【第二十六話】 君がいなければ―後編




「私は性格悪ぃかんな。一級術師として戻って家の連中にほえ面かかせてやるんだ。そんで内側から禪院家ぶっつぶしてやる…何だよ?」
「いや、真希さんらしい、と思って」

同じ居残り組の真希さんと教室でバッタリ会った。その時に真希さんは家のことを少しだけ教えてくれて。それを聞いた時、僕は素直に真希さんの生き方は綺麗だ、と思った。
そんな名門の家に生まれながら、呪力を持てず、家族からも蔑まれて生きて来た。
そう笑って語る彼女は、とても綺麗だ。
真希さんは真っすぐで、強くて、素敵な人だ、と思った。だから―――。

「僕は…真希さんみたいになりたい」
「………」
「強く、真っすぐ生きたいんだ」

素直に、思った事を口にすると、真希さんは驚いたような顔で、僕を見ている。

「僕に手伝えることがあったら何でも言ってよ。禪院家、ぶっ壊そー…なんて…ははは」
「……バーカ。一人でやるから意味があんだよ」
「あ…」

どうやら余計なことを言ったようだ。
真希さんは机から飛び降りると、

「部屋戻るわ」
「うん、またね」

教室から真希さんが出て行くのを見送りながら、小さく息を吐いた。
彼女の生き方を聞いていたら、こんな僕にも何か頑張れることがある気がしてきて。
少しだけ、勇気を貰えた気がする。
夏油傑が起こした百鬼夜行と、それに対する呪術師たちとの全面戦争。
この戦いに、自分が出る幕ではない事も、出てはならない事も説明を受けた。
けど、どこか必要とされてないのかな、とネガティブな方へ考えて、少し落ち込んだりもしていた。
そこまで大きくなった戦いが、自分には関係のないところで起きようとしている事が、どこか落ち着かなくて、休校というのは解ってたけど教室に来てしまった。
同じように真希さんも顔を出した時は驚いたけど、きっと僕と同じ気分だったのかもしれない。
そんな事を考えていた時、ふと異様な気配を感じ、廊下に出て窓の外を見た。

「…"帳"?だっけ、これ…」

高専の校舎の上を、真っ黒な闇が覆っていくのを見て驚いた。

「誰が…?どうして……」

こんな事は高専に来て以来、初めてだ。
戸惑いながら窓の外を見渡したが、ここからは何も異変はないように見える。

「真希さん、どうしたんだろ…」

先ほど部屋に戻る、と言っていたけど、この"帳"に彼女も気づいたはずだ。
どうしよう、と暫し考える。
こういう想定外の事が起こると、僕もまだどうしていいのか分からない。
五条先生はもちろん、他の大人と言う大人は皆が出払っているから、誰も指示はしてくれないのだ。

「…真希さんのとこ行ってみるか」

ひとまず謎の"帳"の事が気になった僕は、そのまま廊下を歩き出す。
が、その瞬間、地響きのような音と共に建物全体が揺れ始めて驚いた。

「な、何?!地震?!」

思わずしゃがみこむ。
足元が震え、ドドドっという音まで聞こえて来て、本当に地震かと思った。
が、その揺れはすぐに収まり、ゆっくりと立ち上がる。

「今の…何だ…?」

嫌な、予感がした。
気づけば、足が勝手に動いて、次第にそれは早くなり、最後には走り出していた。
その時、またしてもズンっという地響きと揺れが襲う。
これはただ事じゃない―――。
じんわり嫌な汗が背中を伝うの感じながら、階段を一気に駆け下りると、急いで玄関口の方へ向かう。

「はぁはぁ…」

一気に走ったせいで少し息切れがする。
息を整えるように足を緩めながら、校舎を出ると、そこは開けた空間になっている。
だが、今日だけはいつも見る風景と、大きく異なっていた。
門扉付近の塀は破壊され、瓦礫が散らばっていて、その傍の地面には大きな大きな、穴。
穴のすぐ近くには誰かが倒れている。

「…な…何だよ…これ」

ボロボロの姿で横たわる、真希さん。腕が千切れた状態で倒れているパンダくん。瓦礫の上に仰向けに倒れ、苦しげに呼吸をしている狗巻くん…
そして―――。
僕の気配に気づいた男が、ゆっくりとこちらへ振り返る。
その腕には肩から血を流し、グッタリとしているさんが、いた――――。

「本当はね、君にも生きていて欲しいんだ、乙骨」

―――夏油傑!!

