Magenta...22



――好きだったら悪いかよ。

頭の中で何度もリピート再生される春千夜からの告白は、を動揺させ、かつ――頬を緩ませていた。

「……はっ」

自然と顔全体が緩んでいる自分に気づき、三つ葉を切っていた手を止める。しかも今、一瞬だけ鼻歌まで歌いそうになったのは気のせいじゃないはずだ。さっきまでは心底驚き、大いに戸惑っていたはずなのに、何なんだ、この現象は。
思いがけない春千夜からの告白に、ハッキリ言って浮かれている自分がいる。いくら鈍いでもそこはちゃんと自覚した。そもそも、春千夜のことを異性としてなるべく意識しないよう意識してきた。ということは少なからず、彼に対して自分も好意を持っていることになる。それがどういうものなのかまではハッキリしないのだが、現に春千夜から好きだと言われて、浮かれているのだから、おのずと答えは見えてきたような――。

ただ一つ。何故わたし?という思いはある。これまで春千夜のために色々と世話をしてきたが、恋愛を匂わすような甘い空気など一切なかったように思うからだ。
春千夜は顔を合わせると相変わらず"オレ様"だったし、特に気のある素振りをされた記憶もない。
ただ、一つだけ異変があったとするならば、それはきっとこのネックレスだろう。無意識に首元のネックレスに触れながら、はこれをもらった時のことを考えていた。いつも頑張ってくれてるから、というような趣旨の説明を受けたが、未だにこのプレゼントの意味を考えてしまっていた自分がいる。でも、もしかしたらこれも先ほどの突発的な告白に関係してるのかもしれない。

「いや…まさか…あの頃からわたしのこと…なんてないよ、ね」

そもそも春千夜はいつから自分のことを好いてくれてたんだろう?単に自分が鈍感すぎて気づかなかっただけで、向こうはそれなりのアプローチでもしてたんだろうか、と、そこまで考えて首を振った。春千夜はその辺の男とは違う。ある程度の理解はしてるつもりでも、細かいところまでは当然分からない上に、本人も相当分かりづらい性格なのだから、こんな答えの出ないことを考えていても仕方がない。
今はまず、あの告白の返事をどう応えたら――。
そこまで考えた時、のスマホが震動した。春千夜を起こさないよう、今はマナーモードに設定してある。
電話は姉の砂羽からだった。

『あ、。どう?そっちは』
「うん…まだ熱が下がらなくて…夕べは一度意識も戻ったんだけどね」
『そっかぁ…まあ急に寒くなったり、また暑くなったり気温差が激しかったもんね。あ、じゃあ今夜も帰れそうにない感じ?』

昨日の日曜日に春千夜のところを訪れてから丸一日は経っていた。砂羽も今夜は仕事なのか、後ろからはかすかにザワザワとした喧騒と『いらっしゃいませー』という若い女の人の声が聞こえてくる。店の待機室から電話をかけているんだろう。

「うん、たぶん。もし熱は下がっても、まだ一人にはしておけないし…」

言いながら、ふと寝室の方へ視線を送る。そもそも勝手に帰るな、とも釘を刺されているのだから、その選択肢はない。

『ふーん。随分と心配そうね、
「え…っ」

どこか含みのある言い方をされ、心臓が素直に音を立てる。砂羽には今朝、春千夜の状態と、今夜は帰れない旨のメッセージを送ってあった。さすがに泊りというのは驚いたのか、その後砂羽から大丈夫なの?と返信はきたが、熱を出して寝込んでいる相手であり、それ以前にあの春千代が自分に手を出すはずがない、と思っていたので、大丈夫だと一笑に付してしまった。でも蓋を開けてみれば、春千夜から好きだと告白されたのだから、人生とは何が起こるか分からない。

「そ、そりゃ雇い主が高熱でぶっ倒れてたんだから心配くらいするもん…」
『まあ、そうかもしれないけど、泊りがけで看病なんて、何か恋人同士みたいよねぇ』
「は…?こ、ここ恋人なんて、そんなはず――」

