23-美しくて、恐ろしい
大都会東京。その中の三大副都心の一つに数えられる新宿はおよそ人口35万人。
本日、日本最大級の繁華街が広がるこの街に、六本木のカリスマ兄弟と呼ばれている灰谷蘭と灰谷竜胆の姿があった。
自分達の庭、六本木にいる時のカジュアルな服装ではなく、黒に赤い文字で"天竺"と刺繍された特攻服を身にまとっている。
彼らは自分達と真逆、赤い詰襟に黒い文字で天竺と刺繍の入った特攻服を着た男達を数名ほど引きつれていた。
「相変わらず雑多な街だな、新宿…」
蘭は久しぶりに降り立った新宿の街を見渡しながら溜息をつく。人が多いところは六本木もさほど変わらないが、圧倒的に町並みや人種の空気が違う。歩くサラリーマン達は余裕がないのか、動きが常に忙しなく、また裏社会の象徴ともいえる昔ながらのヤがつく男達は一目でそれと分かる。そして無駄に声をかけて風俗へ誘ってくる国籍不明の不良外国人は以前に比べて増えている。蘭は昔からこの雑多な街が苦手だった。
「はー。やっぱ好きになれねぇわ、この匂い」
「仕方ねぇじゃん。東卍の弐番隊がここに来てるって言うんだから。兄貴も気ぃ抜くなって」
「分かってるけどさぁ…何で新宿なわけ?アイツらの拠点、渋谷じゃん…」
蘭は不満そうにボヤきながら、多くの人が行きかうメイン通りを歩いて行く。竜胆や他の天竺メンバーも自然とそれに続くので、闊歩していたサラリーマンやOLたちがギョっとした顔で振り返っている。
「サッサと終わらせて早く帰んぞー」
「そーだな。つーか、どこにいんだよ。東卍…」
蘭と竜胆が先頭を歩きつつ、それらしい恰好の男たちを探してはみるものの、今のところ一般人しか見当たらない。
特攻服の集団が闊歩していることで、一般人たちも怯えたように道を空けて行く。その光景はモーゼの十戎さながらで、見事なまでに道が出来るさまは圧巻だった。
「蘭さん、何か機嫌悪いっスね。何かあったんスか?」
天竺メンバーのひとりが竜胆にコッソリ話しかけてくる。今日は全員イザナから収集され、東卍潰しの為に張り切って集まったものの、この男が率いる兵隊は四天王である灰谷蘭と行動しろと言われていた。しかし合流した時から蘭の機嫌は非常に悪く、着いて来た兵隊も先ほどからビクビクと怯えた様子だ。
「あ~いや…家でちょっとな。ま、仕事はキッチリやると思うから気にすんな」
竜胆は苦笑交じりで男に応えると、周りを威嚇しながら道を空けさせている蘭へ視線を向けた。
(こりゃ早く終わらせねえと、兄貴のイライラも限界にきちまうか…)
一昨日、遂にイザナから今回の抗争"関東事変"について詳しい話を聞かされた二人。
イザナに天竺へ呼ばれてからは神奈川のチーム潰しなどに何度か呼ばれていたが、今回のような大きな抗争は久しぶりだった。当然、退屈していた竜胆は喜んだが、蘭は前とは違いあまり気乗りはしていないようだ。
その大きな理由として、蘭が今、最も大切にしている存在がある。何事もなければまだ良かったのだが、最悪なことに一昨日、の体調が悪くなったことで蘭は東卍などサッサと蹴散らして早く帰りたいというのが本音だった。
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5時間前――。
冬の朝は寒い。日中は太陽にさんさんと照らされて温められていた空気も、太陽が沈めば瞬く間に冷やされて行く。一晩中寒気に冷やされ続けた空気は、早朝ともなるとピンと張りつめるほどに冷たい。それは部屋の中でも同じだった。
しかしだけは例外だった。むしろ暑くて目が覚めた。目を開けた途端、自分が誰かの体温に包まれていることに気づく。
