22-幸せな色に溺れさせてあげる
※この先の内容には性的な表現があります。苦手な方、未成年の方は観覧をご遠慮下さいませ。
お風呂上りの火照った肌にさらりと触れる高級そうなシーツが、冷んやりして気持ちがいい。
何度か転がるように寝がえりを打ってると、蘭ちゃんが電話を終えて部屋に戻って来た。
「お待たせーって、何、転がってんのー?は猫かよ」
蘭ちゃんは笑いながらベッドに腰をかけると、甘えてすり寄ったわたしの頭を優しく撫でてくれる。この大きな手が、わたしをいつも甘えさせてくれる。優しい手がわたしに安心感をくれる。
真っくら闇に閉じ込められたような地獄の日々を送っていたわたしを、キラキラした世界へ連れ出してくれたのは蘭ちゃんだった。外の世界のことは何もわからなくなってたわたしに、蘭ちゃんは色んなものを与えてくれた。服に、靴に、アクセサリー。そして煌くような優しい時間。
わたしの狭い世界を変えたのは、間違いなく、目の前にいるひと。まるで魔法を使ったみたいに、一晩でわたしの人生は幸せの色に塗りかえられた。
灰谷――。
それが今のわたしの名前。
「ごめんな、髪乾かしてあげられなくて。自分で乾かしたの?」
すでに乾いてサラサラになったわたしの髪を、蘭ちゃんは気持ち良さそうに触れてくる。お風呂あがりはいつも蘭ちゃんが髪を乾かしてくれるのが約束ごとになってるから、少しさみしそう。でも今夜は竜ちゃんが「特別だぞ」って言って乾かしてくれた。
「ううん。竜ちゃんにやってもらった」
「…は?」
正直に話したら蘭ちゃんの綺麗なくちびるの形が、ふきげんそうなものへ形を変えた。
寝転がっているわたしの顏の横に手をおいて、スネたような顔で見下ろしてくるから、何でなんだろうと首をかしげた。
「…竜胆にドライヤーしてもらったのかよ?」
「うん…だめだった…?」
何で蘭ちゃんがふきげんになったのか分からなくて、きょとんとしてしまう。
蘭ちゃんはわたしを見下ろしながら、すこし目を細めて口が何かを言いたそうに少しだけあいている。蘭ちゃんがこういう顔をするときは、あまりいい気分じゃないときだから、もしかしたら怒っているのかもしれないと思うと悲しくなった。
「ごめんなさい…怒らないで」
わたしに怒ってるんだと思ったから、すぐに"ごめんなさい"をした。これは京介おにいちゃんといた頃からのクセみたいなもので、目の前のひとが怒ってると、すぐこの言葉が口から出てきてしまう。でも蘭ちゃんは「謝るなよ」とちょっとビックリしたような顔をしてから、すぐにいつもの優しい笑顔を見せてくれた。
「怒ってねえし…ちょっとヤキモチ妬いただけー」
「……ヤキモチ?」
「そー。の髪を乾かすのはオレの役目なのに、が竜胆にやらせっからだよっ」
「…っゃぁー」
蘭ちゃんはそう言ってわたしの髪をぐしゃぐしゃっとらんぼうに撫でてきた。でもすぐに苦笑いを浮かべながら、わたしのくちびるにちゅっとキスをしてくる。いきなりキスをされて赤くなったわたしのホッペにも、蘭ちゃんは綺麗なくちびるを押しつけて「ん~」と言いながら長いキスをしてくれる。蘭ちゃんはわたしのホッペにキスするのが好きなんだって言ってた。ぷにぷにしてて気持ちがいいって言うけど、それって太ってると言いたいのかなって心配になる。ココちゃんは「太ってないよ」って言ってくれるけど、ココちゃんは優しいからわたしに気をつかってくれてるのかも。
「真っ赤になって…はマジで可愛いわ」
