――キンコーン…
正午、ハリソン家のチャイムが鳴り響き、ジョシュは顔を顰めた。
(はぁ…またハイテンションなジョージのご到着か…)
妹の代理マネージャーである男の嘘臭い笑顔を思い出し、軽く溜息をつくと、ソファから立ち上がった。
その瞬間、欠伸が出て大きく息を吐き出す。
(朝からオーランドの泣き言を聞いてたから仕事前に一気に疲れたよ…)
オーランドは今朝も"呪います電話"がかかってきたと、仕事に行くまで散々ジョシュやイライジャに泣きついてたのだ。
イライジャが起こしに行って床の上で伸びてるオーランドを見つけたらしい。
イライジャがやっとの思いで起こしたが、起きた途端オーランドは「まだ、ががっでぎだよ〜!」と叫び倒した。
夕べは遅くまで撮影が延びて疲れていたジョシュはその騒ぎで起こされ、心底ウンザリしつつ、
オーランドの話を聞き流していたが、イライジャはサッサと仕事に出てしまった。
は疲れてたのか、さっきまで起きてこなかったのでジョシュが必然的にオーランドの相手をするハメになったのだ。
どうしたらいい?と泣きつくオーランドを何とか仕事に行かせて、やっと一人で寛いでたジョシュは自分も出かける用意を済ませ、が下りてくるのを待っていたところ。
「オーランドの次はジョージか…」
そう呟きつつ紅茶を飲んでいると、インターフォンに応答したエマがリビングに顔を出した。
「ジョシュ、お迎えよ?」
「ああ…」
「あら、は?」
「今、部屋で用意してる…。彼を中に通しておいて」
俺がそう言うとエマは一瞬、何かを言いかけたが、少し含み笑いをして「OK」と部屋を出て行った。
それを見送り、俺はリビングを出るとの部屋へと向かう。
途中、レオの部屋の前を通ったが、夕べは遅くに戻ったとの事で起きてる様子はない。
(最近、レオも疲れてるようだったしな…)
デライラの事で相当イライラしていたレオを思い出し、ジョシュは苦笑を漏らした。
最近ではとデライラが仲良くなり始めているので、ジョシュとしても困っているところだ。
(ったく…いくら一緒に仕事してるからって俺一人じゃ荷が重いよ…ジョージも役に立たないし)
小さく息をつくと、ジョシュはの部屋のドアを軽くノックした。
「」
「どーぞ」
中から返事があり、静かにドアを開けると、がジャケットを羽織って奥の部屋から出てきた。
「用意できたか?迎えが来たけど…」
「うん。もう終わった」
は笑顔でジョシュの方に歩いてきたが、その顔は少し寝不足といった様子だ。
「…大丈夫か?疲れてるみたいだ」
「うん…でも大丈夫」
ジョシュがを抱き寄せると、は軽く首を振った。
「夕べ…飲みすぎたか?ミシェルって子と」
「そうじゃないけど…」
はそこで言葉を濁し、顔を上げると、ジョシュは彼女の額にちゅっとキスをした。
「何かあった?」
「ううん。何も…疲れすぎて夕べちょっと眠れなかっただけ」
「そうなの?じゃあ…スタジオついたら少し仮眠しろよ。最初は俺のシーンだけだし…」
「うん。そうしようかな…」
ジョシュから離れるとは笑顔で頷き、バッグを肩にかけた。
「ジョージ来てるの?」
「ああ。下で待ってると思うよ」
「そう…はぁ…だるい時に彼に会うのって憂鬱…」
「はは…そりゃ言えてる」
の言葉にジョシュも苦笑して同意すると二人で下へと降りて行く。
するとリビングの中からはエマの楽しそうな話し声が聞こえてきて、ジョシュとは顔を見合わせた。
「エマってば…ジョージのこと苦手だって言ってたのに」
「ああ…いや話につき合わされてるだけかも」
そんな事を言いながら二人はリビングに顔を出した。
「すみません、お待たせして――」
そこでの言葉が途切れた。
「――あら、、おはよう。今日はサプライズみたいよ?」
「…………」
エマは楽しげにそう言うとリビングを出て行った。
が、も、そしてジョシュも返事も出来ないまま、目の前に立っている人をポカンと眺めている。
「――ス…スタンリィ…?」
「おはよう御座います」
普段どおりの挨拶をしたのは、ハイテンションなジョージではなく、爽やかな笑顔を浮かべたスタンリーだった。
ジョシュ
「いや、でもほんとビックリしたよ」
「すみません。急に決まって…」
スタンリーはスタジオの駐車場に車を入れると苦笑交じりで振り返った。
が、俺の隣にいるは少し俯いたまま何も話そうとせず、黙って車を降りてしまう。
(…どうしたんだ?せっかくスタンリーがマネージャーに戻ってきたというのに)
俺は首を傾げつつ車を降りると、そのままの肩を抱き寄せた。
「どうした?さっきから黙っちゃって」
「…な、何でもない。それより急がないと撮影始まっちゃうよ?行こ?」
「あ、ああ…」
ふと時計を見れば、撮影開始まで残り30分。
俺は急いで衣裳部屋まで直行すると手早く着替えてスタジオに入った。
「おはよう、ジョシュ」
「やあ、ケイト。おはよう」
「夕べはごめんなさいね。つき合わせちゃって」
