06-無知故に無恥


次の日、蘭と竜胆はを連れて、今では六本木の顏とも言えるヒルズへとやってきた。高さ238mの高層ビルはオフィスビルを中心にホテル、テレビ局本社、映画館、他には集合住宅等が入る文化施設だ。
当然、色んなショップやレストラン、カフェなども入っていて、いつ来ても大勢の人間で溢れかえっている。
九井との約束までまだ時間がある為、蘭がに何か着替えを買おうと言い出し、若い女の子が好みそうな店を何か所か回った。

「ってか着替えこんな買う必要あるわけ。ずっと置いておくわけじゃねえだろ」

洋服はもちろん、下着や靴、化粧品などを色々な日用品を買い込んだ蘭を見て、竜胆がげんなりしたようにボヤく。この品揃えはこれから同居をするようにしか見えない。しかも買った物を持たされている竜胆としては、そろそろショッピング地獄を終わらせたいという気持ちだった。だが竜胆の願いも空しく、蘭は「まだ足りねえもんあるし」と、次の店へ歩いて行く。

「まだ買うのかよ…」
「別にいーだろ。腐るもんでもねぇし、に帰れる家があるって分かったら餞別代りに持たせればいいだけの話じゃん」

の手を繋ぎ、前を歩く蘭はもう片方の手で自身の三つ編みを指に巻き付けながらショップを物色している。そして目当てのボディケア商品が置いてある可愛らしいディスプレイで彩られた店へと入って行った。
それを見ながらウンザリしつつ、竜胆も続く。もし行かなければ恐怖の鉄拳制裁が待っているので仕方ない。

「いつからそんなお人よしになったわけ、兄貴は。自分の女にだってこんなにプレゼントしたことねぇくせに」

呆れ顔でボヤけば、蘭はふと立ち止まり、竜胆の方へ振り返った。その端正な顔には苦笑いが浮かんでいる。

「今まで付き合った女達はオレが何か買ってやらなくても自分で何とか出来んだろーが」
「……いや、まあそうだけど」

蘭の言ってることを理解した竜胆は「はあ…」と溜息をつく他なかった。
兄の蘭は竜胆が幼い頃から面倒見の良い兄貴だった。自分は兄貴だから、という自覚が小学校に上がる前からあったように思う。要するに、蘭は自分より弱い者の世話を焼くのが性分であり、当たり前だと思っているようだ。
と言って誰にでも世話を焼くわけではない。当然、蘭が敵とみなした相手には容赦がなく、気に入らなければ年上だろうが年下だろうが構わずボコす。
だが自分を頼って来た相手には――。

「あ、そーだ。バスローブも買おっかー。オマエ、素っ裸で出て来ちゃうし。これなんか似合いそう」

――とことん甘くなるようだ。

蘭は淡い鴇色ときいろをしたバスローブを手にしてに見せた。

「ばす…ろーぶ?」
「風呂上りに着るやつ。オマエ、そんなことも知らねーの?」

蘭は苦笑気味ながらも、手にしたバスローブをの体に当てて「おー、やっぱ似合うわ」と満足げに微笑んでいる。猫の衣装しか持っていなかったの為に、蘭は一時間ほどの買い物で今すぐ必要な物を先に買い、着せ替え人形宜しくその場で着替えさせた。
今はも新しい下着を身に着け――このまま付けてくと言ったら店員に変な顔をされたが――服も白のコットン生地のシャツワンピ姿、足元は蘭とお揃いでTory Burchのスタッズサンダルを履いている。髪も昨夜同様、三つ編みにしているせいか、こうして二人で歩いていると仲のいい兄妹か、まあラブラブカップルに見えなくもない。
何だかんだと楽しそうに買い物をしている兄を見て、竜胆は僅かに目を細め唇を尖らせていたが――ちょっと羨ましい――ふと時計を確認すれば九井との約束の時間まで残り10分ないくらいだった。

