Magenta...21


春千夜は自分が一つのことに対して深くのめり込む性質タチだというのは少なからず認識はしていた。幼馴染の万次郎に対しても、彼の強さや、時折見せるもう一つの顏も含め、全てに惹かれて忠誠を誓った過去がある。春千夜にとっては万次郎がこの世界の全てで、またそれ以外のことはどうでも良かった。万次郎のためだけに梵天を動かし、そこに属する人間たちは仲間という名がついてるだけの駒としか思っていない。そこに情があるはずもなく、またそれは梵天の人間以外に対してもそうだった。使える人間は全て駒で、自分がその相手に対し、情をかけたりすることもなければ、自分の懐にまで入れるはずもない無の存在…のはずだった。なのに――。

これは、どういうことだ?と熱のあるボーっとした頭で考える。今、自分は自宅マンション、それも港区のマンションの寝室に寝ている。そこまでは理解できた。しかし、目の前で自分の額の汗を拭いている女の存在までは、頭が追いつかなかったし、「何でいるんだ」と尋ねた際に見せられたスマホの画面。それも意味不明な文字の羅列が並ぶメッセージも理解不能だった。
春千夜が「何だ、それは」と口にすると、目の前の女、は呆れたように溜息を吐き、事の成り行きを説明し始めた。結論から言えば、夕べ春千夜から謎のメッセージが送られてきて、その内容をどうにか読み解き、心配になって尋ねてきたら玄関で倒れている春千夜を発見。彼女が寝室まで彼を誘導して寝かせたという。
その話を聞かされた春千夜は全くもって信じられなかった。しかし春千夜のスマホにはメッセージを打った痕跡があり、また確かに彼女のスマホが受信している。それは完全な証拠だった。ただ内容が内容だけに、高熱に浮かされてる今の春千夜には意味不明なので、本当に彼女を呼ぶためのメッセージなのかは判断できない。

「分かってくれました?」

が得意げに言うので、春千夜はどこかバツの悪そうな顔で視線を反らす。まさか自分が泥酔した時に頼った相手が彼女だなんて、認めるのもこっぱずかしい。でも、心のどこかで、そんな状態だったなら自分はそうするだろうな、と何となくだが分かっていた。自分でも意外だと思ったが、彼女は春千夜を安心させてくれる存在になりつつあるからだ。
それは彼女の持つほんわかした空気だとか、細部にわたる清潔感だとか、仕事に対しての熱量だとか、いつも爛漫に笑う明るさだとか。
全ての要素が春千夜にとって"しっくり"くるのだ。今日までという女を見てきたからこそ、春千夜にとっては数少ない、本来の自分を見せられる相手になりえたのかもしれないし、それが今の安心感へと繋がっている気がしていた。

「…わる…かったな…呼び出して…。姉ちゃんと…出かけてたんじゃねーの…」

他人に対して謝罪の言葉など殆ど口にしたことはないが、彼女になら自然と口にすることが出来た。一癖も二癖もある梵天の幹部達を相手にする時には絶対に必要な、男の見栄だとか、虚栄心などは必要なく、むしろ余計なものがの前だと見事に剝がされていく。それが春千夜には楽に思えた。本当の自分に戻れる場所が、人には必要なんだと今更ながらに気づく。そんな甘えなど過去に捨ててきたはずなのに、精神こころの方は知らないうちに癒してくれる誰かを求めてたのかもしれない。それくらい自分は今、心身ともに疲弊してるのだと、彼女に看病してもらったことで自覚した。

「いいんです。むしろメッセージくれて良かったから」
「良かった…?」

プライベートの時間を邪魔されたのに何が良かったんだろう、と春千夜は思ったが、彼女は「だって来てなかったら春千夜さん重症になってたかもしれないし」と怖いことを言いだした。何でも、最初は意識があるかどうかも分からないほど、呼びかけても反応がなかったらしい。その辺のことは記憶にないのでよく分からないが、は「ほんと死んでるのかと思って怖かったんですからね」と、少し拗ねたように目を細めた。まるで背伸びをしてる小学生女子みたいな叱り方をされ、春千夜はしばし呆気にとられたものの、つい笑みがこぼれてしまった。何とも自然に可愛い、という言葉が頭に浮かんだからだ。そんな自分にちょっとだけ驚いた。

「…何ですか?人の顏ジロジロと…」

額に受かぶ春千夜の汗を、冷やしたタオルで拭きつつ笑っている彼女は、つくづく人の世話をするのが好きなのだ。
変な女…と思う反面、そういうところが傍にいると心地いい理由なのかもな、と自己分析のように考える。と…そこで彼女の首元に揺れるネックレスを見ていたら、ふと、あることが腑に落ちた。ここ最近続いている、不快な苛立ちの理由だ。

