貴方は こんなにも遠すぎて 全てが 悲しかった
貴方の傍にいるもの 全てが憎かった
美しいままの君を そのまま 闇に連れ去りたい
新しい血が流れないように
僕の傍に来て……
「寒い…」
は首をすぼめて空を見上げた。
ここ三日ほど降り続いている冷たい雨が、より一層、の心を沈ませている。
「はぁ…」
何度、こんな風に溜息をついた事だろう。
あの夜から…
傘に当たるポツポツっという雨音を聞きながら、は寮の前まで歩いて来た。
そしてエントランス前に立っている人を見て思わず足を止める。
「、お帰り」
「アレックス……?」
が少し警戒しながら後ろに下がると、アレックスも苦笑いを浮かべる。
「おい…そんな警戒するなよ。何もしやしない」
「何の…用?」
「ちょっと…心配でさ」
「え……?」
アレックスの言葉には眉を寄せたが、彼は真っ直ぐの元へ歩いて来た。
「聞いたんだ。この間の夜、大変な目に合ったって?」
「あ……あれは……」
あの夜の事を言われては少し俯いた。
「学内で噂になってるんだ。レザーが警備員に掴まったって。それはが原因だってさ…」
「ち、違うの!あれは誤解で……っ」
「ああ、そうだってな?レザーも、そう言ってネタにしてたみたいだったけど…。でも、まだストーキングはされてるんだろう?」
「…………関係ないでしょ?」
はそう言ってアレックスの横をすり抜けようとした。
だが不意に腕を掴まれる。
「待てよ。関係あるだろ?俺の事も疑ってたんだからな?」
「離して!こんな事するから疑われるのよ?」
「、俺じゃない。俺が君の事を追い詰めるはずないだろう?!」
「信じられない……」
「…っ」
「あいつは……私の事を全て知ってる…っ。家の事も、私が何に悩んで、何を望んでるのかって事も…!」
が、そう叫ぶとアレックスは、そっと掴んでいた腕を離した。
「そっか…。だから…俺の事も疑うんだな…?俺も……君から聞いて全てを知ってるから…」
「………………」
何も答えず頑なな態度で顔を反らしているを見て、アレックスは溜息をついた。
「分かったよ……。信じてくれとは言わない。でも心配するくらいいいだろ?俺は君の事を、まだ忘れていない…」
「私は…忘れたわ?」
「…っ!俺は…君を守りたいだけなんだ…。まだ他にもを狙ってる奴がいる…。だから…」
「私にはマイケル達がいるから大丈夫よ?」
は、そう言うと顔を上げてアレックスを見上げた。
「心配なんてしなくていい……」
「……」
「それじゃ…」
は、そう言うと寮に入ろうと歩き出したが、その後ろからアレックスが追いかけて来る。
「おい、何も分かってないんだな?!君と同じ経営学のピートだって怪しいんだぞ?!」
「……………っ」
その名前を聞いては足を止めた。
そして、ゆっくりと振り向くと、ジっとアレックスを見据える。
「…どうして…彼の事を知ってるの……?」
「…それは……」
の言葉にアレックスは視線を反らして言葉を詰まらせた。
「ピートの事はマイケル達しか知らない事よ?どうして、あなたが知ってるのよ?」
のストレートな問いにアレックスは一瞬、"しまった…"という顔を見せたが、軽く息をついて肩を竦めた。
「分かった…話すよ…」
そう呟き、アレックスは、もう一度の前に歩いて来ると、「ゆっくり話せるところへ行こう?」と言った。
それにはも一瞬、顔を強ばらせる。
「ここでいいわ…?」
「別に何もしない。それに俺、雨に濡れて寒いんだよ。そこのカフェに行って話そう?」
アレックスは、そう言っての手を掴むと、大学近くにあるカフェへと歩き出した。
それにはも迷ったがカフェなら人もいるし…と仕方なくついていく。
「ちょ…ちょっと手、離して…」
「そしたら俺から離れるだろう?雨に濡れたくないしな」
アレックスは、ちょっと笑いながら、そう言うとの手から傘を取り、代わりに持って歩いて行く。
その強引さには溜息をつくと、「10分だけよ?話を聞くのは…」と呟いて、そのままアレックスに手を引かれて行った。
「あれ…?今のちゃんじゃないか?」
「え…?」
ニックの言葉にジョシュは体を少しだけ起こした。
午後、大学での撮影があり、今、車で到着したところ。
少し寝不足で移動中シートを倒して横になっていたジョシュは小さく欠伸をしながら、窓の外を見た。
「どこ?」
「いや、もう見えなくなったけど…男と一緒だったな…」
ニックは少しだけ顔を横に向けてが歩いて行った方向を見ている。
「男?」
「ああ」
「あの幼なじみとかって奴じゃないか?マイケルっていう…」
「いや彼じゃなかった。彼なら俺だって顔は知ってるし。見た事ない奴と相合傘で手を繋いで歩いてたぞ?」
「…へぇ…」
ジョシュは片方の眉を少しだけ上げると、気のない返事で、また横になった。
それを見てニックがニヤリと笑う。
「気になるのか?」
「……は?何で俺が……」
「今、そんな顔しただろう?」
「……してないよ…。だいたい何で彼女が知らない男と歩いてるってだけで気にするんだ?」
「さあ〜な〜?」
ニックは意味ありげな顔で、そう言うと車を駐車場へと入れて停車した。
「さて、と。着いたぞ?大学での撮影も久々だろう?」
「ああ…。でも…雨だし、どうせ中止だろ?」
「そうかもしれないけど一応、連れて来いって言われてるんでね」
ニックは、そう言うと携帯を取り出して誰かに電話をかけ始めた。
「あ、ニックです。ジョシュ連れて来たんですけど予定はどうなってます?
