それだけで⑶
パーの親友が愛美愛主にやられた件で集会を開くことになった。マイキーのあの様子じゃ久しぶりにデカい抗争になるはずだ。俺はいつものように千冬とふたり、愛機で集会場所へ向かった。しかし早く着き過ぎたせいで幹部連中はまだ三ツ谷しか来ていない。
「おう、場地。早ぇじゃん」
「家で千冬といても漫画読んでるだけで暇だったからな」
「ば、場地さん、ひどいっす」
俺の率いる壱番隊の副隊長を務める松野千冬は情けない顔で項垂れる。ふとした縁で知り合って妙に懐かれて以来、千冬は俺の大事な相棒だ。知り合った頃はやけに尖っていたくせに、素顔は意外と素直で猫好きな優しい男だった。
「つーか、パーは?大丈夫なのかよ」
「まあ…機嫌は良くねえな。ピリピリしてるよ」
「だろうな…」
大勢でひとりをボコした上にソイツの彼女まで乱暴したと聞かされた時は、俺でも胸くそ悪くて愛美愛主をぶっ潰してやりたくなった。俺も人に言えないような悪さは散々してきたが、チームとは無関係の女にまで手を出すのはさすがに許せねえ。その話を聞いた時、自然と頭に浮かんだのはのことだった。きっとマイキーも同じだったと思う。自分と付き合ってるせいで、もしが同じ目に合ってしまったら――。嫌でも考えちまうだろう。その時数台の排気音が聞こえて来た。
「ああ、俺ちょっと下の奴ら、見て来るわ。あんま騒いで通報されでもしたら面倒だ」
「おー」
三ツ谷はそう言って境内を抜けると長い階段を下りていく。前ならともかく今の東卍は人数も増えて少しずつではあるが大所帯になってきた。そうなると俺ら幹部も目が行き届かなくなることもある。一般人に被害を出すことを良しとしないマイキーやドラケンの意向が無視され、色々やらかす連中も増えて来るし、問題を起こすヤツも出て来るのが困りものだ。最近ではパーのとこのキヨマサがケンカ賭博なんて下らねえことをやってたとかで、マイキーがしめたらしい。そういうバカのせいで東卍の評判が落ちていくのは俺も許せなかった。俺達が東卍を作ったのはそんな下らねえことをやる為じゃない。
「あれ…」
「あ?どうした?」
雑談中、千冬が顔をある方向へ向けた。
「あれって…エマちゃんでしたっけ。マイキーくんの妹の」
そう言われて、またドラケン目当てで来たな?と思いつつ、俺もソッチへ視線を向ける。そして、驚いた。
「は?」
この場で見慣れない制服を着た眼鏡の少女。彼女を見つけた時には無意識にバイクを降りて走っていた。
「場地さん?どうしたんスか!」
後ろから千冬の追いかけてくる声がするが、俺は真っすぐ彼女の方へと走る。しかし彼女は俺の姿を見るなりギョっとしたような顔でエマの後ろへと隠れてしまった。
「!何やってんだ、こんなとこで」
「う…え、えっと…」
俺が声をかけると、は困ったような顔でしどろもどろになっている。その時エマが彼女をかばうように前へ出て来た。
「何よー場地ー。ウチが友達連れて来て何か文句あんの?」
「って、オマエか!勝手にをこんなとこまで引っ張って来たの。このことマイキーは知ってんのかよ?俺は何も聞いてねーぞ」
マイキーがを集会へ呼ぶわけがない。しかも今回はただ集まったってわけじゃなく、抗争するかどうかって時だ。むしろ絶対に呼びたくはないはずだ。
「言ってないよー。だってちゃんに会ったの、ついさっきだもん」
「はあ?オマエ、マイキーに内緒で連れて来たのかよっ?」
案の定、エマの独断で連れて来たらしい。俺は呆れて深い溜息が洩れた。マイキーに知られたらそれこそブチ切れそうだ。
「いいじゃん。ちゃんはマイキーの彼女の前にウチの友達でもあるんだから場地に文句言われたくなーい」
「…ぐっ…相変わらず生意気なヤツ…」
エマの態度にイラっとして言い返そうとした時、が慌てて間に入って来た。
