【第二十七話】 何気ない今日の日が、このまま続きますように




夏油傑が起こした未曽有の大規模テロから二日後、京都での後処理を終えた私は朝一の新幹線に乗り、昼には東京へと戻って来た。
大量に沸いた呪霊をほぼ祓えたのはいいが、気づけば呪詛師達は逃走していて。それらの捜索にまで参加させられ、あげく見つからなかった事で疲労もピークに達していたが、とりあえずは報告がてら、マンションへ帰る前に五条さんの所へ寄ってみる。首謀者であり裏切者の夏油傑は五条さんが自ら決着をつけた、という簡単な報告は聞いていたが、少しだけ彼女の事も心配だった。夏油傑は呪術界にとって大量の呪殺をし、大規模テロを引き起こした重罪犯。とはいえ、彼女にとったら元恋人だ。いくら年月が経っていようと、心に思う事があるのではないか、と思った。
だが私を出迎えたのは、あの軽薄を絵に描いたような五条さんでも、常に優しい笑顔を見せてくれるさんでもなく。
もう一人の先輩術師、家入硝子だった。

「あれ、七海。どうした?」

気だるそうに長い髪をかき上げ、綺麗に引かれた眉を怪訝そうに寄せた家入さんは、「あ、五条ならいないけど」と前置きしてから私を離れに招き入れた。
中へ入ると彼女もいないのか、飼い猫のマリンがのそのそとコタツから這い出て来ただけだった。(お前も歳を取ったな)

「七海ー。コーヒーでいい?」
「ああ、お構いなく。私は報告しに来ただけで――」
「はい、コーヒー」
「………」
「ちょうど私も飲むとこだったの。少しくらい付き合いな。京都の話も聞きたいし、話したい事もあるし」
「はあ…。では…頂きます」

何かを言う前に、ずいっと出されたコーヒーカップ。すでに出してくれた物を拒むのも失礼だと思い、素直に受け取る。家入さんはカップを手にコタツに入ると「あ~寒い…」と首を窄めながら湯気の立つ淹れたばかりのコーヒーを口にした。その様子を見ながら、そう言えばこの人とこんな風に二人きりで話すのは初めてだったな、という事を思い出す。だいたいは五条さんかさんが傍にいるから、少し変な気分だ。
家入さんはコーヒーとコタツのおかげで温まったのか、ホっとしたように息を吐き出すと、その気だるそうな視線を私に向けた。

「で、どうだったの。京都の方は」
「…まあ。犠牲者も多数出て、呪詛師には逃げられたので散々でしたよ」
「そっか。まあ新宿も似たようなもんかな。呪霊は祓えたけど気づけば呪詛師どもは消えてたらしいし。五条曰く、夏油は最初からそのつもりで送り込んでたみたいだな」

ほんと面倒な事をしてくれたよな、あのバカは、と苦笑しながら、再びカップに口を付ける家入さんを見る限り、元同級生の"死"に対して感傷に浸ってるようには見えない。
でもまあ、人の心の中は見た目では分からないものでもある。

「ところで五条さんはどこへ?明日までは休校でしたよね。今回の事で祓徐の依頼も止めてあるし任務も休みと聞いて伺ったんですが…」

私の質問に家入さんはふと顔を上げて私を見ると、ふふっと笑って僅かに目を細めた。

「五条はと一緒に墓参り行ってる。青山霊園つったっけな。の家の墓がそこにあるらしくて」
「え…墓参りって誰の…」

と訊いてから、ふと思い当たった。

「もしかしてさんの家で働いてた―――」
「そ、榊さん。報告がてらお墓参りに行くって言いだしたに五条が無理やりくっついて行ったの。一人じゃ危ないからって」
「なるほど…」

と、頷いてから、一つ疑問が浮かぶ。

「でも彼女はもう特級保護対象を解除されたんですよね?なのに五条さんもわざわざ青山まで墓参りについて行ったんですか?」

私の問いに対し、家入さんは意味深な笑みを浮かべると、少し前へ身を乗り出してきた。

「聞きたい?」
「…質問したのは私なんですが」

質問を質問で返され、私は戸惑いつつ苦笑いを零した。こういう所は少し五条さんに似ている。(なんて言えば家入さんはきっと怒るだろうが)
コーヒーを飲みながら、家入さんを見れば、どこかソワソワしている。その様子から見て、"聞きたい?"と言っては来たが、実のところは自分が話したいんだろう。