「…春千夜…さん?」

首元の汗も拭いてくれていた彼女の手を、春千夜は掴んだ。予期せぬ行動だったのか、は何故か「あ…ごめんなさい。余計でしたか?」と、その手を引っ込めようとする。大方、春千夜の機嫌を損ねたと勘違いしたんだろう。謝るのが趣味みたいな女だからな、と春千夜は内心おかしくなったが、引っ込めようとした彼女の手を少しだけ強く握り、自分の方へ引き寄せる。彼女は今度こそ驚きの表情を浮かべて身を硬くした。それを無視して、春千夜は今ハッキリと自覚した思いを、ストレートに表現した。

「なぁ…オレのもんにならねえ?」


▼△▼


その言葉は耳に入ってきたものの、脳に届くまでしばしの時間を要した。春千夜に握られている手が、やけに熱い。それは春千夜の熱で火照った手に握られているからなのか、それとも自分の手が火照ってきたのか、には分からなかった。ただ、そこから一気に全身まで熱が広がって、今では耳まで燃えるように熱い。

「聞いてんのかよ…?」
「え…あ…えっと…」

黙ったままのに痺れを切らしたかのように、春千夜はその大きな瞳で彼女をジっと見つめてくる。となると、今の言葉は冗談ではない、との脳が判断した。ついでに春千夜の返事を催促する姿はあまりに普段とのギャップがありすぎて、やたらと心臓が反応してしまう。

「き、きき聞いてます…けど…」

それはどういう意味で?と、いう疑問をどうにか絞り出すと、春千夜は意味?と繰り返しながら眉を潜めた。怒ったのかと焦った彼女は、またいつものクセで「すすすみませんっ」と謝罪する。しかし言われた本人は「はぁ?」といった顔だ。

「まんまの意味だろ…それくらい分かれよ…こっちは熱でしんどいんだっつーの…」
「そ、そう…ですよね…すみません…わたし、鈍感ってよく姉にも言われてて…」

条件反射でまた謝ってしまったついでに、分かったふりをしてしまったが、は未だに春千夜の言う「オレのもん」の意味を理解していなかった。一瞬、告白と勘違いしたが、「好きだ」と言われたわけでもなく。もしかしたら違う意味かもしれないとも考える。でもその場合、どんな意味があるんだろう、とそこまで飛躍していた。だいたい春千夜が自分みたいな女を好いてくれるわけがない。まして口説くはずもない。
なら――"オレのもん"の定義とは。

「なあ…」
「は…はいっ」
「で…返事は…」

この一瞬の間にアレコレ考えていたは、握られた手をぐいっと引かれて我に返った。返事と言われても、何をどう応えればいいのか分からない。ここで、もし「はい」
と言ったら、春千夜とはどういう関係になるのかも。

(やはり、ここはハッキリ意味を聞いた方が…)

何となく不安になり、もう一度聞こうかと考えていると、さすがに待ちくたびれた様子で、春千夜が「おい…」と口を開いた。

「何かゴチャゴチャ考えてるみてぇだけど…」
「え?あ、いえ…」
「オレが言ってんのはこーいう意味だ」
「へ?わ…っ」

半分呆れ顔で言ったかと思えば、春千夜は掴んでいた彼女の手をぐいっと自分の方へ更に引っ張った。その勢いで彼女が寝ている春千夜の上に倒れ込む。慌てたはすぐに体を起こそうとしたものの、それを阻止するように後頭部へ手を回された。あっと思った時には頭を引き寄せられ、互いの唇が触れあう。柔らかい感触がの脳を完全に停止させた。それをいいことに、春千夜は角度を変えながら自分の唇で彼女の唇を食むように口付け、好きなように味わったあと。最後にちゅっと軽く啄んでから、ゆっくりと解放する。その際、至近距離で春千夜の大きな瞳と目が合い、全身の熱が一気に上昇していく。
まさかの雇い主からキス。キスをされた。脳が動き出した途端、そんな言葉がグルグルと回る。一瞬、わたしのファーストキスが!と混乱したものの、あ、キスは過去にしたんだったっけ、と思い出す。だいぶ前のことすぎて、すっかり忘れてた自分の経験不足すぎる恋愛事情を、こんな状況で嘆きたくなった。しかし、それくらい久しぶりのキスを受けて、春千夜の言葉を反芻してみる。
オレのもん=こういう意味=キス。
その答えは…――。

