02-ファンタスティックロマンスの始まり




竜胆は兄の蘭が猫の恰好をした少女を抱えて帰って来た時、遂にロリコンそっちに走ったか、と心配になった。

「は…?誰?その子」

唖然というより、青い顔をしている竜胆を見て、蘭は「野良猫落ちてたから拾って来た」と何とも綺麗な笑顔で言いのけた。この笑顔を見せれば、だいたいの問題が解決するのを、蘭はよく心得ている。ただ、今回ばかりは竜胆も「ああ、そうなんだ。オッケ」などと、あっさり頷けるはずもなく――。

「いや、落ちてるわけねーだろ!そんな野良猫!」

と当然の如く突っ込んだ。いくら兄貴が最近恋人と別れたからとはいえ、コスプレ少女を拾って来るなんて、あっていいわけがない。しかも少女は多分、未成年。道徳的にどうなんだとか、六本木のカリスマの威厳が、とかあれこれ言ってはみたものの。

「え、オマエ、困ってる仔猫を見捨てろと?兄ちゃん、そんな冷たい子にオマエを育てた覚えはねーけどな」

と、ガッカリしたような顔をされた。蘭の目が「我が弟ながら、冷酷非道すぎ」と訴えてくるのも我慢ならない。

「何だ、そのオレが全部悪いみたいな顔は!つーか兄ちゃんに育ててもらった覚えはねえけど?!」

怒鳴ったらクラっとした。夕べの酒がまだ全然余裕で残っているせいだ。忘れてた酔いが戻ってきた気がして、竜胆はその場にしゃがみこんでしまった。
弟の動揺した姿を見た蘭は、やっぱ拾ったは無理があるか…と悟る。そこは本気で押し通す気でいたらしい。だが諦めたように事の発端を説明しだした。その際、抱えていたを下ろすと、今度は三つ編みの代わりと言わんばかりに手を握られる。何が何でも蘭から離れたくないらしい。

一方、きちんと話を聞けば全くの勘違いと分かり、竜胆は心の底からホっとした。自分の兄がその辺で女の子を拾ってくるような男に成り下がったのかと、地味にショックを受けたからだ。でも悪い奴らから救ったというなら話は別だ。何でもポーズを決めたがる美味しいとこどりの部分は嫌いでも、それ以外は強くて聡い兄を尊敬してるし、愛もある。やはり「さすが兄ちゃん」という弟の欲目が出るというものだ。
ただ、それにしたって家にまで連れてくる必要があったんだろうか、とは思う。

「んで…どーすんの?その子、誰かを刺したんだろ?相手がもし死んじまってたら殺人犯じゃん」
「べっつに良くね?こんな格好させてやらしーことしようとしてた奴が死んだって。なー?
「……?」
「ああ、この子の名前。つーか竜胆。そんな怖い顔で睨んでたらが怖がるから」
「いや、怖いのはこっちだから!その子、何気に血まみれだし!」
「………」

竜胆が大きな声を出すと、はびくりと肩を揺らして蘭の後ろへと隠れる。でもその間もしっかり手は握ったままだ。まるで放すと捨てられるとでも言うように。

「おい、竜胆…オマエが大きな声出すから怖がっちゃってんじゃん。ごめんなぁ、。弟は可愛い女の子に免疫ねーんだよ。可哀そうだろ?だから許してやって」
「はあ?嘘を教えるな、嘘を!つーか、その子何歳だよ?見た感じ13、14歳くらいにしか見えねーけど」
「まあ、そんなもんかな。15つってた」
「マジで?そんな歳で売春とかさせられてたのかよ?」

そんな歳で、と驚いてはいる竜胆も若干12歳で六本木を手中に収めたのだが、そこは忘れてるらしい。弟の言葉に蘭は苦笑したものの、同じように思っていた。ケンカで相手をボコボコにするより、抵抗する術もない若い女の子に、変なコスプレ姿でオッサンの相手をさせる方がよっぽどあくどい。本人の意思なら問題はないが、この子はどうみても違う。心底反吐が出る話だ。

「マジでクソ野郎だよな、京介」

と蘭がその名を口にした時、が目に見えて怯えた。握られている手からも、震えが伝わってくる。

「どうした?あ、京介が怖いのか?もしかして…アイツに監禁でもされて仕事もさせられてたのかよ」
「………」

震えながら何度も頷くを見て、蘭と竜胆は互いに顔を見合わせた。自分達の六本木に幅を利かせてきただけじゃなく、こんな少女を監禁してまで自分の利益の為に利用してるのかと思うと、自然と怒りは沸いてくる。自分達とて人のことを言えるほど善人ではないが、少なくともこんな少女に売春をさせようとは思わない。