「ね、七海。聞きたい?何で護衛任務から外れた五条がにくっついて行ったか」
「……いえ、特には」
「つまらない男だな」

私の答えに家入さんは面白くもないといった顔で目を細めている。

「まあ、だいたい察しはつきますので」

そう、そもそも五条さんが彼女に対して好意を持っているのは嫌というほど知っている。いや、"好意"という生易しい感情ではなく、あれは間違いなく、"べた惚れ"、"溺愛"、といった類のもので。面倒な先輩の恋愛事情など知りたくもないのに、あの人は自分の気持ちを隠す、という事に関しては、見事に皆無だった。
少なくとも私に対しては。
あれだけ態度に出ているにも関わらず、その五条さんの想い人でもある彼女は全く気づいていないという、傍から見れば面白い展開ではあるが、時々巻き込まれる身としては、一日も早く五条さんに想いを成就させて欲しいところだ。そう、やっと夏油傑との決着がついたのだから。そして今日、五条さんがそんな行動を取ったのも私は理解出来る。護衛任務から外れようと、教師の仕事も休み、任務も入っていなければ、愛しい女性と少しでも一緒に過ごしていたい、と思う気持ちは当然の事だろう。
だが家入さんはまたしてもニヤリと笑う。

「七海の考えてる事は半分当たってるけど、半分は違う」
「…半分は、違う?」

では他に何があるというんだろう。
家入さんは相変わらずニヤニヤしている。その顔は無言で"聞きたい?"と言っているように見えた。

「…はあ。分かりましたよ。何故、五条さんはさんにくっついて行ったんですか?」

聞くまでこの問答が続きそうだ、と観念して尋ねると、家入さんは満足そうに笑顔を浮かべて、再び身を乗り出して来た。

「実はさ、五条、この前遂にに人生初の告白!ってやつをしたんだよ」
「……は?あの、五条さんが…ですか?」
「そ!やーっと告って、からも好きだって言われて、今のアイツは世界中の幸せを独り占めしてるって顏だよ」
「そ…そう、ですか。やはりさんも五条さんの事を…」

代理で護衛をしている時から何となくそうなんじゃないか、とは思っていた。五条さんは気づいていなかったが。(鈍い人だ)
まあ人間、他人の事には勘が働いても、それが自分の事になると鈍くなるものなのかもしれない。
しかし、そうか。あの二人が遂に"恋人同士"になったのか、と暫し感慨にふける。

「では今日は…」
「五条はデート気分かもな~。夏油との決着がついたおかげで前ほど襲撃される事を警戒しなくていいし、仕事以外で普通に二人で出かけられるんだから嬉しいんだろ」
「まあ、そうでしょうね。ああ、ところで…保護対象じゃなくなったなら、さんは今後どうするんです?この離れも出るんですか?」

ふと気になって尋ねれば、家入さんは思い出したように「そう!その事で昨日大変だったんだよ!」と大きな声を上げた。

「大変、とは?」
「ほら、って真面目だから。で、当然、保護対象じゃなくなったのに高専にお世話になるのは申し訳ないってんで、ここを出て実家に引っ越すって言いだして」
「なるほど…。まあ、その気持ちも分からなくもないですけど…彼女の実家は都内ですよね?」
「そう、榊さんの事があったから、一葉さんが急遽青山の戸建てを買って引っ越したんだけど、今は一葉さんも海外で仕事してるから誰も住んでない状態で放置されてるみたいでね」
「ああ、それでさんがそこに住むと言ってるんですか?」
「そーいうこと。ただ、そうなると二人は今みたいに会えなくなるだろ?」
「ああ……」

だいぶ話が見えて来た。
大変だった、と言うのは、きっとその事で五条さんがゴネたんだろう。五条さんからしたら毎日会えてた彼女が引っ越してしまえば、互いに忙しい身。そう頻繁に会えなくなる、と思ったんだろう。

