TROY


第一章:運命の出会い










それは紀元前3000年…
古代ギリシャとトロイで起こった愛の物語…


















それは、まだトロイの第二王子パリスが幼い頃の話――




















プロローグ~不和のりんご~



















宴の席が一瞬にして沈黙となった。


アルゴ船の乗組員の一人であったペレウスはポセイドンの求婚をも退けた難攻不落の海の女神テティスを口説き落し結婚。
今まさに二人の結婚式の真っ最中だった。
だが、その場に争い好きの乱暴な女神エリスが招かれなかったことを怒り、式に押しかけて金のリンゴを食卓の上に放り投げたのだ。


「一番美しい女神へ」


そう一言言うとエリスは冷たい視線を会場の女性たちへと向けて、その場を去った。
誰もが顔を見合わせ沈黙を守る中、我先にと、そのリンゴを手にしようと、三人の女が飛びついた。


「これは私のものよ!」
「いいえ!一番美しいのは、この私!」
「違うわ、私よ!」


この結婚式に招かれていた、ヘラ、アフロディーテ、アテナは、その一つのリンゴの奪い合いを始めた。
会場内の人々は、この醜い争いを、ただ呆然と見ていたが、
3人は互いに自分が一番美しいと言って譲らない。
それで、どうしても決着が付かず、同じく招かれていたゼウスの方へと問いただした。


「ゼウス様、是非、あなた様に決めていただきたいわ?私たちの三人…誰が一番美しいのかを」


いきなり、ふられてゼウスは焦った。


「だ、誰が一番と言われても…」







ああ…面倒くさい・…三人のうち、誰と言ってみろ…
後で恨まれて、厄介な事になるに違いない…


ゼウスは暫し考えていたものの、ふとその状況を楽しんでいるかのように見ていた一人の子供に目をつけた。


あれは確か…トロイの…第二王子…プリアモスの息子のパリス…。
何だか、この修羅場を楽しんでるようだが・…


そこでゼウスは思いついた。


この子供に決めさせよう・・・と――


子供が言う事だ。
彼女達も、さして気を悪くする事もあるまい…


「トロイの第二王子、パリスよ」
「は、はい…?」


突然、自分の名を呼ばれ、パリスは驚いて椅子から立ち上がると、
ガタガタ…っと音がなり、会場にいる全ての人の視線がパリスへと向けられた。


「お前は…どう思う?」
「は……は?!」


大勢の視線を背中に感じ、動揺していたパリスは一瞬ゼウスが何を訊いてきたのか分らなかった。


何を…言ってるんだ?ゼウスは…
と言うより何故、自分が名を呼ばれたのかさえ見当がつかない…


すると、もう一度ゼウスが口を開いた。


「この三人の中で誰が一番、美しいと思うのかを…言いなさい」
「…え?」


(な、何を言って…何故、僕が決めなければいけないんだ…!)



パリスが何も言えないでいると、ヘラ、アフロディーテ、アテナの三人が、パリスへと詰め寄ってきた。


「パリス王子!どうか私の名を…。もし選んでいただければ、あなたには何者にも屈しない力を与えましょう」


ヘラがパリスに言った。


「いいえ、パリス王子、是非私の名を…私を選んでもらえるならば、あなたにはどんな者にも負けない知恵を与えます」


アテナがパリスへ言った。
最後にアフロディーテは、余裕の笑みを称えつつ、


「いいえ、パリス王子。私の名を…。もし私を選んで下さるなら…あなたが大人になった時、この世で一番美しい女を与えましょう」


と言ってパリスへニッコリと微笑んだ。


ど、どうしても僕に選べと…
こ、この際だ…
誰かを選んでしまわないと、この場が治まらない…


そう考えるとパリスは三人の女性を順番に見ていった。


ヘラ…彼女を選べば、何者にも屈しない力が手に入る…。
アテナ…彼女を選べば、どんな者にも負けない知恵が手に入る。
そしてアフロディーテ…彼女を選べば、この世で一番美しい女性が手に入る…


パリスは暫く考えたが、結論が出た。
一歩前へと出ると三人の前に立ち、もう一度彼女達の顔を見ていくと、そっと手を出し、その中の一人の手を掴んだ。
そしてリンゴを手のひらに乗せると――





「一番、美しいのは…あなたです…。 ――アフロディーテ」


会場内に、どよめきが走った。
ゼウスはホっとした顔でため息をついていたし、今夜の主役であるペレウスとティティスも安堵の表情を浮かべている。
選ばれなかったヘラとアテナは顔を真っ赤にしてパリスを睨むと、


「覚えておきなさい。トロイの王子、パリスよ。今後、私達がトロイの敵に回ると言う事を――!」


そう言い捨ててその場から去って行った。


僕はドキっとしたものの、目の前で優しく微笑むアフロディーテに、


「気にしないで。私はトロイの味方ですわ?」 


という一言でホっとした。


「あ、あの…それで…さっきの話なのですが・…本当に…?」


僕は恐る恐る彼女に尋ねてみた。
すると―


「ええ。この世で一番美しい女性を、あなたに与えますわ。パリス王子…」


アフロディーテは、そう言うと妖艶な微笑みを見せ、パリスの耳元で囁いた。




「近い未来に・…このエーゲ海で戦争が起こります。
互いの権力を増やそうとギリシャ軍がトロイへと進軍してくるでしょう…
その戦争は数年は続く…その中で…いつか、
あなたの兄で第一王子ヘクトルが宿敵ギリシャ軍に向けて奇襲を行うでしょう…
それにあなたも参加するのです。ヘクトルと共に戦い…ギリシャ軍の陣営を襲いなさい。
そこで出会った女性が…あなたのものですよ?」





パリスはアフロディーテのその言葉を何度も頭の中でくり返し、静かに頷いた――









































古代トロイの都は豊かな黒海地方の入り口にあり、通商、交易の重要な都として栄えていた。


だが一方で、エーゲ海を挟んで東西に栄えしトロイとギリシャは、ここ数年、交戦状態にあった――







――トロイ城内




「兄上!どこに行かれるのですか?」
「ああ、パリス。これからギリシャ軍の陣営に奇襲をかける。暫く降着状態にあったから、あちらさんも油断しているだろう」


トロイの第一王子ヘクトルが、そう言うとニヤリと笑った。


「え?奇襲…?」


その言葉に一瞬、僕は、あの幼い日の夜の事を思い出す。
確か・・・アフロディーテは近い未来に戦争が起こり、兄上が、この戦のさなか奇襲を行うだろうと言っていた…。
何年も前の事なのに、この約束だけは一日たりとも忘れる事など出来なかった。


あの時の話がもしかして…今夜と言う事か…?
しかし何故それが、あの時の彼女に分ったのだろう…
彼女は、この戦争の事も予知していたと言うのか…?