はい…はい…え?あ、そうですか。分かりました。じゃ、後ほどそっちへ行きます、はい」
撮影スタッフにかけたのだろう。
ニックは電話を切ると軽く息をついてジョシュの方を見た。
「移動だってさ?」
「え?ああ、この雨だから、どこか屋内でってこと?」
「そうらしい。ま、まだ用意出来てないから、一時間ほどしたら来いって」
「ラッキー。少し寝れるな?」
ジョシュは、そう言うと被っていたキャップを脱いで顔に被せた。
だがニックがそれをサっと奪い、自分の頭に乗せる。
「おい、ニック返せよ……」
「嫌だよ。寝られたら俺、暇じゃん」
「はあ?!お前の相手する為に起きてろって?どんなスタッフだよ、それ…」
ジョシュは思い切り顔を顰めてニックの横腹に軽くパンチをいれる。
それにはニックも大げさに、「アゥチっ」なんて言ってホールドアップした。
普段でもジョシュとニックは、こんな事をやりながらジャレてはいるが、今日のジョシュには、そんな気分にすらならないようで、
かかって来いのポーズを取っているニックをチラリと横目で見ると思いきり体を横にして背中を向けてしまった。
それにはニックも悲しげな顔で、ジョシュを揺さぶり出す始末。
「お〜い、ジョシュ〜構ってくれよぉ〜」
「…………………」
「なぁ〜ジョシュってば〜〜」
「…………………」
「ジョーシュくん?起きて? ――――あ、ちゃんだっ」
「…………………………ぇ?」
ジョシュは少しだけ顔を上げた時、ニックがニヤリと笑った。
「うっそーーん!」
「な………っ」
ニヤニヤ顔のニックと目が合い、ジョシュは顔を赤くして怖い顔をした。
「あらら〜?彼女が通れば起きてくれるのか〜い?」
「うるさい!いい加減にしろよ?!」
ジョシュは耳まで赤くしながら顔を背けると、またシートに横になってニックに背中を向けてしまった。
「おい、ジョシュ〜お前やっぱりちゃんのこと気になってるんじゃないの〜?」
「…………………」
「あれれ……。また無視ですか……」
「…………………」
無言のまま背中を向けるジョシュに、ニックも溜息をつくとシートに凭れて煙草に火をつけた。
「はぁ〜そんな怒るなよ〜…。ほんとジョシュってジョークも通じないんだからさぁ〜」
ブツブツと言いながらニックは車の窓を少し開けて外へ煙を吐き出している。
それさえも無視してジョシュは黙って目を瞑っていた。
それをチラっと見ながらニックは苦笑を洩らすと、また一人で話し出した。
「そうだ…。ちゃんと言えばさぁ…。あのストーカーどうなったんだろうなぁ?まだ続いてるのかな…」
「………………っ」
「ジョシュのとこにも来たじゃん。薔薇とカード!いやぁ、あん時は驚いたけど最近は、そんな事もなくなったよなぁ?」
「……………………電話来たよ…」
「でも実際、ほんと怖…………え?なんつった、今?」
今まで黙っていたジョシュがボソっと答えた言葉に、ニックは目を丸くした。
そして、そのまま固まったようにジョシュの背中を見ている。
その気配に気づいたジョシュは軽く息をついて、ゆっくり体を起こすと、シートを直して凭れかかり前髪をクシャっとかきあげた。
「はぁ……だから…ストーカーくんから電話が来たっつったんだよ……」
「…………………っ」
今度はニックが黙る方だった。
いや黙る…と言うよりは言葉を失ったと言った方が早いかもしれない。
目を丸くして口をポカンと開けているからだ。
そんなニックの顔を見て、ジョシュはプっと噴出した。
「何だよ、その顔……。アホっぽいぞ?」
「…な……何、呑気に笑ってんだ……?」
「あ?別に呑気なわけじゃ…」
突然、答えたニックに、ジョシュは苦笑すると、いきなり腕を掴まれた。
「け、警察行こう!」
「はあ?!」
「ま、まずいよ、それ!ストーカーから電話なんてさ!だって、そいつは、あの子が目的なんだろう?!ジョシュは関係ないのに電話までしてくるなんて…!
だ、だいたい番号だって、どこから調べたんだ?おかしいよ…絶対、危ないって、そいつ!」
「ちょ…ニック少し落ち着けって…!」
疲れている腕を揺さぶられガクガクしながらジョシュは慌ててニックの手を離した。
だがニックは興奮したように頭を掻き毟ると、「これが落ち着けるか!」と怒鳴っている。
それにはジョシュも呆気に取られて溜息をついた。
「ニック……。別に電話がかかってきただけだって。何かされたわけじゃない」
「何かされてからじゃ遅いんだよ!な?悪い事は言わないから警察に行こう。それと、もう彼女には近づくな。分かったか?!」
「彼女のせいじゃないだろ?」
「それは分かってるよ!でも、あの子に近づけば、もれなくストーカーがついてくるんだぞ?!」
「プ…っ。それ面白いな?ニック」
「笑い事じゃなぁぁーーーい!!」
ジョシュが笑っていると、ニックは顔を真っ赤にしながら怒り出した。
それにはジョシュも手で口を抑えて肩を竦める。
「悪い…」
「ったくぅ…!ジョシュは、ほんとに呑気なんだから!それに変に優しすぎんだよっ。特に親しいわけでもないロケ先で知り合ったってだけの子に、
変に同情するから、こんな危ない目にあうんだろ?もっと自分の立場を考えろよっ」
ニックは少し真面目腐った顔で、そう言いながら頭を抱えているが、ジョシュは少しだけ顔を顰めて俯いた。
「同情したわけじゃないよ……」
「え……っ?」
そう…別にに同情したわけじゃない。
ただ……そう、ほんとに、ただ心配だっただけなんだ。
俺より3つ年下の女の子…
普段はやたらに気が強いクセに、本当は凄く怖がりで寂しがり屋な…そして優しい…
そんなに興味を持った。
怖い思いをしてると知った時、自然と守って上げなくちゃ…なんてガラにもなく思っただけだ。
それは……
心配だったから―――
そう、ほんとに、それだけ。
「おい…ジョシュ……?」
ニックが心配そうな顔でジョシュの肩に手を置いた。
ジョシュはちょっと微笑むと、ニックを見て肩を竦めて見せる。
「ほんと…同情とかじゃないから…困ってるんだよな?」
「ジョシュ……お前……彼女が好き……ってわけじゃないよな……?」
「バカ。そんなんじゃ……」
「た、確かに可愛いよ?だけど…っ」
「ニック…ほんと、そんなんじゃないって。それに俺は今、そういう状態じゃないだろ?」
「そりゃマリアさんと別れたばかりだから?」
「そう、それもある。それに撮影の事でも頭がいっぱいだってこと!」
ジョシュは、ちょっと笑うと時計を見た。
「ほら、そろそろ行かないと。道が混んだら大変だぞ?」
