10.あなたはわたしの光⑷


※性的表現あり

1.

「ちょ、ちょっと待って、春千夜――」
「散々待ったし、もう待たねえ」

は焦っていた。一日中、仕事をしている合間も、マンションに残して来た春千夜のことが心配だった。ケガの方はだいぶ良くなってはいたものの、そのせいで春千夜がどこかへ出かけてしまうんじゃないかと不安になり、「私が帰って来るまで家から出ちゃダメだからね」と言い残して仕事に向かった。それでも心配で、仕事が終わってすぐに会社を飛び出し、まずは夕飯の買い出しをする為、スーパーに走った。そこで必要な食材を揃え、今夜は春千夜に初めての手料理を作ってあげたいと思いながら帰って来たのだ。なのに帰宅早々、うがい手洗いもせず、はたまたシャワーにさえ入っていないというのに、何故か春千夜はを抱えて寝室に向かっている。が驚くのは無理のないことだった。

「ひゃ…っ」

ベッドの上に落とされたと思えば、すぐに春千夜が覆いかぶさって来る。驚いている間もなく唇を塞がれ、少し強引に押し入って来た舌に口内を余すところなく愛撫された。口蓋を舌先で刺激されると、思わず声が洩れてしまう。

(何で急に…?)

珍しく春千夜がその気になっている。これまで散々はぐらかされて来た感満載だったはずなのに何故急に、という思いがの頭に過ぎった。それでもにとってみれば九井につい相談してしまうほどに思い悩んでいたことだ。こうして春千夜が自分を求めてくれるのは嬉しかった。だが、春千夜の手がもどかしいと言うように、の着ていたスーツのジャケットを脱がし、シャツのボタンを乱暴に外していくのを感じて、は我に返った。

「ダ、ダメ…っ」
「…あ?」

最後のボタンを外し終えた春千夜の手を、が慌てて止めた。すっかりその気になっていた春千夜が不満げに目を細めて「何だよ…」と不機嫌そうな声を出す。あまりの迫力には「う」と声が詰まったものの、これだけは譲れないと春千夜の体を押しのけ、起き上がった。

「せ、せめてシャワーだけでも浴びさせて…」
「…いいよ、そんなの」
「私が嫌なの…走って来て汗もかいてるし、手だって洗ってないし…その…春千夜、嫌でしょ?そーいうの」

春千夜自身、外から戻ればすぐに、うがい手洗いをキッチリして、更にはすぐシャワーを浴びるほどの綺麗好きだ。以前のは手洗いこそしたものの、うがいまでするほどマメではなかったが、春千夜と暮らし始めてすっかり同じペースで同じことをやるようになっていた。だからこそ、その中のどれ一つとして出来ていない今の状況は酷く落ち着かない。ましてシャワーも浴びずに初めて春千夜に抱かれるなんて嫌だと思った。しかし春千夜はの言葉に一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐに苦笑いを浮かべた。

「…嫌っつーか…それはオレ自身のことであってがしないから嫌とかねえけど…」
「じゃ、じゃあ私が嫌なの…その…春千夜と初めてそうなる時に…汗臭いなんて思われたくないし…」
「別に臭くねえって。いい匂いだし」

春千夜が甘えるようにの首筋へ顔を埋める。ついでに首筋へちゅっとキスを落とすと、の体がビクンと反応した。その可愛い反応に春千夜の欲が更に上がって行く。

「シャワーなんて後で入れば――」
「ダ、ダメ…!」

逆には焦ったのか、すぐに春千夜を押しのけてベッドから飛び降りた。

「何だよ…」

あまりの素早い行動に春千夜の目が点になる。逆には首元を手で抑えながら真っ赤な顔で春千夜を睨んだ。

「い、言ったじゃない…汗臭いからやだって…私、シャワー入って来るから!」
「は?あ、おい!」

アッという間に寝室を飛び出してくを見て、春千夜が呆気に取られる。自分がいいと言ってるのに、そこまで何を気にする必要があるんだと言いたげだ。

「ったく…!その気になったと思えばこれかよ」

春千夜は溜息交じりでベッドへ寝転ぶと、火照った体を沈めるように息を吐いた。ただ本来の春千夜もが言った通り、女を抱く時は相手の女にも当然シャワーを浴びさせていた。春千夜にとってはただ欲を満たすだけの行為なので、相手の女に思い入れはない。にするような愛撫など殆どないにも関わらず、それを徹底するほどの潔癖症ぶりだった。なのにが相手だと全く不快じゃなく、むしろ汗をかいていようがの匂いだと思うと余計に興奮した。

