カリスマの弱点②
この日、元東卍の弐番隊隊長だった三ツ谷隆は、いいなと思っていた女の子との初デートにこぎつけた。以前は妹たちの世話に始まり、チームのアレコレや部活に忙しく、女の子のことにまで気が回らなかったのだが、色んなことが重なり、遂に東卍が解散。これまでチームにあてていた時間がぽっかり空いたことで、少し気持ちにも余裕が出来た。そこで同じく暇人だった同じ学校で元参番隊副隊長のペーやんが「三ツ谷、合コンしようぜ!」と誘ってきたこともあり、初めての合コンとやらに乗っかってみる気になったのだ。
その合コンで知り合ったのが梨乃という同じ歳の女の子だった。天然でぽわんとした空気を持つ小柄な子で、一緒にいると癒される柔らかい雰囲気が三ツ谷は気に入った。
いつも大騒ぎする妹たちを相手にしているせいか、癒し系の女の子に惹かれてしまうようだ。初めての合コンで、三ツ谷は初めて自分の女の好みに気づいた。
そこで無難に映画デートに誘ってみると、梨乃も三ツ谷にまんざらでもなかったらしい。二つ返事でOKを貰えたことで今日のデートと相成った。
昼に待ち合わせをし、軽くランチを食べた後で一緒に映画を見た。その後にパルコに寄って梨乃のショッピングに付き合った後、少し人混みから外れて近くを散歩しようということになった。
「はぐれないよう手繋いでいい?」
そう言ってきたのは梨乃の方からで、三ツ谷が断る理由もなく。もちろん、と彼女の手を繋ごうとした。その時、流れに逆らって歩いて来た集団にぶつかりそうになり、一瞬梨乃との間に距離が出来る。だがすぐ三ツ谷の手を繋いできた感触があったことから、三ツ谷はホっとしながら歩き出した。
「コッチ行けば人混みから抜けられるから」
そう声をかけながら交差点を渡り、近くの公園まで来た時。隣を歩いていた梨乃のお腹がぐぅ…っと可愛く鳴ったことに気づいた。だがここで「お腹空いた?」と訊くのは女の子に対して失礼だ。そう思った三ツ谷は聞こえなかったフリをしようと特に何も言わなかった。すると――。
「――ちゃん、お腹空いちゃった」
梨乃からそう言われた時、ああ、彼女の方から言い出してくれた、と三ツ谷はホっとした。これなら自然に食事に誘えると思ったからだ。
だが次の瞬間、ん?待てよ…?と三ツ谷は何かが引っかかった。
まず、今の声はどう考えても梨乃の声じゃない。よく聞き取れなかったのは事実だが、梨乃は三ツ谷のことを「〇〇ちゃん」などとは呼ばないし、普通に「三ツ谷くん」と呼んでいたはずだ。それらの疑問を抱えつつ、三ツ谷は隣を歩いている存在に視線を向けた。
「………え?!」
三ツ谷はその存在を視界に入れた瞬間、つい声を上げてしまうほど驚いた。当然だ。この瞬間もしっかり手を繋ぎ、自分を大きな瞳で見上げてくる女の子は、今まで一緒だったはずの梨乃ではなかったからだ。
「え…っ?ちょ、ちょっと待って。えっと……君は、誰?」
「…え…!な…何で…」
その女の子も三ツ谷を見て酷く驚いているのか、急にわたわたと慌てだした。ついでに繋いでいた手をパっと放し、怯えた顔で辺りをきょろきょろ見渡している。
「こ…ここどこ…?蘭ちゃんは…?」
「あ…いや…オレも聞きたいんだけど…」
(梨乃ちゃんはどこ行った?!)
