TROY

第三章:欲情









それは紀元前3000年…
古代ギリシャとトロイで起こった愛の物語…























は薄っすらと意識が戻って来て静かに目を開けた。
かすかに波の音が聞こえ顔を窓の方へと向ける。
すると朝日の中に見えたのは…








「キャ…っ」



な、な、何でパリスが私の隣に寝てるの……?!


隣でスヤスヤと無邪気な顔で寝ているパリスを見て、は混乱した。
慌てて体を起こすと自分が服を着ているのを確認し、ホっとするも、もう一度パリスの方を見た。


そう言えば…昨夜、パリスがずっと頬を撫でていたのを、かすかに覚えてる…
私は、お父様のことで胸が痛くて痛くて苦しくて仕方がなかったけど、その温もりで痛みが和らぐのを感じていた…
それに…


は指でそっと唇に触れてみた。


(何度もキスされたような…)


そう思い出すと一気に顔が赤くなる。


や、やだ…っ
私…気力もなくて何だか胸が痛くて頭が朦朧としてた。
でも…彼の唇の感触だけは何となく覚えている…
今でも、かすかに温もりが残ってるかのようだ。


意識が定かではない中に、パリスに何度もキスをされたのかと思うと恥ずかしさのあまり自分を呪った。
はパリスが起きないように、そっと寝台から立つと部屋から廊下へと出た。


このまま、ここに留まれば流されてしまう。
早く逃げ出さないと他の家族までが犠牲に…っ


は迷路のような廊下を急いで歩いて行った。
角を曲り、前に通った道をあるいて、庭へと出る。
そこに、「?」 と声をかけられ、ハっとして振り返った。
すると後ろからへクトルが歩いて来て、の腕を掴んだ。


「どこに行く気だ?」
「ヘクトル…!」


は天の助けとばかりに、へクトルへとしがみついた。


「あの…!お願いです、私を約束どおり、ギリシャ軍のところへ帰してください!このままだと私の家族が…」
「ああ…それは大丈夫だ」


の言葉を遮るようにへクトルが言った。


「…え?!大丈夫って…」
「夕べのうちにギリシャ軍へ君を捕虜にしたと通告しておいた。だから君が逃げたのではないと知った王が家族を殺す事はない」


そう言って優しく微笑むヘクトルを、は少しの間、驚いたような顔で見ていたが、すぐに首を振った。


「何て事を…。そんな事をして、わざわざ戦を大きくする気ですか…?」
「私だって、そんな事はしたくなかったさ…。でも…パリスの君への想いに打たれてね…」
「え?」
「パリスは君の事を本気で愛してるようだ。 ―どうだろう?このまま…パリスの傍にいてやってはくれないだろうか?」


はへクトルの言葉に唖然とした。


「そ、そんな・・・・無理です・・・・!私は彼の事を愛していません!」
「それは・・・・分かってる。君は・・・・アキレスが好きなんだろう?」
「な、何で、それを?!」


ヘクトルに、そう言われは顔が赤くなった。


「パリスが悲しそうに言っていたんだよ」
「・・・・・・・」


は困惑した表情を浮かべ、ヘクトルを見上げていた。
するとへクトルはの腕を掴んだまま城の中へと戻ろうとする。


「あ、あの・・・・!待って下さい!私を帰すと言ってくれたでしょう?お願い・・・このまま私をギリシャ軍に・・・」
「それは・・・・申し訳ないが出来なくなってしまった」
「ええ?どうしてですか?!」


が必死に問い掛けると、ヘクトルは悲しそうな顔でを見た。


「君を帰せば・・・きっと・・・いや必ずパリスは君を追って行くからだ」
「……え?」
「そうなれば…パリスはギリシャ軍に殺されてしまうだろう・…」
「で、でも…」
「頼む…弟の…パリスの元へ戻ってくれ…。君だって家族が助かった今、メネラオスの元へは戻りたくないだろう?」
「そ、それは、そうですけど…」
「今、君は我がトロイ軍の捕虜とされたと王は思っている。すでに戦は動き出しているんだ。今更君が戻ったところで、
この戦はなくなりはしない…。ならば…戦が終る間、ここトロイで暫く過ごしてくれないか?パリスと一緒に…」


ヘクトルの悲痛な頼みに、は動揺した。


「君だって戦がなくなりはしないのに王の元へ戻って婚儀をあげるのは嫌だろ?」


が黙っていると、へクトルが、そう言った。
は答えず、ただ小さく頷くも、「でも私はパリスと婚儀をあげるつもりもありません…」 と呟く。
ヘクトルは小さく溜息をつくと、


「頼む…。その答えは…今はまだ出さないでやってほしい…。パリスは…君の為にメネラオスと戦う決心をしたんだ。
もし…パリスがメネラオスを倒し、君が自由になった時…もう一度考えて答えを出してやってくれないか?」
「私が…自由になった…時…?」
「ああ、そうだ。もちろんアキレスの元へ行くのもいい。それはその時、君が決めてくれたらいいんだ。
だが…今は急いで答えを出さず、パリスを見守ってやって欲しいんだ。あいつも、…君の為に強くなろうとしてる」


はへクトルの真剣な思いに心を打たれた。


この人は…本当に弟を愛しているんだ…
そして…その中でも、ちゃんと私のことまで考えてくれている。
確かにトロイの捕虜とバレた今、私がギリシャ軍に戻ったとしても戦はなくならない。
それどころか私はメネラオスの妃にならなければならないのだ。
一度は諦めて婚儀を挙げようと決心したが、もしかして自由の身になれるかもしれないと思うと決心が揺らぐ。
それにメネラオスの元へ戻り、あの薄汚い手で抱かれると思うだけで嫌になった。
捕虜になってさえいれば家族は殺される事はないし、あの王の妃にならなくても済む・・・


でも…アキレスは…必ず戦場へと来るわ…
そして…このヘクトルと戦う事は避けられない…
そう思うと胸が痛くなるも、今更私が戻ったところでアキレスが戦をやめるはずもない。
彼は…預言者で母親でもあるティティスに、この戦に行けば、必ず死ぬと予言されてでも、この戦場へと来たのだから・…
それを聞いて死ぬほど心配になった。
メネラオスに軽い冗談まじりで、"お前も来て我がギリシャ軍が勝利するのを見届けるか?
その勝利を、お前に贈り婚儀を挙げるのもまた一興だろう?"と言われた時、
すぐにも行くと頷いたのは…アキレスが心配だったから…
私に何も出来るハズがないけど、ただ…傍にいたかった。
メネラオスは自分と離れるのが嫌なのかと喜んでいたけど…。
でも…結局は私が戦を広げる原因を作ってしまった。
彼を助けたいのに、今では私がアキレスを戦場の場へと追いやるのだ。
それは辛い事だった…。


?どうした?」


あまりに黙ったままのに少し心配になったへクトルがの顔を覗き込んだ。


「あ…いえ…」
「アキレスが・…心配なのか?」
「え?!」
「そんな顔をしているよ…」


ヘクトルに心の中を覗かれたようで、は顔を赤くすると、
少し微笑み、ヘクトルがそっとを抱き寄せた。


「愛する者が戦場へ行くのは…辛いだろう…。出れば私とも戦うことになる。君の想い人とは言え私はアキレスと、
殺すか殺されるかの戦いをしなければならないんだ…。許して欲しい…」
「ヘクトル…」


彼の気持ちが暖かかった。
どうして…この人はアキレスの敵なんだろう…?
共にギリシャ軍にいたら、きっと良きライバルとして、友人として、いい関係だっただろうと、ふと思った。


