第六章:希望の欠片                                                





誰からの祝福もいらない



二人、ただ堕ちていこう?



ねぇ 逃げないで



憎むほど 愛してあげる




真っ赤な薔薇を散りばめよう




貴方の 笑顔が 凍りつくように…















男は暗い部屋の中で一人、微笑んでいた。
何枚もの少女の写真を手でなぞり、一枚、一枚大切にアルバムに貼っていく。
そして全てをしまい終えると、最後の一枚を見て、それを手に取る。
そこには一人のACTORの姿が映っていた。
何かのシーンを撮っているのか、大きなカメラの前で、そのACTORは真剣な顔だ。
だが、その写真は数秒後には、男の手によって粉々に切り裂かれる。


「……渡さない…」


そう呟いたのと同時に、写真の欠片が男の足元にヒラヒラと奇麗に散らばった…






は携帯を手に今日、何度目かの溜息をついた。
携帯の画面には、"J"のアドレスが開かれている。


「どうしたの?!」
「わ…っ」


急に肩を叩かれ、はビクっとなった。


「あ、メグ…」
「ごめん、脅かすつもりじゃ…」


があまりに驚いた顔で振り返ったのを見て、メグは申しわけなさそうに言って隣に座った。


「ううん。大丈夫よ。ちょっとボーっとしてて…」
「どうしたの?こんなとこで。寒いでしょ?」


メグは苦笑しながら首をすぼめた。
そこは大学玄関前にある広い庭で、ここは木々もない為、太陽が出ていると、かなり明るい。
ベンチで寝ている学生や、芝に寝転がっている恋人同士も多数見られる。
は、そこのベンチに座りながら10分以上も携帯と睨めっこしていたのだ。


「ここでお昼食べようかなぁって思って…」
「え?お昼?食堂行かないの?」
「あ…さっき覗いたんだけど…アレックスがいたからやめたの」
「ああ、アレックス…。そう言えば戻って来たのよね、ロスから。今朝から女の子が騒いでたもの」


メグの言葉に、はちょっと微笑むと、携帯をバッグにしまった。


「あれ?誰かにかけるんじゃなかったの?」
「え?あ、ううん…。そういうわけじゃないの」


はドキッとした顔で首を振った。


「そう?何だか、ズーっと携帯見てたからメール読んでるのかな?って思ったんだけど…。あ…もしかして、また"あいつ"から何か…」
「あ、ち、違うの。"あいつ"からは最近、何も来ないわ?」
「ほんと?もし何かあったら何でも言ってよ?」
「うん…。ありがとう」


メグの心配そうな顔を見て、は嬉しくて、ちょっと微笑んだ。


「あ、メグ、レザーは?」
「ああ、レザーなら講義受けてるわ?それよりマイケルはどうしたの?一緒じゃなかったの?」
「あ、マイケルなら図書館よ?次の講義で調べなくちゃいけないものがあるからって」
「そう。あいつ、勉強だけは、ちゃんとやるのよね」


メグは笑いながら、そう言うと辺りを見渡してからの方に顔を寄せた。


「ところで…この前も最近もレザーが一緒で聞けなかったんだけど…あの夜はどうだったの?」
「え?あの夜…」
「ほら、ジョシュ達のホテルに行った夜よ。朝帰りしてたじゃない」
「あ…」
もやるわねぇ?あんなにジョシュのこと苦手だったくせに!マイケルも怒ってたわよ?無防備すぎるって」
「あ、あれは別に…。ただ寝ちゃったから…。でも何もなかったわよ?!」


は顔が赤くなりながらも必死に、そう訴えると、メグは楽しそうに笑い出した。


「アハハ。やだ、分かってるわよ!そんな必死にならなくても。が、そんな一晩でジョシュと、どうにかなっちゃうような子じゃないって分かってるわ?」
「メグったら…笑いすぎよ…?」


は少し頬を脹らませてメグを睨む。


「ごめん、ごめん!でも…ジョシュに送られてきたのを見た時は驚いたわよ〜。一体、二人は、どんな感じなの?今!」
「ど、どういう感じって…?」
「だから…いい雰囲気なのかってこと。はジョシュのこと、どう思ってるの?もう苦手じゃなくなったんでしょ?」
「いい雰囲気なわけないじゃない。それに苦手じゃなくなったけど…」
「けど?」
「彼はACTORで私はただの大学生よ?どう思ってるも何もないわ?」


がそう言って肩を竦めると、メグはニヤニヤしだした。


「な、何よ、その顔…」
「私には、今の言葉が、"ジョシュを好きだけど世界が違うから…"って聞こえたなぁ?」
「な、何で、そこまで飛躍するのよっ」


メグの言葉に、は顔が熱くなり、プイっと横を向いた。
だがメグはちょっと微笑み、の肩にポンっと手を置くと、


「もう、そんな怒らないでよ。いいじゃない、ジョシュを好きになったって。彼がACTORでも今は近くにいるんだから」と言った。


「メグ…」
「人を好きになるのなんて理屈じゃないでしょ?報われなくても…好きなる事は誰でもあるわ…誤魔化しようのないくらい…」


メグは、そう呟くように言うと、どこか遠くを見ていて、は、ハっとした。
メグも、そんなの様子に気付いたのか、ちょっと笑顔を見せると、「なんてね?」と肩を竦めて見せる。


「さて、と…。私は邪魔しないから、ジョシュに電話したいならしていいわよ?」
「え…え?!」


立ち上がって伸びをしているメグの言葉に、はドキっとした。


「あら、さっきから携帯で、"J"のとこ開いてたのは電話しようと思ってたからじゃないの?」
「ち、ちが…そんなんじゃ…」


見られてたのかと、は顔を赤くしつつ首を振ると、メグはクスクス笑い出した。


「電話番号、教えて貰ったのか自分から聞いたのか知らないけど、ジョシュは今週はロケで大学には来ないんだし、会いたいんなら会いに行けば?」
「メ、メグったら…。変なこと言わないで。私は別に…」
「はいはい。いいから素直になってよ。じゃね!また後で」
「ちょ…メグ…?!」


メグは言いたい事だけ言うと、手を振りながら大学の方に走って行ってしまった。
は唖然としながらメグを見送ると、軽く息をついた。


別に電話をしようと思ったわけじゃないのに…
ただ…あの夜、風邪引かなかったかと少し心配だっただけよ…。
それに番号だって教えて貰ったわけじゃなくて…あの夜、ジョシュがかけてくれたから知ってるだけで…
こういう場合、こっちからかけていいものなのか、迷ってたり…