「とりあえず…京介のことは更に調べる必要ありそうだな」
「あ、ココに頼む?金さえ払えば調べてくれんじゃね?アイツ、京介みたいな奴ら相手に仕事してたっていうし、その筋には詳しいかも」
「あ~確かに。ま、稀咲に頼むよりはマシか。でもその前に…」

と言いながら蘭はの手を引いて立ち上がった。

「とりま風呂だな、は」
「ああ…血まみれじゃ落ち着かねーだろ」
「………」

ふたりの会話を聞いて、は手を握り締めたまま蘭を見上げると少しだけ不安そうな顔をした。どこかへ連れて行かれるのかと勘違いしたらしい。蘭は「大丈夫」と言いながら、バスルームまでを連れて行った。

「シャワー入りな。これ使っていいから」

脱衣室の棚からふわふわのバスタオルを出すと、蘭はそれをの空いた方の手に持たせてやった。ついでに目に悪そうな金色のコンタクトも外してやると、それをダストボックスへと捨てる。

「これで目も楽だろ?着替えは…どうすっかな」

自分の服はデカすぎだろうし、竜胆の子供の頃の服ならいけるか?と考える。そして着替えを探すのに脱衣室を出て行こうとしたが、またしてもグイっと、今度は繋がれたままの手を引っ張られた。見れば外すことなく、しっかり握られている。

…そろそろ離せって」

苦笑しながら振り向くと、はまだ不安そうに蘭を見上げている。うるうるした彼女の素の瞳は最近CMで見かける仔猫そっくりだった。蘭の胸がキュンと鳴るのも仕方がないほど、庇護欲を刺激される。
仕方なく目線まで屈むと「どこにも行かねえから。着替え持ってくるだけ」と優しく微笑む。それでもは首を振りながら俯いてしまった。

「…猫のコスプレのままじゃ嫌だろ?顔も髪も血で汚れてるし、そんな恰好の子をここに置いておけねえじゃん」
「……ッ」

置いておけない、という言葉に反応したのか、はパっと顔を上げて泣きそうな顔をした。それこそ捨て猫みたいな表情だ。最初に顔を合わせた時のような敵意はとっくに消えたのか、今は蘭が傍にいないと不安そうだった。

「そんな顔すんなって…」

いかつい男相手なら余裕で勝てる自信はあるし、生意気な女なら平気で突き放すことも厭わない蘭が、何故かにだけは勝てる気がしなかった。
蘭は溜息交じりでしゃがむと「とにかくシャワー入って綺麗になれ。話はそのあと」とバスルームのドアを開けた。

「ほら、耳も取って、そのエッチめな服も脱げよ」

とりあえず頭に乗っていた猫耳を取ってやると、は理解したのか、蘭の手をゆっくり放して小さく頷いた。だがその直後だった。まだ蘭がいるにも関わらず、おもむろに背中のジッパーを下ろしたは、気にすることなくその場で服を脱いでいく。一切の躊躇いもなく服や下着を脱ぎ捨てたを見て、蘭はギョっとしたように立ち上がった。

「おい、オレが出てってから脱げって」

とは言ったものの、オスとしての本能なのか、ついつい曝け出された胸元へ視線がいってしまう。は細身のわりに少女から大人に変わる段階に入ったような綺麗な体つきをしていた。だが、見た瞬間、蘭は小さく息を呑む。のその細い体に、いくつもの痣があったからだ。腕や足のいたるところに、古い痕もあれば出来たばかりの痣もある。それはぶつけて出来るような場所ではなく、誰かによって付けられたものだと、すぐに分かった。

「これ…どうした?」

思わずの腕を取って尋ねる。

「殴られたのかよ?」
「……」

最初に会った時と同じく、は何も応えない。その顏にはやはり怯えの色が浮かんでいた。それを見た蘭は、改めて思う。は何故この歳でカンパニーに飼われていたのかと。

「ん?どうした?」

不意にの手が蘭の服を掴んだ。その表情はやはり不安げで、蘭は小さく息を吐き、の手を引いてバスルームへ入った。

「ほら、この椅子に座って」

を椅子へ座らせると、蘭は勢いよくシャワーの栓をひねる。あの様子じゃいつまで経ってもシャワーに入らないと思った蘭は、の髪を洗ってあげることにしたのだ。は現在、全裸ではあるものの。蘭としては、もうバッチリ見ちまったし、本人も気にしてないみたいだからいっか的な開き直りともいえるノリだった。それよりも、あのまま裸で突っ立っていた方が、それこそ風邪を引いてしまうと思った。
のアップにしてある髪をほどき、手櫛でからまった部分をほぐしながら、少し温めのシャワーを頭からかける。すっかり解れたところで、今度は棚に並んでいる自分のシャンプーを手に垂らし、髪を揉むように洗ってやる。鏡越しに見ると、は気持ちよさそうに目を瞑っていた。

