TROY

最終章:永遠に






それは紀元前3000年…
古代ギリシャとトロイで起こった愛の物語…




















呼吸が荒く体がどんどん冷たくなる。
パリスは腕の中の愛しい人を守るように抱えて炎が燃え盛る中を走り抜けていた。
血が自分の腕を濡らして行くのに恐怖を感じながらパリスは必死で走った。


死ぬな…っ
死なないでくれ…
僕は…君がいないと生きている意味がないんだ…っ


城の中を走り抜けて裏庭にたどり着いた。
すぐに避難通路の中へと入り、入り口を閉めて鍵をかける。
ギリシャ兵は、すぐそこまで来ていた。


(急がないと…!早く…止血しないとの命が…)


パリスは暗く細い通路をを抱えながら走って行く。
すると前方に明かりが見えて声が聞こえた。


「パリス様ですか?!」
「……レイア?!」
「は、はい!こっちです!」


パリスはレイアの声のする方へ向かうと狭かった通路が一気に開けた場所へと出た。


「キャァ…!様!!」


腕の中でグッタリとしているを見て、レイアが真っ青になった。
その声を聞きつけて、サルベードンが走って来る。


「パリス様、これは…っ」
「話は後だ!が…死にかけている!医師は?!医師は無事に逃げ出せたのか?!」
「は、はい!医師は皆と、すでに先へ…!こっちです!」


サルベードンは慌てて走り出す。


「レイア!早く!」
「は、はい!」


フラフラとする足をしっかり地に付けて、レイアもサルベードンの後を追った。


「パリス様、もう他に非難する者は…」
「いないと思う!僕で最後のはずだ!アイネイアスはどうした!」
「先に皆を連れて先頭を守っています!」
「そうか…。船の用意は出来てるか?!」
「はい、先ほど確認してきました。すぐにでもミノアに行けるはずです!」
「良かった…」


パリスはホっと息をついての顔を見つめた。


(待ってて…今すぐに手当てをしてあげるから…)


パリスは祈る思いで暗闇の中、サルベードンの後を走って行った。
すると沢山の松明が見えて非難してきたであろう女官や兵士達が手を振っている。


「パリス様、ご無事で!!」
「ああ、僕は大丈夫だ!それよりが傷を…!医師を呼べ!」
「は、はい!」


パリスが船に乗り込み、そう叫ぶと、兵士は慌てて隣の船まで走って行った。


「パリス様!様をここへ!」


レイアが下の船室から顔を出して呼んでいる。
パリスは、そのままを船室へと運んだ。


「ここへ…そっと寝かせて下さい」


布を何枚も重ねた上に、パリスは静かにを寝かせた。
そして矢が刺さった傷口を確認して顔を顰める。


「左のわき腹…内臓が傷ついてなければいいが…」
「パリス様…血が…血が止まりません…」


レイアが震える声で、そう呟く。
パリスは唇を噛み締め、涙を手で拭った。


「くそ…!何で…こんな事に…。医師はまだか!」


パリスが叫んだ、その時、走って来る足音が聞こえて見覚えのある医師が狭い階段を下りてきた。


「ああ、あんたか!頼む!を…彼女を何としてでも助けてくれ!」


パリスが哀願するように言えば、その医師は目を見開いての傷口を見ている。


「これは酷い…。至急、血を止めないと大変だ…。ある限りの布と水を!」
「は、はい!」


医師の言葉にレイアが飛び出していく。
パリスは祈るように手を組んで、医師の後ろでを見守っていた。
そこへ怒号が聞こえてきた。


「トロイ軍が逃げるぞ~!!!追えーー!」


パリスは、ハっとして顔を上げた。
その時、サルベードンが顔を出す。


「パリス様!ギリシャ軍に見付かりました!」


その声にパリスは慌てて船の上に上がった。


「あそこにギリシャ軍が…!」


サルベードンが指さす方に沢山の松明の明かりが揺れている。


「いけない…。船を出せ!他の船にも知らせろ!」
「はっ!」


サルベードンが走って隣の船にも松明を振りながら必死に叫んだ。


「出航だ!!全員、船を出せーー!」


その声を合図に次々と船が岸を離れ出した。
パリスの乗った船も真っ暗な海の中を進んで行く。
時々、矢が飛んでくるのを剣で叩き落しながら、パリスはの容体が心配だった。


(必ず…助かってくれ…!)