「あ〜っ。もう分かんない!」


は髪をグシャグシャっと掻き毟るとベンチから立ち上がった。


「寮に帰ろう…」


そう呟いて寮に向かって歩き出す。
今日、は午前中の講義だけだったのだ。
校舎を横切り、もうすぐ女子寮が見えてくる…と思った、その時、顔見知りの女の子が前から歩いて来た。


「あら、
「Hi!ナンシー。これから?」
「ええ、午後の講義があって…。あ、それより、今、男の人がを探してたわよ?」
「え…?男の人?」
「ええ、ちょっと身長高くて素敵な人。…まだ寮の前にいると思うわ?」
「あ、ありがとう、じゃ…」
「え?あ、…?」


は、その事を聞いて一瞬、ジョシュかもしれないと走り出していた。
一気に走って、寮が見えてくると、は一旦、立ち止まって辺りを見渡した。
数人の学生がいるが、それらしい人が見当たらず、は今度は門の方まで走っていく。


何で、私、こんな必死に走ってるんだろ…
ジョシュかもしれない…と思っただけで、こんなに胸がドキドキするなんて、どうかしてる…


そんな事を思いながら門のところまでやってきて足を止める。
急に走ったので軽く深呼吸をしながら息を整えると、ゆっくり門を抜けて通りを左右見渡してみた。
だが、そこには、いつもの風景があるだけで、近所の人が歩いているだけだ。


「何だ…。もう帰っちゃったのかな…」


は元来た道を戻りながら軽く息をついた。


「やあ、くん」
「え…?」


突然、名前を呼ばれては驚いて顔を上げると、前から見知らぬ男の人が歩いてきた。


「ちょっと久し振りだね?覚えてるかな。前に一度、ワシントンの自宅で…」
「あ…あなた…」


は目の前に歩いて来た、その男の顔を見て、前に父から紹介された人だということに気づいた。


「あ、あの…トム…さん?」
「そうだよ?良かった。覚えててくれたんだね?」


トムは人当たりのいい笑顔でに微笑むと、「なかなか電話が来ないから待ちきれずに会いに来ちゃったよ」と言った。


「あ…すみません…。最近、ちょっと忙しかったものですから…。それより…私を探してた人って…」
「ああ、僕だよ?今、寮の方に行って来てね。君がいなかったから裏の方をブラブラしてたんだ。それで帰ろうかと歩いて来たら君を見つけてね」
「そ、そうですか…」


は、さっきの話がトムだと知り、ガッカリした。


やだ、私ってば、どうしてジョシュだって思っちゃったんだろう…
もしジョシュならナンシーだって、きっと顔が分かるはずだもの…。


「あ、あの…くん?」
「あ、ごめんなさい。えっと…私に何か用事とか…」
「ああ、いや…用事というか…。この前の約束…覚えてるかな?今度、ゆっくり…っていうの」
「え?あ…」


トムに、そう言われては思い出した。
あの時、トムに時間を作ってくれと言われてた事を――




「今日…僕も仕事でこっちに来て、やっと時間が出来たから来てみたんだ」
「そ、そうですか…」
「それで…急なんだけど…今から時間あるかな…?」
「え?今から…?」
「うん。明日には、またワシントンに戻らなくちゃいけなくてね?だから…今日デートして欲しいんだけど…無理かな?」


トムに笑顔で、そう言われては困ったが、父からきつく約束を守るように言われている。


今日、断っても、いつかは彼とまた会う時間を作らなければいけない…
それを考えれば、今日、付き合って話を断った方がいいかもしれないわ…


は、そう考えてトムを見ると、「あの…今日、私も時間あるんで大丈夫です」と答えた。
するとトムは嬉しそうに微笑んだ。


「ほんと?ああ、良かった…。今日も急だったし断られるって半分、諦めてたんだ」
「そんなことは…私もたまたま今日は午前だけの講義で他に約束も入ってないから…」
「そうか…。来てみてよかったよ。じゃあ…どこへ行く?この辺はよく知らないんだけど…」
「あ…じゃあ案内します」


は、そう言うとトムと歩き出しながら、何て言って断ろうかと考えていた。















「うわ、これに乗るの?」


ジョシュはドラゴンコースターなるものを見上げて苦笑した。
今はロケのため、リバー・フロント・パークに来ている。
リバー・フロント・パークには他にもフェリス・ホイール・バンパー・カーズなどのアトラクションや冬にはアイススケートのリンクなどもあり
誰もが楽しめるアミューズメント・パークだ。


「今日寒いのに嫌になっちゃう」
「でもラダの方が着込んでる」


そう言ってジョシュは笑いながらコースターの方に歩いて行った。
こういうシーンは、さっさと撮って後で、ゆっくりと休みたかった。
そこへ監督のピーターが走ってきた。


「じゃあ、さっき言ったように普通に騒いでくれていいからな?」
「言われなくても嫌でも騒いじゃうよ、これじゃ」
「アハハ、まあ、そうだな。じゃ、乗ってから、直ぐスタートだ」
「了解」


ピーターは、ジョシュの肩をポンポンと叩くと、カメラの方に戻って行った。


「はぁ…。じゃあ、乗りますか」


ジョシュは、そう呟くと上の方を見上げて目を細めた。
今日はラダが扮するイザベルとのデートのシーンを撮影している。
外でのロケ、しかも家族連れの多いリバー・フロント・パークでは見学する人も、かなり多い。
その中にマスコミもチラホラいて、皆、一様にカメラを向けていた。


「は、じゃあ、スタート!!」


監督の声と共にカメラが回り始めた。
ジョシュとラダを乗せたコースターが一気に下りてくるのを上手く納めながら、ほんの数分の撮影も、直ぐに終わる。




「ジョシュ、大丈夫…?」
「ん?ああ…まあ…っていうか寒…っ」


ジョシュはコースターから、フラっと下りるとスタッフの方に歩いて行きながら鼻を啜った。
その後ろからラダがついてきてクスクス笑っている。


「鼻が赤いわよ?」
「それを言うならラダは頬が赤いよ?冷たい風直撃だもんなぁ…」
「ほんとねぇ…。これじゃ風邪、酷くなっちゃうんじゃない?」
「…大丈夫…病院から薬もらってきたから」