「でも全ては、呪術界の未来の為だ」

つい昨日まで、笑いあっていた皆が、今はボロボロに傷ついた姿で、倒れてる。
最初こそ怖かったけど、でも何度も特訓に付き合ってくれて、自分の生まれた環境に嘆くよりも、それをぶっ壊そうとしてる強くて、カッコいい真希さん。
いつだって頼りになって、初対面で図星をさされた時も庇ってくれた、パンダくん。
たまには悪ノリして、冗談も言いあって、真希さんの事も、狗巻くんの事も、パンダくんはいつも見守っていた。
そして―――

「ゆう゛た……」
「―――ッ」

声の方へ視線を向けると、そこには狗巻くんが倒れていた。
皆と同じようにボロボロで、でもその掠れた声と口に残る血の跡が、どれほど力を振り絞ったのかを現していて。
僕は知ってる。呪言が苦痛を伴うことを。
その痛みを堪えてでも、誰かの為に戦う優しい人だって事を知っている。

「狗巻くん……」

少しでも声を発するだけで激痛が走るはずなのだ。
なのに狗巻くんは僕に何かを伝えようとしている。

……連れ゛て…逃……げろ゛」

彼女は夏油傑の腕の中で、身動き一つしていない。

彼女は、最初から僕に優しかった。
怯える事もなく、あの優しい笑顔で話しかけてくれて、里香の為に泣いてくれた。
いつも僕らの事を考えて、何かと世話を焼いてくれた。
狗巻くんが、焼け爛れたその喉で、それでもなお紡いだ言葉は、最後までさんと僕の為だった。
プツリ、と頭の奥で何かが外れたような音がした。

狗巻くんを、パンダくんを、真希さんを、さんを、こんなに傷つけたのは、誰だ?
夏油傑とは、何様だ?
何を思って、何の権利があって、何故皆が傷ついて、何故コイツは嘲って、何故コイツが生きてる。
何かが間違ってる。全て歪んでいる。
悲しみ、憤り、悔い、怒り、蔑み、苦しみ、憎しみ、敵意、殺意――――。
感情一つでは言い表せない、魂が湧きたつ。最も、純粋なる邪悪。
数えきれない負の念が濁り、交じり合って黒く染まっていく。
何よりも深く、暗い、その感情の名を、僕は、知っている。

「――――来い!!里香!!」

この世界はそれを、"呪い"と、呼ぶんだ―――。


記録―――2017年12月24日。
特級過呪怨霊・折本里香、二度目の完全顕現。

「ブッ殺してやる」










「まずは質より量…。どう出る?呪いの女王」

建物の上に上がった乙骨を見上げながら、私はかすかに笑みを浮かべた。
里香を顕現させたにも関わらず、乙骨は仲間の避難を優先にしたようだ。
倒れていた三人、そして私の腕からを連れ去った。

「これでいい…」

乙骨が怒りに任せ、里香を出すのを待っていた。
想像以上に凄まじい呪力量だ。
乙骨を殺して、里香を奪う。
もし叶えば、私の願いも叶うだろう。

"夏油くんに会えて良かった――"

ふと、先ほど彼女に言われた言葉を思い出す。
何故はそんな事が言えるのか。
もっと、憎んで欲しかった。
いや、出来れば全てを忘れ去って欲しかった。
結局、を殺したところで、心に根付いた自分の想いだけは消せないのだ。
そんなものは全てを捨てた時から解っていたはずなのに。
手に残る、彼女を抱いた時の温もりを消し去るように拳を握り締める。