「弓隊!追っ手を攻撃しろ!」



パリスは辛い気持ちを押し殺し、追ってに向かって自らも弓を構えた。























「ふん!逃げたか…」


オデッセウスは忌々しげに、遠ざかっていく船を睨みつけた。


「おい!あれにパリスは乗ってるのか?!」
「はっ。パリス王子は逃げおおせたようです!」
「くそっ。この手で殺してやりたかった…」


オデッセウスは怒りを堪えきれず、目の前のトロイ兵の遺体を蹴飛ばした。


(アキレス…何故、お前ほどの男が…)


遠くで見ていた兵士に寄れば、アキレスはパリスの矢を避ける間もなく受けたらしい…
そこに女がいたと言うが…それはなのか…?
お前は…を想うばかりに…油断したと…?


オデッセウスが駆けつけた時、アキレスは、すでに息絶えていた。
近くではアガメムノンまでが死んでいて驚いた。


この奇襲は…間違ってなかったはずなのに…全てが上手くいくように、と俺が考えた。
なのに…将来、共に戦おうと思っていた戦友は死んだ…
そして…密かに思い続けていた…彼女でさえも…


俺は…これから、どうしたらいい…?
なあ、アキレス…


オデッセウスは、どんどん遠ざかる船の明かりを見つめながら、頬に伝う暖かい涙をそっと拭った。
そして顔を引き締めると、兵士に向かって、


「よし!城を焼き払え!!」


と叫び、一人先に歩いて行った―

























「もう、ここまで来れば大丈夫です…っ」


サルベードンが遠く向こうに光る明かりを見ながら呟いた。


「ああ…だが…城が…」


パリスは城が赤い炎の中に包まれて行くのを黙って見ていた。
火の粉が高く高く舞い上がり、小さく消えていく。


兄上…僕は…城を…皆を守れなかった…
愛するでさえ…この手で傷つけてしまって…


ギュっと拳を握り締めたパリスの頬に涙が幾粒も零れては落ちた。


「…く…っ…」
「パリス様…」


サルベードンは肩を震わせ、声を殺して泣いているパリスの肩を、そっと抱きしめた。
隣の船からも、かすかに泣き声が聞こえてくる。
皆、自分たちの国が燃えて行くのを悲しんでいるんだろう。


「…パリス様…」


そこへ疲れきった様子のレイアが顔を出した。
名を呼ばれ、ハっと顔を上げたパリスは慌てて涙を拭い振り向く。


「何だ…?」
様の傷の手当てが終りました」
「何?」


それを聞いてパリスは慌てて船室へと降りると、の傍に膝をついた。
青白い顔で横たわるは、まるで死人のようだ。


「先生…は?」


水で手を洗っている医師にパリスは問い掛けた。
かすかに声が震えているのが自分でも解かる。
医師は手を拭きながら、パリスを見ると、軽く息をついた。


「今夜が…山だろう…」
「…え…っ?」
「血を…流しすぎた…。彼女の体力が持つかどうか…。このまま意識が戻らなければ…」
「そんな…!頼む!を…彼女を助けてくれ…っ」


パリスは医師にしがみ付き必死に哀願する。
だが医師は首を振って、


「やれるだけの事はやった…。あとは…彼女の体力で乗り切ってくれる事を祈ろう…」


医師は、そう言うと船室を出て行った。
パリスは、ガックリと手をつき、そして思い切り床を殴った。
ガン…っと鈍い音がしてレイアがビクっとする。


「パリス様…」
「僕が悪いんだ…」
「え…?」
「僕が…を…。彼女が死んでしまったら…僕が…殺した事になる…。愛してるのに…こんなに…愛して…る…」


パリスの瞳からボロボロと涙が零れるのを、レイアは張り裂けそうな思いで見ていた。
レイアの頬にも暖かい涙が零れ落ちる。


どうして…どうして、お二人が、こんな思いをされなければいけないの…?!
こんなに想いあってるのに…
どうして二人を、そっとしておいてくれないの…?!
二人は幸せな結婚をするはずだったのに…!
民から、トロイ国中から祝福されて…
なのに何故、こんな風に生まれた国を追われなければいけないの…?