蘭ちゃんは上からわたしを見下ろしながらバイオレットサファイアのような綺麗な瞳を妖しく細めた。この瞳に見つめられると、わたしの胸がドキドキうるさくなって顔も体もぜんぶ熱くなってくる。
最初に蘭ちゃんと会ったときは、まだ"優しいおにいちゃん"にすがって甘えてるだけだった。
このおにいちゃんは怖いことをしない。痛いこともしてこない。それだけでわたしは十分だった。だからそばにおいてくれるなら、何でもしてあげたいって思った。男のひとが何をすれば喜んでくれるのかは、京介おにいちゃんに教わっていたから。
でも蘭ちゃんは他の男のひとがするようなことを、わたしに何もしてこなかった。かわりに優しくしてくれた。頭を撫でてくれた。
そんな蘭ちゃんから初めてキスをされたときは、わたしの胸の奥がぎゅーっと何かにつかまれたみたいに痛くなって、すごくドキドキした。このドキドキは何なんだろうって思ったけど、わたしにはよくわからなくて、でも嫌な気分じゃなくて、どっちかと言うと幸せであったかくなるようなドキドキだった。京介おにいちゃんにいつ殴られるか、いつベッドにつれこまれて気持ちわるいことをされるか怖くてドキドキしてたときと全然ちがう。
だから――それまで平気だったのに、蘭ちゃんに触れられることが急に恥ずかしくなった。
それは大人デートで、蘭ちゃんがわたしに初めて触れたときに分かった。蘭ちゃんは「怖い?」って聞いてくれたけど、わたしは全然怖くなくて、ただ蘭ちゃんに裸を見られるのがすごく恥ずかしかっただけ。暗闇にいたときは何をされてもひたすら我慢して早く終わるのを祈ってたから、恥ずかしいなんて気持ちはまったくなかった。なのにあの夜は蘭ちゃんに触れられたら急に恥ずかしくなって、見られたくないって思って、なのに触れられるたび勝手に身体はおかしくなっていった。蘭ちゃんがわたしに触れる手は他のひととちがって凄く優しい。だから恥ずかしくなってしまう。わたしはあのとき、初めて蘭ちゃんを好きなんだって気づいた。出会ったときからずっと好きだったけど、その"好き"じゃなくて、ドキドキをくれる男のひととして好きだって思ってしまった。結婚はお父さんとお母さんみたいになるっていうことだと思ってたけど、その本当の意味さえ、わたしは分かってなかったのかもしれない。
「の耳も真っ赤…」
「…んっ」
上から見下ろしていた蘭ちゃんは、だんだん男のひとの顏になって、わたしの耳たぶにちゅっと口付けた。そのあとで耳の中も舐められて、わたしの口から声がもれてしまう。慌てて口を手でおさえると、蘭ちゃんの手がすぐにその手をはずしていく。
「…我慢すんなって言ったろ。可愛いんだから聞かせろよ」
真っ赤になったわたしを見て、蘭ちゃんが困ったような顔で微笑む。でも自分の口からへんな声が出るのはやっぱり恥ずかしい。蘭ちゃんに触れられるたびに、あちこちがじくじくして体中があつくなっちゃうのも。だからまた口を手で隠したら、蘭ちゃんがわたしの手の甲にちゅっと口づけてきた。
「にちゅーしたいからどけていい?」
「……ぅ…」
蘭ちゃんの微笑みはどこまでも綺麗で、そして女のひとみたいな色気があると思う。そんな顔で微笑まれると、わたしの小さな抵抗は何の意味もなさなくなる。手をよければ、ゆっくりと蘭ちゃんのくちびるが、わたしのと重なった。その瞬間、くちびるから甘いピリピリとした感覚が広がっていく。自分のくちびるがこんなに敏感だなんて思わなかった。キスをするのが、こんなにも気持ちのいいものだと知らなかった。