砂羽のひとことに激しく動揺し、吃音が出まくってしまう。砂羽もその動揺を感じ取ったのか『あれ、何でそんなに慌ててるわけ?』と笑い出した。姉の砂羽は鈍感な妹とは違い、もともと勘が鋭く、人の気持ちを察する能力に長けている。そうでなければ夜の商売は務まらないらしい。

「あ、慌ててないし…」
『ふーん』

悟られまいと急にトーンダウンした妹の声を聞き、砂羽はちょっとだけ笑ったようだった。

『別にいいわよ、私は』
「……は?いいって…何が」
『三途さんとがどうなっても、って意味だけど?』
「……っ!」

核心的なところを突いてくる辺り、姉はさすがだった。が息を呑む気配を感じたのか『ああ、やっぱ、何か…そんな感じなんだ』と含み笑いをしている。カマをかけたんだろうが、があまりに素直すぎるせいか、秒で察してしまったらしい。それにはも焦ってしまった。そんな感じも何も、まだ返事すらしてないというのに、姉に気づかれるのは想定外だ。

『姉としては…出来れば普通の相手と恋愛してもらいたいとこだけど…まあ三途さんみたいな男の方が、あんたのこと守ってくれそうだしね』
「ちょ、守るって、別にわたしと春千夜さんは何も…――」

――好きだったら悪いかよ。

不意に春千夜の告白が過ぎり、言葉に詰まってしまったところで、砂羽が『あ、蘭さん来ちゃったし、そろそろ切るね』と言い出した。だが蘭と聞いて、ふと明日は灰谷家へ行く日だったことを思い出す。

「あ、待って、お姉ちゃん!蘭さんに代わってもらうことって出来る?」
『え?まあ、出来るけど…どうして?』
「明日、蘭さんのお宅へ行く日なんだけど、この状態じゃ無理そうだから曜日を変更してもらいたいの」
『ああ、そういうこと。じゃ、ちょっと待ってて』

砂羽はそう言うと、店に顔を出した蘭に何やら話しかけて説明してるようだ。少しすると蘭が電話口に出た。

『もしもし~?三途が熱だしたって?』

蘭の低音の声が、苦笑交じりで聞こえてくる。どうやら夕べの今日で、まだ何も知らないようだ。

「は、はい…かなり高熱で、まだ一人に出来ないので、明日のお掃除、別の曜日にしてもらいたいんですけど…」
『ああ、そういうことね。まあオレは構わねえし、来れる日に来てくれりゃいいから。その時はメッセージだけ入れておいてよ』
「はい、分かりました。ありがとう御座います」
『いや、ウチのナンバー2の看病してもらってんだし、礼を言うのはこっちー。アイツ、最近イラついてたし少しゆっくりしろって言っておいて。ま、ちゃんがウチの仕事いかねえって知ったら、アイツの機嫌も直るだろうし』
「はあ……え?機嫌も直るって…」

つい、聞き流してしまいそうになった。何故、蘭の家の仕事に行かないと春千夜の機嫌が直るんだろう?
蘭はの反応に『…え?』と少し驚いたような声を上げた。

『まさか気づいてなかった?最近の三途の不機嫌さに』
「え、あ…いえ。何かずっと機嫌悪いなあ…とは思ってましたけど…それが何か――」

と、言ったところで、電話の向こうから蘭の盛大な溜息が聞こえてくる。その反応に何かおかしなこと言ったっけ?と思っていると、今度は苦笑交じりの声が聞こえてきた。

『マジか、ちゃん。砂羽の妹なのに意外と鈍感?』
「え、え?」
『三途が機嫌悪かったのは、オレの家でちゃんが働くようになってからだろ』
「…………」

そう言われて考えてみれば確かに、とも何となく思い当たる節がある。夏から灰谷家でも代行の仕事をすることになり――半ば強引だったが――そこから顔を合わせるたび、春千夜はどこか不機嫌だった気がした。てっきり仲の悪い蘭のところで働くのが気に入らないんだろうと思っていたが、蘭の言葉のニュアンスからして、そういう意味合いのものじゃない気もしてくる。

