叶うものなら 貴方の背中は見たくない
僕から 離れて行く
君の背中は・・・
サマセットとミルズが大学内で聞き込みを終え帰ろうとしていた時、部下から一本の電話が入った。
「何?マイケルが?」
部下の報告にサマセットは眉を顰めて携帯を握りしめた。
「ああ・・・分かった。そのまま尾行を続けてくれ」
そこで電話を切るとすぐにミルズが歩いて来る。
「警部・・・マイケルがどうしたんです?」
「うん・・・」
サマセットは渋い顔のまま顎を触りながらゆっくりと歩いていく。
ミルズも一緒に隣を歩きながらサマセットが答えてくれるのを待った。
「・・・マイケルが・・・病院に行ったそうだ」
「病院・・・?」
「ああ。アレックスの入院している病院だ」
「な・・・何だって?」
サマセットの言葉にミルズは目を丸くした。
「な・・・何しに行ったんです?」
「尾行している刑事たちが看護婦に聞いたところによると・・・マイケルは自分はアレックスの友人だが彼はまだ意識は戻らないのか、と聞いてきたそうだ」
「そんなバカな!友人なんて嘘を・・・」
「ああ・・・」
サマセットは困ったように頭を掻くと煙草を口に咥えてすぐに火をつけた。
そして煙を一気に吐き出すと曇った空を見上げる。
「それだけじゃない・・・。マイケルは看護婦に・・・"アレックスの意識が戻る事はあるのか"、とも聞いたそうだよ」
「な・・・じゃ、じゃあやっぱり奴が犯人なんじゃないですか!被害者の意識が戻れば犯人である自分は不利になると思って―」
「まあ、待て・・・。まだそうと決まったわけじゃない」
「警部!警部は甘すぎますよ!あいつには動機もあるし犯行時間のアリバイもない!
それに被害者の意識が戻るかどうかを気にするなんて怪しいじゃないですか!何を躊躇ってるんです?」
ミルズは興奮したように一気にまくし立てるとサマセットの前に立ちふさがる。
だがサマセットはいったん足を止めると何かを考え込むように顎を撫でた。
「警部・・・!」
黙ったままのサマセットにミルズは痺れを切らし声をかけた。
するとサマセットは不意に彼を見て、
「くんは・・・まだ大学かな」
「は?」
「いや・・・彼女は・・・あの事件の直前までマイケルと一緒にいた子だ。何か彼の様子がおかしい事に気づいてるかもしれない」
「警部・・・そんな呑気な・・・。マイケルを尾行してるフランク達に今すぐ拘束させるべきですよ!」
「いや、それはまだ早いだろう・・・。相手は学生だ。うかつな事をして未来ある青年の将来を台無しにしたくない」
「警部!相手は轢き逃げ犯かもしれないんですよ?そんな奴の将来なんて心配してどうなるんです!」
「まだそうと決まったわけじゃないさ」
サマセットはそう言って笑うと呆れて唖然としているミルズを置いて、ゆっくりと歩き出した。
もう春だというのに、こうして道行く人を見ていると皆、寒そうに首を窄めて歩いている。
先ほどから出てきた雲に覆われ、どんよりとした空を見ながら私は知らずに溜息をついていた。
「?どうした、溜息なんてついて」
「・・・え?私・・・溜息なんてついた?」
「ついただろ?それもたった今」
ジョシュが呆れたように笑いながら私の額を指で突付いた。
そして少し目を細めると、
「俺といるの退屈?」
「えっ!ま、まさか!そんな事ないもん・・・」
思ってもみない事を聞かれ私は慌てて首を振った。
するとジョシュは苦笑いを浮かべて椅子へと凭れかかる。
今は二人で駅前のレストランにいた。
「嘘だよ、冗談。そんな事思ってない」
「え?あ・・・またからかったの・・・?」
少し口を尖らせてジョシュを睨むと彼は困ったように眉を下げた。
「そういうわけじゃないけど・・・。元気なくなったから心配なだけ」
「・・・・・・」
急にそんな優しい事を言われると・・・正直なんて答えていいのか分からない。
私は軽く目を伏せて少し冷めてしまった紅茶を口に運んだ。
「でも・・・ほんとどうした?さっきまであんなに元気だったのに」
「え・・・?」
ふと顔を上げればジョシュは本当に心配そうな顔で私を見ている。
それには胸がキュっとなった。
「あ、あの・・・違うの・・・。ただ・・・帰りたくないなぁって思ってただけ・・・」
「・・・え?」
「だから・・・まだ・・・ジョシュと一緒に・・・その・・・」
"まだ一緒にいたい"
たったそれだけの言葉がどうして出てこないんだろう?