最初は触れるだけのキスをくりかえして、はなれてはまた重なる。そのたびにドキドキが強くなって、おなかの奥がずくん、と熱くなっていく。蘭ちゃんのキスはだんだん、くちびるを食べるみたいに深くなって、離れるときはちゅっと可愛い音がなるから、また恥ずかしくなった。空気をもとめて自然にあいたくちびるのすき間から蘭ちゃんの熱い舌が入ってきて、またドキドキが強くなる。舌が食べられちゃうんじゃないかと思うくらいに絡みとられて、くちゅっとさせながら吸われると、おなかの疼きが大きくなった気がした。顏が熱くなって息もだんだん苦しくなって、くちびるが自由になったとたん、意味もなく蘭ちゃんの名前をよんでしまう。
「ら…んちゃ、ん」
「…ん?」
蘭ちゃんはわたしの首に口づけながら、かすれた声で応えてくれる。ときどき、吸いつかれてチクリとするけど、それさえもわたしには甘く感じるからふしぎな気持ちになった。
「…んん、く…くすぐったぃ…」
蘭ちゃんのくちびるがわたしの首にちゅっと音をたてるたび、くすぐったいような甘いしげきがくる。わたしが体をよじると、蘭ちゃんは満足そうな笑みをうかべて、また喉に吸いついた。いつの間にかパジャマのボタンがはずされていて、蘭ちゃんの大きな手が前をひらいていくと、空気に触れたびんかんな場所がすぐにツンと主張してしまう。そこへ蘭ちゃんのくちびるが下りていって口にふくまれると、ヌルリとした舌がからみついて強く吸われた。
「…ひゃぁ、んっ」
いきなり襲ってきた強い刺激に、わたしの体がビクンと跳ねた。びんかんなとこを優しくなめられると声がだんだん大きくなっちゃうから、やっぱり手で口をおさえる。 なのに蘭ちゃんの手で胸を触られてると、足の間がむずむずしてきて腰が少し動いてしまった。
「ここ…触って欲しい?」
蘭ちゃんはもう一度わたしのホッペにキスをしながら、手でゆっくり太ももを撫でていくと、下着の上でとめた。ドキっとして首を振ると、蘭ちゃんのくちびるが綺麗な弧をえがいている。
「嘘つきだなーは。モジモジしてるくせに」
「…し…してない…」
蘭ちゃんに指摘されてわたしは顔から火がでたかと思ったくらい熱くなった。体が勝手にほてっていくのが恥ずかしいのに、蘭ちゃんにそれがバレてるなんて、もっと恥ずかしい。むずむずと何かを主張してくる自分の体が、蘭ちゃんの前だとはしたなく思える。でも蘭ちゃんは眉をふにゃっと下げて、困ったような顔をした。
「じゃあオレが触りたいから触っていい?」
「…えっ」
「だめ?」
オデコをくっつけてくる蘭ちゃんの瞳は少し潤んでるようにゆらゆらしてて、どこか熱っぽい。こういうときの男のひとはえっちなことをしたいんだって何となくわかる。 昔の怖いことを思いだすより、今は蘭ちゃんになら触れてほしいと思うほうが強い。 わたしを丸ごと食べちゃうような蘭ちゃんのキスが好き。 柔らかくて気持ちよくて、心がみたされて、体もとけちゃうみたいに力がぬけてしまう。 だけど、そんな自分がどんどんはしたなくなるようで、嫌だなと思うようになった。
「だ…だめ…」
「…え、だめ?」
「……じゃない」
悲しそうな顔をする蘭ちゃんを見てると、胸の奥がぎゅうっと音をたてたから、ついそんなことを言ってしまった。蘭ちゃんは少し笑みをうかべて、またくちびるにキスをしてくれる。優しく触れたり、ちゅっとついばんだり、くちびるを舐めたり、蘭ちゃんのキスは甘くてちょっとえっちだから、わたしの体がまたおかしくなってきた。
「…んっぁ」