僕は不審に思うも、ここは彼女の言う通りにしようと思った。
兄上について行けば彼女の言っていたものが手に入るのだ。
戦場へ行くのは慣れてはいないが、今夜は行かなくては…
何年も・…ずっとずっと待ち焦がれていたのだから――


「兄上。今夜は僕も連れて行ってください」
「何だって?!」


パリスの言葉で凄い勢いでヘクトルが振り向いた。


「僕も連れて行って下さい」


僕がもう一度言うと、兄へクトルは驚いたように目を見開いている。


「ど、どうしたんだ?お前…いつもは女性達とデートをするから戦いに行く暇がないとか何とか言って、いつも来ないものを…」


僕は痛いとこをつかれて返事に困るもコホンと咳払いをして兄を真っ直ぐに見た。


「…そろそろ僕も戦場に慣れないといけないと思ったんだ。いつまでも兄上にばかり頼ってもいられないしね?」


なるべく嘘臭くない様にそう言えば兄は、まだ訝しげな顔で僕を見ているも、ちょっと息をつきつつ苦笑した。


「そうか…。やっと、その気になってくれたってわけだな?よし、じゃあ急いで準備しろ」


僕は兄上の言葉に心の中で拳を握り締めた。


よし…これでギリシャ軍の陣営に行ける…
そこで…誰が待ってるのか…




僕は兄上に言われた通り戦いの為の鎧をつけて兄と兵士たちが待つ裏門の方へと走って行った――













「シィ…静かに…まだ見張りの者が起きているかもしれない…静かに近づけ…」


ヘクトルは小声で部下の兵士達へ囁いた。
なるべく陣営に近付き、寝ているところを一気に襲う。
途中でバレたら返り討ちにあうかもしれなかった。




「よし…!今だ!」


トロイ軍、総指揮官ヘクトルの号令で一斉にトロイの兵士たちがギリシャ兵士たちが眠るテントを襲った。


「殺せぇーーー!」
「うわああぁ!トロイ軍だ!」
「起きろーー!トロイ軍の奇襲だー!! ――剣をとれー!」


怒号が聞こえ、その場は一瞬のうちに戦場と化した。
奇襲のためトロイ軍が優勢のまま、次々とギリシャの兵士が倒されていく。
ヘクトルが強い力を以ってギリシャ兵達を切り倒しては何十人という屍の山が出来ていった。


その中をパリスは掻い潜り一つ一つテントの中を見てまわった。


(どこだろう?アフロディーテが言っていた女性は…)


何度かギリシャの兵士が剣を振りかざしてきたが、そこは王子。
戦う事は初めてでも毎日剣の特訓は、へクトルとしてきた。
一兵士には負けはしない。
何度かギリシャ兵と剣を交えるも簡単に倒し、また探していく。
すると後方で何か物音がしてパリスは振り返った。
闇の中を走る影が見え、パリスはギリシャ兵かと後を追った。


(ここで遠くの陣営にいる仲間を呼ばれても困る…何とか倒さないと…!)


「おい、待て!!」


パリスは前を走る、その影へと飛びかかった。
そして体を押さえつけ、剣で貫こうとした時、その影がパリスの方へと振り返った―


「放せ…!!トロイ軍!」
「……?!」



黒い布を頭からかぶってはいたが、その声は女性のものだった。


「お前…女か?」


パリスは剣を翳した手を下ろすと、そのかぶっている布を思い切りはがした。


「何するの…!!」


パリスは布の下から現れた女の顔を見て驚いた。


「お前…何者だ?」



顔は黒く汚れて髪も振り乱し、女性とは思えぬほどの暴れっぷりにパリスは唖然とした。


「放なしてってば!!」
パリスの頬に彼女の平手が入ってパリスはハっとした。


「アキレス―――!助けて!アキレーース!!」
「だ、黙れ…!」
「んんーーーっ!!」


思わず彼女の口を手で塞いだ。
口を塞がれ凄い力で暴れているがパリスも男だ。
思い切り両手を縛り上げると、もう一度布をその女へとかぶし担ぎ上げた。


この女性が…アフロディーテが言っていた女性か?!
まさか…!
アフロディーテは、この世で一番美しい女を与えると言っていた。
こんな薄汚れた女のはずがない…
何年も待たされて、こんな奴隷のような女だとは…
それでも今夜出会ったのは、この娘一人…
仕方ない…一応城へと連れて帰ろう…


パリスはトロイの軍が勝利の声を上げている方へと歩いて行った。






「パリス様、ご無事で…!」


僕が皆の方へ歩いて行くと、兄へクトルの右腕とも言えるアイネイアスが駆け寄ってきた。


「ああ、僕は何ともない。それより兄上はギリシャ軍をおとしたのか?」
「はい。ここの陣営は全て」
「そうか。なら、もうここには用はない。城へ帰ろう…」


僕がそう言うとアイネイアスは軽く頷き、そして僕が担いでいるものへと訝しげに視線を向けた。


「あの…パリス様…その者は…何だか凄く暴れてるようですが…」


確かに布に包まれた"それ"は思い切りジタバタと暴れているのでパリスが担いでいるも、
さっきから頭にガンガンと腕か足かは分らないが当たっている。
僕は顔をしかめて、


「ああ…この者はさっき逃げ出そうとしていたので捕まえた。捕虜にするから城へ連れて行ってくれ。
さっきから、この調子で暴れてるんだが…お前に任そう」
「は…!かしこまりました…。 では…へクトル様へ報告しておきましょうか?」
「ああ、それはダメだ!兄上には内緒にしておいてくれ。捕虜にすると言ったら反対されるだろうからな」
「では、そのように…」


アイネイアスは軽く跪き、そしてまだ暴れている、その捕虜となった女を担ぐと自分の兵の方へと戻って行った。
パリスは、その後姿を見ながら溜息をついた。


(アイネイアス…彼の母親、アフロディーテから言われたから、ここに来たのに…期待はずれだったな…)




パリスは面白くないと言う顔で砂場を蹴り上げると、兄の元へと歩いて行った――














――ヘクトルが奇襲をかける、今からほんの数分前…ギリシャ軍陣営――







「アキレス…?いるの?」


私は使者に言われたとおり、ギリシャ軍の陣営へと忍び込んできた。
真っ暗の中、かがり火だけが灯っていてシーンとしている。


私は明日、スパルタの王、メネラオスに嫁がなければならない…
嫌だと言っても、「家族の為だ」 と言うばかりで聞き入れてもらえなかった。
姉もまたメネラオスの兄、アガメムノン王へと嫁がされている。
あんな…父上よりも年上の男に嫁がなければならないなんて…と自分の運命を呪った。


(私には…好きな人がいるのに…)


私は小さい頃からアキレスが好きだった。
アキレスはギリシャ軍の中でも最強の男となり、今では向かうところ敵なしとまで言われている。
そんなアキレスと私は小さい頃からの幼なじみだった。
本当なら…アキレスと結婚したかったのよ…?


彼は…私の事を女としては見てくれてないと思っていた。
でも…今夜、嫁ぐ前に二人きりで会いたいと使者を使って言って来てくれた。


…もし今夜…アキレスが一緒に逃げようと言ってくれたら…逃げる覚悟は出来ている。


「アキレス…?」


私は使者が言っていた一番奥側にあるテントの前に来て小さな声で彼を呼んでみた。


ここじゃ…ないのかしら…
もし兵士に見付かったら、すぐに王のいる船に連れ戻されてしまう。


私は少し焦りながらテントへと近付き中へ入ってみた。


(え…?誰も…いない?)


その広いとは言えないテントの中に、アキレスの姿が見えなくて私は不安になった。
しかし確かにアキレスの愛用している短剣や衣服があって少しホっとする。


やっぱり、ここなんだ・…
でも…アキレスはどこに行ってしまったんだろう…?言われたとおりの時刻に来たというのに…


私はアキレスが使っているであろう寝着を、そっと手にとり頬に寄せた。


「アキレス…早く戻って来て…」




その時――




「トロイ軍の奇襲だぁーーーー!起きろ~!!」


「キャ…っ。な、何…?」


私は、その兵士たちの怒鳴る声に、ビクっとなりながらテントの外を覗いてみた。
すると遠くでテントが炎に包まれている。
その周りで兵士たちが剣で戦っているのが見えた。


あれは…
いけない…!トロイ軍が攻めてきたんだわ…
見付かったら即、殺されてしまう…!


いえ…ここで殺される方が、まだマシかもしれない。
もし掴まり捕虜になったら…女の私はきっと辱められ、ボロボロになるまでトロイ軍の兵士に弄ばれたあと…
ゴミのように殺される…
それに…もし私がスパルタ王の妃になる者だと分ったら…
きっと、この戦争に利用されてしまうだろう…。


(逃げなくちゃ…!)


