに来てねー」と笑顔で手を振っている。
マイキーの彼女だっつってんのに、いい度胸してやがる。
はどう応えていいのか分からないのか、笑顔で会釈をして交わしていた。

「はあ…この数分で疲れた…」
「お母さんと場地くん、仲いいんですね」
「いや、いいって言うのかよ、あれが」
「仲いいですよ。羨ましい」
「羨ましい?」
「あ、私のお母さん、だいぶ前に亡くなっちゃって…ウチは父しかいないんです」

は笑顔で話してくれたが、まさかそんな事情とは知らず、俺も「そっか…」としか言えなかった。
きっと彼女がこんなにシッカリしているのは、そういう家庭の事情もあるのかもしれない。

「うわーまだ本降りだな…」

階段を下りて行くと、未だ道路に激しい雨が打ち付けている。
今度は俺も自分の傘をさし、も赤い傘を開いた。

「時間、大丈夫そうか?」

ふたりで元来た道を歩きながら、ふと尋ねると、は腕時計を確認して頷いた。

「今、4時12分だから余裕です」
「そっか。なら良かったけど…。ほんと送ってくれてありがとな。助かったよ」
「いえ、全然。むしろ会えて良かったです。あのままじゃホントに場地くん風邪引いてたかもしれないし」
「そんなやわじゃねーって。あ、あと俺、バカだし」
「何ですか、それ」

俺の言葉にが笑い出した。

「いや、バカは風邪引かねーって言うじゃん」
「それはバカだから風邪を引かないんじゃなくて、バカは風邪を引いても気づかないって意味です」
「え、そーなの?じゃあ、バカでも風邪は引くのか」

真顔で頷くと、はまた楽しそうに笑い出した。
だいぶ打ち解けたからか、最初の頃よりはも自然に笑顔を見せてくれるようになった気がする。その時、のケータイが鳴った。

「あ、佐野くんからだ」
「げ、マイキー?」

それはメールだったようで、俺は何となくホっと息を吐き出した。

「今、龍宮寺くんの家にいるからもうすぐ着くって」
「じゃあ急がねーとな」
「あ、でも場地くん送って行ったこと言えば―――」
「あ、それなんだけど、マイキーに言わないでくれるか?」

ふと思い出してを見れば、案の定彼女は少し驚いている。
別に隠すこともない気はするが、家にあげてお袋にまで会わせちまった手前、あのマイキーがキレないという保証はない。

「いや、俺がに家まで送ってもらったって知ったら、マイキーのヤツキレてめんどくせぇことになるかもしんねーし」
「え、ま、まさか…」
「いや、そのまさかをやる男だろ?アイツは」

俺がそう言うと、も心当たりがあったのか、急に不安そうな顔になった。

「アイツ、溺愛してんだから、こんな風に俺とふたりでいんのも嫌なはずだし」

は俺の言葉に少し驚いたような顔をした後で、何故か俯いてしまった。
少し心配になって「どうした?」と尋ねると、彼女は俯いたまま、静かに話し出した。

「…佐野くんは私なんかのどこを好きになってくれたんだろうって思って…」
「え、どこ…って…」
「私、見た目もこんなだし、佐野くんの好きなもの殆ど分かってあげられないし、何で佐野くんが私のことを好きになってくれたのか分からないから時々不安になっちゃって」

は本気でそんなことを思っているのか、どこか悲しそうな顔をする。
あれだけマイキーが態度に出していても、そんなことが心配になるのかと、俺は少しだけ驚いていた。確かに彼女は俺やマイキー達と住む世界は違う。
けど人を好きになるのは理屈じゃないんだ。

「マイキーはの中身に惹かれたって言ってたじゃん。まあ今は全てひっくるめて好きなんじゃねーの。好きなもんが違ったって、だからいいってこともあんだろ」
「え…違う方がいい?」
「そりゃ同じ世界で生きてて同じもんが好きってのもいいけどさ。自分と違うから惹かれるってこともあるし、自分の知らない世界を知ってる人って魅力あると俺は思うけど。現に俺もすげーなって思うことよくあるしさ」
「え、凄いって…私は別に何も…」
は人に優しいだろ。俺らは何だかんだ言って、そこまで優しくはなれねーし。それに俺らの知らないこといっぱい知ってるし、やっぱ話してて楽しいよ」