ジョシュは、そう言うと、ロイが持って来たジャケットを羽織った。


「サンキュ〜…」
「大丈夫か…?熱は?」
「さあ…?凄く寒いけど」
「ああ、今日は午前中から、ここにいるからなぁ…。でも、もう終わりだからな?」
「ああ。じゃあ車で待ってていい?」
「あ、いや…ちょっと、そこの記者からインタビューがあるから行ってくれるか?そんな長くならないと思う」
「ああ、あの見学してる…」
「そうだ。いいか?」
「いいも悪いも…マネージャー様に言われたら行くしかないだろ…?」


ジョシュは苦笑しながらジャケットを脱ぐと衣装のまま、その記者達が固まってる方へ歩いて行った。
するとテレビカメラを従えた女記者が笑顔で寄って来る。


「どうも!お疲れ様です」
「どうも…」
「今日は今回の映画の役どころについて聞きたいんですが…」


その記者はマニュアル通りの質問をしてきて、ジョシュも普段、答えているように話し出した。
近くには一般の人達も見てるので、時々名前を呼ばれて軽く手を振り返すと、途端にキャ〜キャ〜奇声を上げ始める。
ジョシュは内心、苦笑しながら早くインタビューを終えたいと思いつつ、辺りを見ながら答えていた。
その時、何か知った顔が視界を横切った気がして、視線を向ける。


「あ…っ」
「え?どうしたんですか?」


ジョシュが突然、声を上げたので記者の方はびっくりしている。


「あ…いや…何でもないよ。で、質問は何だったっけ?」
「ああ、え〜と最後の質問なんですけど…」
「うん、どんな質問?」


最後、と聞いてジョシュはホっとしつつ、今、が歩いて行った方へ視線を向けた。


驚いた…
まさか、こんなとこにいるなんて…
でも向こうは俺に気づいてなかったようだし…しかも見た事ない男と一緒だった…
大学の友達じゃない。
あれは…若かったが、どっか大きな会社の重役といった感じの男だった。
恋人か…?




「…しょうか?…ジョシュ?聞いてます?」
「…え?」


あれこれ考えてると、記者の質問を聞き逃して、ジョシュはハっと我に返った。


「あ、ごめん。もう一回言ってくれる…?」


ジョシュが慌てて、そう言うと、その女性記者は別に気を悪くした様子もなく、笑顔で、


「ですから…先月…長年、交際してたマリアさんと破局なさったと聞きましたが、もう新しい恋はされてるんでしょうか?」
「………」


突然、別れたばかりの恋人の話を出され、ジョシュは一瞬、言葉に詰まったが、すぐに笑顔を見せると、


「その質問には答えられない。ごめんね?じゃあ…」
「いえ、分かりました。ありがとう御座いました」


ジョシュが質問を断っても笑顔で切り上げて、その女性記者はカメラマンを従え、車の方に戻って行く。


「終ったか?」


ジョシュがスタッフのとこまで戻るとロイが歩いて来た。


「ああ、終った」
「じゃあ、車で待ってていいぞ?今、温めておいたから」
「ああ、サンキュ」
「じゃ、俺もすぐ行くから先に乗ってろ。ホテルに戻って食事に行こう」
「ああ、じゃ…」


ジョシュはロイに手を上げ、車の方に戻って行く途中、ふと足を止めて、もう一度、野次馬の方に視線を向けた。


さっきの…確かにだったよな…?
見間違いという事はない。
少し離れていたが、横顔はハッキリ見えた。


「デートかな…」


そう呟いて見て、その事が気にかかっている自分に気付き、ジョシュは戸惑った。


何で、が男とデートしてるだけで、こんな嫌な気分になるんだ?
どうでもいいじゃないか。
彼女は大学生だ。
大学生といえば、恋人の一人や二人、すぐに出来てもおかしくないし、また次の日には相手が変わっていたとしても不思議な事じゃない。
俺が大学生の時だって、そういう奴はいっぱいいた。
それこそ、男も女も恋に夢中だった。
そういう時期なんだ、大学生ってのは…
だから、あの子だって、そうであっても何も不思議じゃない。


「…ックシュ…っ」


またクシャミが出て、ジョシュは首をすぼめた。


「う〜寒い…車に乗ってよう…」


そう呟いて歩き出そうとした時、野次馬の一人と目が合った気がした。
それは男で真っ黒な繋ぎを着ている。
それに真っ暗なサングラスをしていて顔は分からないが、その男は何故か自分を見ているとジョシュは感じた。
辺りは夕日が沈み出して少し離れたところに立っている、その男の表情までが見えないが、
黒いサングラス越しに、ジョシュの事をジっと見ているような気がするのだ。


誰だ…?
何だか撮影を野次馬気分で見ていると言うわけでもなさそうだ。
ただ、黙って俺を見てる…
まさかファンじゃないだろうけど…


ジョシュは少し気になったが、また鼻がムズムズしだして、慌てて車へと戻って行った。












「はい、お疲れさん!」
「あ〜お疲れ…」


ロイの言葉にジョシュは気のない返事をしてグラスをチンっと当てた。
今はホテルに戻り、中にあるレストランでロイと二人で夕飯を食べに来たところだ。


「何だ、元気ないなぁ…。ほんと風邪、酷くなったんじゃないか?」
「ん〜そうかも…。ちょっとダルイんだ…」
「何?熱は?」
「まだ測ってない。あとで部屋に戻ったら測るよ…」


ジョシュは、そう言って暖かいスープを口に運んだ。
だがロイは心配そうに、


「大丈夫か?明日も外でのロケだぞ?あまり酷かったら休まなくちゃならん。酷い顔で撮るわけにはいかないからな?」
「ああ…そうだなぁ…。ま、熱があったら監督に頼んでくれる…?」
「分かった。ま、今のとこ順調にいってるし一日二日くらいなら休みはくれるだろうが…その後のオフが消えるかもしれないぞ?」
「仕方ない…。とにかく体調が万全の時に撮りたいし…」
「そうだよな。分かった。まあ、まずは食べろ。体力ないと治りも遅いから」
「ああ、だな…?サラダも頼もう」


ジョシュはウエイターを呼んで、アボガドのサラダを注文して軽く息をついた。
その時、レストラン入り口に新たな客が入って来て、店員の「いらっしゃいませ」の声で、ふと自然に目が向いた。