「…オレ…変態なのか?」

先ほど首筋に口付けた時、体が疼いて仕方がなかったことを思い出し、首を捻る。これまでそんなことを考えたこともなければ、あんな風になったこともない。

(違うか…きっとだからだ…)

ふと思った瞬間、笑みが零れた。腕に抱くだけで、キスをするだけで、焦がれるほど胸が疼くのは相手がだからだ。実に簡単な答えだった。
春千夜はベッドから起き上がると、そのまま寝室のクローゼットを開け、中にある自分用のチェストの中から小さな箱を取り出した。某有名ブランドの可愛らしいラッピングがされたそのプレゼントは、と一緒に住もうと決めた時に買ったものだ。にも関わらず、何となく渡しそびれていた。自分の中に迷いがあったせいもある。でも、その迷いは吹っ切れた。もう迷うこともない。春千夜はその箱をベッドサイドの棚へ置くと、再びベッドに横になり、そっと瞼を閉じた。
心が決まってしまえば、もう何も怖くはなかった。





2.

「…ふう。スッキリしたぁ」

どうにか春千夜の猛攻を振り切り、シャワーへ入ることに成功したは、心身ともにホっとしながら髪を乾かした。本当なら、春千夜がその気になってくれたことは凄く嬉しい。でも何で今なのという思いだった。何も一日仕事をしてきた後の、そして買い物に走り回って来た後の汗臭い+メイクも落ちてる時に、その気にならなくてもいいのに、という思いは理屈じゃない。本人がいくら気にしないといったところで、やはり大好きな人に抱かれる時は綺麗にしていたいという女心が勝ってしまった。その気持ちを春千夜はちっとも分かっていない。

「よし、これでいいかな」

髪をブローし、サラサラになったところでは満足そうに微笑んだ。パジャマもこの前買った新しいものに着替えてホっと息を吐く。本当なら薄くメイクもしたいところだが、家でメイクをしているのは春千夜が嫌がるのでスッピンのままだ。

「春千夜、怒ってるかな…」

何もかもスッキリしたところで、ふと心配になった。さっきは焦りすぎて慌てて逃げ出して来たが、あんなに積極的な春千夜は初めてで、思い出すと少しドキドキしてくる。これまでは彼氏がそういうことをしたそうに触れて来た時は少し憂鬱に思っていたのに、春千夜だと全く不快じゃなく、むしろそれを自ら求めてしまう自分に少しだけ恥ずかしくなった。

(何で…こんなに好きなんだろう…)

自分でもよく分からない。ただ心が春千夜を欲しているような、本能的なものとしかいえない。例え春千夜が善人でも悪人でも、きっとどっちでもいいくらい、もう一度別の形で出逢ったとしても、また春千夜を好きになる。そんな確信めいたものを感じていた。

「…春千夜?」

全ての準備を終えて、はそっと寝室のドアを開けた。中は先ほどと同様、カーテンは閉められスタンドライトの仄かな明かりしかない。あまりに静かでは少しだけ不安になった。

(もしかして…寝ちゃった…?)

マンションに戻って来た春千夜は、黒木のところで散々寝ていたから眠くないと言っていたが、やっと動けるようになった程度。ずっと寝ていたことで体力も失われているのだから、疲れやすくなっているはずだ。

「春千夜…寝ちゃった?」

もう一度声をかけて中に入ると、ベッドの上に春千夜が横になっているのが見えた。思わずガックリと項垂れる。

「やっぱり寝ちゃったかぁ…」

足音を忍ばせながらベッドまで歩いて行くと、はそっとベッドの上に上がり、這うようにして春千夜の顔を覗き込む。しっかりと目は閉じられ、長いまつ毛が顔に影を作っていた。

(ほんと綺麗な顔…)

ふと笑みが零れる。こうして寝顔だけ見ていると、あんなに口が悪いようには見えない。これもまたある意味ギャップなんだろうなと思いつつ、自分よりも白いその頬へそっと手を伸ばす。その瞬間、ガシッと手首を掴まれ「ひゃぁっ」と変な声が出てしまった。

