Magenta...08



いつものように陽が落ちた頃、事務所に顔を出した蘭は、応接スペースで仲間の鶴蝶と九井がヒソヒソと話し込んでるのを見かけて眉を寄せた。二人は話しこみながら、どちらも同じ方向へ視線を向けている。釣られて蘭も二人の視線の先を追えば、そこには組織のナンバー2である三途春千夜の姿。春千夜は自分のデスクに座り、手に持った何かをジっと見つめている。その妙な空気を訝しく思いながら、蘭はまず二人の方へこっそりと足を忍ばせ近づいた。

「何か悪だくみ~?」
「「うわっ」」

上半身だけ屈めて二人のすぐ背後から声をかけると、鶴蝶と九井はコントのような動きで、ソファから飛び上がった。

「ら、蘭さん?」
「蘭、テメェ、脅かすな!」
「いや勝手に驚いたんだろ?ってか、そんな驚かなくても」

二人のリアクションに苦笑しつつ、蘭も向かい側のソファへ腰をかけながら再び春千夜の方へ視線を戻した。
春千夜はさっきと全く変わらぬ様子で、未だに手の中の物を見つめている。

「あれ…あの箱…」

目ざとい蘭がすぐに気づいた。
春千夜が手にしていたのは当然ながら蘭もよく知っているティファニーブルーと呼ばれる色の箱だ。男女問わず人気のハイブランドであり、プレゼントの定番とも言われている。
そのブランドの箱を手にしながら、春千夜は何かを考えるような表情でそれを見つめていた。

「なに、アイツ。また女からプレゼントでも貰ったの?」

一見すればそんな風に見える。
春千夜は態度も口も悪いながら、何故か女にモテるのは蘭も知っている。
あの誰もが振り返るような美人顔から驚くくらいにオレ様発言が飛び出してくるのだが、女達からすればそのギャップがいいらしい。
行きつけの飲み屋の女はもちろん、春千夜が通うバーや、はたまた美容室の美容師からも何かしら貢ぎ物を貰ってくることがあった。
今回もその類かと思って見ていると、鶴蝶が「いや、違うらしい」と首を振ってみせた。

「三途が来た時、アレを手にしてたからオレも誰かから貰ったのかって聞いたら、そうじゃねえって言ってたし」
「フーン…え?ってことは…三途が自分で買ったのかよ。珍しくね?」
「だからオレ達も誰にプレゼントすんのか気になって見てたんスよ」

九井の説明を受け、先ほどコソコソ話してた二人を思い出した蘭は「なるほど」と苦笑を漏らした。
蘭が知る限り、プレゼントをされることがあっても春千夜が誰かに何かをプレゼントしたという記憶はない。それは他の幹部でも同じだった。
もしかしたら自分達が知らないところで色々やっている可能性もあるかもしれないが、蘭はその可能性がゼロに近いと確信していた。答えは至極簡単。
三途春千夜という男は女よりも組織のトップ、佐野万次郎以外に無駄な労力も金も使わない男だからだ。
そう考えると春千夜の手にしているティファニーは万次郎への贈り物、ということもあり得るが、蘭はそれもないと思っていた。

「マイキーに…じゃねえよな…」

鶴蝶も同じことを思ったのか、そんなことを口にしたが、蘭は「それはねえな」と一笑に付す。

「あのマイキーがティファニー貰って喜ぶと思うか?何それ?美味しいの状態になんだろ。そんなの三途が一番分かってるだろうしな」
「だよな…」

鶴蝶も納得したように頷いて苦笑いを浮かべた。
蘭の言うように、佐野万次郎という男は殆ど物欲がない人間であり、ああいう類のハイブランドには見向きもしない。唯一貰って喜ぶのがどら焼きやたい焼きといった年寄りが好みそうな菓子類なのは梵天の幹部なら誰でも知っている。

「つーことは…やっぱ自分用か?」
「ああ…でも三途ってティファニー好きでしたっけ?」

九井も首を傾げつつ、春千夜へ視線を向けた。
ピアスは沢山つけているものの、その中にティファニーは一つもない。そもそも春千夜のイメージでもない。

「となると…やっぱアレって…」
「…女…っスかね」
「………」
「………」

九井の一言で蘭と鶴蝶が顔を見合わせる。

「いやいやいやいや…ねえだろ、それは。あの三途だぞ?」
「だよな…ねえよな」
「そうっスよねぇ…」

三人で乾いた笑い声を上げながら、再び春千夜へと視線を向ける。相も変わらず春千夜は手の中の箱を見つめたまま、何やら難しい表情をしていた。

「あの様子見る限り、女って感じじゃねえって」
「まあ。何か悩んでるっぽいっスよね」
「じゃあ…やっぱ貰ったんじゃねえか?」
「でも鶴蝶には違うって言ったんだろ?」
「ああ…でも照れ臭かったとか…?」
「あの三途が照れるようなタマかよ。だいたい、あんな顔するくらいに欲しくもねえもん受け取るか?アイツが」
「あ~…蘭さんの店の女の子からバレンタインに手作りチョコ貰った時も"何が入ってっか分かんねーもん食えるか!"つって突っ返してましたもんね」

