春千夜くんが誘惑してきます

あの日、春千夜くんと手を繋いで、渋谷から電車で移動して水族館に行った。冬休みだから人は多かったけど、春千夜くんと手を繋いでたからはぐれることもなくて、終始ドキドキして緊張もしたけど、少しずつ春千夜くんと付き合ってるんだと実感が湧いてきて、またいっそうドキドキが増してしまった。

「遂にあの春千夜も女の子とデートするようになったかー」

後日、うちに来たエマちゃんにはきちんと春千夜くんのことを報告したら、シミジミ言うから笑ってしまった。エマちゃんは幼い頃から春千夜くんを知ってるから、同い年だけどお姉さん感覚みたいだ。でも春千夜くんからすると、千壽ちゃんと一緒で「エマは口うるさい妹」感覚なんだって言ってた。きっとどっちも自分より下だと思ってるんだろうなと思うと、ちょっと面白いし、それだけ仲がいい証拠のような気もして、少し羨ましくもある。

「あれ、もしかしてコレ、買ってもらったとか?」
「うん」

エマちゃんは枕の横に置いてあるケープペンギンのヌイグルミを手に取って「嘘!可愛いっ」と連呼している。わたしもあの子を見つけた時はつい引き寄せられた。ちょうど直前までペンギンを見てたというのもあるけど、きっと物欲しそうな顔をしてたのかもしれない。

――欲しいの、それ。

ふと春千夜くんが、わたしの見ていたペンギンのヌイグルミを手に取った。
答える間もない。春千夜くんがそれを持ってレジに歩いて行くのを見てビックリしてしまった。欲しかったけど、そんなつもりで見てたわけじゃない。わたしは「いいよ」って言ったけど、春千夜くんは「欲しいんだろ?」と笑うから、つい頷いてしまったのだ。彼氏に何かを買ってもらうという少女漫画みたいな行為に、ちょっと憧れてたから。

――ほら。

レジで支払いをした後、春千夜くんは少し照れ臭そうに、ペンギンのヌイグルミをわたしへ差し出した。あの時、今度こそハッキリ、春千夜くんが好きだと思ったのは、別にペンギンを買ってもらったからじゃなくて、あの愛想もない粗暴なイメージの春千夜くんが、実はシャイで優しい人だと気づいたからだ。派手な容姿にばかり気を取られてたけど、そんな彼の内面が少しずつ見えてきて、好きだなぁとシミジミ思ってしまった。

「フーン。何かいいなぁ、そういうの」

エマちゃんはわたしの話を聞きながら、ペンギンを抱きしめている。きっとドラケンくんがつれないから悩んでるんだろうな。でもドラケンくんもちょっと春千夜くんと似てるかもしれない。絶対エマちゃんのこと好きだと思うのに、あまり彼女にはそんな態度を見せないし、何なら少し素気ない。最初は春千夜くんもそんな感じだったから、わたしは嫌われてると勘違いする羽目になったんだし。

「ドラケン、ウチのことどう思ってるんだろ」
「好きだよ、絶対」
「うわー。ちょっと自分が両想いになったからって、そんな適当に」
「ち、違うよ。そうじゃなくて…前からドラケンくんはエマちゃんのこと好きなんじゃないかなーって思ってたのっ」

拗ね始めたエマちゃんに慌てて説明したけど、彼女はドラケンくんに軽くあしらわれてると言って、いまいち信用してくれない。確かにドラケンくんは女の子と遊ぶより、マイキーくん達と遊んでる方が今は楽しいのかもしれない。

「ねー。春千夜にそれとなく聞いてみてよ」
「え、何を?」
「ドラケンがウチのことどう思ってるのか…とか。あ、他に女の影がないかとか?」
「え…そういうのってマイキーくんの方が知ってるんじゃ…」
「ダメだよ、マイキーは。こんなこと聞いたら絶対にからかってくるし、その辺の微妙なとこ全然分かんないから」

まあ、そう言い切られると確かにマイキーくんはバイクやチームのことに夢中で、ドラケンくんの女事情とか、あまり興味ないっていうか、知らなそう。

「ね、お願い!さり気なく春千夜に聞いてみてよ」
「う、うん…分かった」

あまりにエマちゃんが切実だから、つい頷いてしまった。春千夜くんはマイキーくん以上にドラケンくんの気持ちとか、その他もろもろのことなんて知らなそうだけど、聞くだけ聞いてみよう。
そう思ってたらケータイが鳴った。