「は…春千夜…?」

そのうえ気づけば押し倒されて春千夜を見上げている状態に、は呆気に取られたように何度か瞬きをした。急展開すぎて思考が追いつかない。

「オレが寝たと思ったのかよ」
「え…だ、だって…」

春千夜は不敵な笑みを浮かべながら、を見下ろしてくる。

「まあ…暇でほんの少し寝かかったけど、オマエが入って来た時に目ぇ覚めた」
「そ…そっか…」
「で…?もう気が済んだかよ」
「え?…んっ」

不意に春千夜がの首筋へ顔を埋め、さっきと同じ場所に吸い付いた。ゾクゾクとしたものがの背中に走る。軽く身を震わせたを見下ろした春千夜は、口元をかすかに緩めた。

「すっかりオレと同じ匂いだな」
「…え?あ…」

言われてる意味が分かり、は頬が赤くなった。一緒に住み始めてからはお風呂で使うもの全て、春千夜と同じものに変えたのだ。

「これはこれで…そそられる」
「…ん」

春千夜の指がの頬にかかった髪をよけていく。頬に口付けられ、唇もちゅっと軽く啄まれると、静まっていた鼓動が再び動き出して、自分を見下ろす春千夜をゆっくりと見上げた。大きく色素の薄い虹彩がいつもよりも優しさを含んでいて、その瞳に見つめられると自然と身体が熱くなっていく。

「…春千夜?」

その時、春千夜が体を起こし、の頭の上辺りに手を伸ばして何かを掴んでいる気配がした。次の瞬間、目の前に綺麗なラッピングをされた箱が現れ、は驚いたように目を瞬く。ゆっくり体を起こすと、春千夜が意外なほど真剣な顔で、手の中にある箱をへ差し出した。

「え…」
「オマエにやる」
「…私に?」

何を、と聞く間もなく。春千夜は自らリボンを解いて中身を出すと、それを彼女の左手薬指へそっとはめた。その感触に驚いたのか、は自分の指にはめられた指輪を見て更に唖然とした顔だ。

「こ…れ…」

何カラットあるんだろうと俗物的な質問をしそうになったほど、その指輪に飾られた石はキラキラと煌き、の細い指の付け根で自分の存在を主張している。混乱した頭で、これは噂に聞く婚約指輪なるものでは…と思いながら、春千夜に視線を戻した。

「オレは…今更生き方は変えられねえし、変える気もねえ。だから…が望むような形では一緒にいられないと思う」
「…春千夜…」
「もしオレに何かあった時、オマエまで巻き込まないようにする為にはそれが一番いい方法。でも…」
「…で…も?」

春千夜は真っすぐを見つめると、「オレにはオマエしかいない」と言った。それはどんな愛の言葉よりも重く、深く、の胸に突き刺さった。

「形がなくても…オレのそばにいて欲しいつったら…オマエは嫌か?」
「……っい…」

嫌じゃない――。
そう言いたいのに、言葉を発したら泣いてしまいそうで、は涙をこらえながら首を振った。
どんな形でもいい。春千夜と一緒に居られるなら――。
言葉にする代わりに、は思い切り春千夜に抱き着いた。首に腕を回し、ぎゅっと力を入れて抱きしめる。その温もりが、ただ愛しい。

「…大…好き」

泣き声で精一杯の想いを口にすると、返事の代わりに唇を塞がれた。





3,

「…ん、ぁ…」

散々可愛がられた場所に、ゆっくりと指が埋められていくのを感じて、は小さく喉をのけぞらせた。その白い首筋に春千夜が唇を這わせていく。その柔らかい刺激でさえ、の体の熱を押し上げるには十分な甘さを含んでいる。セックスなど苦痛としか思っていなかったにとって、それは初めての感覚だった。春千夜に触れられる場所全てが敏感に反応し、全身を痺れさせていく。耳を舐められるだけで、ゾクゾクとした感覚が襲い、肌が粟立つことに自身が驚いた。

「んん…っ」
「ここ…感じんの」
「…ゃ…わ、わかんな…」
「すげー締め付けてくんだけど」

春千夜の指がある部分を刺激すると、じわりと快感の熱がそこから広がっていく。にとっては何もかも初めての刺激で、自分の体がどうなっているのかすら分からない。

「…ぁ…やぁ…っんっ…」

の反応を見て何かに気づいた春千夜は、何度か同じ場所を突くように指を抽送しながら、胸の先端へ吸い付く。途端に中がまたしても収縮し、指が締め付けられた。

「も…限界…挿れていーか…?」

の反応がいちいち可愛くて春千夜の限界が来た。切なげに眉間を寄せて見つめて来る大きな瞳には、今まで見せたことのない甘い熱を孕んでいる。その瞳を見ていると、もどうにかなってしまいそうだった。小さく頷けば、足を押し上げられ、濡れそぼった場所に熱い質量のあるものを押し付けられる。それが春千夜のだと分かった時、の全身が熱を持った。

「んんっ」

春千夜がグイっと腰を押し進めると、ゆっくりと熱の塊が挿入されていく。その押し広げられる感覚に、は小さく息を吸った。久しぶりの行為はまるで初体験の時のような圧迫感と、少しの痛みを伴ったものの、しっかりと潤みを帯びた場所はすぐに春千夜を受け入れた。とはいえ馴染んでいないそこは春千夜のものを押し戻そうとするくらいに狭い。

