「お、今日も元気だな、オマエ達」
店に出勤してすぐ、店内にいる動物たちの世話から始める。ゲージの掃除を済ませると、今度は食事の用意。それを済ませたら最後にブラッシング。
こうした世話も、いつもはウチの店で働き始めた一虎くんか場地さんにやってもらうことも多いけど、今日は一虎くんが休みで、場地さんは獣医師になる為の学校に通ってるから出勤は午後になる。
そういう時はオレが早めに店に来てやっていた。
一応経営者として他の仕事も山積みだから、一人だとかなり大変だけど、ツラいとは思わない。
動物たちを見ていると、逆に元気をもらえるからだ。
「よーし、綺麗になった」
最後に例のスコティッシュをブラッシングしてやると、更に毛の艶が良くなった。今じゃ生後三か月を過ぎて、来た頃より少し体が大きくなってる。
「さすがにこれ以上大きくなるとまずいよなあ…」
ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてくる仔猫を撫でながら、ふと独り言ちる。
ペットショップではやっぱり二カ月前後の子が先に飼い主が決まる傾向が多く、大きくなってしまった子は敬遠されるからだ。
「耳が垂れてないくらいで選ばれねえなんておかしいよなぁ?こんなに可愛いのに」
「ミャァァ」
仔猫は返事をするかの如く、鳴き声をあげた。可愛すぎる!
例のブリーダーから譲り受けたスコティッシュの仔猫は、やはり耳のせいで飼い主が決まらない。どの客も口をそろえて「え、この子、スコティッシュなの?アメショーに見えるね」なんて言って触るだけ触って帰っていく。
アメショーだって人気の品種だし、可愛いんだからどっちだっていいじゃねえか。ゴロゴロと喉を鳴らして甘えるこの愛くるしい姿を見ろっての!
なんて思いつつ「また来てくださいね~」と愛想だけ振っておく。
ただこれ以上、大きくなれば確実に売れ残りの仲間入りをしてしまいそうだ。
そうなれば最終手段としてオレがコイツを面倒みるつもりだった。
「んじゃあ開店すっか」
店内の掃除も簡単に済ませた後、店のエプロンをつけてドアの鍵を開ける。すでに店先には数人ほど待っているお客さん達がいた。近所に住む常連のおばあさんだったり、主婦の人だ。いつも飼い犬や飼い猫のご飯、オヤツやオモチャを買いに来てくれる。
「千冬くん、こんにちはー」
「いらっしゃいませ。こんちはー熊井さん」
「こんにちは~千冬くん」
「木村さん、こんちはー。いらしゃいませー」
気さくに挨拶をしてくれる人達も多く、オレもだいぶ仕事用スマイルが板について来たと思う。
前は目つきが悪かったけど、顔が穏やかになったなと一虎くんにも言われた。おかげで常連のお客さん達からは「千冬くん」と呼ばれて可愛がられている。
「あら、新しくトイプードルが来たのね~」
「はい。板垣さんとこで生まれた子で」
板垣さんとはスコティッシュの件で世話になったブリーダーだ。ウチの店のお客さんからも信頼が厚く、彼のところで生まれた子は丈夫で病気も一切ないと評判だった。
「あら、張り紙してる。もう家族が決まっちゃったの?」
「はい。昨日。週末にはいなくなっちゃうんですよ」
「やっぱり人気の子は決まるの早いわねー」
そんな雑談をしつつ、常連さんは犬のオヤツを大量に買って帰っていった。その後も似たような会話をしながら接客していると、あっという間にお昼になった。
ペットブームの波なのか、こんな小さな店でも繁盛してる方だと思う。ありがたい話だ。
(そろそろ昼飯にすっか…)
時計の針が真上を指すのを眺めながら、今日は何の弁当にしようか考える。今日はオレ一人だから買いに行くことは出来ないし、いつも通りデリバリーサービスを利用するしかない。
「ハァ…メニューは豊富なんだけど、そろそろ飽きてきたな…」
男の一人暮らしだから結局は夜もデリバリーが増える。
不思議なもんで、こうなるとお袋の手料理が恋しくなるんだから勝手だなと苦笑が漏れた。
実家にいた頃はそれこそ当たり前に食べていたけど、離れてみて、その有り難さが身に沁みて分かる。
どの店にしようかとスマホでアプリを開きつつも、お袋の作った普通のおにぎりと卵焼きが食いたい、なんて思ってしまった。
その時、店のドアが開く音がして「こんにちは~」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。
(え、さん?!)
