13-今日は永遠の最初の日①
いきなり鶴蝶に深夜のクラブへ呼び出され、多少暴れた後に京介を拉致。その後は何やかんやあって結果、カンパニーを六本木から撤退させることが出来たことで、安心して帰宅。
兄の蘭が京介の義妹であると婚姻関係になるなんて聞いて狼狽したものの、疲れ切っていた竜胆はとりあえず帰宅してすぐ寝ることを選択した。
やっと自分のフカフカなベッドに潜り込んだ竜胆は秒で夢の中へ堕ち、そのまま深い眠りに入る。丸一日でも寝ていられる蘭とは違い、普段なら数時間くらいで起きられる竜胆だったが、今日はとにかく疲れていたこともあり、ベッドに入った瞬間は秒で眠りについた。このまま行けば夜まで目が覚めなかったかもしれない。
そしてレム、ノンレムを繰り返し、再び浅い眠りへ戻ってきた頃、竜胆の鼻腔が焦げ臭い匂いによって刺激された。
「……んあ?」
普段あまり嗅がない匂いがしたことで、眠りが急速に覚めていく。目は瞑ったまま無意識に漂ってくるその異臭をハッキリ感じた時、竜胆はパチリと目を開けた。
人間の本能的なものだったのかもしれない。
(何だ…?この匂い)
目が覚めたとはいえ、寝起きすぐに頭は回らない。ただこの時は部屋が臭い、と判断し、普段とは違う異変を感じたせいか、ガバリと上半身を起こした竜胆は、匂いの原因が何かを突き止めるべく視線を室内へめぐらした。カーテンを閉め切っていて薄暗い中、手で目を擦ると何度か瞬きをしてみる。しかし、そこはいつもの部屋と変わらない。
左を見ればDVDやCDが収納された棚が並び、床にはドン・キホーテで購入したグッズやら飲み物やらが入った袋がそのまま置いてある。それらの物に特別異変はない。でも意識がハッキリしてきてなお、焦げ臭い匂いは感じる。
「…オレの部屋じゃない」
まずはホっと息をつく。竜胆は煙草を吸っているわけではないが、何かの原因で発火する場合もある。埃のたまったコンセントから発火し、家事になるなんて話も聞く。でもこの部屋からはそういった火の気はしない。そこで竜胆はふとドアの方へ視線を向けた。すると予感は当たったらしい。ドアの隙間から、かすかに煙のようなものが薄っすら入ってきているのが見える。
「は?煙…?」
やはり突然の異変を処理できないその寝起きの脳が、煙イコールで結論付けてしまった。竜胆は本能のままベッドから飛び降りると「火事だ!」とドアを開けて叫んだ。
「う…っ」
リビングに飛び出すと、その焦げ臭い匂いは更に強く鼻腔を刺激してきた。そこで火の元はここだと気づく。見れば天井辺りには黒い煙、それはキッチンの方から流れてきている。
「え、兄貴…?」
この家でキッチンを使うのは自分以外なら蘭しかいない。普段自炊をしているわけではないが、ちょっとした軽食などは作ったりもするのだ。竜胆は蘭が何かを焼いて火を出したのかと、慌ててキッチンへ走って行った。
すると、そこには――。
「は?、おま、何やってんだよ?」
泣きそうな顔で立っているを見て、竜胆が驚きの声を上げた。見ればコンロの上にフライパンが乗っており、その上に何やら黒い物体が入っている。黒煙はその物体からモクモクと上がっていて、竜胆は慌てて換気扇のボタンを押すと、ついでにベランダの窓を開けた。
「、オマエ、何してんの?!」
「ご…ごめんなさい…」
竜胆に叱られ、すでに泣きそうな顔をしていたはビクリとしたように首を窄めた。その姿を見てハッとした竜胆は「う…い、いや…そんなビビんなくても…」と言いつつ、何が焦げてこうなったんだとフライパンに乗った物体を確認する。それは食パンのようだった。
「何これ…もしかしてフレンチトースト作ろうとした…?」
キッチンにある材料を見て気づいた竜胆が尋ねると、はシュンとした顔で小さく頷いた。
「…ふたりに作ろうと思って…」
「……え?ふたりって…オレの分も?」
「……うん」
が頷くのを見た瞬間、竜胆は無意識に緩んでしまった口元を手で隠す。これまで散々自分をスルーし続けていたが、蘭だけじゃなく自分の為にもフレンチトーストを焼こうとしてくれていた。その事実に驚くのと同時に、想像以上の喜びを感じたからだ。