ケイトは申し訳なさそうな顔で俺を見ている。
夕べの撮影が遅くなったのは彼女のNGが原因でもあった。
「別にいいよ。俺だってしょっちゅうやってる」
軽い口調でそう言って肩を竦めると、ケイトもやっと笑顔を見せてくれた。
そこへ衣装に着替えたがやって来て一緒にスタンリーも歩いてくる。
それを見たケイトが驚いたように目を丸くした。
「あら、彼…戻れたの?」
「ん?ああ…今日からね。俺もさっき知ってビックリしたんだ」
「そう!でも良かったじゃない?あのジョージとかいう人だとちゃんが萎縮しちゃってて可愛そうだったもの」
「ああ、俺もそれはホっとしてる」
そう言って笑うと、が歩いてきた。
「ジョシュ、私の出番まで控え室にいるね」
「ああ。少し休んでろよ。ジョージなら無理だけどスタンリーなら安心だ」
「うん…そうね」
俺の言葉にはちょっと笑うと、ケイトにも挨拶を済ませ、スタジオを出て行った。
それを見送っていると、ケイトはちょっと微笑んで、「ちゃん、やっぱり嬉しそうね」と呟いたのが聞こえドキっとする。
「え…?」
「ちゃんよ。ジョージと一緒の時より凄く自然体だし嬉しそう。きっとスタンリーのこと凄く信頼してるのね」
「あ、ああ…そう、だな」
「ん?何だか複雑って顔ね、ジョシュ」
「え?!」
ケイトの言葉にドキっとすると、彼女は楽しそうにクスクス笑っている。
「もしかして大切な妹が他の人を頼りにしてるのが寂しい、とか?」
「そ、そんな事は…」
鋭いところを突かれ、俺は笑って誤魔化した。
が、俺は感情を隠すのが兄弟の中でもオーランドの次に苦手だ。(オーランドは気付いてと言わんばかりに顔に出る)
勘のいいケイトは全てお見通しらしい。
「まあ分かるけどね。子供の頃からちゃんはお兄さんだけを頼ってきたんでしょうし。それを他の男に取られるとなると、いくら相手がマネージャーでも寂しい気持ちになるわよね」
そんな事を言われ、何と答えていいのか迷ってると、監督がケイトを呼んだ。
「じゃ後でね?」
「ああ」
そう言って軽く手を上げると、後ろからクスクス笑う声が聞こえてきた。
その声で誰かが分かり軽く溜息をつく。
「何が面白いんだ?デライラ」
「だって…彼女も鋭いとこ突くなと思って?」
振り返るとデライラはそう言いながら歩いてきた。
「おはよう、ジョシュ」
「…どうも」
彼女の正体は分かっているから少し素っ気なく答える。
まあ、あまり彼女に冷たく当たると他のスタッフに変に思われるから、なるべく笑顔は作っておいたが。
「無理に笑顔なんていいわよ。どうせジョシュは私が嫌いでしょ?」
「…好きとか嫌いの話じゃないだろ」
「ふぅん。そんなにお兄さんが心配?あ、それとも可愛い妹の心配かしら」
「…どっちもだよ。もうレオにもにも近づくなよ」
ウンザリしたように答えると、デライラは軽く髪をかきあげ息をついた。
「仕方ないじゃない。の方が私を頼ってくるんだから」
「は?そう仕向けたのはアンタだろ。いいから近づくな」
「あーら、お言葉ね、ジョシュ。夕べだって私がいなくちゃ、どうなってたと思うの?」
「…何のことだよ…」
夕べの事を知らない俺はデライラの言葉に眉を寄せた。
すると彼女も気付いたのか、「あら知らなかったんだ。まあ、そうよね」なんて言って笑っている。
「何がだよ…。夕べって何の事だ?」
「お見合いパーティよ」
「…は?」
思ってもみなかった、その言葉に少し驚けば、デライラは軽く息を吐き出し肩を竦めた。
「の後輩の子が嘘をついてをお見合いパーティに連れて行ったのよ」
「な…何だって?!」
思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえた。
周りで作業していたスタッフは訝しげな顔で俺達を見ている。
「嘘だろ…?だって昨日は彼女と飲みに行くって…」
「だからはそう思って行ったのよ。でも連れて行かれた場所はシーズンズホテルのビップルームだったってわけ」
「な…はそんなこと一言も…」
「言えるわけないじゃない。心配されて怒られるだけだもの」
デライラは苦情交じりで俺を見上げた。
「で…大丈夫だったんだろ…?」
「ええ、まあね。その場にいた男達はハリソンファミリーのお姫様が来た事で何とか声をかけようと頑張ってたみたいだけど――」
「な…それで?!」
少し動揺してデライラの肩を掴むと、彼女は徐に顔を顰めた。
「痛いわよ…。とにかく。私が声をかけさせないようにしてたけど、その場にレオも来てたし誰も声かけられなかったわ」
「は?な、何でレオが…」
俺は何が何だか分からなくなって口が開いてしまった。
そこでデライラが詳しく夕べの説明をしてくれた。
「じゃあ…レオはが来てた事に気付かないで…あのキースに連れられて来たって事か…?」
「ええ、そうみたいね。レオはサッサとモデルの女と部屋に行っちゃったし」
そこはデライラも忌々しげに呟いた。
が、俺は何だか力が抜けて思い切り溜息をつく。