『ま、オレもからかい半分でちゃんに声かけたんだけどさ。なーんか三途のヤツ、マジみたいだから、そろそろやめてやろうかなぁとは思ってたわけ』
「…な…からかい半分って…」
『ごめんねー。巻き込んじゃった形で。でもそういうことだからさ。さっきは好きな時に来てとは言ったし、ちゃん、マジで優秀だからめちゃくちゃ助かってんだけど、三途、ちゃんにマジで惚れてるっぽいって分かったし、オレとしてはスッキリしたんだわ。これ以上、アイツをからかうと更に面倒くせえことになるだけだから、ウチの仕事は辞めてくれてもいいから』
「………えっ」

一言一言を聞き逃すまいとしてたら、最後の最後にとんでもないことを言われ、理解するのに数秒を要する羽目になった。マジで惚れてる、という言葉がぐるぐると頭を回り出す。自分もさっき知ったばかりの春千夜の気持ちを、蘭はとっくに見抜いてたらしい。が放心してる間に、蘭は『じゃ、そういうことだから、三途の看病よろしく頼むわ』と言いたいことだけ言って、サッサと電話を切ってしまった。

「うそ…。わたし…灰谷家、クビ…?」

色々と聞かされた気もするが、まずは仕事のことを優先に考えてしまうクセで、はしばし唖然としてしまった。しかも雇った理由が春千夜をからかうためだと言われれば、呑気なでも少しは怒りが湧いてくる。

「な…何考えてんの?あの人は…!こっちは真面目に仕事してたっていうのに…だいたい、あんな高い給料払ってまで、春千夜さんをからかうとか、どんだけ金持ち思考なわけ?」

怒りに任せ、三つ葉の続きを切っていると、ついつい力が入ってしまうため、切ったそばから三つ葉が右へ左へと吹っ飛んでいく。それに気づいたは慌ててそれを拾っていった。せっかく春千夜のためにお粥を作ろうとしてたのが台なしになってしまう。

「ハァ…落ち着け、わたし…」

キッチン台に両手をつき、軽く深呼吸をした。夕べから色んな情報が入りすぎて、少し混乱している頭を一時休めるためだ。とにかく、春千夜の気持ちは蘭も気づいてたのだから、言われたことは嘘じゃないと理解した。それは思ってた以上に嬉しかったし、素直に胸の辺りがドキドキしてくる。ただ、どうしても自分に自信がないので、何で春千夜さんがわたしなんかを?という疑問を抱いてしまう。彼になら、もっと垢ぬけた華やかな女性がお似合いだし、またそういう人が寄ってくるはず。なのに何故、よりによって代行スタッフの自分なんかを好きだと思ってくれたんだろう。そこが不思議でならない。
その時、IHにかけていた鍋の中でご飯がぐつぐつと煮えてきたのに気づき、すぐに"弱"を押して火加減を弱めておく。出汁の香りがキッチンに漂い、それが食欲をそそってきた。
そこで夕べ焼き鳥屋を出てから何も食べてないことに気づく。春千夜の看病に夢中ですっかり忘れていたのだ。その途端、の腹の虫が情けない音を立てた。思い出した途端に鳴るなんて、つくづく体は正直だなと思う。

「…どうしよう。春千夜さん、まだ寝てるかな…」

寝る、と言って布団に潜ってから、かれこれ十二時間は軽く経っている。も疲れて眠かったが、時々は様子を見に行き、額の汗を拭いたり、冷やしたりを繰り返していたので、眠ることすら忘れていた。

「まだ寝てるなら先に食べちゃおうかな…」

目の前でいい匂いをさせているお粥を見下ろしながら少しだけ悩む。その時だった。廊下の方から水を流すような音と、ドアの閉まる音がして、心臓が変な具合に跳ねてしまった。慌てて廊下を覗いてみると、そこにはトイレから出たばかりの春千夜が立っている。動けるくらいには回復したらしい。

「は、春千夜さん…具合、どうですか?」
「…あー…まだ…ボーっとする」

その言葉通り、春千夜はを見ても、どこか夢の中にでもいるような眠そうな顔をしていた。それでもキッチンから漂う匂いに気づいたのか「いい匂い…腹減った…」と呟く。

「あ、お粥作ったんですけど、食べられますか?薬も飲まないといけないし…」
「あー…食うわ」

春千夜は欠伸を噛み殺すと、子供のように目を擦りながらリビングの方へ歩いてきた。珍しいくらい無防備な姿に、の顔にふと笑みが浮かぶ。普段はきっちりスーツを着て部下を率いている春千夜を見ているからこそ、そのギャップがおかしくなったのだ。
とりあえず新しい着替えとタオルを用意して、それを「着替えです」と春千夜へ渡した。やはり寝汗をたっぷりかいたようで気持ち悪かったらしい。春千夜は素直にそれを受けとると、リビングの隣にある和室へ入って着替えてから戻って来た。

「ちょっと失礼します」

はそう声をかけてから、カウンターテーブルへ座った春千夜の額にそっと手を当てる。そこはまだ少し熱く感じた。

「夕べよりマシだけど、まだ熱ありますね。お粥食べたら薬を飲んで下さいね」

出来たばかりのお粥をお椀へよそいながら、最後に切ったばかりの三つ葉を乗せて春千夜の目の前へ置く。すると「オマエは?何か食ったのかよ」と訊いてきた。時計を見て、時間経過を確認したらしい。熱はあれど、アルコールはすでに寝汗と共に抜けたようだ。

「い、いえ…何も…」

そこは素直に応えると、春千夜は呆れたように溜息を吐いた。

「看病してくれんのは助かるけど、オマエも少しは自分のケアしろ…いつも自分を後回しにしすぎなんだよ」
「う…そ、そうでした…」

分かってはいるのだが、つい目の前で苦しそうにしてる春千夜を見てると、あれこれ世話を焼きたくなってしまう。そうなると自分のことをほったらかしで動いてしまうのは悪いクセだった。それは姉の砂羽にもよく言われることだ。

「オマエも喰えよ、それ」
「は、はい…そうします…」

空腹も限界で、そこは素直に頷くと、は自分のお粥をお椀へよそった。すると春千夜が自分の隣のスツールをぽんっと叩く。ここに座れ、ということだろう。そう理解しては少し緊張しながら春千夜の隣へと座った。
そこから少しの間、ふたりで静かにお粥を食べていたが、食べ終わった頃、春千夜がふと「んで…考えたのかよ」と訊いてきた。その一言に一瞬きょとんとしたものの、すぐに言われたことを理解する。同時にすっかり忘れていたことを思い出した。さっきまでは考えていたはずなのに、蘭と話したりしていたら、違う方へ意識を持っていかれてしまったらしい。

(そうだ…返事は春千夜さんが起きるまでにって言われてたんだった…!)

考えたかと訊いてくるということは、春千夜も今朝自分が言ったことを覚えているということだ。もしかしたら高熱とアルコールでボーっとしてたから忘れてるかもしれない、と心配になったりもしたのだが、そんなことはなかったようだ。

「い、いえ、あの…まだ…」
「ハァ?あれから随分と経ってんじゃねえか。オマエはその間、何してたんだよ」

食べ終わった食器を下げて洗いだしたを、春千夜が呆れたように睨む。何をしてたかと問われれば、それは春千夜の看病だという他なかった。正直に伝えると、春千夜もそこは仕方ないと思ったのだろう。軽い舌打ちだけでお叱りは済んだ。

「あ、どこ行くんですか?」

春千夜がリビングを出て行くので、も慌てて後を追いかけると、彼は洗面所へと入って行った。そこで食事の後は必ず春千夜が歯を磨きにいくのを思い出す。食後すぐに磨くのは歯に悪いと聞くが、春千夜はどうしても口の中が気持ち悪いと、すぐ磨いてしまうらしい。
じゃあ今のうちに、とは寝室へ行き、新しいシーツを出してベッドメイクを済ませた。
すると洗面所の方から「おい」と呼ぶ声。は外したシーツをクリーニング袋へ突っ込むと、すぐに洗面所へ顔を出した。

「何ですか?」
「オマエも磨いとけ」
「…え?」

何で?とは思ったものの、も歯磨きセットは常に持ち歩いている。言われた通り、洗面所を借りて歯を磨くと、終わった後はそのまま何故か寝室へと連行された。

「あ、あの春千夜さん…?」
「これに着替えろ」

春千夜はクローゼットの中から自分の服を出すと、それをへ放り投げた。慌ててキャッチすれば、それはメンズ物のトップスとスェットのズボン。どういう意味か分からず、もう一度春千夜を見れば、「オマエもちゃんと寝とけ」と言われてしまった。

「どうせ夕べから寝てねーんだろ?そんな顔してる」
「え、あ…ま、まあ…」
「返事するまでは帰れねえんだから、ここで寝るしかねえよなァ?」
「…う」

最後は意地の悪い笑みを浮かべる春千夜を見て、は言葉を詰まらせた。それに関しては猶予が与えられたようだが、やはり例の返事をしないと帰してくれる気はないらしい。これは何気に軟禁なのでは、と思わないでもなかったが、も本気で嫌なわけじゃない。ただ、春千夜に対する仄かな思いが愛なのか、それとも雇い主として慕っているのか分からないだけなのだ。

「ってか、サッサと着替えてこっちに来い」
「…へ?」

ドアの前で突っ立ったままの彼女を見て、春千夜が声をかける。こっちに来い、とは?と驚いていると、春千夜はサッサとベッドに入り、さっきと同じように自分の隣をぽんっと叩いた。いくら呑気なでもその意味くらいは分かる。つい「えっ」と大きな声を出してしまった。

「いちいち、うるせえ奴だな…。オマエはこのクソ寒い中、どこで寝る気だったんだよ」
「そ…それは…ソ、ソファとか…」
「てめ、カッシーナのソファを寝床にする気だったのかよ」
「え…あ…そ、そうですよね…っすみません…」

一応、"アイシング"で働いてた時も富裕層の家が多かったため、それが高級ソファのブランド名ということはでも知っている。それを聞いてしまうと、さすがにあのソファで寝るのは気が引けてしまった。とは言え、だから春千夜と同じベッドで、というのはいくら何でも飛躍しすぎだ。そもそも、告白をされたとはいえ、今はまだ雇い主と従業員の関係なのだ。
だが春千夜はそんな言い訳を聞いてくれるような常識ある男でもなく。眠いから早くしろ、とせっつかれて、は慌てて廊下で着替えを済ませ、寝室へと戻る羽目になった。

「ぷ…何だそれ。やっぱデカかったか」
「わ、笑わないで下さい…」

春千夜の服を借りて着たのはいいが、やはり小柄なにはサイズが大きい。トップスはまだ首回りが大きいのと膝上辺りまであるくらいでマシなのだが、ズボンとなると、裾は当然長いのでまくったのだが、まずウエストが合わない。腰ひもはあっても意味をなさず、勝手にずり落ちてきてしまうため、手で抑える必要があった。
ただ恐ろしく肌触りがいいので、高級ブランドのものだろうと着てるだけで緊張してしまう。

「ま、別に寒くなけりゃそれでいいんじゃね?」
「…は、はあ…」

これなら自分の服を着てた方が良かったのでは、と思わないでもなかったが、一応あの夜は姉と食事という予定で外出着だった。なので当然ラフな服装ではない。もしかしたら春千夜は気を遣ってくれたのかな、と思いつつ、その場でモジモジしていると、春千夜から再び「早くしろ」とせっつかれてしまった。