「え?あ、ああ。そうだな…」
ニックも、そこで時計を見て頷くと車を静かに発車させた。
ジョシュは、そっと窓の外を眺めて校内を見渡す。
雨の中、傘をさしながら楽しそうに歩いている数人の学生を見ながらジョシュは軽く息をついた。
知らない男と一緒に手を繋いでた……か。
また変な男じゃなきゃいいけど。
どうも、あの子は変な男にモテるからなぁ…
そんな事を考えて、ふと笑みを洩らしながら、ジョシュは静かに降る雨を眺めていた。
「え……?後をつけた……」
は紅茶を飲む手を止めて目の前のアレックスを見た。
アレックスは何だか落ち着かないようにソワソワしながらもから目を反らしている。
カフェの中は雨だからか大勢の学生が来ていて賑やかだった。
だからか二人の会話も聞かれる事はない。
「どういうこと?」
静かにカップを置くと、は声を震わせた。
それにはアレックスもチラっと周りを見渡し、息をつく。
「だから…さ…。ここんとこ……俺、が出かける時、後をつけてたんだ…。毎日じゃないけど……」
「な……じゃあ、やっぱり、あなたが…」
「ち、違う。それは違うって。俺はストーカーじゃない…っ。いや…まあ後をつけたんだから似たようなもんかもしれないけど…
でも声を変えて電話までしてないよっ」
アレックスは慌てて、そう言うと、の手をギュっと握った。
それをすぐに離して、はキュっと唇を噛み締める。
「そんなの信じられない…。後はつけた。でも電話ばしてない?こんな言い訳、誰が信じると思う?」
「…本当だって…。そんな回りくどい事なんて俺はしない…っ」
「じゃあ…どうして後をつけたりしたの?回りくどい事をしないなら話し掛けてくるはずでしょ?」
がきつい口調で、そう言うとアレックスは肩を落として椅子に凭れかかった。
さっきから取り出しては箱に戻すという事をくり返している煙草を、そっとテーブルに置く。
「だから……確めようと思って…さ……」
「確める?何を?」
少しイライラしたようには身を乗り出した。
そんなをチラっと見たアレックスは諦めたように息をつくと自分も少しだけ身を乗り出しテーブルに肘をつく。
「…………に…本当に新しい恋人が出来てないか…って事さ……」
「恋人……?いないって言ったでしょ?」
「ああ、でも嘘かもしれないって思ったんだ。だから……後をつけて誰かと会うかどうか…確めたって言うか…さ…」
それを聞いては思い切り溜息をついた。
するとアレックスは慌てたように、「だ、だけど俺の他にもをつけまわしてる男がいたんだよ…っ」と言い出し、は眉を寄せた。
「……それって……」
「ああ、さっき言っただろ?ピート・ラングさ……。と同じ経営学取ってる…」
「……………っ」
アレックスの言葉に思わず息を呑み、は軽く目を閉じた。
まさか…彼が……?
でも…あんな気弱そうな感じなのに…
ううん…見かけじゃ分からない…
デートを断った日、彼は私が一人になるまで後をつけていたようだったし、あの、しつこさには正直ゾっとした。
あの時、ジョシュが通りかかってくれなかったら……と思うと怖くなる。
ジョシュ……
彼の事を思い出すと胸がかすかに痛む。
あいつがジョシュにまで脅迫めいたカードや電話をしていたと知った時、私は申し訳なさでいっぱいだった。
彼に迷惑をかけないよう、もう近づかないとまで決めて…
でも……一人になれば頭に浮かぶのはジョシュの事ばかりで嫌になる…。
ここ最近、溜息の数が増えたのは彼に会えないから―――
「おい…………?」
が黙っていると、不安に思ったのかアレックスが声をかける。
するとが、ゆっくりと目を開けた。
「もう……私の後をつけてきたりしないで……」
「わ、分かったけどさ……。でも危ないだろ?あいつがストーカーかも…」
「今度から気をつけるわ?なるべく一人で出歩かないようにするから」
の口調は冷ややかだった。
怒る気力も失せたという事かもしれない。
だがアレックスは、まだ諦めきれないのか、テーブルに置いた煙草へと手を伸ばし、それに火をつけながら店内を見渡している。
「ちょっとアレックス……聞いてるの?」
「…っ」
「キャ…何よ……っ」
突然、アレックスに手を握られ、は体を固くして手を引っ込めようとした。
だがアレックスは顔を近づけてくると、「あいつだ…。あいつが、この店に来てる…っ」と小声で言った。
「え?あ、あいつ……?」
は握られている手を離して首を傾げる。
するとアレックスがチラっと目配せをした。
それにあわせ、その視線の方ヘ、もそっと目を向けてみる。
「あ……」
達の座っている席が窓際に対し、店の置くの小さな席には、今、話に出ていたピート・ラングが一人で座りコーヒーを飲んでいる。
「あいつ…きっと俺達の後をつけて来たんだ…っ」
「嘘……気づかなかったけど……」
は少し怖くなって視線を戻すと俯いた。
するとアレックスは吸っていた煙草を灰皿に押しつぶし、椅子から立ち上がった。
「出よう…」
「え?」
急に手を引っ張られ、は驚き顔を上げる。
「寮まで送るよ。も一人で帰るの怖いだろ?」
「アレックス……」
「あいつが、そのストーカーなのか知らないけどさ。俺だってを守りたいと思ってるんだ…」
アレックスは昔のように優しく微笑むとを立たせてレジの方に歩いて行く。
それについて行きながらチラっとピートの方を見れば、彼もまた慌てて席を立っているのが見えた。
(ほんとに…彼も私をつけまわしてるの……?)
ふと薄ら寒くなり、は思わずアレックスの手をギュっと握ると、彼が驚いたように振り返った。
だがピートが席を立ったのを見て急いで支払いを済ませると、の手を引いて店の外へと出る。
「…後ろ見るなよ?」
「う、うん……」
頷きながらも背中に全神経が集中してるようで、は鼓動が早くなってきた。
黙ってアレックスに連れられるまま、大学の方に歩いて行く。
すると少しだけアレックスが足を緩めた。
「なあ、……」
「え……?」
「俺は…本当にストーカーなんてしてない…。それだけは信じてくれないか…?」
「アレックス……」
「マイケルは俺だと疑ってるみたいだけどさ…。でもにだけは信じてもらいたいんだ…」
アレックスは真剣な口調で、そう言うと、ふと思いついたようにを見た。
「もしかしたら…」
「え……?」
「ああ、いや…俺が…最近をつけてた時……もしかしたら、そのストーカーの事を見かけるくらいはしてたのかもって思ってさ」
「あ……」
「ピートが、そうなら俺はちゃんとをつけてるのを見てるし証言できるだろ?
