TROY

第四章:戦の準備







 


それは紀元前3000年…
古代ギリシャとトロイで起こった愛の物語…





















がレイアと城の中へと戻るとヘクトルが見知らぬ女性と歩いて来た。


「ああ、、出かけてたのかい?」
「ええ、城の周りを少し…。 ―ヘクトル…その方は…?」


はへクトルの隣で微笑んでいる女性を見た。


「ああ、彼女は私とパリスの従兄弟で、ブリセイスだ。 ―ブリセイス、彼女がパリスのフィアンセのだよ」


そう言われた時、ブリセイスは一瞬、顔を強ばらせたが、すぐに笑顔でを見た。


「初めまして!あなたがパリスのフィアンセの方ね?お話には伺ってたけれど、本当に奇麗…
パリスが心奪われるのが分かるわ?」
「い、いえ、そんな…あの…初めまして…。です」


(何だか…今、一瞬、彼女の顔が強ばったような気がしたんだけど…気のせいかしら…?)


は何となく気になった。


「ブリセイスは我が国の神殿を守る巫女になったんだ。今から神殿に送るとこだ」
「まあ、巫女に?」
「ええ…この戦で亡くなった兵士達を思うと、いても経ってもいられなくて…早く終るように…と祈るだけですわ?」
「そうですか…。本当に…早く終るといいわね…私も祈ってます」
「ありがとう」


ヘクトルは笑顔で二人のやり取りを見ていたが、ふと思い出したように口を開いた。


…パリスはどうした?部屋にいないのだが…せっかくブリセイスの門出だからと迎えに行ったのに…」
「部屋に…いない?」
「ああ、私はてっきり君と出かけたのかと思ってたんだがね。 では…どこに行ったのだろう…?」
「さあ…私には…。それかミノアの使者の方とでも会ってらっしゃるのでは?」
「え?ミノアの使者というと…アイリスか?」
「そういう名でしたね」


のそっけない言葉に、ヘクトルは思い出していた。


そう言えば…パリスは前にアイリスと付き合っていたことがあった。
でも…今更、何故二人が…それに、その事をが知ってるなんて…


…何か…あったのか?パリスと…」
「いえ、別に何も…」
「そうか?なら良いが…。あまり…イジメないでやってくれよ?パリスは不器用なだけなんだ」


ヘクトルがそう言うと、は少し困ったような顔で目を反らし、


「あ、あの…私はこれで…」


と言ってブリセイスにも頭を下げると、レイアを連れて廊下を歩いて行く。
ヘクトルは、そのの様子が少し気になったが、とにかくブリセイスを神殿に送るため、また二人で歩き出した。


























「パリス…?」


は、そっと部屋へと入るとパリスを呼んでみた。


本当にいない…。どこに行ったんだろう…?
さっき…キツイこと言ってしまったし気にしてるのだろうか…
それとも本当に、アイリスとかいう女性の部屋へ…?


はテーブルへとレイアが買ってくれたパンを置いてテラスへと出た。


さっきのは…だってパリスが悪いんじゃないの…
前の恋人と、そういう事をして来て私に愛なんて囁くから…
どうして王とか王子って、どこの国でも、いいかげんなのかしら。
そ、そりゃアキレスだって、いつも女性と、そういう事をしてたようだし、毎回相手も違う辺り誠実な人ではなかったけど…


前に会いに行った時、アキレスと裸の女性が一緒に寝ていたのを見て凄くショックだった。
アキレスが選ぶのは、いつも奇麗で豊満な色気たっぷりの女性…
私とは正反対だった。
あれじゃ私の事を女として見てくれないはずだわ…
私なんて色気も何もないもの…