「夏油一派の残党が逃げてるわけだから、まだ完全に安全とも言えないし、五条がそれこそ大騒ぎして」
「…でしょうね」

あの五条さんが騒いでるところを想像して、つい苦笑が零れた。

「やっと自由になってモデルの仕事も制限しなくて済むわけだから、にとったら都内に引っ越した方がいいのかなって思ってたんだけど…」
「え、違うんですか?」
「それが…今は高専の仕事も手伝ってるだろ?はそれも続けたいみたいなんだよな」
「え…伊地知のサポートを、ですか?」
「うん。というか学長はに残って欲しいみたいでさ。が保護対象でもないのに住んでていいのかって気にしてるだけで」
「ああ、そういう事ですか。彼女が残りたいと言えば、それこそ皆が喜ぶでしょう」

彼女も長年住んでいるからか、高専の関係者からも慕われている。それこそ五条さんの生徒だって懐いているし、学長も今では五条さんのことで困った事態になれば、彼女にアレコレ頼んでいる始末。
さんが気にするような事はないのに、と思う。

「まあ、そこは五条がそう説得してたから、多分も残ってくれるとは思うんだけどね。それにもうがいない生活なんて皆も考えられないだろうし」
「それが一番いいと思いますよ。さんがいなくなった時、周りが五条さんの"八つ当たり被害"にあわない為にも」(!)
「あ…やっぱ七海もそう思う?私もそれが心配だったんだ…」
「と言うか直に被害が来るのは、それこそ私や家入さん、伊地知、生徒たち辺りでしょう。いえ更に広範囲に及ぶ事も考えられるので是非さんに残って頂かないと」

話しているうち、次第にその被害が真実味を帯びて来た気がして、心の底から彼女が残ってくれる事を願った。

が残ってくれる事になったら、私は引っ越さないとな~」
「家入さん、引っ越すんですか?」
「だって私がここに来たのは五条が変な気を起こさない為に来たようなもんだから。でも晴れて恋人同士になった事だし、もう変な心配はしなくていいかなって」
「ああ、そうだったんですか」

家入さんが急にここに住みだしたのはそういう理由も含まれていたのか、と、つい笑ってしまった。
まあ10年前と言えば、まだまだそういう信用がなかっただろうな、あの人。(!)

「とりあえず…上手く収まってくれるといいですね」
「うん。ま、も離れて住むのは寂しいだろうし、もし引っ越すとしても、すぐそこの別荘でいいのに、とは私も思ってる。まあ、あそこは夏油との思い出もあるかもだけど」
「…そう、ですね」

家入さんは小さく溜息をつくと「夏油も最後の最後でを助けたみたいでさ」と呟いた。
それには驚いて、思わず息を呑む。

「殺しに来たのに?」
「その辺…矛盾してるけど、何か…分かる気がするんだよな」

家入さんはそう言ってさんから聞いたという話を教えてくれた。

「最後、も自分の代わりに負傷した夏油から離れようとしなかったって、五条も珍しくヘコみながら言ってたわ」
「そんなもの見せられたら、そりゃあの人でもヘコむでしょうね…。でも…さんは優しい人なので、酷い事をした相手でも自分の為に負傷した相手を放っておけなかったんでしょう」
「私は…ズルいと思うけどね、夏油のやった事は。まあ考えてした行動じゃなかったんだろうけど。でも最後にそんな事をされたら、それは―――」
さんにとっての"呪い"になる」

私の呟いた一言に家入さんはふと顔を上げて、悲し気に微笑んだ。
殺したい、でも愛している。
そんな矛盾を抱えて生きていくのは辛かっただろう、と思った。
結局、夏油本人も、自らに呪いをかけてしまっていたのかもしれない。

「七海、酒にしない?」

ふと家入さんが言った。
今日は特に何も予定はない。

「いいですね」

私がそう応えると、家入さんは少しだけ明るい笑顔に戻った気がした。







お墓周りを綺麗にして、花を飾って、榊さんの好きだった和菓子をお供えして、お線香を焚く。
手を合わせて今日までにあった事を報告しながら、最後にごめんなさい、と付け足した。
結局、私は夏油くんを憎み切れなかった。
酷い事をされたのに、最後の最後で許してしまった。
いつか、夏油くんに言われた事を思い出す。

"はもう少し自分を傷つけようとした相手に対して怒った方がいい"