この状況にさすがの三ツ谷も軽く慌てて辺りを見渡す。いつ、どこで入れ替わったのか少しだけ混乱していた。すると今渡ってきた交差点の方から走って来る梨乃の姿が視界に入った。
「あ…梨乃ちゃん――」
目当ての人物を見つけたことで三ツ谷はホッと息を吐き出し、彼女の方へ歩いて行こうとした。しかし梨乃の方が物凄い勢いで三ツ谷の前まで走って来ると――ばちん、という衝撃が三ツ谷の頬に走る。
「…え」
「何なの?何で私のこと置いてくわけ?」
「あ、いや…置いてったわけじゃ…」
言ってみればさっきのは不可抗力。人混みでよく分からず、でも手を繋がれたからてっきり梨乃だと思い込んで、こんな場所まで来てしまっただけだ。なのに梨乃はいきなりビンタをかまし、目を吊り上げて三ツ谷を睨みつけている。さっきまで可愛い笑顔と言動で三ツ谷を癒してくれていた梨乃は、そこにいなかった。あげく間違えて連れて来てしまった女の子をジロリと睨みつけ、「この子、何よ」と言ってきた。
「私をほったらかして、もうナンパしたわけ?!三ツ谷くんって最低っ!さよなら!」
「………」
言い訳する気にもならなかった。一方的に言いたいことを言った梨乃はそのまま元来た道を戻っていく。その後ろ姿を溜息交じりで見送り、「女ってこえぇ…」と言う素直な言葉が三ツ谷の引きつった口から零れ落ちた。可愛くて控え目の癒し系だと思っていた女の子が、実はエベレスト並みにプライドの高い自己中女子だったと分かったからだ。
「はあ…あぶねえ…もう少しで騙されるとこだったわ…」
正式につき合う前で良かったと、三ツ谷は胸を撫でおろした。梨乃みたいな子は自分の彼氏になった途端、男を顎で使うタイプに違いない。別れたら別れたであることないこと吹聴しそうなタイプに見える。
「あの…ごめんなさい…っ」
「え?」
そこで思い出した。梨乃と思い込んで連れて来てしまった子のことを。
「彼女さん怒ったのわたしのせい…」
「は?あ、いや、違うから!確認しなかったのはオレも悪かったし…繋いできた手がてっきり彼女かと思って…オレこそごめん。こんなとこまで連れて来ちゃって」
今にも泣きそうな女の子を見て三ツ谷は慌てて謝った。さっき誰かの名前を呼んで「どこ?」と言っていたのだから、きっとこの子にもツレがいたんだろう。そう思うと三ツ谷は心配になってきた。
「えっと…君、名前は?」
「…」
「…ちゃん…えーと…誰かと一緒だったんだよな?」
「蘭ちゃんと竜ちゃん」
「らんちゃんと…りんちゃん…学校の友達とか?」
その名前を聞いて二人の女友達と一緒だったのかと思ったのだ。しかしは首を振り、「家族…」とだけ言った。
「え、家族…?そりゃ心配してるよな…」
見た目は自分と歳も変わらないように見えるが、どうもこの子と話していると妹たちと話してる気分になってくる。ついいつものように世話を焼きたくなってしまった。は心細いのか、不安でいっぱいという顔で三ツ谷を見上げている。その潤んだ瞳を見ていると、三ツ谷の胸がぎゅうんっとおかしな音を奏で、庇護欲が刺激された。
「あ、オレは三ツ谷。三ツ谷隆」
「みつや…くん」
「うん、そう」
小さな少女のような空気を持つを見て、三ツ谷はなるべく怖がらせないよう笑顔で頷く。見ればは肩から可愛らしいミニバッグをかけている。そこにケータイが入ってるのではと思った。
「なあ、ちゃんはケータイ持って――」
と言いかけた時、のお腹が再びぐううぅと派手な音を鳴らし、三ツ谷は一瞬呆気に取られた。それが恥ずかしかったらしい。は真っ赤になりながら慌ててお腹を押さえている。
「もしかして…お腹空いてる?」
と尋ねながら、さっきもお腹の鳴る音が聞こえたことを思い出す。三ツ谷の問いに、はこくんと頷いた。
(可愛い…)
見た目は文句なく今時の恰好をした可愛い女の子なのは気づいていたが、雰囲気や仕草が小さな女の子のようだ。その見た目とのギャップが三ツ谷の胸に軽く刺さった。