は遠くに見える、ギリシャ陣営のテントを眺めながら、そっと溜息をついた。
その時、海の向こうからギリシャの船が何隻も向かってくるのが見えて思わず手で口を抑えた。


「あれは…アガメムノンの船…!」


慌ててギリシャの船が止まってた場所を見てみると、前にはなかった船が、こちらにも何隻か止まってるのが見えた。


アガメムノンが来たんだ…!
メネラオスが援軍を頼んだに違いない…!
もうすぐ…戦が始まると言うことなんだわ…


そう思うとは胸が苦しくなって、その場にしゃがみ込んだ。
その時、ドアの開く気配がして、「…いるの?」 とパリスの声が聞こえた。






パリスは部屋に戻るとテーブルにパンの入った袋を見つけ、尚且つ窓が開いてるのを見て声をかけテラスへと行ってみた。


?!どうしたの?!」


しゃがみ込んで胸を抑えているを見て、パリスは慌てて走り寄りの肩を抱いた。


「具合が悪いの?すぐに医師を…!」
「ま、待って…違う…大丈夫よ…っ」


慌てて立ち上がろうとするパリスの腕をが掴んだ。


「だ、だって…胸を抑えてるから…ほんとに大丈夫?」


心配そうな顔でパリスが、の顔を覗き込んだ。


「ええ…ちょっと…あれ見たら気分が…」
「あれ?」
「あそこ…アガメムノンの船が…来たわ?」


は、ゆっくり立ち上がって海のほうを指さした。
パリスもの体を支えながら、一緒に立ち上がると、その指さす方向を見て驚く。

「あれ…は…」
「戦が…始まるわ…。大きな戦が…」


は悲しそうに呟くと、祈るように手を組んだ。
パリスは、そんなを見ながら、そっと肩を抱いて部屋の中へと連れて行き、寝台へと座らせる。


…大丈夫…?」
「え、ええ…。ちょっと…現実を見た気がして胸が痛くなっただけだから…」


の、その言葉に、パリスは少し息を吐き出すと、静かにの隣へと座った。
何も声をかけてやることも出来ず、ただ黙っての肩を抱く。
すると、ふいにがパリスの方へと顔を向けた。


「あ…ごめん…」


パリスは、そう言うとパっと肩を抱いていた手を下ろした。


「いえ…そう言えば…今、どこに行っていたの?さっきのミノアの使者の部屋?」
「え?!ち、違うよ!行くわけないだろう?!さっき君に、あんな怒られたのに…」
「お、怒ったって言うか…」
「彼女とは…今度、ゆっくり話して分かってもらうよ…。もう二人きりでは会えないってさ…」
「そ、それは好きにしたら?」


は顔を背けて呟いた。
のその言葉にパリスは悲しげに瞳を揺らすと、「は…いつも、私には関係ないって顔をするんだね…」と呟く。
その悲しそうな声と表情に、はハっとした。


「だ、だって…」
「いいんだ…分かってる。君を無理に攫って来たのは僕だし…勝手に君を愛してしまったのも僕だ。
…アキレスという想い人がいるのも分かってる…」
「パリス…」


は、そのパリスの言葉に何も答えられなかった。胸がズキンと痛む。


そう…そうよ…?
私は来たくて、ここに来たわけじゃない。
なのに…何故、今こんなに胸が痛くなったんだろう…


パリスは俯いたを見て、慌てて、「あ、そ、それより今、食事の用意をさせて来たんだ。、お腹空いただろ?」 と微笑んだ。


「え?食事…?」
「うん、に何も食べさせてないことに、僕もさっき気付いてさ?ごめんね?気が利かなくて…」
「あ、いえ…」
「でももパン、買ってきたんだね?」
「え?あ、あれ…外に行った時…美味しそうだったからレイアに…」
「ああ、いいんだ。レイアには、が欲しいと言った物を買ってあげてって言ってあるし」


パリスは、そう言うと優しく微笑んだ。
はドキっとして目を反らすも、「あ、ありがと…」 と御礼を言った。
パリスは嬉しそうに、「じゃ、食事に行こう?」 との腕を引っ張って立たせた。


「あ、あのパリス…その前に…」
「え?」
「さっき従兄弟のブリセイスという方が神殿に出発すると言って、へクトルと行かれたわ?見送らなくていいの?」
「ああ…!そうだった!ブリセイスが初めて神殿に行く日って今日だったっけ…!色々あって忘れてたよ…」


パリスはそう言うと、頭をかきながら、


、一緒に来て?!」
「え…え?」


パリスはの手を握り思い切り部屋を飛び出し、走り出した。


「ちょ、ちょっと待って…パリス…」
「君にも見送ってあげて欲しいんだ!ブリセイスは僕らの大切な従兄弟だし」


パリスはちょっと振り返ってに笑顔で、そう言うと、長い廊下を曲り、王の間を通り過ぎて、下の階へと降りていく。
は少し息切れしてきて、「ちょ…ちょっと待って…」と呟くと、パリスは一旦、立ち止まりの体を軽々と抱き上げた。


