真夏のプール事変①



気づけば真夏のど真ん中。が高校へ入学してから二度目の夏休みを迎えた初日の午後。
たっぷり睡眠を貪った蘭は、いつも通り昼過ぎに起きた。が今日から長い夏休みに入るということで、夕べは一緒に夜更かしをしてが最近ハマっているNARUTOのアニメを一気見させられたのだ。
もちろん蘭には全く興味のない世界。正直最初はキツいと思ったのだが、愛しい奥さんからおねだりされれば見ないわけにはいかず、最後まで付きあった。子供の頃の趣味を消化しきれず生きてきたは、今もそういう子供が好きそうな作品を好む。ただ他にもっと女子高生が好みそうなアニメもあるのに、は竜胆の影響で少年誌の作品にばかり反応を示すようになった。
蘭はあまり漫画を読まないが、竜胆は子供の頃から少年誌を読んでいたし、その流れでアニメを見てることも多い。そのうちも竜胆と同じ趣味になったようだ。時々面白かった作品の話を蘭に一生懸命話してくれるとこが可愛いと思っていた。
まあ、どっちにしろ。蘭としては興味がないことでもとなら何をしてても楽しいので、自分の知らない世界を経験するのもいいか、くらいに思って付き合っている。ただ、さすがに「蘭ちゃん、今も忍者っている?」と期待を込めたキラキラオメメで訊かれた時は返答に困ったが。

(さて、今日はと何しよう)

今日から一カ月近くも一緒に居られると思うとガラにもなく心が弾む。が学校へ行ってる間、蘭はほぼ睡眠を貪っているのだから関係ないと思うのだが、やはりが家にいるのといないのとでは気分的に違う。
今夜は久しぶりに外でデートするのもありかな、と思いつつ、蘭は愛しい奥さんがいるであろうリビングへ顔を出した。その瞬間、「蘭ちゃん、おはよう!」と小鳥のさえずり(※あくまで蘭の耳にだけ)のような可愛い声が聞こえてきた。

「おはよう、。っつーか眠くねえの?オマエ」

駆け寄ってきたを抱き上げながら、スベスベの頬へちゅっと口付ける。一緒に夜更かしをしても高校生になってからのは蘭より早く起きるようになった。随分成長したもんだな、と少し親目線のような心境でみてしまう自分に毎回呆れるが、それくらい世間知らずなとこから彼女を面倒みてきたのだ。彼女の成長が見られるとシミジミしてしまうのは仕方がないのかもしれない。

「9時頃に起きたの。のんちゃんからメッセージ届いて」
「ああ、あの子か」

のんちゃんとは一年の頃、と同じクラスで仲が良かった子だ。前に何度か遊びに来たことがある。あだ名の感じから素朴で地味な子かと思いきや、今時なノリの明るい都会っ子だった。とりあえず不良といった枠に当てはまるような子でもなく、内心ホっとしたのは内緒の話だ。未成年の頃からがっつり不良の世界に足を突っ込んでる自分がの旦那、という事実は棚に置き、やはり可愛いにはなるべく悪い友達を作って欲しくない。勝手なもんだな、とまたしても自分に呆れる。

「のんちゃん元気?クラス変わっても仲いいんだろ」
「うん!いっつもお兄さま元気?って聞いてくる」

一応、学校関係者から二人が結婚してることは内密に、と言われてるので、蘭と竜胆はの兄という形になっている。なのでのんちゃんが来た時も、兄を装い挨拶をしておいたのだが、「ちゃんのお兄さん、どっちもイケメンすぎる!」と大騒ぎされたことを思い出し、つい苦笑いを零す。

「で、のんちゃん何だって?」
「あ、そうだった!」

を抱えながらソファへ座って尋ねると、思い出したように声を上げたが蘭にしがみつく。やけに瞳がキラキラしてるのを見た蘭は少しだけ嫌な予感がした。こういう時のは蘭の意に沿わない発言をすることが多いからだ。

