Magenta...17



「へぇ…君が三途の雇ってる代行スタッフかぁ」
「は…はい…あの…それで三途さんは――」
「ってか、想像してたより、すげー若いし、ちっちゃくて可愛くね?」
「えっ?い、いえ、それほどでも…」
「おい、ココ、竜胆…あんまビビらせんな」

最上階、幹部専用の応接室。そこへ連れて来られたは、自分の周りを囲む男達を交互に見ながら、困惑と恐怖で身をすくませた。想像以上に派手な外見と威圧感。さすがは梵天の幹部だと、内心思う。そして、殆ど知られてないという彼らの顔を見てしまったという恐怖で、変な汗が背中を伝っていく。
同時に、春千夜の姿がないことで、一瞬ホっとしたものの、今度はどうすれば、ここから逃げ出せるのかという心配が頭を擡げてくる。

「ってか、その三途はどーしたよ。せっかくちゃん連れて来てやったのに」

を連行した張本人の蘭が、苦笑交じりに肩を竦め、ソファへどかりと腰を下ろす。ついでにへ向かって手招きをしてきた。

「こっち来て座れば」
「え?いえ…わたしはここで…」

ドアのすぐ前に立ったまま、は慌てて首を振った。しかし、そんな小さな抵抗など、彼らには通用するはずもなく。蘭の弟だという竜胆に「いいから座んなって」と両肩を掴まれ、半ば強引に蘭の隣へ座らされてしまった。あげく反対側の隣に竜胆も座ったことで、兄弟から挟まれる形になり、更に威圧感が増していく。
これでは逃げることも出来ない、とは肩を落とした。

「つーか、マイキーは?」

の心情など気づかない様子で、蘭が室内を見渡すと、ココ、と呼ばれていた男が「あー」と苦笑いを浮かべた。

「さっきまでオレとゲームしてたけど、眠いっつって自分の部屋に戻った。腹減ったら起きてくんだろ」
「なーんだ。マイキーにも三途のお気に入り紹介してやろーと思ったのに」

(お…お気に入り…?)

蘭とココの会話を聞きながら、そのワードにドキリとした。自分では考えたこともないが、蘭や竜胆がそんな風に自分を見ていることに驚いたのだ。

「んで、三途はどこ行ったんだよ。便所か?」

蘭がココに問いかける。その答えをも知りたかった。ここまで来てしまった以上、春千夜に隠し通せるわけもないのだから、ここを出るには春千夜に頼るしかない。

(春千夜さんも事情を説明すれば分かってくれるはず…)

さっきは蘭たちの強引さに動揺したせいで、春千夜に叱られると慌てたが、少し冷静になれば、何も自分に非があるわけじゃない。きちんと説明すれば、事務所まで連れて来られたことも、春千夜なら理解してくれる。はそう信じていた。

(そうよ。春千夜さんは気難しいとこもあるけど、鬼じゃないんだから、不可抗力だってきっと分かって――)

と、少しポジティブに考えられるようになった、その時。応接室のドアが破壊されたのかと思うほどの音で開け放たれた。

「おい、灰谷!!」
「…あ?」

物凄い剣幕でその場に現れた春千夜に、誰もが固まった瞬間だった。だが名指しされた人物だけはすぐに状況を理解したらしい。一瞬で目つきが変わる。

「うるせーなァ。ってか、もっと静かに入って来いよ」
「あぁ?つーか、てめぇ、なに勝手なことして…」

怒鳴りながら蘭の前へ歩み寄った春千夜だったが、目の前の状況を見たと同時に言葉を切った。そこには驚きすぎて固まっているがいたからだ。しかも何故か蘭と竜胆の間に座っている。これには春千夜の中の何かが切れた。

「…は?オマエもなに呑気に座ってんだよっ」
「ひゃ…っ」

力任せにの腕を掴み、自分の方へ引っ張ると、目の前でふんぞり返っている蘭を上から睥睨する。
それを見た蘭は余裕の笑みを浮かべながら、長い足を組みなおした。

「おいおい…女の子に乱暴すんなって」
「あぁ?テメェに関係ねえだろ。コイツはオレの雇ってる女だ。勝手に連れまわしてんじゃねぇぞ、灰谷!」
「…す、すすすみません…っ」

春千夜の怒り具合にビビったらしい。何故かが謝罪をしてきた。一瞬、蘭も春千夜も目が点になる。

「…はあ?何でオマエが謝んだよっ」
「だ、だって…凄く怒ってるし…」
「オレがキレてんのはオマエにじゃねえ!」
「ひゃ」

再び春千夜が大きな声を上げると、は亀の如く首を竦めてしまった。それを見た蘭はすぐに立ち上がると「ちゃんに当たんじゃねえよ」と、春千夜の胸倉を掴む。まさに一触即発といった空気に、黙って成り行きを見守っていた竜胆も「おい、兄貴…」と思わず立ち上がった。世間では極悪非道で名の通っている梵天も、仲間同士のケンカはご法度なのだ。このまま殴り合いに発展したらマズいと竜胆は思った。しかし両者は睨み合ったままだ。

「…何だよ、この手は」
「あ?テメェが暴れねえようにだよ。ちゃん、怖がってんだろ」
ちゃんだぁ…?さっきから随分と馴れ馴れしいな、灰谷…。だいたい、テメェに拉致られたからはビビってんだろが」
「ハァ?拉致ってねえよ。あんな薄暗いとこに一人で置いてかれて可哀そうだから、オレがわざわざエスコートしてやったんだろ?」
「え…」