「ひゃ…っ」
「このまま走るから首に腕を回して掴まってて?」
「え…で、でも…」
「じゃないと落ちちゃうよ?」


パリスはイタズラっ子のような顔で、ニコっと笑うと、を抱えたまま、また駆け出した。


「わ…っパ、パリス…怖いったら…っ」


は落ちそうな気がして思い切りパリスの首に抱きついた。
するとパリスが嬉しそうな顔で、を見た。


「な、何?」
「いや…こうやってから抱きつかれたのなんて初めてだからさ…顔がニヤケるな~って…」


パリスの言葉に、は顔が赤くなった。


「だ、だって仕方ないじゃないの…っ」
「分かってるよ。さ、ちゃんと掴まっててね?もうすぐ…ほら…出口だよ?」
「え?」


はパリスの言葉に前方へと視線を向けた。
すると城から出る扉が見え、さっきと同じように暇そうに兵士が立っているも、パリスがを抱えたまま走って来て、
ギョっとした顔で慌てて扉を開けてくれた。
パリスは、そのまま外に飛び出すと、民たちが大勢行き交う中を、を抱えて走って行く。
民たちは驚いた顔をしながらも、


「パリス王子!ご婚約おめでとうございます!」
「お幸せに!」


と次々に声がかかった。
パリスは、それに笑顔で頷いて答えている。
は、それを見ながら少し不思議な気分だった。
こうしてパリスに抱かれていると本当にフィアンセのような気分になる。
それに民からも、あんな風にお祝いの言葉を貰ってしまうと…
何だか皆を騙してるような後ろめたさが出てきてしまう。


「どうした?俯いて…」


パリスは少し走るスピードを緩めて、を見た。


「え?あ…」
「今の…気にしてるの?」
「え?」
「お祝い言われたりして…本当は婚約なんてしてないのにって思ってるのかなって…」
「そ、そうね…少し…」
「嫌かもしれないけど…ここにいる間はフィアンセのフリをしてて?」
「…え?」
「僕、もう君に無理は…」


パリスが、そこまで言いかけた時、城壁の大きな門が見えてきて、今、まさにへクトルが馬に乗り出発する所だった。


「兄上!」
「パリス?!」


ヘクトルは馬の手綱を引き、進むのを止めると、馬から飛び降りた。
パリスは、ヘクトルの前まで走って行くと、やっと、そこでを下ろし、思い切り息を吐き出している。


「はぁ~疲れた…」
「お前…どこに行ってたんだ?さっき迎えに行ったのに…」
「ごめん、兄上。ちょっとに食事の用意をと思って…ブリセイスは?」
「ああ、ブリセイスなら、あっちだ」


ヘクトルは一番前にある巫女用の馬車を指さし言った。
パリスはそれを見ると、の手を引いて、そっちの方へと歩いて行く。


「ブリセイス!」
「まあ、パリス?!」


ブリセイスは巫女の格好で振り向き驚いた。


「ごめん、遅くなって…」


パリスは、そう言うと馬車から降りてきたブリセイスを軽く抱きしめ、


「相変わらず我が従兄弟は美しい…。巫女にするのはもったいないな?世の男どもが嘆いてるぞ?」 


と言って笑った。
その言葉に、ブリセイスも嬉しそうに微笑みながら、ちょっと視線を伏せると、


「私は…一生、巫女でいいわ?」 


と呟いた。
は、さっきの様子と今、パリスを見ながらそう言った顔を見て、もしかして…彼女はパリスを?と気になったが不意にパリスに肩を抱かれた。


「ああ、ブリセイス…彼女は僕の…」
「愛しいフィアンセの様でしょ?さっきヘクトルに招介してもらったわ?」


ブリセイスは、笑いながら私を見た。
その瞳も、どこか寂しげなように見える。


「そっか。これからも仲良くしてやってくれ」
「ええ、分かってる」
「じゃあ…巫女、一日目、頑張って」
「ええ、ありがとう」


ブリセイスは、そう答えると馬車へと戻った。
そこに馬に乗ったヘクトルがやってきて、「じゃ、送ってくる」 と、そのまま兵士を連れ立って大きな門の外へと出ていった。


それを見送るとパリスはを見て微笑み、また手を引いて城の方へと歩いて行く。


は黙ってそれについていったが、ブリセイスのことが少し気にかかっていた…。
















その頃、城内では―


「ねぇねぇ。サルベードン様!」
「ん?何だ、レイア」
「ちょっとお願いがあるんだけれど…」
「お願い?」
「ええ、実はね…」


レイアは周りを見回してサルベードンに耳打ちをした。
サルベードンはレイアに何やら囁かれて、最初は普通だったが途中から急に顔が赤くなっていって、
「な、な、何だってぇ?!」 と最後には大きな声を出し慌てて口を抑えている。