レイアは溜まらず、静かに船室を出て行った。


パリスは暫く黙って泣いていた。
だが不意に顔を上げると、そっとの頬を撫でる。


…死なないで…?僕を…一人、置いて行かないで…」


そう呟き、の奇麗な髪を撫でて行く。
そっと胸に耳を近づけ、の心音を聞いた。
トクン…トクン…と弱いながらに打っている。
それを聞いてパリスは胸が押しつぶされそうになった。


…もしもの時は…僕も一緒に逝くよ…?ずっと…傍にいるって…約束しただろう…?愛してるよ…」


パリスは、そう呟き、の冷たい唇に、そっと口付けた。
何度も、何度も唇をに触れて、愛してる…と囁く。


なのにの瞳は一向に開かない。


パリスは、そっと体を離すと、の手を握り締め、片方に手には短剣が握られていた。

























「サルベードン…」


レイアは甲板の上に出ると、海を眺めているサルベードンの傍に歩いて行った。


「レイア…様は…」
「まだ…意識が戻らないの…。今夜が山だろうって…」


そう言った瞬間、レイアの頬にぽろぽろと涙が伝っていく。
サルベードンはレイアをそっと抱きしめた。


「泣くな…。お前の悲しんでる姿は見たくない…」
「だって…だ…って…。このままじゃ…パリス様も死んでしまうわ…?様が…いない世界で…生きてはいけないと…そう、おっしゃってらしたもの…」


レイアは、そう言ってサルベードンの胸の中で泣いた。
そんな彼女を抱きしめ、優しく頭を撫でながら、サルベードンの瞳にも涙が浮かぶ。


こんな…こんな結末なのか…?
この…長年、続いてきた戦の代償が…こんな…


へクトル様が亡くなられ…城まで焼き払われ…そして…様まで…
こんな事がお望みなのか?!神よ…っ!アポロ神よ…!
我々は…無駄に戦い、傷つけ、血を流した者の…代償を今、払っているのか?


サルベードンは、"戦など無意味"だと言った、の言葉を思い出していた―













暫く波の音を聞きながら、サルベードンとレイアは甲板に佇んでいた。
深い闇が一生続くのではないかと思えていたが、水平線に薄っすらと青い光が見えて来た時、二人は、かすかな希望が見えた気がした。


「レイア…日が…今日も昇る…見えるか?」
「……ええ」


確かに…城は焼かれ…国は滅んだ。
だけど…私達は生きている…
この命だけは無駄にしてはいけない。


そう思っていた。


その時、船室から叫び声が聞こえた。
それが愛する人の名を呼ぶ、パリスの悲しい叫びだと気づいた時、二人は急いで船室へと降りて行った。






















…!どうして目を開けてくれない?!僕はここにいるのに…!」


「パリス様!いけません!」


サルベードンは意識のないを抱きしめながら泣いているパリスを慌てて止めた。


「離せ…!!目を開けて?!お願いだから…っ!もう一度、その目を開けて僕を見て!!……神さま…!」




どうか…僕から彼女を奪わないで下さい―――!




パリスはの手を握りしめ、自分の額に押し付けながら最後の祈りを捧げた。


…愛してる…。ずっと…傍にいるよ…?」


パリスは、そう呟いての唇に深く口付けた。
涙がの頬にいくつも落ちて行く。
パリスは、そっと唇を離すと、持っていた短剣を握りしめる。
それまで後ろで何も出来ず、目の前の二人を見ていたレイアとサルベードンも、それに気付きハっとした。


「パリス様!いけない…!!」





















…今なら…まだ君に追いつくよね…?」




















「パリス様…!!」

























サルベードンは短剣を振りかざし自分の胸に突き刺そうとしているパリスを見て、その手を止めようと腕を伸ばした。








だが…
























「ん…っ」






「―――っ?!」






「…パ…リス……」






…!」











カラーン…と音がしてパリスの手から短剣が落ちた。


サルベードンもレイアも、その光景に全く動けない。






…?」







パリスは、そっとの傍に膝をつき、顔を覗き込む。
先ほどの自分の涙で濡れた頬を、震える手で拭いながら、ゆっくりと顔を近づけた。
すると、かすかだが小さな息遣いが聞こえてくる。


