15-このまま、どうにかなる前に


「…大丈夫か?
「う~ん…らいじょーぶ…」
「って、口まわってねえじゃん。よいしょっと」

シャンパン一杯で酔っ払ったがソファで寝てしまいそうになるのを見て、蘭はその体を抱き上げた。竜胆は向かいのソファですでに酔いつぶれて眠ってしまっている。
ほろ酔いのイザナは数分前に「じゃあ、初夜頑張ってー」と言いながら、鶴蝶に支えられ帰って行った。結局、何だかんだとに世話を焼いていた蘭だけが酔いもせず今に至る。
義理の両親が亡くなってからは誕生日を祝ってもらったことがないと話していたは、皆に祝われて凄く嬉しそうだった。蘭にとっても、誕生日を祝っただけであんなに素直に喜んでもらえたのは初めてだったかもしれない。高級レストランへ行くでもなく、高価なプレゼントをしたわけでもないのに、は心から嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
知り合ってから、あれほど自然な笑顔を向けてくれたのも初めてだった気がする。それは兄から解放された安堵感と、久しぶりに大勢に祝われたことで本来の明るい彼女に戻りつつあるのかもしれない。

「さて、と。どーすっかな…」

を抱えて自分の部屋へ来たはいいが、今度はをどこへ寝かせようか迷ってしまう。この家に来た初日は竜胆に言われてリビングのソファで寝ていたが、これからはそういうわけにも行かない。

用にソファベッドでも買うか…それとも…」

ふと自分のベッドを見て「さすがに一緒に寝るのは…マズいか」と苦笑する。まあ、寝るとこは追々考えるとしても、今夜はどこへ…と考えていたときだった。今にも寝てしまいそうだったが薄っすらと目を開けた。

「…蘭ちゃんと一緒に寝る」
「え?」
「…だめ?」
「いや、ダメとかじゃねえけど…」

と言いかけて、少し悩む。中身が少々幼く痩せているとはいえ、風呂場で見た限り体はすでに女らしい丸みを帯びている。もちろん16歳らしい健康的な色気もあった。一緒にベッドで眠るとなれば、ちょっと男の欲が出てしまうかも、と心配になるくらいには。
でも、いくら籍を入れたとはいえ、の過去を思えば軽い気持ちで手を出していい女の子ではない。それくらいの理性は蘭にも――。
いや、オレも男だし、つい欲に目がくらんでしまうという事も無きにしも非ず…と一瞬だけ良からぬ思いがこみ上げる。

「いや、ダメだろ、そこは」
「…だめなの?」
「え?ああ、いや…こっちの話」

蘭の独り言に悲しそうな顔をするに、慌てて笑顔を作る。とりあえず延々と抱えているわけにもいかないので、一度を下ろしてあげた。

「まあ、今夜は遅いし、とりあえず今日は一緒に寝るかー」
「ほんと?」
「ああ。あ、でも起きてるなら寝る前にちゃんと歯を磨いてこいよ。虫歯なんの嫌だろ?」
「うん…蘭ちゃん、どこ行くの?」

部屋を出て行こうとする蘭を見て、は慌てて追いかけた。酔っているせいか足元がおぼつかず、蘭が慌てて身体を支えた。

「酔ってんだから走るなって。ちょっとリビング軽く片付けてくるだけ。それ終わったらオレもシャワー入って寝るからは先に寝てろ」
「…うん」
「ちゃんとしっかり磨けよ」

蘭はの頭をくしゃりと撫でて、そのままリビングへ歩いて行く。以前、虫歯になりかけ歯医者で怖い思いをしたことがあるので、もすぐに洗面所へ行くと念入りに歯を磨いておく。
その間、蘭は使った皿や空き瓶などを片付け、ソファで眠ってしまった竜胆に部屋から持ってきたタオルケットをかけてあげている。歯を磨き終わったはそれを見ながら(蘭ちゃんはえらいなあ)とシミジミ思っていた。
普段、弟にあれやこれやと命令しては何かとやらせているが、こういう時はテキパキ動いてちゃんと兄らしいこともしている。

、先にベッド入ってて。シャワー浴びたらすぐ行くから」
「…うん、わかった」

は言われた通り蘭の部屋へ戻ると、奥にあるベッドへ潜り込んだ。蘭のベッドに寝るのは初めてで、勝手に胸がドキドキしてくる。

「蘭ちゃんの匂い…」

匂いの種類は分からないが、蘭が普段付けている香水がふんわりと香ってくるのは安心する。先ほど飲んだアルコールも手伝ってふわふわとした睡魔が襲って来た。

(蘭ちゃんが来るまで寝ちゃダメ…今日は"結婚初夜"なんだから…イザナくんが頑張れってプレゼントもくれたし)

お祝いの最中、イザナがにコッソリくれたプレゼントがポケットにちゃんと入っているのを確かめる。今夜が大事な初夜だというのはイザナに言われなくてもはちゃんと覚えていた。だから少し緊張して一杯だけシャンパンを飲んでしまったのだ。
以前のにとって、京介に強要されてきた行為は毎回不快なものだった。恐怖から始まった歪んだ関係を、これは愛情だと言い聞かせられたものの、あの行為はの中で怖いと言う印象しかない。
なのに――蘭となら不思議と怖くはないと思えた。

