おねだり①
一年で最も寒い2月がやってきた。この日の気温は氷点下。暖房をマックスにしても暖かい空気は上へ上へとたまるので、足元はどうしたって冷えてくる。
盛大なクシャミを連発していた竜胆を見て、「竜胆、風邪か?」と蘭は苦笑いを浮かべた。
「いや…寒くね?何かゾクゾクすんだけど…」
「寒いわけねぇだろ。暖房ついてんのに」
「足元は寒いって…」
リビングのソファに座っていた竜胆は軽く冷えた足を擦りながら、毎年恒例となってきたお願い事を今年もチャレンジしてみようと、向かいのソファでと寛いでいる蘭に声をかけた。
「兄ちゃん」
「あ?」
「ウチもそろそろコタツ買おうぜ」
「まーだ言ってンの?竜胆…。このリビングにコタツなんてもん合わねぇって何回言やぁ気が済むんだよ」
やはりだ、と竜胆は頭を項垂れる。寒くなるたび同じことを頼んでは、同じ理由で断られる。今回で通算45回目の玉砕だった。
いや蘭の言い分も分かる。確かにこのお洒落空間にコタツという存在はミスマッチだと思う。コタツにするということは今、みんなで座って寛いでいる高級ソファが浮くだろうなと竜胆でも思っていた。しかし、やはりいくら高級ソファでも足元は暖めてくれない。
「兄貴はいいよなぁ…天然湯たんぽ抱っこしてんだから…」
目の前の光景を見ながら、竜胆が恨めしそうにボヤく。蘭は自分の足の間にを座らせ、後ろから抱えるように座っている為、互いの体温でそれほど寒くは感じてないようだ。その上には厚着をさせ、足元はふわもこソックスを履かせている。当然も寒さを感じてないだろう。なら竜胆もふわもこソックスを履けばいいのでは、と思われそうだが、竜胆は夏でも冬でも変わらず、家の中は素足で過ごしたい方だった。足元を靴下とかいう窮屈なもんで覆いたくないのだ。
となると足元の暖を取る方法はひとつしかない。なのに先ほどの理由で蘭には却下され続けていた。
(はあ…今年もダメか…)
ダメ元で毎年チャレンジしてみるものの、相も変わらず同じ答えが返って来たことで竜胆は盛大な溜息をつく。すると、その会話を聞いていたが不思議そうな顔で、後ろの蘭を仰ぎ見た。
「蘭ちゃん、コタツってなに?」
「んー?コタツってのは足を入れるとポカポカして睡魔が襲ってくる怖~いテーブル」
「えっ怖いの…?」
素直なは蘭の説明に怯えながら首を窄めている。お化けか何かと勘違いしてるらしい。竜胆は半目になりながらも"怖くねーよ"と心の中で突っ込んだ。
「も勉強しながら寝ちゃうかもなぁ」
「え、それじゃ勉強出来なくなっちゃうね…」
「だろぉ?だからいらないよなァ?は」
「うーん…でもポカポカするのは気になる」
「マジ?まあ…コタツでとヌクヌクすんのもちょっと引かれるけど…」
蘭が苦笑交じりでそんなことを言っている。竜胆はその兄夫婦のやり取りを見て、なるほど!その手があったか、とあることを思いついた。
(そうだ…兄貴をその気にさせる方法…)
何でそこに気づかなかったんだ、と思いつつ、今年こそこの作戦で我が家にもコタツを導入することが出来るかもしれない、と内心ニヤリとしていた。
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次の日、蘭は裏仕事で取引をしている相手と新年会もかねた飲み会の約束があった。しかし一緒に行くはずの竜胆はやはり風邪を引いてたらしく、体調が悪いから残ると言いだした。
「マジか…まあ熱あんなら先方に移してもやべぇしな…」
「だろ…?だからオレは大人しく寝てるし宜しく言っておいて。ああ、の面倒はオレが見てるしアヤには断っていいから」
「あーそっか。アイツも友達と遊びに行くかもつってたし無理に呼んだら後で何を請求されるか分かんねえもんなー。この前はドルガバのピアス強請られたし」
「そうそう。だから断れよ」
「んじゃーなるべく早く帰るけど…のこと頼むぞ。夕飯はこれで大将んとこの寿司でもとってやって」
蘭は財布から諭吉を五枚ほど抜いて竜胆に差し出した。その気前の良さに、言われなくても"特上取れよ"という圧を感じる。大将、とは二人が行きつけの高級すし店のオーナー兼寿司職人だ。ランチで一万円が普通の店で、当然出前なんかはやってない。だが灰谷兄弟は昔から通っていたこと、あとは家が近いこともあり、注文すると特別に弟子がマンションまで寿司を届けてくれることになっている。
「また甘やかして…飯なんか何でもいーだろ」
「ハァ?じゃあオマエはオレのにカップ麺でも食わせる気か?竜胆、飯なんか作れねーだろ」
コートを羽織りつつ玄関へ向かっていた蘭が恐ろしい形相で振り返り、竜胆も「う…」と一瞬怯む。蘭は何が何でも可愛いに美味しいご飯を食べさせたいらしい。
「そりゃ…作れねぇけどさ…」
と言いつつ後ろにいるを見ると、何を思ったのか「竜ちゃん、具合悪いなら私がお粥作ってあげる」と言い出した。
が料理をする?それだけは…竜胆もごめん被りたかった。
「おし!、今夜は特上寿司な!」