…?僕は、こにいるよ…?」


「ん…」



の手をギュっと握ると彼女の瞼がわずかに動き、そのまま、ゆっくりと開いたのをパリスもサルベードンもレイアも信じられない思いで見つめていた。
は少しだけ顔を動かすとパリスの方を見た。


「…パリス…」
…?ここだよ?僕はここにいるから…っ」


パリスが、そう叫んでの手を更に両手で包んだ。
その温もりが解かったのか、は少しだけ微笑んだような気がする。


…意識が…戻ったんだね…?」


パリスはの手をギュっと握り、そのまま口付けた。






――神さま…!






は、まだ意識が朦朧としているのか、視線を彷徨わせている。
それを見てレイアは、ハっとした。


「わ、私…医師を呼んで来ます…!」
「た、頼む…っ」


レイアの言葉に、サルベードンもハっとして顔を上げた。
そしてパリスの近くに落ちている短剣をサっと取って自分の服に仕舞う。


危なかった…
さっき…パリス様は混乱なされて自ら命を絶とうとしたのだ…
あのままだったなら…間違いなく私はパリス様を守ることが出来なかっただろう…
様が…意識を取り戻さないままだったら…


サルベードンは改めて胸を撫で下ろした。
そこにドタドタと足音が聞こえて医師が下りてくる。


「あ、様が意識を…」
「ああ、聞いた!どれ、見せなさいっ」


医師は、すぐにの傍に行くとの脈をはかり、目を覗いてみた。
そして心音を確めると、思い切り息をつく。


「はぁ…奇跡だな…。心音も…脈も正常に動いておる…」
「ほんとですか?!」


パリスは零れる涙を拭きもしないで医師を見た。


「ああ。もう大丈夫だ…。安静にしてミノアについたらすぐに体を温め、薬湯を飲ませてあげれば体力も回復するだろう…」


医師の言葉に、パリスは、その場にペタンと座り込んだ。
極度の緊張が解けて体の力が抜けたのだろう。


「はぁぁ…良かった…。…っ」


パリスは、そう呟くとの頬を優しく撫でた。
すると薄っすらと開いていたの瞳が大きく見開かれる。


「…パリ…ス…?」
…っ?」
「パリ…スなの…?」
「…そうだよ?僕だ…。君の傍にいるよ?」


パリスはの顔を覗き込み、ちょっとだけ微笑んだ。
すると小さな手が弱々しく伸びてきて、パリスの涙で濡れた頬に触れる。


「ど…して…泣いて…るの…?」


不安そうに悲しげに瞳を揺らすにパリスは黙って首を振った。


「何でもない…。もう…大丈夫だよ…?」
「そ…う…?な…ら…良かった…」


は安心したように微笑むと、また目を閉じてしまった。


…?…?先生、が…」
「ん?ああ、大丈夫。眠っただけだろう。かなり体力を使ったんだ。疲れるのは無理はない…。
今は…ゆっくり眠らせてあげなさい。もう彼女は大丈夫だ」