「さ、パリスの元へ戻って傍にいてあげてくれるね?」


ヘクトルは少し体を離し、の顔を覗き込んだ。
は身長の高い彼の顔を見上げて、かすかに頷こうとした、その時…













「ああ!!兄上!!何をされるんですか!!」


凄い怒鳴り声が聞こえ、二人は声の方へと振り向いた。
すると怖い形相でパリスが城の中から走って来て、ヘクトルの腕の中から思い切りを奪い取り抱き寄せる。


「キャ…ちょ…パリス…?!」
「お、おい…パリス…違うんだ…これは…」
「何が違うのですか?!今、にキスしようとしてたではないですか!!」
「「はあ?!」」


パリスの、とんちんかんな言葉にヘクトルもも驚いてしまった。


「全く油断も隙もない!そうだ!兄上もに一目で心を奪われたのですね?そうでしょう?!
僕を応援しているような事を言って油断させましたね!姉上に言いつけますよ?!」


あまりのパリスの勢いにヘクトルは開いた口が塞がらないという顔だ。
は顔を真っ赤にしてパリスを見上げている。


「ちょ、ちょっと待て…!お前の誤解だ。俺は…」
「いいえ!僕がこの目で見たんです!兄上がにいやらしい顔でキスしようとしてるのを!」
「バ!バカな事を言うな!誰がいやらしい顔なんだ!それはお前だろう?!
いつもいつも奇麗な女性と見れば鼻の下を伸ばして口説きまくってたクセに!」
「な…!兄上こそ、バカな事を言わないでください!そんな過去の話を持ち出して、に僕の事を幻滅させようって魂胆ですね?!」
 「あ、あの…」
「何言ってる!俺はお前を応援してると言っただろう?!」
 「ちょ、ちょっと二人とも…?」
「その言葉こそ怪しいもんですね!まあ、兄上が見初めてしまうのも無理はない、は、こんなに美しいんですから。
素直に認めたらどうですか?」 


―話がズレてきている―


 「………」
「そ、それは確かに美しいと思うよ?思うけどだな…俺にはアンドロマケ一人いれば―」
「またそれですか?にキスしようとして何を戯言を…!」
「だからキスなんてしてない!」
「してたら、この場で弓で射抜きます!!」


「い、いいかげんにして下さい!!!!!!」


「「?!」」


二人の兄弟ゲンカにが堪らず怒鳴り、二人はビクっとしてを見た。


「あの…!私、へクトルにキスされそうになったわけじゃありません!!変なこと言わないで下さい!!」


は顔を真っ赤にしてパリスを睨んだ。


「ほ、ほら、見ろ!お前の勘違いだ、パリス!」
「で、でも…さっき切なそうな顔で兄上を見上げてただろう?!そう言えば…あんな顔、僕には見せてくれてないよ?」
「?!」
「何で?僕も、に、あんな風に見つめてもらいたいのに…」


思い切り問題がズレこんできて、は溜息をついた。


「あのねぇ…私はさっき、あなたの元へ戻って欲しいと頼まれてただけ!そんな切なげな顔で見つめてなんていないわ?!
あなた目が悪いんじゃない?バカ王子ね、ほんとに!」
「バ、バカだと?!王子の僕に向かって無礼な…!」
「あら、ほんとのことでしょう?単純だし、思い込みは激しいし!」
「何だと~?!」


今度は二人がケンカをしだしてへクトルは頭をかきながら、「付き合ってられん…剣の練習でもしよう…」 と呟き、その場を静かに去って行った。




「だいたい僕が誘えば、どんな女性でも喜んで身を任せると言うのに、はキスさえさせてくれないなんて、失礼だぞ?!」
「何ですってぇ?!失礼なのはどっちよ!そんな女性がいいなら、その喜んで身を任せる方々とぞうぞ!この変態王子!」
「へ、変態だとぉ?!全くもって無礼極まりない!!」
「ならこの場で切り捨てて構わないわ?!王族に無礼な口を聞いたら処刑されるんでしょ?さあ、どうぞ?切り捨てて下さい!」


は、その場に座り込んで目を瞑った。
パリスも一瞬、驚いて黙ってしまう。


「どうしたの?早く殺しなさいよ!どうせ私の事も飽きたら殺すつもりだったんでしょう?」


は目を瞑ったまま、その場に座り込んでいる。
パリスは、の、その言葉に胸がズキンと痛んだ。


どうして…僕が君の事を殺せるんだ…そんなこと出来るわけないだろう?
それに飽きる筈などない…。すでに…こんなに…愛していると言うのに…


パリスはの前へ静かにしゃがみ込むと、ゆっくり顔を近づけて、そっとの唇に触れる程度にキスをした。
は驚いたように目を開けて、目の前にパリスの顔があって思わず体を後ろへのけぞった為にコロンとひっくり返ってしまった。


「キャ…」
…!大丈夫?」


パリスが慌てて這って行き、の体を抱き起こした。


「離して…っ!また勝手にキスして…最低!」
「だって…したかったんだ…ごめん…」
「……っ!」
「とにかく…部屋に戻ろう?今日はに侍女を紹介するよ」
「キャ…ちょっと…!」


いきなり抱き上げられ、は講義するも、パリスはニコニコしながら城の中へと戻って行く。


「下ろしてよ…!自分で歩けるわ?」
「ダメ、はすぐ、どこかへ飛んで行ってしまうから…僕が運ぶよ。今朝だって起きてがいないから必死に探したんだよ?」
「は、恥ずかしいでしょ?!兵士の人だって驚いて見てる―」
「ああ、彼らも父上から僕が妃を迎えると聞いてるはずだから、もう大丈夫だよ」
「そ、そういう問題じゃ…」


が言いかけた時、次々に兵士たちから、


「パリス王子、ご婚約、おめでとう御座います!末永くお幸せに!」
「王子!おめでとう御座います!」


と声がかかり、パリスは嬉しそうに、「ありがとう」 と答えている。
兵士たちが、「いやぁ~さすがパリス王子が妃にと望むだけの事はある。絶世の美女だな…」 と声が聞こえて来て、は何だか顔が真っ赤になってきた。
パリスは自室へと戻ると、を下ろして、「ちょっと待っててね?」 と言った。


「え?ど、どこに行くの?」
「君にも身の回りの世話をする侍女をつけないといけないしね。何人か女官も置かないと」
「え…?い、いいわよ、そんな…」
「いいから!湯浴みに入る時も見張りとして侍女が必要みたいだしね?そこまで僕が一緒ってわけにはいかないだろ?」


パリスは少しを睨んで口を尖らせた。
その言葉には顔が赤くなり、「も、もう逃げない…わよ…」 とスネたように呟く。


「え?」
「だから…戦が終るまで…ここに…いるわ?あなたが飽きなければ…の話だけど…」
「え?それって…」


パリスは一瞬、唖然とした顔でを見た。


「だから…あなたの傍にいるって言ったの!へクトルにも、そう言われたし…」


の、その言葉にパリスはパァっと笑顔になると思い切りを抱きしめた。


「ちょっと…っ苦しい…」
「ほんとだね?!僕の傍にいてくれるの?!」
「だ、だから…戦が終るまで…」
「何でもいいよ…!僕の傍にいてくれるなら…っ」


パリスはそう言うと少し体を離してを見つめた。


「な、何よ…?」
「それに…僕が飽きる筈がないだろう…?」
「え?」
「こんなに君を愛しいと思ってるのに…」
「………」


は顔が熱くなり少し俯くと、またパリスに抱き上げられ驚いた。


「え?ちょ、ちょっと?!」
「怖がらなくていいよ。優しくするから…」
「は?!何を?!」


パリスはをそのまま寝台へと寝かせると、上に覆い被さってを見つめてくる。


「は、離してよ…あの…」


と言いかけた言葉も優しく唇を塞がれ途切れた。


「…ん…っ」


手を動かそうとするとパリスがその手を掴み、ギュっと握って抑えられ、驚いたは体をよじった。
するとパリスは静かに唇を離して、「愛してるよ…」 と耳元で囁き、の首筋へと唇を這わせ片方の手での白い足を撫上げる。