そしてその気持ちが素直に顔へと出てしまったことで恥ずかしくなった竜胆は、軽く咳払いをして未だ項垂れているの頭を蘭がやっているようにそっと撫でようとした。
いきなり怒鳴ったことを謝る意味も込めて。
だがその時――バンっとドアが開く音と共に「くっせ!何この匂い…」という蘭の声が聞こえて来て、竜胆の手がはたっと止まる。
「あ?ふたりで何してんの?」
不機嫌そうにキッチンへ顔を出した蘭は、竜胆、そして項垂れているを見て訝しげに眉間を寄せた。その蘭の表情を見た竜胆の顏から一瞬で血の気が引く。蘭は寝起きが悪いのだ。その上、この火事かと思うほどの異臭で起こされ、より不機嫌になっている。これはさすがにも怒られてしまうのでは…と竜胆は心配になった。
見ればの大きな瞳にじわりと大粒の涙が浮かんでいて、それに気づいた竜胆の中の何かがキュンと音を立てた。ここは男として機嫌の悪い蘭からを守ってやらねばならない。兄として、ではないが、自分より年下の女の子が蘭に怒鳴られている姿は見るに堪えない、という男の本能だった。
竜胆はを庇うよう前に立つと、蘭に向かって「兄貴、これはがオレ達に――」と言いかけた瞬間。
ゴンっという鈍い音と共に竜胆の頭頂部に激痛が走った。
「痛ったっ!!」
「を泣かしてんじゃねーよっ!あげくオマエの声がうるさくて目が覚めたっつーの!」
蘭は拳を固めて竜胆の頭へゲンコツを落とすと、今にも泣きそうなの前でしゃがみ、顔を覗き込んでいる。
「、どうした?竜胆にまた何か文句言われたのかよ?」
「…は?オレ?!」
あまりに理不尽すぎる鉄拳制裁にさすがの竜胆もムっと口を尖らせる。だが、そこはがちゃんと否定し、自分が悪いと蘭に説明してくれた。
「え、じゃあフレンチトースト作ってくれようとしたのかよ?」
「う、うん…でも焦がしちゃって煙が出ちゃって…」
「あ~砂糖入れ過ぎたんだな、これ」
「あ…甘い方が美味しいかと思っていっぱい入れちゃったかも…」
「え、そーなの?」
蘭は目を丸くすると軽く吹き出しながら「砂糖は大さじ一杯でいいんだよ」との頭を撫でた。
「ご、ごめんなさい…(おおさじ?)」
「いや、今度オレが作り方を教えてやるよ」
「ほんと?」
「ほんとー」
蘭が頷くとは嬉しそうな笑みを浮かべている。今、泣いたカラスが何とやらだな、と思いつつ、理不尽な鉄拳を喰らった竜胆は一人むくれていた。
蘭はの目に浮かんだ涙を指で拭ってあげると、そばに立っている竜胆を睨む。
「な、何だよ…オレが泣かしたわけじゃねーからな?が勝手に――」
「竜胆、そこ片しておいて」
「は?」
「オレはシャワー入って来るから。オマエの"火事だ!"っつーデカい声ですっかり目が覚めたわ」
「い、いや兄貴?これ汚したのは――」
「オマエの義姉になるのフォローすんのは義弟の役目だろ?」
「…ぐ…義姉って…オレはまだ兄貴がと結婚すんの認めたわけじゃ…」
と言ってる傍から蘭はサッサとバスルームへ歩いて行く。そして竜胆は気まずそうな顔で立っているへ目を向けた。
いつものなら蘭の後を追いかけて行きそうなものなのに、何故か動こうとせず竜胆を上目遣いで見上げている。
(そ…そんな顔で見られると文句も言えねえ…ってか、コイツがオレの義姉?!ありえねえっつーの)
竜胆は何とも言えない気持ちになりつつ、キッチンの方へ視線を戻す。そこには焦げたパンの乗ったフライパン、卵を解いたであろうボウル、その他もろもろの材料が散らかったままだ。
「これをオレが片付けんのかよ…」
とウンザリしたように溜息をつくと、が「わたし…自分で片付けます…」と言ってフライパンを手に持つ。こんな風にが竜胆に対してスムーズに話してくれるのは初めてだった。竜胆は慌ててフライパンを奪うと「いいよ。オレがやる」と言ってシンクにそれを置く。多分こういう家事をしたことがないであろうに任せれば、今度は何をするか分からないという心配もある。
ただが悲しそうな顔をして俯いたのを見て、竜胆はガシガシと頭を掻きつつ、小さな溜息を吐いた。地味にのそういう顔は見たくないと思う。