口のなかに蘭ちゃんの舌が入ってきたとき、優しくお腹を撫でていた手が下着のなかにすべりこんできた。蘭ちゃんの長い指が下着でかくれている部分に触れて、びくりと腰がはねる。またへんな声が出たけど、蘭ちゃんにくちびるを塞がれているから、くぐもった音になった。蘭ちゃんの指がゆっくりと体のなかへ入ってくるのがわかって、つい足を閉じようとしたら、蘭ちゃんの膝でひらかされる。
「…ん、ら…蘭…ちゃん」
「だーめ」
少しくちびるを離した蘭ちゃんが、耳元でささやくからぞくりとして首をすぼめた。蘭ちゃんはわたしの耳たぶに口づけたりしながら、ナカで指をゆっくり動かしはじめて、またそこからじんじんしたものが体中にひろがる。その全ての動作が優しくて、わたしは頭のなかまでとろけてしまいそうになった。
「…ひゃ…ぁ」
ゆるゆると動くなかの指がどこかに当たって、じゅわっと熱いものがあふれてくるのが自分でも分かった。こんなの初めてで、また胸がドキドキうるさくなってしまう。
「…ここ、気持ちいいんだ。すっげー濡れてきた…」
「…ゃ…あ…」
蘭ちゃんはますます熱っぽい瞳でわたしを見つめて、ナカのある部分を優しくとんとんするように動かしはじめた。
「や…ぁ…ら…んちゃ…んっ」
「ここ、されるの初めて?」
「…ん…ぅん…」
初めての刺激におどろきながら、何とかうなずくと、蘭ちゃんはなぜか嬉しそうな顔をして、わたしにちゅっとキスをした。その瞬間、ゆるゆる動いてた指が、だんだん速くなってナカのくすぐったい部分をついてくる。びくんっと体がゆれて、蘭ちゃんにつかれている場所から、じわりと体中に何かがひろがっていく気がした。
「…ぁっ…んぁあ…や…ゃあ、蘭ちゃ…ん」
「イキそう?じゃあこのままイっていいよ」
それがどういう意味なのかわかんないけど、初めての感覚で怖くなった。やだやだと頭をふっても、蘭ちゃんは指をいっそう速めて、なかの敏感な場所を刺激してくる。 指が動くたびぐちゅぐちゅとえっちな音が耳にとどくから、恥ずかしさで蘭ちゃんにしがみついた。 そのとき、指でつつかれてる場所がじわじわ熱くなっていく感じがして、突然そこからしびれるような波が全身にひろがった。
「…あっぁんぅ…」
声が出そうになった口を蘭ちゃんのくちびるに塞がれて、その声は口内へ飲み込まれた。 足の先までしびれたとき、一気に体中が熱くなって、そのあと気だるさが襲って来る。 わたしのくちびるをふさいでた蘭ちゃんのくちびるがゆっくりと離れて、最後はちゅっとついばまれると、なかから指が抜かれたのがわかった。 呼吸がみだれて苦しいのに、体に残るじんわりとした甘いしびれは、嫌なものじゃない。 何だったんだろうと思っていると、蘭ちゃんがわたしのホッペにキスをしてから笑みを浮かべた。
「、中でイったの初めてなんだな。そこに触ってわかったわ」
「…なか…」
「そう。まあ、わかんないならいーよ。オレがそういうの全部の身体に教えるから」
蘭ちゃんはそう言ってなぜか嬉しそうに微笑むと、またわたしのホッペにちゅーっと長いキスをしてきた。でもまだ体がだるくて動けないわたしの隣りに蘭ちゃんも寝転んだのを見て、今日もこのまま寝るんだと気づく。
「…蘭ちゃん…は?」
「ん?」
「…し…しないの…?」
蘭ちゃんはあの大人のデート以来、わたしに触れてはくるのに、それ以上は何もしてこない。それが少しさみしくなって訊いてみても蘭ちゃんは「オレはいいんだよ」としか言わなかった。 男のひとのそういうときみたいに体は反応してるはずなのに、わたしが触るとだめって言うのも、よくわからない。 わたしは蘭ちゃんが喜ぶことをしてあげたいって思うのに、何でだめなんだろう。
