01.恋をする


彼女は梵天所有の表の会社に入って来たいわゆる一般人だった。組織がデカくなればなるほど雑用や細かな業務をやる人材が必要になってくる。全て組織のメンバーで賄えるものではなかった。ゆえに反社という裏の顏は見せずに、クリーンな事務所を立ち上げる必要があり、は今年の春にそこの秘書課へ入社してきた普通の女だ。そんな彼女からある日、梵天のNo2である三途春千夜が思いがけないプレゼントを貰った。

「は?」
「え、えっと…三途さんのお誕生日のプレゼントです」

おずおずとした様子で可愛らしいラッピングを施した箱を差し出され、春千夜は呆気に取られた顔をしていた。一応この事務所では彼女の上司という立場であり、これまでも普通に接してきたつもりだが、まず普通の会社員とは思えない外見と、所々に出てしまう口の悪さも相まって、彼女から怖がられてると思い込んでいた春千夜は、暫し呆気に取られてしまった。

「あ、あの…三途さん?」
「あ?あ、ああ…」
「気に入ってもらえるか分からないんですけど良かったら」

は可愛らしい笑顔を見せながら、ボケっとしている春千夜の手にプレゼントの袋を持たせた。今日まで色んな女を相手にして来たが、普通の、それもこんなに可愛らしい笑顔の女の子を春千夜は知らなかった。

「あり…がとう」

言い慣れないお礼を口に出来たのも、彼女の持つ空気がふんわりと柔らかいものだったからかもしれない。










プレゼントの一件があってから春千夜は変わった。これまで派手だった女遊びはなりを潜め、それを見ていた周りにいる幹部連中、特に灰谷兄弟は「不気味すぎ」「地球がそろそろ爆発するわ」などと揶揄している。それでも春千夜は気にしなかった。時間のある時は必ずのいる事務所に顔を見せて、遅くなれば家まで送って行き、時間があれば夕飯に誘うようになった。この日も春千夜は思いがけず時間が空いて、いそいそと事務所にやってきた。今夜もと食事に行く約束を取り付けたので迎えに来たのだ。だが目に入れても痛くないといっても過言ではないほど可愛がっている秘書、に、天敵とも言える灰谷兄弟が話しかけているのを見て、一瞬で表情が曇る。ふたりがに近づくだけで春千代のイライラが増していく。

「あ、春千夜さん」

春千代に気づいたの顏がパっと華やいだのを見て、春千代もつい微笑んでしまいそうになった。しかしニヤニヤ顔で振り向く最悪兄弟の顔を見てしまったら、途端に表情を作れなくなった。

「オイオイ、何だよ、三途。その嫌そうな顔は」
「あ?何しに来たんだよ。滅多に事務所に顔も出さねえ奴らがよぉ」
「いや、最近可愛い子が入ったって聞いたから、挨拶がてら顔を見に来ただけー。噂通り可愛いよなぁ?ちゃんは」
「ほーんと。こんな可愛い子が入ったなら毎日でも事務所に顔だそーかな、オレ」

兄の蘭と弟の竜胆がニヤケた顔で、そんなことを言いだした。は迫力のあるふたりに褒められ、顔を真っ赤にしながら「お世辞でも嬉しいです」と照れ臭そうに俯いていて、その姿を見るだけで春千夜の機嫌が下降の一途を辿っていく。こんな女癖の悪い兄弟など彼女の傍に近づけたくないという思いが沸々と湧いて来た。

、オレにコーヒー淹れて来てくれねえ?」
「あ、はい!えっと…灰谷さん達もコーヒーでいいですか?」
「は?おい、――」

自分にだけのつもりで言ったのだが、気の利くはふたりの分も用意しようとしているのを見て春千夜が焦る。しかし止めることも叶わず、蘭と竜胆が「頼むわー」と言ったのを聞いたは笑顔で頷き、キッチンスペースへと走って行く。思わず出たのは舌打ちだった。

「あれー?何か三途、機嫌悪くねぇ?」
「…うっせぇな。帰れよ」

肩に腕を回して来た蘭に、春千夜は心底ウザいといった顔を隠そうともしない。この兄弟にだけはの存在を知られたくなかったが、ここは梵天の事務所なのだから永遠に隠しておくなんてことは夢のまた夢だ。

「仕方ねえよ、兄貴。三途はちゃんに惚れてるらしーし」
「あ~そうだったっけ。オマエがあんな小動物みてーな子に弱いとか意外過ぎてウケんだけど」
「あぁッ?誰が惚れてるなんて言ったよ?」