それが大好きな蘭であることは確かめなくても分かっている。は顔を蘭の胸に押し付けて寝ていたので、かすかに香水のいい匂いがするからだ。
ついでに長い腕がしっかりとの身体に巻き付いていた。いつもの状態と言えばそうなのだが、今朝は少しだけ事情が違う。
一昨日は女の子の誰もが避けては通れない独特の腹痛に襲われたからだ。そのせいで体温は上がり、変な寒気にまで襲われた彼女に、蘭がこれでもかと暖かい服装をさせた。特に腰回りと足は冷えないようにと、モコモコアイテムでの完全防備。おかげで寒気と腹痛は少し和らいできたものの、今朝は少々暑さを感じて目が覚めたのだ。
それに加え、蘭が抱きしめるようにして寝ているので、は全ての"暖"を独り占め状態だった。
「…暑い」
夕べは微熱があり寒気が酷かったのだが、多少下がったようだ。今はぐっしょりと汗をかいていて、それは風邪を引いて熱が出た時と同じ。
それが不快で着替えたいと思ったものの、鈍痛は未だにの下腹部に居座り、不快な感覚を与え続けている。鎮痛剤を飲めば楽になるのだが、それが切れるとまたジクジクと痛みだすのでたまらない。おかげで昨日は九井が来てくれたものの、勉強はできずじまいだった。
蘭が事情を話したので九井も――顔は地味に赤かったが――「オレのことはいいから体を休めて」と言ってくれたようだ。今日は九井が蘭や竜胆と用があって出かけるということなので、はひとりで勉強しようと思っていたのだが、この分だと無理そうだと思った。とにかく座っているだけで痛いのだから、痛みが落ち着くまで大人しく休んでいるしかない。
「…ん…?起きたのか…?」
がモゾモゾと動いたことで、蘭がふと目を覚ました。いつもなら多少のことでは起きない蘭も、の体調が心配で気を張っていたようだ。
「蘭ちゃん…ごめんね。起こしちゃった?」
「いいって。お腹は?まだ痛ぇの?」
「…うん、少し」
「そっか…。ああ、痛み止め…つっても空腹じゃ飲ませるわけにいかねぇな」
蘭は目を擦りつつ起き上がると、の額に手を当てた。まだ火照っていることと汗をかいているのを確認すると「ちょっと待ってろ」とベッドから抜け出し、の着替えなどを出す。
「これで身体を拭いて、こっちの新しいのに着替えとけ。オレは軽めのスープ作ってくっから」
「え…いいの?」
「当たり前だろ。とにかく何か腹に入れないと薬も飲めねえじゃん」
蘭は苦笑しながらしゃがむと、の頬にちゅっとキスを落とす。竜胆がこの場にいれば「病気じゃねえのに過保護すぎ!」と突っ込んできたかもしれない。
の唇にも軽くキスをすると、蘭は寝起きとは思えないほどの軽やかさでキッチンへと向かった。
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「あれ…兄貴?」
この日、竜胆は普段より少し早めに目が覚め、リビングに向かった。そこに普段ならまだ寝ているはずの蘭がいたことでギョっとしたように立ち止まる。
「おー、竜胆」
「…ってか兄貴何で起きてんの?こんな時間に。まだ約束の時間には早いだろ」
蘭はソファに座り、眠そうな顔で欠伸を噛み殺している。
「朝方、目ぇ覚めた。んで着替えさせたり、薬飲ましたりしてたら寝れなくなった。食事代わりにスープも作ってたし」
「……は?兄貴が…?」
「何だよ。文句あんのー?」
「い、いや、文句はねぇけど…」
文句はないが驚いた。あの蘭が睡眠を削ってまでの看病――病気じゃないのに――までするなんて今日は雪でも降るかもしれない。
通りで朝から寒いはずだ――!