「そんなのいいって言ったろ。まだはオレのもんじゃねえし」
「…どういう…意味?」
「の全部にオレのクセがつくまでって意味」
「…蘭…ちゃんの?」
「はそういうの分からないでいいし、オレに全部任せとけばいいんだよ」
蘭ちゃんはそう言ってわたしの頭を抱きよせると、オデコにもちゅっとキスをしてくれた。よくわかんないけど、蘭ちゃんにまかせておけば大丈夫な気がして、素直にうなずく。 蘭ちゃんの大きな手がわたしの背中をぽんぽんと叩くから、気だるいのも手伝って、すぐに眠たくなってくる。
「イクとすーぐ眠くなんのな、は」
「……ん…蘭ちゃん…」
「んー?」
「……大…好き…」
蘭ちゃんの胸に顔をおしつけて、睡魔と戦いながらつぶやくと「オレもが大好きだわ」と言って頭にキスをしてくれた。ふんわりとした体温に包まれて、わたしはやっと心地いい眠りにつける。
この時のわたしは、幸せの色に溺れすぎてて、何もわかっていなかった。蘭ちゃんの住んでいるせかいのことも、まわりの環境も、何もわかっていなくて。
この数日後、まさか会えなくなる日がくるなんて、思いもしなかった。
|||
ドアの開く音で目が覚めた時、普段あまり入って来ない存在がオレの部屋にいた。
しかも半泣きで。
「…な…何だよ…。おどかすな…」
上半身だけ起こした途端、欠伸が出たが、同時にゴシゴシと目を擦る。それでもはまだドアのところに立ってるから、どうやら幻ではないようだ。
時計を見れば午前7時過ぎ。前は兄貴と寝坊の常習犯だったが、この時間でも起きるようになったのは勉強する為らしい。は覚えが早いとココが言ってたけど、そういう努力のたまものでもあるとオレは思ってる。
けど今朝のは様子がおかしい。そもそもオレの部屋に入って来るのも変だ。コイツは何か困ったことがあれば、まず兄貴を頼るからだ。
「竜ちゃん…」
「何だよ…何で半泣き?」
また何か焦がしたのかとベッドから下りると、はとんでもない言葉を吐いてきた。
「…血が…」
「…あ?」
「血が出たの……竜ちゃん、どうしよう…」
「は?おま…ケガしたのかっ?」
包丁で指でも切ったのかと慌てての両手を取って確認したが、一本いっぽん確かめてもケガどころか傷ひとつない。小さな形のいい爪に、可愛らしいコーラルピンクとバイオレットカラーのマニキュアが塗られているだけだ。 …ってかコレも兄貴が塗ってやったのか?と思うと、何故かイラっとしたが、この際それは置いといて。
じゃあ、どこから出血してるんだというようにの顔を見ると、は「あそこ…」とだけ呟いた。
「…あそこ?って…どこ?」
「だ…だから…」
はモジモジしたように俯き、視線だけを上げてオレを見つめて来る。何だ、そのあざとい顔は。ドキっとしたじゃねーか。しかしはあざと女子を狙ってやれるような狡賢い女じゃない。コイツはナチュラルにこれが出来るから、もっとタチが悪い。
「朝の勉強してたら…お腹痛くなって…」
「え、腹?」
「…うん。何か…凄く痛いの…だからトイレに行って…そしたら…」
「そ…そしたら?」
「終わって水流そうとしたら…トイレが真っ赤だったの…」
「……げ…」
は遂に泣き出して「わたし、何の病気…?」と訊いてきた。そんなことをオレに訊かれても!とは思ったが、出血したんだとしたら確かに心配になるだろう。