そう思っているとジョシュが私の方に身を乗り出しテーブルに肘をついた。
「俺と・・・。一緒に・・・いたいってこと?」
「―――ッ」
アッサリとそう言われて私は顔が赤くなった。
するとジョシュは嬉しそうに微笑んでテーブルの上にある私の手をそっと握る。
「偶然・・・」
「・・・え?」
「俺も・・・今同じこと思ってた」
「・・・ジョシュ」
ドキっとして彼を見るとジョシュは優しく微笑んで握っている私の手を少し持ち上げると指先へチュっとキスをした。
それには更に顔が熱くなる。
「実家に帰ったら・・・暫くは戻って来れないんだろ・・・?」
「・・・そ、そんなことないわ・・・?お父さんのお説教聞いたらすぐ―」
「でも・・・相当怒ってるっぽいし・・・帰してくれるか?」
真剣な顔で見つめられ、私はドキっとして少しだけ俯いた。
「だ、大丈夫よ・・・。お父さんだって大学やめろとまでは言わないと思うし・・・」
「・・・あ・・・まあ・・・そうだよな・・・」
そこでジョシュも安心したのか、ホっとしたように息をついた。
「じゃあ・・・少しは安心して送っていけるかな」
そう言って私の指に再び口付けると、その手を静かに離し煙草を咥える。
カチッと音がした瞬間、煙草の香りが私の鼻をついた。
「・・・?どうした?俯いて・・・」
「え?あ、ううん・・・何でもない・・・」
まさか今のキスで照れたとは言えず、慌てて笑顔を作るとカップを持った。
だけどジョシュは何でもお見通しみたいだ。
「もしかして・・・照れてる・・・?」
「・・・・・・ッ」
パっと顔を上げるとニヤっと笑っているジョシュと目が合った。
「だ、だって・・・こんな場所だし・・・」
「ったく・・・はそればっかだな?今時珍しいよ」
「な、何よ・・・」
クック・・・と肩を揺らして笑っているジョシュにムっとすると彼は笑うのをやめて私を見た。
「でも・・・そういうとこが好きなんだ」
「―――ッ」
「そうやってすぐ真っ赤になるとこもね」
「ジョ、ジョシュ・・・からかってるでしょ・・・」
「からかってないよ。本当にそう思ってる。普段は気が強いくせに実際はシャイで可愛いなぁって」
「・・・・・・・・・」
サラリとそんな台詞を言えるのは・・・やっぱり彼が俳優だからだろうか。
そんな事を思いつつ顔を上げるとジョシュは本当に愛しいという眼差しで私を見つめていてドキっとする。
「あ、あの・・・」
「好きだよ、」
「・・・ジョシュ・・・」
「あ〜あ・・・ほんと真っ赤だな・・・」
「・・・・・・」
耳まで赤くなった私を見てジョシュは苦笑しながらその大きな手で頬を包んでくれた。
そしてその後に・・・更に顔から火が出るくらいに照れることを口にした。
「そんな顔されたら・・・今すぐ抱きしめてキスしたくなるんだけど・・・」
「な・・・!何言って・・・ッ」
あまりにストレートに言われて私は慌ててジョシュから離れるように椅子の背もたれへ背中をつけた。
それを見たジョシュは楽しげに笑い出し、「あー逃げられたか」なんて呑気に言っている。
私は少し気を落ち着かせようと腕を伸ばしてカップを持ち紅茶で喉を潤した。
「ジョシュってば絶対私をからかって楽しんでる・・・」
「だからそんな事ないって」
「あるもん・・・」