思わず、そうだったんですか?と聞きそうになったのを、はどうにか飲み込んだ。同時にさっきの蘭とのやり取りが頭に浮かぶ。どう考えても強引に連行された感満載だと思っていたが、本人がエスコート、というのだから、あれも梵天特有のノリだったのかもしれない、とまで考えた。
だが、春千夜は未だ「嘘つくんじゃねえ」と怒っている。

「どうせ、またオレをイジるネタ見つけたくらいのノリで、連れてきたんだろ。分かってんだよ、テメェの考えてることくらい。言っとくけどなぁ、コイツは単なる家事代行で、テメェがからかうような女どもとも違うんだよ。下らねえ勘違いしてちょっかい出してんじゃねえぞ、コラ」

春千夜はこれまでの鬱憤を晴らすかのように怒りをぶちまけた。はただただ、目の前の最悪な状況にオロオロしていたが、自分が原因で揉め事になっているのは間違いなく。どうすればこの場が収まるのかも分からない。一つだけ分かるのは、ここで口を出せば火に油を注いでしまうかもしれないということだ。だから何も言えない。
一方、蘭の方は呑気に笑いながら、肩を竦めてみせた。

「へぇ…そんなにちょっかい出されんの嫌か」
「あ?」
「そう言ったよな?今」
「はあ?どんな耳してんだ、テメェは。オレはそんなこと一言も言ってねえ」

自分の胸倉をつかんでいる蘭の手を振り払いながら、春千夜が鼻で笑う。すると蘭は待ってましたと言わんばかりに、意味深な笑みを浮かべた。

「じゃあオレもちゃんに家事代行を頼んでもいいってことだ」
「……へ?」

蘭の言葉を聞いて、はキョトンとした様子で顔を上げた。逆に春千夜は怪訝そうに眉間を寄せ、蘭を睨む。普段から突拍子もないことを吐き出す男だとは思っていたが、今のは何の冗談だ?と言いたげだ。

「何言ってんだ、テメェ」
「何ってビジネスの話だろ。ウチも男兄弟ふたりで住んでっから、地味に部屋ン中が散らかんだよ。なぁ?竜胆」
「え?ああ…まあ…そうだな。片付けめんどくせーし」

不意に話を振られた竜胆が相槌を打つ。兄の考えてることをすぐに理解したようだ。

「だから――ちゃんがウチでも働いてくれたら助かるんだけど」

言いながら、蘭は身を屈めると、春千夜の後ろで固まったままのにニッコリと微笑む。その眉目秀麗な笑みを間近で見せられ、はごくりと喉を鳴らした。何となく捕食動物的な圧を感じたのは気のせいじゃないはずだ。
はどう応えていいのか困り果て、隣の春千夜を見上げた。同時に春千夜もを見下ろし、二人の視線がかち合う。から見れば、春千夜の顏は今までに見たことがないほど、不機嫌そのものだった。
これは良くない傾向なのか?と思いながら、未だに笑みを浮かべている蘭を見上げた。

「…あ、あの…わたしは三途さんの専属キーパーとして雇われてるので、他のお宅へ伺うのはちょっと…」

出来るだけやんわりとお断りの旨を伝えてみる。春千夜個人に雇われてるのは事実だ。なのに蘭は「じゃあオレも個人的に雇えばよくね?」と言ってのけた。

「ウチは週に二日ほど来てくれりゃいいし。それなら三途も困らねえんじゃねーの」
「…勝手に決めんじゃねえ」

今まで黙っていた春千夜も、話を勝手に進めていく蘭に見かねて口を出す。そもそも仕事の出来るを手元に置きたくて結んだ個人契約だ。自分以外の、それも憎き灰谷蘭の家に雇われるのは、さすがに我慢ならない。
だが、蘭に「ああ、やっぱちゃんを独り占めしたいのか」と突っ込まれ、言葉に詰まった。本音を言えば蘭の言う通りだ。痒いところに手が届く完璧な仕事をしてくれる優秀なは、絶対に自分の手元に置いておきたい。でもそれを認めれば、蘭に弱みを見せるような気がして、春千夜は軽く舌打ちをした。自分が嫌がれば嫌がるほど、蘭はそこへ触手を伸ばそうとする。なら完全に拒否するより、ある程度の譲歩をしとけば、すぐに飽きるだろう。春千夜はそう考えた。

「んなわけねぇだろ。ウチの仕事が休みの日にコイツが何をしようが、オレには関係ねえ」

を雇う時、事前に申告するなら好きな時に休んでいいと言ってある。ただ、は特に休む用もないと言って、これまで休んだことはなかった。

「へえ、じゃあいいってことかよ」
「…だから…オレが決めることじゃねえ。が決めることだろが」

そう言いながらを見れば、戸惑い顔で春千夜を見上げていた。

「あ、あの…三途さん…?」
「…オマエの好きにしろ。灰谷んちで仕事してーんならオレは構わねえ」
「え…でも――」
「マジ?じゃあ、お願いするわ、ちゃん」

何かを言いかけたの言葉を遮るように、蘭が微笑む。一瞬、言葉に詰まったものの、春千夜が了承した以上、が断る理由も消えてしまった。

「…は、はい…。わたしで…良ければ…」
「いいも何も、あの三途が認めてるくらい優秀なんだろうし、オレとしては他の代行雇うよりちゃんに頼みてえわ。マジでウチも散らかり放題だし」
「まあねー。んじゃあ、まずは週二日、火金で来てもらう?」
「だな。ああ、住所と連絡先送るから、メッセージアプリのID教えて」

蘭にスマホを見せられ、もすぐに自分のスマホを取り出す。その間もチラリと春千夜を見たが、今はたちから完全に背を向けていて、表情までは分からない。さっき言った言葉が本音なのかどうかも。
それが――少し寂しく感じてしまった。


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