Magenta...14



"さっき突然マイキーが来て、三途は?って聞いてんだけど"

九井からの電話を受け、急いでかけつけた春千夜は、すぐに事務所の最上階へ向かった。例え予定にない行動ではあっても、梵天の首領である佐野万次郎に振り回されるのは春千夜にとっての日常。呼ばれれば、他の何を差し置いても万次郎を優先する。
しかし、それが常に重要な案件だとは限らない。現に幹部専用の応接室へ入った瞬間、春千夜の目に飛び込んできたのは、万次郎と幹部の九井一がテレビゲームで対戦してる光景だったからだ。

「あっ!マイキーくん、それ反則っす!」
「反則上等。ココが遅いだけだし」
「あぁぁ!何スか、その技!」
「はーい。オレの勝ちな」

ふたりが遊んでいるのは、某有名な格闘ゲーム。万次郎のキャラに大技を決められたココのキャラが、一気に体力ゲージを削られ、ゲームオーバーと表示されている。

「……」

ほんの一瞬、春千夜の大きな目が半分以下になった。だが、すぐに状況を把握し、自分に救いを求めるように目くばせをしている九井に向かって、軽く舌打ちをした。

「何してんだ、ココ…」
「いや、何って…マイキーくんが暇だって言うからゲームだよ」

そんなの見ればわかる。そう言いたいのをグっと堪え、自分に気づいた万次郎に「遅くなりました」と声をかけた。

「お、やっと来たのかよ、三途」

ゲームで勝った万次郎は満足げにコントローラーを置くと、テーブルの上に並んだお菓子へ手を伸ばす。見たところ、今日は体調もいいらしい。

「マイキー、何でここに?今日は来ない予定じゃ」
「そうだっけ?オマエと何か約束してた気がすんだけど」

万次郎は小首を傾げつつ、手に取ったどら焼きの包みを開けて、口いっぱいに頬張った。目の下のクマは相変わらずだが、普段よりは顔色もいい。食欲もあるようで、春千夜は内心ホっとしていた。

「いや、約束は明日だったかと」
「マジで?今日じゃダメなやつ?」

あまり表情のない顔で見上げてくる万次郎を見ながら、春千夜は「先方が来日するのが明日なんで」と説明した。
明日、梵天にとっても有益な取り引きが行われる予定で、その場には首領である万次郎にもいて欲しい、と昨日伝えてあった。だが万次郎は一日勘違いをしてたらしい。
そんな説明を受けた万次郎は「なーんだ」と溜息交じりで言いながら、再びコントローラーを手に取った。

「ココ~もう一戦しようぜ」
「え…まだやるんスか」
「だってゲーム出来るのココか、灰谷弟しかいねぇじゃん」
「そうっスけど…オレも仕事が…」

九井が言いながら、春千夜に視線を送る。明日の準備を進めるよう、九井に頼んだのは春千夜だ。とはいえ、この様子じゃ当分は放してもらえそうにない。
仕方ねえか、と苦笑しつつ、春千夜は小さく息を吐いた。

「じゃあ頼んだ件は灰谷兄弟にやらせろ。オレより先に今日の仕事の報告に来ただろ?」

先ほど、春千夜が途中で下車するまでは、一緒に事務所へ向かってたのだから、とっくに事務所へ着いてるはずだ。なのに九井は「え?三途と一緒じゃねえの?」と訊いてきた。

「オレは途中で一度マンションに帰ったんだよ。アイツらは先にここへ向かったはずだ」
「いや…来てねぇけど」
「…あ?どこ行ったんだ、あのバカ兄弟は」

思ってもみなかった返答に、春千夜はイライラしながら九井を睨む。

「オレはずっとマイキーくんの相手してたから知らねえよ。連絡も入ってないと思う」

九井もまた怪訝そうな顔で、自分のスマホを確認しているが「やっぱ入ってねえ」と首を傾げた。そこへ万次郎から「早くやろうぜ、ココ」と声がかかる。

「今、行きます。――ってことで…わりいけど明日の準備は三途から灰谷兄弟に頼んでくれねえ?金の用意はしてあんだけど、接待の準備がまだなんだよ。あの二人の店なら問題ねえし」

九井が困った様子で両手を合わせてくる。それには春千夜も溜息しか出ない。
明日の取り引き相手は上海のマフィア。それもボス直属の幹部達だ。日本では手に入らないような武器を色々と調達してくれるので、梵天としても重宝していた。
毎度、日本に来るのを楽しみにしてる相手を、きちんともてなすのも、梵天の幹部として大事な仕事だった。