医師の力強い言葉に、パリスはやっと安心したように笑顔を見せた。


サルベードンとレイアも体を寄せ合い、微笑みあっている。





そこへ、「ミノアが見えて来たぞーー!」 と兵士の声が朝日の中、響き渡った。






































1ヶ月後――
















パリスは庭の中をゆっくり歩きながら、真っ白な花を摘んでいた。
時折、顔に近づけ花の香りを楽しんでいる。
そこへ、かすかに足音が聞こえ、パリスは振り返った。


「パリス様…おはよう御座います」
「ああ、アイリス。おはよう」


そこにはミノアの王の息子の妃となったアイリスが立っていた。


「そのお花…様に?」
「ああ、そうなんだ。あまりに奇麗だから…いいかな?」
「ええ、もちろん。普通なら侍女がやるお仕事ですのに…」


アイリスはクスクス笑いながら、パリスを見た。


「いや…僕が直接、に送りたいんだ…」
「あらあら。朝からノロケられるなんて」
「よくいうよ。君だって新婚だろう?」


パリスは、そう言って苦笑した。
アイリスも、ちょっと微笑むと、


「もう一ヶ月経ってしまいましたわ…?パリス様に振られて…泣きながらミノアに戻って来たのも遠い昔のようです…」
「アイリス…」


パリスは少し悲しげな顔をしたアイリスの肩に優しく手を置いた。


「もう…忘れました。汚い手を使って…パリス様と様を引き裂こうとした醜い私は…もういませんわ?」
「アイリス…そんな風に自分を責めるな…。僕だって…君に悪い事を…」
「いいえ。パリス様…。そんな事は言わないで下さい…。もう…いいんです。パリス様さえ幸せになれれば…」
「アイリス…。ありがとう…。君には…随分と世話になった。友好国とはいえ、僕らトロイの民を受け入れてくれて…
ミノアの王に口添えしてくれたのも君だと聞いたよ…」
「そんな事はないですわ?トロイの王…プリアモス様とミノアの王は旧知の間柄…。
その息子のパリス様を迎え入れるのは当然の事です。ここミノアもトロイの人達に随分助けられてましたもの…」


アイリスは、そう言うとちょっと微笑んで宮殿の方を指さした。


様がお待ちですわよ?お顔を見ていらしてはどうですか?」
「ああ…そうだな…」


パリスは少しだけ目を伏せると小さく息を吐き出した。
それにはアイリスも心配そうに見つめる。


「まだ…気にしてらっしゃるんですか…?様に傷を負わせた事を…」
「…それも…ある。だが…」
「…アキレスの…命を奪ってしまった事ですか…?」
「………」


アイリスの言葉に、パリスは空を見上げた。


「僕は…あの時、をアキレスに連れて行かれると…そう思った…。アキレスが剣を抜いていないのに…思わず弓を…」
「パリス様…そうしないと…あなたは殺されていました。仕方がない事です」
「いや…例え、そうでも…が愛した男を、この手で殺したのは…事実だよ…」
「でも…様は、その事を責めましたか?」
「いや…。何も言わないで、と言われたよ…。彼女も…辛いと思うんだけど…」
「パリス様…」


アイリスはパリスの手をギュっと握って顔を上げた。


様が愛しているのは…パリス様です。その事だけを信じて…様と婚儀を挙げてくださいませ…」
「アイリス…」
「そうじゃないと…レイアとサルベードンが、いつまで経っても婚儀を挙げられないと嘆いていましたよ?」
「…………っ」


アイリスは、そう言ってクスクスと笑い出した。
それにはパリスもつられて噴き出す。


「…アハハハ…。まったく…君には敵わないよ…」
「さあ、早く様のお傍に…。待ってらっしゃいます」
「ああ…。解かった。僕もそろそろの顔が見たいなって思ってたとこなんだ」
「まあ!またノロケられちゃいましたわね?」