(ほんとに猫みてぇだな)

大人しく洗ってもらっている姿は、コスプレをやめてもなお仔猫のようで、蘭は小さく笑いを噛み殺した。丁寧に頭皮をマッサージして、長い髪も束を小分けにしながら洗っていく。普段から自分の髪にやっていることなので、それほど面倒でもない。むしろ人の髪を洗ってあげるという作業は意外と楽しかった。

「妹がいたらこんな感じなんかな。竜胆が女の子だったらもっと可愛がってたな、きっと」

しっかり洗い込まれた泡まみれの髪をシャワーで流しながら独り言ちる。竜胆がこの場にいれば「ひでぇな、兄ちゃん」と嘆いてたかもしれない。
その時、蘭の独り言に反応したのか、が何?というように顔を上げて振り向いた。おかげでシャワーがもろに顔へ降り注ぐ。ついでに「ひゃっ」と声を上げたせいで、お湯が口へ入ったようだ。

「バカ、シャワーしてる時に振り向くなって」
「ゴホッゴホッ」

が苦しそうに咳き込む姿を見て、蘭は慌ててタオルを取ると濡れた顔をすぐに拭いてあげた。

「おい、大丈夫か?器官に入ったのかよ」

背中をさすりながらの顔を覗き込むと、髪と一緒に洗い流したことで、血まみれだった顔も今ではすっかり綺麗になっている。施されていたメイクも殆ど落ちてはいたが、念のため元カノが置いて行ったクレンジングでしっかり落としてやった。その際、アーモンドのような大きな瞳と目が合い、蘭は少しばかり驚いた。似合いもしない濃いメイクを施されてた時は気づかなかったが、スッピンを見る限り、は可愛らしい顔立ちをしていた。痣の跡は痛々しいが、本来の肌は透けるように白く、滑らかで、全体的に儚げな美少女という形容詞がピッタリだと思う。

「マジで…?、ちょー可愛いじゃん。最初に会った時は汚れた野良猫かと思ったけど」

蘭が笑うと、はムっとしたように目を細めた。野良猫と言ったことで機嫌を損ねたらしい。それでも、さっきよりはだいぶ表情も豊かになった気がして、ガラにもなくホっとする。濡れた髪を毛先まで丁寧に拭いてから、別のタオルで髪全体を包むと、しっかりタオルドライさせておく。こうすることで乾かす時間も多少短くなる。

「じゃあ、体はオレが洗うのもマズいし、自分で洗えんだろ?オレはリビングにいるから――」

と言って立ち上がろうとしたが、やはりは蘭の手を掴んで首を振る。そして「行かないで」と普通に喋った。
今まで自分の名前しか話さなかったのに、と蘭は驚いたが「行かないで」と言われても困ってしまう。

「大丈夫だって。すぐ傍にいるし。それにオレも一応男だから、この状況は蛇の生殺しみたいで良くねえの」
「……蛇?」

座っているの目線までしゃがみ、冗談交じりで言えば、不思議そうに何度か瞬きを繰り返す。その反応が可愛くて、蘭はかすかに溜息を吐いた。無意識にしてることでも、は今、裸で、蘭は男だ。長々接していると、そんな気を起こす気がなくても、別のものが起きてしまいそうだった。

もオレに襲われたくねえだろ?」

警戒させる為にも、軽く脅すつもりで突き放した。
――つもりだった。
は一瞬キョトンとした顔をしたものの、ふと何かを思いついたように、そっと蘭の頬へ両手を添える。かと思った瞬間、自分の方へ引き寄せ、唇を重ねてきた。それは軽く触れる程度の可愛らしい口付け。蘭にしてみれば、キスのうちにも入らない。なのに、その不意打ちの行為に蘭の目が大きく見開いた。

「オマエ…何してくれてんの…?」

唇が解放された瞬間、蘭は思わず項垂れた。の考えてることがサッパリ分からない。売春させられるのが嫌だからこそ、客を刺してまで逃げ出して来たと勝手に思っていたが、会ったばかりの自分にキスを仕掛けてくるのもおかしな気がした。
一方、当のは蘭の反応を見て僅かに首を傾げると「助けてくれたから…」と小さな声で呟いた。

「…は?」
「さっき…助けてくれたから…」

今度はハッキリとした声で言ったに、蘭も少し驚いた。助けたつもりはないが、結果的にそうなったのは事実。ただ、それだけのことで会ったばかりの男を信用して、キスまでするなんて危ないにもほどがある。