「キャ…っちょっと…やだったら!!」


堪らずも体を起こそうとすると、「怖がらないで…」 と言って、また唇を塞ぎ、深く口づけてくる。
「んんーーーっ」 とは思い切り講義すると、パリスは目を開き、そっと唇を解放した。


「ぷは…な、何するの…っ」
…もっと可愛い声出してよ…。そんなんじゃ嫌がられてるように聞こえるよ?」
「はあ?!嫌がってるように…じゃなくて嫌がってるでしょ?!離してよ、バカ!」
「む…っバカって言うな!そ、それに何で嫌なんだよ?さっきはOKしてくれたのに!」
「はい?!」


はパリスの言葉に一瞬、言葉を失うも、考えをめぐらせた。


(OK…OKって…何?私何か、こんな事をするのをOKした?!)


訳が分からなくて、は困惑したような顔でパリスを見るも、また唇が近づいてきて慌てて顔を背けた。


「むぅ…?そんなに怖がらなくても…」
「怖がってるんじゃないわ!どう見ても嫌がってるでしょ?!離してよ!何する気?何か勘違いしてるわよ、あなた!」
「え~?何を?だって、僕の傍にいてくれるって言っただろ?と言う事は僕と結婚してくれるって事で…
そうなれば、もちろん君を抱いてもいいって…」
「バ、バカーーーー!!そんな意味じゃないったら!!」
「ええ?!」


そこでパリスも驚いて体を起こした。
も飛び起きて寝台の隅へ逃げると、顔を真っ赤にしてパリスを睨みつける。


「え?どういう事?さっきのは、どんな意味なのさ?」
「だ、だから戦が終るまでは、ここにいるって言っただけで別にあなたの妃になるとは言ってないって事!」


が必死に説明すると、パリスはしばし考えている様だったが、やっと意味が分かったのか、凄く悲しそうな顔でを見た。


「ええ~~?!じゃあ…戦が終れば…ギリシャへ帰るって事?」
「そ、そうよ!良かったわ!気付いてくれて! ―その思い込みの激しいとこ直したら?ほんと…」


はブツブツと文句を言うも、パリスは悲しそうな顔で立ち上がると、


「侍女に頼んで…着替とか用意させてくるよ…」 


と言って部屋を出ていってしまった。
は少し唖然とした顔で見送っていたが、思い切り息を吐き出すと、静かに寝台から下りて窓の方へと行った。
そこはテラスのように外に出られるようになっている。


まったく…!スケベ王子め!ファーストキスだって奪われたのに純潔まで奪われて堪るもんですか!
もしも…の時に、アキレスの為にとっておくんだから!
な、なんて・…それも凄く恥ずかしいんだけど…って私は何を考えてるのよ…


は少し顔を赤くして窓を開けた。


「わぁ…ここ出られるんだ…凄い景色…」


は目の前に広がるエーゲ海を見て溜息をついた。


(凄く…高い場所…あの塀と同じくらいだわ…)


そう思いながら遠くの海を見ると、その周りに小さくテントが見えてドキっとした。


(あれ…は…ギリシャ軍陣営だわ…!)


はテラスの柵に手をかけ少し身を乗り出すとテントのある辺りを必死で見つめた。


今…あそこにアキレスがいるかもしれない…そう思うだけで胸が高鳴る。


(あの夜…会えないままだったけど…)


でも…とは思い出し不思議に思った。
では…あの使者からの伝言は何だったのだろう?
アキレスは約束を破るような人じゃなかった。
あれが本当にアキレスからの伝言だったら彼は間違いなく、あの夜、あそこで私を待っていてくれたに違いない…
は誰かに謀られたのだ、という事を悟った。


悔しい…あんな嘘の伝言を信じ、船を抜け出し…こうして攫われて来てしまうんなんて…!
私があの夜船を抜けだしさえしなければお父様は…


さっきから思い出さないようにはしていても胸の奥で焦付くような痛みが残っている。
本当なら思い切り泣いてしまいたいと思った。
でも今はそんな事を言っていられない…
残りの家族が助かったのは少し安心はしたのだけど…


アキレス…あなたは…私がトロイの王子の捕虜になったと聞いて、どう思ったのかしら…
少しは心配してくれてるの?
それとも私のことより戦のことで頭がいっぱい?
あなたは…歴史に名を残し英雄になる事を望んで、ここまで来た。
それは自分の命より、本当に大切なものなの?
私は…あなたが生きていてくれるだけで幸せだったのに…。
例え…あなたとは結ばれない運命だったとしても…



はギリシャ軍陣営のテントに揺らめく国旗を眺め、そっと息を吐き出した。



















ギリシャ軍の船が停船している所へ何隻もの船がまた到着した。
メネラオスが兄アガメムノンへと援軍を要請したのだ。


「兄上!よく来てくれたな」
「ああ、そんなものお安い御用だ」


二人は軽く抱き合うと、メネラオスの船の中へと入って行く。


「それで?その後はどうなってる?トロイ軍は」
「昨日の夜、いきなり向こうからを捕虜にしていると、わざわざ通告してきおった。何故そんな事をしてきたのか分からないが…」


メネラオスは自分の部屋へとアガメムノンを案内し、側近に酒を用意するように言った。


「ふむ。わざわざ通告…それも怪しいな。黙っていれば分からなかったものを…何か狙いがあるのか…」
「 ―兄上…トロイの領土を手に入れるなら今のうちだ」
「ああ…トロイの王子も、いい口実を作ってくれた…。お前のフィアンセを攫うとは…」
「俺は腹立たしいがな…っ」


メネラオスは運ばれて来た酒をグイと呷ると苦々しい顔で呟く。


「しかし…メネラオスよ。はどうやって攫われたのだ?この船にいたんだろう?」
「それが…オデッセウスの言う事には、はアキレスの陣営近くにいたとこをパリスに見付かり攫われたと…」
「何?アキレス?…そうか、ではと密会でもしていたのか?」
「それはない。が攫われた時刻、アキレスは、ここに来ていた」
「何をしに?」
「あいつ…私にとの結婚を諦めてくれと言ってきたんだ…!忌々しい!」
「何だと?確か…とアキレスは幼なじみだったな?恋仲だったのか?」
「いや…違うと言っていた。真実かは分からんがな…」
「アキレスか…。あの男…一人で名声を欲しいままにしているようだな?生意気な…」
「だが兄上…あの男の軍がいないと我がギリシャは相当の痛手だぞ?」
「それは分かっている。だがアキレスはが攫われた時点でトロイ軍と戦う準備をしているんだろう?なら、それを利用するまでだ」


アガメムノンはニヤリと笑って、メネラオスの肩を叩いた。


「で…兄上はどう動く?」
「そうだな…まずは…神殿でも襲ってやろうか…。トロイの神が祭られてる場所だ」
「我が軍の多さなら、まず勝てるだろうな?」
「ああ、だが、あの城塞都市を突破するには何か策がないと…」
「立てこもられたら長引きそうだ。さっさと戦など終らせて、私は婚儀をあげたいものだ」
「ま、そう焦るな。そんなものすぐ叶う。それと…あの城を落とすにはアキレスを利用すればいい…何か策を考えようではないか」


