16-君と朝まで夢現
AM:6:00
ふんわりとした温もりに包まれているのを感じていた。少しずつ戻って来た意識の中で、は久しぶりの心地よさを思いだしていた。
あれはまだ両親が生きていた頃。怖い夢を見て夜中に目を覚ましたは、両親の寝室へ行って母親のベッドへ潜りこんだ。
ぴったりと体をくっつけたことで目を覚ました母は「ほんとには甘えん坊ね」と苦笑しながらも優しく抱きしめてくれて。
母の温もりにやっと安心して眠ることが出来た、あの夜の心地よさに似ている気がして、はゆっくりと目を開けた。
隣でを抱きしめるようにしながら寝ているのは母親ではなく、蘭だった。体を横にして右腕はの首元に入れられ、いわゆる腕枕をしてくれている。
左手は抱きしめるようにのお腹の上に回されていて。だからも体を横にして蘭の胸元に顔を埋めた。その体勢が彼女的にはとてもしっくりきた。
甘えるように顔をスリスリしてみると、オーガニックコットンシャツの肌触りが気持ち良かった。
蘭の匂いとか、体温とか、全てが安心する。
また眠たくなってきた彼女が目を瞑ると、秒でまた夢の中。
AM:7:00
ほんのりと体が暖かくなってきたところで、蘭は一度目の覚醒をした。
胸元に何かがくっついている、と認識したところで薄っすらと目を開ける。最初は仰向けで寝ていたはずなのに、今では蘭の胸元に顔を埋めるようにしてがくっついていた。蘭の長い腕にすっぽりと収まりながら、静かな寝息を立てている。
小柄なせいで、こうして全身がくっついていると、まるで自分の一部のような気がしてくる。子供の頃、竜胆も怖い夢を見た、と夜中にこんな感じで蘭のベッドへ潜りこんではくっついて来たな、なんて懐かしいことを思い出した。
ふと笑みが零れ、少しだけ腕に力を入れて更に抱き寄せると、柔らかい髪が蘭の鼻先をくすぐって。
そこへ優しく口付ければ、ふわりと甘い香りがした。
ああ、また眠れそう―――。
蘭はそっと目を閉じた。
AM:10:00
竜胆は唐突に目が覚めた。首の辺りが痛いという感覚があったせいだ。
そこでパチリと目を開けば、自分がリビングのソファの上で寝ているという事実に気づく。
ひじ掛けの上に頭を乗せて不自然な角度のまま寝ていたせいか、首が痛みを訴えているようだ。
とりあえず体を起こし、リビングを見渡せば、そこは普段通りの空間だった。夕べ散々飲み食いしたオードブルの残骸や、ビールの缶、シャンパンの空き瓶などは一切ない。
竜胆の足元には何故か自分の使っているタオルケットが落ちていて。そこで蘭が全て片付けて、自分にもこれをかけてくれたのだと気づいた。
さすがは兄貴、と感心しながら、竜胆はふと蘭の部屋へ視線を向ける。リビングにはいない。ということは、夕べは蘭の部屋で寝たんだろう、と竜胆なりに推測する。
そこで少しだけ血の気が引いた。まさか本当に初夜を迎えたとか言わねえよな?…という竜胆からすれば少しだけ恐ろしい想像をしてしまったせいだ。
いや、まさか兄貴に限って―――ありえない。
竜胆もまた、ウチの子に限って症候群のように、兄のことを根拠なく信じている可愛い弟だった。
だが様子を見に行く勇気はない。睡魔もまだまだ残っていた。
そうなると二度寝をして現実逃避といこう。
竜胆はタオルケットと重たい足を引きずりながら、今度は自分のベッドで眠りについた。
PM:3:00
は今回、お腹の鳴った音で目が覚めた。時計を見ようとモゾモゾ体を動かしたが、何故か固定されて動かない。
そこでパチっと目を開ければ、蘭の腕がしっかりの頭を押さえていることに気づく。
これは困ったぞ、とは思う。
蘭の胸に押し付けたままの状態では何も見えない。今が何時なのかすら分からない。それでもの腹時計は空腹を訴えている。お昼過ぎなのは間違いない。
しかしには空腹よりも切羽詰まっていることがあった。トイレに行きたいのだ。
再び体を動かし、どうにか蘭の腕の中から抜け出そうとしたが、外すのは無理だと気づく。そこで良いことを思いついた。はゆっくりと体を下へ下へと下げていく。
そうすることで腕からは抜け出せた。…が、タオルケットの中へ潜る形になってしまった。今度はそこから起き上がり、蘭をまたいでベッドを下りなくてはならない。
蘭は疲れていたのか、グッスリ眠っている。出来れば起こしたくはなかった。
よし、気づかれないようにそっと下りよう、と決心したは静かに体を起こそうとした。
その時、唐突に起きた蘭に驚いたような声で「…っ?」と名前を呼ばれ、彼女は飛び上がらんばかりに驚いた。
この時、蘭は自分の腹の辺りで何かがモゾモゾ動く気配で二度目の覚醒をした。
何だろう?と思うまでもなく、腕の中に収めたはずの存在が消えていることに気づく。そこで目を開けて、僅かに頭だけを持ち上げると、何かが動いている辺りを見た。
するとタオルケットが膨らみ、中でやっぱりモゾモゾと動いている塊が見える。奇しくもそこは蘭の腹…というよりは下腹部に近い場所。