「う、嘘だろ?そんなパリス様に限って、まだなんて事は…」
「それが本当なの!私、様から聞いたんだもの!」
「あのパリス様が…だ、だって私はパリス様がご幼少の頃から仕えているが、女性遍歴は13歳の頃から見てきた。
だが今までに一度だって目をつけた女性を落とせなかった事はないし、絶対に手を出さないなんて事もなかったのだぞ?!」
「そりゃ~私だってサルベードン様よりは短いですけど、一応それなりに見て来て、それくらいは知ってます。
でも様には、そうなんだから驚いちゃったんですよ」


レイアが苦笑しながらサルベードンを見ると、何だか口をあけていたものの、急に、


「た、大変だ・…!い、今すぐ医師を・…!!」 


とオロオロしだした。
それにはレイアも吹きだして、


「ちょっとサルベードン様、少しは落ち着いて!そんな体調不良とかじゃないですよ!現にさっきだってアイリス様の部屋に、
忍んで行ってらしたんだから!」
「あ…そうか…。で、では…」


レイアはそこでニヤっと笑った。


「私が思うに、きっと様がパリス様と、そうなるのを拒絶してるんだと思うの。
それで仕方なくアイリス様の誘いに乗ってしまったって事なんじゃないかって…」
「え?で、でも…ご婚約まで承諾されたのに何故に今更拒絶など…」
「そこは女心なのかどうかは分からないけど…そうね、様、結構冷めた方だし…どうもパリス様に冷たい気がして…」
「ふむ…まあ、それはな…最初は無理やり攫って来たんだから仕方がないだろう…あ…っ」


つい口を滑らせてしまった。
それにはレイアも、


「ええ?!無理やり攫ったって?!どういう事?!様は友好国の王女とかではないんですか?!」 


と目を輝かせた。


「う…あ…い、いや…」


サルベードンは事情を知っているので焦って視線を泳がせるも、レイアは興味津々で聞いてくる。


「教えて下さいよ、そこまで言ったんなら!私、他言はいたしません!様に仕えているんですから」
「ま…まあ・…そうだな…。でもパリス様には知ってるそぶりは…」
「もちろん見せません。知らないフリをします」


レイアにキッパリ言われて、サルベードンも少し考えてる風だったが思い切って、が何故、トロイへ来てパリスと婚約に至ったかを説明した。






「嘘…!ギリシャ軍から攫ってきた…?!」
「シィ…!声が大きい…!この事は私達、兵士数人と、プリアモス王、そしてへクトル様以外知らない事なんだから…っ」
「あ…ごめんなさい…」


レイアは慌てて口を手で抑えると、


「で、でも、じゃあ…様は…あのメネラオス王のフィアンセだったと?」
「まあ…後で知ったんだけどな…。それも親を人質に取られてイヤイヤ婚約したようなものだったらしいが…可愛そうに…」
「そうなんですか…何て卑怯な王なんでしょう?!我が国の王とは全く正反対ですわ!
そう…そうだったんだ…。でも、じゃあ…何故、様はパリス様と婚約を…?自分を攫った敵国の王子なのに…」
「私も、そう思ったのだが…パリス様は彼女に本気で愛情を感じた様で…
だから私はてっきり、そういう関係になってしまったから婚約を承諾したものだと…。なのに、まだだったとは…」
「そ、そうね…そうなると、ますます変だわ?意地を張ってるのかしら…」
「あ…で?レイアのお願いというのは…」
「あ、そうだった!いえ、私は、パリス様が不憫だから、想いを遂げさせてあげようかと思って…」


そう言うとレイアは妖しく微笑んだ。
サルベードンは首を傾げて、「と言うのは?」 と聞いた。


「さっきパリス様に、様の部屋を奥に用意しろと言われて一応、寝台も入れたんですけど…
こうなったら奥の部屋は寝台を取り払って毎晩二人が一緒に寝るようにしようかと…
パリス様には、奥に寝台を…と言われてもいないし、やっぱり取り払ってしまった方がいいでしょう?」
「そ、それは…そうだが…まだ二人が…と言うか、様がその気ではないなら少々強引すぎやしないか?」
「あら!いいじゃないですか!心身ともに、様にはパリス様のフィアンセになって頂きたいのよ。
サルベードン様は、パリス様の幸せを祈ってはいないんですか?」
「そんな事はない!パリス様の側近を任された日から私はパリス様の幸せを心から望んできた」
「なら手伝ってくださいよ!」
「う…っ。 ―あ、ああ…分かったよ…」



レイアに強引に押し切られ、結局サルベードンは、の部屋から寝台を運び出すのを手伝わされたのだった。


























ギリシャ軍陣営―





「アキレス様!アガメムノン王がお呼びです」


テントの中にエウドロスが顔を出した。


「来たか…」


アキレスはそう言って立ち上がり、エウドロスに、「船の準備をしておけ。朝方には出るぞ?」 と伝え
テントを出るとアガメムノンの軍船の方へと歩いて行った。
そこへ今、アガメムノンに会ってきたのであろうオデッセウスが苦々しい顔で王の部屋から出てくる。