でも、もしピートじゃなかったとしても…他の"誰か"を、どっかで見かけてるかもしれない…」
アレックスは、そう言うと少しだけ考え込んでいるようだった。
「……!!」
「…………っ?」
その時、大学の方からマイケル達が走ってくるのが見えては驚いてアレックスの手を離した。
「このやろう!まだにつきまとってるのか?!」
「ちょ…マイケルやめて!」
アレックスに掴みかかったマイケルに、が慌てて間に入った。
「違うの…!ちょっと話してただけよ?」
「でも…!」
「おい、マイケル、やめとけ」
後から走って来たレザーもマイケルの腕を掴んでアレックスから離した。
「相変わらずのナイト気取りか?」
「何だと?!」
「アレックスも…やめてよっ」
は二人が睨み合ってるのに困って、そう怒鳴ると、アレックスは肩を竦めて苦笑した。
「こいつらが来たなら大丈夫だろ?じゃ、俺は行くよ」
「あ、アレックス…あの…」
何て声をかけようかと思ったが、アレックスは手をヒラヒラ振りながら歩いて行ってしまった。
それを見ながらマイケルは顔を顰めるも、怖い顔でを抱き寄せる。
「何やってんだ?あいつと一緒にいるなんて…!寮の奴に、アレックスと二人で歩いてたって聞いて凄い心配したんだぞ?!」
「ご、ごめん……。ちょっと話があるって言われて……」
「だからって…」
「でも…アレックスも、そんな悪い人じゃなかったわ……?」
は顔を上げて、そう言うとレザーもメグも困惑気味に顔を見合わせている。
「……あいつと…何話したんだ……?」
マイケルは少し怖い顔でに問い掛ける。
それにはも軽く息をついて、「寒いし…私の部屋に行きましょ……」と言って寮の方に歩き出した。
それを見て3人も仕方なく歩き出す。
その時、はチラっと後ろを振り返ると、そこにピートの姿はなかった。
「何だって?!ピートって…あいつか?!」
「うん……」
は紅茶を一口飲んで小さく頷いた。
レザーもメグも驚いたままを見ている。
「くそ…!あいつ、まだ諦めてなかったのか…っ!」
マイケルは苛立ちを隠そうともせず、ソファーから立ち上がってガンっとダストボックスを蹴り倒した。
「ちょっとマイケル……暴れないでよ…」
「メグは黙ってろよ…っ。それにしてもアレックスの奴だって…の後をつけてた?やっぱり、あいつがストーカーなんじゃないのか?!」
「マイケル…それは違うと思うわ…?」
「どうしてだよ?!」
の言葉にマイケルは驚いたように隣に腰をかけた。
するとは少し考えながら、「何だか…彼の言った事は本当のような気がして…」とだけ答える。
それには3人とも溜息をついた。
「また、そんな簡単に…わざと、後をつけてた事だけ話したかもしれないじゃないの」
「そうだぞ?は簡単に人を信用しすぎだ」
「全くだよ……。あいつだって急に、そんなこと言い出すなんて変だろ?」
「で、でも……」
3人に責められ、は困ったように俯いた。
だいたい、いつも4人で話すと、皆の押しの強さに負けてしまうのだ。
「とにかく…もうアレックスとは二人だけでは会うなよ?」
「……ぅん。分かってる……」
「ん。なら、よし」
マイケルは、そう言うと、ちょっと微笑んでの頭を優しく撫でている。
それを見ながらレザーもメグも少し呆れ顔だ。
「全く……ほーんと過保護」
「だな?」
「うるさいぞ、二人とも」
「「はいは〜い」」
仲良く一緒に返事をした二人に、やっとも笑顔を見せた。
「そうそう。は、ずっと笑ってろよ?」
「ありがと。レザー」
レザーの言葉に素直にお礼を言うと、は、ふとアレックスが言っていた事を思い出した。
「でも…あいつが、もしピートじゃなかったとしても…アレックスは本当のストーカーを見てるかもしれないって言ってたわ?」
「ああ…をつけてた時にか?でもピートだけだったんだろ?何度も見かけたのは…」
マイケルは顔を顰めながら、そう言うとコーヒーを一口飲んでを見た。
だがは軽く首を振って、「分からない……。アレックスも考えてるようだったけど…」と呟く。
「でも、その状況じゃ絶対ピートが怪しいだろ?あいつ…カフェにもいたって?」
「うん…。全然、気づかなかった…」
「まあ、あいつ、元からいるかいないか分からないくらい印象薄い奴だしな〜あはははっ」
「もう、レザー?!」
呑気にケタケタ笑っているレザーを、が軽く睨むと、「おっと、ごめんよ?BABYDOLL」と言って手で口を軽く抑えている。
それにはメグも苦笑いだ。
「でも…今度からほんと気をつけないとね?私もなるべくと一緒にいるわ?」
「ありがとう、メグ…」
「俺もいるよ。バイト減らしてもいいしさ」
「えぇ?それはダメよ、マイケル……」
「いいんだって。どうせ金が欲しくてやってるバイトじゃないしな」
マイケルはそう言って笑っている。
それには困ったようにも微笑んだ。
「ま、とりあえずさ〜。何か食いに行かない?俺、腹減っちゃったよ」
レザーがそう言いながら立ち上がると大きく伸びをした。
それに続いてメグも立ち上がる。
「そうよ。行こう?美味しいもの食べても元気出してよ」
「う、うん……」
「よし!じゃあ久々に"クラフト"でも行くかっ」
マイケルも元気よく立ち上がると、そう言ってを引っ張った。
その時、外の雨は激しさを増して窓に強くうち付け始めていた。
「うわ〜びしょ濡れ!最悪だよ…っ」
ジョシュはそう言いながらロケ車の中に飛び込んだ。
スタッフから手渡されたタオルで濡れた髪や、顔、服を拭きながら椅子へと座る。
「うひゃ〜すっげーどしゃ降りだな〜っ」
「あ、ニック、タオル」
「あ、サンキュ!」
ジョシュが放ったタオルを受け取り、ニックも体を拭いていく。
「これじゃ、また風邪引きそうだよ……」
少し寒気がしてジョシュが体を震わせると、ニックが着替えを持って来た。
「ほら着替えた方がいい。また熱出されても困るしな?」
「ああ、サンキュ〜。はぁ…もう雨は勘弁して欲しい…」
「全くだな?これじゃあ、いつまで経ってもロケ終わらないよ」
ニックも苦笑いしながら同じく濡れて戻って来た他のスタッフに新しいタオルを渡している。
ジョシュは濡れた服を素早く脱ぐと、ニックから渡された着替えを手にした。
「あら、いい格好ね?ジョシュ!」
「ほーんと!セクシーよ?」
「おい、見るなよっ」
女性スタッフに、からかわれてジョシュも慌ててトレーナーの上下を着込むと他のスタッフからも笑いが起きる。