私は、そう決めると肩絹を頭からスッポリかぶってテントから飛び出した。
もし見付かっても…少し顔を汚しておけば王家の者に見えないかもしれない…。
私は素早く砂を手にとり、テントの中にあった水樽の水で濡らして泥にする。
それを思い切り顔に塗りつけた。


「戦え~~!!ひるむな!」
「ギャァァ…っ」




「いや…っ」


私はその数々の悲鳴に耳を塞いだ。


兵士の声が少し近くなってきている。
急がなければ…


私は船への方向へ思い切り走り出した。
その時、後ろから、「おい、待て!!」 と怒鳴り声が聞こえ私は走るのを早める。


(トロイの兵士だ…!見付かってしまった…!掴まってしまう…っ)


私は思い切り走りながら、今夜会う筈だったアキレスの事を考えていた。


アキレス…アキレスは、どこにいるの?!
どうして約束の場所にいてくれなかったの?!


私は涙が零れそうになりながらも必死に走った。
だが砂に足をとられて上手く走れない。
その時、いきなり背中に飛びつかれ私は、その場に倒れこんだ。
後ろから思い切り押さえつけられ腕をねじりあげられる。
その痛さに思わず叫んでしまった。


「放せ…!トロイ軍!」


私は思い切り振り向いて怒鳴ったが肩絹をかぶっているので視界が遮られ、自分を羽交い絞めにしている兵士の姿が見えない。
その時、「お前・…女か?」 と声が聞こえたかと思うと思い切り肩絹をはがされた。


「何するの…!!」


「お前は…何者だ?」


私はその人物がトロイの一兵士じゃない事に驚いた。
この鎧と、今まさに振り下ろそうとしていた剣の柄は…どう見ても王族の物だ!
王族ならどこかで私を見た事がある人がいるかもしれない…っ


私はメチャクチャに手を動かして相手の頬を引っぱたいた。


「放してってば!!」


私はそう怒鳴りながら恋しい人の名前を呼んだ。


「アキレス!助けて!アキレース!!」


(あなたに会いたい…!アキレス…!)


「だ、黙れ!!」
「んんー…!」


いきなり口を手で押さえつけられ私は思い切り暴れるも、相手の男も力は強い。
両腕を縛られ、また肩絹を頭から、スッポリとかぶせられるのと同時に体がふわりと浮く。


「んんーーっ」


その男に担がれたんだと分り、今度は足をばたつかせた。
確実に相手の頬のあたりに当たっているとは思うのだが、一向に下ろしてくれる気配はない。


(ど、どうしよう…私…捕虜にされてしまう…!)


私は絶望の淵に立ちながらも心の中でアキレスの名前を叫んでいた――












その頃、アキレスは…スパルタの王、メネラオスと会っていた―




ギリシャ軍・要塞・王の部屋――




「何だと?結婚をやめろ?」


メネラオス王が片方の眉を上げて目の前に偉そうに腕を組んで立っているアキレスを見た。


「お前は何の権限があって私に、そんな口を聞いているのだ?」
「別に・…権限などと、大層なものはありません。ただ私の幼なじみが結婚をしたくないと申しているもので」


王にも物怖じしない物言いにメネラオスは烈火の如く怒鳴り散らした。


「う、うるさい!あの娘が嫌がろうがこれは決まった事だ!私は、あれを妻にする!他の女では代わりがきかん!」


メネラオスの剣幕にも動じてないようにアキレスが、フっと笑った。


「何が、おかしい!」
「いえ…。そんな王が子供みたいな事を言うものですから…確かに…彼女の代わりはいない。―だから、こうして頼みに来たんだ」


そのアキレスの言葉にメネラオスの顔が真っ赤になった。


「王に向かって何たる口の聞き方だ!お前はそんな無礼を働きに、わざわざ陣営を抜け出し、ここへ来たと言うのか?!
とっとと戻って一人でも多くのトロイの兵士を討って来い!」
「あんたは、いつも後ろで命令するだけ…自分で戦う事もしないんだな…
あんたが結婚を辞めてくれない限り…俺は、この戦争には参加しない。今日は、それを言いに来たんだ」
「な、な、何だと~?!」


メネラオスは憎しみを込めた目でアキレスを睨むもアキレスはどこ吹く風だ。


「お前…あの娘とは…どういう仲なんだ?幼なじみというだけではなかろう!まさか…恋仲なのか?」


メネラオスの言葉にアキレスは少し苦笑した。


「そんなわけないでしょう?幼なじみと言ったはずだ」
「だ、だったら何故に、そんな結婚をさせたくないんだ?!関係ないだろう?」
「俺は彼女の幸せを小さな頃から願ってきた。だからこそ望む者と結婚させてやりたい。 ―ただそれだけだ」


アキレスの言葉にメネラオスは苦虫を潰したような顔で聞いていたが突然椅子から立ち上がった。


「とにかく…!ダメなものはダメだ!お前はサッサと自分の陣営に戻れ!オデッセウス一人に任せる気か?!」
「どうしても俺の頼みを聞き入れてくれないのなら…俺は自分の軍を撤退させる」


アキレスは、そう言いきると王の間から静かに出て行った。


「くそ!何て無礼な男なんだ…!」


メネラオスはアキレスへの怒りで、その場にあったぶどう酒の入った酒瓶を思い切り床へと叩きつけた。


「メネラオス様…」
「何だ…」


今まで静かに二人のやり取りを聞いていた、メネラオスの側近が口を開いた。


「アキレスの軍が撤退となると…我が軍には不利です…」
「そんなもの分っておる!!だが…あいつにはこれまでも散々好き勝手やられてきている。あげく今回は結婚をやめろだと?!
生意気な…!私があの娘を手に入れるまでにどれだけの時間と金を費やしたと思っているんだ!」
「そうですね…。あの娘の両親まで脅したんですから…。嫁がせないと子供全員を殺すと…」


側近がニヤリと笑って言った。
メネラオスも、鼻でふんっと笑うと、


「あの娘ほど奇麗な女はいない。それを、どうしても我が物にしたいと思うのは当たり前だろう?
諸国の色々な男から次々と求婚されていた女だ。あのオデッセウスでさえ熱をあげておる…。
そうだ…そのオデッセウスでさえ、私に祝いの言葉を言ったものだ。そして今回のトロイとの戦争のために、
アキレスもを説得してくれた。 なのにあのアキレスは…忌々しい!」



メネラオスは今度は果物の盛ってあるお皿を投げつけた――















「これは…いったい…?」


アキレスはギリシャ陣営に戻って来て辺りが炎に包まれているのを見て驚いた。


「あ…アキレス!」
「オデッセウス!どうした?何があった!」


遠くからオデッセウスが数人の兵を引き連れて走って来た。


「お前…どこに行ってたんだ!トロイ軍に奇襲されたと言うのに!」
「何?奇襲?!」
「そうだ!突然、寝込みを襲われた…。指揮していたのは…」
「へクトルか…?」
「ああ…」
「…チッ」


アキレスは舌打ちすると、その場に倒れている兵士の遺体の方へとしゃがんだ。


「おい、アキレス…明日は総攻撃をしかける。お前の兵も出してくれ」
「それは出来ないな…」


アキレスは、そう言うと立ち上がって自分のテントの方へと歩き出した。
ここは奥の方だったからか燃やされなかったようで何とか形を留めている。
そこに慌ててオデッセウスが追いかけてくる。


「おい、待て!出来ないとはどういう事だ?!それに…お前、今までいったいどこに…」
「ああ、王のとこだ」
「え?メネラオス王に会ってたのか?」
「ああ」
「何しに…?」