「何だよ、それ…。まあ…レオはそういうパーティとかよく言ってたし分かるけど…」
「ミシェルって子はを上手く利用したのね。スタンリーがそのパーティに出るって知って」
「ああ。と一緒なら招待状なんてなくても中に入れるだろうしな」
「ええ。私もそれで中に入れてもらえたもの」
「は…?」
彼女の言葉に眉を寄せるとデライラはクスクス笑った。
「二人が入ってすぐに私も受付での連れですって言ったの。そしたらすぐに入れてくれたわ」
「…呆れたな。ってか…そのパーティで会ったのも偶然じゃないって事か」
「まあ、そういう事ね。とミシェルの後をつけたの。どこに行くのかと思って。まあレオまで来たのは計算外だったけど」
デライラは悪びれた風でもなく、ヌケヌケとそんな事を言っている。
「呆れたな…。何で後なんて…」
「あら、でもそのおかげではお見合いパーティだって知ることが出来て警戒してくれたんだしいいでしょ?」
「そりゃ…。でもアンタの狙いは何だよ…。どうしてに近づこうとする?」
彼女の真意が分からず、黙ってデライラの表情を伺った。
が、デライラはちょっと笑うと、
「言ったでしょ?レオが溺愛してる妹の事が知りたいだけよ。傷つけるつもりはないわ」
「知ってどうする?アンタが何をしたってレオは手に入らないぞ?逆に嫌われるだけだ」
「もう…嫌われてるわよ…」
そこでデライラは初めて辛そうな顔を見せた。
が、すぐにいつもの挑戦的な笑みを浮かべると、
「…こうして貴方達を見ててもう一つ分かった」
「…何を…?」
その意味深な言葉に眉を寄せると、デライラは俺の肩にそっと手をかけ、顔を耳に近づけてきた。
「あなたも…そしてレオも…妹の事を一人の女性として見てるってこと」
「―――ッ?!」
小さな声で囁かれた言葉にカッと顔が熱くなった。
「何言って…おかしいんじゃないのか?」
「あら。自覚してないの?まあ…認めたくない気持ちは分かるけど」
「ふざけんなよ…。ゴシップ雑誌の読みすぎじゃ――」
「そんな怖い顔しないでよ。私は思った事実を述べたまで。まあでも…が見てるのはお兄さんじゃないようだけど」
「何…?」
デライラの言葉にドキっとした。
それはに誰か好きな人がいるとでも言いたげだ。
「どういう意味だよ…」
「まあ、後は自分で考えて。せいぜい心配でもしとくのね」
「あ、おいデライラ――」
「私、これから着替えがあるの。それじゃ」
デライラは笑いながら、そのままスタジオを出て行ってしまった。
気にはなったが、ここで俺が彼女を追いかけていくのもマズイ。
(が見てる…?いったい何の事だよ…は誰を見てるって…)
そこまで考えてハっとした。
(――まさか…スタンリー?)
今までの事や今朝のの態度が一瞬で頭の中を駆け巡った。
ここ最近の事を考えると、俺達兄弟以外でに近い場所にいた男といえばスタンリーしか思いつかない。
(まさかは…スタンリーの事を…)
ありえないことじゃない。いつも一緒に行動してたんだ。
どう気持ちが動くかなんて分からない。
それに…スタンリーなら好きになる気持ちも分かる。
彼の性格を見ている限り、俺達が傍にいない時はさりげなくを守ってくれてただろうから。
そこまで考えて胸がズキンと痛んだ。
何だろう…この何ともいえない痛みは…
ライアンの時にも感じた胸の奥の疼き。
が心配だという気持ちと、もっと別の強い感情…
"妹の事を一人の女性として…"
先ほどのデライラの言葉が頭を過ぎり、すぐに振り払った。
関係ない…
俺や…他の皆がどう見てようと、が大事な妹である事に変わりはないんだ。
そう…は…世界中でたった一人の大切な女の子…
俺達にとってそれは昔から変わらない。
そう思いながらも小さな不安と胸の疼きは次第に大きくなっていくようで、少し怖くなった。
衣装に着替え、控え室に戻ると、スタンリーは前と変わらず、当たり前のように私の大好きな紅茶を淹れて、それをテーブルに置いた。
そして自分は携帯を取り出し、すぐにテリーへ報告の電話を入れる。
「あ、もしもし。先ほどスタジオ入りしました。はい…その合間に取材…分かりました。はい、伝えます。それじゃ――」
ソファに座り紅茶を飲みながら、スタンリーの背中を見ていると、不意に彼がこっちを向いた。
「後で取材があ…って何だよ、その顔…」
「…随分と普通なのね」
「は?」
「今までいなかったのが嘘みたいな感じ」
そう言ってソファに凭れかかると、スタンリーは前髪をクシャリとかきあげた。
そして隣に座ると軽く息をつく。
「別に戻ってきたからって何も変わるわけじゃないだろ?」
「そういう事じゃなくて!」
「じゃあ何だよ…」
ウンザリしたように私を見る彼に少しだけ口を尖らせた。
「何よ…私だってビックリしたのよ?戻るなら戻るで教えてくれても――」
「だからさっきも言ったろ?俺も聞いたのは今朝なんだよ。電話が来て事務所に行ったらテリーさんにを迎えに行けって急に言われてさ」