に単独で料理をさせるくらいなら甘やかそうが何だろうが、蘭の望むように寿司をとる。それほどがキッチンに立つのは竜胆にとって未だにトラウマだった。蘭にもその気持ちが伝わったのか、軽く吹き出している。
「じゃあ頼むな、竜胆。ああ、風呂上りはすぐ髪だけ乾かしてやって。オレがいないと、そのままアイス食おうとすっから」
「お、おう…。まあ、それくらいなら…」
また風邪を引かれても大変だと、その甘やかしは素直に承諾する。
「わりぃな、オマエも熱出して具合悪いのに。薬とか色々この前に飲ませたのはオレの部屋にあっから、竜胆も飲んどけよ」
「兄ちゃん…」
兄に思いがけないほど優しい言葉をかけられ、胸熱になる竜胆。しかし蘭はすぐに見送りに追いかけて来たをぎゅっと抱きしめながら、頬にキスをしてデレている。秒で終わった兄弟愛だった。
「じゃあ、行ってくるけどは竜胆のいうことちゃんと聞いてな」
「うん。蘭ちゃん、早く帰って来てね」
「なるべく早く帰る」
蘭はの唇にちゅっとキスを落としたあと、もう一度ぎゅーっと抱きしめてから、ご満悦な様子で出かけて行った。
今生の別れじゃあるまいし、と相変わらずの光景を呆れつつ見ていたが、しかしそれは竜胆の思惑通りだった。
「」
未だに蘭を見送っているを、竜胆は呼んだ。は蘭がエレベーターに乗り込むとこまで見送ったのか、竜胆に呼ばれてすぐに家の中へ戻って来る。
「なに、竜ちゃん」
「実は…さ。オマエに頼みがあんだよ」
「頼み…?なぁに?」
これまで竜胆からに何かをお願いしたことはない。は不思議そうに首を傾げた。普段の倍、愛想のいい笑顔を見せる竜胆に、さすがのもおかしいと感じたようだ。
「ああ、その前にの好きなココア、作ってやるよ」
「ほんと?竜ちゃん、作れるの?」
「ココアくらいならオレでもできる。兄貴がに作ってやってるの何度も見てっから」
「生クリーム入れてね」
「はいはい。じゃあさみーからリビングで話そうぜ」
「うん」
竜胆は素直にくっついて来るを見て、ニヤリと黒い笑みを浮かべた。
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「これがコタツ?暖かそう…」
「だろ?めちゃくちゃ暖かくて出たくなくなるんだよ」
の好きな生クリーを乗せたココアを飲ませながら、竜胆は自分のノートパソコンでコタツを検索し、見たことがないというにコタツの画像を見せていた。そしていかに自分がコタツを欲しいかを切々と訴える。
「竜ちゃん、そんなにこのコタツが欲しいの?」
「マジで欲しい!でも兄貴に毎回断られんだよ…」
「そうなの?何で?」
「兄貴はただリビングの雰囲気にコタツっつー庶民感が合わねえってだけで反対してんの。でも昨日と一緒にヌクヌクすんのも引かれるって言ってたろ?」
「うん」
「オレがに頼みたいのはそこ!」
「そこ?どこ?」
竜胆の熱弁にも大きな目をくりくりさせて辺りを見渡す。その天然さにガクッと竜胆の左肩が下がったが、ツッコミたいのを堪えて、自分の中では最高級の笑顔をに見せた。
「何も特別なことはしなくていい。いつものようには兄貴に甘えたおすだけでいいの。分かる?」
「う、うん…」
いつになく真剣な竜胆の様子を見て、もソファの上に正座をしながら真剣に聞く。その姿が可愛らしく、つい顔がニヤケる竜胆だったが、いかんいかんと頭を振る。自分がデレていてはダメなのだ。この場合、兄をデレさせるのが目的なのだから。
「いいか?…良く聞け」
「うん」
「今夜、兄貴が帰って来たらまず、いつものように甘えたおせ」
「え、甘えるだけでいいの…?」
そこはいつもやってることであり、は不思議そうに首を傾げる。しかし普段と同じなら心許ない。そこはガッツリといって欲しい竜胆は「いつも以上に甘えろ」と付け足した。
「いつも以上…?
「そうだ。んで寝る時にちゅーでも何でもして兄貴をその気にさせて、兄貴がオマエに手を出して来たらなるべく焦らして、兄貴の限界がきたら…そこで必殺のおねだり開始だ!」
もしこの場に蘭がいたなら「初心なになんつーこと教えてんだ!」と発狂していたに違いない。しかしはよく分かっていないので、竜胆の言うことを真剣に聞いていた。
「お、おねだり…」
「そう…兄貴がエロい顔で迫ってきたら、は"蘭ちゃん…私、コタツ欲しい"――って言うだけいい」
「えっ!それだけでいいの?」
「そこが大事なんだよ。どうせ兄貴は酔っ払って帰ってくるだろうから、かなり効果はあるはずだ」
竜胆は真剣な顔で頷いた。そう、竜胆は考えたのだ。自分が強請ってもダメなら、蘭が心底溺愛している奥さんに頼めばいい。先日の蘭の態度を見ていて、竜胆の出した結論がそれだった。
「頼む、。兄貴をその気にさせてコタツをおねだりしてくれ。今回のオマエのミッションはそれだ」
「うん…わたしの…み…」
真剣に竜胆の話に耳を傾けていた。むむっと眉間にしわが寄り、唇が少しずつ尖ってくる。
「…みっ…しょん……って、何?」
竜胆が今日一ずっこけた瞬間だった。

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