九井が思い出したように笑うと、蘭も「あったな、そんなこと」と軽く吹き出した。潔癖症の春千夜に手作りのチョコなど、もはや地雷でしかない。

「オレも前に親切でコーヒー淹れてやったのに飲んでもらえなかったっス」
「だろうな」

ボヤく九井を見て蘭は笑いつつも納得してしまった。
結局――春千夜が持っているプレゼントらしき物の答えなど分かるはずもなく、三人はただ首を傾げるばかりだった。

一方、三人があれこれと邪推していることも知らず、春千夜はひたすら思考の迷路を彷徨っていた。

――もっと似合うもん、今度オレが買ってやる。

夕べ何であんなことを言ったのか自分でも分からない。分からないまま彼女の好きだというティファニーショップへ行き、に似合いそうなネックレスを見つけてしまった。彼女がつけていたシルバーなどではなく、神々しい輝きを放つプラチナチェーンのネックレス。
ヘッドには小さいながら蝶のようなデザインにダイヤが埋め込まれていて、その可憐なイメージがと重なったことで、つい買ってしまったのだ。
ざっと締めて81万9千5百円。
春千夜にしてみれば高いとも思わない値段だが、他人が聞けばどう考えても本命コースだと思うだろう。
とても代行サービスの担当スタッフに贈る代物ではない。それくらいの自覚はあった。
自分の謎の行動にはさすがに首を捻りたくなったが、あの時はそのネックレスをつけたの姿を想像し、自然と口元が綻んでしまったのも事実。
結果「プレゼントでしょうか」と愛想のいい店員に訊かれ、つい頷いてしまったのが運の尽きだった。
二度の"つい"は、もはや"つい"ではなく、買うべくして買ったような気になってきた。
なのに事務所に戻って来た途端、今度はに渡すことを考えると迷いが生じた。

(どーすんだ、これ…。マジでアイツに渡す気か?敵に雇われてるただの代行スタッフにティファニーって…)
に言った通り、ただのお礼で深い意味はない。普通に渡せばいいだろ)

そんな相反する思いがさっきから春千夜の脳内をぐるぐると回っていて一向に答えが出ない。
もはや買ったはいいが、どう渡せばいいのかも分からなくなっている。
そもそもの話。春千夜が女に何かを買ったのはこれが初めてであり、そういう意味では贈り物に対する免疫がないに等しかった。
いっそ渡さず捨てるか?
迷うのも疲れた春千夜がふとそんなことを考える。
あとは飲み屋などの女にくれてやってもいいが、そうなると少々高価すぎるだろ、と思うのだから不思議だ。
それと問題はもう一つ。その場合、に「嘘つき」と思われてしまう可能性もある。あの時言った言葉に嘘はなかったのに「嘘つき」と思われてしまうのも癪だ。
そして――それ以上に気に入らないのは、同僚からもらったというあのネックレスが、の首元をこれからも占領するかもしれないということだった。
別には恋人でも何でもない。なのにおかしな独占欲が生まれたのは、あの優秀な代行スタッフを独り占めしておきたいという気持ちが強いからだ。
常に自分の為に、必要な時に必要な物をすぐにでも提供して欲しい。
に来てもらうのが一日置きでは物足りないと感じたのも、そんな思いが強くなったからだ。

――オマエ、重たいんだよ、色々と。

以前、万次郎に苦笑交じりで指摘された通り、気に入った相手や物に対しては変な執着が生まれてしまうという自覚はあった。だがそれでも、人にそうなったのは万次郎以外で言えばだけだ。
だからこそ、たかがプレゼントを贈るのにも鬱々と考えてしまう。

――そんなお礼だなんて…その気持ちだけで十分に嬉しいです。

迷っている最中、ふと夕べのを思い出す。
言った通り、は感激したような嬉々とした笑顔を見せていた。このネックレスを贈れば更に喜んでくれるだろう。その時の顏が見てみたいと、柄にもないことを思った。
春千夜がどんなに我がままを言っても笑顔で受け入れてくれる人間はそう多くない。
からすれば仕事だからだろうが、痒いところに手が届くような細かな気遣いをしてくれる人間もまた然り。
そんな日々の仕事ぶりに対する礼だと思えば、これくらいの贈り物をするのはおかしなことじゃないはずだ。

(やっぱ渡すか…)

手のひらに乗せた箱を見つめていた春千夜は、やっと決心がついたようにそれを大事そうにポケットへしまう。渡すと決めたら決めたで、今度は早く渡したくなった。
その時、応接スペースの方から「お、遂に動いた」という声が聞こえてきた。その声に釣られて何気なく視線を向けた春千夜が、自分をガン見している三人の幹部の姿にギョっとしたのは言うまでもない。


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