「何で急に…ジョージはどうしたの?」
私の問いにスタンリーは軽く苦笑すると、私の方に体を向けた。
「ジョージは俺と交代でミシェルの担当になった。彼女は甘やかされる方が好きだし彼でも大丈夫だろうってテリーさんがね」
「…ふーん。でも彼女はスタンリーがいいんじゃない?」
「そんなの知るかよ。俺はミシェルの事を特別視してたわけじゃない。テリーさんがミシェルの最近の行動を見て、俺よりジョージがいいって思ったんだろ」
「……で、私の担当に戻ってもいいって?」
「そういうこと。まあマスコミも最近は大人しくなったしな」
「………」
「何だよ。俺が戻った事がご不満ですか?」
まだ少し膨れている私を見て、スタンリーがおどけたように顔を覗き込んできた。
「べ、別にそういうわけじゃ…」
その顔の近さにドキっとしたが、後ろに身体をそらすと、スタンリーはニヤリと笑った。
「何だよ…夕べは"俺じゃないと嫌だ"って泣いてくれたのに」
「な!そんなこと言ってないし泣いてないわよっ」
夕べの自分の言動を思い出し、一気に顔が赤くなる。
それでもスタンリーは余裕の笑みを浮かべた。
「へぇ…遠まわしで、そう言ってくれてるのかと思ったんだけどね、俺は」
「ちょ…変な解釈しないでってば…」
「ぷ…顔真っ赤だぞ?嘘だよ、ジョーダン!ったく、すぐ本気にすんだから…」
「…〜っ〜っ…」
いきなり噴出したスタンリーに私は腹が立つやら恥ずかしいやらで言葉を失っていると、不意に頭に手が乗せられた。
「まあ…思ったより早めに戻ってこれて…良かったよ」
「………っ」
突然、優しい顔をして私を見るから、胸の奥がドキドキしてきた。
その時、頭に乗せられた手が次に頬へと下りてきて更に鼓動が跳ね上がる。
「な、何…」
「何か…疲れてない?」
「え…?」
「ああ…夕べのパーティか…?」
「う、うん…まあ…ちょっと疲れて…」
私の言葉に心配そうに眉を寄せたスタンリーは頬から額に手を移動させ、「少し…体温も高いな…寝不足?」と尋ねてくる。
「うん、少し…」
「…はあ…何で撮影あるって分かってて――」
「だ、だって眠れなくて…寝ても目が覚めちゃうし…」
いつものように怒り出すスタンリーに慌てて説明すると、彼は軽く息を吐き出した。
「じゃあ…まだの出番まで時間あるし少しでも寝ろよ。時間が来たら起こしてやるから」
「え…あ、うん…」
彼の言葉にホっとする私がいた。
やっぱり彼は分かってくれてる。
私が言わなくても体調がいいとか悪いとか、機嫌がいいとか悪いとか…
前からそうだった。
私が言う前にスタンリーは動いてくれる。
それが嬉しくて…と言うよりも、私の事をいつも見ててくれてるんだって事が嬉しくて…
今やっとスタンリーが戻ってきてくれたんだと実感できた。
「ほら、立てる?」
そうやって素っ気ない言葉とは裏腹に優しく差し出される手に、また胸の奥が熱くなる。
いつもなら素直になれない私も、今日だけはスタンリーの優しさに甘えたくなった。
目の前にある彼の手をそっと掴むと、グイっと引き寄せられ立ち上がる。
その瞬間にスタンリーの香水の香りがして、また本当に本物だ、なんて変に安心してる私がいた。
「じゃあ寝てて。俺はあっちで仕事してるから」
上だけ衣装を脱いで控え室にあるベッドに横になると、スタンリーは薄いタオルケットをかけてくれた。
「ありがと…」
「何だよ、急に」
何となくそんな言葉が口から出てしまい、驚いて足を止めるスタンリーに顔が赤くなる。
「別に…」
「変な奴だな…。ちゃんと寝ろよ?」
「うん…あ…スタンリー」
そこで不意に思い出したことがあり、彼を呼び止めた。
スタンリーは苦笑交じりで振り返ると、「まだ何かあるのか?」と肩を竦める。
私は少しだけ体を起こし、目の前に戻ってきたスタンリーを見上げると気になってた事を問いかけた。
「違うの。あのね…昨日、話があるって言ってたでしょ…?それで途中だったし…」
「…あ〜」
スタンリーは軽く頭をかくと困ったように視線を外した。
その様子に小さな不安が過ぎり、黙って彼を見つめると、スタンリーは小さく息を吐き出した。
「あれは…もういいんだ。何でもない」
「で、でも――」
昨日の様子だと何でもないなんて感じじゃなく、明らかに私に話したい事があったように思えて彼の服を掴んだ。
が、スタンリーは苦笑しながらその手を外すと、
「ほんと何でもないって。いいから寝ろよ。時間なくなるぞ?」
「ほんとに…?」
「ああ。大した事じゃないって。いいから横になれよ」
スタンリーはそう言って私の身体をベッドに寝かせると、「じゃあ、お休み」と言ってカーテンを閉めた。
私は何となく納得できないままゴロリと寝返りを打つと静かに目を閉じる。
どうしたんだろう…昨日は急にやって来て深刻そうな顔をしてたのに…
それに初めて私に家族の事を話してくれた。
なのに大した話じゃないなんて…
昨日、私に何を話そうとしてたの――?