「おいおいジョシュ〜!サービスしすぎだぞ?金とれ、金!」
「バ…バカ言ってんなよ…?」
ジョシュは少し顔を赤くして最後にパーカーを羽織った。
(ったく…人が凍えそうだってのに…)
ちょっと呆れつつ曇った窓を指で拭けば真っ暗な中に大粒の雨が降っているのが分かる。
「あ〜あ〜これじゃあ明日のロケも延期か…?」
そんな事を呟きつつ煙草に火をつけた。
そこに携帯が鳴り響き、ディスプレイを確認すると、非通知という文字が目に飛び込んでくる。
それを見てジョシュは少し緊張した。
(もしかして…。あいつか……?また彼女に何か…)
そんな事が頭に過ぎり、急いで通話ボタンを押した。
「Hello?誰?」
『………………あ…ジョシュ…?』
「…マ、マリア……?」
それはマリアからでジョシュは一気に緊張がほぐれた。
「何だ…焦った…」
『え?あの……』
「ああ、悪い。こっちの話。で…どうした?」
『うん、あの…今…大丈夫?』
「え?ああ、大丈夫だけど…」
『そう?なら良かった…。さっき電話出た時のジョシュ、凄い怖い声だったから、もしかして仕事中かと思ったの…』
「あ……ごめん…」
『ううん、こっちが急にかけたんだし…』
いけね…つい、あいつかと思って声も普段より強い口調で出てしまった…
「いいんだ。で、どうしたの?何かあった?」
『うん。あのね、この前のことだけど…』
「ああ…うん」
『もう行けそうなの。ジョシュの方は大丈夫かなと思って……』
「え?あ…ああ…。大丈夫だよ?そんな時間は取れないかもしれないけど…今こっち雨続きでさ。ロケも出来そうにないんだ」
『そう……大変ね…』
「まあ…。あ、じゃあ来る日が決まったら電話してくれるか?」
『ええ、もちろん。それじゃ…また』
「ああ、またな?」
そう言って電話を切ると知らず溜息が洩れる。
そこにニックが訝しげな顔で歩いて来て隣に座った。
「おい、ジョシュ…」
「ん……?」
「今の…マリア…さんか?」
「ああ、そうだよ」
「何だよ…。ヨリ戻したのか?今の口ぶりじゃ会う約束してるって感じだったけど…」
「違うよ。ヨリは戻してない。まあ…会う事は会うけどさ」
ジョシュはそう言って、ちょっと肩を竦めると煙草を消して息をついた。
ニックは変な顔で首を傾げている。
「何で会うんだ…?」
「ん?ああ…何だか俺に返したいものがあるんだって。それと…家に忘れ物したからって合鍵渡すんだ」
「へぇ…でもさ…家は解約したんだろ?まだ荷物あんの?」
「ああ、少しはね。でも俺も、こんな仕事してるし不動産屋の人も、まだ置いておいていいって言うからさ」
「そっかぁ……。ま、帰ったら、まずは家探しか?」
「だな?気分転換になるよ」
そう言ってジョシュが笑っていると、ニックが突然ニヤっと笑った。
「何だよ。その顔……」
「いや…今、思ったんだけどさ」
「何を?」
「マリアさん…何か返しに来るって言うけど…実はそれ口実じゃないか?」
「は?何で?」
「いや、だからジョシュに会いに来る為のさ。ほら、素直にやり直したいって電話じゃ言えないから会いに来て言う気かも……」
「まさか!そんな女じゃないよ」
ジョシュはニックの言葉に苦笑しながらタオルで、まだ濡れている髪を拭いている。
だがニックは口を尖らせ、「そうかぁ?女って、そういうもんじゃない?」なんてブツブツ言っている。
その時、車はゆっくりと動き出し、ホテルへと走り出す。
流れる景色を見ながらジョシュは、ニックの言葉に少しだけドキっとしていた。
一瞬…俺もそうなんじゃないかって考えた。
でも…きっと違う。
彼女は、そう思ったのなら電話であろうと素直に言う筈だ。
今度、会いに来るのは……完全に終わらせる為だろう……
「なぁ、ジョシュ…」
「ん?」
拭き終わったタオルを前のシートにポンっとかけるとジョシュはニックを見た。
「さっきの話だけどさ…」
「さっき?ああ、マリアのこと?」
「いや、マリアさんじゃなくて……」
「じゃあ…何の話だ?」
「だから……ちゃんだよ」
「え?」
いきなりマリアからの話に変わり、ジョシュは少し驚いた。
「何だよ、いきなり…。彼女がどうかしたか?」
「ほんとに……気になってない?」
「は…?気になるって……。さっきも言ったけど俺はさ…」
「"心配してるだけ"…か?」
「ああ、そうだよ」
「でもさ、好きだから心配って事もあるぞ?」
「………………」
ニックの言葉に一瞬言葉を失ってジョシュは視線を反らした。
「あ、図星?」
「バカ、違うよ。そうじゃなくて……」
「じゃあ何だよ?」
「よく……分からないんだ……」
「何が?」
「だから……」
「ああ、ちゃんの事を好きか、どうかってこと?」
「……って言うかさ…」
またしても言葉につまり、ジョシュが頭をかくと、ニックが背中をバンっと叩いた。
「もう!煮え切らない奴だな!どっちなんだよっ」
「ったいなあ!何も叩かなくてもいいだろ?!だいたい何で、そうニックは彼女に拘るんだよ?!」
「俺が拘ってるって言うより、ジョシュが気になってる風だから聞いてるんだろ?!」
「気になってなんかないよっ」
「あーーっそ!じゃあ彼女の身に何か起きても放っておけるんだな?」
「な……っ。何かって何だよっ」
「だからストーカーに攫われたりさ!襲われたり?それでも放っておけるんだな?」
「ぅ……っ」
ニックの言葉にジョシュは何て答えていいのか迷っていたが、思い切り溜息をつくと、
「そんなの………放っておけるはずないだろ………?」
と呟いた。
それにはニックも顔を顰める。
「おいおい〜それじゃあダメだよ、マズイよ…」
「は?お前、薄情な奴だな?危険な目に合ってる女の子を放っておけって言うのか?」
「そうじゃなくてさ…。もし、そういう状況になったらジョシュが助けに行くだろがっ」
「当たり前だよ。知ってて知らんぷりなんて出来ないっ」
「そんな事したらジョシュまで危険な目に合うだろ?そうじゃなくて!そういう事は警察に任せておけって言ってんの!」
「警察が動いてくれるなら彼女だって、あんなに怖い思いしなくて済んでんだよっ。動いてくれないから、あんな目に合ってるんだろ?」
「だからさ〜もっと証拠を集めるとかして警察に行けば大丈夫だって。そう彼女に助言してやれよ。年上だろ?ジョシュは」
「………お前にだけは言われたくないね……」
「そこでスネない!」
ニックはジョシュの額を軽く小突くと、苦笑しながら、
