おねだり②



「ほら、出来たぞ、

の髪を乾かした後、ふんわり三つ編みにしてやると、の顏がパァっと明るくなった。

「…可愛い!竜ちゃんも三つ編み上手だね」
「まあ、兄貴には負けるけど、オレもこう見えて手先は器用なんだよ」
「ありがとう、竜ちゃん!」
「い、いや…こんくらい…別に大したことじゃねえよ…」

心の底から嬉しそうな笑顔を見せてお礼を言うに、竜胆の顏がみるみるうちに赤くなる。誰かにこれほどストレートにお礼を言われたことも、喜ばれたこともないので、死ぬほど照れ臭い。ゴニョゴニョと応えながらそっぽを向く。しかし竜胆の更なる幸せは次の瞬間、突如として訪れた。

「竜ちゃん、大好き」
「…うぉ!」

顔を反らしたのと同時に、が竜胆に抱きついてきた。全くと言っていいほど予期していなかったことで重力に従い身体が後ろへ傾く。ついでにの体重も乗っかり、そのままの勢いで竜胆は床にひっくり返った。ゴンという鈍い音と共に後頭部をぶつけ「痛っ」という悲鳴が上がる。

「竜ちゃん、大丈夫…?」
「ってぇ…」

驚きと痛みが同時に襲い、何事かと思った。しかし目を開けるとが自分を見下ろしている。それも悲しげな顔で。

「頭打ったの…?痛い?」
「い、痛くねえよ…ってかどけろって」

ズレた眼鏡を直しつつ、咄嗟にこの状況はまずいと本能が訴えてきた。仰向けに倒れた自分の上に、兄の嫁が乗っかっている。傍から見れば押し倒されている状態だ。今ここに蘭が帰宅したら、と思うと、竜胆はゾっとした。しかしは心配そうに竜胆の頭へそっと触れて「でも…」と瞳を潤ませている。三つ編みが竜胆の鼻先を掠め、ふわりといい香りがする上に、下から見上げるの表情がやけに艶っぽく、無防備な色気を感じさせた。

「なるほどなァ…」
「え?」
「いや…兄貴がああなるの、ちょっとだけ分かった気がするわ…」
「???」

苦笑交じりで呟く竜胆の言葉の意味が分からないのか、は不思議そうに首を傾げている。こうして見ていると、まだまだあどけない。けれどそれがまた竜胆の目には可愛く映る。兄嫁でなければ過ちを犯しそうになるほどに。

「ハァ…兄貴の方が女を見る目があったってことか…」
「何のこと?竜ちゃん」
「何でもねぇよ…いいから早くどけって。兄貴に見られたらオレが殺される」

体を起こしてを押しのけると、竜胆は床に打ち付けた後頭部を擦りながら、目の前できょとん、としているの額を指で小突いた。

「兄貴以外の男にベタベタすんなって言われなかった?」
「あ…そっか…」

思い出したのか、はてへへと笑っている。しかし「竜ちゃんでもダメなの?」と訊いてきた。その問いにはグっと言葉が詰まったものの「オレも一応男だっつーの」と苦笑いが零れる。

「とにかくは兄貴にだけ甘えてりゃーいいんだよ」
「うん…分かった」
「でもまあ…今の感じで兄貴に甘えとけ。それで…」
「おねだり…だよね。任せて、竜ちゃん」
「ほんとに分かってンの…?」

ニコニコしながら頷くに、竜胆は深々と溜息をついた。


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鍵の開ける音がして蘭は深夜1時頃に帰宅した。以前に比べたら断然お早いお帰りだ。それを確認した竜胆がお出迎えに行こうとするに軽く目くばせをすると、も真剣な顔で頷いて小さくガッツポーズまでして見せた。それを見た竜胆の胸がキュンと音を立て、可愛いかよっと心の中でこっそり突っ込んでおく。
これからあの可愛い義姉に自分の運命が――大げさ――かかっているのだと思うと、地味にドキドキしてきた。

「あれ~、起きてたのかよ」
「蘭ちゃん、お帰りなさい!」

コートを脱ぎながらリビングに顔を出した蘭は、抱きついて来たに早速頬を緩ませながら「ただいまー」と頬にキスをしている。竜胆の予想通り、やはり少し酔っているのか、小柄なをぎゅうぎゅう抱きしめながら「会いたかったー」と頭に頬ずりまでしている。完全なるマーキングだ。それを横目で見ていた竜胆が、あれは本当に自分の兄なんだろうかと、思わず問いたくなるほどにデレデレなのだから、開いた口が塞がらない。そもそも会っていなかったのは数時間ほどだというのに何が会いたかっただ、と竜胆は思う。

「んー?…これ自分で編んだの?」

思う存分ハグをして気が済んだのか、僅かに身体を離すと、の可愛らしい髪型に気づいたようだ。三つ編みの毛先を摘まんでの顔を覗き込んでいる。それにはも笑顔で応えた。

「ううん。竜ちゃんが編んでくれた」
「…マジで?」

そのまま顔を竜胆の方へ向ける。しかし機嫌がいいのか、特に怒った様子もなく「さんきゅーな、竜胆」とお礼まで言ってきた。一瞬怒られるか?とビクついていた竜胆は内心驚きながらも「い、いや…それくらい」と口元を引きつらせながら微笑む。そこで思ったのは"いける!"だった。竜胆に限り、こんなにも機嫌のいい蘭に滅多なことではお目にかかれない。のおねだりが核弾頭なみに効果を発揮するはずだと確信した。

「シャワー浴びてくっからは待ってて」

名残り惜しそうにを離してバスルームへ消えた兄を見送りながら、竜胆の眼鏡がキラリと光った。



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