「ないよ」
「あーる」
「なーいって。ほんと本心だし」
ジョシュは笑いながらそう言って窓の外に視線を向ける。
私は紅茶を飲みながらそんな彼を見てふと笑みが零れた。
こんな他愛もない会話が楽しい・・・
小さな言い合いも・・・凄く幸せ。
こんな穏やかな気持ちになれるなんて・・・初めてだ。
アレックスと付き合ってた頃はいつも振り回されてイライラしてたし・・・
そこでふとアレックスの事を思い出し心配になった。
そう言えば・・・まだ意識は戻らないんだろうか・・・
もし戻れば・・・誰かから連絡がくるって分かってるけど・・・
まさかあのまま・・・死んじゃうなんて事・・・ないよ・・・ね・・・
"死"というものがひどく身近に感じて私はかすかに身震いした。
「どうした?・・・」
「え?あ・・・ううん。何でもないよ?」
再び心配そうな顔をしたジョシュに笑顔で答える。
色々と心配だけど・・・今は考えるのやめよう・・・
せっかくジョシュと久しぶりに会えて二人きりでいるんだから・・・
そう思い直し何か別の話題をしようと思ったその時。
この幸せな時間を割くように私の携帯が鳴り出した。
ピピピピピピ・・・
春物コートのポケットに入れたままの携帯はバイブと連動してうるさい音を出している。
私は慌てて隣の椅子にかけてあるコートをとるとポケットから携帯を取り出した。
「ご、ごめんね?」
「いや。もしかしたらお父さんじゃないか?遅いから心配してかけてきたのかも・・・」
「そ、そうかな・・・」
私も不安になりすぐに携帯を開く。
だがディスプレイに出ていたのはメグの名前でホっと息をついた。
「メグからだわ。ちょっとごめん」
「ああ」
そう言って椅子から立つと私は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『・・・あ、?良かった、出てくれて・・・!』
受話器の向こうから聞こえるメグの声は少し動揺していて私は驚いた。
「ど、どうしたの?」
そう問いかけながらも他のお客の迷惑にならないようにお店から外へと出る。
途端に冷たい風が吹き付けてきて目に涙が浮かんだ。
『・・・ご、ごめんね、電話しちゃって・・・今ジョシュと一緒でしょ?あ、それとも・・・もう実家?』
「ううん、まだジョシュと一緒。お父さん帰りはどうせ遅いし少しジョシュと駅前をブラブラしてて今はランチし終わったとこ」
『そ、そう・・・』
「それより・・・どうしたの?」
メグの声の様子がやはり少しおかしい。
さっきは普通に見送ってくれたのに・・・
そう思いながら返事を待ってるとメグは大きく溜息をついた。
『・・・あ、あのね・・・さっき刑事さんが私のとこに来たの・・・』
「え?!刑事って・・・」
『ほら、あのサマセットっておじさん!』
「あ・・・ああ・・・」
なんて、さすがのサマセットも多少は落ち込みそうな事を言っている。
しかしメグがこうして慌てて電話をしてくるくらいなのだから何か進展があったのかと思った。
「あの刑事さんが・・・何しに・・・?また聞き込み?今朝も会ったけど―」
『それがね・・・最初、に会いに来たらしいんだけどいないからって私のとこへ来たのよ』
「え・・・私に会いにって・・・また?」
何の用だろう?