「俺だって彼女のことは可愛そうだなって思うけどさ。他人がやってあげられる事って限られるんだよ…。関らない方がいいって。恋人でもないんだしさ」
ニックはそう言うとジョシュの肩をポンポンっと叩いて席を立ち後ろへ移動していった。
後ろまで二人の言い合いが聞こえたのか他のスタッフから、
「おいおい〜。"彼女"って誰だよ〜!ジョシュと女の取り合いでもしてるのか?無謀なことはやめとけよ?」
なんて、からかわれている。
そんな会話を聞きながら、ジョシュは軽く溜息をついた。
「恋人でもないんだから……か…。分かってるよ、そんな事くらい…」
だけど……もし彼女が俺に助けを求めてきたら……俺はきっと彼女を助けたいと思うだろう。
だって……放っておけないよ…
ましてや警察に任せればいいなんて……
いや…全く知らない子なら、それでいいのかもしれない。
だけど…彼女…は違う。
もう俺の中で"全く知らない子"ではなくなった。
確かに友達なのか何なのか、よく分からない関係だったりするけど…
少しでも俺に元気をくれる子だって事だけは確かだ。
そんな子を放ってなんておけるかよ……
そんな事を考えていたら、ふとの声が聞きたくなった。
彼女はもう寝てるだろうか…。
ジョシュは窓に打ち付けてくる強い雨を見ながら、頬を膨らまして怒っているの顔を思い出し、ちょっとだけ笑顔になった。
「チ…っ、さっきより強くなってやがる……」
アレックスは行きつけのバーから出ると大粒の雨を見て顔を顰めた。
「くそ…傘なんて持ってないし…仕方ない…走るか……」
そう呟いて愛車が止めてあるバーの裏手にある駐車場へ走り出した。
来ていたジャケットを頭から被り、顔に打ち付けてくる雨に目を細める。
ったく…このアルマーニのジャケット高かったんだぞ…?
こんな濡れちゃクリーニング出しても生地がイカレてそうだ。
アレックスは前もよく見えないまま道を走って行く。
それにしても……の奴、どうして電話に出ないんだ…?
まあ、後でもう一度かけてやらないと…
そう…さっきの話で俺は、よく思い出してみた。
の後をつけている時、ピートの他に見知ってる奴を見かけたことがないかどうか…
そして…思い出した。
そうだ…"あいつ"も何度か見かけたことがある。
毎回という訳じゃないが偶然にしちゃ多い回数で……
あまりに意外な奴で思い出しもしなかったし、ストーカーに結びつけた事もなかった。
だって"あいつ"は………
そう思った時、駐車場が見えてきてアレックスはポケットの中に入れてある車のキーを捜した。
リモコン式なので遠くからでも車の鍵が開けられる奴だ。
「クソ……どこだ?」
なかなか見付からないキーを捜しながら駐車場入り口で立ち止まった。
そこは無人だからか入り口も薄暗く、この大雨でよく見えない。
アレックスはイライラしながらポケットを漁り、そして固いものが手に触れた。
「あ、あった……っ」
ホっと息をつき、キーを取り出すと自分の車の方向へ向ける。
リモコンボタンを押して静かな駐車場にカチっという鍵の開いた音が響いた時、突然、目の前から眩しいライトで照らされた。
「う…何だ…?!」
アレックスは目を細めて前方に視線を向けるが、この大雨と、暗い中、突然付けられたライトのせいで、目がかすみ、よく見えない。
「ちきしょう…。誰だよ!ライトを消せ!」
苛立ち紛れに、そう怒鳴るも、その声すら雨音で、よく聞こえないほど。
仕方なくアレックスは自分の車の方に歩き出した。
その瞬間、ブォォン!というエンジン音が聞こえてドキっとして足を止める。
その時、アレックスは信じられないものを目にした。
目の前のライトが突然、自分の方に凄いスピードで向かってきたのだ。
「な…何だよ…!おい!人がいるんだぞ?!スピード落とせ!」
そう怒鳴ってみるも、アレックスは驚いたあまり、その場に立ちすくんで動けない。
その間もそのライトはアレックスに向かって来ていた。
「おい、やめろ…!おい……!」
眩しさのあまり両手を顔の前に翳した。
ドン………ッ!
鈍い音が辺りに響き、その車は勢いよく駐車場から走り去って行った。
道端にはアレックスの羽織っていたジェケットが落ちている。
だが、もうアレックスにはジャケットの事を気にする必要などなくなっていた―――
「ふぅ……スッキリした……」
はバスルームから出て来ると髪を拭きながらベッドへと腰をかけた。
皆とレストランに行って、先ほど帰って来たのだ。
4人で騒いでいたら少しは気分も明るくなった気がする。
「あ〜もう12時半か…。寝ようっかな……」
そう呟きながら、そっとカーテンを捲ってみた。
雨は、まだ勢いよく降り続けている。
「こう毎日降られると…さすがに気が滅入るわね…」
またカーテンを閉めると、はベッドに横になった。
今日は…あいつから何もなかったし良かった……
もしかしたら……アレックスの言う通り、ピートなのかもしれない…
今日、私がアレックスといる所を見て諦めたのか…それとも…
最初のカードが届いたのはアレックスと別れた直後だった。
もし彼と、あのまま付き合っていたら…どうだったんだろう…
ふと、そんな事を考えて苦笑した。
「浮気されて付き合っていけるはずないわよね…」
そう…どっちにしろ彼とは長く続かなかっただろう。
「さ、寝よ…」
髪を乾かすのも面倒で、よく拭いた後、はすぐにベッドに潜り込んだ。
そして静かに目を閉じると、今日もジョシュの優しい笑顔が頭に浮かんできてしまう。
ここのとこ寝る前や一人でボーっとしていると、つい考えてしまう。
もう…彼に関ってはいけないって思うのに、ジョシュが好きだという心だけが今も取り残されたまま…
どうしよう…こんなに好きになっちゃったなんて……
しかも私には遠い人なのに。
それに……ジョシュには忘れられない恋人がいるんだろうって思った。
前にニックがチラっと話してた事がある。
今は……恋人はいないのよね…
だからか、なかなか諦められずにいるのかもしれない…。
「やめやめ!」
口に出して、そう言うとはギュっと目を瞑った。
その時、静かな部屋に携帯の音が鳴り響き、ドキっとする。
「やだ…マナーモードにするの忘れてた…」
は思い切り顔を顰めて、ベッドから這い出てきた。
そしてバッグの中で鳴り続けている携帯を手に溜息をつく。
「こんな時間に…」と呟いてハっとした。
(もしかして…あいつ…?)