「…は……すげーキッツいんだけど…痛いか?」
「だ…だいじょ…ぶ…だから…春千夜の…好きなよう…にして…」
「…は?」

苦しそうに息を吐きながら呟くに、春千夜はギョっとしたように見下ろせば、頬を赤く染め、潤んだ瞳のと目が合う。その瞬間、春千夜の頬まで赤く染まり、中に埋めたものがいっそう硬さを増した。その刺激に驚いたのか、の口から切なげな声が洩れる。

「ん…っ春千…夜…?」
「…煽んな、バカ…ただでさえ余裕ねえのに…」
「…え…」

その言葉に思わず視線を上げると、いつも余裕の顏しか見せない春千夜が、言った通り余裕のない顔で自分を見下ろしている。普段は色白の頬も薄っすらと色づき、呼吸を乱しながら眉間を切なげに寄せている春千夜の顔は何とも言えず色っぽかった。思わずドキっとしてしまう。その瞬間、春千夜が「締め付けんなって…」と苦笑を零した。素直に反応する自分の体が自分のものではないようで、は恥ずかしくなった。

「ご…ごめ…ん」
「はあ…やべえ…気持ち良すぎてツラい…」
「え…っ」

両腕をつき、項垂れながら呟く春千夜に、は真っ赤になった。その瞬間、唇にちゅっと軽めの口付けが降って来た。

「…動くぞ」
「う…うん…」

頷いたと同時に、春千夜が強く腰を押し付けてきたことで、いっそう圧迫感が強くなる。声にならない声が洩れて、呼吸が荒くなっていく。最初はゆっくりと動いていた春千夜も、少しずつ腰の動きが速まっていった。

「…ん…ぁあ…っ」

何度も中を擦られるたび、最初のヒリついた感覚が消えて、少しずつ快楽の波が押し寄せて来るような気がした。これまで与えられたことのない刺激に、の口から自然と絶え間ない嬌声が零れ落ちる。春千夜に奥を突かれては腰を引かれ、また最奥まで突かれる。飽きることなく擦られていると、足先まで電流のような甘い痺れが走った。

「ゃ…あ…っん」

次第に春千夜の動きが性急になり、全身を揺さぶられる。絶え間なく与えられる快楽に、は追い詰められていく。

…」

いつもより少し掠れた艶のある声に呼ばれると、それさえも快感を得る音に変わっていく。何もかもが初めての感覚ではかすかに身を震わせた。自分の体に押し寄せる波が何なのかさえ分からず、流される不安に春千夜へしがみついた。そのまま唇を奪われ、舌を絡めとられる。その優しくも荒々しいキスで、首の辺りにゾクゾクとするものが走った。

「…オマエが…好きだ」

苦しげな呼吸の中、春千夜が耳元で呟く。自然と零れ落ちた言葉は、熱で浮かされたの耳に優しく響いた。

自分に縋りついて来る火照った体を貫きながら、春千夜は初めて味わうの全てに夢中になった。頬を染め、浅い呼吸を繰り返す淫らな表情も、甘さを含んで艶やかに啼く声も、全てが愛おしい。これまで女を抱いてこれほど感情が揺さぶられたことはない。触れている場所から次々に新たな疼きが生まれて、もっともっとが欲しくてたまらなくなった。好きなどという言葉では言い尽くせない想いが、どこから溢れて来るのかと不思議に思うほど、心が支配されて行く気がした。

「春…千夜…」

意識が飛びそうになりながら、は愛しい人の名前を無意識に呟いた。片足を持ち上げられ、奥まで貫かれると、一際高い声が洩れ落ちた。浅いところから、一番深いところまで何度も擦りあげられて、足先から頭のてっぺんまで甘い快感が駆け抜けた。

「…やぁ…ぁっあ」

ゾクゾクとした強い痺れが増幅していく感覚に、はたまらず頭を振った。

「イけよ…」

耳元で春千夜に囁かれたのと同時に、目の前で火花のような光が走った気がした。薄暗い室内に、いっそう高くなったの嬌声が響く。

「…

遠のく意識の中に、優しい声色で名を呼ばれ、胸の奥が体とは違う疼きを覚えた。泣きたくなるほどの響きは、にもこれまで感じたことのない想いを連れて来る。

「春千夜…」

その名前を口にするだけで涙が溢れてしまう。夜に光る小さな灯りのように、自分だけを照らしてくれる春千夜は、にとっての愛しい光だった。