オデッセウスの言葉にアキレスは黙って振り向いた。


「お前、まさか…結婚の事を…?」
「ああ」


アキレスは、そう頷くとテントの中へと入って行った。
それにオデッセウスも続く。


「お前…そんな無茶して・…」
「そうか?あんなジジィが結婚したがるんだ、別に若くて奇麗な女がいいなら、あいつじゃなくたっていいのかと思ってな…」
「アキレス…」
「ま、でもダメだったけどな…。他の女じゃ代わりはきかないらしい…。あのジジィにしたら正当なこと言ってたな」
「お前…もしかして…?」


オデッセウスはアキレスの肩を掴んで呟くも、アキレスは、その手を離した。


「おいおい…何を勘違いしてる?俺は別に、お前と同じ理由で、ジジィに頼みに行ったわけじゃない」


アキレスは苦笑しながらオデッセウスを見た。


「ほんとか?」
「ああ」


オデッセウスはそう訊くと軽く溜息をついた。


「俺は…彼女を愛しているのに…王との結婚を反対する事が出来なかった…最低だよ…。
そんなんで彼女に求婚しようとしたと思うと…」


そう呟くオデッセウスの背中をポンと叩き、


「お前は…自分の国や立場があるだろ?俺には何もない…あんな王はクソ食らえだ。あんな奴の為に戦う意味すらない」


アキレスは、そう言うと何かを見つけて、その場に、しゃがみこんだ。


「これは…」
「ん?どうした?アキレス…」


アキレスはしゃがんだまま何かを拾って手に持った。


「ん?それは…?何か女性がつける首飾りのような…」
「あいつ…ここに来たんだ…」
「え?」


アキレスの呟きにオデッセウスが驚いた。


「あいつって…彼女か?!」
「これは…俺があいつに…プレゼントしたんだ…。誕生日の日に…」
「何…?!」


オデッセウスも驚いて、その首飾りをマジマジと見た。


「た、確かに…彼女、ここ最近はこれを肌身離さずつけていた…」


オデッセウスが言いかけると、アキレスは凄い勢いでテントを飛び出した。


「あ、おい!アキレース!」


オデッセウスも急いで、その後に続いた。
アキレスは助かった兵士一人、一人に、「おい!トロイ軍に襲われた時、女が掴まらなかったか?!」 と訊いてまわっている。
皆は息も絶え絶えに首を振るも、一人、「あ…っ」 と声をあげた。


「何だ?お前何か見たのか?!」


アキレスはその兵士の前にしゃがむと、血だらけの顔を両手で挟んだ。


「は…はい…。ト…ロイの王子…が…女…か、どうか分りませ…んが誰か…を肩に…担いで…連れて…行ってしまい…ました…」
「何だって?!トロイの王子だと?へクトルか?!」


物凄い形相でアキレスが怒鳴った。


「い、いえ…あれ…は…弟…の…」
「弟?!ヘクトルの弟と言うと…パリス…か?」


その兵士は何とか頷いた。
アキレスは、それを確認すると、すくっと立ち上がった。


「オデッセウス!」
「何だ?」
「今すぐトロイ城内に忍び込めるか?」
「ええ?!何言って…無理に決まってるだろう?!」
「あいつが・…が攫われたかもしれない・…」
「何?!」


アキレスの言葉に、オデッセウスも動揺した。
女が捕虜になってしまえば…ただでは済まないのは重々承知している…


「だ、だが…まだハッキリ決まったわけじゃない…!だいたい彼女が何で、こんな夜中に船から抜け出し、ここまで来たんだ?」
「それは…分らないが…」
「…もしかして…お前のテントに、あの首飾りが落ちていたという事は…彼女はお前に会いに来たんじゃないのか?」


オデッセウスは少しアキレスの方へ視線を向けて言った。
アキレスは黙ったまま海の方を見ている。
オデッセウスは言葉を続けた。


「彼女は…この戦場までついてくるように言われた。王の命令の中で…それだけは彼女も素直に応じたそうだ。
でもそれは…お前がこの戦いに参加すれば死ぬと、お前の母親が予言したからじゃないのか?
彼女はお前の事が心配で…」
「おい…今は、そんな事を話している暇はない。が攫われたのか調べなければ…誰か間者を忍び込ませよう」


アキレスは、そう言うと自分の軍がいる陣営へと歩いて行った。
それに、ついて行きながらオデッセウスは、そっと息を吐き出す。


アキレスの奴…見た事もないくらいの動揺ぶりだ。
が攫われたとあっては、そうなる気持ちも分らないでもないが…


アキレスと、は小さな頃から仲が良かった。
アキレスは彼女を物凄く大事にしているのが分ったし、私はてっきり愛し合っているものだと思っていた。
私も彼女の美しさに一瞬で惹かれ、求婚しようと思うも、アキレスの事が気にかかり出来ないままだったが…。
それに諸国のあちこちから求婚されていると訊いて、ますます言えなくなってしまった。
そうこうしているうちにメネラオスがに目をつけ、見初めてしまった。
そして、あの手この手と色々な汚いやり方で彼女との結婚を無理やり決めてしまった…
王のいう事は絶対だ。
明日…彼女は王の妃となるはずだった――


それが…攫われたかもしれないだと?!
そんな事が王に知れたら…烈火の如く怒り狂うだろう…
しかも攫ったのがトロイの王子パリス…


今までの、攻めては守ってという戦いとは問題にならないくらいに大きな戦争になってしまいそうだ…。


オデッセウスは、ふと、そんな事を考えて不安を覚えたのだった――


















――トロイ城内




「パリス!」
「ああ、兄上。今夜は奇襲も成功したし良かったね」
「まあ…な。それよりお前…捕虜を捕まえたとか聞いたが?」
「え?」
「兵士の一人から聞いてな…。地下牢に連れて行ったという事だがお前何か知ってるのか?」
「いえ…僕は何も…」
「そうか…」
「今夜はもう遅いし僕は先に寝るよ…じゃ」


パリスは、そう言うと自室の方へと戻って行った。
ヘクトルは、その後姿を見ていたが、ふと嫌な予感がして地下牢へと向かう。


パリスの、あの顔…
嘘を言っている目だ。
あいつは上手く隠そうとしてるが私には分る。
捕虜を捕まえろなんて私が命令した覚えはないからな…
何かある…。


ヘクトルは地下牢へと降りていくと、見張りの兵士が誰一人いない事に驚いた。


(何だ?どうして誰も…)


そう思った時、嫌な予感がした。
見張りの兵士たちが休む部屋へと急ぐと、突然、中から悲鳴が聞こえてヘクトルは慌ててドアを開ける。


「イヤー―ーっ放して!!」
「うるさい!誰か抑えろ!」
「こいつ、何てじゃじゃ馬なんだ…っ」


ヘクトルは中を見て唖然とした。
兵士数人が、どう見ても小さな女を、羽交い絞めにして、今まさに乱暴しようとしている。


「おい、やめろ!!」


ヘクトルが怒鳴りながら中へと入って行くと兵士たちは驚いて振り向いた。


「あ…ヘクトル様…!!」


怖い顔で歩いて来たヘクトルに、兵士たちは一斉に女から離れた。


「君…大丈夫か?」


ヘクトルは怯えた顔で墨へと逃げる女の前に、しゃがむと声をかけた。


「ち、近寄らないで…!」
「怯えなくともよい…。私は何もしない」


優しくそう言うと、女は驚いたように顔を上げた。
ヘクトルは、すくっと立ち上がると、俯いたまま立っている兵士たちを睨んだ。


「私が、こういう事を嫌うのを分っててやったのか?捕虜なんて誰が連れてこいと言った!」


ヘクトルの迫力ある怒鳴り声に兵士たちは、ビクっとなるも、一人は恐々と顔を上げた。


「あ、あの…アイネイアス様の命令で…捕らえておけと…」
「何?アイネイアスが?!」
「は、はあ…」
「それで乱暴してもいいと言ったのか?」
「い、いえ…それは…」
「なら、何故に、このような少女に乱暴をするんだ?最低だぞ!」
「は…!真に…申しわけも・・…」
「もういい、今後、二度とこんなマネはするな。分ったな?」
「は…!」