「あのね、のんちゃんから明日一緒にプール行かない?って誘われたの。行ってもいい?蘭ちゃん」
「……プール?」

嫌な予感は見事に的中。蘭の口元がひくり、と引きつったのはプール=水着=ナンパ、という計算が秒で出来てしまったからだ。場所は代官山に今年出来たばかりのレジャー施設だという。敷地には流れるプールが建設され、確か春先にオープンしたとニュースやSNSでも話題になっていた場所だ。大人も子供も楽しめるという場所柄、当然ながら若い男女にも人気がある。となれば、そこに来る女の子目当てのチャラい男どもが網を張ってる可能性が高い。
そんな場所に女の子二人で行くと聞かされた蘭は、すぐに応えることが出来なかった。
本音を言えば速攻で「ダメ」と言いたい。でもずっと友達を欲しがってたを知ってるだけに、頭ごなしに反対したくはないという気持ちもある。もせっかく誘ってくれたのんちゃんに断りにくいだろう、という大人的な思考も働いた。

「……のんちゃんと二人で行くのかよ」
「うん」
「マジ?女同士でプールとか危ないだろ」

一瞬だけのんちゃんの親が同伴してくれるのでは、という淡い期待をした蘭の願い空しく、やはりそこは高校生。友達同士で行く前提のお誘いのようだ。

「あぶない?プールって危ないの?」

きょとん、とした顔で見上げてくるを見つめていた蘭の脳内は、オレの嫁、かわいすぎ。という相変わらずの嫁バカ思考だったが、残り半分はのヤツ、泳げんのか?という心配だった。でも聞けば両親が生きていた頃は近所のプールへ連れて行ってもらったこともあるらしく、そこで泳ぎは教わったという。
ただ蘭の言う「女同士でプールへ行くのは危ない」という点がは気になったのか「何で危ないの?と訊いてきた。

「そりゃあ……アレだよ」
「アレ?」
 「――兄貴はオマエがナンパされねえか心配してんだよ」

と、そこで今起きてきたのか、竜胆が大欠伸をかましながらリビングへ顔を出す。竜胆も夜更かし常習者。夕べも遅くまで起きてたのか、目がしょぼついている。そのまま洗面所へふらふら歩いて行くと、洗顔と歯磨きを終えてスッキリ顔で戻ってきた。
その間に「ナンパってなに?」とからいつもの質問をされていた蘭は、「悪い男が可愛いを食べちまおうと寄ってくる行為」と何とも童話風味な説明をしていた。普通の子なら一笑に付すだろうが、は違う。「えっ」と本気で怖がっている。その様子にデレたのは彼女の夫である蘭だ。一瞬で表情が緩み、かわいすぎ、という感情が顔に駄々洩れしていた。
まあ、ビビってるは小動物のソレだから気持ちも分かるけど、兄貴デレすぎ。
一人冷静な竜胆はいつもの光景を横目に、内心突っ込みを入れつつキッチンへ向かう。

「兄貴がついていけばいいじゃん」

冷蔵庫から冷たいコーラを出して一気に飲みながら竜胆は声をかけた。その途端、蘭の顏がしかめっ面になる。普段なら喜んで着いて行きそうなのに、と思っていると「バーカ」と呆れた様子で溜息を吐かれた。

「着いて行きたくてもオレらじゃ入れねぇよ、プールは」
「あ、そっか」

蘭の言い方に竜胆もすぐに思い当たる。
このご時世、プールや銭湯、サウナ、温泉、健康ランド等々。客が肌を晒す場所において、彫りものやタトゥーを入れてる人はお断り、という世知辛いルールが蔓延している。蘭と竜胆の体半分にはお揃いの凶悪なタトゥーがしっかり彫られているので、当然ながらのいうプールには入園できない。

「……というわけで。どうしてもプールじゃなきゃダメー?」

と蘭がにっこり微笑みかける。他の場所ならオレがどこでも連れてってやるぞ、という意味合いを込めて。しかし――。

「うん。プール行きたい」
「……即答かよ」

蘭がガックリ項垂れる姿を見つつ竜胆が吹き出す。こう見えて彼女は意外と頑固な一面があるのだ。

「まあ、のんちゃんって子にしっかり頼んでおけば大丈夫だろ。どうせ夏休み時期のプールなんてガキや親子連れしかいねえって」
「そうかもしんねえけど……」

と渋い顔をした蘭は、ふと膝の上に抱えているを見下ろす。未だに期待度マックスのキラキラした瞳がじぃっと見つめてくるので、自然と口元が緩んでしまうのが蘭の中でのデフォルトだ。この時点で蘭の負けが決定した。可愛い奥さんには、いくら六本木のカリスマと言えど敵わないのだ。