今朝も少し話をしたというのに・・・
また何か話を聞きたいという事だろうか・・・
落ち着こうと軽く深呼吸をして寒さに耐えるのに体を丸める。
コートを羽織ってくれば良かったと思ったが仕方ない。
「それで・・・何を話したの?」
少し緊張しながら尋ねるとメグは泣きそうな声で驚く事を口にした。
『あの・・・あの事件の夜・・・マイケルに不審なとこはなかったか、って・・・』
「・・・え?マイケルに・・・?」
『ええ・・・。ほんとはに聞くつもりで来たらしいんだけど実家に帰っていないって言ったら・・・私もその日マイケルといただろう?って言われて・・・』
「それで・・・聞かれたの?」
『うん・・・。ほらマイケルが疑われてる事は知ってたから私もムっとして、そんなものなかったわよって言ったんだけど・・・』
「そ、それで刑事は何て・・・?」
『刑事の奴、それでもしつこく聞いてきたから頭に来て、マイケルがやったって確証もないのにって言い返したの・・・』
「うん・・・それで?」
『そ、そしたら・・・あの若い方の刑事が・・・・・・』
メグはそこでいったん言葉を切ると大きく息をついた。
『マイケルが・・・今日アレックスの入院先の病院に行って看護婦に"彼の意識が戻る事はあるか?"って聞いてたって言うの・・・』
「・・・・な・・・何ですって・・・?」
さすがにそれには驚いた。
だがメグは不安なのか震える声で言葉を続ける。
『最初信じなかったんだけど看護婦から聞いたから間違いないって言うの・・・マイケルは病院の看護婦さんにアレックスの友達だって嘘を言ったらしくて・・・
刑事はマイケルが犯人で、それを知ってるアレックスが意識を取り戻したら自分の犯行がバレると思って心配になって行ったんじゃないかって言うのよ・・・』
それを聞いて足元から不安が駆け上ってくるように私はその場に固まっていた。
「で・・・マイケルは・・・今どこ・・・?」
震える声で尋ねるとメグはとうとう泣き出してしまった。
『そ、それが・・・病院を出た後に尾行してた刑事さんをまいていなくなったって―』
「え・・・?」
そこで頭の中が真っ白になった。
鼓動が早くなるのが分かり、何かが崩れ落ちそうになる。
だが受話器の向こうでメグが泣いているのを聞いて私はギュっと携帯を握り締め気を落ち着かせようと深呼吸した。
「メグ・・・大丈夫よ・・・泣かないで・・・?」
『だ、だって・・・マイケルが・・・"あいつ"だったってこと・・・?ねぇ、・・・そうなの?』
「メグ・・・そんな・・・まだ分からないでしょ・・・?」
『・・・でも・・・!マイケルはアリバイもないし・・・それに動機だって―』
メグはそこで言葉を切った。
「・・・メグ・・・?」
どうしたのだろうと声をかけた。
するとメグは震える声で小さく呟いた。
『マイケルは・・・・・・ずっとのこと・・・好きだったのよ・・・』
「―――ッ」
一瞬息を呑む。
"まさか・・・"
そんな言葉が脳裏を掠めた。
だがメグは更に言葉を続けた。
『・・・私・・・前から知ってた・・・。マイケルが・・・に恋人が出来るたび・・・いつも苦しんでたのを・・・知ってるの・・・』
「メグ・・・」
切なく囁かれた言葉は私の耳に冷たく響いた。
『だから・・・マイケルには動機があるのよ・・・』
「メグ・・・!やめて・・・!」
それ以上聞いていられなくて私は大きな声を出してしまった。
『ごめんね・・・・・・私・・・どうしたら・・・凄く怖い・・・』
「メグ・・・」
『ね・・・帰って来れない・・・?一人でいたくないの・・・』
縋るようなメグの言葉には胸が痛んだ。
いつもあんなに明るいメグがこんなにも動揺している。
長い付き合いだが、こんな事は初めてだった。
「メグ・・・ごめん・・・今すぐは無理なの・・・」
『・・・っ』
「どうしてもお父さんと話をしなくちゃいけないの・・・。でも・・・話したらすぐ帰るわ?だからそれまではレザーと一緒にいて?」
『・・・で、でも・・・レザーは今日、バンドの仲間と曲作りしてるって・・・』
「大丈夫よ・・・こんな時なんだもん・・・きっと来てくれるわ?ね?」
『うん・・・分かった・・・』
「・・・じゃあ・・・お父さんと話が済んだら飛んで帰るから!戻ったら電話する」
『・・・早くね・・・?』
メグは本当に不安なのか最後までそう言ってから電話を切った。
だがそれは私も同じだ。
いきなりこんな話を聞かされ、すぐに理解しろと言うのは無理だった。
「マイケル・・・嘘でしょ・・・?」
そう呟いて携帯を握り締める。
だがふと思い出し、マイケルの携帯へ電話をかけてみた。
『・・・・・・ちらは留守番電話サービスです・・・』
「・・・留守電・・・」
私は小さく溜息をつくと電話を切って空を見上げた。
ほんとに・・・マイケルが"あいつ"なの・・・?