「ったく…分かった。アイツらにはオレから言っとく」
「マジ?助かるよ。ゲームの途中でスマホいじると、マイキーくんの機嫌悪くなるし」

九井がホっとしたように言った。その光景が簡単に想像できるだけに、春千夜も苦笑するしかない。
出来れば、あの兄弟と話したくもないが、明日の取り引きに少しの汚点も残したくないのは、春千夜も同じだった。こればかりは仕方がない。

「じゃあ、マイキーのこと頼む。何かあれば連絡しろ」
「ああ…ってか、三途、どこ行くんだよ。今日の件の報告、マイキーにしなくていいのか?」

足早に応接室を出ていこうとする春千夜を見て、九井が声をかけた。普段なら、万次郎が遊んでる間もそばにいることが多いからだ。

「どうせ今は無理だろ。マイキーはゲーム中に仕事の話なんか聞かねえ。それと車に人待たせてんだよ。送ったら、すぐ戻る」
「まあ、それもそう…ってか、え?人って誰――」

納得したように頷いていた九井が、最後の言葉に反応した。しかし春千夜は応える前に廊下に出て、足早にエレベーターへと乗り込む。
部下や遊びの女なら、いくら放置したとしても気にしないが、の場合はそういう関係性とは違う。車にひとりで待たせてると思うと、何となく気が引けたのだ。

「少し遅くなっちまったか…?」

そこで時間が気になったのと同時に、ふと九井に頼まれたことを思い出した。

「あ~そうだ…。今のうちに連絡入れとくか…。ったく、アイツら、どこほっつき歩いてんだ…」

地下駐車場へ下りるまでに、灰谷兄弟への連絡をサッサと済ませてしまおうと、春千夜は内ポケットにあるはずのスマホを探る。
そこで初めて違和感に気づき、はたと手を止めた。

「…あ?」

内ポケットに手を突っ込むまでもなく。その場所がやけに軽い。

「…スマホがねえ…」

慌てて触れてみても、硬い感触はなく、他のポケットも確認したが、どこにもスマホはなかった。
一瞬、応接室に置き忘れたかとも思ったが、そこではスマホを出してもいない。

「チッ…車か…」

先ほど、九井から電話を受けたのを思い出し、ホっと息を吐く。スマホには知られたくない情報も入っている為、失くしたという最悪の状況にならずに済んだことで安堵したのだ。
まさか、そのスマホをが持っているとは、考えてもいなかった。


▽▲▽


一方、時は春千夜が灰谷兄弟から逃げるように車を降りた直後まで遡る。
車内に残された蘭と竜胆は、「何だ、アイツ」と苦笑交じりで、春千夜を見送っていた。ちょっと興味本位で質問しただけのつもりだったのだが、まさか車を降りるとは思ってもいなかったのだ。

「てか、着替えなんて事務所に行けば置いてあんだろ」
「よっぽどティファニーの件、言いたくなかったんじゃね」

足早にマンション方面へと歩いて行く春千夜を目で追いながら、ふたりは呆れ顔で笑った。
普段なら、冗談の通じない春千夜への愚痴を言いながら、兄弟だけで事務所へ戻るところだ。だが、竜胆の「何か怪しいな」という一言で、事態は変わった。

「部屋で誰か待ってたりして。ティファニーあげた子とかさ」
「あ?部屋ぁ?んなわけねぇじゃん。あの潔癖症野郎が自分の部屋に他人を入れると思うのかよ、竜胆」
「…確かに。いや、でもティファニー買ったのだって意外な行動だし、分かんねえじゃん。それに人を入れんの嫌だっつても、この港区のマンションに例の代行サービスは呼んでたろ」
「ああ…でもアレは仕事だから渋々だろ?」
「いや、それが終わった後も呼んでるらしいって、確かココが言ってた」
「マジで?」

雨が降り出してきても、停車したままの車内でそんな会話を繰り広げていたふたりは、互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

「ちょっとだけ、アイツのマンション行ってみっか」
「そりゃいいな。――おい、三途のマンションに向かえ。この近くのだ」

すぐさま運転席の部下に告げると、運転手は一瞬、マズいのでは…という顔をしたものの、幹部の意向に逆らえるはずもなく。すぐに車を発車させた。
春千夜の使う港区のマンションも梵天所有のもの。組織の人間なら、場所も当然ながら知っている。数分もしないうちに、曇天に向かって聳えるタワーマンションが見えてきた。後は大通りを左に曲がれば、マンション前の道に出る。
そう思った時だった。蘭がめざとく何かを見つけ、すぐに「車を止めろ」と命令した。