一瞬、聞き間違えかとも思ったが、好きな人の声を間違えるはずもなく。奥にある事務所を出て店へ戻ると、やっぱりそこにはさんがいた。ノースリーブシャツにデニムのミニスカート姿で、すらりとした足を惜しげもなく出している。
(今日も可愛い…いや、でも、何で?)
オレが近所でペットショップをやってるのはチラっと話したことはあれど、彼女が来るのは初めてだった。
「あ、千冬くん」
「ど…どーしたんだよ、急に」
彼女はオレに気づくと笑顔で手を振ってきた。夕べも一緒に飲んだけど、今日来るなんて一言も言ってなかったのに。
さんは渋谷駅近くのビルに入ってる美容室に勤めているらしく、火曜日が定休日。
そう言えば今日は火曜日だった。
「今日、お休みだから千冬くんにお弁当作ってきたの。ほら、いつもコンビニかデリバリーで済ますから飽きたって夕べ話してたでしょ」
「えっマジで…?」
そう言えば夕べ飲んだ時にそんな話をした気もする。でもまさか作ってきてくれるなんて思わないだろ。
彼女は手に持っていた可愛らしい紙袋をオレに差し出すと「良かったら他のスタッフの皆さんと食べて」と微笑んだ。
袋を覗くと、さっき無償に食べたいと思ってしまったおにぎりと、色んなおかずの入ったタッパーが入っている。しかも卵焼きまで。
これで感動しなきゃ男じゃねえ。
「めちゃくちゃ嬉しい…オレが食べたいと思ってたもん全部ある…」
「ほんと?良かったー!手軽に食べられる方がいいかなと思っておにぎりにしたんだけど正解だったね」
可愛い…と惚けてしまいそうなほど、さんの笑顔がキラキラと輝いて見える。
元々好きだったけど、今はその倍、想いが溢れてきたのが分かった。今すぐ告ってしまおうか、なんてことまで考えてしまう。
(いや、待て待て待て、千冬…!ここで勘違いして告ってもさんは別にオレのこと好きでしてくれてるわけじゃないかもしんねえし…そもそもアイツと別れて、まだ二カ月半だろ?明るく振る舞ってっけど、まだ吹っ切れてはないはず…)
思いがけず想いが暴走しそうになったところで、一旦冷静に考え直す。焦って行動したところで上手くいった試しがないからだ。
因みに例の元カレとなった男は店の客だったらしい。広告代理店に勤めてると言っていたが、通りでチャラいはずだ。(偏見)
最初は男の方からさんを食事に誘ってきたようだが、行きつけの店の美容師をナンパするなんてろくな男じゃねえ。
大方、さんの外見に惚れて、飽きてきた頃、また別に好みの女を見つけたから彼女を振ったに違いない。
まあオレも最初はさんの外見がタイプで惹かれたクチだけど、今は違う。色々と話してみたら見た目に反して控え目ないい子だなって思ったし、動物好きなとこもオレと合うし、料理も美味くて、ほんわか優しくて、ほんと言うことなしだ。
さんはオレに弁当を渡したあと「うわー可愛い子ばっかり」と楽しそうに動物たちを見て回りだした。
「一度来てみたかったんだ、千冬くんのお店」
「言った通り、マンションから近いし道も分かりやすいでしょ」
「うん。駅方面とは逆だから、ここにペットショップが出来たの気づかなかった」
「まあ、そこまで派手に宣伝もしてなかったし。でもおかげさまで近所の人も来てくれてるから助かってる」
「そっか~。でも千冬くん凄いね。私と一つしか違わないのに夢を叶えるなんて」
「さんこそ、夢叶えてるじゃん」
「私は…まだ自分の店を持つなんて出来ないもん」
苦笑気味に言いながら、彼女は店内を見渡した。
「あれ、他のスタッフの方は?昔の仲間が働いてるって話してたでしょ」
その辺の話は彼女にも話してある。だから弁当も三人分作ってきてくれたみたいだ。まあオレとしては二人がいなくてラッキーだったけど。
「それが一人は休みで、もう一人は午後からくるんすよ」
「そうなんだ。千冬くんのお友達に会ってみたかったなー。話聞いてると楽しそうなんだもん」
「皆でバカやってるだけっすけど。あ、これ食ってもいい?」
「うん。あ…ごめんね。私がいたら休憩できないよね」
「いや、そんなことねえし…あ、何なら一緒に食う?一人分余るし」
まだ彼女と話していたい。そんな思いから言ったけど、彼女は「今から部屋の片づけしないといけないの」と言った。何でも例の元カレが今夜、自分の荷物を取りに来るらしい。さんはあの別れがショックで今日まで殆ど手が付けられてなかったようだ。