本当にあんな事をマイケルがやったの・・・?
確かに・・・ここ最近のマイケルは様子がおかしかった。
でも・・・だからって・・・あのマイケルが・・・
"マイケルは・・・・・・ずっとのこと・・・好きだったのよ・・・"
さっきのメグの言葉が頭に響く。
知らなかった・・・
まさかマイケルが私の事を・・・想っていてくれたなんて・・・
あまりに近い存在だったから・・・
私は不意に浮かんできた涙を慌てて手で拭った。
ジョシュに心配かけたくない。
私は少し迷ったが今の話はとりあえずハッキリするまで話すのはやめようと思った。
そう・・・まだマイケルが犯人と決まったわけじゃない・・・
今の段階で決め付けるには早い・・・
それに・・・ジョシュにマイケルの私への気持ちを話すのは躊躇われる。
まだ・・・話せない・・・
ごめんね・・・ジョシュ・・・
心の中でそう呟くと私は軽く深呼吸をしてからレストランへと入って行った。
そしてそれをすぐ後ろで見ていた人影に私は気づかなかった―
電話を切ってからメグは深く溜息をついた。
そしてまだ震えている手をギュっと握り締める。
「マイケル・・・」
その名前を呟くと涙が頬を伝っていった。
先ほどを見送った後にマイケルを見かけた・・・
あの時追いかけていれば・・・
ついそう思ってしまう。
さっきの話を聞いた時、本気で驚いた。
目の前が真っ暗になって体が震えて・・・
刑事が帰った後、急に心細くなりへ電話をしてしまったのだ。
メグは濡れた頬を手で拭うとジャケットを羽織ってから携帯を持ちすぐに部屋を飛び出した。
そして外に出ると隣にある男子寮を見上げ、辺りを伺ってからいつものように非常階段を上がってマイケルの部屋のある階まで上がって行く。
午後の講義もあるせいか、男子寮の中は少し静かだった。
メグは足音を忍ばせ、通いなれたマイケルの部屋へと向かう。
最近ではなくなったが前はよくこうして忍び込んでは皆でマイケルの部屋で飲んだりしていたのだ。
時々どこかの部屋から音楽やテレビの音のようなものが聞こえる。
それ以外は自分のヒールの音しか聞こえない。
メグはマイケルの部屋の前まで来ると思い切り深呼吸をしてからドアをノックしてみた。
刑事を振り切ってどこかへ行ったというのだから寮になんて帰ってきてないのかもしれない。
それでも一応、確かめてみようと思ったのだ。
少しして中で誰かが動く気配がした。
(まさか・・・マイケル・・・?)