そう強がってみたところで、灰谷兄弟はキッチリと情報を入手して事務所に来たのは明白であり、その話をふたりに出来るのはこの事務所を春千夜と一緒に任されていて、春千夜よりも真面目に出社している梵天No.3の鶴蝶か、経理の仕事でしょっちゅう寝泊まりしている九井くらいだろう。

「ネタは上がってんだよ。正直に吐けって。好きなんだろ?ちゃんのこと」
「ハァ?んなワケねぇだろっ?」
「またまたぁ。なら何で彼女にもらったプレゼント、大事そうにつけてんのー?」

蘭は笑いながら春千夜の右耳に並ぶピアスの一つを指でつつく。そこまでバレてんのかと春千夜はギョっとしながらも「テメェ、触んな!」と蘭の腕を振り払った。あの日、がくれた誕生日のプレゼントは春千夜が好みそうなピアスだったのだが、照れ臭いのもあり最初はなかなかつけることが出来なかった。しかしと顔を合わせるたび、彼女が春千夜の耳元を見ては悲しげな顔をするので、ある日、一大決心をしてプレゼントされたピアスをつけてきた。するとがとても嬉しそうな顔をしたので、それ以来春千夜はからもらったピアスを毎日つけている。そしては春千夜がピアスをつけている姿を見るたび嬉しそうな顔をするので、今では外すことなく春千夜の一番のお気に入りになっていた。ついでに彼女への気持ちもそこで気づいた春千夜は、相手が普通の子だけに戸惑ったのだが、気持ちばかりは抑えようもなく。ついでに器用な方ではない為、周りにバレる程度に態度に出てしまっていたのが、本人だけはバレていないと思っているところが鶴蝶や九井は面白いと思っている。その面白さをつい灰谷兄弟に話してしまったのはふたりの失態だったかもしれない。ちょうど退屈していた兄弟が、絶賛片思い中の春千夜の様子を見に行こうと言い出すのは当然のことだった。

「まあまあ。強がんなって。好きなんだろ?あの子のこと」
「だから好きじゃねえって言ってんだろっ」
「いや、めちゃめちゃ顏に出てっからね?気づいてないと思ってるみたいだけど」
「……ッ?!」

竜胆にまで突っ込まれ、バレていないと思っていた春千夜は目に見えて狼狽えた。その姿はこれまで歩んで来た不良人生の中でも初めてと言っていいほどの動揺っぷりだったかもしれない。当然、昔から何だかんだ三途と顔を合わせていた灰谷兄弟も同じだった。こんな狼狽えている三途は見たことがないので余計に面白いようで「やべえ、三途マジだわ」と蘭が腹を抱えて笑い出した。そこへ何も知らないが三人分のコーヒーを淹れて戻って来ると、大笑いしている蘭を不思議そうに見ながら「楽しそうですね」と可愛らしい笑顔を見せる。

「おぉ、さんきゅーちゃん。いや、今さー三途が――」
「灰谷!テメェ、これ以上喋んなっ」

何を言い出すか分からず、春千夜が蘭の腕を掴む。そして驚いているに引きつった笑顔を見せると「ここはいいから仕事に戻ってくれ」と告げた。は「あ、はい」と素直に頷き、皆の分のコーヒーをテーブルに置くと自分のデスクへ戻って行った。それを確認した春千夜は未だ笑いを噛み殺している蘭や竜胆を睨むと「テメェら、覚えてろよ…?」と拳を握り締める。

「はぁ~仕方ねぇなあ。今日はこの辺で勘弁しといてやるかー」
「あ?今日は?つーか大した用がねぇなら来んじゃねえよっ」
「自分の職場に来ちゃダメな理由って何だよ」
「…チッ」

分かっていた。昔も今も、この兄弟とはウマが合わない。いや合わないどころか何もかも気に入らない。別に梵天は仲良しクラブじゃない。だから同じ組織に存在するくらいはいいかと思っていた。腕っぷしも強く、いざって時は役に立つ。何よりマイキーの役に立ちさえすればいいのだ。しかし、こうもプライベートにまで灰谷兄弟に踏み入って来られると、春千夜としてはたまったものじゃない。