「あ…っ」
「え?何だ?」


ジョシュが、声を上げたのでロイは口に入れようとしていた肉を皿に戻すと不思議そうに顔を上げた。


「ああ、いや…何でもないんだ、うん…」
「…?変な奴だな…。やっぱり熱があるのかもな…」


ロイは怪訝そうな顔でブツブツ言いながら肉を頬張っている。
ジョシュはロイに気付かれないように小さく息をつくと、そっと後ろの方に視線を向けた。
すると、かすかにだが、聞きなれた声が聞こえてくる。


(間違いない…だ…。何で、ここでも会うんだよ…)


さっきレストランに入って来たのは、と、さっき見かけた男だったのだ。
それにはジョシュも、さすがに驚いた。


また会うなんて…凄い偶然だな…
って言うか、やっぱりデートか…この流れだと。


「はぁ…」
「…どうした?溜息なんてついて…」
「え?何が?」


突然、ロイの声が聞こえてジョシュは顔を上げた。
だがロイは眉間を寄せながらジョシュを見た。


「何がって…今、溜息ついただろう?」
「溜息?俺が…?」
「ああ…。お前―――――大丈夫か?」


ロイは心配そうな顔で身を乗り出してジョシュの顔を見てくる。


「な、何だよ…。大丈夫だ……ックシュ…!」
「あ〜あ〜大丈夫じゃないだろ?」
「悪い…」


特大のクシャミが出て、ジョシュは苦笑した。


あ〜完壁に風邪だな…
ヤッバイなぁ…
明日は本当に休まないとダメかも…
って、今のには聞こえてないよな…?


ジョシュはズズ…っと鼻を啜ると、一気に食欲が失せていくのが分かった。












「どうしたの?ソワソワして…」
「え?い、いえ…そんな事ないです」


は訝しげに見てくるトムに微笑むと、ゆっくりスープを飲んだ。

はぁ…まさか、このホテルに来るなんて…
しかもトムもここに泊ってるって言うし…困っちゃう。


は内心、いつジョシュが入ってくるかと気が気じゃなかった。
一応、約束をしたので今日一日、トムに付き合うと決めて一緒に公園に行ったりして色々と案内をした。
その後は夕飯でも…と言われて、連れてこられたのが、この前来たジョシュ達が泊ってるホテルで、は驚いたが、
まさか、ここは嫌ですとも言えずついてきた。
しかもトムが、「僕も今、ここに泊ってるんだ」なんて言うから更に驚いたのだった。


(こんなとこ見られたら…誤解されそうだな…って別に関係ないけど)


ふと、ジョシュに見られないかと、憂鬱になってる自分に気付いてはドキっとした。


何で、こんな気にしてるのよ…
私…この前から少し変だ。
あの夜…心配して来てくれたからって…勘違いしちゃダメなのに。
だいたい、あんな風に会いに来られたら誰だって…


くん?どうしたの?」
「え?あ…ごめんなさい。何ですか?」
「ああ、いや…。それより…何だか急に黙っちゃうし…心配で。具合でも悪いの?」
「い、いえ…。ちょっと緊張してるだけですから…」
「そんな緊張なんて…。ああ、僕の事も、よく知らないしね?」
「え、ええ…」


はちょっと笑顔を見せながら、もう、これきりだって言わないと…と思っていた。
だが、そんなの心とは裏腹に、トムは楽しそうに話し出す。


「さっきの話だけどさ…」
「え?はい…」
「僕、実は随分と前からくんのこと知ってたんだ」
「……え?」


思いもよらぬ言葉に、はナイフを動かす手を止めてトムを見た。
トムはちょっと照れくさそうに微笑みながら、


「いや…実はね?君のお父さんと仕事をするようになってから君の話を、よく聞かされてたんだよ」
「父から私の事を…?」
「ああ、自慢の娘さんのようだよ?いつか自分の会社を継いでくれる為に今は大学に行ってるんだって嬉しそうに話してた」
「そ、そうですか…」
「まあ、カーヴェリック氏は婿養子をとって欲しいみたいだけどね?」


トムは、そう言って笑ったが、は一瞬で青ざめた。
確かに、その話は前にも何度かされているが、父が本気で、このトムと自分を結婚させようとしてる…と思ったのだ。


…?」
「え?あ…何ですか?」


名を呼ばれ、ハっとしては笑顔を見せた。
するとトムは、ちょっと頭をかきながら、


「それで…カーヴェリック氏に君の写真とか見せてもらってるうちにさ…。その…凄く会いたくなっちゃって…それで頼み込んで…」


と言葉を切った。


「それで、あの日、私が家に呼ばれたんですね?」
「ああ、そうなんだ。君には悪い事しちゃったんだけど…」
「そんな事は…」
「でも…カーヴェリック氏とケンカになってしまっただろ?僕のせいだよ」
「いえ…あれは…私と父の問題ですから…」


は少し視線を反らして、そう言うと、トムも困ったような顔で黙ってしまった。


そう…私は、あの父の言う通りに今まで生きてきた。
心の奥で反発しながら、結局は逆らえず、言われたとおりの大学に入って専攻まで父の言うなりだ。
まるで、あやつり人形みたい…
私の意志では動けない。
父の手でしか動かない人形…
私は、こんなにも自由になりたいと願っているのに…


は、この場から逃げ出したい衝動を必死に抑えていた。
すると、不意にトムが手を伸ばしてきて、テーブルの上にあるの手を握った。


「…あ、あの…」
「僕は…真剣に君と付き合いたいと思ってるんだ」
「え…?」
「また…こんな風に会ってくれるかい?」
「で、でも私は…」
「カーヴェリック氏の事は何も関係なく…僕は君に惹かれてる。いや…もう前から君を見ていたんだ」
「……………っ」


ドキっとした。
その言葉を聞いて、一瞬は、あの男を思い出した。


"ずっと君を見てる…"


(そうだ…"あいつ"は確かに、そう言った…私に…逃げ場なんて…)


は引っ込めようとした手から力が抜けていくのが分かり、絶望を感じ始めていた。


皆が私を追いつめる…
知らないうちに忍び寄って来て、私から逃げ場を奪っていく。
もう…こんな"場所"から消えてしまいたい…


…黙ってるっていう事は…OK…と思っていいのかな…?」


が黙ったままなのを不安に思ったのか、トムは握っている手に力を入れて聞いてきた。
はゆっくりと顔を上げて、もう、いっそ、頷いてしまおうか…と思った、その時…




「……ックシュ…!!」


「――――っっ?!」




…?どうしたの?後ろに何かあるのかい?」


トムは急に手を離して後ろを振り返り、キョロキョロしているを見て首を傾げた。
だがは返事をしないまま、そっと顔を戻した。
その表情は先ほどの青白い顔と違って、ほんのりと頬に赤みがさしている。