アイリスは、そう言って本当に楽しそうに笑った。
彼女の笑顔を見ながら、パリスは、ふと胸が熱くなる。


本来なら…彼女はとても素適な女性だったんだ…
それを僕が傷つけた。
それなのに今、こうして僕を励ましてくれて…
感謝しても…したりない…


パリスは、そう思いながらアイリスに微笑んだ。


「ありがとう…。アイリス…本当に…ありがとう」


その言葉に、アイリスは優しく微笑んだだけだった。


























?気分はどう?」
「パリス…っ」


パリスが部屋へ戻ると、が寝台の上に起き上がっていた。
そのまま彼女の傍に歩いて行き、摘んで来たばかりの花束を見せる。


「はい、これ」
「まあ、奇麗…!これ私に…?」
「もちろん。今朝、咲いたばかりの花だよ?」
「ありがとう…。凄くいい匂い…」


は嬉しそうに笑顔を見せて花束に顔を埋めている。
それをレイアも笑顔で見ながら、


「花瓶を持ってまいります」


と気を利かしたのか部屋を出て行った。
それを見届けると、パリスは寝台の端に腰をかけ、をそっと抱き寄せる。


「パリス…?」
「ん…?」
「今日から外に出てもいいって今朝、医師に言われたわ?」
「え?ほんとに?!」


パリスは驚いて体を離し、の顔を覗きこむと、彼女がニッコリ微笑んだ。


「ええ。そろそろ体力も戻って来たからって。後でお庭に連れて行ってくれる…?」
「ああ、もちろん!が望むなら海にも連れて行ってあげるよ?」
「ほんと?うわぁ、楽しみっ」
「ここは周りが全て海に囲まれている。凄く奇麗だよ?」
「そうね…。私、ミノアに来たのは初めてだから色々と見て周りたいわ?」


はワクワクしたようにパリスを見る。


「ん~でも、少しづつね?病み上がりなんだから…無理しちゃダメだよ…?」
「解かってるわよ…」


は少しだけ口を尖らせて、パリスを睨む。
その顔を見てパリスの顔が綻んだ。
そっと彼女を抱きしめると、額に優しく口付け、最後に唇を塞ぐ。


「……」


ゆっくり唇を離した後、パリスはの瞳を見つめ、


「僕と…結婚して欲しい…」


と呟いた。
それにはも驚いて顔をあげる。


「パリス…」
「ちゃんと婚儀を挙げて…を妻にしたい。もう僕は王子でも何でもないけど…を愛する気持ちだけは誰にも負けない」


パリスはそう言うとの頬に、チュっと口付けて微笑んだ。
は一瞬、瞳を伏せたが、すぐに顔をあげると、その大きな瞳には涙が浮かんでいた。


「…嬉しい…」
…じゃあ…僕と結婚してくれるの…」


その言葉に、は小さく頷き、パリスの胸に顔を埋めた。


「愛してるもの…。ずっと…この先も…パリスだけを…」
…。それは…僕の台詞だよ…」


パリスは胸が熱くなり、そっと体を離し、もう一度に口付けた。


先ほどよりも甘く、そして長い口付けをしながら、パリスは心の中で誓う。


一生…を愛し、守って行くと…


不幸な出来事を乗り越えて、今こうして二人でいる事を神に感謝しながら、パリスはを強く強く抱きしめた。


もう二度と離れないと誓うように…

























「ん?レイア…何をしてるんだ?」
「あ、サ、サルベードン…」


レイアは慌てて後ろを振り向くと、「今は入っちゃダメよ?」とサルベードンを押しやる。


「な、何だ…?どうしたのだ?私はパリス様に用事が…」
「ダ、ダメ!今、取り込み中なの!」
「はあ?」


レイアの言葉にサルベードンは首を傾げたが、すぐに意味がわかると一気に顔を赤くした。


「な、なら、お前、覗いてちゃダメじゃないか!全く、そのクセ直せ!」
「ま!クセじゃないわよ!趣味よ(!)」


澄ました顔で、そんな事を言いのけるレイアに、サルベードンは目を丸くした。


「しゅ、趣味とは何だ!覗きはいかん、覗きは!」
「だって…花瓶を持ってきたのに、お二人は甘い雰囲気で、お部屋に入れないんですもの…」
「ま、まあ…それは仕方ないだろう?少し我慢しろ」


そう言ってサルベードンは視線を彷徨わせている。
それにはレイアも口を尖らせた。


「それは我慢するけど…私達の結婚は…?」
「そ、それは…だから、お二人が先に婚儀を挙げてから…」


サルベードンが、そう言うとレイアはニッコリと微笑んだ。


「それなら解決しそうよ?」
「え?どういう意味だ…?」
「だって、今お二人は中で結婚を誓い合ってたんだもの!だから次は私達よ?」
「え?あ、んぅっ」


レイアは、そう言ってサルベードンに抱きついて口付けた。
サルベードンは驚いて目を白黒させていたが、そのうち優しくレイアを抱きしめながら深く口付けていく。






それを、ちょうど通りかかったアンドロマケが見かけて優しく微笑んだ。
そして、ゆっくり廊下を歩いて行きながら隣にいるブリセイスに言葉をかけた。


「ブリセイス…人は強いわ。過ちを犯しても…それを正して立ち直ることが出来るの。
愛する人を思って弱い心に支配されたとしても…それが間違いだと解かればその人は、もう一歩前に進んでいるって事なの。あなたにも…きっと出来るわ…?」
「はい…」