「どうしたんだよ、兄貴」

僅かに急ブレーキがかかり、竜胆が驚く。見れば、蘭は雨で曇った窓ガラスを手で拭きながら、ある方向を凝視している。

「あれ…三途じゃね?」
「あ?どこ?」

身を乗り出し、竜胆も窓の外を覗く。

「あ…?何やってんだ、アイツ…ってか…誰だ?あれ」

雨が降る中、曲がり角付近で春千夜が立ち止まり、誰かと話をしているのが見える。春千夜はふたりに背を向けている為、蘭たちには気づいていないが、目の前にいる傘を差した人物と、何やら話してるように見えた。

「女…だな、あれ」
「ああ…女だ」

少しの距離と雨のせいで、ハッキリとは見えないが、春千夜が話してる相手が女だというのは分かった。

「顔がよく見えねえ…ってか、何か親しげだな、おい」
「げ…!しかも何かハンカチで拭いてやってんじゃん」

雨で濡れていたせいか、相手の女がハンカチのようなもので春千夜の頬や髪を拭いている。それは蘭と竜胆を驚かせるには十分な光景だった。

「マジで本命が出来たのかよ」
「ってことは、あの女がティファニーの相手ってことか…?」
「いや、でも…それにしては…」

と蘭が眉間を寄せて呟く。

「顔はよく見えねえけど…何か…」
「ああ…三途の本命ってわりに…普通すぎる…」

竜胆の述べた女の印象は、蘭も激しく同意した。

「あ…ふたりで歩き出したぞ、兄貴。しかも相合傘してんじゃん、三途のやつ!」
「…げぇ…そんな気遣い出来んのかよ…ビビるわ」

普段の春千夜を知っているだけに、蘭と竜胆も唖然といった顔で、マンション内へ消えてくふたりを眺めていた。

「…ここまで来たら、女の正体が気になんな」
「だな…。このまま事務所に行っても気になって仕方ねえし…出てくるまで待つか」

蘭と竜胆は意見が一致すると、すでに諦め顔の運転手へ「見つからねえ場所に車を止めろ」と命令した。
もし春千夜にバレたら…とビビりつつも、部下である男に選択肢はなく。言われた通り、マンションの出入り口が見えて、かつ向こうからはバレにくい場所へ、車を移動させる。幹部を送迎するだけの、簡単な仕事のはずだったのに…と運転手の男は深い溜息を吐いた。
それから一時間は過ぎた頃――。
見覚えのある黒のセダンが、マンション駐車場から出てきたのを、蘭は見逃さなかった。

「おい、出てきた。あの車…三途だろ」
「あー…確かに…ってか、兄貴!助手席!」

運転している春千夜を確認した竜胆が、助手席に座る存在にも気づく。

「はぁ?あれ…さっきの女か?」
「間違いねえ…あんま顔は見えねえけど、さっきの女だ…。え、何で乗せてんだ?アイツ、事務所に行くんじゃねえのかな」
「…この雨だ。女を家まで送るつもりかもな」
「あー…でも、あの三途がそこまでするとか信じらんねえけど…」
「本命なら…あり得るだろ」

ふたりは互いに顔を見合わせると、またしても運転手に向かって「早く尾行しろ」と命令した。こうなれば運転手も素直に命令を聞くしかない。どうせ異を唱えた瞬間、鉄拳制裁が待っているのだ。
――このふたりからボコられるのは嫌だ!
そんな思いを胸に、小さな溜息をこっそり吐きながら、部下の運転手は車を静かに発車させた。雨が激しくなる中、バレないように距離を保ち、春千夜の乗るセダンを追いかける。

「やっぱ、事務所方面じゃねぇな…」

春千夜の車が向かう方向を確認しつつ、蘭が呟く。

「げー…だとすると、マジで女の家に向かってんのかな」

いよいよ本命っぽい…と竜胆が顔をしかめたのは、春千夜にそういったイメージが一切なく、愛だの恋だのといった関係を誰とも築こうとしなかったのを知ってるからだ。

「アイツ、マイキー以外に興味ねえかと思ってたのに」
「言えてる。これまでの素行を考えりゃ、あの三途が女を送るとかありえねー。地球そろそろ爆発すんじゃね?」

春千夜が聞いていたら発狂するレベルで失礼なことを言いながら、蘭は苦笑いを浮かべた。だが、ふと思う。その三途が本気になる女なら、パッと見、普通に見えても、実はよほどの高レベルなのでは、と。