ほんと、そうだよね。
もちろん、夏油くんの全てを許したわけじゃない。
だけど、全てを憎めなかった。
それが、最後に出した私の答え。

榊さん、ごめんね。
私は、こんな生き方しか出来ないみたい。
だけど、今は大切な人達に囲まれて元気に過ごしてるから、心配しないでね。

ゆっくり目を開けると、あの優しい眼差しで、榊さんが微笑んでくれたような気がした。
ふと隣を見れば、五条くんは未だ手を合わせていて、目を瞑っているのがサングラス越しに見える。
が、視線を感じたのか、不意に目を開けて私の方を見た。

「ん?」
「榊さんに何を報告したのかなぁと思って」

小首をかしげる五条くんにそう言うと、彼はちょっと笑って

「"は僕に任せて、友恵はのんびり休んでてね♡"」
「…友恵って」

出会った頃、五条くんが榊さんをそう呼んでいた事を思い出して、軽く吹き出した。あの頃の事を思い出すと、五条くんとこんな風に一緒にいるのが、凄く不思議な気分だ。

「行こっか」
「うん」

そう言って歩き出すと、自然に繋がれる手にドキっとする。しかも当たり前のように指を絡めて来るから、だんだん頬まで熱くなってくる。

「あれ、、何か力入ってない?」
「…そ…そんな事ないよ」
「そう?でも頬が赤いけど」

五条くんは少しだけ屈むと、私の顔を覗き込みながらニヤリと笑った。
そのせいで更に頬が熱を持つ。
だいたい一昨日までは友達として長い間接してきたのだから、恋人という形になっても急には慣れるはずもない。
それに五条くんとこうなってから二人きりで出かけるのは初めてなのだから、それはそれでドキドキしてしまう。
そんな女心を分かっているのかいないのか。
五条くんはどこか嬉しそうな笑みを浮かべて、「、真っ赤で可愛い」なんて、余計に照れる事を言って来る。やっぱり未だにからかわれてるような気がしてならないから不思議だ。

「からかわないでよ…」
「え、からかってないけど。ほんと可愛いって思ってる」
「…可愛い、なんて歳でもないってば」
「何で?何歳でも可愛いものは可愛いよ。友恵だって可愛かったしね」
「そう言えば五条くんって、榊さんにもそんなこと言ってたね」

ふと思い出して吹き出した。そのたびに榊さんが照れちゃって、でも嬉しそうにしてたのを覚えてる。

「友恵も誉めるとほっぺ赤くして照れながら豪快に笑うんだよ。その笑顔が自然でさー。可愛い人だなーって思ってた」
「…私はそんな五条くんがチャラいなーと思って見てたけど」
「あ、ひでぇ。まあ、でもあの頃の僕は確かにチャラかった」
「あと口も悪かった」
「あー」

五条くんはちょっと笑いながら、ふと私を見下ろした。

、いっつも冷たい目を僕に向けてたしね」
「だ、だって…いちいちバカにしてくるし、言い方も冷たくて、散々私のことお子ちゃま扱いするし――」

過去の五条くんへの愚痴を並べ立てていると、不意に彼が立ち止まる。驚いて見上げると、いきなり腰を抱き寄せられた。

「な、何…?」
「あの頃も…にこうしたいなあって思ってたけどね」
「え…?……んっ」

五条くんが少し屈んだと思った瞬間、唇が重なり鼓動が跳ねる。でもすぐにそれは離れて、驚いて固まっている私を見ると、五条くんが小さく吹き出した。

「な…なな何するの…!こ、こんな場所で―――」
「だって平日で誰もいないし」
「………」

周りを見渡しながら、五条くんが笑った。確かに今日は平日、それも真昼間で、この広い霊園内には誰もいない。だからってこんな場所で罰当たりな、と思っていると、五条くんは再び顔を近づけて来た。