「本当に、さよならだ……」








「死なせない―――」

すぐ近くで、憂太くんの声がしたと思った瞬間、体が何か暖かいものに包まれてる感覚がした。

「ん……」

ぼんやりとした意識の中、ゆっくりと目を開ければ、目の前には憂太くんと里香ちゃんがいた。

「あ、さん?!大丈夫ですか?!」

………》

「憂太…くん…里香ちゃん…?」

憂太くんは皆や私に両手をかざしながら驚いたような声を上げた。

「良かった…そんな重症じゃなかったんですね…!」
「わ…私、どうして…」
「夏油傑に襲われたんです…」

その名を聞いて、さっきの事を思い出した。
今度こそ、殺される。
そう本気で覚悟をした。なのに――。

「み、っみんなは…っ」
「大丈夫です…。真希さんが重症だったけど治療が間に合いました」
「そ…そう…良かった…憂太くん、反転術式、使えるんだ…凄い」

硝子ちゃんがいない事で、どうしようかと思ったが、一番重症だった真希ちゃんが助かった事で心からホっとした。
それにしても―――。

「里香ちゃん…コントロール出来るようになったんだね」

里香ちゃんの全貌は初めて見た。
里香ちゃんは少し離れた場所から心配そうにこちらを見ている。

「…さんはここにいて下さい」
「え…?」
「夏油傑は…僕が倒す」
「憂太くん……」

彼の、そんな顔は初めて見た気がした。
いつもの気弱そうな瞳も、今は怒りという炎が灯っていて、普段とはまるで別人のように見える。

「行くよ、里香。僕らの敵はアイツだ」

憂太くんは立ちあがると、下を見下ろしながら言った。

《憂太…アイツ嫌い?》

「あぁ、大嫌いだ」

《じゃあ……里香も嫌いぃいぃぃ》

「ま、待って――――」

憂太くんは里香ちゃんと、きちんと会話が出来ているようだ。
二人はそのまま下へと飛び下りてしまった。
里香ちゃんの呪力に中てられたのか、それともケガが治ったばかりだからか、どちらにせよ気だるい体を何とか起こすと、私は塔の下を覗き込んでみた。
そこには、憂太くんと対峙している夏油くんの姿が見える。

「夏油くん……どうして…」

そっと肩に触れると、傷は綺麗に塞がっている。
でも、さっきの激痛は体が覚えていた。

"やめろ!!"

夏油くんは動揺したように叫ぶと、腕に出した呪霊で私を殺そうとしたように見えた。
なのに、貫かれたのは心臓ではなく、肩だった。
手元が狂ったのかは知らない。
でも、その後に夏油くんは、悲しそうな顔で微笑んだように見えた。
そして、痛みで意識が朦朧とする中、確かに聞いた気がした。

"ごめん―――"

そう呟いて、彼は私を優しく抱きしめた。

「何で……」

涙が溢れた。
最後の最後で、どうして。

その時、パパパンっという音がしてハッと顔を上げた。
憂太くんが何か攻撃したのか、夏油くんの放った沢山の呪霊が一瞬で消え去っている。

「憂太くん…いつの間に…?」

特級の夏油くん相手に対等に戦っている姿を見て少し驚いた。
同時に二人が戦うなんてダメだ、と思う。

(どうしよう…五条くんを呼んだ方が…)

ふと彼とすぐに繋がる機器の事を思い出す。
だがあれは離れに置いてきてしまった。
数分で戻る予定だった為、テーブルの上に置いたままだ。

「とにかく…ここから下りなきゃ…」

そこで未だ気を失っている三人の様子を見にいくと、顏の血色も戻り、呼吸も安定しているようだ。

「憂太くん、凄い…。反転銃式って、かなり高度だって五条くんや硝子ちゃんが言ってたのに…」

高専に来てまだ一年も経ってない憂太くんがあれを出来る事に心底驚かされる。
その時、遠くで爆発音が聞こえて来た。
慌てて下を見れば、二人はすでに移動したのか、門外の通路の方から戦闘音が聞こえて来る。
夏油くんが強いのは知っているけど、憂太くんも今では完璧に里香ちゃんをコントロールしている。
何が起こるか、私にも想像がつかなかった。

