11-指きりしたって、どうせ罰❶
「灰谷蘭…ちょっと、話せるかな?出来れば二人で」
京介は不敵な笑みを浮かべながら蘭の方へ歩いて来る。
「……竜胆!鶴蝶!」
ソファから立ち上がり、先に仕掛けようとした二人を蘭が制止する。ここで乱闘になれば、ソファで寝ているにも危害が及ぶかもしれない。
「コイツと二人だけにして」
「は?兄貴、それはダメだって!オレも――」
「…竜胆。いいから行くぞ。蘭なら大丈夫だ。――だろ?」
竜胆の腕を掴んで止めると、鶴蝶が振り返る。蘭はソファに座ったまま余裕の表情で足を組み替えると、いつも通り肩を竦めて見せた。
「む…こんな時までポーズ決めちゃって。そういうとこ嫌い」
「いーから早く行けよ、竜胆」
と蘭は手でシッシとやっている。
「ったく…まーた兄ちゃんの良いとこ取りかよ…」
鶴蝶に促されながらも、竜胆はブツブツ文句を言いいながらビップルームを出て下のフロアへ下りて行く。それを見ていた京介も自分の部下に出て行くよう、顎をクイっと動かしドアの方へ向けると、黒スーツの男達はそれを合図にゾロゾロと階段を下りて行った。
いったい何人引きつれてきたんだ、と蘭はつい苦笑を漏らした。
京介がここへ来たということは、入口のガードマン二人はやられたんだろう。まあ、あの人数相手じゃ二人だとキツかったか、と蘭は思った。
だが、二人がやられても店の外には仲間が大勢いる。六本木の強者達は常に蘭と竜胆が動くところに集まるからだ。その中の誰かしらが、クラブ入口で起きた異変を感じ取っただろう。あまり長引かせれば大ごとになってしまう。それは蘭としても避けたかった。
(しかし…コイツ、アホなのか?敵地に堂々と乗り込んで来るなんて、よほどオレを動かす自信があるんだな)
蘭は目の前のソファに腰を下ろした京介を見ながら、ニッコリと微笑んだ。
「シャンパン飲むー?」
「いや、いい」
「別に毒は入れねえって。席のプランに入ってんの」
蘭がバーカウンターの方へ軽く手を上げると、男性スタッフがシャンパンボトルとグラスを運んで来る。そして手慣れた手つきで黒いシャンパンサーベルを手にし、ボトル口に当てるとサーベルの刃を滑らせた。その瞬間、ポンっという小気味いい音をたて、コルクごと飛んでいく。
ほんの僅かな時間、京介がそちらへ意識を向け、再び蘭の方へ視線を戻した時には、目の前に黒い刃が突きつけられていた。
変わらず笑みを携えている蘭の手には、先ほどスタッフが持っていたシャンパンサーベルが握られている。
「仮にも敵陣で油断しすぎじゃね?」
「……なるほど。君は武器を使うことに躊躇いがないんだったな。わざわざ彼がそんなものを使ったのはそういうことか」
「スタッフに教育が行き届いてるだろ」
「…そうだな。オレも参考にさせて頂くよ」
京介が苦笑気味に応えると、蘭は面白くもないといった顔でサーベルを引いた。
「別にアンタをこの場でどうにかしようなんてことは…今のとこ思ってねぇよ」
「今のとこ?」
「でもアンタの答え次第じゃぁ…分かんねぇなー」
蘭はそう言いながら隣で眠るを見た。彼女を見つめる眼差しはどこか優しいものだ。
「京介。ここへは何をしに?」
「当然そこにいるオレの妹を引き取りに来た。家出した妹をまさか灰谷兄弟が保護してくれてるとはね…驚いたよ」
「家出、ねえ…」
「が飛び出したあの夜、ヘマをした下っ端数人をやっと見つけてね。そいつらが吐いたんだ。あの場に君がいたと」
「……あーそう」
苦笑しながら話す京介を見ながら、蘭はふと笑みを浮かべた。ヘマをした下っ端というのは蘭が倒した男達のことだろう。どうやら彼らは蘭にやられたことを、この京介にバレたくなくて姿を消していたらしい。
通りで蘭の元へ来るのが遅かったはずだ。
「今ならまだ家出した妹を"保護"してくれた親切な人で済むが…どうだ?」
「今なら?」
「当然、を人質にすると言うなら…それなりの報告はさせてもらう。そうなると君達兄弟の前科がもう一つ増えることになるが」
「やっぱ、そう来るか…」