「……何で俯くの」
「だだだって…」

こうして付き合う少し前から五条くんは色々スキンシップが増えては来てた。来てたけど、今はそれ以上にこういう事をするからハッキリ言って私の心臓が持たない。突然スキンシップが増えたのも、五条くん曰く、"友達としてじゃなく男として意識して貰いたかったから"らしい。そもそも私が五条くんの気持ちに気づけなかったのは、好きなタイプに私と真逆な人ばかり上げてたからだ。その理由として、夏油くんの手前、カモフラージュしてた、と言われて、心の底から驚いた。いや、驚いたのは、そんな前から私の事を想っていてくれたということだ。
そしてそれを多分、夏油くんも気づいていた、と五条くんは話していた。私の知らないところで、そんな事になっていたなんて思いもしてなくて、本当にビックリした。

、顔上げて」

抱いたままの腰を少しだけ抱き寄せながら、五条くんが顔を覗き込んで来る。その腕さえ、ちょっとエッチで恥ずかしいのに、これでキスなんかされたら余計に恥ずかしい。

「………やだ」
「え、何で」
「だって……キスするから」
「……僕にキスされるのそんなに嫌なの?」
「そ、そうじゃなくて―――」

五条くんのスネたような声がして慌てて顔を上げると、ちゅっとキスをされて再び固まった。

「不意打ちー」
「……っ(こ、この人わっ)」

真っ赤になった私を見て、五条くんは楽しそうに笑う。そのまま私の腰を解放すると、手を繋ぎながら歩き出した。恥ずかしくて腹も立ったけど、今日の五条くんはどこか嬉しそうで。そんな顔を見てると、まあいいか、という気になってしまうから不思議だ。緑の多い、どこか高専の敷地を思い出させる風景を眺めながら、霊園内を歩いていると、五条くんがふと私の顔を覗き込んだ。

「で、次はどこ行く?」
「え、どこって…」
「まさか、このまま真っすぐ帰るつもりじゃないよね」

五条くんは不満げに唇を尖らせた。
と言われても、何も考えていなかった。

はもう自由なんだから、気兼ねなく好きな場所に行けるよ」
「……そう、だね」
「あ、でも都内に引っ越すってのは却下だから」
「わ、分かってる。学長さんがいいって言ってくれてるなら私もサポートは続けたかったから…。でもホントにあの離れに住んでていいの?」
「いいんだよ。僕、今、教師」
「え?」
「あそこは元々、教師だった樹さんの部屋だろ。僕がそのまま使っても問題ないし?」
「五条くんはそうだけど、私はそもそも部外者だし…」
「誰ものこと、部外者だなんて思ってないから。そんなこと言ったら皆に怒られるよ?」

五条くんはそう言いながら私の額を指で軽く押した。

「ご、ごめん」

思わず謝ると五条くんは微笑んで繋いでる手を口元へ持っていく。そのまま私の手にキスをするからドキっとした。顔を上げれば、五条くんは指を絡めたその手を自分のコートのポケットへと入れる。

「な…何?」
の手、冷たいから。寒い?」
「さ、寒くない」

むしろ顔が熱くて困っている。ポケットの中でぎゅっと握られる手の感触さえ、ドキドキしてしまう。こんな風に手を繋ぎながら男の人と歩くのは初めてだから、どういう顔をしていいのか分からなくなった。そもそも夏油くんと付き合ってた時でさえ、指を絡めて手を繋いだことなんかなかったのだ。(初心だったな、私)

「で、どこ行くか決めた?」

霊園の外へ出ると、五条くんが再び訊いて来る。その時、ふとここが青山だというのを思い出した。

「あ…あの、ここから近いし、ちょっと家に寄っていい?」
「家?ああ…それはいいけど」
「ちょっと着替えとかマリンのオモチャ取りに行きたかったの。前はお母さんに持って来て貰ってたけど、今はいないから」
「そっか。じゃあ寄ってこう。こっちだっけ?」
「あ、うん。ここからなら少し歩くけど」
「いいよ。と一緒に歩きたい気分だから」

五条くんはそう言って教えた道を歩きだしたけど、私はそんな一言にさえドキドキしてしまう。五条くんはスマホを出すと新田さんという女性の補助監督に電話をかけ出した。今日、霊園まで運転をしてくれた人だ。