「兄貴、そろそろ約束の時間だわ」

いくつかバスグッズを選び、先ほど見ていたバスローブも含め、レジで会計している蘭へ声をかける。兄が受け取っている袋を見て、これもオレが持つのかよ、とウンザリした。
その時、両手が塞がってる竜胆を見ると「あーこれはオレが持つわ」と蘭がそのまま袋を持って歩き出す。一応気を遣ってくれたらしい兄に、少し胸熱になった竜胆。
兄のたまに見せる優しさが竜胆は好きなのだが、そもそも自分の物を弟に持たせている時点で優しくはない。今の行動もむしろ自分で持つのは当たり前のことなのだが、それを優しさと勘違いしている時点で、竜胆はまさにマインドコントロールされていることに気づいていない。
そして、蘭は竜胆のそういう所が可愛いと密かに思っている。

「トラヤカフェだっけ?待ち合わせ」
「うん」

昼間でも六本木通りに近いカフェは混みあっていることが多い為、密談するにはけやき坂通りにあるトラヤカフェが好ましい。この時間帯はだいたい空いているし、蘭が好きな栗のパフェがある。なので竜胆は敢えて待ち合わせにその店を指定しておいた。
店に着くと思った通り、まだ客は一組くらいしかいない。三人は店内の席へ案内されたが、竜胆だけ窓際の少し離れた席へと座った。まだ情報が何もない状態で、いきなりを九井に会わせるのは得策ではないと蘭が判断した。

「じゃあ最初は竜胆が話を聞いて。オレはと奥の席にいるから」
「分かった」

蘭はを連れて店の奥の席へと座ったが、何を思ったのかは向かい側ではなく、何故か蘭の隣に座った。

、こっちに座るの?」
「うん…」

蘭の問いかけに小さく頷く。そもそも繋いでいる手を放そうとしないのだから仕方ないか、と蘭が苦笑いを浮かべていると、「あら、お兄さんとお揃いの髪型で可愛いらしい」と注文を取りに来た年配の女性店員がを見て笑顔になった。

「でしょ?」

蘭が得意げに言いながらの肩を抱き寄せると、は誉められたことが嬉しかったのか、表情のなかったその顔に薄っすら笑みが浮かぶ。
それを見ていた蘭はふと夕べのことを思い出した。風呂場で初めて見せてくれた楽しげな笑顔はあれ以来、鳴りを潜めていたものの、今は僅かに表情が緩んでいる。

、ここのスイーツはどれも美味しいから好きなもの頼めよ」
「……じゃあ…これ」
「お、オレと同じじゃん」

が選んだのは和栗のパフェ。蘭も好きでこの店に来ると必ず注文するスイーツだ。和栗を用いた豆乳アイスクリーム、栗の渋皮煮、羊羹、餡ペイストが入っていて、一番底にあるほうじ茶ゼリーが後味をサッパリとさせてくれるのが気に入っている。

「和栗のパフェ二つですね。少々お待ち下さい」

女性店員は蘭とに笑顔で声をかけると、すぐにカウンター奥へと消えていく。それを確認しながら、蘭は夕べから気になっていたことを尋ねた。

「そう言えば…オマエ、夕べ風呂場でオレに言ったよな?"助けて"って…あれはどういう意味?」

あの後、竜胆が乱入し、ギャーギャー騒ぎ立てたことで忘れていたが、の口にしたその言葉が蘭はずっと気になっていた。もしの所で売春行為をさせられていたとして、今は客を刺して逃げている状態だ。助けてと言うのは、その件での手下に追われていると思っているからだろうか。
は未だに何も応えないが、蘭はもう一度「京介から助けてってことか?」とその名を口にしてみた。

「………っ」

まただ、と蘭は思った。京介の名を出すとは目に見えて怯えた顔をする。もう一度問いかけようとしたその時、女性店員がパフェを運んで来た。は目の前に置かれたパフェを見て、その大きな瞳を輝かせている。そしてふと蘭を見た。

「ああ、それ溶けちまうから早めに食べろよ」

何故か"食べてもいい?"と訊かれている気がして笑顔で頷けば、は嬉しそうな笑みを浮かべた。最初の頃よりはだいぶ表情が和らいできた気がする。

「…おいひい…」

上に乗った大きな栗を丸ごと口に入れたは、驚いたような顔で蘭を見た。

「だろ?」

そう応えながらも、頬を膨らませて栗を頬張っているを見て、蘭は軽く吹き出した。くらいの年齢になれば多少は恥じらいも出て来る気もするが、どう見てものそれは幼い少女の反応だ。