(今の…ジョシュだ…。さっきのクシャミは、きっとジョシュだわ…)


は、そう思っただけで胸がドキドキしてくるのを感じて、顔が熱くなった。


…どうかした?」
「え?あ、何でも…」


そう言いかけた時、不意に達がいるテーブルの横を誰かが歩いて行った。
それは振り向くまでもなく、ジョシュだと気付く。


今の…ジョシュだった…
見てないけど分かる。
歩き方のクセ…そして、かすかに香ってきた彼の香水の匂い…


「あ、あの…ちょっと化粧室に…。ごめんなさい…っ」
「え?あ……っ?」


が唐突に席を立ったので、トムは驚いて腰を浮かしたが他の客の手前、またすぐに座りなおす。
そしての歩いて行ってしまった方を忌々しげに見つめていた。
だがは、そんな事は知る由もなく、すぐにジョシュが行ったと思われる化粧室の方に歩いて行った。
化粧室はレストラン内の奥の通路にある。
は早歩きで、その通路の方に曲った。




「よぉ」
「あ……っ」


曲った瞬間、ジョシュが壁に寄りかかって立っていて、は驚いた。


「偶然だな?」
「う、うん…。あの…私がいること…知ってたの…?」
「ああ、入ってきた時から」
「そ、そう…」
は?」
「え?」
「今…俺のこと追いかけてきたんじゃないの?」
「あ、あの…」


ハッキリ言われては顔が赤くなったが、小さく頷いた。


「さっき…クシャミが聞こえて…」
「ああ…やっぱ聞かれちゃったか…」


ジョシュは照れくさそうに頭をかきながら苦笑いを浮かべた。
は、そんなジョシュを見上げて、「風邪…引いちゃった…?」と心配そうな表情を見せた。


「あ〜ま、大丈夫だよ。が気にすることない」
「でも…あの日、寒かったし…」
「大丈夫だって。それより、いいの?デート中に中座しちゃってさ」
「え?あ…デ、デートじゃないわ…?」
「そうなの?でも夕方、リバー・フロント・パークにも彼といただろ?」
「え…っ?!な、何で知って…」
「ああ、俺、今日のロケ、そこだったんだ。気付かなかった?」
「ぜ、全然…人が多かったし…」


ジョシュの言葉に、は驚いてしまった。


(あの公園に…ジョシュもいたなんて…そして、ここでも会うなんて凄い偶然…)


「で、誰なの?」
「え…?」


不意に質問されて、は慌てて顔を上げた。
するとジョシュは顔を席の方に向けている。


「あ…さっきの…人?」
「ああ、そう」
「あの人は…父の会社の取引先の社長の息子」
「…はぁ?何で、そんなのと一緒にいるわけ?」
「そ、それは…」


ジョシュに呆れたように言われて、は言葉に詰まった。


「父が…彼と一度、二人で会えって言うし…。それに今日、あの人、急に大学まで来たから…」
「ふ〜ん。気に入ってるんだ?あの社長の息子のこと」
「は?私が?」
「だから会ってるんだろ?」
「ち、違うわよ…っ。私は別に気に入ってるわけじゃ…」
「じゃあ断ればいいんじゃないの?嫌ならさ」
「それが出来れば苦労しないわ?」
「何で?自分の意志はあるだろ?」
「……………っ」


一番、痛いとこをつかれては言葉を失った。
悔しくて涙が浮かんでくる。
ギュっと唇を噛み締め、は涙を堪えてジョシュに背中を向けた。


「あなたになんて、私の全てなんか分からないわよ…。意志を貫くことほど難しい事はないわ?私にとっては…」
「それ…どういう意味…?」
「別に…。ジョシュには関係な…キャ…ッ」


突然腕を引き寄せられては驚いて顔を上げた。


「人と話す時は、こっち見ろよ」
「な…何よ…離して…っ」


そう言った瞬間、我慢していた涙が頬を伝っていった。
それを見てジョシュもハっとすると腕を掴む力を緩める。


「お、おい…何で泣くんだよ…?あ…腕痛かった?ごめん…」
「ち、違…っ」


こんな時にまで優しいジョシュに一度流れた涙が止まらなくなり、は必死に手で涙を拭った。
すると頬に熱い手が添えられ、ドキっとして顔を上げると心配そうなジョシュと目が合った。


「泣くなって…」


そう言いながら優しく指で涙を拭いてくれるジョシュを見て、は初めて自分の気持ちが分かった。
自分が彼に惹かれていることを…


「だ…大丈夫…ごめん、泣いたりして…」
「いいよ…俺が悪い」
「ジョシュは悪くない…っ」
…?」


が大きな声を出したのに、ジョシュは驚いたが軽く息をついて壁に寄りかかった。


「早く…戻った方がいい…」
「え…?」
「好む好まないにしろ…デートした相手を待たすもんじゃない…。戻れよ。な?」
「う、うん…」


ジョシュの言葉に、は仕方なく頷くと、「じゃあ…また…ね…?」と声をかける。
それにはジョシュは答えず、ただ笑顔で片手をあげただけだった。
はジョシュの方を気にしながらも席へ戻るのに、歩いて行く。
完全に、が見えなくなったのを確認すると、ジョシュは、その場にズルズルとしゃがみ込んだ。


「はぁ〜…ボーっとする…。熱出てきたかな…」


小さく呟き、前髪をかきあげると、頭を壁につけて軽く目を瞑った。


そう…熱のせいだ…
あんな事でムキになったのも…
冷たい言い方をしてしまったのも…
親の仕事の関係で男とデートさせられてる彼女を見て、何だか無償に腹が立った。
いや…彼女に、というより…その相手の男に…
の父親と、どういう関係だか知らないが、大学にまで押しかけてデートを強要するなんて最悪だ…
確かにハッキリ断れないもいけないけど、それは彼女の事情だ。
さっき…そう言ってたしな…