「じゃーなー。まあ頑張れよ?応援してっから♡」
「兄貴~あんな可愛い子、三途にはもったいねぇってー」

蘭が本心で言ったわけではないと春千夜も分かっていたが、竜胆の余計な一言にはイラっとした。いくら年上だろうと梵天で春千夜の方が立場は上だ。以前、事務所に使っていた今は空きビルの片づけがまだだったことを思い出し、それを竜胆に任せると「ふざけんな!三途!」とキレ出したが、そこはNo.2として職権乱用してやった。竜胆はブツブツ文句を言いながらも最後は諦めたように了承したが、蘭は「覚えてろよ~三途~」と意味深な笑みと言葉を残して帰って行った。何か嫌な予感はしたものの、とりあえずホッとして自分のデスクへ戻ると、仕事をしていたと目が合う。ドキっとして視線を反らしてしまったが、は自分の席を立つと何故か春千夜の方へ歩いて来た。

「あ、あの…春千夜さん」

元々は春千夜のことを"三途さん"と呼んでいたが、呼ばれ慣れない為に下の名前で呼ぶよう言ったのは春千夜だ。最初は上司を名前で呼ぶことに抵抗があるようだったが、そこは「上司命令」とすれば、も素直に了承してくれた。の優しい声で名前を呼ばれるのが春千夜は好きだった。けれど今はどことなく戸惑いの音が含まれてたような気がして、春千夜は目の前に立つを見上げた。

「何だよ」

話しかけられて嬉しいクセに、いつもツンを全面に押し出すような物言いしか出来ない。自分でも悪いと思っているが、長年これで生きて来た春千夜が今更、優しい言葉をかけられるはずもない。それでもは口の悪さを特別気にすることなく接してくれるので、春千夜もそこは助かっていた。しかし今は少し不安そうな顔をしている。さっきまではあれほど明るい笑顔を見せてくれていたはずなのにどうしたんだろう、と少し気になった。

「何かミスでもしたのかよ」
「い、いえ…そうじゃなくて、その…」

いつもはハキハキしているにしては珍しく歯切れが悪い。春千夜は心配のあまり「何だよ。ハッキリしろ」と、ついキツい言い方をしてしまった。違う、こんな言い方がしたいわけじゃない。なのに口から吐きだすのは普段の冷たい音になってしまう。は慌てたように「す、すみません」と頭を下げた。そして何故かケータイを春千夜の方へ差し出す。

「あ?何だよ…」
「実は…さっき灰谷さん…あ、お兄さんの方に連絡先を訊かれて…」
「は?」
「す、すみませんっ」

春千夜から責められたと勘違いしたのか、が再び頭を下げる。しかし春千夜は「教えたのか?」と気になったことを尋ねた。いや、訊く前から分かっていた。新入社員という立場のが幹部である蘭から聞かれれば断れるはずがない。

「は、はい…。仕事のことで連絡する為だって言うので…」

まあそう言われたら尚更断れないだろうなと春千夜は忌々しく思った。蘭は気さくな態度や優しい物腰で相手を上手く操る方法を心得ている。は男に慣れてなさそうだし仕方ないと春千夜は怒りをグっと堪えながら、次の言葉を待つ。

「でも今、こんなメッセージが…」

はケータイを春千夜に見せた。そこにはメッセージアプリに届いた蘭からのメッセージが表示されていて、今夜食事でもどう?という誘いの文面が表示されている。それを見た春千夜の口元が一瞬で引きつった。同時に帰り際の蘭の捨て台詞を思い出す。

"覚えてろよ"

あれはこういうことだったのか、と春千夜は拳を握り締めた。あの言葉はてっきり殴り合いで決着つけようぜという意味だと思っていたが甘かったようだ。相手はあの灰谷蘭であり、春千夜に嫌がらせのような報復をするのに拳は必要ないと考えたなら、このメッセージの意味も理解できる。要はオマエがモタモタしてるうちにオレが頂いちまうぞ、という何とも分かりやすい宣戦布告だった。

「あの野郎…」
「え…?あ…すみませんっ」
「あ?」

見るからに怒っている春千夜を見て、の顏がサっと青くなった。そこで勘違いをさせてしまったのだと気づいた春千夜は慌てて「オマエに怒ってねえから」と付け加えた。

「で…行くのかよ?」
「え?い、いえ…どうしたらいいのかなって…」
「…は…?何でオレに訊くワケ?」
「……何で…って…だって今夜は…」

蘭の思惑にイライラして、ついそんな言い方をしてしまったが、は戸惑うように瞳を揺らした後で悲しげに目を伏せた。

「行きたいなら行けばいいだろーが。オレとの約束なら気にすんな」
「…春千夜さん…?」
「ま、アイツに何されてもいいって覚悟があるなら、だけどな」
「…え」
「灰谷、特に蘭の方は女にかけちゃ手も早いし、言ってみりゃ百戦錬磨ってとこだ。オマエは男に免疫なさそうだし、そっこーでホテル連れ込まれてヤラれて捨てられんのがオチじゃねぇの」