また胸が痛んで、私は力いっぱい目を閉じて小さな不安を振り払おうとした。
カチッと音がしてジッポの火がタバコの葉を焼いていく。
独特のオイルの香りを楽しみながら、スタンリーは煙を吸い込んだ。
開いたままの手帳をソファにおき、手の中にあるジッポを眺めると、今朝、テリーと話した内容を思い出す。
ふと、これで良かったんだろうか、という小さな疑問が胸に浮かぶが、今の自分が出来る限りの事を精一杯したいという気持ちは変わらない。
ゆっくりと上がっていく白い煙を眺めながら、チラリとベッドの方に視線を向ける。
先ほどまで寝返りを打つ音がしていたが、今は静かな空間だけがそこに流れていて、彼女が眠ったんだと分かる。
カーテンの向こうで眠る彼女を思い浮かべ小さな笑みが零れた。
「…耐えられんのか、俺」
小さなトーンで零れた言葉は夢の中にいるに届くはずもなかった。
「――え…?辞める?」
「…はい」
スタンリーは真っ直ぐにテリーを見つめた後、僅かに目を伏せた。
「どう…したの?何で急に…ミシェルの担当が嫌なら、もう戻そうと――」
「いえ。そういう事じゃないんです…」
「じゃあ、どうして…」
珍しく動揺の色を見せるテリーに、スタンリーは優しく微笑んだ。
「凄く…感謝してます。俺の環境を考えて雇ってくれた事も…彼女の傍に置いてくれた事も」
「だったら…」
「でも…やっぱり今の状況じゃきつくなってきて…」
スタンリーはそう言うと困ったように失笑を漏らす。
その言葉にテリーは小さく息をついた。
「…それは…のこと…?」
「…まあそれだけじゃないですけど…バカですよね、ほんと」
「そんな事…」
「いえ。バカですよ…。自制出来ると思ってたんですから」
「スタンリィ…」
「これ以上…彼女のマネージャーとしてやっていける自信がないんです。それに…妹の事も――」
「ダメよ」
「……っ」
スタンリーの言葉をテリーは静かに遮った。
「テリーさん…」
「私は…あなたのご両親に誓ったのよ。心配しないでって…私が一人前の社会人として育てるって誓ったのよ。今更あなたを手放すつもりはないの」
「でも俺は――」
「いいじゃない…」
「え?」
「…自信がなくたって…いいのよ。だって人間なんだもの…気持ちが入るのは当たり前の事よ」
テリーの言葉にスタンリーの瞳が一瞬だけ揺れた。
「それでなくても…子供の頃から見てきた子なんだから…身近に来て、もっと知って…思いが強くなるのは仕方のないことなの」
「テリーさん…?」
「私は…いいと思うわ?あなたは自分を殺しすぎなのよ。もっと素直に、もっと我がままになっていいんじゃないかしら」
「でも俺には…」
「そうね。確かに妹さんの事がある。誰にでも出来る事じゃないし気持ちの余裕もないかもしれない。それでも…私はあなたにやり遂げて欲しいの」
テリーはそう言うとスタンリーの隣に座った。
「ほんとなら…またモデルに戻って欲しいとさえ思ってるのよ」
「……っ」
「好き、だったんでしょ?あの仕事が」
テリーの問いにスタンリーは静かに目を伏せた。
そんな彼を見てテリーは懐かしそうに目を細める。
「あなたが初めて雑誌に載った時…あなたのお母さんから電話があったの。"スタンリーが表紙を飾ったのよ!"って凄く嬉しそうな声で」
「ええ…覚えてますよ、俺も…。近所中に配っちゃって恥ずかしいからやめてくれって頼んだのに…」
「ふふ…そうみたいね。でも最初は反対してたお父さんだって影でコッソリ応援してた。会社の人に宣伝までしちゃって」
「…オヤジが…?」
テリーの言葉にスタンリーは驚いて顔を上げた。
「ええ、あなたの前では何も言わなかったと思うけど…私にもよく自慢してたわ?"俺に似ていい男に育っただろう"なんて言ってね」
「……バカオヤジ…」
スタンリーは恥ずかしそうに頭をかくと、テリーはクスクス笑った。
「ええ、そうね。それを本人に言ってあげれば?って言っても…そんな事言える訳がないなんて言って、バカみたいに頑固だった。
でも本当は凄く嬉しかったのよ。あなたが自分で夢を叶えた事が…ほんとは職種なんて関係なかったのね」
「俺には…安定した仕事をしろって、しょっちゅう言ってましたけどね」
「それも彼なりのポーズよ。知ってる?あなたが宣伝してた香水…何個も買ってたって」
「は?オヤジが…香水?!」
テリーの言葉にスタンリーは更に目を丸くした。
「ええ。息子がイメージモデルに選ばれたんだって嬉しそうに、その買ってきた香水を私にくれるの」
「……あれはメンズだっての…」
スタンリーも照れくさいのか、かすかに顔を赤くして頭をかいた。