「夏油くん……」

もう一度、彼に会わなければ、と思った。
フラつく足で立ち上がると、私は下を目指して建物の階段を下りて行った。
こんな形で、もし夏油くんに何かあればきっと後悔する。
私たちはまだ何も話してない。
あの夜から、今日まで、彼の本音を一度だって聞いていない。
あんな最後のお別れみたいに、ごめん、なんて言わないで。

「待って……まだ…行かないで…」

土煙の上がる方向を目指しながら、私は必死に走った―――。








(チッ、うぜぇ―――)

ふと、そんなボヤきが脳裏を掠めた。
あの異人の呪詛師はのらりくらりと僕の攻撃を交わし、隙を見てはあの妖しい縄で攻撃を仕掛けて来る。

(あの縄、珍しい呪いが編み込まれているな。こっちの術式が乱される…)

先ほど手に当たった時の感触を思い出し、再び舌打ちが出る。
こっちは急いでると言うのに、あの異人のせいで思わぬ時間を食っている。
開戦前、見た瞬間に感じたように、やはりアイツが一番、面倒くさい。
そう思いながら異人の背後を取ると、男は振り向きざま再びあの縄状の呪具で攻撃してきた。
パァンっと乾いた音がして、僕の手が弾かれる。
また静電気のようなビリビリと痺れる感覚が残り、それが更に僕を苛立たせた。
その様子を見て、異人の男がニヤリとした笑みを浮かべる。
それが、癪に障った。
術式を使い、一気に間合いを詰め、男を思い切り蹴り飛ばせば、その勢いで男はビルの下まで勢いよく飛んで行った。

「ミゲル?!アンタ、何してんの?」
「見テ分カレ!」

(ミゲル?アイツ、ミゲルっていうのか…)

呪詛師の少女に突っ込まれてる男を見て、内心苦笑してると、不意にミゲルが悔しそうに顔をしかめた。

「コレ一本編ムノニ、俺ノ国ノ術師ガ、何十年カケルト、思ッテル!」
「知るか。僕の一秒の方が勝ってる。それだけだろ」
「………ッ(トンデモナイ事ヲ言イヤガル)」

なるほど、術式を乱されはするが、その間もあの縄は少しずつ溶けていってるわけか。
ミゲルの手にした縄が最初の頃より短くなっている事に気づき、アレを削り切ってしまえば、この苛立つ攻防戦も早めに終わらせることが出来そうだ、と思う。
だがその時、僕とミゲルの間に割って入るように、巨大な呪霊が姿を現した。

《ばぁぁあ…》

その姿を見なくても今の僕にとったら煩わしいだけの存在であるのはハッキリしている。

「邪魔だ」

手だけを呪霊に向けて赫を放つ。
音もなく破裂した呪霊の気配を確認すると、目の前で顔を引きつらせているミゲルを睨んだ。
ここを終わらせて、早く高専に行かなければ、本当にマズい。
傑の相手は今のパンダや棘には荷が重いだろう。
だが―――心配ではあるが、僕はある一点だけはアイツを信用していた。
傑の狙いは非術師であり、若い術師を理由もなく殺さないだろう、と。
それよりも、心配なのはのこと。
これまで二度も彼女を殺そうとしている。
どちらも未遂に終わってはいるが、僕に渡さない、というあの言葉はどこまで本気なのか、未だにそこだけは分からなかった。