アンドロマケの言葉に、ブリセイスの瞳に涙が浮かんだ。


そう…私には敵わない…
あの夜…私は最低の事をした。
パリスをとられたくなくて…彼女を危険な目にあわせた。
なのに…その嘘に気付いているはずの彼女は私の事を何も責めない。
それどころかパリスにさえ言っていなかった。


負けた…と、そう思った。
彼女は…私なんかの気持ちまで考えてくれている…
パリスが彼女を選ぶのは当然の事だ。


アンドロマケは…全てを知って言ってくれたんだ…


私にも…立ち直ることが出来ると…


私は…トロイの巫女の名に恥じぬよう…神に仕えよう…


ブリセイスは、そう心に誓いながらアンドロマケに微笑んだ。
































、あまり歩きまわったら危ないよ?」


パリスはが庭を楽しそうに歩いて行くのをハラハラしながらついて行った。


「大丈夫よ…?ほら、ちゃんと歩ける…キャ…っ」
!」


少しよろけたにパリスは慌てて駆け寄った。


「危ないって言ったろ?ずっと動いてなかったんだから足が弱ってるんだ…」
「だって…」


パリスに怒られ、は口を尖らせた。
それにはパリスもちょっと笑ってしまう。


「ほんとじゃじゃ馬なとこは変わってないな?」
「ひどい…っ。じゃじゃ馬って何よ…っ」


は、そう言ってパリスの胸をポカポカと殴ったが、パリスにあっけなく腕をつかまれてしまう。


がいくら殴っても痛くないよ?」
「………っ」
「あ~そんな口を尖らせちゃって。ほんと、じゃじゃ馬だ」


パリスが、そう言って笑うと、は少しだけ目を伏せた。


「…?どうした?」


パリスは心配になっての顔を覗き込んだ。
彼女は少し寂しげな顔で微笑むとパリスを見上げる。


「よく…そうやって言われて…笑われたから…」
「…………っ」


それがアキレスの事を言ってるんだと、パリスは、すぐに解かった。


…」
「そんな顔しないで?責めてるんじゃないの…。仕方なかったのよ…?アキレスは…戦う為だけに生きてきた人だから…。
でもね?私にとっては大切な人なの…。それは変わらない。だから…こうして思い出話もしたいの…。いつまでも覚えていたいから…ダメ…?」


心配そうに見上げてくるに、パリスもやっと笑顔を見せた。


「ダメじゃ…ないよ…?」
「ほんと…?時々…こうして話してもいい…?」
「ああ…もちろん。の…大切な人なんだろ…?僕らは…敵だったけど…でも、あんな出会い方じゃなければ…
きっと僕とも…兄上とも、いい友人になれたはずなんだ…」
「パリス…」
「実はさ…。父上が兄上を連れて戻って来た時、ちょっと聞いたんだけど…アキレス…兄上を返してくれる前に、
亡骸に抱きついて泣いたそうなんだ…」
「え…?アキレスが…?」


それにはも驚いて目を見開いた。


「…"俺も…後から必ず行くから…それまで待ってろ…"って兄上の亡骸を抱きしめながら…そう言ってたって…父上が…」
「そう…だったの…」
「ああ。僕も最初、それを聞いた時、驚いたんだけど…。もしかしたら…兄上とアキレスは何度も戦いながら…自分と似た所を感じていたんじゃないかな…」
「似た…ところ…?」
「そう…。見た感じ、タイプは全く違うけど…どこかで同じ匂いを感じてたというか…何となく、そう思ったんだ…
お互いに戦いながら友情にも似た感情を持っていたのかもしれない」
「そう…。だとしたら…悲しいことね…?そんな二人が…戦わなきゃいけなかったんだから…」
「そうだね…。でもさ…僕はそれを聞いて少し救われたんだ…。アキレスが…兄上の為に涙を流してくれたって事が…」
「うん…ほんとね…?私も…少し気持ちが晴れたわ…?」