ついさっきまで理想の子だと思っていた梨乃が、実は全く癒し系じゃなかったと気づかされて懲りたはずなのに、また似たような女の子にときめいてしまう自分に思わず苦笑する。
「じゃあ、そこのバーガーショップで先に何か食べる?家族に連絡して食べながら待つとか」
元来た道を少し戻ればマックがあることを思い出した三ツ谷は、未だお腹を鳴らしているに優しく尋ねてみた。
「どうかな。先に食べに行く?」
「…うん」
が素直に頷くのを見てホっとしつつ、やっぱり可愛いな、この子と改めて思う。
だが「じゃあ行こうか」と、三ツ谷がを促して歩き出そうとした時だった。不意に手をきゅっと繋がれ、三ツ谷はギョっとした。
慌てて視線を下げると、は自ら三ツ谷の手を繋ぎ、ジっと大きな瞳で見上げてくる。絵面は迷子の子供なのに、またしても三ツ谷の胸がきゅんっと反応した。
それは自分より小さな子供を庇護の対象として見ている時のものなのか、それとも可愛い女の子に対するときめきなのか、三ツ谷にも分からない。
ただ一つ言えるのは、会ったばかりの自分にこんな風に甘えて来るあまりに無防備な姿を見ていると、やっぱり三ツ谷としても心配になってしまう。もし三ツ谷が悪い男だった場合、簡単について行ってしまいそうだ。
当然、その小さな手を振り払うことなど出来ない三ツ谷は、仕方なくに手を繋がれたまま歩き出した。それにの様子を見てると手を放しているのも何となく心配だ。
「ちゃんは…渋谷に住んでるの?」
「ううん…今日は買い物に来ただけなの」
「そっか。ああ、歳は?」
「…17」
「えっ?」
「え?」
ピタリと足を止めた三ツ谷に驚いたのか、が不安そうに見上げてくる。しかし三ツ谷は目の前の女の子が自分より一つ年上だという事実に驚いた。
(いや、確かに17歳と言われたら見た目はそうなんだけど…何で話してると幼く感じるんだろう)
少し不思議な空気を持つ女の子に、三ツ谷は興味を持った。
「あ、ごめん。行こうか」
「うん」
再び歩き出した三ツ谷にホっとしたのか、が素直に頷く。でもその表情はやはり不安そうで、今にも泣いてしまいそうに見えた。とりあえず目的であるマックに入った三ツ谷は「何が食べたい?」とに尋ねた。は一瞬メニューを見たものの、すぐに「チーズバーガー」と答えた。
「じゃあ、オレもそれにしよ」
店内のいい匂いを嗅いだら自分も食べたくなってきた。レジでチーズバーガーとポテト、コーラのセットを二つずつ買い、空いてる席へとを連れて行く。
一先ずそこに座らせてチーズバーガーを渡すと、はおずおずとした顔で「食べていいの…?」と訊いてきた。
「もちろん。間違えて連れて来ちゃったお詫びだから遠慮しないで食べて。足りなかったら追加するし言って」
はそれを聞いて嬉しそうな笑みを浮かべると「ありがとう」とお礼を言ってきた。今時こんな遠慮深い女の子がいるのか…と驚きながら、三ツ谷は美味しそうにチーズバーガーを食べているを眺める。
(つーか年上に見えねーんだけど…口元にケチャップつけてるし…)
その姿が自分の妹たちとかぶったことで三ツ谷は軽く苦笑いを零した。いつも妹にしてあげているように、ナプキンを手に取りの口元へと持っていく。
「ん…?」
「ここ、ついてる」
「んぐ…ご、ごめんなさい」
は慌てたようにハンバーガーを飲み込むと、三ツ谷の手からナプキンを取ろうとした。
「あ、いいって。オレが拭いてやるよ」
あまりの慌てように笑いながら、の口元を丁寧に拭いてあげると、は照れ臭そうに「ありがとう…」と微笑む。その笑顔があまりに可愛らしく、今度こそ心臓が音を立てた。これまで女の子に対してここまでドキドキしたことはない。会ったばかりなのにと思いながらも、目の前の女の子に惹かれているのは確かだった。
(え、オレ、癒し系の妹キャラに弱い…?)