「おい、ミゲル」
「気ヤスク呼ブナ!」
「サッサとかかってこいよ」

指を鳴らしながらニヤリと笑えば、ミゲルは慌てたように僕から距離を取る。
それは再び鬼ごっこが始まると言う合図だった。

「ったく…マジでうぜぇ、アイツ」

ウンザリしながら深い溜息を吐くと、跳躍して逃げていくミゲルを追いかけた。









巨大な力が更に肥大していくようなエネルギーの塊を感じて、私はふと足を止めた。
何とか塔から出て少しずつ移動していく戦闘音を追いかけては来たが、ここに来て大地が震動するような力同士がぶつかり合っているのを感じる。

「夏油くん…憂太くん…」

その凄まじい力の圧は、私でも肌で感じるくらいに大きい。
あの憂太くんが、ここまで戦えるなんて信じられなかった。
先ほどの彼を見て感じたのは、今までに見せた事もなかった怒り。
それが今の憂太くんの原動力になって、里香ちゃんをもコントロールし、夏油くんと互角の勝負をしている。

「まだ…待って…」

前方に見えて来た戦闘で破壊されていく建物を目印に、足を速める。
あの最後の夜から今日までの10年間、ずっと憎んでいたわけじゃない。
憎しみは永遠に続くものじゃない。
どうすれば、夏油くんは道を外れなかったのか。
そんな考えても仕方のないような事を、何度も何度も考えたりして。
でも、一年、また一年と過ぎていくたび、あの頃の想いは思い出になっていった。
いっぱい傷ついて、死にたくなったこともあったけど、私には五条くん達がいたから生きてこれた。
皆と一緒に過ごす日々が、今の私にとって何よりも大切なものになって。
やっと夏油くんとの事が過去と呼べるようになった。
だから、今度こそ、この手で終わらせたい。
もう一度、夏油くんに会って、伝えたい。少しでも、あなたが救われるように―――。

その時、近くで大きな爆発音と共に爆風が上がった。
見れば夏油くんの傍に十二単のような姿の女性の呪霊と、大きな渦の塊がある。
そして、彼の正面には里香ちゃんを優しく抱きしめ、キスをする憂太くんがいた。

《ああああぁぁぁあ゛あ゛ぁ!憂太!憂太っあ!》

里香ちゃんが喜びで体を震わせながら、叫んでいる。

《大大大大大大大大大大大大――――大好きだよぉ!!》

何が起こったのか、分からなかった。
里香ちゃんの大きな力が、私にも分かるほどに膨らんでいく。

「……そうくるか、女誑しめ!」
「失礼だな―――」

憂太くんはゆっくり彼に指を向けると、

「―――純愛だよ」
「ならば、こちらは大義だ」

互いに凄まじい力をぶつけ合おうとしている。
そう感じた時には遅かった。
里香ちゃんの放った膨大なエネルギーの塊が飛んでくる。それが見えた時には、私はその範囲に入ってしまっていた。

「……さん?!」

そこで気づいたように憂太くんが叫ぶ。
その声を聞き、私に背を向けていた夏油くんが弾かれたように振り返った。

「……!」

目の前が、真っ白になった―――。








気づけば、私は自分の体を投げ出していた。
折本里香の放った呪力の塊は、私の放った力をも上回り、私の右腕を焼いた。

「な…何で…っ」
「…泣かないで、
「何で私なんか庇ったりするのよっ!」

乙骨から逃げて来た私の体を支えるようにしながら、が泣き崩れるのを見て、思わず苦笑が漏れた。
自分を殺そうとした私の為に、まだ泣いてくれるのか。

足が重い…。
そう感じ、塀に体を預け、その場にズルズルと座り込む。
は泣きながら私の前にしゃがむと、焼け爛れ失った腕へ手を伸ばそうとする。
その手を振り払い、首を振った。