ドキっとしてメグがもう一度ノックをしようとした時、ドアの向こうから、「誰?」という声が聞こえた。
「あ・・・あの・・・メグよ?」
くぐもった声で誰だか分からなかったが、とりあえず声をかける。
するとドアはすぐに開けられた。
「あれ、メグじゃん。どうした?」
「あ・・・ティム・・・」
顔を出したのはマイケルではなく、彼のルームメイトのティムだった。
彼も前に何度か一緒に飲んだ事がある。
「とにかく入って。誰かに見つかるとうるさいしさ」
「え、ええ・・・急に来ちゃってごめんね・・・?」
メグはそう言って部屋の中へ入るとマイケルの部屋の方をチラっと見た。
「あの・・・マイケル・・・帰ってる?」
「え?マイケル?さあ・・・俺もさっき戻ったばっかりでさ。すぐシャワー入っちゃったし・・・分からないな」
確かにティムはバスローブ姿で濡れた髪をバスタオルで拭いている。
メグは軽く息を吸い込むと今度はマイケルの部屋のドアの前に立ち、コンコンっとノックをしてみた。
だが中からは何の応答もない。
「あいついない?」
「ええ・・・いないみたい・・・」
「何、急用だった?」
「うん、ちょっとね」
「携帯にかけたか?」
「うん、でも繋がらなくて・・・」
「ああ、バイトじゃねーの?」
「今日は休みだって言ってたの」
そう答えるとメグは目頭を抑えてリビングにあるソファに腰をかけた。
その様子にティムは首を傾げつつ冷蔵庫からミネラルウォーターを出して飲んでいる。
「どうしたんだよ。マイケルと何かあったのか?」
「・・・そんなんじゃないわ・・・」
「まあそうだよな・・・。メグにはレザーがいるしな」
「・・・ええ」
ティムは呑気に笑いながらソファに座ると煙草に火をつけて美味しそうに煙を燻らした。
「何だよ、元気ないな・・・」
「・・・ちょっとね・・・。それより・・・最近のマイケルって・・・どんな感じだった?」
「・・・え?何だよ、急に・・・」
「様子とか・・・おかしい事なかった・・・?」
「おかしいって・・・どんな風に・・・?」
メグのいきなりの質問にティムも驚いたのか首を傾げている。
「だから・・・よく一人で出かけるようになった、とか・・・部屋にこもって何かしてたとか・・・」
「はあ?何だよ、それ・・・。別に・・・お互いのプライベートには干渉してないし・・・」
「分かってる・・・。でも何か気づいた事があったら・・・教えて欲しいの。お願い」
「お願いって・・・」
メグの真剣な言葉にティムも困ったように頭を掻いた。
そしてふと思い出したように眉を上げる。
「そう言えば・・・時々部屋から出てこないなーなんて思ってると・・・誰かと電話してるような事があったな・・・」
「・・・電話?」
「ああ、まあ友達かなって思ってたけど・・・。でも一度、その最中に俺が部屋に顔出したら慌てた様子で切った事があって・・・」
「・・・え?」
「変だろ?もしかして彼女でも出来たのかなって思ったけど、どうもそうじゃないみたいだしさ」
「そ、そう・・・」
その話を聞いてメグの顔から血の気が引いた。
だがティムは煙草を灰皿で押しつぶすと、
「でも・・・何でそんな事聞くんだ?あいつ何かトラブルにでも―」
「ち、違うの・・・。そんなことじゃないわ・・・えっと・・・ありがと・・・私もう行かなくちゃ・・・」
「え?あ、おいメグ・・・」
「もし・・・マイケルが帰ってきたら・・・私に電話するように言っておいてね?」
「あ、おい・・・」
メグはそう言うとすぐに部屋を出て外に飛び出した。
胸が軋むように痛んで涙が浮かぶ。
不安で不安で怖くて堪らない。
メグは涙を拭うとゆっくり歩き出しながら携帯を取り出した。
震える指で着信履歴の中からリダイヤルを押す。
それは先ほど電話をかけてきたレザーの番号だった。
(やっぱり一人じゃ心細い・・・)
メグは落ち着かせるために軽く息を吸い込んで相手が出るの待った。
だが発信音はせず、すぐ留守電に切り替わってしまった。
「あ・・・そっか・・・。スタジオにこもってるんだっけ・・・」
そう呟いて携帯を閉じる。
レザーがバンドの練習で借りているというスタジオは防音設備になってるとの事で前に電話した時も電波が届かなかった事を思い出した。
どうしよう・・・
このまま部屋に戻ってが帰ってくるのを一人で待つのは嫌だ・・・
メグは女子寮の前まで戻りながら少しの間、考えていた。
が、ふと立ち止まり方向転換をすると門の方に向かって駆け出した。
レザーが借りてるスタジオは、ここからそれほど遠くはない。
曲作りをしてるなら邪魔かなとも思ったが大人しく隅にいれば大丈夫だろう。
事情を話してレザーに傍にいてもらおう・・・
そうと決めるとメグは一分でも早くレザーに会いたくなって大通りを走り出した。
"ここから歩いて15分くらいかな?"