「"私の全てなんか分からない"…か…。そりゃ、そうだ…。会ったばかりで名前しか知らないよ…」


そう呟いてジョシュは苦笑した。


なのに何で、こんなに俺の中にすんなりと入ってくるんだろう…
彼女を見てると…危なっかしくて放っておけないんだ…
何だか俺が助けてやらなくちゃって思ってしまう。


「はぁ…。彼女の"ストーカーくん"も同じ気持ちなのかな…って、これは笑えない…」


ちょっと苦笑するとジョシュは、ゆっくり立ち上がった。
少しクラクラして軽く目頭を抑えると、そこにロイが歩いて来る。


「おい、ジョシュ…?どうした?!」
「ああ、ロイ…」
「なかなか戻って来ないからトイレで倒れてるのかと心配したぞ?」
「うん…ちょっと熱が出てきたみたいでさ…。俺、もう部屋に戻るよ…」
「そ、そうか…。そりゃ、いかん…。あ、病院の薬、寝る前に飲めよ?」
「ああ…。分かってる…。明日の事、頼んでもいい…?」
「大丈夫。心配するな。ちゃんと言っておくから」
「サンキュ…じゃ…」
「ああ、待て。部屋まで送る」
「あ〜…悪い…」
「バカ、気にするな」


ロイは、そう言って苦笑すると、ジョシュの体を支えながらレストランの支払いを済ませて店を出て行った。














「遅かったね?どうしたんだい?」
「ごめんなさい…。気分が悪くて…」


は席に戻ると、トムがイライラしたように待っていた。
それに気付いたが、は具合の悪いフリをして早く帰ることにした。


「ああ、そう言えば顔色が良くないね…。じゃあ、寮まで送るよ」
「い、いいわ…?ホテルからタクシーが出てるし、一人で帰ります」
「そ、そうかい…?じゃあ…ロビーまで行くよ」


にキッパリ言われて、トムは仕方なく、そう言った。
ほんとは、この場で別れたかったが、も渋々席を立つ。


「ご馳走様でした」


トムが支払いを済ませ、出てきたとき、一応、そう言ってエレベーターの方に歩いて行く。
トムもそれを追いかけてきた。


「あ、ところで…さっきの話…返事聞いてないよ?」
「え…?さっき…?」
「だから…僕と…」
「あ…」


そうだ…さっき私はトムからの告白に思わず頷いてしまう所だったんだ…
もう全てがどうでもよくなって…
でも…今は違う…
この数十分の間に…私は変わった…
ううん…気付いたんだ…
ジョシュの顔を見て…目が覚めた。
諦めちゃいけないって…そう思えた。


「ごめんなさい…。もう…こんな風には会えない…」


トムの目を見て、は、ハッキリ、そう言った。
それにはトムもギョっとしている。


「ど、どうして?僕が何か失礼な事でも…?!」
「ううん。違うの…。あなたが、どうとかじゃなくて…私…好きな人がいるの…」
「えぇ?!す、好きな人って…誰だ?大学の奴か?」
「違うわ?そうじゃないけど…」
「恋人がいるなんて…聞いてないよ?」
「あ、恋人じゃないの…。私が勝手に好きなだけで…。それに…これからも、その人とは恋人同士にはなれないから…」
「どういう事?」
「それは…私には届かない人だから…。でも好きなの。だから他の人とは付き合えない…。ごめんなさい…」


が素直に自分の今の気持ちを言って謝ると、トムの冷静だった顔が少しづつ強ばっていった。


「その事…カーヴェリック氏は知ってるのかい…?」
「ううん。父は知らないわ?言う必要もないし…」
「そうか…分かったよ…」


の言葉を聞いて、トムは軽く息をついた。


「ほんとに、ごめんなさい…」
「いや…。でも僕は待ってるから…」
「え…?」
「恋人がいるなら諦めもつくけど…片想いじゃ話は別だ。僕は君が、その男の事を諦めるまで待ってるよ。それくらい、いいだろ?」
「で、でも…」


トムの言葉に、は困ってしまった。


「私…きっと、貴方の事は好きにならないと思うの…。だから…待っていられても…。ほんと、ごめんなさいっ」
「あ……!!」


は、それだけ言うと、丁度ついたエレベーターに飛び乗ってドアを閉めた。
トムは驚いた顔で走ってきたが、ドアが閉まる瞬間、怖い顔でを睨んでいるのが見えて、ちょっと怖くなる。


「はぁ…エリートでボンボンってプライドが高いし…大丈夫かなぁ…。パパに言いつけるだろうな…」


少し不安にはなったが、もう言ってしまったものは仕方がない。
それに今、には心配なことがあった。
チーンと音がしてエレベーターがロビーに着く。
だがは下りる事をせず、すぐに26階のボタンを押した。


(さっき…ジョシュの手が凄く熱かった…もしかしたら…熱があったんじゃ…)


トムと話していても、その事が気になって仕方がなかった。


(あの夜に…来てくれたから風邪、引いちゃったんだ…。私のせいだ…)


はエレベーターが早くつかないかと祈るように点滅する階番号を見ていた。
やっと26階につき、ドアが開くと、は急いでジョシュの部屋まで歩いて行く。
廊下はシーンとしていて、の足音だけが響いた。


「えっと…ここよね…18号室…」


長い廊下を歩いて、ジョシュのへやの前まで来ると、は軽く深呼吸をしてチャイムを押そうと手を伸ばした。
だが、かすかにドアが開いてるのに気付いた。


「あれ…開いてる…?」


ドアにはチェーン代わりのサブキーが挟んだままになっていて、は首を傾げた。
とりあえず、そっとドアを押してみると、部屋の中を覗いた。


「ジョシュ…?いるの…?」


薄暗い部屋を見渡し声をかけてみるも、返事はなく、はそのまま部屋の中に入っていった。


「これって不法侵入かな…」


そう思いながらも心配で真っ直ぐ寝室の方に歩いて行った。
両サイドに開く形のドアを静かに開けてみると、ベッドサイドの明かりで、かすかに人が寝ているのが分かる。


「ジョシュ…?」


もう一度、声をかけてみるが返事はなく、かすかな息遣いだけが聞こえて来て、はドキっとした。
そっと寝室に入るとベッドの方に歩いて行く。
すると目を瞑ったまま動かないジョシュが見えて少しだけホっとする。