でも何で出血?え、もしかしてアレか?女子特有の…。でもそれなら本人が分かるよな?あーこんな時、女がいればの話を聞いてやれるんだろうけど――。
「兄貴は…?」
「…蘭ちゃんはまだ寝てる」
「そっか…仕方ねぇな…」
兄貴は一度寝るとなかなか起きない。起こしたらキレるし、どうしたもんかと思ったが、ふと頭に幼馴染の顏が浮かんだ。もうかれこれ半年は会ってないけど、アイツに相談するのもアリかもしれない。
「ちょっと待ってろ」
オレはすぐにケータイを開くと、幼馴染の名前を表示した。
田中アヤ――。
ガキの頃、近所に住んでたヤツでオレと兄貴の幼馴染だ。オレと同じ歳で今でも時々ご飯を食いに行ったりする程度の仲だった。あまりアイツに頼りたくはないが、この際背に腹は代えられない。
オレはアヤに電話をかけながら、ふと時計を見た。 午前7時半。この時間ならアイツは学校に行く時間だろう。 案の定、3コールほどで相手が出た。
『…何よ。竜胆…こんな早くに珍しい』
「わりぃ。ちょっと聞きたいことあって」
『聞きたいこと?何よ』
「いや実はさ――」
と言いかけて、オレは目の前のに目を向けた。 は未だ不安そうに涙を溜めてオレを見つめている。 そんなうるうるした目で男を見るなって兄貴のヤツ、教えてねーのか? って違う。そうじゃなくて。
アヤにのことをなんて説明しようか迷った。 そこは本当のことを言えばいいんだろうが、それも少し気まずい。
何故なら、このアヤはガキの頃からオレの兄貴にひたすら――惚れてるからだ。
『ちょーっと竜胆!早くしてよ。これからご飯食べて学校に行くとこなんだから』
「あ、ああ…いやえっと…実は、さ。今ウチに女がいるんだけど…」
『女ぁ?あ!また蘭くんに新しい女でも出来たわけ?!今度はどこのモデルよっ。ソイツの事務所に突撃してやるっ」
「……オマエ、そういうことすんなよ」
『はー?だって私の蘭くんに手ぇ出すとか、たかが顔とスタイルだけの女は許せないでしょー?』
「誰がオマエのだよ…。ってか、兄貴の彼女じゃねーし」
『あっそ。ならいいわ。で、何?』
彼女じゃなく奥さんだけど、と心の中で付け足して、
「その子が腹痛いってトイレ行ったら出血したらしいんだけど…やっぱアレってこと?」
『な、アンタ朝から何てこと聞いてくんのよ!デリカシーないわけ?!』
「いや、オレだって聞きたくねーんだよ!でも本人が原因分かんなくて泣いてるしよ…」
『自分でアノ日かどうかも分かんないよーなガキ、連れ込んでんの?竜胆!アンタ、いつからロリコンに――』
「い、いや、ちょっと待て。そうじゃねぇから!いーから結論だけ教えろ。どうしたらいいか分かんねーし」
アヤと話してるとだいたい話が脱線する。藁にも縋がる思いで尋ねると、アヤは「痔じゃないの」と言ってゲラゲラ笑っている。
コイツのこういう下品なところがオレは苦手だ。デリカシーがないのはどっちだっつーの。
「ふざけてねーで、ちゃんと――」
『ふざけてないけど、まあ…それはやっぱりアレなんじゃない?』
「もしアレならどうしてやればいいわけ?」
『そりゃーナプキンないなら買って来てあげたらいいし、お腹痛いんだっけ。なら鎮痛剤。あ、あと冷えないようにお腹周りと足を温めてあげなよ。冷やすと余計痛くなるから』
「ふんふん…。分かった。さんきゅー!助かったわ」
そう言って切ろうとした時、『ちょっと待て!』とアヤが叫んできた。
『で?その子は竜胆の彼女?』
「あ?ちげーし。別にいいだろ、そんなこと。友達だよ!じゃーな」