自分で自分が分からない。ただ、は確実に家族とはぐれた状況。この子の家族に早く連絡を取らないと――そう思った時、ふとが三ツ谷を見た。
「みっちゃんは食べないの?」
「……みっちゃん?」
不意におかしなあだ名で呼ばれ、三ツ谷が首を傾げると、は「三ツ谷くんだからみっちゃん」と答えた。あまり呼ばれ慣れない名前に思わず吹き出してしまう。
その時――「あれ、三ツ谷じゃん」と呼ばれ、ギクっとしながら振り向くと、そこにはトレーを持ったペーやんがいた。
「ペーかよ…」
「あれ~?オマエ、今日梨乃ちゃんとデートじゃなかったっけー?ってかこの子、誰だよっ?」
ニヤニヤしながら歩いて来たものの、三ツ谷の正面に座っているに気づき、ペーやんはギョっとしたように立ち止まった。は急に現れて大きな声を出したペーが怖いのか、ビクリと肩を揺らして泣きそうな顔をしている。ペーやんは悪いヤツじゃないのだが、見た目と態度が威圧的なところがあるので、学校の女子生徒からも怖がられているのは三ツ谷もよく知っていた。今も怪訝そうな顔でをジロジロ見ている姿は、どうみてもタチの悪い輩そのもの。おかげでがますます怯えた顔になっていく。
「おい、ペー!彼女、怖がってるだろ?あんまジロジロ見るなって」
「あ、ああ…ごめんな?――つか、どこでデート相手が変わったんだよ、三ツ谷」
と最後は小声で訊いてくるペーやんに、まずはそこから話さないと納得しないか、と溜息を吐きつつ、三ツ谷はさっきの出来事を簡単に説明した。その突発的な事故のような出会いを聞いたペーは「マジで?」と呆気に取られた後で盛大に吹き出している。
「つーか知らない子から手を繋がられて気づかねーとかあんの?!」
「いや、マジでさっきはすげー人混みだったんだよっ!この子も似たような感じでオレと家族を間違えたみたいだし…」
「マジか…じゃあこの子の家族、心配してんじゃねーの」
「あ、そうだった!なあ、ちゃん。ケータイ持ってる?」
「あ!持ってる…」
このおかしな出会いに動揺して、すっかりその存在を忘れていたらしい。は肩から下げていたバッグの中からケータイを取り出そうとした。するとバッグの中でケータイが震動していることに気づく。
「あ…電話」
すぐに表示を確認したは、そこに出てる名前を見て満面の笑顔になった。
「蘭ちゃんからだ!」
「らんちゃん…って、ああ、家族か。じゃあ早く出てあげなよ」
「うん」
この時が履歴を見ていたら、恐ろしいほどの着信数に驚いていたかもしれない。だがは履歴を確認することなく、「もしもし、蘭ちゃん?」と嬉しそうな声で電話に出た。その瞬間、『か?!』と慌てたような声が三ツ谷の耳にもかすかに届く。
「…家族って…男?お兄さんか?」
漏れ聞こえた声は想像と違い男だったことで三ツ谷は少しだけ驚いた。しかもかなり相手の声が動揺しているように聞こえる。
「なーんか、めちゃくちゃ慌ててる感じだなァ。この子の兄貴か?」
ペーやんも同じことを思ったのか、三ツ谷の隣に勝手に座りながら不思議そうに首を傾げた。
「まあ…途中で妹が消えたら、そーなんじゃねぇの」
「でもガキじゃねーんだし、そんな慌てるか?この子、同じ歳くらいだろ」
「いや、オレらの一つ上だって」
「…マジ?どう見ても同じか下に見えんだけど」
ペーやんはまたしてもを見ながら首を捻る。その時、ふとケータイを持っている手に視線が向いた。
「おい、三ツ谷」
「あ?」
「この子…結婚指輪してんぞ」
「は?」
まさかと驚いた三ツ谷はペーの指す方へ視線を向けた、すると確かに左手薬指には結婚指輪らしきものがはめられている。あの輝きはどう見ても、いやデザインも全てファッションリングには見えない。例えファッションリングだったとしても、薬指に指輪をしている時点で恋人がいるということだろう。そこに気づいた三ツ谷は少しだけガッカリした自分に驚く。思いがけない出会いをして、意外にも好みにどんぴしゃの子だっただけに、彼氏がいると知って一気にテンションも下がってしまった。
その時、三ツ谷の視界にぬっとケータイが飛び込んできた。え、と思いながら顔を上げると、が手にしているケータイを三ツ谷の方へ差し出している。