アガメムノンはそう言うとメネラオスと顔を見合わせ、ニヤリと笑った…。


























「おい、準備がは出来たか?」


アキレスはエウドロスに声をかけた。


「はい、皆、いつでも出発できます」
「いや…まだ出発はしなくていい。待機していてくれ」
「はい」


エウドロスはそう答えると、


「それと…城へ忍び込ませた間者に、様の父親の事を伝える事と城の見取り図を送れと伝えておきました」
「…そうか。分かった」
「それに…」
「何だ?」
様のトロイでの今置かれている状況も探れと…」
「……そうか」


エウドロスはそれだけ言うと軽く傅き、立ち去った。
アキレスは少し心臓がドキンとしたのを落ち着かせるために軽く息を吐き出した。


トロイでの…の今置かれている立場…
その事を考えると胸が軋む。
普通なら…捕虜となった女は敵兵士に辱められ、その後に殺される。
だが…を攫ったのが兵士ではなく、王子…
ヘクトルなら、その辺は信用できるが、相手は、あの浮名を流していた弟のパリスだ。
大方、の美しさに惹かれ、メネラオスのように自分のものにしようと攫ったのだろうが…
どっちみち敵国の女だ。
側室にでもされてるのかもしれない…
そう考えれば考える程に怒りが湧いてくる。
あの夜、ここにいれなかった自分に…
俺が、その場にいたなら、トロイの兵士など皆殺しにしてやったのに…!


気はせくが…今はまだ動けない。
そろそろ…アガメムノンがやってくるからな…
あのバカ兄弟、どうせ、くだらん戦略を考えて命令してくるに違いないんだ。
まずは、あの二人の動き方を見ないと…


そこへオデッセウスが側近と一緒に走って来た。


「おい、アキレス!王たちが今、こっちに向かったようだぞ?」
「ふん…あいつらにしたら素早い行動だな…。よほど張り切ってるのか?トロイの領土を欲しがるアガメムノンと、
を取り戻したいメネラオスは…」
「ああ、そんな感じだろう?特にアガメムノンは喉から手が出るほど欲しいだろうからな?この領土が…」
「自分の私利私欲のためなら何でもする奴だ、あの二人は」
「ほんとだな…。ああ、そう言えば王たちは、トロイの神殿を襲うらしいぞ?」
「何?神殿…。ああ、あそこに見えてるな…。そうか…なら先に俺が襲ってやろう」
「何だって?!」
「あいつらが来た所で、戦略さえなってないだろう?無駄に兵士を殺されるだけだ。 ――ヘクトルにな」
「アキレス…。じゃ、お前の軍だけで…?」
「ああ、充分だ。オデッセウス…お前の手も借りない。黙って見ていろ」


アキレスは、そう言うとすぐに自分の軍の方へと歩いて行った。




















「お呼びでしょうか?パリス様」


一人の女官がパリスの前に傅いた。


「ああ、レイア。君に私の妃となるの世話を頼みたいのだが…」
「お話は伺っております、王子。ご婚約おめでとう御座います」
「あ、ありがとう」


レイアにそう言われてパリスは少し頬を赤らめた。


「コホン…それで…少々じゃじゃ馬な娘だが頼むよ?」
「畏まりました。では、様はパリス様の寝所に?」
「ああ…そうだな…。奥の部屋を彼女の部屋として準備してくれないか?」
「はい」
「じゃあ、頼む」


パリスは、そう言って歩きかけた、その時。


「パリス様!」


名を呼ばれて振り向くと、そこには前に関係のあったミノア王の息子の従兄弟、アイリスが笑顔で歩いて来た。


「ああ、アイリス…そうか、ミノアの使者として来たのは、君か」
「ええ、王子の付き人として無理やり…パリス様に会いたくて…」


アイリスが頬を染めてパリスを見た。


(この目は…明らかに誘っているな…)


パリスは少し困惑して何と答えていいのか分からなくなった。


「パリス様?どうしました?」
「あ、いや…。遠路はるばる、よく来てくれた。暫くは滞在するんだろう?今、トロイは戦でゴタゴタしてはいるが…」
「もしかして…パリス様も戦に出られるのですか?プリアモス王が、そのような事を言っていらっしゃったので、私心配で…」
「ああ、今回は僕も参加せざるを得ない」
「そんな…」


アイリスがそっとパリスの腕に触れた。
パリスはドキっとしてアイリスを見ると、本当に心配そうな顔で見あげて来る。
その切なげな瞳に何やら、やましい気持ちになった。


全く…普通ならこういう反応なのに、ときたら…
さっきはやっと、その気になってくれたのかと喜んだのに一瞬で地獄へ落とされたよ…
僕の気持ちは盛り上がったままなのに、どうしろって言うんだ…。


「パリス様…?二人きりで…話がしたいですわ?」
「え?」


アイリスはパリスの手をそっと握った。
パリスは少し顔が熱くなり軽く握り返すと、


「で、では…君は部屋に戻っていてくれ。僕は…あとから行く」


パリスが、そう言うとアイリスは嬉しそうな顔で頬を赤らめた。


「はい。お待ちしております」


そう言うと、アイリスは、いそいそと通路を歩いて行く。
それを見送りながらパリスは軽く息を吐き出した。


まずいな…
僕だって、じらされれば他の女性にだって目がいくんだぞ?
その辺、は何とも思ってくれないんだろうか…


パリスは一度部屋へと戻ることにした。
に着替えの用意をさせないといけない。
その前に自分の側近のサルベードンを呼んだ。


「お呼びでしょうか?」
「ああ、サルベードン、お前に頼みがあるんだが…僕がの傍にいれない時は彼女の傍から離れないでいてくれるか?」
「は…。それは…どこまで…」
が外に出る時には必ずだ。彼女も城の中にばかり閉じ込めておいても可愛そうだからな」
「はあ…。様は…まだギリシャ軍へ帰ろうとしているので?」
「いや…ここに残るといってくれたが…。もしも、という事もある。それに…ギリシャ軍の間者が忍んでいるかもしれないしな」
「それは…充分に目を光らせておきます」
「ああ、頼む。それで…は僕の部屋に?」
「先ほどレイアが連れ出しておりましたが…」
「そうか…分かった。じゃ、探すから僕と一緒に来てくれ」
「は…っ」


パリスはそう言うと一度、部屋へ戻りかけたのをやめ、風呂の方へと歩いて行った。


多分、レイアはに湯浴みをさせているだろう。


(着替えを持っていかないと…)


パリスは数人の女官に、衣を用意させると、「自分で持っていく」 と、それを受け取った。
そのまま自分専用の風呂場へと入って行く。
もちろん、サルベードンは廊下で待機だが…。


中へ入ると湯気が凄くて、よく見えないが女性の声が聞こえて中にがいるんだと分かる。
パリスは静かに奥へと入って行った。


「ちょ…くすぐったいわ?自分でやれるから…」
「いいえ!私がパリス様に頼まれたのですから何でも、お世話させて頂きます!さ、恥ずかしがらないで下さい」
「あんな奴の言う事なんてきかないで…!私はこんな風に人に体まで洗ってなんて…」
「ま、まあ…あんな奴だなんて!パリス様は素敵な王子様ですわ?」