「け、ケンカしないで…私は帰るから…エマちゃんを怒らないで…場地くん」
「え、あ、いや…怒ったっつーか…って、おい、待てって!」
が歩き出したのを見て、俺は急いで引き留めた。こんな時間にひとりで帰せるわけがない。
「ひとりで帰せるわけねーだろ。マイキーもうすぐ来るから待ってろよ」
「…え、でも…佐野くんに内緒で来ちゃったし気まずいよ…。怒られるかもしれないし」
「アイツがに本気で怒るわけねーだろ?それに怒られるなら勝手に連れて来たエマだよ」
「む…。い~じゃん、別に!集会ったっていっつも皆で集まって騒ぐだけなんだから」
エマは頬を膨らませて俺を睨んで来たが、コイツは今回の事情を知らないようだ。とは言え、マイキーに内緒でを連れて来るということの危うさが、コイツは分かってない。その時、後ろに待機していた千冬が「あ、あのー」と声をかけて来た。
「あ?何だよ、千冬。今忙しい――」
「その子…誰スか」
「……ああ、そっか。千冬は会うの初めてだっけ」
千冬は初めて見るに興味津々といった顔をしている。だが勝手にマイキーの彼女だと言うのも躊躇われた。愛美愛主の件が無事に済むまではの存在はあまり知られない方がいい気がしたからだ。と言ってもマイキーが来れば大騒ぎするはずだから結局はバレるか、と苦笑した。それに千冬なら信用できるし口止めしておけば問題ない。
「この子は。マイキーの……」
「え、マイキーくん?」
「彼女…」
「えっ!!!!」
思った通りのリアクションをした千冬はそれでも想像以上に驚いている。マジマジと目の前のを眺めている千冬を見ながら、自分が初めてを紹介された日のことを思い出した。
「は…初め…まして…」
そんなキッチリとした挨拶をされた事が殆どない千冬も、少しギョっとしながら「は…初め…まして」と言い慣れない言葉を返しているのが笑える。でもその気持ちは少なからず俺には理解出来た。
「あー。コイツは俺の隊の副隊長で松野千冬。ちなみにと同じ歳」
「松野くん…場地くんとこの副隊長さんなんだ」
「…松野…くん?」
あまり呼ばれ慣れない苗字で呼ばれ、千冬はギョっとした顔で驚いている。その顔はどう見ても本当にマイキーの彼女なのか疑ってるように見えた。
「…オマエが余計なこと言ってマイキー怒らせない為にも言っておくと…眼鏡取ったらめちゃくちゃ可愛いから」
「…え」
こっそり小声で教えると、千冬は更に驚いた。この地味な子が可愛い?!と言いたげな顔だ。まあ俺も最初はこんな感じで驚いたし、千冬の気持ちはよく分かる。
「じゃ、じゃあ何で眼鏡なんか…」
「あー…」
俺は苦笑いを零すと「マイキーの我がまま」と言って肩を竦めた。
「他のヤツにの素顔見せたくねーって、いつも眼鏡外させねーんだよ、マイキーのヤツ」
「何スか、それ…。マジでめちゃくちゃ大事にしてるじゃないスか…!」
「まあ…意外だけど…彼女のこと溺愛してんだよ、マイキーのヤツ」
「……マジすか!あのマイキーくんが?」
あの唯我独尊で女に興味のなかったマイキーが彼女を溺愛しているというのは千冬の好奇心をくすぐったようだ。どうせ眼鏡を取ったところを見てみたいとでも思ってるんだろう。そこへエマが「なに男同士でコソコソしてんのよっ」と割り込んで来た。
「うるせぇーな…ったくエマは余計なことしやがって…マイキーが機嫌悪くなったらエマのせいだからな」
「何でよー。何でちゃん連れて来たらマイキーが機嫌悪くなんの?普通、愛しい彼女がいたら喜ぶでしょ」
「そんな普通の男みたいな反応すると思うのかよ?あのマイキーが」
「えー?どういう意味よ」
「エ、エマちゃん、いいよ。やっぱり私帰るから」
空気を察したのか、が気まずそうにしている。
しかし俺が「だからひとりで帰せねえって――」と言いかけた時、聞き慣れた排気音が聞こえて来た。
「マイキーのバブだ…」
「えっ」