「でも未練たらしくそんな物を残しておいても仕方ないから一気に片付けちゃおうと思って連絡したの。向こうからも早くしろって言われてたし…」
どこか寂しげな表情で話す彼女を見て、ちょっと心配になった。
さんはまだアイツのこと、好きなのかな。
「大丈夫?アイツに会うのもあれ以来なんじゃ…」
「うん…まあ、そうなんだけど…。でも今日だけだし…荷物を渡すだけだから平気だよ」
「オレもその場にいようか?」
「え…?」
つい心配になって言った。あの男と二人きりにさせるのも嫌だった。でもさんは首を振って「これ以上、千冬くんに迷惑かけられない」と断ってきた。
ちっとも迷惑なんかじゃねえのに。
「私ね、千冬くんには感謝してるんだ」
「…え、何で…」
「だって凄くツラい時にそばにいて元気づけてくれたでしょ。だからつい甘えちゃって食事に誘ったり飲みに誘ったりしたけど…千冬くんからすれば、ただの隣人に頼られても困るだけだよなぁって思って…。ほら、私の地元は遠いから友達も近くにいないし」
だから、いつもごめんね、とさんは申し訳なさそうに笑った。その顏を見てたら何故か胸の奥がぎゅーっと苦しくなっていく。
さんは純粋すぎるんだ。だからあんなクソ男にも付け込まれて、あげく傷つけられる。
もっと我がままになってもいいのに。っていうかオレにもっと甘えて欲しい。
「ぜんっぜん迷惑じゃないっす」
「…え?」
「むしろ…オレを頼ってくれて嬉しいっつーか…」
「…千冬くん…?」
「あ、いや、ほら…オレは女の子に頼られたこと、そんなねえし…男としてそれってどうなんだって思うこともあって…だからさんにはもっとオレを男として頼って欲しい……って、何言ってんだ、オレ…」
さんへの想いが溢れたせいか、つい告白めいたことを言ってることに気づいて血の気が引いた。まだ告るには早すぎるってのに。
さんは少し驚いた顔でオレを見ている。その表情に気づいた途端、余計に心臓がバクバクと鳴り始めた。
「いや…えっと…オレに出来ることは限られてっけど、それでさんが元気になるならいいかなと…だから全然迷惑なんかじゃないっつーか…。そんな風に遠慮されんのも寂しいっつーか…」
「…千冬くん…」
「まあ…そういうことだし気にすんなって」
ダサいくらいしどろもどろになりながら言い訳めいた説明をしたなと自分で呆れたけど、彼女は「ありがとう…」と素直に受け止めてくれたようだった。
「そう言ってもらえて私も嬉しい。今夜、彼と会うの怖かったけど、ちょっと勇気もらったよ。ありがとね」
「え、いや…うん」
どうにか告白めいた雰囲気を誤魔化すことは出来たみたいだけど、それはそれで寂しいなんて思う。
でも今はきっとさんもアイツの件を引きずってるだろうし、ただの隣人でしかないオレが告白したところで、弱ってる彼女につけ入ってるようで嫌だ。
だからこれでいい。そう自分に言い聞かせた。
「じゃあ頑張って完全に終わらせてくるね」
最後にさんはそう言って帰って行った。
完全に終わらせる――。
その言葉を信じて、オレはこれからも彼女と今の関係を続けていけばいい。そしてもっと親しくなったその時、ちゃんと好きだって言おう。
「…それまでは隣人として頑張るか」
「ミャァァ」
「お、オマエも応援してくれんのかよ」
タイミングよく鳴き声を上げたスコティッシュを見て、軽く吹き出した。オレも少し勇気を貰えた気がする。
「んじゃーさんの弁当食って、午後の仕事も頑張るとすっか」
誰に言うでもなく独り言ちると、美味しそうなおにぎりに手を伸ばした。
△▼△
その日の夜は仕事を終えた後、場地さんと近所の居酒屋で夕飯がてら飲むことになった。
本当は少しさんのことが気になって早く帰るつもりだったけど、珍しく場地さんから誘ってくれたし断るわけにもいかない。途中から今日は休みだった一虎くんも参戦して、三人で久しぶりに羽目を外した。
話題はもっぱらオレの話。絶賛片思い中と場地さんから聞いてた一虎くんは「サッサと告っちまえよ」と煽る一方、場地さんは「バーカ。まだ早ぇっつーの」と前に相談した時と同じように冷静にオレを諭してくる。まあ半分くらいは面白がってるようにしか見えねえけど。
ついでに今日、彼女が店に顔を出したことを話すと、二人とも「マジで?」「会ってみたかったわ」と残念がっていた。
「でもわざわざ弁当作ってくんだし、実はその子も脈ありっつーことか?」