レイアの言葉に、は唖然とした。


「は…?どこが?」
「ま…っ!素敵じゃないですか!トロイ中の女性の憧れの的なんですよ?もちろんへクトル様も素敵ですけど、
ヘクトル様には素晴らしい奥方、アンドロマケ様がいらっしゃいますし…やはり独身のパリス様はモテるようですわ?
この城の女官だってパリス様付きの侍女になりたくて入ったものばかりなんですから」
「そ、そうなの?じゃあ…あなた…も?」
「私はそんな恐れ多い事は…でも今回、パリス様のフィアンセの様をこうしてお世話できるのは幸せなんです」
「フィ、フィアンセじゃないわよ!」
「え?!」
「私は…」


と言いかけてパリスが父王へ、そう伝えたのだからトロイ中の皆が私の事をパリスのフィアンセだと思ってるんだ…と気付いた。


「な、何でもない…」
「変な様…」


レイアはクスクス笑うと、「さ、では湯から上がって下さいませ。体に香油を塗りますので…」 と言って大きな布を敷いた。


は仕方なく湯から出ると、そこにうつ伏せに寝転がる。
レイアはお香を焚くと、何かの袋から小さな入れ物を出し、自分の手に塗りつけ、それをの背中へと塗っていく。


「まあ…ほんとに奇麗な肌…スベスベして赤ちゃんのようですわね?」
「な、何言って…どうせ赤ちゃんみたいな体型ですから…っ」
「あら、そんな事は…まあ、確かに豊満とは言えませんけど…って、すみません、私ったら…」
「いいわよ。分かってるわ?こんな痩せっぽちで胸もないし…そう言えば…アキレスが手をつける女の人は皆、豊満だったなぁ…」


ついボソっと呟いてしまった。


「え?なんと、おっしゃいました?」
「な、何でもない…!」


は顔が赤くなり慌てて、そう言うとレイアはニコニコしながら、


「そんなパリス様は、様の事を豊満じゃなくとも愛しているのですから、いいじゃありませんか」 


と言った。
は何とも答え様がなく、そのまま顔を伏せる。
そこへ…


「そうだよ?僕は別に体を見て、君を選んだわけじゃない」 


とパリスの声が聞こえて、は驚いて振り向いた。


の抱きしめると折れそうなほど細い体が気に入ってるんだ」


パリスは柱に寄りかかりながらニヤニヤしてを見ていた。


「キャ、キャァァァァアア!!!出てって!!!スケベ!!エロ王子ぃ~~~!!!」



バシャ!


「うわ…っ!」


は思い切り、パリスへ向かってお湯をぶっかけた(!)


「ま、まあ!パリス様に何てこと…!」


は慌てて起き上がって傍にあった衣をまとった。


あんのスケベ!あとで覚えてろ!!
はパリスの出ていった入り口の方を睨みつけた。


様?」
「な、何よ?!だいたい、どうして男が勝手に入ってくるの?!」
「え…だって王子ですし…ここはパリス様専用の湯ですから…」
「王子だからって女性が使ってるとこへ勝手に入っていいわけ?!」
「ええ、もちろん…。それに…様はフィアンセじゃありませんか…寝所をご一緒してるのに何故に今更恥ずかしがるのですか?」
「え?!何故って、そんな…」


と言いかけて、は気付いた。
もしかして…皆は"フィアンセ"="王子に抱かれてる"…と思ってるんじゃ…!!!(その通り)


そう思うと、は一気に顔が赤くなってしまった。


様?」
「わ、私とパリスはそんな関係じゃないわ!体だって許してないの!」
「へ?」


侍女らしからぬ声を出し、レイアは口をあけてを見ている。


「だから…こんな場所へ入って来られるのは嫌だし…紳士のする事じゃないじゃないの…っ」


は、まだブツブツと文句を言っていたが、レイアは唖然としたままを見て、いきなり、


「え…えぇぇぇぇぇええっ?!」 


と大声を出した。


「キャ…っ。ビ、ビックリするじゃない…何よ…?」
「ま、まだ体を許してないって…え?嘘ですよね?」
「う、嘘じゃないわよ!誰があんな奴に…」
「信じられません!だって、だって…あ、あのパリス様ですよ?!女性をとっかえひっかえし…いえ…何でも…」


レイアは慌てて口に手をやると、コホンっと咳払いした。


「と、とにかく…パリス様の寵愛を頂きたいと思ってる女性は山ほどいるのですから…な、なのに…まだ…そうですか…」
「あ、あのねぇ…人の事を、そんな珍しい物を見るような目で見ないでくれる?もう…っ」


はパリスが持って来たのか、柱の下に置いてある絹の衣を纏うとレイアも慌てて立ち上がった。


様、ではお部屋のご用意が出来てると思われますので、お戻り頂きます」
「ええ?また閉じこめる気?」
「いえ…様が出かけたいのなら好きにさせてくれと、パリス様は申しておりましたが…どうされますか?」
「え?好きに…って…出かけてもいいって…こと?」
「ええ、城の外…と言っても塀の中側なら…色々な商人が出入りしておりますし、トロイの民が沢山お店を出していますよ?」
「そ、それなら行ってみたいわ?外の空気が吸いたいの」
「では、私もご一緒いたします」


レイアはに頭を下げると、通路に出るためのドアを開けてくれた。
そこにサルベードンが傅いている。


「あら、サルベードン様…」 


とレイアが驚くも、サルベードンはに向かって頭を下げた。


様…このたびパリス様の命令で、様の護衛をさせて頂きます、サルベードンに御座います」
「え?護衛…って…そんな、いらないわ?護衛なんて…」
「そう申されましても命令されたもので…。様が出かけられる時だけは私もご一緒させて頂きます」
「ええ?!な、何よ…それ。護衛っていう名の見張りじゃないの?!それなら必要無いわ?逃げる気なんて…」
「いえ、見張りではなく、あくまで護衛ですので…。私のことは気になさらず…」
「気になさらずって言われても…」


気になるわよ…!
こんな大きな体の男性にくっついてこられたんじゃ…


は目の前に傅く、サルベードンを見て溜息をついた。


「あの…パリスはどこ?話したいんだけど…」
「え?!あ、王子は…先ほど、ミノア使者の者へ会いに行くと…」
「じゃあ、そこに連れて行って!」
「そ、それは…」
「話は、すぐ済むわ?お願い…っ」
「はあ…」


サルベードンは仕方なく、とレイアを連れて使者を泊らせる客室の間の方へと歩いて行った――

























「お待ちしており…って王子?どうなさったの?ずぶ濡れで…」
「ちょっとね…じゃじゃ馬に…」


パリスはそう言いながら憮然とした顔で部屋の中へと入った。
アイリスが慌てて、タオルを持ってきてパリスの髪や体を拭いてあげる。


「ありがとう…君は…優しいんだな」
「そんなこと…」


アイリスは、頬を染めてパリスを見上げた。
パリスは先ほどのとの情事の失敗と、裸を見て湯をかけられた事で少し落ち込んでいたからか、アイリスの優しさが胸に染みた。


「ずっと…会いたかったですわ…?」
「アイリス…」


胸にそっと顔を埋めてくるアイリスを軽く抱きしめると、パリスは彼女の顎を持ち上げて深いキスを落とした。


アイリスとは前にもミノアの使者としてトロイに来た時に、そういう関係になった。
アイリスがトロイに滞在している間、毎夜、こうして愛し合った仲だ。
だがアイリスは、使いを終えるとミノアに戻って行った。
パリスはそれを追う事もなく、また別の女性と付き合いが始まりそれきりだったのだが、アイリスの方はまだパリスに未練があるようで…