も驚いたように振り向いているが、ちょうど視線の先にバイクの排気音と共に白いライトが近づいて来るのが見える。
その瞬間、が慌てて走り出すのを見て、すぐに追いかけると彼女の腕を掴む。
「何逃げてんだよ」
「だ、だって…」
「どうせエマがを連れて来たことはバレる。そしたらひとりで帰した俺がマイキーに怒られっから」
「え、な、何で場地くんが?」
「そりゃこんな時間にひとりで帰したなんてマイキーが知ったら怒んだろ」
もしが帰ってしまえば、エマもこっぴどく叱られるはずだ。ここはやはりマイキーに任せるしかない。その時、境内の中へバイクが二台入って来るのが見えて先頭にマイキーと、その後からドラケンが続く。
「……?!」
さすがはマイキーだ。来た瞬間、普段ならこの場にいるはずのないに一瞬で気付いたようだ。
案の定、慌てたようにバイクを降りて走って来たマイキーは、と一緒にいる俺を見て明らかに不愉快そうに眉を寄せた。
「どういうことだよ、場地…」
「は?俺が知るか。エマに聞けよ」
「…エマ?」
とばっちりはごめんだ、と思いながら、後ろにいるエマへ視線を向けた。マイキーはそれだけで、この状況をすぐに理解したらしい。少し離れた場所にいるエマに向かって何かを言おうとした。
だがそれより先にが「佐野くん…!エマちゃんのこと怒らないで」と慌てて腕を掴んだことで、マイキーはぐっと言葉を飲みこんだようだ。
そしての手を引っ張ると、仲間が集まってきた方ではなく、人気のない神社の裏手に連れて行った。
「ひえーマジで大事にしてるじゃないっスか!」
疑い半分だった千冬がマイキーの反応や行動を見て驚愕している。
「だから言ったろ?ったく…エマも余計なことしやがって」
「…べーだ!」
「ぐ…っ」
ジロっとエマを睨むと、エマは俺に舌を出してドラケンの方へと走って行く。相変わらず可愛くない女だ。
「でも大丈夫っスかね。彼女さん。マイキーくんに叱られたりは…」
「あーそりゃねえよ。には何の非もねえし、きっと今頃イチャイチャしてんだろ」
「……あのマイキーくんが……女とイチャイチャ…?想像つかねえ…」
千冬は唖然とした顔でふたりが歩いて行った方を見て、独り言ちている。でも俺はその場から離れたくて、溜息交じりで自分のバイクの方へと歩き出した。
午前10時過ぎ。暑すぎず寒すぎず、ちょうどいい空調温度の中、図書館という静かな空間で辞書と向かい合っていると、どうしても睡魔が襲って来る。不意に欠伸が出てそれを噛み殺しながら、俺はかけていた眼鏡を直した。ふとノートの横に置いたままのケータイに目が行くのは、またマイキーから何か連絡が来るかと思ったからだ。あの集会から数日後の昨日も俺はこの図書館に来て慣れない勉強をしていた。それはまた留年しない為のものだ。以前留年をした時にお袋に散々泣かれ、それが殊の外キツかった。だから今も時間がある時はこうして慣れない場所で慣れないことをやっている。図書館ではケータイの音が鳴らないようサイレントモードにしていたが、昨日はそのせいでマイキーからの電話やメールに気づくのが遅くなってしまった。内容はパーが捕まったこと、そして"を迎えに行って欲しい"という想定外のものだった。しかし気付いた時には"迎え三ツ谷に頼んだ"というメールが最後に届いた時で、結局俺はマイキーやドラケンの方へ合流することになった。ふたりから詳しい話を聞き、愛美愛主の長内はマイキーが倒したまでは良かった。でもパーが長内を刺した罪で警察に捕まったのは全くと言っていいほど予想外だ。珍しくマイキーも動揺していたし、今後のことを幹部で話し合うことになったものの、少し気になったのはマイキーとドラケンの意見が分かれたことだ。俺は夕べの話し合いを思い出し、溜息をついた。
(マイキーはパーを助けたいなんて言い出したのはヤツのアイデアか?)