「どうした?オデッセウス。そんな顔して…。また無理難題でも言われたか?」


苦笑しながらアキレスが声をかけた。


「おお、アキレスか…。いや…明日、神殿を襲った時に、神官たちを捕虜にしろと言われてね…
神に仕えてる者を捕虜などにしろなんて…気が重い命令だ…」
「そうか?たかが神官だ。神なんて名ばかりで形などない者に仕えてる気でいる奴らってだけだろ?そんなもの気にする事はない」
「おい、アキレス…」


オデッセウスは渋い顔でアキレスを見るも、アキレスは笑いながら、


「そんなものに気を取られてちゃ、そのうち背中を弓で射抜かれるぞ?目の前にいる者は全て敵だと思え」


と言ってオデッセウスの肩をポンと叩くと王のいる部屋へと入って行った。





王の部屋へ入ると側近の他にメネラオスがイライラした顔で立っている。
アキレスは普通に歩いてアガメムノンの前に立った。


「アキレス…お前の活躍は聞いていたぞ?メネラオスに手を貸してやってくれているとか?」
「別に…。あんたの弟に手を貸しているつもりはないが?」


アキレスの、ふてぶてしい物言いにアガメムノンの額がピクっと動くも、冷静なフリをして言葉を続けた。


「まあ、いい。それより…明日はアポロ神殿を襲う。お前の軍も出すのだ」
「お断りだ。あんたの命令で動く気はない」
「な、何だと?!」
「俺は俺の命令でしか動かない」
「く…っ。メネラオスに、お前を貸したのは、この私だぞ?!なのに私の言う事が聞けんと言うのか!」
「別に俺は、あんたに貸された覚えもない。自分が戦いたいから来たまでだ」
「お前と言う奴は…!お前の大事な従兄弟を助けたくはないのか?!」


の事を出されて、アキレスの表情が、かすかに曇った。


「あいつは…自分の不注意で捕虜にされたんだ。戦の中、敵に捕虜にされたら、そこで生きていくか殺されるか…
どっちかだという事を、あいつも理解してるだろう。それに…あいつだって、あんたの弟の妃になるくらいなら捕虜の方が
ましだと思ってるさ」
「な、何だとぉ~?!」


今まで兄の後ろで黙って話を聞いていたが、そう言われてメネラオスは怒りで顔を真っ赤にした。


「話はそれだけか?」


アキレスは、そう言うと部屋を出ていった。










ガシャーン!!!!




「忌々しい奴め!!」


メネラオスが酒の杯を床へと叩きつけた。


「まあ、落ち着け…。あんな奴と分かっていて欲しがったのはお前だぞ?」
「分かっているさ…!だがな…あの態度だけは許せん!もう、あんな奴の軍はいらない!我々だけでやろう。
兵の数ならトロイ軍には負けはしない!」


メネラオスがアガメムノンに、そう言うと、側近の男が首を振った。


「ダメです。アキレスがいないと、この戦は勝てません」
「だが…メネラオスの言う通り我が軍だけで充分だろう?アキレスは何をするか分からん男だ。
私の背中にだってチャンスがあれば弓を討ってくるやもしれんのだぞ?」
「アキレスという男は名誉を欲しがっています。命令などせず、ただ解き放ってやればいいのです。
そうしたら何も言わなくとも戦いに自ら赴くでしょう」


側近の言葉に、アガメムノンとメネラオスは顔を見合わせる。


「だが…あいつは気まぐれだからな…」
「私は、どの兵士よりも、あの男が嫌いだよ、メネラオス…」


二人は、同時に大きな溜息をついた。

























トロイ城内―





パリスは、部屋へと戻る前に王の間へと行き、を紹介していた。


「そなたが、か。これはこれは…パリスが心を奪われるだけはある…まさに絶世の美女だな?」
「そ、そんな事は…もったいないです」


は王の言葉に顔を赤くした。


「事情はパリスから聞いた。そなたも大変だったな?」
「いえ…」
「だが、もう、そなたはメネラオスのフィアンセではない。我が国トロイの王子、パリスのフィアンセだ。
メネラオスが、どんなに兵を向けて来ても、我々が、そなたを守ってみせる。安心していなさい」
「…ありがたき、お言葉、心に傷み入ります…」