なんて思っていることなど、おくびにも出さず、竜胆はキッチンへと向かった。
「うわ、マジでスープ作ってるし…しかも美味そう…」
IHコンロに乗せられたstaubのピコココットの中には細かい野菜が入ったスープが残っていて、ほんのりいい匂いをさせている。
これを蘭がの為に作ったのかと思うと、竜胆は本気で今日は大雪警報が出そうだと失礼なことを考えた。蘭はよほど気が向いた時じゃなければ料理をしない。
竜胆の中で記憶にあるのは、自分が熱を出して寝込んだ時、そしてがこの家に来た当時、軽食を作ってやってたくらいだ。
普段しないわりに、蘭は料理が美味い。器用だからというのもあるが、作るからには食材を無駄にせず上手く使用し、かつ綺麗に作る。
そして味は文句のつけどころがないほど美味しいのだから、我が兄貴ながら本当に万能だなと、竜胆は思う。
二人で住んでた時はその才能も年に一回見られるかどうかだったのに、が来てからの蘭は軽食とはいえ、二回も料理をしているのだから驚く。
「で…は?」
「薬飲ませたら眠くなったみたいで、また寝てる」
「そっか…。まあ…あったかくして寝てりゃそのうち痛みも取れるんじゃね?」
「…まあな」
蘭は頷きながら、それでもどこか心配そうだ。
「つか病気じゃないから大丈夫だって」
「分かってるよ…。でも今日はあの状態のを置いて出かけなきゃなんねーだろ。ひとりにすんのは心配だし」
唯一懐いている九井も当然今日は東卍潰しに参加するので来れない。二人が出かけてる間、がひとりでいられるかどうかが蘭は心配なのだ。監禁され、放置されたこともある彼女は、それがトラウマでひとりでいるのを極端に怖がるところがある。
「まあ、今日は奇襲作戦だけだし、そこで隊長クラスだけでも潰しておけば後々楽になるからな」
「竜胆、オマエひとりで行けば…?」
「…は?」
「兄貴は腹痛で来れませんって言っとけよ」
「………無理に決まってんだろ」
「あ、やっぱり」
どこまで本気なのか、蘭は笑いながらも溜息をついている。
(こりゃ今日サッサと終わらせないと、兄貴の機嫌が悪くなりそうだな…)
蘭の様子を見て竜胆は深い溜息をつくと、蘭の作ったスープを温めるのにIHの電源を入れた。
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出かける時間が近づき、蘭は軽くシャワーを浴びて乾かした髪はいつもどおり三つ編みにまとめると、特注で作った天竺の特攻服を身に着けた。やはり久しぶりに袖を通すと気持ちが引き締まる感じがする。これで全て安心した状態で出かけられるのなら、蘭もこの抗争をそれなりに楽しめたかもしれない。
でも今は自分達だけの話では済まないのだ。前のように相手をとことん叩き潰すことだけを考えていればいいというわけにもいかない。
ふとベッドの方へ視線を向ければ、は未だグッスリと眠っている。さっきも一度目を覚ましたが、まだ腹痛があるのと後はやたらと眠くて怠いと言っていた。
このまま帰ってくるまで眠っていてくれたらとも思うが、そうもいかないだろうな、と蘭は苦笑いを浮かべた。
起こさないよう、はみ出していた手を布団の中へ入れる際、細い指先に軽く口付ける。
「行ってきます」
最後にそっと頭を撫でて、蘭は静かに部屋を出た。そこへ竜胆も特攻服に着替え部屋から出て来る。
「兄貴、用意出来た?」
「…まぁな」
「何だよ…浮かない顔して。そんなにが心配か?大丈夫だろ。前にアリサのことがあってからは散々ひとりで家を出るなって言ってあるし、具合も悪いんだし」
「そりゃそうなんだけど」