は、そう言って微笑むと、僕の胸に顔を埋めた。


「パリスも…そんな風に思ってくれて…嬉しい…」
…」
「愛してるわ…」
「僕も…死ぬほど愛してるっ」
「キャ…っ!」


パリスは、いきなりの体を高く抱き上げて微笑んだ。


「パ、パリス…?!」
…ずっと僕らは運命で繋がってたんだって…今は思うよ?」
「え…?」
「生まれる前から…君と出会う運命だったんだ…」
「パリス…」
「トロイはなくなってしまったけど…これから二人で…共に国を作っていこう…?僕と…君と…僕らの子供とで…」


パリスが、そう言うとは頬を赤らめた。
それを満足そうに見上げると、パリスはストンと腕の中にを戻して抱きしめる。


「愛してる…そんな言葉では言い尽くせない…。神さまに…感謝しなくちゃね…?」
「神さま…?」


がキョトンとした顔でパリスを見上げた。
パリスは優しく微笑んで、


「そう…。"あの夜…と…出逢わせてくれて…。あの朝…僕に返してくれて…ありがとう"…ってさ?」
「パリス…」
「もう離さない…。永久に…君を愛するよ…」


パリスは、そう言っての顎をそっと持ち上げ、優しく口付をした。



愛しいぬくもりを感じ、絶望に泣いた、あの夜を思いながら…





パリスは、もう一度、心の中で永久の愛を誓う。






あれから一ヶ月、トロイはなくなった。
ギリシャ兵に占領され、ギリシャの領地となった今は、燃え残った城の跡地だけが残り、荒れ果てた国となっている。
僕らはここ、ミノアに助けを求め、王の計らいで生き残った民に仕事を与えてもらい、
王族には親族としての扱いになり宮殿を貰った。
父が亡くなったと知ったのは…ここに来て一週間も経った頃だった。
生き残った者の中に父の姿がない事を知り、僕は胸が引き裂かれそうな思いをしながらも、大怪我をしたを支える為に泣き言は言ってる暇すらなかった。
そして…兄、へクトルの側近、アイネイアスから、母、アフロディーテは生き残りの中にいなかったと知らされた。
幼い頃、僕にとの出逢いを予言して見せ、この戦では二人で国を捨てなければ、どちらかが死ぬと予言した女神は姿を消した。


遺体は未だ見付かっていない。
もしかしたら一人逃げ延びて、何処かで生きているのかもしれない。
アイネイアスは、もう探さないと言っていた。
もし…今後、もう一度、僕の前に姿を表したとしても、もう僕は彼女の予言など信じないだろう。


が助かった奇跡を…この目で見てしまったのだから…






あの日の朝、の鼓動は確かに止まった。


だから僕は後を追って死のうとしたんだ。


サルベードンは僕が混乱したと思ったみたいだが、それは違う。


僕と彼女は共に生きて行く為に生まれてきたんだ。


どちらかが死ぬはずなどなかった。


だから…僕はもう予言など信じない。


を愛しつづけながら…


これは女神の予言とは関係なく、運命の出逢いだと、そう確信したから…



















これは紀元前3000年…




古代ギリシャとトロイで起こった愛の物語…

























Fin...








 

 




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最終章です。
やっとこ完結いたしました。
この"TORY"は管理人が初めて挑戦した映画夢でもありました。
何だか映画を見て凄く書きたくなって無謀にも連載など始めてしまったのですが何とか無事に終らせる事が出来ました。
このお話も沢山の人から感想を頂き、本当に感激しました。
実際の映画ではちょっとへタレたパリス王子も、このお話で、少しづつ逞しく成長して行く姿を描けて、とても満足です(笑)
結構、映画でのパリス役への文句が、あちこちで囁かれてましたので悔しさもありました(笑)
オーリーも気に入ってた役なので、これはこれで良しですよね(笑)
それでは、この"TROY"を最後まで読んで下さった皆様、長い間、本当にありがとう御座いました!
10月には"TROY"のDVDも発売されますし楽しみに待ちましょうvv
なお、映画夢は、またハマった映画などがありましたらチャレンジしてみたいと思っています(笑)(懲りない奴)