元愛美愛主のメンバーらしい稀咲とかいうガキ。俺は稀咲がマイキーに余計な話をしているのを聞いてしまった。それからだ。マイキーがドラケンの意見に反論するようになったのは。
(アイツ…どういうつもりだ?今更金なんか積んだところでパーは無罪に出来ないはずだ…。それにパーは自ら自首したんだ。アイツだって無罪になることは望んでねえはずなのに)
気づけば勉強なんてそっちのけで、頭の中は怪しい動きをする稀咲のことで埋め尽くされている。俺が聞いた話は誰にも話していない。相棒の千冬にさえも。マイキーに進言するには稀咲が何を企んでいるか知る必要があるからだ。ここは俺ひとりで調べてやろうと思っていた。その時、向かい側の椅子に誰かが座った気配がしてふと顔を上げた。
「……ッ?」
「…え?」
驚き過ぎて思わず声を上げてしまった。慌てて口を押えたが時すでに遅し。驚いたような顔のが俺をマジマジと見ていた。
「もしかして……場地…くん?」
俺が眼鏡をして髪を一つに縛っているせいか、は訝しそうに眉間を寄せている。ここで違うと言っても仕方がないと、俺も眼鏡を取って「おう…」と片手を上げた。
「き…奇遇だな…こんな場所で会うなんて」
「え…その恰好…」
「あ~こういう場所来る時はコッチの方が目立たねえんだよ」
「そ、そっか。でも…驚いちゃった。場地くんも…勉強中?」
は俺が開いていた辞書を覗き込んで訊いて来た。ガラにもねえことしてるって思われたんじゃないかと恥ずかしくなったが、まあ実際ガラじゃねえって自分自身が一番思ってるんだから仕方ない。
「ああ。は…?って具問か」
「私は家にいても暇だから気分転換に時々ここへ来るの」
「へぇ。じゃあ知らないうちに前は会ってたかもしんねえな」
「場地くんは良く来るの?ここ」
そんな質問をされたから、簡単に留年のことなどを話した。でもはバカにするでもなく、逆に「お母さんの為なんて優しいんだね、場地くん」とコッチが照れるようなことを言って来る。
「お袋の為っつーか…アイツ、ああ見えてすぐ泣くからウゼェだけだよ…」
照れ隠しでそんなことを言う俺の本心なんて、きっと彼女は見抜いてる。ただ黙って微笑むを見ていたらそう思った。
「そういや…今日は休日だし塾はさすがに休みなんだろ?」
「あ、うん。夏休み中でも普段通り日曜は休みだからここに来たの」
「じゃあ休日くらい勉強休んでマイキーと会えばいいだろ」
何の気なしに言ってしまった後で後悔した。今、マイキーはパーの逮捕でテンパってる。今後のことを俺達と話し合ってる最中でデートをする心の余裕も時間もないはずだ。
「佐野くんは今、忙しいみたいだから」
「…だ、だよな。わりぃ」
「ううん。それより…佐野くんが心配で…。毎日電話はくれるけど元気ないから…」
彼女は笑顔を見せてはいるが、どこか寂しそうな顔をしていた。きっとマイキーのことが心配でたまらないんだろう。彼女にこういう顔をさせているマイキーが少しだけ羨ましくもあり、憎らしくもなる。
「あ…場地くん。この参考書、凄く分かりやすいよ?」
「え?」
不意に彼女が自分の参考書を開いて俺に見せて来た。見てみると色んな箇所にマーカーを引いている。が普段から勉強を頑張ってる証拠だ。そして確かに俺が使ってるものよりも分かりやすかった。
「へえ、ほんとだ。俺でも理解出来る」
どこのやつだろうと表紙を見ていると、は少しだけ身を乗り出し、俺の手にしている参考書を指さした。
「それ、使って」
「えっ?」
「私、もう覚えたからそんなに使わないの。良かったら場地くんに使って欲しい。大事な箇所はマーカーしてるから更に分かりやすくなってると思うし」
「い、いや…でも、いいのかよ?」
「もちろん。場地くんが良ければ」
「俺は…助かるけど…」
そう言いながら頭の隅にマイキーの顏が過ぎる。やましいことをしてるわけじゃないが何となく気になった。こんな些細なことでもマイキーならきっと機嫌が悪くなるだろうことはだいたい予想はつく。はそこまで考えていないのか「なら良かった」と言って笑っている。
「あ…じゃあ…今回のこともマイキーには内緒にしといてくんねえ?俺とここで会ったことも含めて」
「え?」
は少し驚いたような顔で俺を見た。確かに図書館で会ったのは偶然にしろ、物を貰ったとなれば話は別で。きっとスネて面倒くさくなることは分かり切っている。
「マイキーがめんどくさくなるの、もう分かるだろ?」
俺がニヤリと笑えば、の頬がかすかに赤くなった。女に対してマイキーがあれほど嫉妬深くなるのは俺も初めて知ったし、もその辺のことでは苦労しそうだな、と内心苦笑する。でも、この歳で色んなもんを背負ったマイキーを癒してあげられる子は、きっと彼女しかいない。
「…分かりました」
そう言っては照れ臭そうに笑った。この前の雨の日に続いて、またふたりだけの秘密が出来てしまったけれど、これくらいの癒しを分けてもらってもばちは当たらないはずだ。からもらった参考書からは、かすかに花の香りがしていた。