「か…体…?!」

思わず春千夜から離れ、自分の体を両腕で守るように抱きしめれば、心底呆れたと言わんばかりの「はあ?」を頂いてしまった。

「あー…また熱上がってきたわ…」

ベッドへ仰向けで倒れ込んだ春千夜は、自分の腕を額に当てながら、深い深い溜息を吐く。キスの後に呆れられたのは彼女も初めてかつ、熱が上がったと言われれば、少しは焦ってしまう。「え…!だ、大丈夫ですか…?」と顔を覗き込むと、腕をどけて見えた春千夜の瞳は、半分にまで細められていた。

「オマエがアホすぎて疲れた…」
「…ア、アホって…酷い…っていうか…春千夜さんがいきなりキスなんてするから…―!」
「あ?意味がわかんねえみたいな顔してっから分かりやすくしてやったんだろ。そもそも体だけが目当てなら、もっと出るとこ出た女にするわ」
「…む。そういうのセクハラですからねっ」
「いや、キスした時はスルーだったのに、今の言葉でセクハラだすのかよ」
「あっそっか…」

思わず突っ込まれ、もそこに気づく。セクハラというなら、さっきのキスの方がよっぽど各当案件だ。なのに少しも「訴えてやる」などと思うわけでも腹が立ってるわけでもなく――いや、その前に今、凄く大事な言葉を耳にしたような気がする。そこに気づいたは、伺うように春千夜を見た。

「え…っと…体だけが目当てなら他の人にするって言いました…?」
「あ?」
「それって…」
「…チッ」
「な、何で舌打ちするんですか…」
「オマエが鈍すぎてムカついてんだよ…」
「う…す、すみません…」

何となく怒られた気分でシュンッと項垂れると、春千夜は溜息交じりに「またそれかよ…」と苦笑を零したようだった。しかしの脳内は未だ処理しきれない情報が残っていて、春千夜がどういうつもりでキスをしたのかが分からない。
オレのもんになれ、という話から、いきなりキスをされ、でも体目当てじゃないと言う。そもそも彼は自分なんかに手を出さずとも、周りにいい女がわんさかいるはずだ。それだけは分かる。
でも、じゃあ彼の言うオレのもんとは何なんだ…と一つ一つ整理して考えた時、の頭の中で一つの可能性が浮かび上がった。

「え…春千夜さんって…」
「何だよ…」
「まさか……わたしのこと…す…好き…?」
「……チッ!」
「な、だから何で舌打ち――」
「好きだったら悪いかよ」

相変わらずの春千夜の態度に文句を言いかけた時、普通のテンションで「好きだったら悪いかよ」と言われれば、「わ、悪くないですけど…」と応えるしかない。条件反射というやつだ。
でもふと今の言葉の意味を唐突に脳が理解した時、は「えぇぇ!」と驚愕の声を上げた。しかし驚いたのは春千夜も同じだった。あまりの声のデカさに大きな目が更に大きく見開かれる。の反応は春千夜の予想の遥か上をいったようだ。両耳を手で塞ぎ、ついついムンク状態で立ち尽くすを睨む。

「っるせえ…仮にも病人の前でデカい声出すな…」
「だ、だ、だだだって…今、春千夜さん…わたしのこと好きって…」
「…やっとかよ。マジで鈍感だな、は」

呆れ顔で言われても未だに信じられないのだから、はどう返していいのかも分からない。ただ目の前の美しい男が、自分を好きだという事実に、顏が真っ赤になるだけだ。

「で…?」
「え…?」
「返事は」
「へ、返事…?」

そこで気づいた。告白されたからには、返事をしなければいけないんだ、と。

「そ、そんな急に言われても…」
「普通こういうのは急だろが。今から好きだって言うけどいいか?ってお伺いたてんのか?オマエは」
「…う…ご、ごもっともで…」
「ハァ…何かオマエと話してたら疲れたし寝る…」
「えっ」

やはり体がしんどいのか、春千夜は溜息交じりで言うと本当に布団の中に潜ってしまった。それにはも、つい「返事は?!聞かないんですか?!」と告白された方なのに催促するようなツッコミが口から飛び出す。いや、今すぐ答えを出せと言われても、まだ気持ちの整理さえ出来ていないのだけど。
すると催促を受けた春千夜が再び顔を出した。

「それは…オレが起きるまでに考えとけ」
「…お、起きる…まで…?」
「言っとくけど…勝手に帰ったら許さねえからな」
「…わ、分かってます…」

とて病人の春千夜を放って帰ったりはしない。だが猶予は春千夜が起きるまで、と限定されてしまった。

「ま…いい返事期待しとくわ」

最後にニヤリと悪い笑みを浮かべた春千夜が、再び布団をかぶる。それを見下ろしながら、何故か脅迫されてるような気分になりつつ、はしばらく放心状態だった。


Back

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで