静かで相応しい真夜中
※軽めの背描写あり
中学校生活もそろそろ終わりという頃、東卍が解散を宣言した。万次郎いわく、やりたいことは全て成し遂げたということだった。それがどんなことなのかまでは分からなかったけど、もう皆で集まることはなくなっちゃうのかな、と少しの寂しさを覚えたっけ。
――はどこの高校受けんの?
――わたしは家から近いS高にしようかと思って。
――ハァ?マジで?一緒の高校受けようぜ。
解散後のお疲れ会で一虎くんにそう言われた時はちょっと迷ってしまったけど、わたしは彼ほど頭が良くないし、泣く泣く断念したのを覚えてる。不良のくせに頭がいいなんて驚いちゃうけど、結局一虎くんは志望校に受かって、わたしとは別の高校へ進学。そこで新しい友達も出来たみたいだ。万次郎の家で顔を合わすことも次第に減っていった。
それでも東卍のメンバーとは集まったり、たまにバイクで走りにも行ってたようで、そんな話を時々エマちゃんに教えてもらう程度。あげく高校入学して少し経った頃、父の転勤が決まって、わたしは大阪へ引っ越すことになった。
その時に過ぎったのは幼馴染たちの顔じゃなく、何故か一虎くんのことだった。
最初は怖そうな人、という印象だったのに、いつから変化していったんだろう――?
あの頃、人気のあったキャラのヌイグルミをゲームセンターでとってくれた時?
バイクの後ろに初めて乗せてもらった時?
皆で行ったお祭りで下駄ズレを起こしたわたしを、おぶって帰ってくれた時?
ハッキリとは思い出せない。
何かをしてもらうたび、わたしがお礼を言うと、彼は決まって「大したことじゃねえよ」と笑ってくれて、そんな不器用な一虎くんの優しさを分かってきた頃から、少しずつ少しずつ惹かれていったのかもしれない。
「彼女ができねえ」と嘆いていたのを聞いた時は、ちょとだけ立候補したい…と思ったのは内緒の話で、仲の良かったエマちゃんにだって自分の想いを話したことはない。
もしバレてしまった時、一虎くんと気まずくなるのが嫌だったから。
わたしの想いが報われるなんて、当時は考えもしなかった。
そのうち、髪型を変えて「モテ期がきた」と喜んでる一虎くんを見た時、すぐに綺麗な彼女が出来るんだろうなと勝手にフラれた気分でいたっけ。
それからすぐ、父の転勤が決まった。
あれから二年――。まさかこんな形で再会することになるなんて。
「も~ってば飲んでるー?」
「う、うん。っていうかナルミ、飲み過ぎじゃない?」
ゆずサワーの缶を手に凭れかかってきたナルミを押しのけ顔を覗き込む。きっとわたしよりお酒は強いはずだけど、夏休み+両親不在+好きな男の子と一緒、という普段はあまりない状況で、テンションが爆上がりしたようだ。いつも以上に速いペースで飲んでたらしい。ナルミの想い人(多分)で、一虎くんの友達の千景くんが「コイツ、最初から飛ばしてるし飲むの早すぎでさー」と笑っている。
「いいじゃん、夏休みくらい~」
「えっと…良くはないけどね」
わたし達は未成年、ということを忘れているらしい。まあ、わたしも少しとはいえ飲んでしまったのだから共犯だけど。
ただ慣れないものは口にするものじゃない。ビール一缶で終わるはずが、次はサワーの類を渡され、それを誤魔化しながら飲んでいたものの、さっきから視界は揺れてるし、ナルミほどじゃないけど、わたしもだいぶ酔ってきたらしい。あまり体に力が入らない。
一虎くんと思い出話に花が咲いて、ついつい飲むペースも速くなってしまったのが良くなかった。
「ちょっとトイレ借りるね」
言いながら立ち上がろうとしたけど足がふらついてしまった。それを見ていたナルミが「こそ大丈夫~?」と笑っている。
「隣の部屋、寝られるようにしてあるし、ヤバそーなら休んでもいいよー」
「うん。ありがとう」
ナルミのご両親は今、会社の夏休みを利用してシンガポールへ旅行に行っているらしい。本当は彼女も同行するはずだったのに、上手く断って日本に残ったようだ。それもこれも今日の合コンが決まったから、というのを、さっきコッソリ教えてくれた。
――千景くんから誘われたら断れないじゃん。
そう嬉しそうに話していたナルミを思い出す。
彼とはナンパで知り合ったと前にチラっと教えてもらったことがあったけど、聞いていた通り、アイドル並みのイケメンで高身長。ナルミのタイプど真ん中なのが、彼と会ってよく分かった。
そしてその千景くんと一虎くんは高校のクラスメートらしい。以前、ナルミが千景くんから紹介されて、今度何人かで飲み会でもやろうかという話になってたようだ。
(でもまさか、こんな形で会うなんて…ほんとビックリだな…)
部屋を出る際、チラリと視線を向ける。一虎くんは結構飲んでるにも関わらず、まだほろ酔いらしく、千景くんやナルミとお喋りしながら楽しそうに笑っている。
でも視線に気づいたのか、ふとわたしの方を見た。
「転ばねえように気をつけろよ?」
「え?あ…うん。大丈夫」
フラついてたわたしを心配してか、そう声をかけてくれる。そういう優しいところは昔と変わってない。
中学時代の淡い初恋。
その相手と、まさか二年後、合コンの場で会うなんて想像もしていなかった。
「はあ…ダメだ…大丈夫じゃないかも」
トイレを借りて洗面台の前に立つと、ぐわんと視界が回り始めた。座っている時はあまり分からなかったけど、動いてみると、かなり酔っているのが分かる。
(マズいなあ…こんな状態で家に帰ったらバレちゃうよ)
一応、泊まってくるかも、とは伝えたものの、まさか合コンとは思わなかったし、彼らがいるなら外泊なんて無理かなぁと考える。一虎くん達は何時くらいまで飲むつもりなんだろう。
そんなことを考えながら廊下に続くドアを開けると、不意に「うわ」という短い声。慌てて顔を上げると、そこには一虎くんが立っていた。
「あ、ごめん…っ。ぶつかっちゃった?」
「いや、平気。開けようと思ったら急に開いたから驚いただけ」
苦笑気味に応える一虎くんを見て「なら良かった」と息を吐く。
「あ、もしかしてトイレ?」
「ん-?いや…オマエ、ちょっと酔ってるっぽかったから様子見にきた。ぶっ倒れてんじゃねえかと思って」
「あ…ありがとう。大丈夫だった」
どうやら足元がフラついていたことに気づいて来てくれたらしい。そういうとこが一虎くんだなぁと思った。
「何か眠そうだし休んどけば?アイツら、まだ飲むみたいだし」
「え、そうなんだ」
「も泊ってくんだろ?」
「え…?も…ってことは…」
「オレと千景はそれ前提で誘われてっけど」
「…嘘。そうなんだ」
ナルミってば大胆な、と呆れつつ、わたしはどうしようか考えた。彼らも泊ってくなら帰ろうかとも思ったけど、お酒臭い+ナルミを男の子二人と残して帰るのも忍びない。
「じゃあ…ちょっとだけ仮眠しようかな」
「ん。そうしとけ」
一虎くんはわたしの頭にポンと手を乗せると、ナルミの部屋の隣にある空き部屋へと連れて行ってくれた。そこはナルミのお兄さんの部屋だった場所だ。お兄さんは大学入学と共に一人暮らしを始めたようで、室内はガランとしている。そこに敷き布団とタオルケットが畳んで置かれてた。
「ほら」
一虎くんが手早く敷き布団を広げて手招きをする。わたしはフラフラしながら、どうにかそこへ辿り着いた。
「ハア~目が回る…」
力の入らない体を横にすると、途端に天井が回り始める。その歪んだ視界の中に、一虎くんのキラキラした瞳が見下ろしてきた。
「そんな強くないなら悪かったな、飲ませちまって」
「ううん…わたしが勝手に飲んだんだし…それに少し寝れば大丈夫だよ」
「…そっか?まあ…後で水でも持って来てやるから休んどけ」
「うん…ありがとう。一虎くんはまだ飲むの?」
「まあ、オレはそんな酔ってねえから」
彼はそう言いながら隣の部屋へと戻って行った。ドアが閉まると真っ暗になり、自然と睡魔も襲ってくる。ジっとしているだけでフワフワして、気持ち悪いというより、逆に心地よく感じた。
(もう少し一虎くんと話したかったな…)
そんなことを考えながら目を瞑ると、数秒で眠ってしまったらしい。
何かの物音で目が覚めた時、二時間近くは経っていた。
(嘘…もう0時…?わたしってば二時間も寝ちゃってたんだ…)
手元に置いてあったケータイで時間を確認して驚く。
なのにアルコールが抜けてる気配はなく、未だ動くだけで頭がぐわんと大きく揺れる気がした。
「はぁ…ダメだ…動けない…」
起こしかけた体を再び横たえると何度か深呼吸をした。喉も少し渇いている。
(皆はまだ飲んでるのかな…)
そう思いながら視線を動かすと、さっき一虎くんが閉めてくれたはずのドアが少しだけ開いていた。
(あれ…誰かこの部屋に来た?あ、ナルミが酔っ払って寝にきたのか…)
何となく隣に人の気配を感じてそう思った。室内はカーテンも閉め切られているから相変わらず暗い。でも隣を見れば確かに誰かが横になっているのが分かった。
ただ、それはナルミじゃなく――。
(え…何で一虎くんが…?)
すぐ隣で寝ていたのは間違いなく一虎くんで、かすかに寝息が聞こえてくる。キョロキョロと室内を見渡しても、この部屋にいるのはわたしと一虎くんだけだった。
(もしかして一虎くんも酔っ払って寝にきたの?)
ちょっと驚いたけど、酔ったままフラフラとここへ来たんだろう。枕もとには一虎くんのケータイが無造作に転がっていた。
(ということは…ナルミと千景くんはまだ飲んでるとか…?)
それなら一虎くんがここで寝てるのも説明がつく。さっきみたいに騒がれてたら仮眠すら出来ないはずだ。
(でも…隣、やけに静かだな…)
そう思ったのと同時に、先ほど聞いた物音がかすかに聞こえてきた。ギシ…っという何かが軋む音だ。
この音には聞き覚えがあった。
(これ…ナルミのベッドの音じゃ…)
彼女のベッドマットは子供の頃から使っている物らしく、最近はちょっと腰をかけただけで嫌な音を立てるようになったらしい。前に何度か泊った時、わたしも聞いたことがあるから間違いない。
その音が隣の部屋から何度となく聞こえてくる。
(やっぱり起きてる…?でも話し声は聞こえないのに…)
と思った瞬間、気づいてしまった。ベッドが軋む音に交じって、小さな息遣いが聞こえることに。
「え…」
自分の心臓がドクンと波打つのが分かる。
今度は小さな息遣いと同時に、どこか甘さを含んだ艶のある声が聞こえた気がしたのだ。
それは間違いなく――。
(嘘でしょ、ナルミ…まさか千景くんと…?)
今度はハッキリと「ん…」という女特有の甘えたような声が聞こえて、わたしの顔が一気に熱くなった。
わたしや一虎くんが隣で寝てるというのに、どうやらナルミは自分の部屋で千景くんといたしてるらしい。
(嘘でしょ…何考えてんの…?)
慌てて腰までかけられていたタオルケットを引っ張り上げ、頭まで被る。友達のエッチを聞く趣味はないからだ。なのに少しも音は消えてくれない。一度意識してしまったせいか、さっきよりもハッキリ耳が拾ってしまう。
(どうしよう…ドアを閉めるべき?でもその音でわたしが起きてるって気づかれても気まずい…)
声の聞こえる感じからすると、ナルミの部屋のドアも開けっ放しなんだろう。なんて無防備なんだと呆れたけど、酔っ払いの上に、好きな相手とそういう空気になれば、そんな小さなことまで気が回らないのかもしれない。
とりあえず一虎くんが寝ててくれて良かった…と息を吐いた。もし起きていたなら気まずいなんてものじゃない。
(千景くんとうまくいったのは良かったと思うけど…これって終わるまで聞かされるわけ…?)
どうにか寝てしまいたいところだ。でも変に気になって眠れない。アルコールのせいで頭はボーっとしてるはずなのに睡魔だけ引っ込んでしまったようだ。
「…んぅ…ん…っ」
少しずつ声が大胆になっているのが分かる。しかも声の合間にくちゅくちゅとした卑猥な音まで交じってきた。熱烈なキスを交わしてるのが丸わかりで、何故かわたしの顔まで熱を帯びてしまう。
「熱…」
室内のエアコンは稼働してるものの、タオルケットに潜っているだけで息苦しい。仕方なく顔を出すと、上半身だけ起こしてドアの方へ視線を向けた。相変わらず、十センチほど開いているので、二人の絡み具合が良く聞こえてしまう。どうにか閉めることは出来ないかと手を伸ばしてみたものの、届くはずもなく、ついでに酔いが回ったのか、視界が大きく揺らめいた。
その時、肩をガシっと掴まれ、わたしの体がビクリと跳ねた。声が出なかったのは不幸中の幸いかもしれない。
「か…かず…虎くん…?」
「しー」
心臓をバクバクさせながら振り返ると、いつの間に目を覚ましたのか、一虎くんが人差し指をくちびるに中てて苦笑いを浮かべていた。暗がりに映える彼の綺麗な瞳にドキっとさせられる。
一虎くんは固まったままのわたしの方へ身を寄せると「アイツら、上手くいったみたいだな」と小声で言った。肩越しで話すせいか、彼の吐息が頬にかかるくらい近い。
「そ…そう…みたいだね…」
赤くなった頬に気づかれないかドキドキしながら相槌を打つ。まさか一虎くんが起きてしまうなんて予想外すぎて、どういう顔をすればいいのかも分からない。
なのにその間もナルミの嬌声や行為の音が聞こえてくるんだからたまらない。
その時、再びベッドの軋む音と服の擦れるような音がして、その直後――。
「…あー…やべ…気持ちいい」
千景くんの声がやけにハッキリ聞こえて、わたしは思わず一虎くんを見上げてしまった。彼もまた困ったような複雑そうな表情でわたしを見つめている。
隣からは口淫を思わせるような水音が聞こえてきた。
じゅぷ、じゅぷ…っと耳を覆いたくなるような卑猥な音は、次第に大きくなっていく。
「………」
「………」
しばし無言で見つめ合っていたけど、一気に恥ずかしさが増して、わたしは慌てて一虎くんから目を反らした。
「も、もう寝ちゃお」
彼に背を向けて再び横になると、タオルケットを頭まで被って目を瞑る。未だにアルコールの影響で、体が敷き布団に沈んでいるかのように気怠い。でもこれならどうにか眠れる気がしていた。
なのに心臓の鼓動だけは早鐘を打っていて、背中に意識が全集中状態だ。
その時、背後でかすかに一虎くんの動く気配がした。
「なあ…」
「な…何…?」
そう応えた瞬間だった。グイっと肩を掴まれ、僅かに後ろを向かされる。ついでに顔を覆っていたタオルケットをはがされ、驚いて視線を上げた。
「か…一虎…くん?」
暗闇の中に見えた一虎くんの瞳は、さっきよりも熱っぽく見えた。この独特の空気をわたしは知ってる。
「マジで寝んの…?」
「え…だ…って…」
その問いに戸惑い、口ごもる。起きていても隣のエッチを聞かされる羽目になるし、しかもそれを一虎くんと聞くなんて恥ずかし過ぎる。まだエロ動画を一緒に見る方がマシだ。いや、見ないけども。
そんなわたしの心を知ってか知らずか、一虎くんは僅かに目を細めながら「オレ、まだと話したいんだけど」と拗ねた口調で言った。彼もまだ少し酔いが残ってるらしい。
実際問題、わたしだって一虎くんと話したいことはいっぱいある。ただ…。
「は、話っていっても…」
こんなエッチ音が聞こえる中で?とは言えなかった。
「明日…起きたら話そうよ。もう遅いし、わたしも酔ってて頭がふわふわしてるし…」
そう言ってわたしは再び彼に背中を向けた。ただし、タオルケットを被るのはやめて、かけるのは腰までにしておく。夏らしいキャミソールとミニの巻きスカートというスタイルだけど、さすがに暑い。
とりあえず、このまま寝てしまえば明日はきっと何事もなかったかのように話せるはずだ。うん、きっとそう。
自分に言い聞かせるようにしながら目を瞑った。
隣からは相変わらず、卑猥な声や音が聞こえてきていて、わたしの鼓膜を刺激してくるから顔は熱いし鼓動がうるさい。こんなのを一虎くんと聞いてるなんて恥ずかし過ぎる。
(もう…ナルミのヤツ…せめてドア閉めてやってよね…)
なんて思ったその時。後ろから伸びた手が、わたしのお腹へと回され、ぐいっと背後に引きよせられた。
「ちょ…な、何?」
予期していなかった行動に酷く驚いた。背中に体温を感じるのは一虎くんに抱きしめられてるせいだと気づく。
「か、一虎くん…?」
あまり大きな声は出せない。なるべく小声で彼の名前を呼ぶと、すぐ耳元で「んー?」という甘えたような低音が聞こえた。
「な、何してるの…?」
「何って…が素気ねえからオレの方に意識向けようかと」
「な…何それ…離して――」
と言いかけた瞬間、更にぎゅうっと抱きしめられた。いわゆるバックハグだ。しかも横を向いた状態だからか逃げ場がない。ただでさえ体に力が入らないのに、強い力でがっちりとホールドされている。
(一虎くんって酔ったら誰かに甘えたくなる人だったり…?)
想像すらしていなかった状況に混乱しつつ、どうしようかと考えた。こんな暗い室内で密着なんてしてたら、色々とマズい気がする。
なんて考えていた時、不意に首元を覆っていた長い髪を、彼の指が避けていく。露わになった首筋に冷たい空気が触れて、再び鼓動が速くなった。
「あ、あの…」
「と再会できて、すげー喜んでんのオレだけ…?」
「…え…?…ぁっ」
不意に声が近くなったと思ったら、無防備だった首筋に柔らかいものが押しつけられた。その瞬間、ゾクリとした疼きがそこから広がっていく。
ちゅっという小さなリップ音が鼓膜を刺激して、首に口付けられたんだと理解した時、カッと顔が熱くなる。
「か、一虎くん…結構酔ってる?」
「んー?まあ…それなりに。もだろ?体がすげー火照ってるし」
「ん、ちょ…変なとこ触らないで…」
お腹に回っていた彼の手が、するすると下腹の方へ移動していく。でもすぐに腰まで撫であげると、今度はまた下へ。一虎くんの手はまるで体のラインを確かめるように動く。それがやけに恥ずかしい。薄着だから尚更だ。
「会わない間にもだいぶ女っぽくなったなーと思って」
「…そ、そりゃ…中学生の頃と比べたら…」
確かにブラのサイズだってあの頃と比べたら2サイズほど増えた。といってもBカップだったのがDカップになったくらいのものだけど。
でもブラもいらないくらいペタンコだった中学時代に比べれば、今は一応、谷間もちょっとは出来るくらい大きくなったと思う。
特に初体験を済ませた後は、体つきも何となく女らしくなった気がしていた。
その時、一瞬だけ元彼の顔が脳裏を過ぎる。
遠距離になった途端、あっさり別れを決めたあんな薄情な男に、大事なヴァージンをあげるんじゃなかった、と変な後悔に襲われたのだ。
「へえ…じゃあ…もう誰かとエッチしたことある…とか」
「え…?」
元カレの仕打ちを思い出して怒りが再燃していると、不意にそんな質問をされてドキリとした。
ここは嘘をつくべきか、それとも本当のことを言うべきか。
出来れば一虎くんには知られたくない。あんな男に初めてをあげてしまったことなんて。
「……えっと…そ、そういう質問はちょっと…」
こんな状況と体勢でなんてことを聞くんだと思いつつ、言葉を濁す。出来ればこのまま話を変えるか、寝てしまうかして会話を終わらせたい。そう思った。どうせお互い酔ってるんだし、明日には何事もなかったかのように忘れてしまえれば――。
なのに一虎くんはそうさせてはくれなかった。
「へぇ…エッチしたことあんだ」
「…え?」
それまでのトーンとは少し違う低い声が、耳のすぐ近くで聞こえてドクンと心臓が鳴った。
「一虎く……」
どうしたのかと顔を上げて振り返ろうとした時、隣の部屋からハッキリと「…イク…っ」という男の声。千景くんだ。ナルミが口でイカせたらしい。それが分かるくらい、生々しい吐息まで聞こえてくる。その何とも言えない空気の中、固まっていると、今度はまた動く気配がした。ベッドの軋む音。そして――。
「…んん…ぁっ」
「―――ッ」
ナルミの蕩けるような甘い声が一際大きく聞こえて、かすかにピチャピチャと何かを舐めるような音がする。今度はナルミが千景くんから口淫されてるんだと気づいた時、顏の熱が一気に上がった。
「…ぁ…っん…」
ナルミはお構いなしに喘いでいて、聴覚を刺激してくる。舐めるような音と同時にくちゅくちゅとどこかを弄るような音までして、わたしは耳を塞ぎたくなった。
その時、わたしと同じように黙っていた一虎くんが、かすかに笑った気がした。
「…あっち盛り上がってんなー」
「……よ、酔ってるんだよ、二人とも…」
「まあ、そうだろうけど…オレらも酔ってんじゃん、いい感じに」
「え…?ちょ…」
いたずらっ子のような口調で言うと、一虎くんはお腹に回していた手をするすると上へ移動させていく。そして胸の膨らみの下辺りでピタリと止めた。
「…触ってい?」
「…え…?」
「オレもに触れたい」
「なっ…ん、ちょっと…」
背後から耳元で囁く低音は、さっきよりも艶がある。男の欲が交じった、どこか甘えた声だ。
その時、ぬるりとしたものが耳殻に触れた。
「ん、何して…」
耳を舐められたんだと分かった瞬間、心臓が更に音を立て始めた。さっきから密着している背中が熱い。この体勢じゃ良くないと、どうにか腕から抜け出そうと体を動かす。でもあまり力が入らない。むしろ動けば動くほどアルコールが回っていく気がした。頭がクラクラする。
「ちょ、一虎くん…」
わたしが何も応えなかったせいか、痺れを切らしたように不意に彼の手が動いた。胸の下から撫でるように膨らみをなぞって、そのままキャミソールの肩紐へ指を引っかけるのを感じる。慌てて体を捩ろうとしたけど、後ろからホールドされているせいで、あまり意味はなかった。
「ダ、ダメ…」
「んー?何が?」
「何がって…脱がさないで…」
今にも肩紐が肩から下ろされそうなのを感じて言葉で制止する。すると一虎くんの手が一瞬止まった。
「…やだ?」
「や、やだっていうか…」
違う。触れられるのが本気で嫌なわけじゃない。
ただ、再会したばかりだし、今も彼のことが好きなのかすら分からないのに――。
ううん、そうじゃない。
一虎くんがわたしのことをどう思ってるかも分からないのに、なし崩しに関係なんて持っていいのか迷ってるんだ。
純粋だった頃の初恋の思い出を壊すのも怖い。
「…」
なのに――甘い声で名前を呼ばれると、過去の想いが蘇ってきてしまう。
「…脱がさなきゃ触れてもいいのかよ?」
一虎くんが上体を起こして、わたしの顔を覗き込む。その顏を見てしまった瞬間、胸の奥がトクン…と鳴った。
密かに憧れてた頃の一虎くんが、わたしを見下ろしてる。昔のように自然とドキドキしている自分がいた。
一虎くんの瞳は暗闇でもキラキラとしていて、あの頃と何も変わっていない。まるで光を反射するスパンコールのように、わたしの心を照らしてくれるから。
この時のわたしは、まともな判断なんて出来てなかったのかもしれない。
完全にその場の空気に流されてしまった。