「一応、出かけるって話したんだろ?」
「ああ。は寝てるから大丈夫だって」
「なら大丈夫だろ。ガキじゃねーんだし…って、まあは中身がガキ――」
と言いかけ、竜胆は言葉を切った。蘭にジロリと睨まれたからだ。
「とりあえず今日は奇襲で隊長格を潰すだけだし、そんな遅くなんねーよ。後は鶴蝶が上手く引き付けんだろ」
「ああ」
と蘭が返事をした時だった。突然インターフォンが鳴り、蘭と竜胆は互いに顔を見合わせた。
「誰だよ、こんな時に…」
仕方ないので竜胆がモニター前に立つ。そして「げっ!」という声を上げた。
「誰だよ?」
「兄貴…ヤバい…」
「あ?」
青い顔で竜胆が振り向いたのを見て、蘭もモニター前まで歩いて行く。画面に映っているのは一昨日、竜胆が電話をしたという幼馴染のアヤだった。
「アヤ?」
「やべえ…この前のオレの電話で怪しんで確認に来たのかも…」
「確認?何の」
「だから本当に家にいる女が兄貴の恋人じゃないかどーかだよ…」
「は?何で」
「何でって…兄貴はすっかり終わったもんだと思ってっかもしんねーけど、アヤのヤツ、普通に今も兄貴に惚れてっから」
「………っマジ?」
竜胆の説明に、さすがの蘭も顔をしかめる。数年前に振ったことなどすっかり忘れていたのだ。
「でもあれ以来、アヤは全然フツーだったけど」
「いや、それはだから幼馴染って関係まで壊れちゃ嫌だからだろ?少しは分かれよ、女心」
「は?竜胆に言われたくねーわ。それにオレはの気持ちだけ分かってればいーし」
「何だそれ…ってかどーする?アヤ、しつこいんだけど…」
こうして兄弟が話している間もインターフォンは鳴りやまず、竜胆は青い顔で蘭を見る。蘭も蘭で、あまりしつこく鳴らされるとが起きちまうじゃねーか!と明らかにイライラしていた。
「あーいっそ、アヤにのこと見ててもらうわ」
「は?だからそれダメなやつ!」
「言わなきゃいいだろ、結婚したことは」
「いや、でもがもし目を覚ました時に、兄貴との関係聞かれたら?アイツ、言っちゃうだろ」
「なら…別にバレても良くね?」
蘭は明らかに面倒そうに目を細めて溜息をついた。
(あ…兄貴もう"ウゼぇ、ダリィ、面倒くせえ"って思ってるな…)
蘭の表情を見て全てを察した竜胆は、大きな溜息と共にガックリと項垂れた。兄の女絡みでとばっちりが来るのはいつも竜胆なのだから仕方がない。
「あーあと来年が通う学校、アヤの学校だから今更隠したっていつかバレるって」
「はあ?マジで?」
「ここから近いし、知り合いいた方が安心だからそこに決めたんだよ」
蘭は苦笑しながらインタフォーンに出ると「今、開けるわー」と声をかけ、エントランスのオートロックを解除した。それを見ていた竜胆はもう何も言えず、ただ今からやってくる幼馴染への対処法を悩む。
一発目、のことをどう説明するか考えるだけでも憂鬱だ。
「あ、兄貴…あと指輪がやべえ」
「あ、やべ。外しとかねーと」
蘭は結婚指輪を一度外し、玄関に置いてあるアクセサリーボックスへと隠しておいた。抗争中になくしても困る。
その数分後、勢いよくドアが開き、幼馴染のアヤが顔を覗かせる。竜胆が半年前に会った時とは髪の色が変わっていて、今のアヤは金髪になっていた。
灰谷兄弟の幼馴染らしく、アヤもまた少々ヤンチャなのは相変わらずだ。
「蘭くん!久しぶりー!」
アヤは蘭を見るなり嬉しそうに抱きついて「うわ、しかも特攻服じゃん!これが前に言ってた天竺ってチームの?」と大はしゃぎだ。
その姿に竜胆は内心オレは無視かよ、と密かに目を細める。まあアヤが蘭しか見てないのは昔からだ。
「あーアヤ。来て早々わりいんだけど…オマエに頼みあんだわ」
