19-絶対零度の薬指



が勉強を始めてから半月。小学校で教わる内容をだいたいはクリアし、最近はもっぱら中学生の問題を集中的にやっている。
この様子だと一年後には高校受験も上手くいくのでは、という現実が明確に見えて来たある日。

、今日は二人でデートすんぞ」

の書類上の"夫"である灰谷蘭が、"妻"であるを誘った。
この日の勉強も終えて、家庭教師である九井とリビングでお茶をしていたは、外出から戻った蘭に突然デートに誘われ、その大きな瞳をぱちぱちと瞬かせたあと嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「蘭ちゃんと…デート?」
「そ。最近は勉強すげぇ頑張ってるし、その御褒美と…」
「…と?」
「新婚旅行、まだ連れて行けてねーから、そのお詫び」

蘭が何とも言えぬ優しい笑みをその綺麗な顔に浮かべる。だが蘭の後から歩いて来た竜胆がつかさず「いや、新婚旅行とか行くような関係じゃねーだろ、実際」と笑いながらいつものツッコミを入れてきた。そのデリカシーのない弟の一言に兄は僅かに目を細めたものの、今日はすこぶる機嫌がいいという理由で殴るのだけはやめておく。

「…ぃででででっ」
の前でそういうこと言うんじゃねぇよ」

殴りはしないが、頬の肉を思い切りつまんで引っ張るくらいのお仕置きはしておく。それが地味にめちゃくちゃ痛いので、竜胆としてはゲンコツを喰らった方がマシ、と言いたげに、涙目になりながら抓られた頬を擦った。

「…分かったよ…。ったくのことになると前より短気になんだから…」

竜胆はブツブツ言いながらキッチンに歩いて行くと、溜息交じりでコーヒーを淹れている。そんな弟を尻目に、蘭は自分に抱き着き「おかえりなさい。蘭ちゃん」と甘えてくるをぎゅっと一度抱きしめてから「ただいま」と身を屈めて頬にキスを落とした。
目の前でイチャつく二人を見ていた九井も苦笑いを浮かべると、蘭に向けて「お疲れ様です。蘭さん」と声をかける。

「おう、ココ。今日はどーだった?ウチのお姫様は」
「ちゃんと予定通りのスケジュールをこなしてましたよ。苦手な漢字も今日はひとつも間違えなかったし」
「へぇ、偉いじゃん。

と褒めながら頭を撫でると、も嬉しそうに蘭を見上げる。

「蘭ちゃんがこの前教えてくれたから」
「いやが頭いいんだよ。覚えんのも早いもんな」
「ほんと?」

蘭に褒められて嬉しいのか、はますます笑顔になった。以前のような表情もない頃の彼女とは違い、精神的にも落ち着いてきたのは明らかだ。

「じゃ、。出かける前に着替えようか」
「え、お着替え?」
「今夜のデートは大人のデートだから」
「……大人…デート」

意味深な言葉を口にした蘭の口元は僅かに弧を描いていて、その艶のある微笑みはの鼓動を速くするには十分すぎるほど秀麗なものだった。

「竜胆~車呼んでおいてー」

と、竜胆に声をかけると、蘭はを連れて部屋へ入り、すぐに彼女の衣類が収納されているクローゼットを開く。そこには未だ一度も着ていない服も沢山あった。
蘭はその中から黒白バイカラーのワンピースを手にすると、早速彼女の体に当ててみる。に買った服の中でも比較的大人っぽい色合いとデザインだが、蘭が彼女に似合うと思って即買いしたものだ。

「ん、可愛い。、これ着てみて」
「うん」

は素直に服を受けとると、部屋の一画に置かれたパーテーションの裏で着替え始めた。放っておくとは蘭の目の前でも平気で服を脱いでしまうので、蘭が苦肉の策として買って来たのだ。このクセも少しずつ直して行かないと、が学校へ通うようになった時が心配だと思う。

(学校でもこの調子でやったら色々やべぇしな…)