兵士たちは皆、ヘクトルに頭を下げると、部屋から飛び出していった。
ヘクトルは墨で小さくなっている少女にも見える女の腕を引っ張った。


「さ…立てるか?」
「は、はい…」
「すまぬな?私の部下どもが…」
「い、いえ……」


少し震えながらも、しっかりとした口調で女が呟いた。
ヘクトルは彼女の頭を軽く撫でると、額と唇から血が出ているのを見て胸が痛くなった。


「お前…怪我を…治療するから私と来なさい」
「え?」


ヘクトルは、そう言うと、その女を抱き上げた。


「あ、あの…!」
「大丈夫…何もしない。私の妻に治療して貰うだけだ」
「つ、妻…」
「ああ。安心したか?」


思いがけず優しい笑顔で、そう言ったヘクトルにその女も安心した顔を見せた、


「お前…名は何と言う?」
「あ……です…」
「そうか」

ヘクトルは頷くと自室へと向かった。





「あなた…その方は?」


部屋へと戻るとヘクトルの妻、アンドロマケが驚いた顔で出迎えた。


「ああ、うちの兵士に掴まった子だ…。何の罪もないのに…怪我をしてる様なので連れてきた。
治療してやってくれないか?」
「ええ、分ったわ?」


アンドロマケは急いで薬を持って来ると、の額についた血をまず拭いてくれた。
ヘクトルは、それを見ながら、へと声をかけた。


「ところで・…は、どうして兵士たちの陣営にいたのだ?女性が行く所ではないだろう?」
「え?そ、それ…は…」
「何だ?言いにくい事か…? もしや…恋仲の男にでも会いに行ったとか?」


ヘクトルがそう言うとは頬を赤らめた。


「そう…なのか?もしかして、その相手を私の兵が…」
「い、いえ…!それはありません…っ」
「そうか?なら…いいが…。君の恋人を殺してしまったとなれば…今、ここで君に刺されても文句は言えないからな…」
「そんな…助けていただいて…感謝してます…。まさかトロイの軍にこんな優しい人がいるとは思いませんでした」
「優しいわけはないだろう?お前の国の兵士を、さっき殺してきたのだから…」


ヘクトルが少し悲しげな顔で、そう呟いては黙ってしまった。


「さ、出来たわ?」


アンドロマケが、の傷に薬を塗り終えると、立ち上がった。


「ああ、彼女を隣の部屋で寝かせてやってくれないか?」
「分ったわ…。じゃ、行きましょうか?」
「あ、はい・…」
「明日…君をギリシャ軍の陣営傍まで送ってあげよう」
「あ、あの…何から何まで…ありがとう御座います…!」


は、そう言うと、アンドロマケに促され隣の部屋へと入って行った。
ヘクトルは、それを見て少し息を吐き出すと、来ていた鎧を脱ぎ部屋着へと着替えた。


きっと…彼女を連れて来いと言ったのはパリスだろう。
パリスがアイネイアスに命令したに違いない・…
ったく…しょうがない奴だ…。
明日…問い詰めてみよう…


ヘクトルはベッドへと横になると、静かに目を瞑った――












朝、パリスはいつもより早くに目が覚めた。
夕べの興奮もあるが、連れてきた女の事が気になって、思わず目が覚めたという所だろう。
あの後、アイネイアスに任せたきりで気になった。


捕虜となれば…地下牢へと入れられたはずだ。


パリスは、そう思って起きてすぐ地下牢へ下りてきた。見張りの兵士が暇そうに立っている。


「おい」
「あ…パリス様…!」
「昨日の捕虜の女はどうした?」
「え?昨日の…?」
「ああ、一人、連れてきた筈だ」
「え、ええ…確かに…でも…」
「でも?何だ?」
「夕べ…ヘクトル様が連れて行ってしまわれました…」
「何だって?!兄上が?」
「は、はい…!」


パリスは、そう聞くと慌ててヘクトルの部屋へと向かった。


(兄上がどうして…!まさか妾にするわけじゃないだろうな?!とにかく急がなければ…)


パリスは、そんな事を考えながら足を速めた――














「あ、あの…こんな衣装まで…申し訳ないです…」
「いいのよ…。あの格好で戻ったら乱暴されたのかと思われてしまうでしょ?女性にとっては辛い事よ?」


アンドロマケは優しく微笑むと、の長い髪を櫛でといた。
朝、起きた後に、「その格好で帰すのは忍びない」 と、を風呂に入れ、汚れて敗れていた衣装も着替えさせたのだった。


はぁ…ほんと…ここの王子は優しいのね…。って夕べ、私を捕まえた奴も王族のようだったけど・…
きっと従兄弟とか、もっと下の位の奴だったんだわ…!
何だか乱暴だったし、とても王族とは思えない。
でも…トロイ軍で、こんなヘクトルやアンドロマケのように優しい人がいるなんて…
私は普通なら殺されたっておかしくない立場だと言うのに…
ヘクトルとアキレスは長年のライバルだ。
それはアキレスから聞いて知っている。
でも…ヘクトルは私が、さっきアキレスの幼なじみだと知っても帰すと言ってくれた…
私を人質に…とは思わなかったのだろうか…


「さ、出来たわ?あなた…本当に奇麗ね?」


アンドロマケが溜息をつきながら、を見た。


「そ、そんな…」
「世の男たちが放ってはおかないでしょう?大勢の方から求婚されてるんじゃないの?」


アンドロマケは少し笑いながらの頬へ、そっと手を置いた。


「い、いえ…あの…」


は何だか女性から、そんな風に言われた事がなかった為、少し顔を赤くした。


「私は…好きな人が…いて…」
「あら、じゃあ、その方と結婚を?」
「いえ…。私は…今日…別の人の元へ嫁がないといけなくて…」
「ええ?そんな…どうして?何か事情でも…」


アンドロマケはそこで言葉を切った。
の頬にぽろっと涙が零れたからだ。


…泣かないで…」


アンドロマケは優しくを抱きしめた。
は思い切り泣き出して、アンドロマケの腕の中にすがり付いてくる。
優しく頭を撫でられて気が緩んだのだろう。


「辛かったのね…?可愛そうに…」 


はアンドロマケの優しい言葉に涙が止まらなかった。


(アキレス…最後に…あなたに会いたかった…)


その時、思い切りノックの音が聞こえた。




「兄上!兄上はいるか?」


アンドロマケは、そっとを離した。


「あら…珍しい…パリスだわ?」
「え…?」
「ヘクトルの弟よ?」


アンドロマケは、そう言うと立ち上がり、ドアの方へと歩いて行った。


「パリス、どうしたの?ヘクトルなら用事で城外へ…」
「あの…兄上が女を連れてきませんでしたか?夕べ…」


アンドロマケは問い詰めるように部屋へと入って来たパリスに驚いた。


「え…ええ…。確かに…怪我をしていたので私が治療したわ?」
「何ですって?怪我?…で、彼女は今どこに?」
「隣の…」
「失礼します!」


と、アンドロマケが言い終わらないうちに、パリスは隣の部屋へと勢いよく入って行った。


バン!


思い切りドアを開けて、パリスは中を見渡すと、
そこに驚いた顔で、一人の女…いや女性が振り向く。
パリスは、そこに座っているのが夕べ自分が捕らえた女と同一人物とは思えなかった…。


(誰…だ?この奇麗な女性は…夕べの女は…こんなに奇麗だったか?)