の言葉にプリアモスは笑顔を見せると、パリスの方へ向いた。


「パリス…全力を持って彼女を守るのだぞ?」
「分かっております。父上…」


パリスは、軽く傅くと真剣な瞳で、父である王を見た。


「ふむ…。いい目になってきたな?逞しくなったものだ…」


プリアモスは、そう呟くと、


「もう下がって良いぞ?今宵はゆっくりと休んで、明日の戦に備えておきなさい」
「はい、父上。では、僕はこれで」


パリスは、そう言うとの手をそっと繋いだ。
も軽く、王に頭を下げ、「失礼します…」 と言ってパリスに手を引かれるまま、王の間から出て行った。


「はぁ~緊張しちゃった…」


廊下へ出ると、はそっと息を吐き出し、パリスはそれを見て苦笑した。


「ごめんね?一度、会わせないと変に思われるから…」
「いいわよ…。どうせ王には私が承諾したとか嘘言ったんでしょ?」
「え?!」


に痛いところを疲れて、パリスは顔が赤くなった。


「そんな事だろうと思った…。メネラオスのフィアンセの私との結婚を許すなんておかしいもの。
きっと私もパリスとの婚儀を望んでるとでも言ったのかなって。あなたの、お父様、凄く優しそうだもの…
私の境遇に同情してくれたんじゃないの?」
…そんな同情なんて…。父上は僕の気持ちを尊重してくれたんだ」
「でも優しいじゃないの。戦争が酷くなるのを分かってて息子の願いを受け入れるなんて…」
「そう…だけどさ…。って、ごめん…」


パリスはそう言ってパっと繋いでいた手を離した。
は、いつもと少し様子の違うパリスに驚いて、首を傾げる。


「どう…したの?何だか様子が変…」
「え?べ、別に…。それより…食事しよう?、お腹空いただろ?」
「あ・…そう言えば…」


は、そう言ってお腹を抑えた。
パリスは優しく微笑むと、を自室の階にある大きなテラスへと連れて行った。





「わぁ…凄い…海を見ながら食事ができるのね?」
「ああ、夜風が気持ちいいし…ここに料理を運ばせたんだ」


パリスは、そう言うとを座らせ、自分も向かいに座った。
テーブルではなく大きな柔らかい布が広げてあり、天井は帆が張ってあるように食事をするスペースが仕切られている。


「わぁ、美味しそう…!」
、何が好きか分からなかったから…何でも用意させてみたんだけど…」
「私、何でも大丈夫よ?」
「そう?なら良かった。ほら、食べて?」


パリスは、の杯にぶどう酒を注ぎながら促した。
は嬉しそうに、「いただきます」 と言って料理に手をつける。
美味しそうに食べているを見て、パリスは笑顔を見せつつ、そっと海の方を見てみた。
闇の中にギリシャ軍の船や、陣営で灯っている炎がかすかに見える。


(明日…僕は戦に出る…。兄上の足を引っ張らないようにしないと…)


少し緊張しているのが分かった。
手にはじっとりと汗をかいている。


「パリス…?」
「…え?!」
「どうしたの?何だか様子がおかしいわ?さっきからだけど…」
「あ…何でもないよ?うん…。この果物、美味しいね?」


パリスは何とか笑顔を作ると、も首を傾げてはいたものの、また食事をしはじめた。


…君を自由にしてあげるから…
そしたら…


パリスは軽く頭をふると、ぶどう酒をグイっと飲み干した。
知らず喉がカラカラだったと気付く。


パリスは、ある決心をして、明日の戦いへと思いを馳せていた―






















アイリスはイライラしながら部屋の中を歩き回っていた。


悔しい…!!いつの間にパリス様にフィアンセなんて…!
しかも体も許してないフィアンセですって?!
うぶなフリをして、パリス様を騙してるに違いないわ、その女!
本当は色々と影で怪しい事をしているに違いない…
さっきだって…何やら街の男とこっそり話をしていたし…


アイリスは先ほどパリスが出ていった後、悔しさのあまり、そのフィアンセを見てやろうかとパリスの部屋へと行きかけた。
その時、部屋から知らない女が顔を出し侍女と出かけるのを見てコッソリ後をつけたのだ。


確かに奇麗ではあるが…まだ子供じゃないの。
あんな痩せた体で、うぶなフリをしているだけだわ…っ


そんな事を思いつつ、後をつけてみれば、いきなり走り出すわ、店先で騒いでるわで、御しとやかでも何でもなかった。
本当にパリスのフィアンセかと疑ったが、パリスの側近のサルベードンが何気なく護衛をしているのを見れば、
フィアンセなんだという事が分かった。