「ハァ……分かったよ。行っていいから」
「ほんと?!ありがとう、蘭ちゃん!」

ぎゅうっと蘭にしがみついて無邪気に喜ぶ嫁の姿は何ものにも代えがたい。と思ったのか定かではないが、竜胆から見れば蘭の顔は緩みっぱなし。アホくさ、と思いつつ、ソファから立ち上がった。軽くシャワーでも浴びて、今日から上映してるホラー映画をヒルズまで観に行こうかと思ったのだ。でもふと大事なことを思い出して足を止めた。

「そういやプール行くにしても、フツーの水着持ってねーんじゃね?」
「みずぎ……?」
「あ」

竜胆に指摘されたは不思議そうに蘭を見上げ、蘭は蘭で天井を仰いだ。ナンパ以上に心配なやつだ。

「学校のじゃダメなの?」

またしても不思議そうに質問してくる。の通っている高校はどちらかと言えば富裕層の通うような学校で、敷地に立派なプールはあるらしい。当然ながら学校指定のスクール水着というやつを入学当時に買わされた記憶がある。

「ダメじゃねえけど、普通は着ねえだろ、学校指定の水着は」
「そうなの?じゃあ何を着ればプール行けるの?」

若干悲しそうに目を潤ませるを見下ろし、蘭は深々息を吐き出した。は普段レジャー施設などにあまり興味を示さない。だからこれ幸いとプールの話題は避けてきたのだが――自分達が連れていけない為――こうなれば普段用の水着を買ってやるしかないだろうな、と腹をくくる。それに自分が一緒に買いに行けば、まず間違っても露出の高い水着は選ばせないで済む。

、これから買いに行こうか、普段用の水着」
「え、いいの?」
「ただし面積多めのやつな」
「……めんせき?」

は小首を傾げているが、蘭の言ってる意味を瞬時に理解した竜胆はこっそりと吹き出した。まあ、どう頑張っても肌を露出するから水着なのだが、蘭はどうしても自分のいないところでが肌を晒すのは嫌なようだ。それでも、デザインによっては抑えられるものもあるので、それで手を打つということらしい。
このあと、蘭はをいつものように可愛く飾り立てると――歩いて数分の場所なのに――仲良く手を繋いでヒルズへと出かけて行った。

「また変なことにならなきゃいいけど」

二人を見送った竜胆は再び欠伸を噛み殺しながらバスルームへ入って行った。


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蘭がを連れて向かったのは、ヒルズ内にあるセレクトショップだった。水着や浴衣など、季節によって定番な商品が揃っている。夏休みなので普段より客の入りはいいが、他の店と比べればそこまで混雑していない。のんびり選べるのがヒルズのいいところだ。

「ったく……何で私が……」

そんなボヤキが口から洩れたアヤは、目の前に並ぶ色とりどりの水着たちを眺めながら溜息を吐いた。
と同じく夏休みをベッドの中で満喫中だったアヤは、初恋の相手である蘭の電話で叩き起こされ、今はヒルズへ来ている。
蘭が可愛い嫁に水着を買うからアヤも来いと呼び出されたのだ。その理由が「明日、が友達とプールへ行くからオマエ、付き添ってやって」とお願いする為だと知り、思わず「何で私が」と言いたくなった。いや、言った。
アヤは灰谷兄弟の幼馴染であり、別に嫁シッターではない。二人が鑑別所に入れられ不在になった時は、一人になってしまうの面倒を見ていたが、彼女もすでに高校二年生。友達と遊びに行くのに付き添いなどいらないだろと言いたかった。
いや、当然言ってやった。すると蘭は「オマエも好きな水着買っていいから」と魅力的な笑みを浮かべる。
強欲な女と定評のあるアヤはその買収に秒で乗っかり、「え、いいの?」とつい瞳を輝かせてしまったのが運の尽き。