前にレザーがそう言っていたように確かにそのビルは大学の近くにあった。
一度だいたいの場所を聞いてた事があったので何とか記憶を頼りに辿り着けたのだ。
「これ・・・かな・・・」
そう呟いて目の前の今にも壊れそうなビルを見上げる。
さすがにロックバンドの人しか使わないというそのスタジオは知っている人じゃないと分からないような裏路地に建っていた。
しかもかなり古く、レザーが、「ボロイけど格安なんだ」と言っていたのも頷けた。
メグは軽く息を吸い込むと恐る恐るそのビルへと入って行った。
入ってすぐ左側に"受付"とあるが、その窓口には誰もいない。
メグは仕方なく奥にある階段を上がって行くことにした。
レザーたちがどこの部屋を借りているのか分からないが、このビルは3階までしかない。
一つ一つ見ていけば分かるだろう。
メグはまず2階から探していく事にした。
まだ夕方だからか、使われている部屋はそれほど多くないようで廊下はシーンとしている。
何部屋か覗いて行ってもどこも使われていなかった。
そのまま今度は3階へと上がっていく。
そこも廊下は静かだったが防音なので当然だろう。
メグはそのまま奥へと歩いていく。
すると一番奥にある部屋のドアが不意に開き、中から誰かが出てきた。
「・・・あ・・・レザー・・・!」
「―――ッ?」
廊下に出てきたのは紛れもなくレザーでメグが懸けて行くとギョっとした顔で振り向いた。
「メ、メグ・・・?!」
「・・・レザー!」
メグはホッとして驚いているレザーのところまで一気に走ると思い切り彼に抱きついたのだった。
「どうしたんだよ、また元気ないな」
俺はハンドルを切りながらなるべく明るく声をかけた。
隣にいるは何かを考え込むようにしてジっと窓の外を眺めている。
「あ・・・ごめん・・・ちょっと・・・眠くなっちゃったかな・・・食事したら・・・」
はハっとした様子で顔を上げると僅かに微笑んだ。
「そう?なら・・・いいけどさ」
本当は違う理由だろうとは思ったが、ここは深く詮索せず彼女の言葉に頷いた。
少しは元気になったかと思ったのに、さっきの電話の後、またの様子がおかしくなった。
明るくは振舞っていたのだが何となく無理をしている印象で顔色も少し悪かったのだ。
何か・・・あったんだろうか。
そう・・・それに戻ってきたと思ったら急に"父と話したら今日中に戻る"なんて言い出しちょっと驚いた・
一泊はする事になるかもしれない、と話していたから・・・
理由を尋ねると"ちょっとメグのとこに行かなくちゃならなくなって・・・"と曖昧なことを言っていた。
俺もそれ以上聞かなかったが・・・でも、もし何かあったんなら何故俺に隠すんだろう。
俺は・・・何でも話して欲しいのに・・・
チラっとを見ると彼女は再び窓の外に顔を向けて黙ったまま何かを考えているようだった。
それにはやっぱり心配になり、このまま帰すのが躊躇われる。
だが無常にも彼女の実家が前方に見えてきた。
「の実家ってあそこ?」
スピードを緩めながら尋ねるとが顔を上げて、「あ・・・うん」と小さく頷く。
俺はそのまま真っ直ぐ車を走らせ、の家から少し離れた場所へ車を止めた。