そして意識を向ければ当然その敏感な場所に何かが触れている感触がある。見ようによっては何とも卑猥な光景で、蘭は一気に目が覚めた。
その驚きのまま、そこで動いているであろう少女の名前を呼ぶ。するとタオルケットの中の人物がビクリと体を震わせたあとで固まった。
「……な…何やってんだよ…?」
恐る恐るタオルケットを捲れば、そこには蘭の体を跨ごうとしているが目をまん丸くして固まっていた。
「あ、あの…トイレに…」
「あ…トイレ?」
は壁側に寝ていた為、蘭を跨がなければベッドを下りられないと即座に気づく。そして心底ほっとした。
ついでにバカな勘違いをした自分を自嘲すると、蘭は体を避けてをベッドから下ろしてやった。
恥ずかしそうに部屋を出て行くを見送りながら、時計を確認すると、まだ午後3時過ぎ。蘭は再びベッドに横になった。
元々何時間でも眠れる体質の蘭だけに、最近の寝不足も相まって、今日はまだまだ寝れそうな気がした。
そして戻って来たの腕を引っ張ると、もう一度その腕に収める。
「…まだ寝るの?蘭ちゃん」
「…んー蘭ちゃん、まだ眠い…。は?眠くねぇの?」
「わたしもまだ少し眠たい…でもお腹空いた」
「じゃあ……次、起きたら一緒にご飯食べよ」
「うん」
は嬉しそうに頷いて、再び蘭の胸に顔を埋める。それは子供が甘える仕草にも似ていて、つい蘭の顏にも笑みが浮かぶ。
「…」
と名前を呼んで彼女の顔をあげさせると、少し体を起こして小さな唇へちゅっと口付けた。ついでに頬にもキスを落とせば、はかすかに頬を赤くして蘭にしがみついた。
「……蘭ちゃん」
「ん…?」
再び横になっての頭を抱き寄せると、胸におしつけた唇からくぐもった声が聞こえて「…大好き」という可愛い告白をされた。
「蘭ちゃんもが大好きだし、両想いってやつじゃね?」
あまりにストレートな言葉をぶつけられ、らしくないほど照れ臭くなった。だから、おどけた感じで返したのに、は「両想いだ」と嬉しそうな声で笑っている。それが随分と幸せそうな表情なので、蘭の中にも幸せな感覚が生まれた。
「…お休み、蘭ちゃん」
「お休み、」
彼女の頭に軽く口付け、蘭も目を瞑る。その時ふと、これまで色んな女と付き合ってはきたが、こんな風に心が穏やかな時間を過ごしたことはなかったな、と蘭は思った。
一歩、外へ出れば争いごとや仕事などに追われ、身も心も休まることはない。だから、その疲れを浄化するように蘭は時間が空けば死んだように眠るのが、いつの間にか習慣になっていた。
だけど恋人の誰ひとり、蘭と一緒に眠るだけの時間を共有しようとはしなかったことを思い出す。
寝るくらいならデートしてよ、とか、私と会う時間を作ってとは言われたが、じゃあ私も一緒に寝るとは言われなかった。
その時は蘭も眠るだけなら一人がいいと思っていたし、特に気にしたこともなかったが、こうしてを腕に抱いていると、それが案外悪くないものだと思った。
そう、穏やかな時間を誰かと共有できるのは、悪くない。
それが可愛いなら、なおさら。
(起きたらと何を食べよう)
の寝息が聞こえてきて、そんなことを考えていたら、蘭もいつの間にか夢の中へと堕ちていた。
PM:11:00
静かな部屋に突然ケータイの着信が鳴り響き、竜胆は夢の中から一気に現実の世界へ引き戻された。
「……だからそれはラクダになるんだって…っ!……あ?」
脳の半分が寝ていて、半分はケータイの音が聞こえている状態。そのふわふわとした感覚の中、実際に口から変な言葉が飛び出したことで、今度こそ竜胆は目を開けた。
「今…オレ、何つった…?」
ふわぁぁっと大きな欠伸をしつつ体を起こすと、自分がとてつもなくおかしな言葉を呟いた気がして竜胆は首を傾げた。
一体どんな夢を見ていたんだろう――?と。
そのまま未だに鳴りやまないケータイを手に取ると、表示されている名前を見て徐に顔をしかめる。
「はあ…?何でオレにかけてくんだよ…」
それは蘭の元カノで例のモデルの女からだった。蘭のケータイが繋がらなかった時用に番号は交換したが、竜胆にかけてくる時点でいつもだいたい不機嫌だった。
だが蘭はこの女と先月、大喧嘩をして別れている。今更自分に何の用があるというんだろう、と竜胆は溜息をついた。
時刻を見れば夜の11時。蘭はきっとまだ寝てるだろうな、と思いながら、未だ鳴りやまないケータイの電源をオフにする。
「しつけーんだよ…。普通10コール鳴らしても出なかったら諦めねぇ?」
ガシガシと頭をかきつつ、竜胆は再びベッドへ倒れ込んだ。かなりの時間、寝たような気もするが、まだまだ眠れそうなほどに睡魔が残っている。
どうせ起きたところで蘭は明日の朝まで起きてこないだろう。
となれば……。
「オレも寝よ…」
一人で起きているのも何となく寂しいと思うくらいに寂しがり屋の竜胆は、今の電話もすっかり忘れ、再び夢の世界へと自ら飛び込んでいった。

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