テリーは楽しげに笑うと、自分のデスクへと歩いていき、そこの引き出しから数個の香水の瓶を取り出した。
「これがそうよ」
「え…それ…」
「ええ。あなたがモデルをした香水の新製品が出るたびに私にくれたの。さすがにつけられなくて取ってあるんだけど」
テリーはそう言って綺麗な瓶を見つめた。
「そんな二人を見てるから…あなたがモデルを辞めるって言い出した時、本当は辛かったわ…」
「テリーさん…」
「あの地位にまで上り詰めたのに…」
「…あの仕事は…ロスにいる時間も、あまり取れなかったですからね…」
「そうね…ヨーロッパでの仕事が多かったし仕方ないわ。だから私がスカウトしたんだし?」
「感謝してます」
スタンリーはちょっと笑いながらテリーを見上げた。
だがテリーは小さく首を振ると、
「それは私の台詞よ」
「…え?」
「あなたはよくやってくれてる。他のスタッフにも見習って欲しいくらい」
「そんな事ないですよ…。マネージャーとしては失格です。自分の感情を抑えきれなくなったのがいい証拠ですから」
「それは違うわ?さっきも言ったでしょう。人間は皆、感情があるの。それを失ったらロボットと同じよ」
テリーはそう言うとスタンリーの隣に再び座った。
「今日からまたの担当に戻ってもらうわ」
「…は?何言って――」
「これは命令よ。仕事を途中で放り出すなんて許しません。あなたのご両親だって同じ事を言うわ」
「テリーさん…」
「いい?今日からミシェルの担当はジョージにやってもらう。あなたはの家に迎えに行ってちょうだい。スケジュールは把握してるんでしょう?」
テリーの言葉にスタンリーは目を伏せた。
「知ってるのよ?あなたがミシェルのマネージャーをやりながらも、のスケジュールにもきちんと目を通してたのは」
「でも俺は…」
「でも、はなし。あなたがどういう気持ちでいようと、にはあなたじゃなきゃダメなの。今回の件でよく分かったわ」
テリーはそう言うとスタンリーの肩をポンと叩いた。
「…妹さんの事は一緒に考えましょう?まだ希望はあるわ」
「…ほんとに…俺でいいんですか」
静かに顔を上げたスタンリーの言葉に、テリーは笑顔で頷いた。
「もちろん。妹のために生きるのは素晴らしい事よ?でも自分のためにも一生懸命、生きなさい。あなたの人生なんだから」
そのテリーの言葉にスタンリーはゆっくりと頷いた。
その目には、もう先ほどまでの迷いは見えず、強い意志を持って輝いている。
「…分かりました。今まで通り、宜しくお願いします」
スタンリーの言葉に、テリーも嬉しそうに微笑んだ――。
オーランド
「はぁ…」
撮影が終わった後、僕は大きな溜息をついて椅子に凭れかかった。
夕べのイタズラ電話のせいで何だか集中出来ないんだよなあ…
まあ皆は"お前はいつも集中力が足りない!"なんて言うんだけどね☆
しっかし…あの電話、いったい誰なんだ…!
考えても考えても僕が女の子に恨まれる理由が分からないし、どっちかと言うと僕が恨みたい方なんだよね!
だって女の子に酷い振られ方してるのは僕の方なんだからさ。
「はぁ…帰ろ…」
すでに着替えも終わっていた僕は溜息交じりで立ち上がると、スタッフに挨拶をしてからスタジオを出た。
マネージャーが車を回してくる間、ボーっとしていると、ふとコツ…っと足音が聞こえた気がしてパっと振り向いてみれば…
「―――ぅ」
駐車場の入り口のところに髪の長い女の人が立っているように見えて僕は思わず息を呑んだ。
けど遠すぎて顔がよく見えない。
(誰だ…?もしかしてファンの子かな…それにしても…特に騒ぐでもなく、黙ってこっちを見てる気が…)
普通ファンなら何かしら反応があるので、それが凄く違和感を感じ、僕は軽く首を傾げた。
そして、ふと今朝方の電話を思い出す。
(――ま、まさか…ね。いくら何でもこんなとこにまで…)
そんな事を思いながら、少しづつ怖くなってきた。
なのに、その子から目が離せない。
その時、女の子が僕を見て笑ったような気がした。
「――おい、オーランド!」
「ひぃぃ!」
いきなり後ろから呼ばれて僕はその場に飛び上がった。
「な、何だ?どうした?オーランド!」
頭を覆ってしゃがみこんだ僕の前にマネージャーがビックリしたような顔をして歩いてきた。
「い、今そこに女の子が…」
「はあ?どこに?」
僕が恐る恐る顔を上げると、マネージャーが訝しげな顔で振り向いている。
慌てて立ち上がり、先ほど女の子がいた場所に目をやると――
「あ、あれ?いない…!」
「だから誰が」
「だから女の子だよ!髪の長い――」
「はあ…幻覚でも見たんじゃないか?お前のことだから」(!)