「別に助けようと思ったわけじゃねえよ。まあ…結果的にそうなっただけで。でも、だからって会ったばかりのオレにキスすんのは違うんじゃねーの?」
「でも…私を置いていかなかった…」
「それはがオレの髪を離さねえからだろ」
「………」

あ…落ち込んだ、と蘭は溜息を吐く。シュンとしたように俯いてしまったを見て、どうしたものかと天井を見上げたところで、答えなど出やしないのだが。
さっきからシャワーも出しっぱなしで息苦しい上に、素っ裸の女の子からキスまでされてしまったこの状況に、さすがの蘭も戸惑っていた。まだをどうするかまでは考えていないが、この無防備すぎる少女を、危険な誘惑が垂れ流されてる夜の六本木に放り出すのは色々と心配ではある。普段、自分に声をかけてくるような女なら、仮に助けたとしても早々に追い出すが、この弱々しいを見てると、そんなことをする気にもなれない。
と言って、当然警察に頼ることもしたくはなかった。そもそもを連れて警察へ行ったところで、未成年誘拐などと罪をでっち上げられ、不当逮捕されるのは目に見えている。過去の逮捕歴を材料に、えん罪でまた少年院に入れられるのはごめんだ。

(と言って…じゃあ、どうするよって話なんだけど…)

ガシガシと頭をかきつつ、溜息しか出ねえな、と苦笑する。とりあえず目の前でへこんだ様子のの頭にポンと手を乗せた。その他もろもろ考えなきゃいけないが、今はまずにシャワーを浴びてもらうのが先決だ。

「風呂場で話すことでもねぇし、まずは体を綺麗にして。オレはあっちで待ってるし」

な?と言いながらの顔を覗き込む。相変わらず返事はなかったが、数秒後、はふと顔を上げて小さく頷いた。それを見た蘭はホっとしながら「じゃあな――」と立ちあがる。だが、その刹那。突然シャワーのお湯が蘭に向けられた。

「うお…つーか、何してんだ、てめぇは!」

振り向くと今度は顔に飛んでくるお湯を手で避けながら、たまらず叫ぶ。の手からシャワーを奪おうとすればするほどびしょ濡れになっていく。

「おいコラ、!それ寄越せって!」
「やーだ!」
「やだじゃねえだろ?うわ、やめろって…!」

近づけば近づくほど濡れていく現状に、蘭もひたすら叫ぶしかない。他の人間なら殴ってでもやめさせるが、相手ではそうもいかない。ただ、気づけばは楽しげに笑っている。その笑顔は年相応で、蘭は思わずドキっとさせられた。何せ、可愛い女の子が全裸という現実が目の前にある。

「オマエ…ちゃんと笑えるじゃん…って…ちょ、マジ、それやめろって!」

油断するとシャワーが顔に飛んでくるのだからたまらない。

「今度は私が洗ってあげる」
「は?洗うって…うわ、いいから!ちょい落ち着け!ってか見て?オレ、服着てんじゃん」

シャワーの奪い合いだけで蘭は全身ずぶ濡れだ。それでも何故か不快だとは思わなかった。お互いびしょ濡れになりながら、バカみたいにハシャいで、まるで小さい頃に戻ったような気持ちになってくる。もどこか楽しそうで、さっきまでの感情もない顔とは違って見えた。

「あっ」

ただ、蘭も防戦一方というわけじゃない。僅かな隙を逃さず、の手からシャワーを奪うことに成功した。この時には全身、ずぶ濡れ状態だった。ハイブランドのシャツが台なしだ、と蘭は内心苦笑する。服を着たままシャワーを浴びたのも初めてで、腹が立つと言うより、地味にジワってくる。

「ったく…疲れた。のせいでオレまでびしょ濡れ――」

とその場に座り込みながら、目の前のへ視線を戻す。するとが唐突に蘭の首へ腕を回して抱き着いてきた。

「…だから何でオマエはそう無防備なんだよ?」

いくら何でも裸で抱きつかれれば、蘭とておかしな気分になってくる。彼女と別れてからのこの一か月は遊びですら女を抱いていない。となれば自然の摂理で腰の辺りが疼いてくるのを感じ、慌てて引きはがそうとしたその時、が小さな声で呟いた。

「…助けて」
「……え?」

その言葉の意味を聞こうとした刹那、突然バスルームのドアが開く。

「兄貴、さっきから何を騒いで――って何やってんだよ?!!」
「あ…」

裸の少女に抱きつかれた兄を見た竜胆は、ムンクの叫びの如きポーズで驚愕したように絶叫した。


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