体育の時間など、男子の前で服を脱ぐを想像するだけでイラっとしてくるのを感じ、蘭は苦笑した。形だけのはずが、いつの間にかのことを本物の奥さんのように感じている自分に驚く。自然に任せて思うがままに生きて来た蘭にとって、が本当に自分に必要な女の子になったなら、そしてが自分のことを本当に必要としてくれるのなら、この先も結婚生活を続けていけたらいい、とすら思う。
ただ蘭の今の立場ではどうしたって争いごとは裂けて通れない。自分の傍にを置いておけば、この前みたいなことになるんじゃないかと心配になる。

元カノのせいでが酷い目に合い、一瞬本気でアリサをぶん殴ろうと思った。別に相手が大怪我をしようが、それだけのことをしたのだからどうなろうと知ったことではないと本気で思った。竜胆が間に入らなければ、実際、蘭はそうしていただろう。
だが蘭がアリサに大怪我をさせれば、確かにタダでは済まなかっただろうし、警察に被害届を出されれば、またしばらくは塀の中だ。自分がそうなった場合、は確実に悲しむだろう、と今なら分かる。
ただあの時は怒りで頭に血が上り、そこまで冷静に物事を考えられなかった。こんなことは蘭にとっても初めてで、多少なりとも戸惑っていた。

(この先もどうなるか分かんねーし…。そうなった場合のことを考えて、オレが不在の間、のことを頼めるヤツを探しておくか…)

ふと、そんな思いが過ぎった。特に今はイザナがいつ抗争を始めると言い出すかも分からない状況だ。稀咲と半間が天竺へ入り、イザナに何やら吹き込んでいると鶴蝶も話していた。いつ抗争の火種が巻かれ、四天王である蘭がイザナに収集されるか分からないのだ。
どこかのチームと抗争になった時、絶対に何もないとは言い切れない。最悪また兄弟で警察に捕まれば、はこの家でひとり、蘭の帰りを待つことになってしまう。

(後で鶴蝶に相談してみるか…)

そう思いながらが着替えてる間、蘭もクローゼットの中からスーツを出して着替える。今夜は大事な日だから、きちんとした服装でデートをする予定だった。

「やっぱここのスーツが一番しっくり来るな」

全身ミラーを見ながら、きちんとスーツを着こみ、納得したように独り言ちる。体のラインに沿うような細身のスーツは、高身長で手足の長い蘭に良く似合っている。
スーツが普通のデザインより、やや細めなのは"made in italy"の特徴だ。メンズスーツの発祥はイギリスだが、スーツをひとつのファッション文化として高めたのがイタリアであり、イタリアのスーツは素材が柔らかく身体のラインが出やすくなっている。そのしなやかさが蘭は気に入っていた。

「蘭ちゃん、着替えたょ……って、蘭ちゃん、カッコいい!」

蘭のスーツ姿を初めて見たは、驚きの表情で瞳を輝かせた。その無邪気な誉め言葉に笑うと「もすっげー可愛い」と、彼女のもちもちな頬へちゅっと口付ける。

「でも何で着替えるの?」
「言ったろ。今夜は大人のデートするからだって」
「大人のデートといつものデートは何が違うの?」

蘭は髪型を直すのにを鏡台の前に座らせると、長い指をその綺麗な唇の前に立てて「それはまだ秘密」と微笑む。鏡越しで、蘭のバイオレットサファイアのような瞳と目が合い、の頬がほんのり赤く染まった。
宝石のような、その魅惑的な虹彩は蘭の魅力をいっそう引き立てている。

「なーに赤くなってんだよ」

のアップにしていた髪をほどきながら、蘭が笑う。

「…だって…蘭ちゃん綺麗なんだもん」
「えー?オレ、男だけど?」
「男の人だけど蘭ちゃんはすごく美人さんだよ…?」
は可愛いもんなー?」

蘭はの髪にブラシを通しながら笑うと、今度はルーズに編み込んだローポニーテールを作っていく。元々器用な蘭はヘアアレンジも得意だった。

「はい、出来た。どぉ?」
「…わぁ…これも可愛い…」
「その服に合うだろ。いつもより少し大人っぽいし。気に入った?」
「うん。蘭ちゃん、ありがとう」
「はい、動かない。まだ終わってねーよ」
「え?」

