
09.許されない 許されたい⑸
※軽めの性的表現あり
1.
深く唇を合わせると、そこから甘い疼きが全身に伝染していく。絡めとったの柔らかい舌を思う存分に堪能しながら、春千夜は彼女の全てを暴きたいと思った。その華奢な身体を押し倒し、細い腕を組み敷いて、背中のファスナーを下ろし、滑らかな肌に触れる。二つの膨らみや、女らしい曲線を描く細腰に太腿、その奥に隠された場所全てに口付けて、艶やかに啼かせたい。その甘い音は、きっと男の欲を満足させてくれる。この前、一度だけ触れたことのある肌を思い出し、ズクリとした疼きが腰に走った。なのに――理性がそこで春千夜を押しとどめる。本能のまま自分の欲望をぶつけて、を怖がらせたくはない。
「…ん…春千…夜…?」
これ以上は危険だと判断した春千夜は、の唇を解放して抱きしめていた腕も離した。
「今夜は…飯食って酒飲むんだろ?」
「う、うん…」
彼女の頬にも軽く口付けて言えば、は真っ赤な顔で頷いた。その表情ですら欲を煽られる。邪念を払うように、春千夜はケータイに手を伸ばした。
2.
時は一か月前に遡る。が初めて春千夜のマンションへ来たその夜。お酒を飲み、いい感じに酔って来た頃、ふたりは初めてキスを交わした。それまでキスなどはセックスをする流れを作るための行為としか考えていなかった春千夜が、キスだけで満たされたのは初めてで、触れるだけであれほどドキドキしたのは初めてだったかもしれない。それでも男としての欲は出てしまう。「泊っていくか」と誘ったのも、そんな欲が前提にあったことは否定できない。
その後もは飲み慣れない酒をハイペースで飲んでいて、深夜近くにもなるとかなり酔っていた。
「んーほんと美味しい。今度からウイスキーも色々飲んでみようかなぁ」
「大丈夫かよ。度数高いし炭酸で割ってる分、酔うだろ?オレがいないとこで飲むなよ?」
「…うん。分かった。春千夜のいないとこじゃ飲まない」
ふふっと頬を緩ませて言った。春千夜が心配してくれたことが素直に嬉しい。は酔った勢いで春千夜に抱き着き、初めて自分から唇のすぐ横へちゅっと口付ける。まさかの行為に春千夜はギョっとしたようにを自分から引きはがした。
「オマエ…酔ってんだろ」
「そんなに酔ってないよー」
「………」
言いながらも、その仔猫のような瞳はとろんとしている。それが何とも言えず可愛い。いともたやすく春千夜の胸を撃ち抜いて来る。あげく「春千夜~抱っこ」と急に甘えん坊になったことで、春千夜の心拍数が爆上がりになってしまった。
「めちゃくちゃ酔ってんじゃねえかっ」
首に両腕を回され、ぎゅうっとしがみついて来るに驚き、狼狽えつつも、脳内では案の定"可愛すぎだろが!"という言葉が延々に回っている。こんな風にから甘えられたのは初めてのことで、春千夜のテンションが上がってしまうのは仕方のないことだ。ただ可愛いからとこのまま好きにさせていれば、そのうち色々と我慢がツラくなってきそうで、春千夜はの腕を外して「離れろ、うっとーしい!」と、いつものツンを前面に押し出してしまった。その瞬間――言った傍から後悔することになった。
「ごめんなさい…」
春千夜に叱られたと思ったのか、がしゅんとしたように俯いてしまった。それを見た春千夜はハッと我に返り、「べ、別に怒ったわけじゃねえよっ」と彼女の顔を覗き込む。
「いちいち真に受けんな…」
「…ごめん」
頭を撫でると、泣きそうな顔をしていたがすぐに笑顔になる。自分の一言で一喜一憂している彼女の姿がいじらしく、何とも言えない想いが春千夜の胸を支配していった。これまでは目の前で女が泣こうが喚こうが、何とも感じなかったのに、が相手だと自分までが、その言動に一喜一憂させられている。
(オレはコイツのことが本気で――)
分かっていたつもりなのに、また改めて自分の中に生まれた想いを自覚する。初めて本気になれる女が出来たと思った。
「ひゃ…春千夜…?」
腕の中にを抱き上げた春千夜は、そのまま寝室まで運んでいく。突然の行動には驚いた様子ではあったが、そこは酔っ払い。「春千夜が抱っこしてくれてる」と頬を緩ませながら喜んでいる。その姿に春千夜も苦笑しながら「抱っこだけじゃ済まねえけどな」と返し、にやりと笑みを浮かべた。意味深な言葉の真意を尋ねる間もなく、は気づけばベッドに押し倒されていた。決して乱暴な仕草ではなく、大切なものを壊さないようにあくまで優しく動く。
「春千夜…?」
薄暗い部屋のベッドの上で、は何度か瞬きをしながら、自分に馬乗りになっている春千夜を見上げた。自分を見つめている大きな瞳の中に、いつもとは違う熱を感じて、酔った頭で春千夜が何をしたいのかを悟る。
「…」
「な…何…?」
「抱きたい」
「え、」
「イヤなら抵抗しろよ」
「ま、待っ――んっ」
上から噛みつくように唇を塞がれ、言葉が途切れる。さっきのような触れるだけのキスとは違い、深く交わった唇の隙間からぬるりとしたものが口内に押し込まれ、性急な動作で絡みついて来る。抵抗しろとは言われたが、抵抗することも出来ないほどに、は春千夜の荒々しいキスに酔わされていた。
「ん…ふ…」