『あ、ちょっと竜胆――』
そこでサッサと電話を切ると、不安げな顔で待っているの方へ歩いて行った。
「、まだ腹痛い?」
「…うん…」
「じゃ…やっぱアレだ」
「…アレ?」
「だからその…せ…」
「…せ?」
「生理…だろ?」
口にした瞬間、顏が赤くなったのが分かった。 何でオレが寝起きの朝っぱらからこんなことを言わなくちゃならねーんだと思ったが、は本当に自分がソレだと気づいてないんだろうか。 はどこかきょとん、とした顔で首を傾げている。
「…せいりって…何?」
「…は?オマエ…嘘だろ…?」
「それ何の病気なの…?」
更に泣きそうな顔をするを見て余計に焦った。寝起きにこの話題はハードすぎる。
「いや病気じゃねぇから!えっと…何で知らねーんだよ、オマエは女なのに…」
と言った後で後悔した。 そうだ、の母親はコイツが小さな頃に亡くなってる。 しかもその後に京介に監禁されたなら、学校でも教わってないことになる。 あの京介がそういうことをに教えるわけねーし、もしが今日までアレになってなかったとしたら…。でもアレって普通何歳からくるもんなの?あーわかんねえ!
「と、とにかく!ウチにナプキンなんてもんはねーし、も持ってねーんだろ?」
「……なぷきん?」
「えーと…コレ!こんなヤツ」
ケータイで検索して画像を見せると、は眉間を寄せてジっと眺めていたが、すぐに首を振った。
「知らない…」
「マジか…。じゃあやっぱ買ってくるしかねぇな…」
オレはガックリと項垂れたが、とにかく今も出血してるなら大変だと、すぐにTシャツを着て上から厚手のニットを羽織る。
「――ってジロジロ見んなよっ」
気づけばがジっと着替えているオレの背中を見ている。 寝る時は上半身裸だからか、はタトゥーが気になったようだ。
「竜ちゃんの体にも蘭ちゃんと同じ絵が描いてるけど何の絵かなぁと思って」
「あーコレ、兄貴のとは半分ずつ同じ柄が入ってんの。ってか、そんな話はあとで教えてやっから、はお腹あったかくして待ってろ」
「…う、うん…ごめんね、竜ちゃん。寝てたのに…」
そこでが初めてシュンとしたように俯いた。 オレとしては兄貴ほど寝起きは悪くねぇから別に気にしてない。 でもが兄貴を起こす分には絶対怒らないと思うのに何でオレなんだ?
「ってか、何で兄貴を起こさなかったんだよ。なら怒られねーだろ?」
「だ…だって…」
「…だって?」
「蘭ちゃんに…血が出たって言うの恥ずかしいから……」
「……は?」
何気に頬を染めてモジモジしはじめたを見て、オレの目が一瞬で半分以下になった。
「なあ…それってオレになら恥ずかしくないって聞こえんだけど」
「…竜ちゃんに言うのは恥ずかしくない」
「…あ…そう」
「竜ちゃん…?何か顔、怖い……」
が怯えたような顔でオレを見上げて来るのを見て、更に目が細くなった。 そら、こんな顔にもなるだろ。 朝から起こされて泣かれて、わざわざ幼馴染の女に電話して恥ずいこと聞いて。 その上オレは男なのに今からコンビニでナプキンを手にしなくちゃいけねーんだから。
いっそ兄貴を起こして買いに行かせようかとも思ったが、はともかくオレは絶対シバかれる。 ここはグっと堪えて財布を手に部屋を出た。
「大人しく待っとけ」
「うん…竜ちゃん、ありがとう」
「……別にいいよ。これくらい」