そう思った瞬間、また現実に戻され、は怖くなって来た。
それでも相手を確めようと、そっとディスプレイを見てみる。
すると、そこには局番から始まる電話番号だけが出ていては驚いた。
「何よ、これ…。どこの番号……?」
見覚えのない番号には首をひねるも仕方なく通話ボタンを押した。
「Hello......?」
『Hello...?そちらさんの携帯ですか?』
全く聞き覚えのない、しかも女性の声では首を傾げた。
「は、はい、あの…どちら様ですか……?」
『こちら、スポーケン大学病院ですが……』
「は……?病院……?」
思ってもみない言葉には驚いて聞き返してしまった。
だが受話器の向こうで冷静な声が言葉を続ける。
『はい、あの…アレックス・ハインズ…という男性はお知りあいですか?』
「え?!アレックスですか?」
『はい。知り合い?』
「え、ええ…同じ大学です。あの…彼が何か……?」
『先ほど事故に遭われまして運ばれて来たんです。それで携帯の履歴の最後が、あなたの番号で…』
「ちょ、ちょっと待って下さい!じ、事故って…」
『ひき逃げです』
「な……………っ」
言葉を失った。
アレックスが……ひき逃げされた……?
『Hello?大丈夫ですか?』
「は…はい……」
どうにか震える声で返事をした。
そして、その看護婦らしい女性から、両親と連絡がつかないので一度病院に来て欲しいという事を告げられ、は電話を切った。
「よ…用意しないと……」
何とかフラっと立ち上がり、クローゼットを開けた。
震える手で適当に服を選び、それを身に付けていく。
最後にコートを持とうとして、それを落としてしまった。
「嘘……どうして……」
落ちたコートを拾おうとして、そこで堪えていた涙が溢れてくる。
(昼間…あんなに元気だったのに……)
「う……」
涙が、どんどん溢れて来ては膝をついた。
看護婦が言うには、アレックスは何とか一命は取り留めたものの、頭を強く打っており、意識不明の重体だという事だった。
助かる見込みは五分五分…
そう言われた時、は何か夢でも見ているんじゃないかと思ったほどだ。
「い…行かないと…」
震える手でコートを掴み、何とか立ち上がろうとした時、またも携帯が鳴り響き驚いて飛び上がる。
「な…誰……?」
そう呟きながら涙を拭くと、はベッドの上にある携帯を手にした。
そしてディスプレイに出ている名前を見た時、また涙がポロポロと零れてくる。
「Hel......Hello........?」
『……?あの…遅くにごめん……寝てた……かな…?』
申し訳なさそうに聞こえてくるジョシュの優しい声に、はギュっと携帯を握りしめる。
「………ジョ…シュ………?」
『……………?どうした……?泣いてるの…?』
震えている声に気づいたのか、ジョシュが心配そうな声を出した。
「わ…私…」
『お、おい…どうした?また何か……っ』
「か…彼が……」
『え……?彼って…誰のこと……?』
「事故に……」
そこまで言うのが限界だった。
あとは言葉につまり声が出ない。
するとジョシュは何かを察したのか、慌てた様子で、
『今、どこ?寮か?』
「う…ぅん……」
『すぐ行くから……待ってて…っ』
「……ぇ……ジョ……」
そう呼んだ時には、すでに電話は切れていた。
だがはジョシュの声を聞いて少しだけ手の震えも止まり、ゆっくりと立ち上がると静かに部屋を出た。
体に、あまり力は入らないが、何とか非常階段の方まで歩いて行く。
こんな夜中に正面玄関は開いていないからだ。
ビュゥ〜っ
重いドアを開けると強い風と雨が吹き付けてくる。
その中をは何とか出ると一段一段、階段を下りて行く。
今から来てくれるであろう、ジョシュに会いたいという気持ちだけがを動かしていた―――
ジョシュはホテルの駐車場に走り、車に飛び乗った。
すぐにエンジンをかけて外に向かって飛び出すと、の寮に向けて車を走らせる。
気持ちだけが急いていた。
「くそ…っ見づらいな…」
雨のせいで前がよく見えない。
ワイパーを動かして何とか見える程度。
だがが心配で、ジョシュはアクセルを思い切り踏み込んだ。
いったい…何があったんだろう……
あんなに声が震えてたから…てっきり俺は、またストーカーヤロウが何かをしてきたのかと思ってドキっとした。
だが彼女の言った言葉…
"彼が……事故に…"
確かに、そう言った。
"彼"とは誰の事だ…?
あの幼なじみの友人達なら、そんな言い方はしないはずだ。
じゃあ…今日の昼間、ニックが見かけた見知らぬ男の事か……?
と手を繋いでたと言ってたけど…もしかしたら恋人が出来たとか……
そんな事を考えて、じゃあ俺が行かない方がいいんじゃないか…と、ふと思った。
もし恋人が出来たのなら俺が彼女の元へ駆けつけるというのもおかしな話だ。
だけど……俺は自分が引き返さないだろうと言う事を分かっていた。
(さっきのの様子…何となく…俺の事を待っている気がして……)
単なる自惚れかもしれない。
だが、その直感にも似た感覚がジョシュを動かしていた。
(もう少し…もう少しでつく…)
遠くに大学の建物らしき影が見えてきて、ジョシュは、もう一度アクセルを踏み込んだ。
は遠くに見えた光に、また階段を下り始めた。
下まで行くと雨に濡れてしまうので途中の少し高い場所からジョシュが来るのを待っていたのだ。
今の…車のライトよね……?