酷いことを言ってしまったと後悔したのは、黙って聞いていたの大きな瞳からポロリと雫が零れ落ちて、デスクの上を濡らした時だった。

「…私、最初から行くつもりありません。ただ…どう断ったらいいのか春千夜さんに相談したくて…でも仕事と関係のない話でした。すみません」
「あ、おい…!」

急に踵を翻し、が走って廊下に飛び出して行くのを、春千夜は唖然とした顔で見送っていた。そこで彼女を傷つけてしまったことに気づき、春千夜は浮かした腰を下ろし、深い溜息をついた。あんなことを言うつもりじゃなかった。ただハッキリ行かないと言って欲しかったのに迷っているような顔をされ、一瞬も食事に行きたいのかと思ってしまったのと、蘭の仕掛けた爆弾のせいで徐々にイライラが増してしまった。が会ったばかりの男と食事に行きたがるような子じゃないと分かっていたのに。

「クソッあんのバカ兄弟のせいだ…」

机に拳を振り下ろしたところで、を泣かせてしまった事実は消えない。春千夜は椅子から立ち上がると、フロアを出て廊下へ出た。ここは最上階で幹部しか入れない階なので、自分達以外は誰もいない。春千夜はキッチンスペースや女子トイレなどを確認したが、のいる気配はない。

「アイツ…どこ行ったんだよ」

最上階のフロアは当然広く、部屋もたくさんある。一つ一つチェックして行ったがの姿はなく、春千夜はだんだん焦って来た。この下の階は平の社員がいるくらいだ。あの状態のが行くはずもない。

「となると…上、か?」

天井を見上げながら独り言ちる。ここは事務所としては最上階ではあるが、更にこの上はプライベート用のペントハウスになっている。幹部連中が集まって密談したり、時々飲み会をしたりするような用途で使っているが、一般社員は入れたことがない。しかしはその存在を知っているし合い鍵の在り処も知ってるはずだ。春千夜はすぐに通路奥のペントハウス用エレベーターへ走った。このエレベーターは鍵を使うことで動かすことが出来る。春千夜は自分の鍵を使って動かすと、エレベーターに乗り込み、すぐにペントハウスへ到着した。扉が開くとそこは室内なので辺りを見渡す。しかしそこには予想に反して誰もいない。いや、ひとりソファで寝ている人物がいた。

「あ?どーした?三途…そんな慌てて」
「……九井。オマエ、ずっとここにいたのかよ」
「徹夜明けだったから寝てた」

そう言えば夕べそんなことを言っていた気がする。九井は仕事熱心で自分の仕事が終わるまでは普段から帰らずに泊まり込みでやっていることが多い。

「ここに誰か来なかったか?」
「誰って…誰が?」
「…来てねえならいい」

全面ガラス張りのペントハウスからは沈みかけている夕日が見えて幻想的な景色が広がっている。その眩いオレンジ色を眺めていたら、ふと一つだけ確認していない場所があるのを思い出した。

「あ、おい、三途?」

いきなり戻って行く春千夜を見て九井が驚いた声を上げたが、春千夜は気にせず再びエレベーターに飛び乗ると、すぐに下のフロアに戻り、もう一つのエレベーターホールへ走る。そこの前にはちょっとした休憩所があり、自販機や喫煙所が設けられていた。そこも一面がガラス張りで、この時間はペントハウスと同じような景色が見られる。律儀にもフロア内で電話をするのは迷惑だと思っているのか、はケータイを使用する際そこを使っていたのを春千夜は思い出したのだ。急いで廊下を走って行くとエレベーターホールがある方へ曲がる。すると設置されているソファにが座っているのを見つけて、春千夜はホっと息を吐きだした。

「…っ」
「……あ…」

春千夜が走って行くと、は慌てて立ち上がった。その手にはケータイが握られている。

「ど…どうしたんですか…?」
「オマエこそ…こんなとこで何やってんだよ…」

どこかへ行ったわけじゃなくて良かったと内心ホっとしながら、今度はなるべく怖がらせないような口調で声をかけた。春千夜の問いには気まずそうに俯き、「灰谷さんに電話を…」と呟いた。まさかさっき「行きたいなら行け」と言ったことを鵜呑みにしてOKの返事をしたんだろうか、と春千夜の中で変な焦りが生まれた。