「え、なになに?蘭くんの頼みなら何でも聞くよ?」
ニコニコと嬉しそうな笑顔を見せるアヤに、竜胆だけはこの笑顔がいつ豹変するかとビクビクしていた。
「今、オレの部屋に具合悪いつって女の子が寝てんだけどさ」
「…え、女…?それって……蘭くんの何?恋人?」
蘭の部屋に女、と聞いてアヤの目が鋭く光る。しかしそんなアヤの表情に蘭は気づかない。
「いや、恋人じゃなくて奥――」
「あぁ!!!兄貴!そろそろ時間だって!」
「あ?やべ…」
蘭が言いかけた言葉を打ち消すように竜胆が叫ぶと、蘭も時計を見て顔をしかめた。約束の時間まであと一時間もない。
「今から渋谷行くんだよ。んで、オレらが帰って来るまで、オマエここにいてくんねえ?」
「それは…いいけど…。で、その女って?さっき奥…とか言って――」
「あ、預かってんだよ、兄貴が!その…天竺の仲間の奥くんの妹でさ!ソイツ、ヘマやらかして捕まったから出てくるまでの間、オレらが面倒見なくちゃなんなくて…」
「………(奥くんって誰だよ、竜胆)」
咄嗟に話をでっちあげる竜胆に蘭は思い切り顔をしかめていたが、アヤは「あーそうなんだ。電話で話してた子よね」と、どうにか信じてくれたようだ。
竜胆は「そうそう」と言いながら、蘭に目くばせすると「そういうことだから頼むよ」と引きつりながらも笑顔を見せる。とりあえずこの場を誤魔化せれば何とかなると思っているらしい。
「つーか…アヤは何しに来たわけ?」
「え?だ、だから…竜胆の態度が怪しかったし…気になったから様子見に来たって言うか…」
「な、何も怪しくなかったろ?(やっぱり…)」
「まあ仲間の妹なら仕方ないか…。蘭くんのベッドってのが気に入らないけど…具合悪いんじゃね」
「そ、そう。だから絶対起こすなよ?兄貴の部屋にも入るな」
「失礼だなー。いくら何でも勝手には入らないよ」
アヤはムっとしたように口を尖らせたが、竜胆は内心ホっと胸を撫でおろす。何でオレがこんなに気を揉まないといけねーんだとは思ったが、のことを考えると、やはりここは嘘で通すしかない。後はがアヤと接触して余計なことを言わなければ大丈夫のはずだ。
「あーじゃあ頼むな、アヤ」
「うん!任せて、蘭くん」
「おー。んじゃ行くぞ、竜胆」
「…おぉ」
当事者の蘭はシレっとしているが、竜胆はすでに心身ともに疲れ果てていた。こんなんで東卍の隊長格をボコれるのか心配だと、ふと思う。
かくして、灰谷兄弟は自分達の幼馴染にを任せ、最初の目的地である渋谷へと向かう。
その途中、ケータイに東卍の弐番隊が新宿にいると連絡が入り、急遽行き先を変えることになった。
そして現在――
「なあ、どこにいんだよ、その弐番隊の隊長って」
一向に敵に出くわさず、蘭は溜息交じりで立ち止まった。いそうな辺りを回って来たが、それらしいヤツはどこにもいない。
この新宿には他の四天王も集まっていると聞いていた蘭は、東卍じゃなく天竺の特攻服を探すことにした。
だが、その時、ちょうど蘭のケータイにメールが届く。
「あーアヤのヤツ、映画観て時間潰してるってよ。はまだ寝てるらしい」
「マジ?良かった…」
「って何で竜胆がそんな気にしてるわけ?さっきも変な嘘ついてたし」
「それは…の為だろ?アヤが何すっかわかんねーんだよ、オレだって」
呑気な蘭の態度に竜胆もムっとする。アヤは悪い人間というわけじゃないが、やはり不良娘らしく性格が少々キツい。蘭にはいい顔しか見せないが、裏では結構豹変したりするのを竜胆は知っていた。
もし自分よりも年下のが蘭と結婚したと知れば、何をするか分からない。