「そ、そうっすかね…」
焦るなと散々言ってきた場地さんも、遂にはそんな風に言い出し、オレもちょっとだけ期待してしまう。でもそこで今度は一虎くんが「甘いな、場地」と言い出した。
「男と別れたばっかの女の子は寂しがって近場の男に甘えたりするんだよ。それを向こうもオレのこと好きなんかなって勘違いしたら痛い目見るって」
「そ…そう…っすよね」
この中では一番、男女のアレコレに詳しい一虎くんだからこそ、その言葉には重みを感じる。やっぱちょっと頼られたくらいで勘違いすんのは良くないのかも。
酎ハイを煽りながら、ふと思う。さっきさんも「つい甘えちゃって」と言っていたし、一虎くんの意見は妙に納得してしまった。
「ま、でも今はそうでも、そのうち向こうも千冬の優しさに絆されるってことも無きにしも非ず、だ。頑張れって」
「そうだぞ。少なくともその子はオマエに弁当作ってくれるくらいの好意はあるんだから、後は男として見てもらえるように努力しろ」
「う、うっす」
二人は他人事だと思って好き勝手に応援してくるけど、今のオレにはこれくらい言ってもらわないとダメな気がした。
押しが弱い自覚はあるし、このままだと単に「いい人」認定で終わってしまう可能性もある。
(とりあえず…今日、完全にあの男と切れるはずだし、そっからか…?)
ふとスマホの時計を見れば、午後の11時。さすがにアイツも荷物を取りに来て帰ってる頃だろう。
(さん、大丈夫かな…)
終わらせて来るね、と言って帰って行った彼女の姿を思い出し、ふと心配になった。また一人で泣いてるんじゃ…と想像すると、何だか落ち着かない。
「おい千冬、どーした。全然酒進んでねえじゃん」
一虎くんがオレのグラスを見て笑っている。と言っても今日はいつも以上に飲んでいて、地味に視界がぼやけるくらいには酔っていた。
「いや…ちょっとさんが心配になって」
「あー…そういや、もうこんな時間か」
「相手の男も帰ってんじゃねえの」
「そうっすよね…」
そんな会話をしつつ、オレだけ先に帰らせてもらおうかと思った時だった。手にしていたスマホが震動してドキリとする。
そこに表示されていたのは、まさに今、頭に浮かんでいた人物だった。
「ちょ、電話、さんからっす」
「マジ?」
「何かあったのかな」
場地さんと一虎くんも互いに顔を見合わせ、すぐに出ろと促してくる。オレは軽く深呼吸をしてから画面をスライドさせた。
「も、もしもし」
『あ…千冬くん…?』
聞こえてきたのは少し元気のない声。
やっぱ何かあったのかと胸の奥がざわついた。
『まだ仕事中…?』
後ろが騒がしいせいか、店だと思ったらしい。どことなく遠慮がちな声だった。
「いや、今はツレと駅前の居酒屋に…ってか、どうしたんすか。何か――」
『うん…ちょっと千冬くんと飲みたくなっただけ。でも友達といるなら気にしないで。ごめんね』
「え、ちょ…さん?」
彼女は少し早口で言ってから早々に電話を切ってしまった。やっぱり少し様子がおかしい。
「どーした?彼女何だって?」
場地さんが興味津々といった顔で身を乗り出してきた。
「いや…オレと飲みたくなっただけだって…でも友達と飲んでるなら気にしないでって電話切っちゃって」
「あー…それ、行った方いいんじゃねえの」
一虎くんが苦笑気味に言った。確かに、オレも何となくそう思う。今この瞬間にもさんが泣いてるかもしれない。
「オレ…帰っていいっすか」
「おー早く行ってやれよ」
「うっす…!すんません。会計は――」
「んなのいいから早く行ってやれって」
財布を手に席を立つと、場地さんが呆れたように笑う。
こういう時、オレの背中を押してくれるのは、やっぱり東卍時代の仲間らしい。
二人に頭を下げつつ、オレは急いで居酒屋を後にした。
ただこんなことになるとも思っていなかったせいで、かなりアルコールを摂取しすぎたかもしれない。店を出たところで足がよろめいて軽く視界が回った気がした。
「…クソ。走ってくの無理だな、こりゃ」
仕方ないとばかりに駅前でタクシーを拾う。徒歩15分の距離でもタクシーなら数分でつく。
すぐに自宅の住所を告げて、オレはもう一度スマホを取り出した。さんに連絡する為だ。でも何度鳴らしても出る気配はない。
「すんません。ちょっと急いで下さい」
心配になったオレは、つい身を乗り出してそう言っていた。