俺の言葉に彼女の頬がほんのりと色づいた気がした。

「まあマイキーはあれで無邪気なガキみたいなとこあっから、純粋な分、のそういう優しいとことか、芯の強いとこに惚れたんじゃねーの?」

遂には耳まで赤くなった彼女にドキっとさせられる。
こんな分かりやすく赤くなる子はあまり見たことがない。

「…ってことで…マイキーにバレたらヤバそうだから、内緒にしてくれると助かる」
「わ…分かりました。このことは佐野くんには内緒にしときます…」
「頼むよ」

も了承してくれたことで少しホっとしつつ、隣を歩くを見下ろせば何やら嬉しそうに簡単なメールを返信している。
マイキーのこと本当に好きなんだなというのが見ていても伝わって来て。それが妙に俺の胸をざわつかせた。
最初はあのマイキーが?と驚きが大きかった。
でもあまりにマイキーが幸せそうだから、少しずつ微笑ましくなってきて。
次に俺もこんな恋愛がしたい、なんてガラにもないことまで考えたりした。
そして今は、みたいな彼女が欲しい、と自然に思ってしまった。

「場地くんは佐野くんの小さい頃のことも知ってるんですよね」
「え?あーまあな。道場で知り合って…最初はしょっちゅうケンカしてたかも」
「前に聞きました」
「マジ?どーせ俺がボコボコにしてやったーとか言ってたんだろ」

は「さあ」と笑って誤魔化したが、ふと俺の方を見上げると、

「でも…佐野くんは場地くんのこと大好きだって言ってました」
「…は?何だ、そりゃ…気持ちわりぃ」

あのマイキーが彼女にそんな話をしてたのも、俺のことをそんな風に話してたのも、意外過ぎてやけに照れくさくなった。
どう応えていいのか分からないから、自然と目がいくの赤いこうもり傘を見ていた。

「そのこうもり傘って」
「え?」
「海外で買ったのか?やけに大きいけど」
「あ、これはそうです。父がニューヨークで見つけて私の誕生日に送ってくれて。凄く気に入ってるんです」

は嬉しそうに言いながら、傘をくるくる回している。

「何でこうもり傘って言うか知ってますか?」
「え、いや…こうもりに似てるからじゃねーの。普通はこうもり傘って言やぁ黒い傘が主流だろ」
「正解。あと昔の日本は和傘しかなかったけど、幕末に西洋の傘が出て来た時、この傘の形がコウモリが羽を広げた時のようだから西洋傘をこうもり傘といったらしいです」
「幕末?そんな頃からあったんか」
「そう考えると何かロマン感じますよね」
「あー何か分かる。千冬がこの場にいたら絶対ロマンだ何だと騒いでんな」
「千冬…?」
「あ、はまだ会ったことなかったか。俺の隊の副隊長。今度紹介するよ」
「副隊長さんなんですね。会えるの楽しみにしてます」

は嬉しそうな笑顔で頷いた。
は暴走族のことなんか知らないけど、マイキーの仲間に会えるのは嬉しいらしい。
怖い顔の男に囲まれて怖くねーのって前に訊いたら、そんなようなことを言っていた。
それを聞いてたら彼女の世界は今、マイキーで回ってるんだな、と思った。
そしてそれは、マイキーも同じなんだ。

雨の中、楽しげに赤い傘を回しながら歩いている彼女は、とても綺麗だ。
化粧っ気もないのに、自然と寒さで赤くなった唇が、やけに眩しくて。
この鈍色の中で鮮やかに色づいている赤い傘は、どことなくマイキーの見てる景色のような気がして来た。アイツの色のなかった世界に、鮮やかな赤を描いたのは、きっとだ。

「マイキーのこと、宜しく頼むわ」

何となくそんな言葉が口から零れ落ちた。
は一瞬、驚いたような顔で俺を見上げたが、次の瞬間、嬉しそうな笑顔で小さく頷いて。
そのどこか照れたような笑顔は、いつまでも俺の胸にこびり付いて離れることはなかった。

ほんのささやかな、他愛もない会話を彼女と交わしたあの雨の日のことを、俺はきっと死ぬまで誰にも言わないだろう。