その時――竜胆の視界に赤い特攻服が入って足を止めた。
「あん?あれ…モッチーじゃね?兄貴」
「あ?マジ?」
竜胆が指す方向に視線を向けた蘭は、赤い特攻服に身を包んだ巨体の男と天竺の兵隊がひとりの男を囲んでいることに気づく。
「へぇ…先に見つけたのか、モッチーのヤツ」
「どーする?兄貴。割り込む?」
「当然」
ニヤリと笑う蘭に、竜胆も頷き、後ろに控えている兵隊にも目で合図をした。竜胆はそのまま四天王のひとり、望月の方へ歩いて行く。
望月は苦戦してるのか、口の端から血を流している。よく見れば望月の相手は東卍の弐番隊隊長、三ツ谷だった。
「ありゃ、三ツ谷だ…。通りでモッチーが苦戦するはずだ」
「…誰が相手でも関係ねえよ」
蘭はそう言いながら何かを見つけたのか、道端に落ちていたものを拾い上げる。竜胆はそのまま歩いて行くと三ツ谷の背後から声をかけた。
「オイ、モッチー。何、ひとりで楽しんでんだぁ?」
「――っ?」
三ツ谷が弾かれたように竜胆の方へ振り向く。三ツ谷は竜胆のことを知っているのか、驚愕の表情を浮かべて固まった。
その三ツ谷の背後に音もなく近づいたのは蘭だった。手にしていたブロックを三ツ谷の後頭部へ思い切り振り上げる。三ツ谷が気づいた時には遅かった。ガコンっという鈍い音が響き、声もなく三ツ谷が崩れ落ちる。
「三ツ谷とーり!卑怯だけど許せ」
にこやかな表情を浮かべながら蘭はビールケースに足を乗せて得意げに笑う。それを見て血管を浮き上がらせたのは、それまで三ツ谷とやりあっていた望月だった。
「テメェら横からしゃしゃってきて、人の獲物取ってんじゃねーぞ、コラ!!」
「兄ちゃんはいつもいいとこ取りだよ。ポーズ取るのも嫌い」
結果、囮的な役回りになった竜胆が不満げにボヤく。しかし蘭は二人からの苦情を気にする風でもなく、笑顔で振り向くと「誰がやったとか、どうでもよくね?」と言いのけた。
「東卍はそんな甘い考えで潰せるチームじゃねぇよ。今まだ油断してっから速攻が大事」
これは蘭の本音でもあった。
去年のハロウィン、芭流覇羅 VS 東卍の抗争を見学しに行った際、蘭が見せつけられたのは人数不利を物ともしない東卍の個と絆の強さだ。
途中で総長のマイキーが意識を失い、その身体は拘束され、誰もがマイキーの負けだと確信した時も、"無敵のマイキー"はたった一蹴りで戦況を変えた。
最後ですら、マイキーの一撃で抗争にケリがついたのを見た時、蘭は厄介なチームだと感じた。今の天竺も人数だけなら圧倒的に有利。だが蘭は少し嫌な予感がしていた。
それは稀咲と半間がイザナに近づいた時から、静かに忍び寄って来るような、どす黒くも歪んだ、悪意――。
「今日中に終わらせんぞ!」
道に倒れた三ツ谷が立てないと確認した蘭は手にしていたブロックを後ろへ頬り投げると、そのまま兵隊に声をかけて歩き出す。そんな兄の後をついて行きながら、竜胆は「…すぐ仕切る」と呆れたように肩を竦めた。
「うるせぇな。オレは早く終わらせてソッコーでのとこに帰りたいんだよ」
「…はいはい」
少し前の蘭なら絶対に口にしなかったであろう台詞に、竜胆は更に溜息交じりで苦笑いを零す。そんな弟の呆れ顔を睥睨しつつ、蘭は胸騒ぎを振り切るように次の獲物を探した。
(何も起こらなきゃいいけど…な…)
この時はまだ、古い友人が命を落とすことになるとは、蘭も思っていない。
そして自らも、のそばにいられなくなるという現実がすぐそこまで来ていることに、気づいていなかった。

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