「俄然、興味湧いてきたわ」
「ああ、オレも」

兄弟で考えることは同じらしい。竜胆もニヤリとしつつ、兄に同意した。

「こうなったら絶対にどんな女か見てやろ」

からかうネタがまた一つ増えた。それくらいのノリで「見失うなよ」と運転手へ声をかける。
だが、その時だった。春千夜の車が急に方向転換し、違う方向へ曲がっていくのが見えた。

「は?アイツ、急に曲がったんだけど!」
「マジかよ」

驚いたのは蘭と竜胆だけではない。見失わないよう、再三気をつけて尾行していた運転手も同じだった。
慌ててハンドルを切ろうとしたのだが、対向車に阻まれ、すぐに追うことが出来ず、しばらくは真っすぐ走ることしか出来ない。

「おい、何してんだよっ!三途が行っちまうだろが!」
「すすすすみませんんぅ!対向車が多すぎてすぐには…」

竜胆に怒鳴られ、ビビりながら説明しつつも、対向車が途切れた隙を狙って、すぐに方向転換する。だが時すでに遅し。春千夜の車は豪雨も相まって、とっくに見えなくなっていた。

「クソ…どこ行きやがった、三途のやつ」
「見えねー…」

身を乗り出し、前を走る車を探したが、そこに黒のセダンを見つけることは出来なかった。
完全に見失った。そこに気づいた蘭と竜胆は、ふたり仲良く深い溜息を吐く。

「ハァ~…せっかく三途の本命が見られると思ったのに」
「ってか、尾行気づかれたんじゃねえの?」

理不尽が服を着て歩いてるような男、蘭がつかさず運転席をガンっと蹴る。前からは悲痛な悲鳴が上がった。

「すぐ曲がればいけたよなぁ?」

今度は竜胆が運転席をドンっと蹴り上げ、運転手はまたしても謝罪をする羽目になった。
だが、しかし。ふたりの言うがままハンドルを切っていれば、今頃対向車と衝突して全員が病院送りだったかもしれない。そういう可能性は一切考えないのが、この兄弟だ。

「チッ。じゃあ、このまま事務所行ってー」
「は、ははいぃ!」

スマホを弄りながら蘭が命令すると、運転手はすぐに事務所方面へとハンドルを切った。方向転換した先を左へ曲がれば、数分ほどで事務所へ到着するところまで来ていたのも幸いした。

「クソ、アイツ、電話も出やしねえ」
「え、兄貴、三途にかけてんの?」

イライラした様子でスマホを耳に当てている蘭を見て、竜胆が苦笑した。見失った腹いせに、直電する辺りが蘭らしい。

「こうなりゃ直接聞いてやろうと思ってさー。つーか、アイツ、マジで出ないんだけど~?」

延々コールを鳴らしても応答がない。それが蘭を更に苛立たせた。部下でも自分の女でも、ワンコールないし、ツーコル辺りで相手が出ないと、蘭は更に理不尽になる。

「こうなりゃ出るまで鳴らしてやるわ」
「ははっ。鬼電ならぬ鬼コールじゃん。三途のヤツ、キレてそー」

竜胆もまた、些細な悪戯を楽しむ悪ガキのような笑みを浮かべる。
まさに"触らぬ灰谷兄弟に祟りなし"――。
そんな言葉を思い浮かべながら、運転手はひたすら前方だけを見つめていたものの、そうこうしている間に、車はやっと、目的地である事務所の地下駐車場へと到着した。

「ったく、こんなけ鳴らしてんのに、三途も案外しぶといな」
「やっぱ尾行バレてたんじゃね?警戒してるとしか思えねえ」

蘭と竜胆はそれぞれ文句を言いながら、運転手の開けたドアから車を降りた。蘭の手には今もコールし続けるスマホがある。

「…あ?何か聞こえねぇ?」

車を降りた瞬間、静かな駐車場内に聞き覚えのある着信音が響いてることに気づいた蘭は、ふと辺りを見渡してみた。

「この音…三途だよな。ここにいんのか?」
「あ、そう言われると…ってか、アイツ、事務所に戻っただけかよ」

竜胆も蘭と同じように、春千夜を探すべく、キョロキョロと駐車場を見渡す。しかし竜胆よりも早く、蘭が先にその存在を視界にとらえた。エレベーターのすぐ近く。着信音の鳴るスマホを手に、若い女がウロウロしている。女が持ってるのはどう考えても、今まさに蘭がコールしている春千夜のスマホに間違いない。
さっきの女だ――!
そう確信した蘭は、口元に薄っすら弧を描き、電話を切らずに女の方へと歩き出した。

「あれぇ?こんなとこに女の子はっけ~ん」

蘭がわざとらしい声を上げると、女がビクリと肩を震わせ、その場に固まった。



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