「ああ、僕。迎えの時間だけど、午後五時に変更。うん、そう。場所はまた後で連絡する。じゃ頼むねー」

五条くんはそう言って電話を切った。

「新田さん、待ってくれてるの?」
「ん?あーいや。アイツはついでに調査の依頼で動いてる。この辺は呪いの被害が多いから」
「あ、そっか…霊園が近いからだっけ」

今朝も一人でお墓参りへ行こうとしたら、五条くんが一人じゃ危ないから一緒に行く、と言い出したのだ。何で危ないのか訊くと、私は一度呪われたせいで、今では呪霊がハッキリ見えるようになってしまったからという事だった。その辺に沸く蠅頭ようとうとかいう低級呪霊は特に普通に見えてしまうし向こうからも気づかれる可能性が高くなるらしい。確かに、さっきから小さい呪霊が浮遊しているのは見えてたけど、傍に五条くんがいるせいなのか、それらの呪霊は潮が引くようにいなくなってしまったけど。あれじゃ一人であの場にいれば襲われてたかもしれないな、と思う。

「ま、本音は僕がと二人で出かけたいってだけだけど」

なんて事を言ってたけど、私も同じだったから一緒に来てくれて嬉しかった。普段は五条くんも忙しくて、こんなのんびりした時間はなかなか取れないのだ。だから実家に引っ越そうと思った時も、その事を考えると迷ってしまったのは事実。これからは自由だ、と言われても、また普通にモデルの仕事も増やしたら、五条くんとこうして会える時間は更に減ってしまう。そもそも五条くんだって忙しい人だから、全く会えなくなる可能性さえある。以前、夏油くんの時も一か月会えないなんてザラだった事を思い出してしまったのだ。
せっかく気持ちを通じ合えたのに会えなくなるのは耐えられなかった。と言うか、この10年で五条くんが傍にいるのが当たり前になりすぎて、少しでも離れてると不安になってしまう。自分でもかなり重症だと笑ってしまうけど、こうして五条くんが隣にいてくれると凄く安心する。

「あ、あそこかな」
「ああ、あの白い家だっけ」
「うん」
も来るのは三回目くらいだったよな」
「うん、前に仕事でコッチ来た時に、五条くんと少し寄ったくらいだしね」

母が次の家に選んだのは建売三階建ての真っ白な家だった。多分落ち着いたら、また父好みのデザインで家を建てるんだろうけど、今は二人とも海外の上に多忙だから、たまに帰国するだけだ。だからこの家も仮住まいって感じで使ってるらしい。エントランス前の長い階段を上がってガラスのドアを開けると、その奥にあるもう一つのドアに鍵を差し込んだ。

「わ、まだ新しい家の匂いがする」
「長く放置したままだしね」

五条くんは笑いながら、ブーツを脱いでいる私の体を支えてくれた。そう言えば、最近の五条くんはこんな風にさりげなく手を貸してくれるようになった気がする。昔はこういう事をするのは夏油くんで、五条くんはどちらかと言えば口だけ出してくる方だったのに。(!)

「あ、ありがとう」
「ん。の部屋って三階だっけ」
「うん。お母さんに勝手に決められてた。ちょっと待ってて」

そう言ってらせん状になっている階段を上がっていく。私の部屋は三階にある部屋全部らしく、服などが置いてある部屋は階段を上がってすぐ右にあった。着ていたコートを脱ぐと、棚からボストンバッグを下ろして必要になりそうな服や靴などを入れていく。

「一度向こうにある着なくなった服とか持ってこないとなあ…。でも遠いと不便」

今までは保護対象だから電車移動は禁じられ、補助監督の人が車で送り迎えをしてくれていたが、今度からは私用で車を出してもらうのは心苦しい。

「車、買おうかな…。一応、免許だけは取ったんだし」

ハタチになった時、五条くんに付き添ってもらって最短で免許だけは取ってある。でも殆ど運転する機会がなくて俗にいうペーパードライバーだ。でもこれからは必要になるだろうし、この機会に車を買うのも悪くない。そんな事を考えながら隣の寝室へと入った。ここのクローゼットには下着類などが入っている。

「あー前に買ったけど使ってないのは残したままだ」

タグのついた下着を手に取り、苦笑した。前の家から母が全てこの家に運んだらしいから、ほぼ昔の状態のまま揃っている。
とはいえ、これを買ったのは十代の頃で、いくら何でも今これを見に付けるのは躊躇われた。