「お、噂をすれば」
「え?」
彼氏・・だよ」

エマちゃんがベッドにあったわたしのケータイを手にして、表示を見せてくる。そこにはシッカリ明司春千夜の名前が表示されていた。
彼氏なんて言うから、エマちゃんの前で電話に出るのが凄く恥ずかしい。

「も、もしもし」

ニヤニヤするエマちゃんからケータイを受けとって電話に出ると、通話口から『オレだけど』という春千夜くんの声。声変わりした少し低い声が鼓膜を揺らして、一気にドキドキが襲ってくる。これまでの人生――たった十六年だけど――で、こんなに心臓を酷使したことはないかもしれない。
でも急にどうしたんだろう。今日は約束してないのに。

、今どこ』
「今は家だよ。あ、エマちゃんが来てて――」
『今から会える?』
「え?あ…えっと…」

と言いながらエマちゃんを見ると、エマちゃんは何かを察したように抱いていたペンギンを元の位置に戻して、ベッドから立ち上がった。

"ウチ、帰るね"

口パクでドアを指さしながら言ったのが分かって、わたしも"ごめん"と返しながら、片手で拝む真似をする。

、聞いてんの?』
「あ、うん。えっと…大丈夫だけど、春千夜くん今どこ?」
『今コンビニ。じゃあ…迎えに行く』
「え?あ…分かった。待ってるね」

迎えに?と首を傾げつつ電話を切って、もう一度エマちゃんに「ごめんね」と謝った。エマちゃんはすでにコートを着込んで自分のバッグも手に持っている。

「いいよ。メイクの練習はまた今度しよ」
「うん」

今日、ホントはエマちゃんに可愛く見えるメイクを教えてもらう予定だった。
これまでメイクなんて殆どしたことがないから、いつも綺麗にメイクをしてるエマちゃんに相談したのだ。やっぱり春千夜くんの彼女となったからには、少しでも可愛くみられたい。なんて言っても学校一、綺麗な顔をしてる男の子が彼氏なんだから、一緒にいてもせめて少しくらい見劣りしないようにと考えてのことだ。
だから奮発して新しいメイク道具も揃えるつもりで、今日、エマちゃんが一緒に買いに行ってくれるはずだった。
わたしの方からお願いしたのに、エマちゃんは怒るでもなく、逆に「ちょっと安心した」と笑っている。何でなのかを聞けば、春千夜くんは昔から不器用なとこがあって、ちゃんと女の子と付き合っていけるのか心配してたみたいだ。エマちゃんはすっかりお姉さん目線らしい。

「まあ、でも万が一アイツに泣かされるようならウチに言って!春千夜の弱みなら何でも知ってるし」
「う、うん。ありがとう」

弱みって何だろう、とちょっと気になったけど、春千夜くんが迎えに行くと言ってたのを思い出して、エマちゃんを見送った後に慌てて出かける準備をした。

「あ…エマちゃんにメイクしてもらえば良かった…」

少しでも目が大きく見えるように軽くメイベリンのマスカラを塗ってから、ふと思ったけど、もう遅い。
買ったけど使ってないからあげる、と先ほどエマちゃんから貰ったM・A・Cのヌーディリップをつまんで、くちびるにほんのりと乗せるように塗った。肌質と似たような色合いだから、色は殆どつかない。でも艶と潤いがある感じに仕上がるから、メイク素人のわたしには使いやすいリップだ。
アイメイクを目立たせる為のリップらしく、人気タレントの子が流行らせた最近人気の色で、エマちゃんがお小遣いを貯めて速攻で手に入れたらしいけど、自分には似合わなかったと言っていた。何でも元々くちびるの色素が薄いらしく、更にヌーディリップを塗ってしまうと「死人のような顔色になる」とかで、実際マイキーくんにも「ゾンビ」と不名誉な呼ばれ方をしたらしい。

(エマちゃん、元々色白だもんね)

幸い、わたしはくちびるの発色が元々いいらしく、色味のないこのリップでもかすかに色づいてるから、目元とバランスが良く合う気がする。

「こんな感じでいいかな…」

あまりリップに気合いを入れすぎると、何かを期待してるようで恥ずかしいから、ちょうどいい感じの仕上がりを見てホッとした。このリップをくれたエマちゃんには感謝しかない。