「はい、到着」
「・・・・・・・・・」
少しおどけて言ってみたものの、は軽く目を伏せてしまった。
その様子に軽く息をつくと俺はシートベルトを外しての方に体を向ける。
「・・・どうした?まだ帰りたくない?」
「・・・うん・・・」
小さく呟かれた言葉に思わず笑みが零れる。
俺はそっとの方に体を寄せると頬にキスをした。
「・・・ジョ、ジョシュ・・・?」
少し体を引いては顔を上げた。
そんな彼女に微笑むと、「お父さんとちょっと話すだけだろ?さっき言ったように・・・俺ちゃんと待ってるからさ」と言った。
「・・・うん」
そこでもやっと笑顔を見せてくれてホっとした。
先ほどが今日中に戻ると言うので俺は駅前のカフェで待ってるから家を出る前に電話してと言ったのだ。
は悪いからいいと言ったが俺は一人で帰すわけにはいかないとを説得した。
どこで"あいつ"がを見ているか分からないのだ。
「すっかり暗くなったな・・・。お父さんそろそろ戻ってくる頃?」
「うん、多分・・・」
時刻は午後6時半を過ぎた頃。
外も太陽が隠れすっかり夜の闇に包まれている。
「ちょっと長々と観光しすぎたかな」
「・・・大丈夫・・・。それに・・・楽しかったから」
「そう?じゃあ・・・今度はもっとちゃんとしたデートしよっか」
「・・・え?」
「ほら俺たち何だかんだ言って、まともにデートした事ないだろ?」
俺がそう言うとも嬉しそうに頷いた。
そんな彼女の背中に腕を回し自分の方に抱き寄せる。
は少し体を硬くしたがゆっくり顔を近づけ、唇を重ねると徐々に力を抜いて俺に体を預けた。
何度も角度を変えながら彼女の唇を塞ぐ。
ギュっと腕を掴んでくる彼女が可愛くて俺は僅かに唇を離し、瞼や頬、耳にも軽く口付けた。
「ん・・・ジョシュ・・・?」
顔を埋めるようにその細い首筋にも唇で触れると再びが体を硬くした。
「ヤバ・・・」
「・・・?」
ちょっと苦笑しながら、もう一度の耳元に唇を移動しギュっと小さな体を抱きしめる。
「このままキスしてたら・・・押し倒したくなるかも・・・」
「―――ッ」
その一言では慌てて体を押しのける。
顔を見れば案の定、の頬は真っ赤に染まっていた。
「な、何言って・・・」
「・・・そんな逃げなくても・・・」
「だ、だって―」
「大丈夫だよ。俺にだって理性くらい持ち合わせてます」
ちょっとおどけて肩を竦めるとはますます赤くなった。
「ま、また人をからかって・・・」
「からかってないって。本心だし?ただ場所が場所だから理性で堪えてるだけ」
「・・・・・・・・・」
彼女の顔を覗き込んで見ると少し照れくさそうに目を泳がせている。
その姿が可愛くて俺はもう一度、そっと抱きしめた。
「じゃあ・・・お父さんと話してきて」
「・・・うん」
「俺、ちゃんと待ってるし・・・電話しろよ?」
「・・・うん」
そこで少し体を離し、チュっとキスをすると最後にもう一度、今度は強く抱きしめた。
本当は一人で行かせたくないと思いながら・・・
その時、後ろに一台の車が静かに停車した―
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