目の前で少し怯えたようにパリスを見ている女性は今までに見た事もないほどの美しさだった。
奇麗な金色の長い髪に透けて見えるほどの白い肌…その驚いたように見開かれている瞳はエーゲ海の海のように奇麗な藍…
額と唇の端に傷はあったものの、小さな唇は、ルビーのように艶やかに光っている。


「お前…」


パリスが近付こうとした時、は思い出した。


「あ、あなた、夕べの…!」
「え?」


いきなり怖い顔で、キっと睨まれ、パリスは一瞬、足を止めた。


「あ、あなた、私を攫った人でしょう!その声…そして…顔もかすかだけど覚えてるのよ?!」


王子の自分に臆することなく、そう怒鳴り睨みつけてくるにパリスは驚いていた。
女性から、そんな態度をされた事がなかったのだ。


(何だ…?この無礼な女は…この僕になんていう口の聞き方だ…)


だが、そう思うも言葉に出来ない。
あまりに彼女が奇麗で見惚れていただけとも言うが…


「ちょっと!何とか言ったら?だいたい、あなたはへクトルの弟なんでしょう?あんな優しい人の弟があなただなんて!」
「な、何だと?!」


さすがに、そう言われてパリスもカチンときた。


「お前が敵陣営をウロチョロとしてるのが悪いんだろう?敵に見付かれば、どうなるかくらい知っているはずだ」


パリスが、そう言うとは顔を紅潮させて睨みつけてくる。


何なんだ…この女は…何て生意気な女だ。
だが…今までの女とは全く違う…
この女を傍に置くのも、また面白いかもな…


パリスは、そう思いながら、に近付こうとした。


「お前…名は何と言う?」
「こ、来ないで…っ」
「む…」


女性から、来ないでなんて言われた事がないぞ?!
いつも女性のほうから、僕に寄って来て寝所を共にしてくれと頼んでくると言うのに!


パリスは、この会った事がないタイプの女に、どう接していいものか考えあぐねていた。
その時―


「おい、パリス。何をしてる?」
「あ、兄上…」


二人のやり取りを見て、おろおろとしていたアンドロマケの後ろから、へクトルが顔を出した。


「兄上…どうして勝手に、この者をここへ?」
「やっぱり、お前か…パリス…」
「え?」
「勝手に連れてきたのは、お前だろう?」
「そ、それは…」
「とにかく…こっちへ来い」


ヘクトルはパリスの腕を掴み、部屋を出た。


「何です?あの者を自分の妾にするつもりじゃないでしょうね?」
「バ…バカな事を言うな!私にはアンドロマケ一人いればいいんだ!」
「そりゃそうですね?兄上は今までに一度も他の女に手をつけたことがない…
では、どうして彼女を?」
「お前のせいだろう?!」


ヘクトルが怖い顔でパリスを睨んだ。


「僕のせい…とは?」
「お前な…アイネイアスに彼女を捕虜にしろと言ったそうだな?今、問い詰めたら、あっさり薄情したぞ?」
「そ、それは…」
「それに、だ。捕虜として地下牢に入れられれば…兵士たちに乱暴されるとか思わなかったのか?!」
「な、何ですって?!」


パリスは驚いてヘクトルを見た。


「ま、まさか…彼女は兵士たちに…?!」
「そこは私が危ないとこを助けた。彼女の傷を見ただろう?!だから私が部屋へ連れて戻り、傷の手当てをしたんだ」
「そ、そう…か…。良かった…」
「何が良かった、だ!私が気付かなかったら、今頃、あの子は兵士たちに辱められて殺されていたかもしれないんだぞ?!」


ヘクトルに怒鳴られてパリスは言葉が詰まってしまった。
それを見てヘクトルは溜息をつくと、


「とにかく…彼女は今から、ギリシャ軍の陣営近くまで送ってくる。早く帰してやらないと…」
「え?!か、帰すですって?!」
「ああ。もちろんだ」
「そ、そんなギリシャ軍の陣営近くまでなんて…もし見付かったら殺されますよ?!」
「そんな事は分っている。だから今、城外へ出てルートを探してきたんだ」


パリスは帰すと言われて少し動揺した。


あの娘なんだ…アフロディーテが言っていた、この世で最も美しい女性というのは…
あの娘は…僕のものだ。
アフロディーテが僕に与えると約束した女性なんだ。


パリスは、そう思うとを手放すものかと心に決めた。


「兄上…彼女は…帰しません」
「な、何だって?!」
「彼女は僕の元へおきます」


パリスのキッパリと言い切った言葉にヘクトルは唖然とした。


「お、お前…お前こそ、妾にする気か?!そんな事は…」
「違いますよ! ―僕の……妃にします」
「はあ?!」
「そういう運命なんです。僕と彼女は…僕が小さな頃から決まっていた…運命の女性だ」
「な、何の話をしている?」


ヘクトルは驚いた顔でパリスの肩を掴んだ。


「とにかく…彼女はギリシャ軍へは帰しません。いいでしょう?彼女だって別に王族の者とかでは…」
「ま、待て…!それはダメだ」
「どうしてですか?!」
「彼女は…アキレスの幼なじみだそうだ」
「…え?」


ヘクトルは、そう言うと思い切り溜息をついた。


「彼女を攫ったことがバレたら…アキレスの軍に攻め込まれるかもしれない…」
「アキレス・…というと・…ギリシャ軍、最強の戦士・…の?」
「ああ、お前も話にはよく聞いているだろう?」

パリスは息を呑んだ。

そう…知っている・…。
彼にかかれば、どんな豪傑な男でも、一瞬にして殺されると…

「分っただろ?これ以上、戦争の種を増やすな。いいな?」


ヘクトルに、そう言われて、彼女がアキレスの幼なじみと聞いても、パリスは何故か心が揺らがなかった。
これも初めての経験だった。


「いえ…兄上。それでも…僕は彼女を返しません」
「お、お前…っ」
「幼なじみと言うだけで…恋仲でも何でもないのでしょう?なら、そんな心配をすることはない」
「でもな…万が一と言う事もある…!」
「兄上だって聞いてるでしょう?アキレスは血も涙もない、自分の王にさえ立てつき誰にも束縛されない男だと言う事を。
誰も信用せず、己だけを信じて戦ってる男だという事を…そんな男が幼なじみ一人攫われたくらいで攻め込んできますか?
今までだって戦場に来たり来なかったりと気まぐれだったじゃないですか」
「そ、それは…そうだが…」


パリスに、そこまで言われて、今度はヘクトルが閉口した。


「だ、だがな?彼女の気持ちは無視できないぞ?彼女は帰りたがっているんだ」
「そんな気持ち…僕がなくしてあげますよ」


パリスは、そう言うと部屋の中へと戻って行った。


「お、おい!パリス…!」


その後をヘクトルは慌てて追いかけて行った。








バン!


またドアを激しく開けて入って来たパリスを見て、は体を硬くした。
さっき、コッソリとくすねておいた髪を結う時に使う尖った針を袖に忍ばせる。


「お前、僕と一緒に来るんだ」
「な、何するの…っ!離して!」


パリスはを抱き上げて部屋を出ていく。


「お、おい、待て!パリス…無茶はするな」


ヘクトルがパリスの腕を掴んだ。


「いいえ、いくら兄上の言う事でも、これだけは聞けません」
「しかし…彼女は…」
「僕の妃にします」
「…は?!」


パリスがキッパリそう言うとも驚いて彼の顔を見た。


「な、何言ってるの…?!」
「お前は私のものになる運命なんだ」
「はあ?」
「お、おいパリス…!」
「失礼します」


パリスはオロオロとしているヘクトルに、そう言うとを抱えたまま、スタスタと歩いて行ってしまった。


「ちょっと、あなた…彼女、今日、婚儀をあげると言ってたのよ?どうするの?」
「な、何?婚儀…?!」


アンドロマケに、そう言われてヘクトルは驚いた。


「ええ…でもね…。他に好きな人がいるみたいで…結婚はしたくないって感じだったわ?」
「しかし…誰と結婚するんだ?他に好きな奴がいるなら、そいつと結婚したらいいじゃないか」
「それが…何か事情があるみたいな様子で…」
「そうか…。だが、それなら、なおの事、彼女を帰さないと…」