「服は何着ようかな…」

最近、服は買ってもらってないし、パっと思いつかない。彼氏と会う時の服装なんか、当然知識もないから、クローゼットの中の服をひっくり返しながら、延々と鏡の前で睨めっこをする羽目になった。

「あ~もう春千夜くん来ちゃうよ…」

色々と服を当てて迷っていると、ピンポーンとインターフォンの音。

「き、来ちゃった…!」

軽くパニックになりながら、もうこれでいいやと着込んだのは、去年の誕生日にお母さんから買ってもらったクルーネックのニットワンピース。それを急いで頭からかぶると、ケータイをバッグに突っ込んで、コートを手に急いで階段を下りる。足を滑らせなくて良かったと思うレベルで玄関に辿り着き、こんなに巻き巻きで出かけるのは初めてだな、と自分で笑ってしまった。

「お、お待たせ」

しっかりコートを着てブーツを履いてからドアを開けると、そこに立ってたのはやっぱり春千夜くんで。息を切らせて出てきたわたしを見て、ちょっと驚いたような顔をした。オマエ、家の中でマラソンでもしてたのかよ、と言いたげだ。春千夜くんは少し大人っぽい黒のダッフルコートを着ていた。凄く似合ってるし可愛い。

「…おう。もう出れんの」
「う、うん。平気」

言いながらも、服を被った際に少しだけ崩れたポニーテールをきゅっと絞って簡単に直す。ホントは縛り直したかったけど、春千夜くんの前じゃ何となく恥ずかしい。

「どこ…行くの?」

春千夜くんの後から歩き出しながら訪ねた。春千夜くんの手には電話で言ってた通り、コンビニの袋が持たれている。

「あー…オレんち」
「え…?春千夜くんち?」
「ああ。ホントはの家に行こうと思ったけど、どうせ親はいねえんだろ?」
「あ、うん、まあ」
「…だったら意味ねえし、オレんちでいいかと思って」
「…意味?」

何のことだろうと首を傾げたわたしを見て、春千夜くんは少し恥ずかしそうに目を反らした。

「一応…付き合ってるって挨拶はしといた方いいだろ。それする前に家に上がるのも何か変だし…」
「え…あ…そ、そっか」

それを聞いて驚いた。親に挨拶とかしてくれるタイプには思えなかったせいもあるけど、以前、うちに上がる?と聞いた時に「親がいないんだろ」と、その時も何かを気にしてる素振りだったのを思い出したからだ。
あの時もそういうことを考えてくれてたんだと思うと嬉しくなった。

(春千夜くん、やっぱりいいな。見た感じは絶対にそんなタイプじゃないのに。こういうのギャップ萌えっていうのかな)

つい顔がニヤケそうになって俯いてると、自然に手を繋がれてドキっとした。その手をまた着ているダッフルコートのポケットに入れてくれるから、ちょっと恥ずかしかったけど、でも幸せな気持ちにもなった。
わたしの家から春千夜くんの家まで徒歩十分程度。のんびり冬晴れの中を歩いているだけで、ウキウキした気分だ。

「そう言えば…エマ来てたって?」
「あ、うん、さっき」
「何しに?」
「えっと…」

ここでエマちゃんと買い物に行く予定だったと言えば、春千夜くんが気にするかもしれない。そう思ったわたしは「ちょっと寄っただけみたい」と言葉を濁しておいた。春千夜くんは大した興味もないのか「フーン」と言いながら歩いて行く。そっと横顔を見上げてみると、春千夜くんの綺麗な金色の髪が、陽の光に当たってキラキラしていた。色白の肌もわたしより滑らかで、やっぱり羨ましいくらいに綺麗な顔立ちだなと思う。そんなことを考えていたら、自然と春千夜くんのくちびるが視界に入って、また変なドキドキ感に襲われた。春千夜くんのくちびるは形も良くて、リップなんか塗らなくても艶やかで柔らかそうだ。同時に、あのくちびるにキスをされたんだと思うと、じわりと頬の熱が上がってしまった。