玄関で靴を履いていると、後ろからそんな言葉が聞こえてきた。 腹も立つけど、がオレを頼ってくれたことは嫌なわけじゃない。 オレもたいがい単純だと自分で失笑した。 つい絆されてしまったことを後悔しつつ、コンビニでオレは人生で初めて女性用ナプキンというものを手にした。色んな種類があるから分かんねーし適当に何種類かカゴに放り込んだ。 コンビニであんなに恥ずかしい買い物をしたのは中学の頃に彼女が出来た時、念の為にと買ったコンドーム以来かもしれない。 いや、むしろコンドームの方が数百倍はマシだ。 店員のオバちゃん――オバちゃんでまだ良かった――からめちゃくちゃ変な目で見られた。 妹が、と言い訳すんのもおかしいから何も言えねーし、多分、オレの顏は真っ赤だったはずだ。
そしてオレが家に帰ったら何故か兄貴が起きていた。 まだから事情を聞いてなかったようで「何買って来たんだよ。オレのコーヒーあるー?」とオレの手からコンビニ袋を奪い中を見た瞬間、「……竜胆。オマエ、ついにコッチに走ったん?」と変態を見るような目で見られた。(殴りてえ)
頭に来て説明すると、今度は兄貴が青い顔をして慌てだし、の身体を気遣いだした。
まずはを着替えさせて、「腹痛いの?ああ、、足!あったかくしてなきゃダメだろ」と部屋まで走り、モコモコの靴下を持ってくるとに穿かせてやる始末。 そして更にモコモコのカーディガンを着せてソファに座らせると、温かいココアを作って飲ませてる。あまりの慌てっぷりにオレも唖然とするしかなかった。
あげく飲み終わった途端、ベッドで寝てろと抱き上げて運んであげてるんだから、どんだけ過保護なんだと言いたい。
「いや、兄貴…別に病気じゃねぇから」
「あ?初めてなんだからにしたら似たようなもんだろ。微熱あるし冷や汗まで出てる」
リビングに戻って来た兄貴は鎮痛剤を出してグラスに水を入れている。大方に飲ませてやるんだろう。
「でもアイツ、何で今頃?普通もっと早いもんじゃねーの」
「…個人差あるだろ?でもまあ…の場合、前の環境が環境だから…そういうのも影響あんじゃねーの…」
「ああ…ストレスとかで」
「まあ…これで身体も普通に近づいたんだって思えば安心かな」
「そうだな…」
「ってか、アヤに電話したの?オマエ」
「あーまあ。だっていきなり言われちゃオレも焦ったんだよ」
「でも…今度からのことで何かあったらアヤに相談すんのも手だな。やっぱ女同士の方がいいこともあんだろ」
兄貴がいきなりそんなことを言い出すから、オレはつい顔をしかめてしまった。これ以上、問題ごとを増やすのやめて欲しい。
「アヤにを任せられるかよ…。アイツ、が兄貴の嫁って知ったらイジメそーじゃん」
「そうかぁ?別にもうガキじゃねーんだし、しねえだろ。そんなこと」
兄貴は笑いながら言うと、薬と水を持ってのところへ戻って行った。ったく呑気だな、と思いつつ溜息しか出ない。
ずっと前、アヤに告られた時、兄貴は自分が何て言ったか覚えてないらしい。
"オレ、ガキに興味ねーの。色気のある年上の女が好きだし"
そう言いのけてアヤを軽く振った兄貴は、その後本当にそういう女と付き合いだして。
大荒れに荒れたアヤを慰めたのは結局オレだった。
兄貴はあれでアヤが自分のこと諦めたと思ってるけど、実はそうじゃない。アヤにのことがバレたら、また面倒なことが起きて、オレが後始末するはめになるのは目に見えてる。
「はあ…何でオレばっか、こんな役回り…?」
寝起きから大騒ぎで、疲れ果てたオレは、もう一度寝なおそうと重たい足を引きずって部屋へと戻った。

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