「ちょっと今は子供っぽいか…」

淡いピンクベージュの生地に小さな赤い花が施されていて、下側はフリルになっているブラジャーを胸に当てながら溜息をついた。サイズは変わっていないし、デザインも可愛いけど、私ももう28歳だ。さすがにコレを見に付ける勇気はない。

「いっか、新しいの今度買おう。これ…真希ちゃん着けないかな。サイズ同じくらいだったっけ…?」

ブツブツと独り言ちていた瞬間、

「僕は今でも充分、に似合うと思うけど」
「――――ッ!」

その声に驚いて振り向くと、いつの間に上がって来たのか、入口のところに寄り掛かって笑いを噛み殺してる五条くがいた。

「な…何言ってんの…?似合うわけないじゃない。むしろ似合ったら怖いもん」

そう言って手にした下着を袋に戻す。その時、不意に後ろから抱きしめられて、ドキっとした。

「な…何?」
「じゃあそれ、着けて見せてよ」
「…は?!(じゃあ…って何のじゃあ?」

いきなりの爆弾発言で、一気に顔が熱くなる。

「今も似合うかどうか僕が見てあげる」
「………(ドスケベ)」

にこにこ(ニヤニヤ?)しながら、とんでもない事を言って来る五条くんを軽く睨むと、彼は「何で睨むの」と苦笑している。でもお腹に回されていた手が胸元のジッパーに伸びて、ゆっくりと下ろしていくのを、慌てて止めた。デニムのワンピースを着ていたが、今日は比較的暖かい方だから防寒用のインナーは着ていない。ジッパーを下ろされたらキャミソールと下着だけだし、何かとマズい気がする。

「ダ、ダメ…」
「…ダメ?」
「………(その言い方はやめて)」

五条くんは私の肩に顎を乗せていたが、少し顔を横に向けると、首筋へちゅっとキスをしてきた。

「ひゃ…っな、何す―――」

抗議の声を上げようとした時、ファスナーをつまんでいた指が私の顎に移動し、強引に横を向かされてしまった。その瞬間、唇を塞がれる。

「ん…っ」

突然の事に驚いて離れようとしても後ろから腰を抱いてる腕にホールドされて動く事もかなわない。顎も固定され、されるがまま、五条くんの唇を受け止める事しか出来ない。

「…んん」

少しずつ深くなっていくキスに苦しくなって来た時、五条くんの唇がゆっくりと離れていく。新鮮な空気が送り込まれ、ホっとしたのもつかの間。体を五条くんの方に向けられ、向かい合う格好になった。

「…、真っ赤」
「だ、だって…」

恥ずかしくて俯くと、五条くんは小さく笑ったようだった。

「そういう顔されると我慢できなくなるんだけど」
「え、んっ」

また顎を指で掬われ、今度は少し強引に唇を塞がれると、鼓動が大きく跳ねた。

「ん…ちょ…」

五条くんは覆いかぶさるようにキスをしてきて、思わず腰が引けそうになった。でもその腰を強く抱き寄せられ、そのせいで顔が上を向かされる。

「…ぁっ」

唇を甘噛みされ、ビクっと体が跳ねた。何度も角度を変えて深くなっていく口付けに、足の力が抜けそうになる。少しだけ後ずさった時、後ろにあるベッドに踵が躓いて、そのまま体勢が崩れ、後ろへ倒れそうになる。それを五条くんの腕が抱き留めてくれた、と思った瞬間、そのままベッドへ二人で倒れこんでしまった。

「………っ」

ベッドへ手をついて、私を見下ろしながらゆっくりとサングラスを外す五条くんに、ドキっとする。この空気と体勢はまずい気がして、体を起こそうとしたが、五条くんの手に止められた。

「あ、あの…」
「ん?」
「服…詰めなきゃ…」

何か言わなきゃ、と思って焦った結果、場違いな事を言ってしまった。五条くんは一瞬、キョトンとした顔をしたが、すぐに苦笑いを零すと、

「それは後でね」
「……っ?」

今度は優しく唇を塞いでくる。触れるだけのキスを繰り返し、顎へ唇を滑らせながら首筋にも口づけていく。

「ん…っ」

敏感な首筋に五条くんの唇が押し付けられ、その甘い刺激にビクンと体が反応してしまう。その時、五条くんの手が腰をなぞり、胸元へ上がって来るのを感じてドキっとした。

「んっ…ダメ…」

胸の膨らみを包むように触れられ、同時に首筋から上がって来た唇が耳に触れ、鼓動が一気に早くなった。

「ご…五条…くん」
「…ん?」
「…っぁ!」

耳たぶを軽く舐められた刺激に驚いて、思わず声を上げた。ゾクゾクっとした甘い痺れを首のあたりに感じ、このままじゃダメだと思うのに、つい流されてしまいそうになる。それでも何とか頭を切り替えて、胸に置かれた五条くんの手を掴んだ。