大学の門から入って来た…
そう思って階段を下りて行くとエンジン音がして一台の車が走ってくるのが見えた。
「ジョシュ……」
見覚えのある車に、は手すりに掴まりながら階段を下りていく。
下まで下りきった時、目の前に車が止まって、すぐにジョシュが出てきた。
「……!」
「ジョシュ……?」
が最後の一段を下りた時、ジョシュが走ってきて彼女を抱きしめた。
「大丈夫か?」
「…ん…ぅん…」
あんなに会いたいと思っていたジョシュに、は気が緩み体の力が抜けてしまった。
それをジョシュが支えると、「とにかく…車に乗って?濡れちゃうから」とを車の方に連れて行った。
そして助手席へ乗せると自分も急いで運転席へと回る。
は少し濡れて寒いからか体が、かすかに震えている。
それに気づいたジョシュは後部座席にあるタオルでの髪を拭いてやった。
「寒い?暖房入れたけど…」
ジョシュが、そう聞くもは小さく首を振って顔を上げた。
その瞳は涙で濡れていて酷く寂しげに見える。
「…どうしたんだ?何があった……?」
ジョシュが優しく問い掛けると、の瞳に涙が溢れてくる。
そして小さく震える声で、説明しはじめた。
「じゃあ…そのアレックスっていう前の恋人が事故に……?」
ジョシュの問いに、はコクンと頷くと手で涙を拭っている。
そんな彼女を見て、もしかしたらは、まだ、そいつの事を好きなんだろうか…と思ってしまう。
「きょ…今日…会ったばかりだったし…それにひき逃げなんて……」
必死に零れてくる涙をゴシゴシ拭きながら、そう言うにジョシュは胸が痛み、そっと抱き寄せた。
「ジョシュ……?」
「泣くなよ……」
「……ぇ…?」
「が泣いてるのは……見たくないんだ…」
「………………っ」
ジョシュの言葉に、は驚いたように体を固くした。
するとジョシュは少しだけ体を離し、の涙を指で拭ってあげる。
「とにかく……病院に行こう?俺、一緒に行くから…」
「……ジョシュ……いいの……?」
涙を溜めながら、おずおずと聞いてくるに、ジョシュは優しく微笑んだ。
「こんな、一人で行かせられないだろ?一緒に行くよ…」
「………ジョシュ…あ、ありがと…」
「あぁ〜泣くなって!さっき言っただろ?」
ジョシュは、またも泣きそうになっているの頭を慌ててクシャっと撫でると、直ぐに車を出した。
チラっとを見れば一生懸命に手で涙を拭いている。
その仕草が子供のようでジョシュは思わず微笑んだ。
ほんとに…何で、こう放っておけないんだろう……
あんな顔されたら……やっぱり俺は放っておけないよ、ニック……
その病院は程近い場所にあった。
今はを乗せているので先ほどよりスピードを落としながら、何とか聞いた病院の前に到着させると、先にジョシュが降りる。
そして助手席へと回ると未だフラついているを支えるようにして車から降ろしてあげた。
「大丈夫か…?」
「うん……」
さっきより少し、シッカリとした口調で頷くにジョシュはホっとしながら病院の受付へと歩いて行った。
「あの…先ほど電話を頂いたんですが、アレックスという方は…」
が聞けそうにないのでジョシュが代わりに受け付けの看護婦に聞くと、「まだオペ中です」と言われた。
仕方なくをロビーのソファーへと連れて行く。
オペと聞いたからか、の体が少し震えていて、ジョシュはそっと肩を抱き寄せた。
「大丈夫だよ…。きっと助かるから…」
「……ぅん…ぅん…」
不安なのか何度も頷くに、ジョシュは胸が痛んだ。
(何だろう……凄く胸が痛い……)
の肩を抱く腕に少し力が入り、ジョシュはそっと息を吐き出した。
「ジョシュ……?どう…したの……?」
ジョシュの表情に、が不安そうな瞳を向ける。
その瞳を見るとジョシュは、また胸が痛むのを感じた。
「何でも…ないよ…?病院が苦手なだけ……」
そう言って微笑むと、もやっと少しだけ笑顔を見せてくれる。
その笑顔を見てジョシュはホっとした。
「やっぱり……は笑顔の方がいいよ……」
「………え?」
「何でもない…」
小さく呟いた声はには届かなかったようで、ちょっとだけ変な顔をしている。
そんな彼女を見て、ジョシュは気になっていた事を聞いてみた。
「……」
「……ん?」
「アレックスって人の事……まだ……その…さ……」
「何……?」
そこまで口にしておいて何となく聞きづらくてジョシュは困ったように頭をかいた。
(何で、俺、こんな焦ってるんだ…?)
自分で自分におかしくなり、ジョシュは小さく咳払いをした。
「ジョシュ……?どうしたの…?何か…変だよ…?」
「え?あ、いや…だから……」
「アレックスが………どうか…したの……?」
「いや…ほら、はさ…まだ好きなのかな〜って……思って…さ…」
「…え?」
ジョシュの言葉には驚いたように顔を上げた。
そして小さく首を振る。
「そんなんじゃ……。ただ……今まで誤解してたけど…今日の彼は…優しかったから……
今まで悪かったかな…って思ってたの…
そしたら…こんな事故にあったって聞いて…ちょっとショックだったって言うか…」
そこまで言っては軽く息をつくと小さく鼻を啜った。
また思い出して涙が出てきたんだろう。
それに気づいてジョシュは、そっとの頭を抱き寄せ自分の頬を寄せる。
「…あ…あの…ジョシュ……?」
は照れくさいのか少し体を動かすも、ジョシュの腕に、またぐいっと抱き寄せられる。
ドキっとしたが、ジョシュの体温が冷えた体に伝わってきて、は安心感を覚え、体の力を抜くと彼に身を預けた。
それには今度はジョシュが緊張したように顔を上げたが、が動かないのに気づき、また静かに頬を寄せる。
そして、そっとの頭に口付けた。
その感触に鼓動が早くなるのが分かったが、どうしてだか体が動かない。
どうしたんだろう…
ジョシュの腕の中にいると、こんなにも安心して全身の力が抜けちゃいそう……
こうして、ずっと包まれていたいなんて贅沢なことを思ってしまう。
ジョシュは…そんなつもりじゃないかもしれないのに。
それでも…例えば遊びでもいいから彼の傍にいたいなんて事まで思ってる…。
……この弱い心も強がって可愛げのない自分も全て…彼なら受け止めてくれそうな気がして…
静かなロビーでジョシュの腕に包まれながら、はそっと瞳を閉じる。
雨の音だけが暫く、その場に響いていた―――
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