「もう、かまうな…私は…オマエ達の敵だろ…?」
「…なら何で私を助けたの?!何で殺さなかったのよ…!」

ボロボロと泣きながら私に縋ってくる彼女は何も変わらない。
あの頃と同じ、泣き虫のままだ。
その泣き顔を見ていると、不意に笑みが零れた。

「何で…笑ってるの…?」

こんな風に自然に笑えたのは、いつ以来だろう。

「もう、行って……このままじゃ、また君を壊したくなる…」

全て忘れて欲しい。
私の事など全部、綺麗に忘れ去って欲しい。
私に見えていた世界は、脆すぎたんだ。ただそれだけ。
私と言う過去を捨てて、 二度と振り返らないで。
幸せになって。この世界で君はずっと笑っていて。
無責任に愛してごめんね。こんな私が、愛してごめん。
もう自由になって―――。

「悟を頼むね…」
「……え?」
「アイツは最強で…出来ない事を探す方が難しいけど…でも…ああ見えて、足りないものが一つだけあるから…」
「……足りない…もの…?」
「でもが傍にいれば…アイツは―――」

その時、懐かしい気配がして顔を上げた。

「遅かったじゃないか…悟」

がハッとしたように振り返る。
悟がここに来た、という事は、そういう事だ。
私の求める未来は、終わりを告げる。

「五条くん……」

悟はいつもの目隠しを取り、その碧い眼で私とを黙って見ている。

「君で詰むとはな。私の家族たちは無事かい?」
「揃いも揃って逃げおおせたよ。京都の方も、オマエの指示だろ?」
「まぁね。君と違って私は優しいんだ。……あの二人を私にやられる前提で送り込んだな?乙骨の起爆剤として」
「そこは信用した。オマエのような主義の人間は、若い術師を理由もなく殺さないと」
「クックック…信用か」

思わず笑ってしまった。
最強の呪術師が、最悪の呪詛師を信用するとは。
でも、こうして高専の敷地内で顔を合わせていると、嫌でも思い出してしまう。
この場所で、悟と笑いあった日々が、確かにあった事を。
教室で他愛もない話をして、些細な事でケンカをして、夜蛾先生に説教をされた事まで、ハッキリと思い出す。
肩を並べて歩き、共に戦い、二人一緒なら何でも出来る気がしていた、あの輝いていた青い日々を。
その日々の中、確かにもいた。

「まだ、私にそんなものを残していたのか」

全く、呆れて何も言えない。
最後のあがきをする気も失せた。

悟は小さく息を吐くと、「…」と彼女を呼んだ。

「こっち、おいで」
「…………」

は泣き顔のまま、首を左右に振り、私に縋りついている。
きっと、悟がこれからする事を心配してるんだろう。

…悟のとこに行って…」
「……」

また、首を振る。
そんな彼女の頭にポンと手を乗せれば、驚いたように顔を上げた。

「言っただろ?このままだと、また君を壊したくなる。だから…私から逃げて……」
「夏油く……」

の頬に、綺麗な涙が零れ落ちていくのを見ながら、昔のように彼女の頭をポンポンと叩く。
また、の顏が泣き顔になってしまうのを見て、切なくなった。
だけど、どんなに後悔したところで私の本音は今も変わらないから、どうかこんな男の事は忘れて欲しい。

…」

そこに悟が歩いて来ると、私の腕から彼女を奪っていく。

「五条くん…」
「傑と…二人にしてくれる?」
「………っ」

その言葉の意味を彼女も理解したようだ。
もう一度、私の方を見たは、何かを言いかけたが、唇を強く噛み締め、目を伏せた。

…笑って」
「……夏油くん…」

私の言葉に彼女は驚いたように顔を上げた。

「最後に、もう一度の笑顔が見たい…」

言ってる傍から、彼女の瞳はまた涙が溢れていく。
でも、は私を見て、泣きながらも、昔のように柔らかく微笑んでくれた。

「……ありがとう」
「さよなら……」

はゆっくりと下がって踵を翻すと、乙骨のいる方へと走って行った。
彼女の後ろ姿を黙って見ていた悟は、ふと私に視線を向ける。
その目は明らかに不満げで、今、悟が考えている事が手に取るように分かってしまう。