「ん…パリ…ス様…」
「アイリス…」


パリスはアイリスに熱く口づけをしながら彼女の服を素早く脱がし、寝台へと倒れこんだ。


「…あ…んん…愛して…います…」


アイリスはパリスの背中に腕をまわし、しがみついてきた。
パリスは彼女の首筋から唇を這わせ、手で優しく足から腰を撫でていく。
首筋からアイリスの豊満な胸へと唇をおとすと、部屋の中に甘い声が響いた。


「ん…っあ…パリ…ス様…」


アイリスの胸を愛撫しながらパリスはの白い華奢な体を思い出して、ますます胸が苦しくなり欲情した。


(これじゃアイリスを、の代わりにしてるみたいじゃないか…)


ふとそう思った。
今朝、に拒否されても気持ちは盛り上がったままで、しかも先ほど覗き見たの白い肌…
それで、やましい気持ちになり、アイリスに誘われるまま、こうして会いに来たが…
本当にこのまま彼女を抱いてもいいのだろうか…
前の時とは違う…
僕は、と言う、運命の女性と出会ってしまったのに他の女性を抱くなどというのは…


パリスが、そんな事を考えている間にも、アイリスは愛撫に酔いしれ頬を染めていった。
パリスも頭ではそう思うのだが熱くなった体がどうも言う事を聞かず、アイリスの胸を激しく愛撫しながら
そのまま手を彼女の太股へと忍ばした、その時―




コンコン!




「―――っ?!」


「ん…パ…リス様…?」


アイリスは瞳を潤ませたままパリスを見上げると、そっと首に腕を回してきた。
やめないで…という意味だろう。
パリスは顔を上げてドアの方を見ながら、まあ、たいした用事ではないだろうと、もう一度アイリスの胸へと唇をつけた時…




コンコン!!




さっきより強く叩かれ、パリスは動きを止めた。


(…何だろう?)


そう思いながら、パリスは体を起こした。


「あ…ん…パリス様…?」
「待て…。誰か……」


と言いかけた時、




「パリス王子?いるのなら出て来て下さい」







「――――ッ?!」




?!)


パリスはその声で飛び起きて慌てて、脱ぎかけた服を着なおし、アイリスにも先ほど脱がせた衣をかけてやった。


「パリス様?!」
「シィ…!頼むから服を着てくれないか?」
「ど、どうして…」
「ごめん、僕には…フィアンセがいるんだ…」


そこで初めてアイリスへ告白した。


「え…?」
「僕は…見つけてしまったんだ…本当に愛する女性を…。君に、こんな事をしておいて言う話じゃないが…
フィアンセとは、まだ、そういう関係でもないし、ちょっと…君の誘惑にフラっとしちゃったんだ…本当にすまない…」
「パリス様…そんな…いつのまに、そんな女性を…?」


パリスに真剣に、そう言われてアイリスは悲しげな顔をした。


「それに…どうしてフィアンセとはそういう関係じゃないんですの?おかしいじゃありませんか…」
「いや…ちょっと…拒否されると言うか…」
「え?!」
「あ、いや…彼女がね…婚儀を挙げるまでは嫌って言うものだから…」


苦しい言い訳だったが、パリスは何とか嘘の説明した。


「まあ…そんな…パリス様をじらすだなんて…本当に愛していれば、そんな事は…」


アイリスの言葉にパリスは胸が痛んだ。


本当に愛していれば…か。
その愛がにはないんだから仕方がない…


パリスは、ちょっと微笑むと、「ほんと、ごめん…。行かないと…」 と言って寝台から立ち上がった。
その間もノックの音が聞こえている。
その音に急いで行こうとするパリスの腕をアイリスが掴み軽く引っ張った。


「うわ…」


パリスは、また寝台へと倒れ込み、今度はアイリスがパリスに覆い被さり激しくキスをしてくる。


「んん…っア…イ…
リス」

無理やり舌を入れられ、パリスは驚き声を出そうとするも途切れてしまう。
するとアイリスは唇を解放し、今度はパリスの首筋へとつけ、軽く舌を這わせる。


「お、おい…やめろって…」


パリスは思い切りアイリスの体を押して起き上がった。


「そんな…私の気持ちはどうお考えですか?私はまだ、あなたの事を…」
「君にはすまないと…」
「そんな、お言葉聞きたくありません…っ」


アイリスは悲しげに顔を反らすと、「私は…パリス様と一緒にいられるなら…側室でも構いません…」 と呟いた。
パリスは申しわけなさそうに、「ごめん…また今度、ゆっくり話そう?」 と、もう一度誤ると、すぐにドアの方へと歩いて行く。


それを見つめるアイリスの瞳には嫉妬と怒りの炎が揺らめいていた…














ドアを開け、パリスが廊下へと出ると凄く怖い形相でが立っていた。



「遅い!!何をしていたの?」
「え…?!あ、いや…」
「ミノアの使者と会うなら、何で、こんな個室で会うのよ?王と一緒に謁見の間で会うのが通常でしょう?」
「そ、それは…」



パリスは、しどろもどろで答えつつ、どうして、をここに連れてきたと言うように、の後ろで小さく傅いている、
サルベードンとレイアを睨みつけた。
サルベードンはサっと視線を外し、顔を横に向けるし、レイアは何だか目で合図をするも、
「ちょっと聞いてるの?!」 とに可愛い顔で睨まれると、パリスは、「は、はい!」 と怒られた子供のように返事をする。


「な、何?僕に何か用事?」


なるべくニコニコしながら、を見た。
は、まだ唇を尖らせ、「用事がなきゃ、あなたになんて会いに来ないわ!」 と怒っている。
その言葉に胸がツキンと痛むも、「あ、じゃ、じゃあ…部屋に戻ってから聞くよ…。一緒に戻ろう?」 と言って歩き出した。
「ちょっと…」


も慌てて、パリスを追いかけてくる。
パリスは何だか後ろめたくて唇を手の甲で軽く拭いながら、ずんずんと先を急いだ。


別に女性と抱き合ってるのを見られたというわけでもないのに、の目をまともに見れない…
何てバカな事をしたんだろう…



パリスは自室につくと、サルベードンとレイアに廊下で待つように言って中へと入った。
も息を切らしてついてくる。



「はぁ…もう…パリス…歩くの速い…わ…?」
「え?あ…ごめんね?」


パリスは苦しそうな顔で息を吐き出すの頬に、軽く手を添えた。


「どうしたの?何だか普段と様子が違うわ?何か…あった?」


が不思議そうな顔でパリスを見上げてくるも、パリスは後ろめたさから視線を反らしてしまう。


「そ、そんな事はないよ?何で?」
「だって…顔も何となく赤いし…ちょっと運動した後のような顔よ?使者と剣の練習でもしてたわけ?」


は冗談のつもりで、そう言って笑ったがパリスは一気に顔が赤くなった。


(ま、まずい…僕は顔に出やすいから…)



確かに運動…と言うか、そういう事をしようとしてたんだから顔が上気してるのは当たり前だろう。
パリスは両手で頬をパンと軽く叩くと、笑顔を作って、を見た。



「そ、それより…僕に何か用事だったんだろ?何?」
「あ、そうだった…。 あのね、レイアをつけてくれるのはいいけど…あのサルベードンとかいう、あなたの側近まで
護衛につけるって、どういうこと?私が逃げ出すかと思って見張りにつけたの?!」
「え?!ち、違うよ…!そんなんじゃ…!ほんとに、ただ護衛のために…」
「だったらいらないわよ…。どうせ塀の外には出られないんだし逃げようもなければ、誰かに襲われる必要もないでしょ?!」
「そ、それは…そうだけどさ・…心配だから…」
「何が?」
「何がって言われても…困るよ…。ただ心配なんだ…」
「だから、何を心配してるの?私は大丈夫よ?一人でも…」