「――あれ?、起きてたの?」

少しして蘭が髪を一つに縛りながら戻って来た。寝ているかもしれないに気を遣って洗面所で髪を乾かしたらしい。

「寝てて良かったのに…」
「…蘭ちゃんと一緒に寝たい」

頑張って起きてはいたものの、はやはり眠たいのか、とろんとした目で呟いた。

「……確かには甘えんぼだな」

京介に言われたことを思い出し、蘭はベッドへ腰をかけての顔を覗き込む。

「ま、オレからするとそこが可愛いんだけど」
「……?」

頭を撫でてやりながらの額へキスを落とす。すると今度はが腕を伸ばし、蘭にぎゅっと抱き着いた

「…どうした?寝ねえのかよ」

急に甘えたモードじゃん、と笑いながら彼女の髪を撫でると、は恥ずかしそうにしながらも蘭を見上げてきた。そのとろんとした顔にどきりとする。だが、その後にが言った言葉で、更に心臓が痛くなった。

「……だって…今日は…その…えっと…しょ、初夜でしょ…?」
「…は?」

予想外の一言に驚いて体を起こすと、がパジャマのポケットから何かを取り出した。

「これ…イザナくんが頑張ってって…くれた」
「イザナが…?」

怪訝そうに眉を寄せた蘭は、差し出されたの手のひらに乗せられた物を覗き込んだ。そしてギョっと目を見開く。どう見てもそれは――。

「……は?何で?」

思わず変な声が出てしまったのは、彼女の手のひらに乗っていたのが、いわゆる避妊具であり、主に男女の営みの時に男が付けるアレだった。蘭の脳内にニヤニヤしたイザナの顏が浮かび、口元が引きつる。

(イザナのやつ、何考えてんだ…!にこんなもん渡して!)

蘭は慌てての手からソレを奪うと、ベッド脇にあるサイドボードの引き出しへ放りこんだ。そしてしっかり閉じてから深々と息を吐き出した。何で今更コンドームを見て動揺しなきゃなんねーんだ、童貞でもあるまいし、と自分でもおかしくなってくるが、この状況にあんなものを見てしまっては、多少理性も揺らいでしまう。全く余計なことをしやがって、と蘭は頭を項垂れた。

「蘭ちゃん…?」
…これは使わない」
「え…っ使わないって…」

ポっと音がしそうな勢いでの頬が赤くなる。それに気づいた蘭は「いや、そういう意味じゃなくて!」と苦笑した。こんな可愛い子に生でするとか、そんな鬼畜なこと出来るはずもない。いや、生じゃなくてもしちゃダメだと、と自分の中の理性を必死に保つ。そこで改めてを見下ろした。

「…ってか…何では初夜のこと知ってんの。さっきまで知らなかったろ。まさか…イザナに聞いた?」
「ううん……パソコンで調べた」
「…マジ?」
「うん…」
「じゃあ…どんなことするかも分かったろ」

その問いに恥ずかしそうに頷くの頭をそっと撫でながら、蘭はもう一度溜息をついた。ほんとに分かってんのかよ、という溜息だ。

も嫌なこと思い出すだろ。そういうことしたら」
「…蘭ちゃんなら…怖くないもん」
「……いや、そう言ってくれるのは嬉しいんだけどさ…」

真っ赤になりながら潤んだ瞳で見つめられ、蘭は困ったように項垂れた。一応、人より理性は強い方ではある。だが蘭もまだ18歳の若い男だ。特にここ最近はご無沙汰で、の誘うような言葉と表情は簡単に理性を崩してくるからタチが悪い。これが悪い男なら据え膳食わぬはで手を出すんだろうが――。

「理性吹っ飛ぶからそんな顔で見んなよ」
「……蘭ちゃん?」

もう一度額にちゅっと口付ければ、はドキっとしたように蘭を見上げる。その目はやっぱり潤んでいて、いい感じに酔っているせいか、表情もどこか艶っぽい。

「だから…そんな目で見んなって…」

僅かに本能を解放した蘭は、身を屈めて今度は優しく唇を塞ぐ。その柔らかい感触にらしくないくらい鼓動が速くなるのを感じた。ただ触れるだけのキスをしただけなのに、とさすがの蘭も苦笑が漏れる。

「やべ…何かドキドキするわ…。ガキかよ」
「……ん、蘭…ちゃん…」

未だかつてないタイプということもあり、蘭もどう扱っていいのかもわからない。それにを保護するため結婚と言う形を取ったとはいえ、恋人という関係ですらなかった子なのだ。曖昧な気持ちのまま、目先の欲望で手を出していい相手でもない。

「つーことで、今夜はここまで。初夜はお預けな」

体の熱を誤魔化すように言いながら、とろんとした目で今にも寝てしまいそうなの鼻を軽くつまんだ。

、眠たそうだし」
「……ね、眠くない…も…」
「言ってるそばから寝てんだろ、オマエ」

やはりも疲れがピークだったのだろう。蘭の体温に包まれていると、安心したように目を閉じ、文字通り秒で眠ってしまった。その子供のような寝顔を眺めながら、軽く息をつくと蘭もそっと隣に潜り込む。正直言えば蘭も相当に疲れていたが、さっきは一瞬だけその疲れが吹っ飛ぶくらいにドキドキした。

「はあ…やべぇじゃん、持つの?オレの理性…」

蘭が横になると、無意識にくっついてくるを見ながら情けない言葉が零れ落ちる。それでも縋るように身を寄せて来るの寝顔に癒されるのを感じながら、蘭はふと笑みを零し、静かに目を閉じた。

オレがどうにかなるその前に、このまま――二人で眠ってしまおう。



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