「じゃあ…は使った材料を元の場所にしまってくれる?オレは食器を洗浄機にぶち込むから」
「…うん!」
「………っ」
はパっと顔を上げると嬉しそうな笑顔を見せてキッチンの周りを片付け始めた。竜胆はしばし惚けてそれを眺めていたが、ふと我に返ってすぐに食器類を洗浄機へ入れていく。自分に対して、があんなにも素直な笑顔を向けてくれたのは初めてだったこともあり、自然と顔がニヤケてしまう。
それを気づかれないよう、しばし無言で食器類を洗浄機へ入れる作業に没頭する。
「はぁ~これでいっか」
結局ふたりで片付けたこともあり、キッチンは10分もすれば元通り綺麗になって竜胆もホっとした。そこへシャワーを浴び終えた蘭がバスローブ姿で戻ってくる。
普段の三つ編みではなく髪をバスタオルで巻いているせいか、妙に艶めかしい。
「お、綺麗になったじゃん。早くね?」
「も手伝ってくれたから」
「え、ふたりで片付けたの?」
蘭が少し驚いたような顔で、と竜胆を交互に見た。
「何だよ…別にオレが手伝わしたわけじゃねーし。が自分で手伝うって言うから…」
「…ふーん」
「だから何だよ、その顔」
「別にぃ」
蘭はニヤニヤした顔で竜胆へ視線を向けていたが、手を繋いできたを見下ろすとニッコリ微笑んだ。
「意外と早く起きれたしも着替えて一緒に出かけよーか」
「…どこへ?」
キョトンとした顔で見上げて来るの目線まで屈むと、蘭はにっこり微笑んで一言。
「婚姻届け、出しにいこ」
「え?」
「え、マジで兄貴、アレ出す気かよ?」
聞いていた竜胆もギョっとしたように蘭を見る。もちろん竜胆とて蘭がただの冗談でわざわざ朝っぱらから区役所くんだりまで行って書類を取って来るとは思っていない。
だが実際にそれを今から提出しに行くと言われると、漠然としていたものが急に現実味を帯びて来て妙な気分になったのだ。それも普通の結婚ではなく、が成人するまでという期限付きのものなのだから、実の弟の竜胆としては複雑な気持ちになるのも当然だった。
「当たり前だろ。ホントは明日にしようかと思ったけど、オマエのせいで起きちゃったし、だったらの誕生日に出しちゃった方がよくね?」
記念日が一緒だと忘れないし、などと言って蘭はどこか楽しそうだ。そもそも本当の夫婦になるわけでもないのに何が記念日だよ、と竜胆は思う。
「っつーことで、オレとは出かけて来るから、竜胆はケーキ買って来いよ」
「は?ケーキ?」
「の誕生日ケーキ。あとドッピエッタでオードブルデリバリーも頼んで。オレ用にピンチョスも入れるのお忘れなく」
「え、ちょ、オレが?!」
「すっげー誕生日ケーキ期待してるわ。竜胆のセンスが試されるなあ?」
蘭はニヤリと笑いながら、の手を引いて自分の部屋へ歩いて行く。それを見送りながら竜胆は頭を抱えた。二度寝しようと思っていたのだが、こうなれば寝てる場合じゃない。すぐにでも注文しないと夜までに間に合わなければ蘭に何をされるか分かったものじゃないからだ。
とりあえずケーキは蘭の誕生日にいつもケーキを頼む店がある。そこのケーキは見た目もお洒落で可愛いので蘭も気に入ってくれていた。
「あれならも喜ぶし、兄貴も納得するだろ…。あとはオードブルね…はあ…」
竜胆は寝不足の頭を必死に動かし、大欠伸をしながら自分の部屋へ戻って行った。
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蘭はいつものように身支度を整えると、同じく外出用の服に着替えたとふたりで近くの総合支所へとやって来た。この場所でも婚姻届けは受け付けてもらえるということで、を連れて中へと入る。平日の午後とは言え、こういう場所はそれなりに混んでいたものの。意外にも早くふたりの順番が回って来たので、仲良く届け出の受付へ歩いて行った。必要書類を全て提出し、確認作業の間は何か不備がないかと心配になりつつ待っていたが、受付職員から「受理しました」と端的に告げられた時、蘭はホっとしながらに微笑んだ。
「終わったよ、」
「え?」
未だによく分かっていないのだろう。はキョトンとした顔で蘭を見上げた。
「この瞬間からはオレの家族になったんだよ。今日からじゃなく灰谷ってこと」
「…灰谷…?」
「そう」
はしばしポカンとしていたが、理解した時には心の底から嬉しそうな笑顔を見せた。彼女のこういう顔が蘭は見たかったのだ。
その時、職員の女性から「おめでとう御座います」と声をかけられ、蘭は妙に照れ臭くなった。普通のカップルが結婚したのとはわけが違うのだが、おかしなことに嬉しいという感情すら湧いてくる。
「変な感じだな」
「え?」
「いや、別に結婚願望とかあった方じゃねぇんだけど」
「……?」
「何でもねえよ」
首を傾げるを見て苦笑すると、蘭は他の手続きも別の受付で済ませて、一時間後に支所を出た。苗字が変わるとあれこれ作り直さなければならないものも多いのだ。
「とりあえず一通り必要なことは終わったかー。ということで、。早速デートしようか」
「…でーと?」
「書類以外に必要な物、思い出しちゃったわ」
蘭はそう言って微笑むと、の手を引いて街中へと戻って行く。そんなふたりを少し離れたところで見ていた人物がいたことに、蘭はこの時はまだ気づいていなかった。
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この日、鶴蝶は待ち合わせ場所に向かう為、人混みを上手く避けながら走っていた。残り二分もすれば遅刻になってしまうからだ。
遅刻をすれば、あの暴虐武人な王様にどんなお仕置きをされるか分からない。
「クソッ…!こんな日に呼び出しとかついてねえな…しかも何でまたこの街なんだ!」
昨夜から蘭たちに付き合い、朝まで過ごした六本木へ、鶴蝶は再びやって来た。
朝、鶴蝶も蘭たちと同様、自宅に戻ってから軽くシャワーを浴びてすぐにベッドへ潜り込んだのだが、昼過ぎ、下僕用のベルを鳴らすかの如くケータイが鳴った。
寝ぼけ眼で出てみれば、予想通りの人物からで『今から一時間後に六本木のハイアットホテル前』と端的なご命令発動。
鶴蝶はすぐさまベッドから這い出て着替えると家を飛び出した。バイクをかっ飛ばして来たはいいものの、あの高級ホテルに族仕様のバイクで乗り付けていいのか分からず、ホテル近くに止めてそこからは走って行く。おかげで五分はロスをした、と思いつつ、鶴蝶はギリギリで間に合いホテルのエントランスにやってくると辺りを見渡し、己の主人の姿を探した。
だが、そこには数台のタクシーや泊り客、それを出迎えるドアマンくらいしかいない。あげくウロウロしてたら客と間違われ「いらっしゃいませ」と声をかけられてしまった。もちろん特攻服ではなく。今は普通の普段着だが、主人と違い鶴蝶はどう見てもカタギの人間には見えないオーラがある。ドアマンもそれに気づいているのか「ちょっと人を探してるだけだ」と応えると、それ以上は話しかけて来なかった。
「チッ。アイツが遅刻かよ…」
ホテルを見上げながら軽く息を吐く。大方、夕べのデート相手とここへ泊ったんだろう。さっきの呼び出しは迎えに来いという意味だな、と鶴蝶は理解した。
すると少ししてホテルのロビーに見慣れたはくはつが姿を見せた。欠伸をしながら気だるそうに歩いて来る男は、普段あまり着ないスーツを着ている。
(相手の女に合わせたのか…)
鶴蝶は内心苦笑しながら歩いて行くと、いつものように男の名を呼んだ。
「イザナ」
「あ~鶴蝶…ついてたんだ。二度寝しちゃったわ」
呼びつけておきながら自分が遅れても悪びれもなく、"天竺"総長の黒川イザナは再び欠伸を噛み殺すと、視線を左右へ走らせた。
「あれ…バイクは?」
「あ?こんな高級ホテルの前につけられるわけねぇだろ。向こうに置いて来たよ」
「…チッ」
「……」
軽く舌打ちされ、鶴蝶は僅かに目を細めたが「…どこ?」とイザナが訊くので「こっちだよ」と溜息交じりにバイクの置いた場所まで歩きだす。幼い頃、施設で出会ってから早数年は経つが、理不尽なのは相変わらずだ。
「しっかし何でここなんだよ。横浜にもいいホテルはあんだろ」
「彼女がここに一度泊まってみたいって言ったんだよ」
「へえ。そこまでイザナが相手の意向を聞き入れてやるとはね。そんなにいい女だったのか?」