パリスは、にそう言われて胸が苦しくなり、そっと彼女を抱き寄せた。


「な、何…」
「分からないけど不安なんだ…。ギリシャ軍から間者が忍び込んでるかもしれないし…君を無理やり連れ戻すかも…と思うと…」
「え?間者…?」
「だってギリシャ軍からの間者が助けに来たら…、戻ろうとするだろ?」
「そんな…ここに残るって決めたのよ?間者が忍び込んで私を助け出そうとしたって、今は戻らないわ?
どうせ助けてもらったとしても連れて行かれるのはメネラオスの元だもの…」
「…ほんと?」



パリスの悲しげな問いに、は、ちょっと笑顔になった。



「うん、ほんと!だから心配しないで?」


が、そう言うとパリスは少し体を離して嬉しそうな顔でを覗き込んだ。
そこで、の優しい瞳と目が合い、パリスはドキっとして視線を伏せるも、優しくの頬に唇で触れた。


「ちょっと…それはやめ…」
「でもサルベードンはつけておくよ?」
「はあ?」


パリスは少し苦笑しながら、の顔を見ていった。



「ど、どうして?」
「僕が一緒にいない時だけだからさ…。それに万が一、君に何かあったら…と思うと僕も心配で戦の準備していられないし」
「で、でも…」
「お願い…なるべく目立たないようについててもらうから…」
「………」



パリスの、お願いに、は困ったものの、仕方ないと言った風に息を吐き出した。


「分かった…。じゃあ…なるべく目立たないようにって…お願いしてくれる?」
「うん!分かったよ!」



パリスは嬉しそうな顔で、そう言うと、を強く抱きしめた。


「キャ…く、苦しいわよ…」
「あ…ごめん…こんな強く抱いたら、折れちゃいそうだ…」


パリスは苦笑しながら少し力を緩めるも、はその言葉に、さっきの事を思い出した。


「あ…そうだ!あと、もう一つ!」
「ええ~…まだ、あるの…?」


パリスは、そう言いながら眉を下げての顔を見ると、は怖い顔で、


「さっきのことよ!私が湯浴みしてる時は絶対に入ってこないで!分かった?」
「あ…そ、そうだ…ね。ごめん、ほんとに…!あ、あの、さっきは別に覗こうとしたんじゃなくて、に着替えを持っていっただけで…」
「それでも見たでしょ?!わ、私の…その…」



の顔が真っ赤になって俯いてしまう。
パリスも、が何を言いたいのかが分かって、ちょっと頬を赤らめると慌てて口を開いた。


「あ、いや見てないから!の裸、見てないよ?!」
「うそ!だって…」
「あ、そ、そりゃ確かに・…背中はかすかに見えたけどさ…あ、で、でも湯気で、ほんとかすかだから!
他のとこは見えなかったよ!ほんとに! ―見たかったけど…」
「え?!」
「ああ、いや、何でもない!ほんと見てないから…っ」


顔を真っ赤にして、見てないと言い張るパリスに、は笑いが込み上げてきて吹きだしてしまった。


「ぷっ…アハハ…っ。やだ…パリスって、案外テレ屋なの?普段はもっとくさい事とか言うし、平気でいやらしいことするのに」
「む・…な、何だよ、それ…くさい事なんて言ってない!それに、いやらしい事って…愛してれば普通だろ?!」
「愛してればって…そ、そんなの、お互いにじゃないとダメでしょ…っ」
「そ、それは…」



に、そう言われてパリスは言葉につまった。
を見ると、口を尖らせて、パリスを睨み見上げている。



はぁ…怒った顔も可愛いなぁ…
その尖らせた唇も…ほんとキスしたくなるよ…



パリスは、さっきの情事(浮気?)未遂の余韻でムラっときて、の頬に手を添えた。



「な、何よ…?」



ゆっくりと唇を近づけ、お互いに唇が触れそうになった時、が、「あ…!!」 と声を上げてパリスは驚いた。


「え?!」


少し顔を離して、の顔を見ると何やら、は顔を真っ赤にしてパリスを睨んでいる。


「ご、ごめん…もう…しないよ…」



パリスは、の体を離して寝台へと座った。
するとが目の前に立ち、



「パリス…あなた…使者と…?!」
「え?!な、何?」


パリスはドキっとして、を見上げると、怖い顔で、


「く、首のとこに……キ、キ、」
「…キ?」
「キスマークがついてるわよ!」
「え…っ?!」



に、そう言われ、慌てて自分の首へと手を当てた。


(あ…!さっきアイリスに襲われそうに(!)なった時に…確か首に口付けられたんだった…!彼女…わざと?!)


「あ、あなた…使者の人ともそういう関係なわけ~?!最低!さっき、私が部屋に行った時、そんな事、してたなんて!
だから、なかなか出てこなかったのね?!不潔!」


は、そう叫ぶと部屋から出ていこうとして、それを慌ててパリスが止めた。



「ま、待って!何だよ、不潔って!」
「離して…!私の体に触らないで!」
「む・…失礼だな!」
「失礼?それは、あなたでしょう?恋人と…そういう事をしてきた、すぐ後に…い、今だって私にキ、キスしようとしたりして!」
「な…恋人じゃないよ!」
「何ですって?恋人じゃないのに、そ、そ…」


は顔を真っ赤にして、パリスの腕を放そうともがいている。
パリスは、その腕を引っ張ると、思い切りを自分の腕の中へと納めた。



「や、やだ…!離してよ!このエロ王子…っ」
「黙って聞いてよ!」
「何をよ?!」
「だ、だから…確かに…さっき会ってた使者で来てる女性と、前にそういう関係になったよ?でも…今日はしてない!

ちょっと…危なかったけど…。で、でもしてないよ!出来なかったんだ…。のことが気になってたし…」
「…そ、そこで私を出さないでよ…っ」
「だって愛してるんだ!でも…君は冷たいし…だから…ちょっと前に付き合ってた子に誘われて、つい…」
「な、ついって…。あっそ!でも、あなたが、前の恋人と何をしようが私には関係ないわ?」
「だって怒ってるだろ?」
「…! ――お、怒ってるのは、そんな事をしておきながら私にまでキスしようとするからよ!いいかげんじゃないの!
そんなので愛してるなんて言われたって信じられるわけがないでしょ?!」
「な…僕だって男なんだ…っ。そういう、やましい気持ちになる事だってあるんだよ…!」
「開き直る気?」
「違う…!僕の気持ちが君に届かないから…!だから…どうしていいのか分からないんだよ…
最初は…愛されなくても一緒にいれれば…って思ったけど…今は辛くて…」


パリスは、そこまで言うとの体を解放して俯いた。
はパリスの言葉に顔が赤くなるも、そのまま部屋を出ていく。
そこにサルベードンとレイアが待っていて、「どこに行かれるのですか?」 と聞いてきた。


「どこか…外に出たいの…。連れていってくれる?」
「畏まりました。ではレイア…様をお連れして。私は、その後ろを離れてついていきます」
「分かりました。では、様、こちらです」