「あのね。みっちゃんにバーガーショップに連れて来て貰ったって言ったら是非代わってくれって」
「は?オレ?」
「うん。お礼が言いたいからって」
そう言われると三ツ谷も断れない。間違えて手を繋がれたとはいえ、気づかず家族から引き離してしまったのは自分の責任でもある。ここはお兄さん、いや、この場合この子の旦那なんだろうかと思いながら、三ツ谷は恐る恐るのケータイを耳にあてた。
「はい…代わりました」
『…は?みっちゃんって…男かよ?』
「え?」
いきなり驚かれ、三ツ谷も驚いた。しかも相手は不機嫌そうな上に少し態度が威圧的だ。
『あー…事情はから聞いたし、今その店に向かってるからさぁ、それまでアンタも待っててもらえる?』
「はあ。それはいいけど…」
『もうあと3分ほどでつくから』
そこで唐突に電話が切れた。
「何だ…?」
初対面だというのに偉そうに言われ、三ツ谷は少しカチンときた。それに…もっと気になることが一つ。
「この声…なーんか、どっかで聞いたことがあるような…」
首を捻り、しばし考えてみたものの、全く思い出せない。でも聞き覚えがあるのは確かだ。
「蘭ちゃん、なんて?」
「え?あ、ああ……え、ってか…今の人が…らんちゃん?」
「うん」
「ちゃんの…家族…?」
「うん、そうだよ」
は家族と連絡がついたことで安心したのか、不安そうな顔から一転、今はニコニコしている。その笑顔が可愛いと思いつつ、三ツ谷は何かとてつもなく嫌なことに気づいてしまいそうで胸の奥がざわざわしてきた。
「……男で……らん…?」
三ツ谷の眉間が少しずつ中央に寄っていく。その時、その会話を聞いていたペーやんが、「なーんか、どっかのカリスマと同じ名前じゃね?」と笑いだした。
カリスマ、と聞いた瞬間、三ツ谷の後頭部に殴られたような衝撃が走る。いや――実際に殴られた記憶が蘇った。
「…今の声って…いや、でもまさか…」
ペーやんの一言と蘭という名前で、三ツ谷の頭にあのカリスマ兄弟の顏が浮かぶ。だがこの世に蘭という名前の男は、あの兄だけじゃないはずだ。それにここは渋谷であって六本木じゃない。そうだ、何かの間違いだ。三ツ谷は無理やりそう思おうとした。
しかし、その数秒後――店内に「!」と叫びながら飛び込んで来た人物を見て、三ツ谷は白目を剥いて倒れそうになった。
「蘭ちゃん!竜ちゃん!」
ふたりの姿を見たが嬉しそうに椅子から飛び降り、走っていく。それを見ていたペーやんもぽかんとした顔で目の前に歩いて来たカリスマ兄弟を見た。蘭は飛びついて来たを思い切り抱きしめながら「心配させやがって…!」と深い息を吐いている。隣に居た竜胆も息を切らせながらしゃがみこみ、「はあ…良かった…」と項垂れていた。
「おい…三ツ谷…」
ペーやんも信じられないものを見たかのように口をぽっかり開けたまま、が抱き着いている相手を震えた手で指さした。
「あれって…オレの見間違いじゃなければ……灰谷兄弟じゃね…?」
「そーだな…」
「どーいうこと…ってか、あの子、何者?」
「オレが聞きたい…」
と三ツ谷も溜息と共に項垂れる。その時、蘭が初めて三ツ谷に気づいた。
「………は?三ツ谷…?」
「…どーも」
三ツ谷が蘭や竜胆と顔を合わせるのは、関東事変の最初の襲撃時以来だ。しかもあの時は背後から殴られた三ツ谷は蘭の顏すら見ていない。ただ意識を失う前に聞いた蘭の声をかすかに覚えていたようだ。
「…あ?じゃあ…が言ってた"みっちゃん"ってオマエのことかよっ?」
「何で三ツ谷がを?偶然か?それとも…わざとさらったとかじゃねえよなァ?」
蘭と竜胆が一瞬でケンカ腰になったが、三ツ谷は苦笑しながら「そんなわけねえだろ…」と立ち上がった。ふたりが騒ぐせいで店内の客もざわつき始めている。こんなところでモメるわけにはいかない。
「とりあえず出ようぜ。話はそれからだ」
三ツ谷は蘭と竜胆を表に促すと、ペーやんと二人で店の外へ出て行く。とは言っても、この後どうするかまでは考えていなかった。
「どーすんだよ、三ツ谷…オレ達だけじゃさすがにヤバくね?」