「え、で、でも一緒に寝るのは邪魔なんじゃ…」
「邪魔じゃねえよ、別に。オマエ、ちっこいし」

確かにベッドはキングサイズもあるので、ふたりで寝ても余裕はある感じだった。ただ、これまで春千夜とそこまで密着したこともなく、はただただ緊張しながら、ベッドへ上がるべきか悩んでいた。すると痺れを切らしたのか、春千夜はベッドから身を乗り出し、少々強引にの手を掴む。あっと思った時には、腕を引き寄せられ、ベッドへ上げられてしまった。
倒れ込む形で隣に寝かせられたあげく、至近距離で見下ろす春千夜と目が合う。薄闇に見える大きく鋭い瞳を見上げた時、心臓が口から飛び出るかと思うほどに早鐘を打ち、ついでに体が硬直してしまった。
前に付き合った人はいたものの、キス止まりで別れてるため、こんなシチュエーションで男の人と見つめ合ったことはなく。上から見下ろされるというのが、やたらと羞恥心を煽られる。
そして一つだけ問題だったのは、春千夜に手を掴まれた際、今までズボンを押さえていた手が放れてしまったことだ。当然のようにズボンはずり落ち、見れば中途半端に膝下で止まっている。それに気づいたは恥ずかしさのあまり、こっそり手を伸ばして引っ張り上げようとした。だが、その動きに気づいた春千夜の視線が、彼女の足元へと動くのが分かった。

「…えろ」

の恰好を見た瞬間、春千夜がボソリと呟く。その一言にの顏がカッと熱くなった。

「は、春千夜さんが引っ張るからです…!」

男の人に性的な意味合いの言葉をぶつけられた経験は初めてで、は真っ赤になりながら慌てて起き上がろうとした。だがその前に春千夜の手がずり落ちたズボンを掴み、一気に脱がしていく。

「ひゃ、な、何する――」
「やっぱ意味ねえだろ、これじゃ」
「そ…そ、そうだけど…」

何も脱がさなくても!と思ってる間に、春千夜は脱がしたズボンをベッドの下へ放り投げてしまった。おかげではトップス一枚という何とも心許ない姿になっている。
春千夜は無言のまま隣に寝転ぶと、羽毛布団を引っ張り上げ、剥き出しになったの太腿を隠すようにかけてくれた。それには若干ホっと息を吐く。ただ恥ずかしいことには変わりない。こうして異性とベッドを共にするのも初めてで、さっきから体がガチガチになっているのだ。おかげで睡眠不足で眠いはずなのに、やたらと頭が冴えてしまった。これでは眠れる気がしない。そう思っていると、不意に「おい」と春千夜から声をかけられた。視線だけ向けると、フカフカの枕との首の間に何かが入ってくる。見ればそれは春千夜の左腕。そこに気づいた時、またしても心臓が変な音を立てた。

「な、ななな何ですか、これ…」
「別にいいだろ。ってか、さみーからもっとこっち来いよ」
「い、いいです…ここで――わ」

言った矢先から、もう片方の腕に引き寄せられ、より密着する形になる。熱で高くなっている春千夜の体温をもろに感じて、の顔まで熱く火照りだした。

「あ、あの…春千夜さん…?」
「マジでちっせーな、オマエ」

首の下に入っていた腕がの体を抱き寄せ、より顏が春千夜の首元へ押しつけられる。優しく抱きしめられている、と頭が理解した時、心臓が更に激しく高鳴りだし、完全に睡魔など吹っ飛んでしまった。春千夜の香水に交じって、かすかに汗の匂いがすることさえ、ドキドキを加速させていく。

「あ、あの…」

これじゃ眠れないんですけど、と言いたかったのに、「もぞもぞ動くな」と舌打ちされてしまった。それは彼女にとっていつもの反応で、こんな時でも春千夜さんは春千夜さんなんだな、と、ちょっとだけ緊張が解れそうになった時、「…我慢してんだっつーの、こっちは」という言葉が続き、の頭に何を?という疑問が浮かぶ。そこでこの体勢のせいかも、と思った。

「…我慢って、あの…やっぱりわたし、邪魔ならリビングで寝ますけど…」
「ハア…?んな意味じゃねえ、バカ」
「バ、バカって…それはひどぃ――」
「いいから動くなって。勃っちまうだろが…っ」
「……え?」

春千夜の放った一言に、今度こその体が固まった。


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