京介の遠回しな言い方に笑いながら、蘭は手にしたサーベルをくるりと回し、床へ突き刺した。
「どーせここに乗り込んで来たのもそういう計算だよな?オレが未成年のをクラブへ連れ込んだ。そこへ保護者のオマエが登場。分かりやすい形を作ったもんだよ」
京介は蘭が絡んでると知った直後から灰谷兄弟のテリトリーを見張らせていたのだろう。そこへ都合よくを連れて現れた。だからこそ堂々と敵陣へ入って来たというわけか、と蘭は苦笑した。
「さあ、どうする?大人しく返してくれるかな。オレの妹を」
「妹ってんならもっと大切に扱えよ。このクソ野郎」
「……なに…ッ?」
それまでの柔らかい物腰から一転、怒りのこもった低音で蘭が呟くと、京介の顏に初めて動揺の色が浮かぶ。
「何のことだ…。に何か聞いたのか?」
「いーや。コイツは何も話さなかった。何も、だ。最初は口がきけねーのかと思ったよ」
「灰谷蘭…オマエ…」
京介はそこで初めて蘭の態度に違和感を覚えた。をさらったのはてっきり自分との交渉材料にするつもりだと思っていたのだ。だが、そんな様子はない。の為に怒りを見せたのがいい証拠だ。
「何だよ…?」
「いや…君はどうしたいんだ?オレを六本木から追い出したい、だったかな」
京介が問いかけると、蘭の口元に笑みが浮かんだ。
「それもある。だがその前にをオマエから引き離すわ、京介」
「……引き離す?とは―――」
「分かるだろ?オマエの傍に置いておけない理由なんていくらでもある」
「……なるほど。色々調べたってわけか。でも何故君ほどの男がみたいな何も出来ない女を助ける?慈善事業でも始めたのか」
「ぶ、はははっ!オレが慈善事業なんてやるような人間に見えんのー?」
蘭は注がれたシャンパンを美味しそうに飲みながら、京介に冷めた視線を向ける。
「それにを何も出来ない女にしたのはオマエだろ?オマエにとって都合のいい女に育てた。暴力という恐怖で支配してな」
「………」
「で、どーする。オレを誘拐犯として逮捕させる?それともから…手を引くか?」
蘭の瞳が京介を射抜くように見つめる。答えを間違えれば、とことんオマエを追い詰める、とでも言いたげだ。
(まさか灰谷蘭がオレを六本木から追い出すことより、を優先させるとはね…)
若干13歳でこの六本木を手中に収め、一声かければ今すぐにでも100人以上は集められるというカリスマ兄弟。
話に聞いてた通り、一筋縄じゃ行かないというのは先ほど実感させられた。13歳で傷害致死という罪を背負い、少年院にまで入ったとは聞いているが、今なお人を傷つけることに何の躊躇いもないようだ。
ただ、今も表情一つ変えず、京介に挑戦的な視線を向けている蘭は、それほど狂暴性があるようには思えない。京介が蘭を実際に見たのは初めてだったが、噂通り端正な顔立ちで、一見女性と見間違えるほど美しい。素肌にガウンを羽織っただけの姿で、僅かに見える左胸のタトゥーですら、男の色香を漂わせている。
(この男を飼いならしてみたい…)
京介に、ふとそんな欲が芽生えた。この男を屈服させてみたい、と。
支配欲―――。
人を支配する喜びはが教えてくれた。
両親が亡くなり、兄妹二人になった時、が頼れるのは自分だけだという優越感。自分の思うまま言う通りに動くが、京介にとって理想の存在となった。だがそのを、この灰谷蘭が救おうとしている。その理由は定かではないが、この男が手に入るならを餌にしてみるのもいい、と京介は考えた。灰谷蘭が手に入れば六本木が手に入ったも同じことだ。敵対するより手名付けた方が数倍利益も生まれる。
「取引しないか?灰谷蘭」
「…取引き?」
「はくれてやる。その代わりオレの右腕として働け。オレと組めば今より何倍も儲けさせてやる」
「何ソレ。オレを飼おうとしてんの?ウケる」
無表情のまま、蘭は組んでた腕を膝に置くと少しだけ身を乗り出した。その動きに警戒しつつ「君にとっても悪い話じゃないだろ?」と言いながらも、京介は自分の手下をすぐ呼べるよう階段の方を確認するのを怠らない。もし蘭がおかしなことをしようものなら、すぐにでも十数人の手下が駆けつけるだろう。そして警察に連絡をすれば、未成年誘拐として逮捕させることも簡単だ。
だが、それはあくまで最後の手段。出来ることなら蘭を手に入れたい。京介は頭の隅でそんなことを考えていた。
しかし京介は知らなかった。蘭がそんなに甘い男ではないことを、知らな過ぎた。
「どうだ?君は欲しいものは手に入るし金だって今以上に儲けることが出来るんだ。いい話だと思うが」
すると、今まで黙っていた蘭が不意に微笑んだのと同時に、床に刺したままのサーベルを抜き、京介の喉元に突きつけた。
「な、何を――」
「このオレがオマエみたいなクズと手を組むと思うわけ?」
「な、何…?」
「あれぇ?聞こえなかったぁ?」
「な…」
ゆっくり立ち上がり、テーブルの上に立った蘭は、笑みを浮かべながら京介を見下ろした。
「女を暴力でしか支配出来ないオマエみたいな下衆とは手を組むはずねーだろって言ってん、の!」
「ぐぁ―ッ?」
言うや否や、蘭は京介の横っ面を蹴り飛ばし、京介の体が綺麗に真横へ吹っ飛ぶ。そのままテーブルから飛び降り、倒れた京介に馬乗りになると、手に持っているサーベルを振り上げた。
「ま、待て!!――おい!オマエら!早く助けに――」
「誰に助けてもらう気?」
「…な…」
自分の部下たちがいる方へ視線を向けた京介は、その光景に愕然とした。竜胆、そして鶴蝶が京介の部下たち数名を引きずりながら歩いて来たからだ。
「残りの奴らも下で倒れてんよ、京介」
「灰谷…竜胆…?バカな…!50人は連れて来たんだぞ…っ」
「あー何十人いても無駄。オマエ、運が悪かったなあ?何も鶴蝶がいる時に乗り込んで来なくても良かったのに」
「…何?」
「腕っぷしならオレや竜胆より上だから。バカだけど」
蘭がニッコリ微笑むと「あ?バカは余計だ!」と鶴蝶がキレる。
「兄貴~オレも頑張ったんだけど」
京介の部下を床へ放りながら、竜胆が不満げに歩いて来る。それを見た京介は顔面蒼白になりながら、自分の上にまたがっている蘭を見上げた。
「く…そっちがそう出るならオレにも考えが――」
とケータイを取り出す。だが、当然、蘭はそのケータイをひょいっと奪うとテーブルの上にあるアイスペールの中へザクっと差し込んだ。
「警察に通報されたらオマエも困ることになるけど、いーのかよ?」
「…な…何がだ…。の件を言ってるなら証拠なんか何も――」
「これ、なーんだ」
USBメモリを指でつまみ、目の前で軽く揺らす蘭に、京介は訝しげに眉間を寄せた。
「さっきチェックしたけどオマエ、相当悪どいことやってんなぁ?恐喝、詐欺、賭博、売春。そして――殺人」
「な……っ」
「それらの証拠がわんさか入ってんの。これに」
「う、嘘だ!」
「嘘だと思うなら警察呼ぶー?誘拐犯なんてもんより、警察はコッチに喰いつくと思うけど?」
「……ぐ…っ」
蘭は笑いながら立ち上がると、竜胆に「交代」と言って再びソファに腰を下ろした。竜胆は逃げようとする京介の体をホールドすると「さて問題です」と不敵な笑みを浮かべる。
「オレはこれから何をするでしょーか?」
「…は?」
「はい!」
「ほい、兄貴」
笑顔で手を上げる蘭を竜胆が指さすと「京介の腕を折る」と言いいながら、蘭は何とも魅惑的で綺麗な笑みを浮かべた。
「ピンポーン。大正解」
「は?お、おい、やめろ…!ぐぁぁぁっ」
京介の腕の関節辺りを竜胆が逆の方向へ思い切り曲げれば、ゴキっという鈍い音がしたのと同時に、京介が悲鳴を上げる。
「いい音」
「たまらんね」
竜胆と蘭は楽しげに笑っている。その姿を見て、京介はゾっとした。まさか本当に骨を折るとは、それも何の躊躇いもなく人の骨を折るなど、思ってもいなかったのだ。しかも、ここはクラブという一般人もいる場所。そんな場所で笑いながら人を攻撃できる兄弟に、京介は唖然とした。
「わ…分かった…取り消す!さっきの話は…なしだ!」
激痛に呼吸を乱しながら京介は叫んだ。コッチが有利だと睨んで乗り込んだのが、こうも剥き出しの敵意を見せつけられるなど想像もしていなかった京介は、これ以上灰谷兄弟に関われば危険だと判断した。
(コイツらは人をいたぶる事に何の躊躇もしない…!下手をすれば殺される……惜しいがここは六本木を諦めるしか――)
「オ、オレは六本木から手を引く!それならいいだろ?!」
恥も外聞もなく。
京介は呆気ないほど、灰谷兄弟に屈した。
だが蘭はふと真顔になると、京介の方へ歩いて行く。それに気づいた京介は「く、来るな!」と怯えたように叫んだが、竜胆に体を拘束されている為、逃げられない。
「兄貴、足もいっとく?」
「ひ…っ!や、やめろ!」
「つーかオレにもソイツ殴らせろ。こんな可愛い子を虐待してるクソ野郎はどーしても許せない!」
「鶴蝶が本気で殴ったら死ぬから、コイツ」
蘭が怒りで震えている鶴蝶を静止すると「まだコイツには用があるから足も折るなよ、竜胆」と弟に忠告した。
「あ?何だよ。用って」
「あーまあ、それは夜が明けてからっつーことで。コイツ歩けなくなったら担いでくのだりぃし」
蘭は苦笑しながら肩を竦めると、京介の前にしゃがんだ。京介は蘭が近寄るだけで震えだし、その目はすでに敗北感で満ちている。京介の心底怯えた顔を見ながら、蘭はふとへ視線を向けた。こんなにうるさい中でも未だ夢の中で、蘭は軽く吹き出した。
「良く寝れるな、のやつ」
「自分の兄貴の悲鳴を聞いても起きないって笑う」
「可愛いな…寝顔も…」
「あれ、鶴蝶、に惚れたわけ?」
「ばっち、違う!オ、オレはただ寝顔が可愛いと思っただけで――」
「寝顔もって言ってたけど?」
「……ぐっ」
蘭がからかうと鶴蝶の顏が真っ赤に染まる。そしてからかわれた苛立ちを京介にぶつけるかのように頭を殴った。
「ぐぁっ」
「てめえは可愛い妹を沢山傷つけたんだ。オマエの痛みなんか彼女の痛みに比べたら屁でもねぇんだよ、コラ!」
「ま、それは鶴蝶に同意だな」
「こんなクソ野郎に返したらはまた傷つくぞ、兄貴…」
そこは竜胆も同意見のようだ。蘭はふと竜胆を見ると「ってことはさー。竜胆も賛成ってことだよな」と言いながらニヤリと笑う。
「は?何が…賛成?」
「いーから、いーから」
蘭は笑顔で立ちあがると、すでに戦意喪失している京介を見下ろした。
「オマエの裏稼業バラされたくなかったら…オレの言うこときけよ」
「……だ、だから六本木からは手を――」
「それは当然。じゃなくてのことだよ」
京介を六本木から追い出すことなど最初から簡単だった。だが、と出会った時から、それだけでは済まなくなったことで蘭も色々と考えたのだ。
「…?灰谷蘭…オマエ、そんなにが欲しいのか…?何故アイツにそう拘る…」
「オレはに普通の子と同じことをさせてやりたいだけ。オマエがしてやらなかったこと全てな」
「だから何故……」
京介はそこだけ納得できないというように、その弱々しい目を蘭に向ける。何故、と聞かれた所で蘭にもハッキリは分からない。だけど――。
「に助けてって言われたから」
「……は?」
「がオレに助けを求めた。それだけで十分だろ?」
最初に会った夜、笑いもしなければ泣きもしないし、喋りもしなかった。
どこか少し浮世離れしていた少女。
だけどその小さな体に傷をいっぱい作って生きて来たと知った時、蘭はその手を放すことが出来なくなった。
懐いて来るを、守ってやらなきゃとガラにもなく思った。
最初はただ野良猫を拾ったくらいの軽い気持ちだったはずなのに。毛を逆立てていた野良猫が自分にだけ懐いてくれば可愛くなるように、愛しくなるように、のことが放っておけなくなっただけ。
「ってことで京介。の今後のことでオマエに頼みがあんだけど」
「…頼み…?」
「ま、それは朝が来てからのお楽しみってことで。オマエにはそれまで付き合ってもらうから」
蘭はそう言って微笑むと、ケータイを取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回までひとこと送る