「妬くなよ、悟。が優しい子だってのはオマエも知ってるだろ」
「…うるさい」

じっとりとした目で睨んで来る悟に思わず吹き出した。

「昔も今と同じくらい素直だったらね」
「……それでもは…傑を好きになってたさ」

苦笑しながらそんな事を言う悟は、もう私が知っている五条悟ではなかった。
大人になったもんだ。

「コレ、返しておいてくれ」

ふと思い出し、一枚のカードを差し出した。
それが乙骨憂太の学生証だと気づいた悟は、驚いたような顔で私を見下ろした。

「…っ!小学校もオマエの仕業だったのか」
「まあね」
「呆れた奴だ…」

肩を竦めて舌を出せば、悟は苦笑交じりで溜息をつく。

「……何か、言い残す事はあるか?」

悟が静かな声で訊いて来た。

「……誰が何と言おうと…非術師は嫌いだ。…でも別に、高専の連中まで憎かったわけじゃない。ただ―――」

私の心が、弱かっただけ。
世の不条理を、見て見ぬふりが出来なかっただけだ。

「―――この世界では、私は心から笑えなかった」

乙骨と同じだ。自分が自分を、生きてていいと思えるように。
歪んだ理想を追い続ける事でしか、生きてる意味を見出せなくなってしまった。

どうして、こんな事になってしまったんだろう。
どこで間違えたのだろう。
どこかで気づいていれば、やり直す事が出来たんだろうか。
ただ、唯一、変わらなかったものも確かに、ある。

悟は不意にしゃがむと、その碧い眼で私を見つめた。

「…傑」
「……?」
「オマエは僕の親友だよ。―――たった一人のね」
「……はっ」

悟のその言葉に、思わず笑ってしまった。

「最期くらい、呪いの言葉を吐けよ」



2017年12月24日。

私の世界は、親友の手によって―――終止符が打たれた。








…」

後ろから五条くんの声が聞こえて、ビクリと肩が跳ねた。
ゆっくりと振り向けば、通路から五条くんが歩いて来る。
ここへ来た、という事は、全てが終わった事を意味する。
さっきから涙が止まらないのに、まだ瞳の奥から熱いものが溢れて来る。
そんな私を見て、五条くんは酷く心配そうな顔をした。

…ケガしたの?」

腕に出来た切り傷は、さっきの大きな攻撃が掠ったせいだ。
でも夏油くんが助けてくれなかったら、私は死んでいたはずだ。

「これくらい平気…」

言った瞬間、五条くんの腕に引き寄せられ、強く抱きしめられた。

「ご…五条…くん?」
「無事で…良かった…」

耳元で聞こえた声は少しだけ震えていて。
凄く心配してくれてたんだ、と気づいた。

「夏油くんが…助けてくれたの……」
「…え?」
「憂太くんと戦闘中のとこへ居合わせちゃって……危ないところを夏油くんが私を庇って…」

言った瞬間、また涙が溢れる。
何故あの時、夏油くんは私の前に体を投げ出したのか。
最期までその答えを聞くことは出来なかった。
何度も私を殺そうとしたくせに、最後の最後であんな事をするなんて、ずるい。

「傑は…結局…どちらも選べなかったんだよ」
「……選べなかった?」
「非術師は憎い。でも、を愛してたから。その矛盾に苦しんでた。自分でも…気づかないうちに迷いがあったんだよ、きっと」