何だ…寝てたんだ…
でも…さっき戻ってから、直ぐ寝たのかな…
それにしてはドアも開いたままで無用心だし…


そう思いながらジョシュを見ると、息遣いが荒いのに気付いた。


「ジョシュ…?」


声をかけて、そっと額に手を乗せると、かなり熱い。


「やっぱり熱があったんだ…。ど、どうしよう…」


はジョシュに熱があることが分かり、どうしたらいいかと額から手を離そうとした。
その時、手首をつかまれドキっとする。


「ん…ロイ…?」
「え?あ、あの…」


ジョシュは熱があってボーっとしているのか、ゆっくり視線を彷徨わせて、の方を見た。


「氷、あったの…?」
「あ、あのジョシュ…。私…」
「…え…?…?」


ジョシュは目を擦りながら、驚いたように目を見開いてを見た。


「な…何で…ここに…?夢…?」
「ゆ、夢じゃないわ…?あの…勝手に入って、ごめんね?ドアが開いてて…」
「ドア……ああ…ロイが…氷、取りに…でも…何…で…?」
「だって…さっきジョシュの手、凄く熱くて…もしかしたら熱があるんじゃないかって思ったから…様子見に来たの…大丈夫?」


が必死に説明すると、ジョシュも理解したのか軽く息をついた。


「ああ…そんないいのに…」
「よ、よくないわよ…。私のせいで風邪引いちゃったんだから…」
「別に…のせいじゃない…って…。俺が…勝手に行ったんだろ…?」


ジョシュは苦しげに息を吐き出しながら、ちょっと苦笑して体を横にする。
はベッドの脇に膝をついてジョシュの手を握った。


「薬は…飲んだ…?」
「ああ…さっき…飲んだ…かな…?」
「そう…。じゃあ…明日には…熱下がるかな…」


は少しだけホっとして息をついた。
が、その時、ドアの向こうで物音がしてドキっとする。


「あ…や…べ…ロイ…が戻ってきた…」
「え…?あ…マネージャーの…」
「ああ…がいるの…バレたら、うるさいからさ…。どっかに隠れてて?…上手く言って…帰すから…」
「で、でも隠れるって…どこに…」


隣ではゴトゴトと音がして、は焦るあまりに、部屋の中をキョロキョロ見渡した。
一瞬、クローゼット…と思ったが、そこは扉が開け放してあって中を見れば服やら荷物がギッシリ詰まっていて、とても入れそうにない。


「か、隠れるって、ど、どこによ…?」


は小声で助けを求めると、ジョシュは苦笑いしながら布団を捲った。

「…えぇ…?!」
「俺の隣で潜ってて…?…小さいから…バレないよ…きっと」
「そ、そんなこと言っても…」


は顔が赤くなりつつ、ジョシュを見ると、急に腕を引っ張られた。


「キャ…」
「しぃ…。そこで動かないで…」


ジョシュはを自分の隣に寝かせると布団をかけてしまった。
そして大きなクッションをその辺におき、膨らんでいるのを見えないようにする。


(あ〜…ちょっと動いただけでクラクラする…って、俺、何やってんだろ…)


ジョシュは熱のせいか、が今ここにいる事が、よく分かってなかった。
説明を聞いたのに、直ぐに、それが頭の中から消えていくように、何も考えられなくなる。
とにかくを隠さなければ…というのだけが頭にあった。


「お…大丈夫なのか?」


少し体を横に向けてを隠すように寝ていると、ロイがアイスピッチャーを手に寝室に入って来た。


「…氷貰って来てくれたの…?」
「ああ、参ったよなぁ?肝心なときにフロントも人がいなくてさ?暫く待ってたら、やっと一人戻って来て氷もらってきたよ」
「サンキュ…」
「ああ…いいから、これで冷やせ」


ロイはアイスピッチャーの中に水と氷を入れて、その中でタオルを濡らし、ジョシュの額に置いた。


「あ〜気持ちいい〜…」
「…寝れそうか?」
「うん…これで寝れば…何とか…熱も下がるかな…」
「まあ、一応、明日は休みといっておいた。監督もOKしてくれたよ。助監督まで風邪引いたそうだしな?」
「あ〜…そうなんだ…流行ってるのかな…」


ジョシュは、そんな事を言いながら苦笑すると、「あ…ロイ、もう大丈夫だよ…。俺、このまま寝るからさ…」と声をかけた。


「そうか?じゃあ…俺は部屋に戻るけど…何か欲しいものとかあれば電話しろよ?」
「分かった…。ああ、部屋のドア、閉めて行って…」
「分かってるよ。じゃあ…明日、また様子見に来るからな?安静にしてろよ?」
「ああ、サンキュ…。お休み…」
「お休み」


ロイは、そう言うと寝室を出て行って、ドアが閉まる音がした。
ジョシュは、その音を確認してから額のタオルをアイスピッチャーに戻すと、そぉっと体を起こして布団を捲る。


「おい……?もう大丈夫だよ…」


ジョシュが、そう声をかけると、が真っ赤な顔で布団の中から出てきた。


「はぁ〜〜…苦しかった…」
「…ごめん。大丈夫か…?」


ジョシュは、ちょっと笑いながらの頭にポンっと手を置く。


「だ、大丈夫…。それより…ジョシュは寝てないと…」
「え?あ…おい…」


に無理やり寝かされてジョシュは困ったように眉を下げている。


「ダーメ…っ。まだ熱あるし…。あ、タオルで冷やさないと…」


はすぐベッドから下りると、先ほどロイが持って来たアイスピッチャーの中からタオルを取って水を絞った。


「はい」
「あ…サンキュ…」


にタオルを乗せられ、ジョシュは少し照れくさそうに微笑んだ。


「なあ…」
「ん?何か食べたい…?果物とか買って来ようか?」


は、またベッドの脇に膝をついてジョシュの顔を覗き込んだ。
だがジョシュは顔を顰めて首を振る。


「いい…今は何も食べたくないよ…。それより…」
「何?」
「もう…時間、遅いんじゃないか…?いいのか?帰らなくて…」
「大丈夫よ…?まだ10時だし…。あ…それとも…私がいると寝づらい?帰ろうか?」
「あ…いや…そういうんじゃ…なくて…。変な男が付きまとってるんだし…危ないだろ…?今日は俺、送っていけそうにないしさ…」
「……そんな…心配しないでよ…。大丈夫よ?帰る時はタクシー使うから…」
「でも…」
「いいからジョシュは寝て寝て。早く治さないと撮影出来ないんでしょ…?」