「何だよ、それ!俺は確かに見たんだ!」
マネージャーの言葉に僕はムキになって怒鳴った。
「はいはい。よーく分かったよ」
「は?」
「お前がかなりの欲求不満だって事がな!シスコン卒業して早く彼女見つけろよ」
「な!何でそうなるんだよ!!」
マネージャーの心外な言葉に僕は顔が真っ赤になり、思い切り怒鳴った。
が、それを無視して車に乗り込んだマネージャーは、「ほら!サッサと乗れ!帰るぞ!」と言ってエンジンをかけている。
「きぃぃ〜〜!!どいつもこいつも俺をバカにしやがってぇ〜〜!!」
「実際バカだろが、お前は」
「レオみたいなこと言うな!」
「いいから早く乗れ!置いてくぞ?」
「わぁ〜待ってよ〜!ここに一人で置いてかないでよ〜!」
走り出した車を見て、僕は必死になってそれを追いかけたのだった。(なんつーマネージャーだ!)
オーランドが車と共に走り去った後、静かな駐車場にコツン…と足音が響いた。
「…ふん…相変わらずバカだな、アイツは…」
「ふふ…そうみたいね」
全身、黒ずくめで帽子を深くかぶったその人物は鼻で笑うと、隣にいる女にニッコリ微笑みかけた――
レオ
♪〜♪〜♪
「ん…」
久しぶりの安眠中、携帯の着信音が鳴り響き、俺は軽く舌打ちをした。
夕べは疲れて帰ってきたせいで携帯の音を切っておくのを忘れてたのだ。
「クソ…うるさいな…」
俺は体を仰向けにして腕を額に置くと、思い切り溜息をついた。
カーテンの隙間から覗く光を見れば、すでに正午は過ぎてるんだろう。
「誰だよ…」
目を擦りながらベッドの脇にあるサイドボードへ手を伸ばす。
「…もしもし」
仕方なく通話ボタンを押すと、受話器の向こうからは今は聞きたくないハイテンションな声が聞こえてきた。
『あ、レオ兄貴〜?俺、俺!』
「……キース…」
『ピンポーン♪今、どこですか?セリーヌの家とか?』
「……自分ちで寝てたよっ」
あまりに能天気なキースに、俺はキレそうになりつつ怒鳴った。
『え、もう帰ってたんですか?彼女と消えたし、てっきりセリーヌの家かと思ったのに』
「…彼女はあの部屋で寝てるだろ…多分」
『は?置いて来ちゃったんですか?』
「置いて来たも何も…彼女が先に寝ちゃったんだよ…。つか用は何だよ…早く言え、俺は眠いんだ…」
寝起きの頭に響くキースの声にウンザリしながら俺は思い切り溜息をついた。
が、キースは分かったのか分かっていないのか、
『あ、用は別にないんですけどね♪セリーヌを気に入ったのかどうか聞こうかと――』
「切るぞ…」
『あー!待って待って!』
「〜〜〜〜〜っっ」
いきなり大声で叫び倒したキースの声に俺はキーンと耳鳴りがして思わず受話器を耳から放した。
これがオーランドなら本気で殴ってるところだ。
だがキースは自分の弟じゃないし殴りたい気持ちはグっと抑えた。(どうせ電話だし)
「何だよ…!用がないなら切るぞ?!」
『だから用っていうか…レオ兄貴の恋人にどうですかね?セリーヌ!彼女なかなか美人でしょ?』
「…あのなぁ…。俺は恋人は作らない主義だ…。それに彼女とは何もなかったし夕べだけの事だろ…?」
『え!な、な、何もしてないんですか?!えぇ?!も、もったいない!それじゃ兄貴の欲求不満解消にはならな――』
ブツ…
いい加減ウンザリしていた俺はそこで終了ボタンを押してやった。
「ったく…人の欲求不満の事なんてほっとけ…。はぁ…疲れた…」
(まあ…確かにちょっともったいなかったとは思うけど…)
チラっと男としての本能が疼く。
が、その前に疲労と睡魔には勝てず、ベッドへ突っ伏した。
「はぁ…今の電話で一気に疲れたかも…」
念のため携帯の電源を切っておくと、それを放り投げ、布団に潜った。
今日はオフだし時間を気にしないで眠れる。
ここ最近、寝不足だったからか、すぐに意識が朦朧としてきた。
人間最大欲は、性欲、食欲、そして睡眠欲。
今の俺は性欲よりも睡眠欲だったらしい。
この後、オーランドが怖い思いをしたと大騒ぎで帰ってくるまで、俺は一度も起きなかった。
イライジャ
「じゃあお疲れ」
マネージャーの車から下りた僕は疲れた体を伸ばしつつ、エントランスに向かって歩いていった。
が、マネージャーの車が走り去ったのと同時に庭の方からガサっという音がして、ふと足を止める。
(ん…?何だ、今の音…)
門の方を見てみれば、いつも通り数人のパパラッチ。
車庫&裏門の方には誰もいない。…なのに庭から怪しい物音。
ちょっと気になった僕はそのまま足音を忍ばせて、そぉ〜っと庭の方へと歩いていった。
そして植えてある木々の間を慎重に覗いて行く。
すると普段なら何もない場所に黒い影を一つ発見した。
「―――ドム、何やってンの?」
「―――ッ!!!!!!!」
僕の呆れた問いかけにビクっとして、その動きで茂みがガサガサと揺れる。
これじゃあ隠れてるのバレバレなんだよなぁ。