ゆっくりと顔を上げれば、五条くんはどこか泣きそうな顔で微笑んだ。

「私……さっき一瞬だけ、夏油くんに殺されてもいいって思った」

全て終わらせられるなら、それでもいい、と本当に一瞬だけ、そう思った。
でも、夏油くんは私を殺さなかった。

「バカ言うな…」

五条くんは抱きしめる腕に力を入れた。

「…死なせないよ。は僕の傍にいてくれないと困る」
「……え?」

驚いて顔を上げると、五条くんは真剣な顔で私を見つめていた。

が傍にいなければ―――僕は不完全なんだ」

その言葉の意味を問うより早く、五条くんが屈んだと思った瞬間に、互いの唇が重なる。

「――――好きだよ、。誰よりも…オマエを愛してる」

ゆっくりと唇が離れ、強く抱きしめられた時、それは耳元で聞こえた。
今、聞こえた静かな告白が信じられなくて、なのに鼓動は勝手に速くなっていく。

「…何か言ってよ」

抱きしめられ固まったまま黙っていると、五条くんは体を少し離して、私を見下ろした。
その顔は、どこかスネているように見える。

は…?」
「私…」

私を見つめる五条くんのその宝石みたいな瞳を見ていると、一瞬止まったはずの涙がまた溢れて来た。
まさかの告白で頭がついていかない。
だけど、今この心にあるのは間違いなく同じものだ。

「私も…五条くんが好き……大好き」

ずっと胸の奥に秘めてた想いを口にした瞬間、涙が零れ落ちた。
同時に、この一言を伝えて良かったのか、ふと、そんな思いが過ぎる。
だけど五条くんは私の告白を聞いて、ごく自然に微笑んだ。

「今の僕の気持ち、聞いて?」
「…今の…気持ち…?」

笑顔でそんな事を言って来る五条くんに首を傾げたが、言われた通り、訊いてみる。

「ど…どんな気持ち…?」

そう尋ねると、五条くんは見た事もないような笑顔を浮かべて、

「ちょー幸せ♡」

彼のその一言に頬が赤くなる。
五条くんは嬉しそうな顔で微笑むと、ゆっくりと身を屈めて触れるだけのキスを落とした。
その時―――。

「あぁぁぁぁ!!!」

大きな叫び声が聞こえて、驚いた私達が慌てて離れると、後ろからパンダくん達が走って来るのが見えた。

「悟~!堂々と、しかも何、と路チューしてんだ!俺たちが寝てた間にどうなってんだっ」
「おかか!!」
「うるさいのきた~」

憂太くんの治療ですっかり元気になった二人が五条くんに文句を言っている。
ふと後ろを振り返れば、先に気づいた真希ちゃんが、目を覚ましたらしい憂太くんと何やら話しているのが見えた。
そしてその後ろに里香ちゃんも座っている。
だけど憂太くんが何かを話しかけた瞬間、里香ちゃんの体が一瞬で崩れて、塵となった場所に、一人の少女が現れた。

「え……五条くん、あれ!」
「え?あっ!」
「おぉ?!」
「こんぶ!」

少女の姿に気づいたパンダくん、棘くん、そして五条くんは驚いたように声を上げた。

「今度は何が起こったんだ?」
「ツナ!」

と言いながら、パンダくんと棘くんは憂太くんの方へ慌てて走っていく。
それを見ながら、五条くんはホっとしたように息を吐いた。

「…解呪…出来たのか」
「え?」
「里香ちゃんにかけられた呪いが解けたんだよ」
「え、里香ちゃんがって……」
「実はさっき分かったばかりなんだけど…」

五条くんはそこまで言うと、

「詳しい事は後で説明するよ。とりあえず今は―――」

と、もう一度私を抱きしめた。

にいっぱい、キスする」
「……っ」

一瞬で真っ赤になった私を見て、五条くんは言った通り優しく唇を重ねた。
何度も触れては離れ、また口付ける。
吐息の隙間に名前を呼ばれて、唇が熱を持つ。

いつの間にか私達を隠すように、雪が降り出していた―――。




終わった…0編💑(´;ω;`)
このお話を最後まで読んで頂き、本当にありがとう御座います!
最初から最後までお話のネタはハッキリ出来ていたので一気に書き進めて来ましたが、二か月かかりました笑
今回の26話は原作と小説版も足したら思ったより長くなったので全て書けたわけじゃないんですけど、これにて本編は完結となります!
次のお話は後日談的なお話になりますので全27話となるんですが、もう少しお付き合い下さると感涙にむせびます♡