「別にケンカするって決まったわけじゃねーだろ。ちゃんもいんのに」
「でもあの子、灰谷兄弟の何?妹?カリスマ兄弟って妹いたっけ…。あ、ってか、あの指輪を考えると、まさかどっちかの嫁?!」
「オレが知るか!!」
このおかしな出会いで少しはときめいたりもしたのに、その女の子が因縁の相手である灰谷兄弟の家族となれば三ツ谷もあきらめざるを得ない。というより、あの結婚指輪のことを考えれば、おのずと答えは見えて――。
「おい、三ツ谷」
少し歩いたところで蘭が声をかけてきた。まだイチャもんをつける気なら今度こそ三ツ谷も引く気はない。ブロックで頭をカチ割られた恨みを忘れたわけじゃないのだ。もしここで蘭と竜胆がケンカを仕掛けてくる気なら、三ツ谷も受けて立とうと思っていた。
「言っとくけどその子、誘拐したわけじゃねーからな。アンタらの知り合いだってのも今知ったくらいだ」
「…それは今から聞いたわ。まあ…考えてみりゃオマエがのこと知ってるわきゃねーしなァ。マジで偶然かよ…」
蘭は忌々しげに吐き捨てると、それでも「でもまあ…保護してくれて助かったわ。さんきゅ…」と顔を背けつつもお礼を言った。蘭のらしくない態度に三ツ谷とペーやんも驚きのあまり、互いに顔を見合わせる。あの暴虐武人な灰谷蘭が、敵対していた相手に礼を言ってきた。それも一人の女の子のためだけに。
「チッ…も悪いんだぞ?兄貴の手を放すからっ!だいたい何で知らないヤツの手を繋いでんだよっ」
「う…ご、ごめんなさい…」
「おい、竜胆!泣かすんじゃねーよっ!はぐれて怖い思いしたってのに」
「兄貴だって、あんなに慌ててたくせに…」
心配した分の苛立ちが出てつい怒鳴ってしまったが、竜胆もが行方不明になり、かなり動揺していた。蘭なんかは今度こそ渋谷の交番に駆け込もうとして、竜胆が必死に止めたのだ。
「つーか何で電話も出ねーの?オレ、めちゃくちゃかけてたのに」
「ご、ごめんね…音じゃなくて振動するだけだったから…」
「じゃあ、はぐれた時点でかけてくりゃいいじゃん…」
「う…」
蘭に指摘され、も言葉に詰まる。パニックですっかりケータイの存在を忘れていたのは失態だった。その様子を見ていた蘭も想像がついたのか、「仕方ねーなァ」と苦笑を零す。
「は目を放すとすーぐどっかに行くし、おちおち街中連れて歩けねえ…」
「ごめんね、蘭ちゃん…」
「…いいよ、無事だったんだし」
シュンとする姿を見て、蘭はホっとしたようにを抱きしめた。
「でも次、また他の男についてったら許さねえからな」
言いながら蘭がの頬にちゅっとキスをする。それを見た竜胆はまた始まった、と思ったのだが、それを目の前で見せつけられた三ツ谷は驚きとショックで軽い眩暈を起こしそうになった。
「そうか…ちゃんは灰谷蘭の…なるほどな…」
何とも儚く短い恋だった、と三ツ谷は項垂れた。隣に居るペーやんも何となくその気持ちを察したのか「元気出せよ、三ツ谷」と肩を抱いている。
とりあえずケンカにならずに済みそうなので、ペーやんとしては一安心だった。
「ってか…アンタ、結婚してたんだ。しかもそんな可愛い子と」
「あ?あーまーな。いいだろ」
「……ぐ…っ(相変わらず腹立つ!)」
昔は憧れてた相手でも、今はとことんムカつく存在であることに間違いなく。どや顔で言われ、三ツ谷が拳を震わせた時。蘭の腕に抱かれていたがふと三ツ谷を見た。
「みっちゃん!ハンバーガーありがとう」
「お、おう…」
可愛い笑顔でお礼を言われ、またしても顔の筋肉が緩みそうになる。人妻でも可愛いものは可愛い。しかしデレる三ツ谷を見た蘭は顔をしかめつつ「オレ以外の男に甘えるなって言ったろ」とに文句を言いだした。こうして見ていると相当ヤキモチ妬きのようだ。
(まさか灰谷蘭があんな妹キャラを奥さんに選ぶとはね…意外すぎて笑える…)
目の前で説教と言う名のイチャつきを始めた二人と、呆れ顔の弟を見ながら、三ツ谷は蘭の意外な弱みを見つけた気がしていた。

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