しかし…パリスが、あそこまで一人の女に執着するのは珍しい事だ…
今まで何人もの女性と、恋に落ちたと騒いでは付き合ってはいたが、一人たりとも続かなかった。
まして妃にするなどと言った事もない。
第二王子とは言え、妃を決めると言う事は大事な問題だ。
誰でもいいというわけではない…。


「運命…か…」
「え?」
「いや…パリスの奴…彼女の事を、運命の女性だ…と言った。彼女と出会うのは小さな頃から決まっていた、と―」
「どういう事…?」
「さあな…。だが…あいつが、そこまで言うのは聞いた事がない…。何か根拠でもあると言うのか…」




ヘクトルは、この事態をどうしてよいものやら考えあぐねていた――














その頃、パリスはを自室へと連れ帰っていた。


「下ろして!バカ王子!」
「失礼だな…さっきから。僕の事をバカ呼ばわりした者などいなかったぞ?」


パリスは、そう言いながらも少し愉快そうに笑って、を部屋のベッドへと下ろした。
その時、が何かを振りかざして、パリスの腕に一筋の血の線が走る。


「…つ…っ」
「私に指一本触れたら…今度は、その美しい顔に傷をつけるわよ?!」


が尖った針のようなものを手に握りしめて、パリスを睨んでいる。
パリスは、切られた腕を見て少しの方へと視線を向けると、自分の傷をペロっと舐めてニヤっと笑った。


「勇ましいね?君…アキレスの幼なじみだけはあるかな?」
「……!」


はアキレスの名を出されて顔を赤くした。


「そんなの関係ないでしょ…!」
「アキレス…彼は物凄く強いらしいね?どんな男?」
「え?…ア、アキレスは…。そうよ…彼は強くて何者にも屈しない不死身の男よ!あんたなんて一瞬で殺されちゃうわ!」
「ふ~ん…そりゃ怖いね…」


パリスはそう言うとベッドの上に這い上がって、へと近付いた。


「こ、来ないで…!ほんとに刺すわよ?!」
「無理だよ…。君は女なんだから…」


パリスは、の腕を素早く掴んで手に握っている針を奪い取った。


「ほらね?だから大人しくして」
「ち、近寄らないで…!」


パリスは、を壁まで追い詰めると、そっと彼女の両頬に手を添えた。


「君…名前は?」
「な、何で、あなたに教えないといけないの?!」
「君は僕の妃になる人だしね」
「か、勝手に決めないで!!私は…」
「何?心に決めた人でも?」
「そ、そういうんじゃ…」
「じゃあ、何?」


パリスは優しく彼女の瞳を見つめた。
は、その美しい王子の優しい瞳にドキっとするも視線を反らした。


「わ、私は今日…結婚する事になってる…だから私を帰さないと…争いが酷くなるわ?」
「え?結婚…誰と?!」
「そ、それは…」
「君を帰さないと争いが酷くなるって…どうしてだ?君は…何者なんだ?」


パリスは真剣な顔で、を見た。
は少し俯くと、息を吐き出す。




「私は…スパルタ王、メネラオスのフィアンセです…」


その言葉にパリスは一瞬、息を呑んだ。


「なん…だって…?」
「だから…私がトロイの王子に攫われたと知れれば…きっと、この戦争が今まで以上に酷くなるわ?」
「そんな…」


パリスは一瞬、呆然としての頬から手を離した。


「私…あなたの、お兄さんと彼の奥さんには凄くよくしてもらったの…。だからこれ以上、無駄な争いを大きくしたくない…
それに…へクトルと言えば、トロイ軍の総指揮官でしょう?争いが大きくなれば…彼も戦場へ行ってアキレスと戦うハメになる…
そんな事になって欲しくないの…。二人には戦って欲しくない…」


は、そう言うと涙が浮かんできた。


アキレスへの想いは夕べ、断ち切った。
約束の場所に来なかった事で…私はメネラオスの妻になる決心をしたのだ。
そうと決めたら早く戻らないと…そう思うが心が拒否しているのが分かる…私は…




「結婚…したく…ない…」





「え?」


思わず本当の心を口にしてしまった。
本当なら、ここから帰れたとしても、どこか遠くへ逃げてしまいたかった。
その思いがつい言葉に出ていた。


「君…メネラオスの事を…愛してるわけではないのか?」


パリスの言葉に一瞬、の瞳が潤んだ。
そして首を振ると、涙が頬を伝う。
パリスはを思い切り抱きしめた。


「なら…帰る事はない…!ずっと…ここに…僕の傍にいてくれないか?」
「何を…」
「運命なんだよ?君と…こうして出会ったのは…」
「…え?」


はパリスの言葉に耳を疑った。


この人…何を言って…夕べ…しかも捕虜として会った私との出会いが…運命ですって…?
さっきも妃にするとか何とか言ってたけど、どういう事なの?
妾にするとかなら分るが、敵国の捕虜として捕らえた女を妃にするなんて聞いた事もない…。


「あ、あの…意味が…分らないわ?」
「意味?」
「ええ…。あの…運命って…?」


が、そう聞くとパリスは、そっと体を離した。
は少しホっとして息をつく。
だがパリスは真剣な顔での手を握った。


「昔…僕が、まだ小さくて…二つの国も争いがなかった頃…」




パリスは自分が子供の時に起きた出来事をに詳しく説明した。
三人の女に、「誰が一番奇麗なのか」 と問い詰められ、選んでくれたら欲しい物を与えると言われた事を――



「それ・・・聞いた事があるわ…?アキレスのお母様から…」
「ああ、そうだろうね?彼女の結婚式だったんだから…」
「お母様は、"パリスの審判"と呼んでいたわ…。あれは…あなたの事だったのね?」
「ああ…。何気ない僕の一言で、二人の女からは睨まれ敵になると宣言された。あの二人は今、ギリシャ側についてるよ」
「で、でも…アフロディーテが言っていた女性が、どうして私だと?それに、そんな昔の事を今でも覚えてるなんて…」


の言葉に、パリスは微笑んだ。


「ギリシャ陣営で捕まえた時は気付かなかったけど…さっき君を見て、そう思ったんだ。
"彼女ほど美しい女性は、この世にはいない。アフロディーテが言っていたのは彼女の事だ"と…。
それに…忘れようにも何年経っても、あの約束だけは忘れなかった。
夕べ、兄が奇襲をかけると言ったのを聞いた時、とうとう、"審判の日の答え"がでる…と感じたんだ」


パリスの言葉には頬が赤くなった。
それに気づいたパリスは、をまた優しく抱き寄せた。


「これで…分っただろ?君と僕は…何年も前から出会う運命だったんだ…」
「そ、そんな…。ただの偶然でしょ?あなたの思い込みよ…っ」


パリスはの、その言葉に少し悲しげな顔をした。


「そんなハズはない…」
「だ、だって・…会ったばかりの女に…しかも敵国の女に運命感じるなんて、あなた少しおかしいわよ?」
「どうして?」
「だって・…そんな愛せる訳ないじゃないの…。私の事だって何も知らないでしょう?」
「これから知りたいと思うよ?それに・…僕はすでに君に愛情を感じている」
「は?」


はパリスの突然の愛の告白に驚いた。


「わ、私はメネラオスのフィアンセよ?何を言って…」
「でも君は結婚したくないと言ったじゃないか。愛してないって」
「そ、それは…」
「僕が君を守るよ…。メネラオスから…誰にも渡さない」
「ちょ…ちょっと…」