何度も絡められた舌を吸われ、呼吸もままならない。こんなに激しく求められるのは初めてだった。キスだけで伝わって来る春千夜の情欲に、全身が粟立った。シャツのボタンを外されて行くたび、ドキドキが加速していく。やっと解放された唇の端から垂れた唾液すら、春千夜が舐めとっていく。そのまま唇を頬や耳に這わせ、そこへ口付けられると、がかすかに身を震わせた。
「抵抗しねえのかよ」
「…ん…っ」
首筋に唇を寄せ、白い喉元を舌で舐める。ゾクリとしたものが体に走り、は頭を振った。心臓が口から出そうなほどドキドキしている。これまで男に求められて、こんなにも心や体が熱くなったことはなかった。なのに春千夜に触れられるたび、そこからじわりと刺激が生まれ、全身に疼きが広がっていく。自分の体とは思えないほど、感じているのが分かった。
「なら…このまま抱くけどいいのか?」
シャツを脱がされ、露わになった胸元へ顔を埋めながら、春千夜が問う。言葉は乱暴に聞こえるが、自分を気遣ってくれてるのを感じて、は小さく頷いた。酒のせいでふわふわしながらも、春千夜に触れて欲しいとも思った。あまりセックスに対して積極的ではなかったが、こんな風の思ったことすら初めてだ。
「じゃあ…もう遠慮はしねえ」
「…ぁ…っ」
引っ掛けていた指で下着を押し上げると、形のいい胸が現れる。そこへ言葉通り遠慮もなく舌を這わせ、すでに硬くなり始めた乳首へ吸い付いた。
「…んぁ…あっ」
舌で転がされるたび、強い刺激が齎され、はたまらず身を捩った。それを許さないというように春千夜の手によって両腕を拘束される。動きは荒々しいのに、愛撫は蕩けるくらいに優しい。その相違とも言える春千夜の行動が、の中の欲を掻き立てていく。同時にアルコールで火照っている顔に熱が集中して、軽い眩暈がした。
「はる…ちょ…」
気づけば服は脱がされ、冷んやりとした空気にさらされていた。朦朧とした頭で春千夜の名前を呼ぶと、掴まれていた手に指が絡まり、ぎゅっと握られる。それが凄く安心して、はとろんとした目を閉じると、自分も手を握り返した、つもりだった。
「…?」
今まさに最後の一枚を脱がせようとしていた春千夜は、彼女の手が弱々しく脱力したのを感じて、ふと顔を上げた。そこには気持ち良さそうに目を瞑っているの姿。一目で寝ていると分かった。
「…マジかよ」
体を起こし、の顔を覗き込むと、小さな寝息が聞こえて来る。思っていた以上に酔っていたのか、と春千夜は項垂れた。
「…ここで寝んのか…」
すっかりその気になっていた体が疼いて仕方がない。溜息交じりで隣に寝転がると、春千夜はの寝顔をジトっとした目で眺めていたが、あまりに気持ち良さそうに寝ているせいか、ふと笑みが零れた。
「ったく…女にここまで振り回されんの初めてだわ…」
むぎゅっとの鼻をつまめば、むにゃむにゃと何か言いながら眉間を寄せている。その顏が子供みたいで、つい吹き出してしまった。火照っていた体も落ち着いて、春千夜はの体を抱きしめながら布団をかぶる。素肌同士が触れ合うだけで、今は満たされるのだから不思議だ。ただ次も寝られてはかなわない。次に家で飲む時はウイスキーを飲ませないようにしようと思った。
――これがあの夜にあった出来事で、結局は記憶がなく、ふたりの関係は有耶無耶のまま終わった。だが、その後、すぐに元カレ事件が起きた。そのせいでは一人であの部屋に住むのが怖くなり、一緒に住むことを承諾。春千夜にとっては嬉しい誤算となった。ただ一つ、問題なのは――に触れることが出来なくなってしまったことだ。
女にとって男に襲われるというのは男が想像するよりも遥かに怖いことだ。見知らぬ男は当然だが、相手が知人、それも元カレだった場合はその恐怖は更に倍増する。知っている相手から暴力を振るわれたことで、は夜にひとりでいるのを怖がるようになった。だからこそ環境を変えて春千夜と住むことを選んだ。そんなの気持ちを知っている春千夜からすると、やはり怖がらせたくないという気持ちが先に来て、迂闊に手を出せなくなってしまった。ここの所、そういう雰囲気になってもギリギリのところで交わしていた一番の理由はそれだった。それに一度でも抱いてしまえば、手放すことが出来なくなるのも分かっている。反社組織のNo2である自分が、本当にの隣にいていいのかという思いは今もあった。矛盾だらけだという自覚もある。そばに置いておきたい。でも普通の彼女の人生を自分が壊すことになるかもしれない。彼女の母親に会ったら余計にその矛盾は大きくなった。
「春千夜、デリバリー届いたよ」
嬉しそうに料理を並べるを眺めていると、つい笑みが零れる。殺風景だった自分の世界に、がいるだけで、見るもの全てが鮮やかに煌く。ウダウダと悩んだところで、結局、自分は彼女を手放す気などないということを、春千夜は分かっていた。ならば前の生活を忘れるくらい、自分の傍でたっぷりと甘い夢を見させてやればいい。もう躊躇うことなく、めちゃくちゃに抱いて、本気で愛して、自分の傍から離れられないくらいの、甘い夢を――。
今更、善人ぶったところで、自分の犯した罪が許されるわけじゃない。でも、の隣に居ることだけは、許されたかった。