イザナがこれまで特定の女を作ったのは見たことがない。遂に本気で好きになれる相手でも見つけたのかと鶴蝶は思った。
するといつの間にか前を歩いていたイザナが振り返った。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「ぜーんぜん」
「……は?」
「ただのスポンサーだよ。彼女のパパが大手会社の社長なんだよ」
「………」
事もなげに言うイザナに、鶴蝶はがっくり項垂れる。もし本気で大切な相手が出来たなら、少しでもイザナの空っぽな心を埋めてくれるのではと期待したが、早々本気になれる女はいないらしい。結局のところ、チームをデカくすることでイザナは頭がいっぱいのようだ。
「で、オレが"仕事"してる間、鶴蝶は何してたんだよ」
「あ?ああ…実はオレも夕べは六本木にいたんだ。トレーニングで走ってたらここに着いたから蘭と竜胆を呼び出して――」
「走ってたら六本木って何か鶴蝶らしすぎてウケる。で?灰谷兄弟と楽しく飲んでたわけだ」
「いや、それが変なことに巻き込まれたっつーか…」
と言った瞬間、イザナの目が光った。
「へえ。詳しく教えろよ」
珍しくイザナが喰いついたので、まあ特に話しても問題ないだろうと、鶴蝶は夕べあった出来事をイザナに詳しく話してやった。
「――じゃあ、そのっていう子は蘭が助けたってわけか」
「ああ。良かったよ。あんなクソ野郎が兄貴じゃが救われねえ」
「…オレもそう思う」
イザナは殊の外真剣な顔で頷いた。やはり自分が孤児だからなのか、も同じ境遇と知るとイザナは彼女のことを案じたようだ。
「それでその子は今後どうすんだよ?そのDV野郎と離縁したら、また一人ぼっちだろ」
「あ、ああ…それはそうなんだけど…」
「だったらオレが面倒見てもいいけどな」
「えっ?」
イザナの言葉に、さすがの鶴蝶も少し驚いた。見も知らぬ少女の面倒を見ると言い出すとは思わない。ただ鶴蝶と出会った時も、いきなり声をかけてきたイザナのことを思い出した。
イザナは自分と同じ境遇の人間を放っておけないんだろう。天竺を作った理由がまさにそれだ。
「そのって子は今も蘭のとこ?」
「え?…ああ。多分」
「大丈夫なのか?あの兄弟のところへ置いて」
イザナはふと心配そうな顔で訊いてきた。普段は他人に興味を示さない男だが、やはり少しは気になるらしい。
ただ、鶴蝶は夕べのふたりのことを思い出し、軽く吹き出すと、「それが実は…」と更に詳しい話をイザナに伝えた。
「はあ…?結婚?!」
「ああ。まあ…成人を迎えるまでの期限付きっぽいようなことを言ってたけどな」
「へえ…あの蘭が、ねえ」
やはりイザナでも驚いたのか、何とも言えない表情を浮かべている。だがふと「それはちょっと見てみたい」と言い出した。
「え?」
「ちょうど六本木だしな。蘭の家に行ってみよう」
「まあ…いいけど」
鶴蝶も多少気になっていたのか、すぐに頷くと、丁度止めていたバイクの場所まで辿り着く。だが、その時道路の向こう側に今まさしく話題に出ていたふたりが歩いているのを見つけた。
「お、おい、イザナ!」
「何だよ」
「あ、あそこ!蘭とだ」
「…マジで?」
鶴蝶が指さす方へイザナも目を向けると、確かに蘭が小柄な少女と歩いているのが見えた。蘭は長袖のカットシャツに薄手のワイドパンツ、はフレアワンピースとふたりは似たような真っ白な服装で、仲良く手を繋ぎながら歩いている。ふたりはそのままヒルズの方へと歩いて行った。
それを見ていたイザナは意味深な笑みを浮かべている。こうなると鶴蝶も嫌な予感しかしなかった。元々好奇心旺盛なところがあるだけに――。
「鶴蝶、行くぞ」
「…やっぱ、そうくるか」
「だって面白そうだろ」
と言うイザナは昔の面影を残したような無邪気な笑みを浮かべている。それを見た鶴蝶も仕方ねえと苦笑しながら「だな」と言ってイザナの後を追った。結局のところ、鶴蝶も蘭との行く末は気になっていたのだ。こうなれば最後まで見届けてやるといった気持ちで、ふたりを尾行していく。
「あれ、どこ行った?」
「早速見失ったのかよ…」