パリスがそっと唇を近づけて来て、は思わず彼の胸を腕で抑えた。


「何?」
「何?じゃなくて…!変なことしたら許さないわよ?!」


の言葉に、パリスは一瞬、驚いた顔をしたが、突然、吹き出し笑い出した。


「ぷっ…ア八ハハ…っ」
「な、何が、そんなにおかしいの?!」
「い、いや…ごめん…。そんなこと言われたの初めてだからさ…驚いちゃって…アハハ…」


は目の前で笑い転げているトロイの王子を見て唖然とした。


な、何なの?この王子…
いきなり人を捕虜にしたかと思えば、突然、迎えに来て愛の告白…そしてキスを拒絶したら、こうして一人笑い転げている…


「あなた…。変な人ね?ほんとに王子?というか…ほんとに、あのへクトルの弟なの?」
「え~?アハハ…変な人ってのも初めて言われたね!」


まだ少し笑いながら、体を起こすと、パリスはに微笑んだ。
その笑顔に少しドキっとする。


この人…へクトルとも…アキレスともタイプが違う。
無邪気というか…素直と言うか…
王族にしては…変わってる。


「何?見惚れてるの?」
「は?!」
「だって僕の顔、じーっと見つめてるから」
「バ、バカなこと言わないで…」


思わず顔が赤くなり視線を反らした。


「と、とにかく…私は、この戦争は早く終って欲しいと思ってたの…。だから私をギリシャ軍の元へ帰して…」
「嫌だね」


パリスはキッパリとそう言うと、「もう君は僕のものだ。誰にも渡さないって言っただろう?」 と言ってニヤリと笑った。


「か、勝手に決めないでよ!私には…」
「何?フィアンセがいるから?いいじゃないか、あんなジジィ。愛してないんだろ?」
「ちが…っそういう意味じゃなくて・…」
「じゃあ、何?他に好きな男でもいるの?」
「………」


が俯いたのを見て、パリスは片方の眉を上げた。


「何?いるの?好きな奴…」
「い、いるわ…」
「誰?」
「そ、それは…」
「君…好きな男がいるのに、愛してもいないメネラオスと結婚を決めたのか?」
「だって…仕方なかったのよ…!」


いきなりが顔を上げて怒鳴った。


「どういう事?」


パリスは少し首をかしげた。
は、その問いに、また俯いたが静かに口を開いた。


「だから…メネラオスに、結婚しなければ…家族を…私の兄弟を殺すって言われて…」
「何だって?!そんな…」
「だから…私と姉は…」
「姉?」
「ええ…一つ上の姉さんはメネラオスの兄、アガメムノン王と結婚させられたの…」
「そうだったんだ…」
「だから…どんなに愛していない男でも…私は…言う事を聞く以外にない…」


は悔しそうな顔で呟いた。
パリスはそんな彼女を見て胸が痛くなり、優しく抱き寄せる。


「な、何…?」
「そんな奴のとこへ行かなくていい…。僕が守ると言っただろう?」
「そんな…無理よ…。私が戻らなかったら…戦争が大きくなるわ?それに…家族だって殺されてしまうかも…」


の言葉に、パリスはそっと体を離すと、の頬に手を置いた。


「僕は…今まで戦った事などなかったし…戦う事なんてバカらしいと思っていた…
権力争いをしかけてきたアガメムノンに無性に腹が立っていたよ…でも…君のためなら…僕は戦うよ。
アガメムノンとも…そしてメネラオス王ともね。君の家族だって、ここへ一緒に連れてきたらいい」
「え…?」


はパリスの言葉に驚いた。


私の為に戦うですって?会ったばかりの私のために?!
そんな王子がいるわけない…自分の国だって危なくなると言うのに…


優しく見つめてくるパリスを見て、は首を振った。


「ダメよ…。私を帰して…。バレる前に…」
「嫌だよ…っ。あんな男の下へなんて帰さない…っ」
「だって…!戦争が―」


そこまで言った時、の言葉がパリスの唇で塞がれ途切れた。


「ん~~…っ」


はジタバタ暴れながら何とか離そうと、パリスの頬を掴んで軽く押し戻した。


「もう…どうして離れるの?」


パリスは少し口を尖らせている。
私は思い切り顔が赤くなっているのが自分で分った。
そして力いっぱいパリスの頬を引っぱたいてしまった。


「ぃた…!」
「な、何するのよ…っ!このエロ王子!!」
「な、何も殴る事ないだろ?!それにエロ王子って何だよ!僕はいやらしい意味でキスしたわけじゃない!」
「じゃ、じゃあ何なのよ…!恋人でもないのにキスするなんて信じられない…っ」
「む…そんなの君を愛しいと思ったから、したに決まってるだろ?!」
「……っ」


愛しいと言われては、ほんとに顔が熱くなり両手で顔を覆った。
するとパリスが悲しげな顔で、「この怪我…兵士にやられたんだね…ごめん…」 というと、の額の傷にそっと唇をつけた。
は手で顔を覆ったまま固まってしまって動けないでいる。
するとパリスは額の次に兵士に殴られて切れた唇の端へも優しくキスをしてきた。


「キャ…っ。また…や、やめて…!」
「どうして?そんなに僕に触れられるのが嫌なの?」


少し悲しそうな顔で迫ってくるパリスの胸を押しながら背中が壁へと押し付けられ逃げ場がなくなった。


「来ないでってば…っ。また殴るわよ?!」
「何で?君にキスしたいんだ…」
「……し、しないでっ」
「やだ…したい…」
「………!」


はパリスの奇麗な顔が、どんどん近付いてくるのを見て顔を背け、思わず叫んでしまった。


「さっき、キスされたのも初めてなのよ…!これ以上、キスしないで…!!」


するとパリスの動きが止まった。
は恐る恐る目を開けてみると…
パリスは口を空けたまま、を見つめている。


「な、何…見て…」
「ほんと?」
「え?」
「ほんとに…さっきキスしたのが初めてなの?」
「…へ、変なこと聞かないでよ…っ」
「ほんとに?」
「………!」


パリスの真剣に聞いてくる顔に思わずコクンと頷いてしまった。
途端に思い切り抱きしめられて、は驚いた。


「キャ…っ!は、離してよ、エロ王子!!」
「嬉しいよ…!もうエロでも何でもいい!」
「!!」
「てっきり…メネラオスと…って思ってたからさ…」
「や、やめて…結婚前に体を許すはずがないでしょう?!って、そう言って逃げてたんだけど…」
「そうか…っ。そうだったんだ…!」


パリスは本当に嬉しそうで、は困ってしまった。


この人…ほんとに変だわ…!!
しかも…アキレスと…と思ってた私のファーストキスを奪うなんて~~~!!
さっきは驚いたあまり、言えなかったけど…
もう一発…殴ってやろうかしら…?!





と、は怖い事を考えながら、どうやって、この場から逃げ出すか、頭の墨で考えていた――









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うわー!とうとう映画夢を書いてしまいました(滝汗)
トロイを見てから何となく書きたいなぁ~とか思い始めて・…^^;
まあトロイ戦争とか原因とかは、あまりに有名なんで
その辺の事実を少しづつ入れながら、あとは映画のネタを少し入れたりして
他は創作しちゃいました。
なもので映画や実際の話とは違う設定だったりもするかと思われます。
同じと思わず、これは、トロイのネタを使った、こういうお話なんだと思って
読んで頂けると嬉しいです。
なので一切苦情は受け付けませんので(笑)


これを書くにあたって、トロイの原作本を探しに本屋へ行ったのに
売ってないから、どうしようかと思いましたが(苦笑)
まあ、トロイ戦争の事は色々な本もあるしね…
何となく…という感じで書きます(オイコラ)
こんなんだったら、LOTR夢も書けるだろって話ですよね…(苦笑)
これは長く続ける事はないと思いますが、
少しの間、お付き合い下さいませ…vv