あんな、がさつな女のどこがいいの?と、ジっと見ていれば…
あの黒装束の男が、いきなり彼女の手を掴んだのを見て、おかしいと思った。
何だか、あの女も慌ててるように見え、私は何かあると思って、こっそりと近づいた。
向こうは私の顔を知らないのだから、頭から軽くベールを被るだけでバレずに済んだ。
すると黒装束の男が、アキレスと言っているのが聞こえたのだ。
アイリスは首をかしげた。


"アキレス"…


どこかで聞いた名だと必死に考えてみるも思い出せない…
ただ、その名を聞いて、あのフィアンセという女は明らかに動揺していたように見える。
いや…どちらかと言えば嬉しそうな顔というのか…
あれは…パリス様を裏切っているのではないかと疑うほどの…


(見てらっしゃい…パリス様と婚儀など挙げさせるものですか…)


アイリスは何かを考え込むようにして寝台へと腰をかけた―


























「はぁ~…お腹一杯…何だか眠くなっちゃった…」
「今夜は、ゆっくり寝るといい。明日は…そうもいかないから…」


パリスはを部屋へと入れるとドアを静かに閉じた。
はテラスへと出ると、軽く息を吐き出す。


「明日…アガメムノンは、ここへ兵士を送ってくるかしら…」
「必ず…」
「…戦って…欲しくなどないのに…」
「それは・…アキレスのこと?」


パリスにそう言われてハっとした。


「パリス…そんな…私はへクトルにも、あなたにも戦ってなど…」
「でも…戦わないと、は自由にならないんだよ?」


パリスの言葉に胸が痛んだ。


「そんな・…事の為に戦ってくれるの?」


は自分のせいで、戦が酷くなってしまう事を酷く悔んでいた。
パリスもテラスへと出てくると、の隣へと立ち、海のほうを見つめる。


「"そんな事"じゃない…。僕にとったら…大事な事だよ?」
「え?」
が…自由の身になれる為なら…僕はメネラオスと戦うよ…」
「パリス…」


は少し驚いて、パリスを見上げた。
パリスは優しい瞳で、でも悲しそうに、を見つめている。
少しドキっとした。


(な、何だか…雰囲気が違う…。どうしたんだろう?)


パリスはそっと部屋の中へ戻ると、「さ、は隣で、おやすみ。さっきレイアに部屋を作ってもらったから…」 と言った。


「え、ええ…。じゃあ…おやすみなさい…」
「おやすみ」


パリスに笑顔で、そう言われては隣の部屋のドアを開けた。


「あれ…」
「ん?どうしたの?」
「あの…私、どこに寝たら…?」


の言葉に、パリスは驚いて部屋の中を見た。


「何で他の物は揃ってるのに…寝台がないんだろ…」


パリスは驚いたが、とりあえずに、「ちょ、ちょっと待っててね?」 と言って部屋を飛び出した。


レイアは何をしてるんだ?
あれじゃあ、僕の寝台でが寝るようになってしまう…
それじゃは嫌がるだろう…


慌ててレイアに侍女として与えた部屋をノックした。


「レイア!起きてるか?!レイア!」


そう怒鳴ると、すぐにドアが開き驚いた顔でレイアが顔を出した。


「パ、パリス様…!こんな、わざわざ来て頂かなくても呼んでくだされば……」
「そんな時間かけてられないんだ。の部屋だけど…何で寝台がないんだ?あれではが寝るところが…」
「あ、その事ですか…」


レイアは、ちょっと微笑んでパリスを見た。


「何だ…?」
「いえ…あの…。様とパリス様は一緒に寝られるかと思ったものですから…。だってフィアンセですし」


レイアがさらっ言うと、パリスは頬を赤くした。


「そ、それは…そうだが…。やはりにも専用の寝台がないと…その…」
「申しわけ御座いません。それが他に寝台もないのです」
「え?!」
「それにパリス様の寝台なら大きいし、お二人が寝ても余るくらいですから大丈夫だと思うのですけど…」
「そ、そうだけど…」