後ろを向くに前を向かせると、今度はアクセサリーボックスを開き、中からこの前買ってあげたダイヤのロングイヤリングを耳に当てている。

「やっぱコッチのがいーか」

鏡でチェックをしながらイヤリングを付けると、今度は簡単にメイクを施した。はされるがまま大人しく目を瞑っている。
この前に自分でメイクをさせたらアイシャドウやチークの入れ過ぎでとんでもない顔になった。
竜胆に「"おてもやん"かよ!」と爆笑されて以来、は口紅すら自分で塗ることはなくなり、それからは蘭がメイクをしているのだ。こうしてメイクをしていると、時々その時のの顔を思い出し、蘭は吹き出しそうになることもしばしば。

(ま、あれはあれで可愛かったけどな…)

頬が丸く真っ赤になっていたを思い出し、蘭は耐え切れず小さく吹き出した。するとがパチっと目を開け、後ろの蘭を仰ぎ見る。

「蘭ちゃん、何笑ってるの…?」
「何でもねーよ。ただが可愛かったなぁって思い出しただけー」
「……??」

未だ笑いを噛み殺している蘭を見て、は首を傾げている。まさか自分の失敗メイクを笑われてるとは思っていないらしい。

、少しだけ口開けて」

蘭は笑いながらも淡いピンクベージュの口紅を取ると、艶のあるのぽってりとした小さな唇へ丁寧に塗っていく。艶が出るタイプの口紅を塗ることにより、更にの唇がふっくらと見えて、蘭の目には美味しそうに映った。なので本能のままに自分の唇を寄せて軽くちゅっと重ねれば、驚いたがまたパチリと目を開ける。

「ん…蘭ちゃ…」
の唇が美味しそうだなあと…。あーでもまた塗り直さねーと」

苦笑しながらも、蘭は自分の唇についた口紅を拭うと、もう一度の唇を塗り直していった。

「よし、出来た」
「ありがとう。蘭ちゃん」

キスをされて照れていたも、鏡に映る綺麗にメイクをされた自分の顔を見て笑顔になった。

「気に入った?はこのくらいのナチュラルメイクで十分可愛い」
「あ…ありがとう」

蘭に褒められ、照れ臭そうに頬を染めていたは、手を引かれて立ち上がった。昔は義兄に無理やりコスプレをさせられたりした際にスタッフからメイクをされたこともあるが、こんな風に自然なメイクをしてもらうのは初めてだ。鏡に映る自分が自分じゃないみたいで嬉しくなった。

「うん。全体的にもバランスいいんじゃね?」

着替えたバイカラーのワンピースは襟元が大胆に開いていて、少し膝上のタイトなミニではあるが、七分袖とスカートの裾には控えめなフリルがついていて大人過ぎず、でも甘くなり過ぎず、にはちょうどいいデザインだ。
蘭は腰のベルトを直してやると、もう一度、今度は全体が見れるよう全身ミラーの前にを立たせた。

「すげー可愛い」
「…ほんと?」
「マージで。このままベッドに押し倒したくなるわ」
「…えっ」

メイクが落ちないよう、額にキスをしながら大胆発言をする蘭に、が驚いたように視線を上げる。その恥ずかしそうな顔を見て、蘭もまた自分の鼓動が跳ねたのを自覚した時、思わずを抱き寄せていた。

「ら…蘭ちゃん…?スーツについちゃうから…」
「いいよ、別に」
「ダ、ダメだよ…。今から出かけるんでしょ?」

ファンデーションが蘭のスーツに移ってしまうことを気にしたのか、は顔が触れないように蘭を見上げる。ちょうどキスをしやすい角度になり、自然と蘭が唇を寄せた時――。
ドンドンっというノックと共に「兄貴ー!車来たって!」と竜胆が叫んだ。