「ま…待って」
「え、もう10年も待ってる」
「……っ?」

真顔でそんな事を言われて真っ赤になった。

「…嫌?」

行為を止められた五条くんは、少しスネた顔で訊いて来る。その綺麗な瞳と、子供のような表情を見てると、挫けそうになった。

「い、嫌、とかじゃなくて…」
「……怖い?」

今度は心配そうな顔で、そんな事を訊いて来る五条くんに胸の奥が小さく鳴った。
怖い、のは少しある。
前に抱かれた時と今は、状況が全然違う。
あの時は心が擦り減って壊れそうで、縋るように五条くんに助けを求めてしまっただけの行為だ。でも今は私も五条くんが好きで、やっと気持ちを告げる事が出来た。だからこそ、もっとちゃんと最初からやり直したい、と思った。その気持ちを、どう伝えようかと考えていると、五条くんは不意に苦笑を漏らした。

「嘘だよ」
「……え?」

驚いて五条くんを見上げると、彼は困ったように眉を下げて微笑んだ。

「何も本当にここで抱こうなんて思ってないから」
「……五条くん…」
「ただの反応が可愛いから触れたくなっただけ。でもやりすぎて怖がらせたなら…ごめん。ちょっと止まらなくなって」

頬にかかった私の髪を指でよけながら、五条くんは触れるだけのキスを落とすと私の腕を引っ張って体を起こした。

「ご、五条くん…あのね、私…」
「ん?」
「五条くんと…もっと普通の恋人同士みたいに最初からやり直したい…って思ってる」

思い切ってそう言ってみる。五条くんは少しだけ体を離すと、不思議そうな顔をした。

「最初からって…?」
「だ、だから……その…」
「…………」

どう説明しようか悩んでいると、五条くんは暫し何か考え込むように首を捻っていたが、何かを察したのか、急に「えっ!」と大きな声を上げた。

「…それって…キスもしちゃダメってこと?」
「えっ?!や、ち、違う…っ」
「な~んだ…。ビックリした」

慌てて首を振ると、五条くんは明らかにホっとしたように息を吐き出した。そんな五条くんを見て、恥ずかしさで頬が熱くなる。

「ご…ごめんね。五条くんとはずっと一緒にいたし、あの夜の事もあるから今更って言われるかもしれないけど…その…」
「分かった」
「…え?」

驚いて顔を上げると、五条くんは苦笑交じりで私の頬に触れた。

「言いたい事は分かった」
「五条くん……」
「ほんとは分かりたくないけど…」(!)
「え、」

五条くんはちょっと笑うと「だって僕は10年も我慢してたし」と僅かに目を細めて来るから、更に顔が赤くなる。

「まあ、でも…やっとの思いでを手に入れた僕としても、二人の関係は大事にしたいから、もう少し我慢してみるかな」
「が、我慢って…」
、真っ赤」

小さく吹きだした五条くんは「でもそういう顔されると今すぐ押し倒したくなるんですけど」と真顔で言った。

「ご、ごめん…でも自然にそうなればいいかなとは…思ってるんだけど…」
「僕はいつも自然に抱きたいって思ってる」
「………ッ」
「はあ…お預けされてるイッヌの気持ちがめちゃくちゃ分かった気がする……」
「………っ(お、お預けって)」

がっくり頭を項垂れながらそんな事を呟く五条くんに、耳まで赤くなった気がした。その時、不意に顔を上げた五条くんは優しい笑みを浮かべて私を抱き寄せると、

「でも…さ。一年待たせるとかはなしね」

と呟いて、最後に触れるだけのキスを落とした。




 


オマケ的、その後の二人…笑