レイアにそこまで言われると、パリスはどうしたものかと言い訳も思いつかない。


「わ、分かった…。じゃあ明日でも寝台を用意するように職人に頼んでおいてくれ、急いでくれとな?」
「畏まりました」


レイアは軽く頭を下げるとパリスは、「ああ、寛いでたとこをすまなかったな。ゆっくり休んでくれ」 と言って戻って行った。
それにはレイアも唖然とした。


パリス様が、侍女の私に謝ったわ?!しかも、"ゆっくり休んでくれ"だなんて・…!
こ、こんな事、今までになかったのにっ。


レイアは驚くも部屋の中へと戻って、ちょっと笑顔になった。


パリス様は…様と出会われてから少し変わったように思う。
何だか以前よりも雰囲気が優しくなったし、どこか責任感が出てきたような気がする。
以前はヘクトル様に任せきりだった戦にも、今回は自ら出るというし、それはきっと様のためなんだと思った。
サルベードンから聞いたとこによると、様はスパルタの王メネラオスのフィアンセだったというし…
パリス様は、様の為にメネラオス王と戦う気なんじゃないかしら…
素敵…!愛する者の為に戦うなんて…
これで様が心を和らげて下さるかもしれない…
そうしたら、きっとパリス様に身を任せる日もくる。


そう思うと、さっき頼まれた寝台の追加なんてするものかという気にさえなってくる。


「そう…これは、お二人のためよ!私の使命なんだわ!」



レイアはどこかズレた使命感に、この夜は燃えていた。



















パリスは重い足取りで部屋へと戻った。


はぁ…に何て言おう…
寝台がないから、僕と一緒に寝ようなんて言っても、きっと怖い顔で怒るんだろうな…


そう思いつつドアを開けた。


「あ、パリス…」
、ごめん。あの…寝台なくてさ…」
「え?!だ、だって…こんなに部屋があるのに?!」
「うん…レイアが、そう言うんだ…。でも今夜は無理でも、すぐ用意させるから、今夜は僕の寝台で寝てくれる?」
「え?!」


は少し驚いた顔でパリスを見た。


ほらね…この後に怖い顔で怒鳴るに違いない。
その前に自分で言おう…


「あのさ…僕は他の部屋で寝るから…」
「ほ、他の部屋って…?」
「う~ん…客室とか?空いてるとこ探すよ」
「ああ、アイリスとかいう人のとこは?」
「い…行かないよ?彼女のとこには…」


パリスはの言葉に胸が痛み、慌てて、そう言った。


「そう…でも明日は戦に出るのに、そんな別の部屋で寝れるの?」


の言葉にパリスは冗談で、「じゃあ、一緒に寝てくれるって言うの?」 と言って笑う。
するとは少し苦笑しながら、「何もしないなら…いいけど」 と言って、パリスは聞き間違いかと驚いた。


「え?何だって?」
「だ、だから・…いいわよって言ったのっ。明日、私の為に戦に出るのに、そんな部屋から追い出せないわ?」


少し恥ずかしそうに言う、の言葉に、パリスは胸が痛くなった。
は、パリスが何も言わないのを見て、少し首をかしげた。


「あの…あなたが嫌なら私が…」
「い、嫌じゃないよ!嫌なんて言う筈がないだろ?!」


の言葉に慌てて、パリスは、そう言った。


「そう?あ…。でも!ほんと一緒に寝るだけよ?何かしたら―」
「し、しないよ!ほんと…もう勘違いしたくないし…。 ―それに…もうする事ないから…」
「…え?」
「あ、何でもない…。じゃ、じゃあ…寝ようか?」
「あ、うん…」


パリスは明かりを消して、そっと寝台の奥側へと寝転がった。


は、そっちでいいよ?その方が逃げようと思えば逃げられるだろ?」
「に、逃げるなんて…あ、やっぱり、そんな逃げる事、する気なの?」


が少しパリスを睨みながら言うと、「ち、違う、そういう意味じゃなくて…」パリスが焦って、首を振ると、突然、が吹きだした。


「ぷっ…アハハハ…っ。冗談よ?ちゃんと気を使ってくれてるって分かってるわ?」
「な、何だ…良かった…」


パリスは、ちょっと息を吐き出して苦笑した。
も少し笑いながら、自分も寝台の上へと横になる。
するとパリスは横を向いて、を優しく見つめた。


「な、何?」
「ううん、奇麗だなぁ…って思って…」
「何言って…」
「ごめん、おやすみ」


パリスは、そう言うと今度はに背中を向けてしまった。


「おやすみなさい…」


は、そう言いながらまだ何となく様子の、おかしいパリスを変に思うも、明日の戦が気になるのかと何も言わなかった。


(明日…本当にアガメムノンの軍は、ここトロイ城へと攻めてくるのだろうか…)



は不安に押しつぶされそうな苦しさに、軽く息を吐き出し、そっと目を瞑った。








 



 





 

 

 

<< BACK






今回はまともですかね(笑)
チューもナッシン(笑)
これは前回の話の続きなんですけどね~
一緒にすると長くなるので分けました。
そろそろ戦争が~ってとこですか。
う~ん、しかしレイア好きなキャラになりました(笑)