「うるせぇな。下僕は黙って探せよ」
「はいはい」
こんなやり取りは日常茶飯事とばかりに鶴蝶は辺りを見渡して人混みの中、目立つ三つ編みを探す。するとあるブランドショップのヒルズ店へ入って行くふたりを見つけた。
「あ、いたぞ、イザナ。あそこの店だ」
「あそこって…」
イザナと鶴蝶もその店の前へ行くと、確かに中で店員の女性と何やら話している蘭が見えた。どうやら店内に売っているモノを買いに来たわけではないらしい。
「え、まさか…」
「間違いないな」
驚く鶴蝶にイザナが確信したように呟くと、その顔はいっそう楽しげな表情へと変わる。世界的に有名な宝飾品を売りとする店にふたりで来たなら、それしか考えられない。
「結婚指輪だ」
「い、いやでも結婚はあくまで他人の蘭がを引き取る為の手段として選んだ苦肉の策で、いわば偽装結婚みたいなもんなのに?わざわざ指輪まで買うか?」
確信を得たように呟くイザナに、鶴蝶は信じられないといった顔で中にいるふたりを見る。蘭は店員と話しながらを連れて奥のスペースへと歩いて行く。それを見たイザナはシレっとした顔で店に近づくと店内の様子を伺った。
観察していると、蘭に応対していた店員がカウンターの方から手に何かを持ってふたりの方へ歩いて行く。よくよく見ればそれは指のサイズを測る為のリングゲージだった。
「やっぱな」
「ん?」
「見ろよ。あれ指のサイズを測るヤツだろ。間違いねえ。蘭は結婚指輪を作りに来たんだよ」
「マジか…え、ってことは…偽装じゃないってことかよ?」
「オレが知るかよ」
苦笑気味に応えながらイザナはしばし中の様子を伺っていたが、30分くらいで蘭が歩いて来るのが見えて、すぐに身を隠した。蘭とは楽しげに話しながら、今度はヒルズカフェに行くと、ふたり並んで座って軽食を頼んでいる。イザナと鶴蝶も人混みに紛れて離れた席へ座り、ふたりを更に観察していた。
「こうして見てると普通に仲のいいラブラブカップルに見えるな…」
とイザナは苦笑した。蘭は時折サンドイッチを食べているの口元が汚れるとナプキンで拭いてやったりと優しく世話を焼いている。それを見ていた鶴蝶は「カップルっつーか妹の面倒を見てる兄貴じゃねぇの」と笑った。
だがマヨネーズが付いてしまったの指を蘭が自分の口元へ運び、ペロリと舐めてあげているのを見た時、鶴蝶の顏が一気に赤く染まり、隣で見ていたイザナが吹き出した。
「相変わらず初心だな、鶴蝶は。さすが童貞」
「う…うるせぇ!人前でやることか?あんな…な、な舐め…」(言えない)
「ま、あれは兄妹ってよりは年下の彼女にデレてるようにしか見えねーな」
「まあ…ちゃんは黙ってると可愛くて癒し系の女の子って感じだからな。いや喋っても癒し系だけど…」
最後はボソボソっと呟いた鶴蝶に、イザナはふと視線を向けて、意味深な笑みをその綺麗な顔に浮かべた。
「あれぇ?鶴蝶、もしかして彼女のこと気に入ったとか?あ~さっき文句言ってたけど蘭が羨ましいんだろ」
「……ぐっ」
ニヤァっと笑うイザナにからかわれ、更に鶴蝶の顏が赤くなる。
「ち、違う!オレは別に可愛い子だなと思っただけで、そんな邪な気持ちは――」
「可愛いって思ってんじゃん。へー鶴蝶ってああいう小動物系女子が好みなんだ~。意外過ぎてウケる」
「はあ?ち、違うって言ってんだろ!」
あまりの恥ずかしさについ下僕という立場を忘れて王に怒鳴る鶴蝶に、イザナは怒るどころかゲラゲラ笑っている。
こんな慌てる旧友の姿を初めて見たと言いたげに「鶴蝶、可愛いー」と更にからかった。
…が、ただでさえ目立つふたり。
混みあっているとはいえ、そこまで密集しているわけではないカフェ内。それもテラス席ということで、そこで大きな声で騒げば当然のことながら注目を浴びる。
そしてふたりに注目をしたのは周りの客だけじゃなく…
「何してんのー?オマエら…」
笑い死んでいたイザナと茹蛸になった鶴蝶が気づいた時…。思いきり目を細めた灰谷蘭がふたりの背後に立っていた。

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