「じゃあオレのもあげるわ」

あまりに美味しそうに食べるに、蘭がスプーンで自分の栗を掬いの口元へ運ぶ。蘭からすればの喜ぶ顏が見たいと思ったからだ。しかし、それを見たは慌てたように首を振った。

「それ…蘭ちゃんの…」

昨夜名乗った後から"蘭ちゃん"と呼ぶようになったは、申し訳なさそうに首を振った。それには蘭も思わず笑みがこぼれる。

「いいから遠慮しないで食えって。はい、あーん」

ニッコリ微笑みながら、夕べのようにの口元へスプーンを差し出す。はどこか恥ずかしそうにしていたが、やはり誘惑には勝てなかったようで、目の前に出された栗をパクリと口に入れた。

「美味しい?」
「……ん」

さっきと同様、大きな栗を頬張りながらコクコクと頷くに、蘭も自然と頬が緩む。ほんと小動物みてーだな、と思いながら、蘭もスプーンで豆乳アイスクリームを掬って一口食べた。

「んー!相変わらず、んま!」
「…蘭ちゃん栗のパフェ好きなの?」
「まあなー。でも一番はモンブランが好き」
「もんぶらん…って?」
「栗のクリームが乗ったケーキだよ。オマエ、知らねーの?」
「……」

は首を傾げながら逡巡していたが、すぐに首を振った。まさかモンブランを知らない人間がいるとは思わない。蘭はちょっとだけ驚いた。

「え、ってか…。って何でそんなに知らないこと多いわけ?」

これまで何となく疑問だったことを口にしてしまったが、は困ったように目を伏せてしまった。何か言いたくないことがあるらしい。それは夕べの態度からも感じてはいた。最初はのとこで飼われていた少女だと思っていたが、どうやらそれだけでもなさそうだ。

(借金でもして売春させられてる家出少女かと思ったけど…家出は本人が否定してたしな…)

今もパフェを美味しそうに食べている姿からは想像できないが、蘭の前でも平気で裸になったり、突然キスを仕掛けてくるような積極性もある。このギャップに違和感を覚えながら、蘭はさてどうしたものか、と考えていると、店の中に九井一が入って来るのが見えた。九井はまず蘭に気づくと軽く頭を下げたが、窓際にいる竜胆に「ココ、こっち」と呼ばれ、そっちの方へ歩いて行く。それを見ていた蘭は、隣でパフェに夢中になっているに「ちょっとトイレ。はパフェ食べてて」と声をかけ、立ち上がった。
案の定、は不安げな顔で蘭の手を掴んだが「すぐ戻るよ」と言って頭を撫でると、安心したのかその手を放した。

一方、竜胆に呼び出された九井は席へ座るや否や「蘭さんと一緒にいる子は?」と竜胆に訊いてきた。

「ああ。あの子は夕べカンパニーから逃げ出して来たとこを、偶然兄貴が助けた形になったらしくてさ。何故かそのまま連れて帰って来たんだよ」
「連れて来た?あの子を?人質にでもする気ですか?」
「…人質って…いや、そうじゃねーけど…ってか売春婦なんか人質になんねーだろ」

どこか慌てた様子の九井に違和感を覚えた竜胆は、苦笑気味に応えた。だが、九井は「売春婦?」と怪訝そうな顔で竜胆に視線を戻す。

「オレにのこと聞きたいってことはあそことモメる気なんスよね」
「まあな。アイツ、最近調子に乗って六本木界隈荒らしてくれちゃってるし――」
「だから京介の妹を攫ったのかって訊いてんですよ、オレは」
「……は?」

九井の言葉に驚いた竜胆は、思った以上に間抜けた声が出てしまった。

「妹…?あの子が…京介の?」
「え?知らないで連れ歩いてたんスか?」

驚く竜胆を見て、更に九井も驚く。しばし男同士で顔を見合わせていると、背後から「コ~コ~。面白い話してんじゃん」と蘭が歩いて来た。

「ら…蘭さん…」

笑顔で隣に腰を下ろした蘭を見て、九井は僅かに顔を引きつらせた。所属するチームの四天王に属する蘭は、九井から見ても遥か上の存在だからだ。怒らせると恐ろしい男だということは、九井もよく理解している。
その蘭が「その話、もっと詳しく教えろよ」と、九井の肩へ腕を回し、ニッコリと微笑んだ――。



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