はそう言って布団をジョシュの肩までかけてあげた。
ジョシュは照れくさそうな顔で軽く息をつくと、「…さっきは…ごめんな…?ちょっと言い過ぎた…」と呟いた。


「え…?あ…あれ…?ううん、私こそ…泣いちゃって…」


ジョシュの言葉に、はちょっと驚いたが、自分の泣き顔を見られた事を思い出し頬を赤くして目を伏せた。
その時、また頬に熱い手が添えられドキっとしてジョシュを見る。


「さっき………何で泣いたんだ…?」
「…え…?な…何で…って…」
「俺……のこと…傷つけたかな…」
「ジョシュ……」


ジョシュはそう言って優しい瞳で見つめてきて、は胸がドキドキしてきた。
それと同時にジョシュが気にしてくれてた事に、また涙が零れそうになる。


「そ…そんな事ない…。ジョシュのせいじゃないから…。気にしないで…?」
「そう…?ほんとに…?」
「うん…。ほんと…」


そう言って笑顔を見せると、ジョシュもやっと微笑んでくれて、もホっとした。


「なあ…例の男から…まだ電話とかある…?」
「え?あ…最近は…特にないわ…?もう諦めたのかも…」
「いや…ああいう奴は執念深いから…まだ用心してた方がいい…」
「う、うん…分かった…」


そこはも素直に頷き、ジョシュはちょっと苦笑した。


「何だよ……やけに素直だな…」
「そ、そんな事は…」
「ま、その方が可愛いよ…」
「………………っ?!」


ジョシュの言葉に、は一瞬で顔が赤くなったのが分かり、慌てて横を向いた。


……?どうした…?」
「な…何でもない…っ。それより…ジョシュ、寝ないの…?熱下がらないよ?」
「……何、怒ってんの…?」
「お、怒ってないわよ…」
「怒ってるよ……何?俺、また何か怒らせるようなこと言った…?」
「お、怒ってないったら…っ」


ジョシュの問いかけに、は溜まらず振り返って大きな声を出してしまい、慌てて口を抑える。


「ご、ごめ…」
「何だよ…。びっくりするだろ…?それに怒ってないって言って口調が怒ってるじゃん…」
「ごめん…」
「別に謝らなくてもいいけどさ…」


ジョシュはそう言って微笑むと、の頭をクシャっと撫でた。
それだけで胸がドキっと跳ね上がる。


どうしたんだろう…
これじゃ初めて人を好きになった時みたいじゃない…
恋をするのは初めてじゃないのに…
ジョシュに微笑まれると、胸が苦しくて…
触れられるたびに、頬が熱くて…ジョシュの熱が移ったみたい…


彼の全てが知りたくて…
ずっと一緒にいたくて…
まるで別世界に来たみたいに…ジョシュの傍にいると、こんなに幸せだから…




…」
「…ん?」
「来てくれて…ありがとな…」


ジョシュは半分目を瞑りながら、ゆっくり手を下ろした。
薬が効いてきたのだろう。
力なくベッドに置かれた手を、はそっと握った。


「…そんなのいいから…寝てていいよ…?」
「…ん…。一人で……帰るなよ…?」
「…え?」
「今日…泊ってって…。明日…送るからさ…」
「で、でも…ジョシュ、具合悪いんだからいいよ…」
「いい…から……」
「……ジョシュ…?」


言葉が途切れて、はジョシュの顔を覗き込んだ。
するとスーっと寝息が聞こえて来て、眠ってしまったんだと分かり、はちょっと微笑んだ。


「やだ…寝る時まで心配してるんだから…。ほんと優し……」


そこまで呟くと、自然に涙が零れた。
ポツ…っと一粒、ジョシュの手に涙が落ちる。


「…こんなに優しくされたら…私、どんどん好きになっちゃうよ……?  ―――それでもいいの…?」


は、そう呟いて、そっとジョシュの前髪をはらった。


会ったばかりで…彼のこと何も知らないのに…
あんなに苦手だったのに…
こんなに好きになっちゃって…どうしたらいいんだろう。


ジョシュと一緒にいると、まるで何かに包まれてるように安心してしまう。
ずっと…ずっと心のより所が欲しくて…いつも、どこかで寂しかった。
皆といても…どこかで寂しくて…誰かに助けてもらいたくて…


こんな思いを救って欲しくて…でも好きになった人は手の届かない人…


撮影が終れば、自分の住む場所へ帰ってしまう人――――


そして私は、また、一人残されてしまう…


でも…それまで…ジョシュが帰ってしまうまで…好きでいていい…?


ジョシュは…私にとって…希望の欠片なの…



ジョシュが傍にいてくれれば…私は、もっと強くなれるのに…




知らなかった…


人を好きになって…こんな気持ちがあるってこと…


私、知らなかったよ…。





ジョシュの寝顔を見ながら、は祈るように彼の手を握り締めた―――――











コツコツコツ…


静かなホテルの廊下で靴音が響いた。


その人物は"2618"のドアの前に立ち、そっと中を伺っている。
その時、チーンという音が聞こえ、その人物はハっと顔を上げると、ドアから離れて何事もなかったように歩き出す。


廊下の向こうからはラダが疲れた顔で歩いて来た。


「はぁ…今日も飲みすぎた…」


でも…明日はジョシュが熱を出して休みになったし…少しは眠れそう…


ラダは、そんな事を考えながら自分の部屋まで歩いて行く。
その時、一人の男と擦れ違った。


あれ…今の…誰だろう…
この奥には、うちのクルーしか泊ってないはずだけど…しかも私とジョシュの部屋しかないし…
その前に今の人は見た事がない。
…こんな夜にサングラスに帽子なんて…ちょっと怪しい…


ラダは、そんな事を思いながら後ろを振り返る。
だが、その時すでに、男はエレベーターに乗り込んだ後だった。


「私のファンじゃないでしょうね…」



ちょっと怖くなったラダは急いで自分の部屋へと歩いて行った。

ラダの部屋はジョシュの部屋よりも手前だ。






そのせいで、ジョシュの部屋のドアの下に、白いカードが差し込まれている事には気付かなかった―――――








 





 

 

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Postscript


おぉう、二人急接近ですかね(笑)
いや〜ジョシュのに微笑まれたら、その場で失神か
涙でるでしょうねぇ(笑)
きっとハートに矢が刺さっちゃいそうです(笑)
あ、いやもう嫌ってほど刺さってるかも(汗)
えぇ、そりゃもう落ち武者か私かってなくらいね(苦笑)(何だよそれ)


本日も皆様に楽しんでいただければ幸いです。
日々の感謝を込めて...


【C-MOON...管理人:HANAZO】