レイアは笑顔で、を案内した。



様…パリス様は…」
「知らない、あんな奴!」


は怒りと戸惑いに任せて、そう言い捨てた。
レイアは驚いたような顔でを見て、「あ、あの…先ほどの事を気にされてるのですか?」 と問う。



「え?先ほどって…?」
「ですから…パリス様とミノアの使者、アイリス様の…」
「アイリス?ああ、パリスの前の恋人って方?別に気にしてないわ?」
「そう…なんですか?でも…普通は気になさるでしょう?フィアンセの前の恋人が密会されていたら…」
「べ、別に…?それに王族は妻以外にも側室を囲ってるのが当たり前じゃない?」
「そ、それは、そうですけど…王妃様だって、いくら側室とは言え、王が行かれる夜は機嫌が悪かったですよ?」
「そうなの?私は…気にしないわ?パリスが何をしようと」
「…そんな…どうしてですか?パリス様を愛してらっしゃらないんですか?」
「それは…」


今、一番困る質問だ。



この婚約は私は承諾していない。
でも王も側近や兵士、女官達は、私の事を本当のパリスのフィアンセだと思っている。
私には…好きな人がいると言うのに…


「あ、愛って…よく分からないの…。いきなり婚約しちゃったから…」
「はあ…」



私は何だか意味不明な事を言うも、レイアは、それ以上は聞いてこなかったので、ホっとした。
暫く歩くと城の外へと出て、民たちが暮らす方へとレイアが案内してくれる。


「私もこの辺りに住んでたんです。でも、どうしても女官になりたくて城へ」
「そうなの…。 ―わぁ…賑わってるわ!」


は久々城の外へ出られて嬉しさのあまり駆け出した。


「ま、様!走っては危ないです!そ、そんなパリス様のフィアンセともあろう人が…」
「何で?王子のフィアンセは走っちゃいけない決まりでも?」


は久し振りに思い切り走った気がして体が軽くなる。
暫く行くと出店が沢山ある広場へとやってきた。


「うわぁ~美味しそう…あ、あっちのも…」
様…っ。はしたないですわよ?」



レイアがの服を少し引っ張るも、は、お構いなしに次々に店を見ていく。


「やあ、奇麗なお嬢さん!どうだい?うちのパンは焼きたてだよ!」
「ほんと~美味しそうね?!」
様…!そんなのは城へ戻ればいくらでも食べられますから・…っ」
「だってレイア、このパン、ふっくらして美味しそうよ?」


は嬉しそうに振り向き、そして、ある事に気づいた。


「あ…私…お金持ってないわ…」
「ああ、それなら私が持っております。王子から預かってますので…」
「え?!王子って…パリスから?」
「はい。こうして様が外に出られた時に何かあればと言って持たせてもらっております」
「そう…」
「なので何か欲しい物があれば…」
「いらない」
「え?」
「いい、パリスに、そこまでしてもらわなくても…」


と言った瞬間、お腹が、ぐ~っと鳴っては顔が赤くなった。



やだ…そう言えば私…トロイに来てから何も食べてなかった…
早く逃げ出そうと、それどころじゃなかったし…父上のこともあったから…



様?どうしました?何か買ってきましょうか…」
「あ、あの…」
「さっきのパン、買ってきますね?」



レイアは分かったのか、笑顔でそう言うと少し戻って、さっき立ち寄ったパンを買っている。
は恥ずかしそうに笑いながら、また、その辺の店をぷらぷらと歩いて見ていた。
すると、いきなり手をつかまれ驚く。



「キャ…」
「シィ…様…。このまま腕輪を見ているふりを…」
「え…?」



は、目の前の装飾品を並べている黒い布をかぶった男を見て驚いた。


「あ、あなた…アキレスの…」
「シィ、静かに…顔に出さないで下さい。間者だと言うことが知られてしまいます」
「あ…そ、そうか…。 ――あの、これ見せてもらえる?」


は腕輪を気に入ったようなふりをして、しゃがみこんだ。
男も一緒に座ると、「これなんか、いかがでしょう?」 と言いつつ、チラっと、を監視するかのように見ているサルベードンを見た。


「あの男は…王子の側近ですね?」



その男が小声で囁いた。



「え、ええ…」
「なら、このまま、よく聞いて下さい」
「はい」
「今、アキレス様は様を助けようと必死に策を練っております」
「え?」


アキレス…と聞いて胸が高鳴った。
アキレスが…私を助けようとしてくれている…っ



「なので、それまで大人しく王子を怒らせないようにして待っていて下さい」
「え、ええ…」
「王族というものは逆らえば、すぐに処刑しろと言いかねません。アキレス様もその辺の事を心配なさっておいでです」
「そ、そうなの…?でも…パリス…王子は、そういう感じでは…」
様…っ。例え今、どれほど優しくても、あなたは敵国の王のフィアンセ…何があるか分かりません。
それに…今、様はこのトロイではどういう立場にいるのですか?こうして自由に歩けているなら…まさか…側室にされたのでは―」
「ち、違うわ…っ」



は慌てて否定した。



「では、どうして…城の中なら、ともかく外にまで、こうして出られるとは…伝言を伝えるのにどうやって城の内部に侵入しようかと考えていたら、こうして歩いてこられたものですから」
「そ、それは…」



何と言えばいいのか困ってしまうも、そこは正直に答えた。



「だから・・・・王子に・・・・・求婚されて・・・・・」
「な、何ですって?!」



思わず驚いたのか、その男は慌てて口を抑えると、



「で、では側室ではなしに・・・・・求婚されたと・・・?」
「え、ええ・・・あ、で、でも私は承諾してないわよ?ただ城の者は、私の事を、パリスのフィアンセだと思ってるの・・・」
「そうでしたか・・・。で・・・そのような立場に立たされて大丈夫ですか?」
「ええ。何とか・・・・あ、言っておくけど・・・何もされてないわよ?」
「は・・・っ」



が少し顔を赤くして、そう言うと、その男も頬を赤らめ、傅いた。


「では、そのようにアキレス様に伝えます」
「ありがとう・・・っ」



は心の底から、そう言った。
すると男が顔を上げて真剣な顔で、


「あと大事なことを伝えなければ・・・」
「え?」
様の父上は・・・・生きております・・・っ」
「・・・・・・・え?」



その言葉の意味が一瞬分からなくて、は頭が真っ白になった。



「メネラオスが、あなたが逃げたと思い、嘘の噂を流して、戻ってくるように仕向けたのです。
なので家族の中の誰一人、殺されてはおりません」
「ほ・・・・んと?ほんとに・・・お父様は・・・・」
「はい、生きておられます」


その言葉に涙が浮かんだ。
それを慌てて指で拭う。



「分かりました・・・。ほんとに、ありがとう」
「いえ。 あ、侍女が戻ってきました。では何事もなかったように戻って下さい。私は暫く、ここへ残り城内をさぐりますので・・・」
「分かったわ・・・・」


は、そう返事をすると、そっと立ち上がり、レイアの方へと歩いて行った。


「あ、様、何だかどれも美味しそうで買いすぎてしまいましたわ?」
「そう・・・ありがとう」
「どうします?これ、お城へ戻って食べられますか?」
「ええ、そうしようかしら・・・」
「では・・・・戻りましょう・・・」



は、そっと頷くと、チラっと後ろを振り返った。


そこには、すでに男の姿はなく店があった場所にはポッカリと空間だけがあった。



は、まるで白昼夢を見ていたんじゃないかと思った―――









 









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ちょっと長くなったので、ここで一旦終了です^^;
この後も続く筈だったんですけど(汗)
今回はトロイよりの話ですね。
またこの続きは改めて・・・・
しかしパリス・・・・どれほどの女と・・・(笑)
モテる王子はつらいってね(笑)