慌てたように立ち上がったドムは何で分かったんだと言いたげに目を丸くしていて、ちょっと笑えるんだけどね。
「リリリリリジィ…ッ!」
「…あのさ。これ不法侵入だよね、ドム」
「ななななな何の事やら!」
(どもりすぎだよ、ドム…つーか…うちって前より結構セキュリティ厳しいんだけど、どうやってココまで忍び込んだんだろうね、この人は)
「トボケても無駄だよ?何でこんな場所にいたのか答えてもらうからね」
「リ、リジィ…頼む!見逃してくれ!」
「嫌だし無理。つか僕、疲れてるんだ…。早く一緒に来てよ。じゃないと大声出して門のとこにいるパパラッチに聞こえるように叫ぶよ?」
「な!何て事を!!」
「そりゃこっちの台詞だって!だいたい親友の家に忍び込むなんて悪趣味だし!いったい何度目だと思ってるわけ…?」
呆れたようにそう言えば、ドムは視線を左右に泳がしたまま、両手で数を数えだした。
「数えなくていいし…ってか、そんな忍び込んでたのかよ!!」
ドムの両手でも足りないくらいの回数に僕はギョっとした。
僕が把握してた回数よりはるかに多い。
(…本気でストーカーだよね、それ…)
「…早くおいでよ。今日はレオもオフで家にいるし、キッチリ皆の前で理由を説明してもらうからね!」
「ま、待ってくれ、リジー!違うんだ!」
「何がだよ!忍び込んでたのは事実だろ?それに何その格好!黒ずくめで怪しいったらないよ!」
「う、うわ、バカ!帽子を返せ!」
目の前のドムのあまりに怪しい格好に僕はドムがかぶっていた帽子をサっと取り上げた。
そして…口が開いた。
「ドム…」
「ぅ…」
「何?その眉毛…ぷ!何だか端っこだけ薄いし!」
ドムの変な眉毛を見て、つい噴出してしまった。
真ん中は濃いのに前、オーランドに剃られた場所が何気に薄くて凄く間抜け面になっている。
「か、返せ!」
「あはは!全然、揃ってないじゃん!どうしちゃったの?それ!」
「笑うなー!」
ドムは僕の手から帽子を奪い返すと、顔を真っ赤にして怒り出した。
「こ、この眉のせいでに会いにこれないから…こんな風にコッソリ顔を見に来てるんじゃないか!それがいけないのか?!あぁん?」
「いけないに決まってんだろ!!」
「―――ッ!!」
笑顔から一瞬で怒鳴り返すと、ドムはビクっとしたように首を窄めた。
「を覗くだけで許せないってのに、こんなコッソリ忍び込んじゃって…レオに見つかってたら間違いなく殺されてたよ!」
「ひ!や、やめてくれ!レオに言うのだけわっっっ」(かなりビビっている)
「ドムがこんなバカなこと続けるならレオに言うよ!それが嫌なら、もう二度と忍び込まないって誓えよ」
「わ、分かった!誓う!誓うからレオにだけは――」
「――俺が…何だって…?」
「――――ッ(ひぃ)!!!!」
「あ、レオ…」
その声に振り返れば、そこには額に怒りマークが5個ほど浮き出たレオが腕を組んで立っていた――!
「あ、お、お兄様!違うんです、これには語るも涙な理由が――!」
「うるさい!!!何度も何度も忍び込みやがって!しかもを覗きに来たなんて千年早いぞ!!」
ガスッ!!
「―――うぎゃ!」
レオの鉄拳がドムの後頭部に炸裂したのを見て、僕は笑いながらも、何故レオが出てきたのかが気になった。
「ね、レオ。何で出てきたの?家の中にいたんだろ?」
「…あんなギャーギャー騒いでたら部屋まで聞こえる。テラスに出て覗いてみたらドムの姿が見えたしな」
「なるほどね。自業自得だな、ドム」
「く…ッ鬼…!」
殴られた頭をしきりに擦りながらドムはそんな事を呟いている。
が、それを聞いたレオはこの世のものとは思えないほど怖い顔で、
「鬼…?お前それ俺に言ってんのか…?」
「い、いえ!!め、め、め、滅相も御座いません、お兄様!!」
「俺はお前の兄貴でも何でもない!!こっちに来い!パパラッチに突き出してやる!!」
「わわわー!まま、待ってください、お兄様!それだけは勘弁を〜!」
首根っこをレオに掴まれたドムは必死に拝み倒していて、普段の強気な態度は一切見られない。
内心、ほんとバカだな、と苦笑していると、門の方が急に騒がしくなった。
「あれ…が帰ってきたかも」
「え♪」
「おい、ドム…お前、に会えるとでも思ってんのか?」
グイグイとドムを引っ張っていくレオは僕も本気で怖いと思った。
「会わせるわけないだろ!お前は今からストーカーとして警察行きだ」
「な、け、警察?!まままま、待ってください、お兄様ぁ〜!一目だけでも麗しの姫に――」
「うるさい!このストーカー!誰がに会わせるかっ!前回の時に言ったよな?次やったら警察行きだって」
レオはそう言いながら何とか逃げ出そうと熊のように暴れるドムの首根っこを掴んで、そのまま家の方に歩いて行く。
僕は僕で呑気に口笛を吹きながらドムの最後を見届けようと、二人の後からついていったのだった。