「…はあ…ま、いっか。また塗り直すことになっちまうし…」
「え?」

だけは何も分かってないようで、蘭が項垂れたのを不思議そうな顔で見上げている。それを見て苦笑いを浮かべた蘭は、の額にちゅっと口付けるにとどまった。

「んじゃ、行こうか」

先ほど用意しておいた着替えの入ったバッグは蘭が持ち、には服に合うバッグを持たせ、それほどヒールが高くない靴を選んだ蘭はの手を繋いで部屋を出た。

「お、兄貴のスーツ姿は久々…って、もいいじゃん。それ」

出てきた二人を見て、竜胆は思わず目を見開いた。傍にいた九井も「おー蘭さんカッコいいし、ちゃんかーわいい!」と驚いている。

「だろ?お似合いじゃね?オレたち夫婦」
「夫婦って…」
「あ?何だよ、竜胆。何か文句でも?」
「…いや別に」

不満げに目を細める蘭に、竜胆も苦笑するしかない。これ以上突っ込めばゲンコツと言う名のお仕置きをされるのは目に見えている。

「んで、どこでデートすんだよ」
「秘密~」
「はあ?」
「あ、今日帰らねーから竜胆も女、連れこんでいーぞ」
「いねーよ、そんな女は!知ってんだろーがっ」
「そろそろ新しい彼女、つくりゃいーだろ?言い寄ってくる女は大勢いるんだし。ま、オレほどじゃねーけど」
「うっせえな!言い寄ってくるヤツの中にそうそうイイ女なんていねーっつーの」
「あっそ。じゃあ竜胆はココと寂しく飲んでろよ。じゃーなー」

蘭は笑顔で二人に手を振ると、と手を繋ぎ、仲良く出かけて行った。それを見送っていた竜胆と九井が自然と顔を見合わせる。

「……飲みますか。竜胆くん」
「そうだな…」

長年、忘れられない女性ひとがいる九井と、すでに半年彼女を作っていない竜胆の意見が一致。
二人は侘しく男同士で飲むことにしたのだった。


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そこは六本木のホテルの中でも最高級と謳われている歴史あるホテルだった。1962年の開業以来。多くの人を心地よくもてなし続けているそのホテルは、日本のモダニズム建築を代表する建物でもある。海外から多くの著名人が泊りに来ることでも知られているこの場所を選んだのは、蘭の思い入れがあるホテルだったからだ。

「こ…ここ?」
「そうだよ」
「おっきなホテル…」

上品な制服を着たベルアテンダントに案内された二人は五階にあるフロントへ向かう。蘭がチェックインを済ませている間、は感動したように周りを見渡しては、その大きな瞳を輝かせている。それでも場の空気を自然と感じたのか、変に騒ぐこともなく、堂々と蘭に手を引かれてエレベーターへと乗り込んだ。
特に大きな荷物もないのでベルアテンダントは断り、部屋までは二人で向かうことにした。
地上41階建ての高層棟に向かうエレベーター内も伝統の空間に調和する壁面や、天井面に木材があしらわれ、日本の伝統美を演出している洗練された落ち着きのある雰囲気だ。

「蘭ちゃん、ここでデートするの?」
「たまにはいーだろ?こういう大人空間も」

繋いだ手をぎゅっと握り締める蘭に、も笑顔で頷く。自分がいた世界とは全てがかけ離れている空間は、にとっておとぎの国にでも来たような感覚だった。
目当ての39階でエレベーターを下りると、蘭は慣れた足取りで部屋へと向かう。

「お、ここだ」

目的の部屋番号を見つけると、蘭がキーを開けてを室内へ促す。中へ一歩入ったは、今度こそ驚きで固まってしまった。

「うわぁ…綺麗…」

壁一面が大きな窓になっている広い室内は解放感が漂い、また外に見える六本木の風景が、より非現実的な感覚にさせてくれる。すでに感動して瞳が潤んでいるは、蘭の手が頭に乗せられたことでハッと我に返った。