「当然だろ。好きなもん何着でも選べよ」
「蘭くん、神!」

蘭からすれば何ともチョロい幼馴染だった。

「え、明日アヤちゃんも来てくれるの?」
「ああ、だからもアヤのそばを離れんなよ?」
「うん、わかった。あ、じゃあのんちゃんにメッセージ送っておく」

アヤのことが大好きなは、特に保護者同伴でも文句はないようだ。ウキウキした様子で肩に下げている可愛いフリンジのついたバッグからスマホを取り出す。蘭とお揃いの機種だというのは一目で分かった。
見れば履いてる夏用のサンダルもお揃いのサンローラン。さり気なく着てる真っ白なノースリーブタイプのギャザーワンピースもサンローランのものだ。胸元に大きなリボンがついていて、に良く似合っている。
蘭は相変わらずこの子はオレのもの、と主張するコーデをさせるのが好きなようだ。髪型もツインテールを三つ編みにして輪っかを作ってあげている辺り、やっぱ美容師に転職すれば?と言いたくなった。にだけマメな性格が何となく憎たらしい。

「蘭くんってほんとのこと大好きだね」
「あ?何当たり前のことを言ってんだよ。つーか明日は頼んだぞ。変な男が近づいて来たら追い払えよ?」
「はいはい……。ったく夏休みの貴重な一日をに捧げることになるとはねー」
「だからそのお礼に何でも好きなもん買ってやるって言ってんだろが。別に水着じゃなくてもいいぞー」
「マジ?私、狙ってるバッグあるんだ」
「オマエ、ここぞとばかりに一番値の張るやつ選んでねえ?」

早速ブランド店へ走って行くアヤを見送りつつ、蘭は無駄なツッコミをした。

「全く聞いてねえな、アイツ」
「あれ、アヤちゃんは?」

メッセージを打ち終えたがキョロキョロ見渡している。

「強欲女はあっちで買い物~。それよりは水着どういうのがいい?」
「あ、そうだった。えっと……」

一応、本人の好みを尋ねつつ、露出が激しければ反対するつもりでいた。そこまで心配しなくても、と言われようが、やはり可愛い奥さんがエロい目で見られるのは嫌なのだ。夏のプールと言えば知らない男女が出会う定番のような場所。蘭はオオカミの群れの中に手乗りサイズのジャンガリアンハムスターを投げ込むような心境になった。
出来ればハムスター……もとい。に水着なんて着せたくないが、今回ばかりは仕方ない。

「あ、これ可愛い」
「ん?どれー?」

ずらりと並ぶカラフルな水着の中から、が手にした一着はトップス、ショートパンツ、ミニスカートの3点セット。トップスはノースリブの肩の部分が太目で胸元はリボンの編みこみになっている。しかも裾の部分は短くないのでもろに臍を出すデザインじゃないところが蘭も気に入った。それに下もフレアなミニスカートの中にショートパンツが付いている。

「いいじゃん、それ」
「ほんと?色、どっちがいいかなぁ」

色は二色あるようで、淡いモスグリーンと、明るめのピンク。ピンクの方も可愛いが、蘭は敢えてグリーンの方を選んだ。ピンクは目立つし、可愛らしい雰囲気が前面に出るので男の目につきやすいと思ったのだ。

「こっちの方が大人っぽい」
「じゃあグリーンにする」

普段はピンクを好んで選ぶことも多いが、グリーンの水着を手にする。蘭に選んでもらったのが嬉しいようだ。早速レジで会計を済ませた蘭は「これ、まずはオレに着て見せて」と意味深な笑みを浮かべた。やはり夫である以上、奥さんの可愛い水着姿は一番に見たい。というか明日はついていけないのだから、見るなら今日しかないというのが本音だ。そこには少しの下心も当然ある。
蘭の邪な思惑に気づかないは、笑顔で「うん」と頷いた。

「一番最初は蘭ちゃんに見てもらいたい」

蘭はいつも可愛いと褒めてくれるので、はそれが嬉しくてたまらないのだ。だから買ってもらった可愛い水着も、蘭にまず見てもらいたかった。ニコニコと見上げてくるに、蘭の端正な顔も自然と緩んでいく。
こうなればサッサと帰っての水着姿を堪能したい。手を繋いで店を出ながら、蘭の頭の中はすでに水着を脱がすところまで先走っていた。
この時点ですっかりアヤの存在を忘れかけていたが、真っすぐエレベーターへ歩いて行こうとした二人の後ろから、「ちょっと蘭くん!」という声が聞こえて、ピタリと足を止める。
振り返ると、「まだバッグ買ってないでしょ!」と叫びながら鬼の形相をしたアヤが、手に高級バッグを持って走って来るのが見えた。


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