「灰谷に電話って…何で」
「…断るならメッセージ送るより直接電話をした方が失礼がないかなと思って…」

の言葉に春千夜は少し驚きながらも「……断った…のか?」と尋ねる。

「はい…」
「…何で」
「………私が食事を一緒にしたいのは…春千夜さんなので」

思いがけない言葉が耳に飛び込んで来たことで、春千夜は一瞬フリーズした。は恥ずかしそうに俯いたままで、色白の頬が薄っすらと色づいて見えるのは夕日のせいだけじゃないだろう。

「…オマエ、オレに惚れてんのかよ?」

違う。こんなことを言いたいわけじゃない。もっと優しく、いや、その前に今の言葉は自分が言わなきゃいけなかった。「アイツと食事なんか行くな」と言えば良かったのだ。けれど普通の世界に生きてる彼女を自分勝手な想いで縛りつけていいわけがないという冷静な自分もいる。なのには素直に「…はい」とハッキリ答えた。春千夜の心臓がらしくないほどに速くなっていく。ついでにジワジワと熱くなっていく顔の熱に、どうしようもないほど焦って来た。

「…バカじゃねぇの…。オレは――」

オレは…何だ?と春千夜は思った。住む世界が違うと言うなら、必要以上にに近づかなければ良かったのだ。プレゼントもいらないと普段通り冷たい最低な男のまま断ればよかった。なのにささやかな夢を見た。の傍にいることを許されたかった。自分には縁のない、いや…自分にはもったいないくらいのいい子だから。

「オレが…どんな男かもどんな世界に生きてるかも…知らねぇだろ」
「…知りません。でも…知りたいと思ってます」
「知ったらオマエ、絶対後悔するぞ」
「なら…後悔させて下さい」
「ハッ…何だそりゃ…」
「そんな理由で春千夜さんに拒否されるなら…いっそ嫌いにさせて欲しいです…。好きになったことを後悔するくらいに」

顔を上げたの瞳はあまりに真剣で、春千夜はドキっとしながらも戸惑っていた。もしかしたら、はもう自分が何者か知ってるんじゃないかと思う。そんな目をしている。

「……後悔なんかさせるわけねぇだろ」

の腕を引き寄せ、気づけば抱きしめていた。自分よりも遥かに華奢なの身体は、少しでも力を入れたら壊れてしまいそうだ。

「オレ…が好きだわ」

柔らかいの髪に頬を寄せると、自然に口から零れ落ちた本心に自分で驚く。も春千夜の胸に顔を押し付けながら「私も…春千夜さんが好き…です」と呟いた。彼女からプレゼントを貰った時点で、春千夜は何となく気づいていたのかもしれない。でもこれ以上近づいては行けないと思いながら、短い時間を共有するくらいは許されたかったから、突き放すことも出来なかった。完全に誤算だ。こんなに好きになってしまうなんて。

「…とりあえず…飯でも行く?」
「はい」

照れ臭いのを隠しながら腕を放し、春千夜がそう提案すると、は嬉しそうに微笑んだ。










『おい、どうなった?』
「あー何か…上手くいったみたいだな。今、ふたりで出てった」
『マジか!こんな上手くいくとはなー?竜胆。――オレらキューピッドじゃね?兄ちゃん、今度アイツに奢らせようぜ』

蘭の後ろから竜胆の笑い声が聞こえて来て、九井は苦笑いを浮かべながら、仲良く廊下を歩いて行く春千代とを見送っていた。春千夜がに気があるようだと灰谷兄弟に教えてしまった手前、少し心配だったが、まあ無事にくっついたなら問題ないだろう。とはいえ、あの粗暴な春千夜が普通を絵に描いたような女の子にハマるとは九井も思わなかった。

「しっかし大丈夫なのか?三途の気性の激しさにちゃんはついていけんのかな」
『そこまで心配してやる義理はねぇだろ。ガキじゃねえんだし』
「いや…三途はガキでしょ、その辺は…まともな恋愛とかしたことねぇみたいだし」
『……あ、オレもこれからデートだったわ』

蘭がいかにもこれ以上は関わりたくないといった様子で話を変える。しかし本題の仕事がまだ終わっていない。

「は?つーか、仕事は?」
『それは明日やるから。後は頼むなー?ココー♡』
「ちょ、そういう時だけ優しい声出すのズルくないっスか?」

と九井が言った時にはすでに電話が切れていた。かくして今夜も九井はひとり寂しく事務所で止まりこむ羽目になった。