「蘭ちゃん…ここ本当にホテル…?」
「そーだよ」

ポカンとした表情で自分を見上げるに、蘭は軽く吹き出すと、持っていたバッグをソファの上に置いて、の手を引き寄せた。

「気に入った?」
「…う、うん…すごおく気に入った」
「なら良かった」

蘭はの額に口付けると、その手を引いて大きなソファへと身を沈めた。だがは部屋の中を探索したいようで「見て来ていーい?」と訊いて来る。

「どーぞ、好きなだけ探索して来いよ」
「うん」

は嬉しそうに頷くと、その広い部屋を見渡し、どこから見るか迷っているようだ。広さ720平米はあるこのインペリアルスイートはホワイトベージュを基調とした二階建ての部屋になっている。一階にあるリビングは先に説明したように壁一面が窓になっており、外には六本木の街並みや、東京タワーなどが一望出来るようになっていた。
真ん中は吹き抜けになっており、二階からリビング全体が見渡せる造りとなっていて、その天井にはダイヤモンドのように光るシャンデリアが三つほどぶら下がっている。
は子供のように、まずは二階が気になるのか、窓から見える見事な景色より先にらせん状の階段を上がって行った。
二階のベッドルームにはキングサイズのベッドが二つも並んでいる。二人で使うにしてはかなり広すぎる部屋に、は驚きを隠せない。

「蘭ちゃん!二階もすごく広い!」
「そお?あ、何か飲むか?」
「飲むー!」

蘭が尋ねると二階から可愛い声だけが降って来る。どこかエコーがかって聞こえるのは、きっとバスルームにいるせいだろう。
蘭は苦笑交じりで立ち上がると、備え付けの冷蔵庫からビールを取り出し、にはオレンジジュースを選んでおいた。

「はぁ…やっぱ落ち着くわ、この部屋」

元々高い場所は好きだった。だから今のマンションを買った時も、竜胆に上がるのが面倒と言われようと一番高い階を選んだ。
高層階から見る六本木の景色は絶景だと、蘭は知っていたからだ。
若干13歳で六本木を手中に収めた灰谷兄弟は、少年院を退院したのち、自由になった記念にこのホテルを選んで宿泊した思い出がある。
それは今のやり方で生きていくと決めた自分たちを鼓舞しようとしたのかもしれない。六本木で最高級と謳われるホテルからスタートし、これから先もっと高みを目指すべく、決意を新たにするために。
だからこそ何か大事なことを決意する時、蘭はこのホテルへやって来るのが自分の中での決まり事みたいになっていた。
と言っても、女性を連れて来たのはが初めてだ。

「蘭ちゃん、喉乾いちゃった」
「やーっと戻って来た」

ビールを飲み、外の景色を見下ろしていた蘭は、苦笑交じりでの腕を引っ張った。

「ひゃ…」

蘭はの体を抱えて自分の膝に座らせると、彼女の頬にちゅっと口づける。は恥ずかしそうにモジモジとしていたが、蘭の長い腕が腰に回され、身動きが取れない。
あげく床から足が離れたことで、履いていたパンプスが落ちそうになった。

「ら…蘭ちゃん…靴脱げちゃう…」
「脱げよ。疲れんだろ、ずっと履いてたら」

蘭は笑いながらの足を少し持ち上げ、脱げかかっている靴を取るとその場へ放った。短いためか、は恥ずかしそうにめくれたスカートを手で直しているのを見て、蘭はドキっとしたのと同時に、何故素っ裸で出て来るのは平気なのに、こういう些細なことで恥ずかしがるんだ?と苦笑が漏れた。

「なーに隠してんだよ」
「だ…だって…」
「別に見えても良くね?オレしかいねえんだし」
「……蘭ちゃんに見られるのが恥ずかしい…」
「は?…それってオレ以外なら平気って聞こえんだけど…」

可愛いことを言われ、一瞬喜んだ蘭だったが、よくよく考えればそう聞こえなくもない。少々不満げに目を細めると、はきょとん、とした顔で蘭を見つめた。

「平気…」
「あ?ダメだろ、それじゃ!」

あっさり肯定され、蘭はギョっとしたように身を乗り出した。自分に見られるのは恥ずかしいのに、他の男に見られるのは平気と言われれば、さすがに蘭も許容できない。無防備にもほどがあるだろ、と腹の底から重苦しいものがこみ上げてきた。

「え…そ、そう、なの…?」
「当たり前だろ。はオレの奥さんだし。他の男に身体を見せても平気とか言うんじゃねえよ」
「あ、そ…そっか…」

分かっているのかいないのか。は蘭に注意され、えへへと笑って誤魔化している。その様子を見ていた蘭は、やはり胸中穏やかではいられない。あまり女としての警戒心がないを見ていると、どうしたって心配になってくる。
そこでふと今日の一番の目的を思い出し、蘭は一度を膝から下ろした。

「後で食事の時に渡そうと思ってたけど…やっぱ今やるわ」
「…え?」

蘭はバッグの中から何かを取り出すと、を隣に座らせた。

「これ、今日出来上がってきた」

そう言って手の中にある高級そうなアンティークのリングケースを見せる。はそれが何か分からないのか、軽く首を傾げているので、蘭はケースの蓋を開けると中の物を彼女へ見せた。そこにはキラキラと眩い輝きを放つ指輪が二つ並んでいる。

「え、これ…」
「前に作りに行ったろ。結婚指輪」
「あ…」
、左手出して」

蘭は指輪のひとつを手に取ると、に向かって微笑んだ。その綺麗な顔に見惚れていると、蘭がもう一度「、左手」と苦笑する。

「あ、うん…」

ハッとしたようにが左手をおずおずと差し出せば、蘭がその手を取り、指輪を薬指にはめていく。輝かしい指輪が自分の指に納まっていくのをドキドキしながら見ていたは、薬指に光る指輪をかざして思わず笑顔になった。

「綺麗…」

蘭がデザイナーと相談しながら考えた指輪は上品なダイヤが埋め込まれている。光の加減でキラキラと輝き、の細い指によく似合っていた。
静かに感動しているを見て笑みを浮かべた蘭は、もうひとつ自分の指輪を取るとそれをへ渡した。

「オレのはがはめろよ」
「え…うん…」

照れ臭そうに指輪受けとると、は蘭の大きな手をそっと引き寄せた。自分の手よりも遥かに大きく、長い蘭の指に指輪をはめていく瞬間は、も少しだけ緊張する。
オーダーで作っただけにサイズもピッタリで、するすると入っていく。それは見事に蘭の薬指へと納まった。

「ありがとう」

にお礼を言うと、蘭は彼女の左手を取り薬指にちゅっと口付ける。形だけと思って作ったはずなのに、こうして互いに指輪をはめると、不思議な幸福感が押し寄せて来て。蘭は握っていたの手を引き寄せ、強く抱きしめた。

「変なの…」
「…え?」
「オレ、今めちゃくちゃ幸せーって思ってんだけど」

僅かに体を離し、の額に自分の額をくっつけて、蘭は照れ臭そうに微笑んだ。
きっと出逢った頃から感じていたへの何とも言えない愛しさが、最近では日に日に増していき、それに対しての戸惑いがあったのは間違いない。
けれども、今は誤魔化しようがないほど、目の前の彼女が愛しくてたまらない。
オレは一人の女の子をこんな風に慈しむことが出来るのか――と、自分で自分に驚いたことも一度や二度じゃない。

「…わたしも…すごくこの辺がドキドキして、でもふんわり暖かいの。これって幸せだとなるの?」

が頬を赤らめながら蘭を見上げる。その瞳は少し潤んでいるように見えた。

「オレも同じだから…そうだな。きっとそれが幸せって感情なんじゃねーの?」
「じゃあ…わたしも蘭ちゃんと同じ」

嬉しそうに呟くに、蘭もまた口元を綻ばせ、そのまま額、頬と口づけていく。この先のことを考えれば、心配事は尽きない。だから言うべきではないのかもしれない。
でも今この腕の中にいるが、間違いなく自分に必要な存在になったことを蘭はハッキリと自覚した。

…オレ、オマエのこと可愛すぎて好きすぎて困ってんだけどさぁ…どうしたらいい?」
「…え、蘭ちゃんが困るのは困る…」
「…そういうとこな」

本当に困ったらしい。へにょっと眉を下げるを見て軽く吹き出すと、蘭はゆっくりを顔を傾けて、その艶やかに光る唇へ触れるだけのキスを落とした。



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