「入れよ」

春千夜くんの家に到着すると、彼は鍵を開けてわたしを中へ促した。「同じく冬休みで妹がいるけど、スルーしていいから」なんてサラリと言うけど、それはそれで緊張した。
千壽ちゃんとはこの前尋ねた時に顔を合わせている。向こうもわたしのことを知ってるし、何も意識をしなければ普通に会えるけど、今日はこの前会った時とは違う。もう曖昧な関係じゃなく、今は千壽ちゃんのお兄さんと付き合ってるという明確な立場であって、だから顔を合わせるのはちょっと恥ずかしい。

「お、お邪魔します…」

そう言ってからしまったと思ったのは、脱ぎづらいブーツを履いて来てしまったことだ。膝上のニットワンピースに合わせて、つい膝くらいまであるロングブーツを履いてしまったことを後悔してしまう。
でも先に春千夜くんが家の中へ入ってくれたことでホっとした。どうにか壁に手をつきながらブーツのファスナーを下ろすと、後は簡単にもう片方のブーツを脱いでいく。その後は倒れて邪魔にならないよう、一番端っこに揃えて壁に立てかけるようにしておいた。

「何してんだよ」
「あ、ごめん…ブーツだったから」

ひょいっとリビングから顔を出した春千夜くんに、言い訳するよう応えると、納得したのか彼は少しだけ笑ったようだった。

「女ってよくあんな面倒そうなもん履けるよな」
「う…まあ…でもあったかいし…」

なんて言いながらも、初めての春千夜くん宅で緊張してきた。知らない家の匂いがするから余計に体が硬くなっていく。

「オレの部屋、こっちだから」

春千夜くんはリビングに戻らず、廊下を歩いて一番奥のドアを開けた。
向かい側は彼のお兄さんの部屋らしく、ドアには"TAKEOMI"と木彫りされたプレートが下がっている。

「適当に座ってて。今、飲み物持ってくるから」
「あ…ありがとう」

春千夜くんの部屋へ足を踏み入れると、かすかにムスクのような香りがした。

「うわ、真っ黒…」

初めて見る彼の部屋は、カーテンからベッドカバー、床に敷いてあるラグマットさえ黒で統一されていて、白い壁にはこれまた黒の棚が打ち付けられている。そこにはズラリと色んなバイクの小物が置かれていて、小洒落た雰囲気を醸し出していた。

(そう言えば普段つけてるマスクも黒だもんね…好きなのかな)

そんなことを考えながら、ふと部屋の隅にかけられている東卍の特攻服に気づいた。

「あ…特攻服が黒だから?」

なんて思っていると、春千夜くんが手にグラスと、さっきのコンビニ袋を持って戻って来た。

「何で突っ立ってんの」
「え?あ…うん」

春千夜くんは真ん中にある丸いテーブルの上にグラスを置くと、ラグマットの上に袋を置いて、ビーズクッションの上に座った。因みにそれのカバーも黒い。

「これ使って」

春千夜くんは自分の隣にも少し大きめのビーズクッションを置くと、そこをポンポンと叩く。ありがとう、と緊張しながらも隣に座ると、彼は袋からわたしの好きなジュースを取り出した。

「どれ飲む?」
「え?」
「いつものか、コーラか…コーヒー」
「えっと、じゃあ…いつもの」
「ん」

春千夜くんはジュースをグラスに注いで、それをわたしの前へ置く。彼はコーラをグラスに注いでいた。

「これ…買ってきてくれたの?」
「あ?あー…まあ」
「ありがとう」

わたしと一緒にいない時に、春千夜くんがわたしの好きな物を買ってくれてたことが嬉しくて、つい笑顔になった。
春千夜くんは「別に…」と素っ気なく言ったけど、ちょっと照れ臭そうだ。

「あ、あと適当に買ってきた」
「え?」

そう言って渡されたのはコンビニの袋。中を見てちょっと驚いたのは、そこに入ってる物が殆どわたしの好きなものだったからだ。
ポテトチップ塩味、きのこの山、しっとりバームクーヘンまである。どれもエマちゃんと遊ぶ時、わたしが買っていくお菓子だ。エマちゃんも同じお菓子が好きで、特にきのこの山は「ウチもきのこ派!」と言われて大いに盛り上がった。わたしはビスケットの類は苦手なのに、きのこの山のチョコと合わせたあの感じは大好きで、だから買うのはいつもコレだった。


「これ…」

適当に買ってきたというわりには、わたしの好きな物ばかりだ。
皆で遊ぶ時にいつも買ってくのだから春千夜くんも知ってて当たり前だ。ただ、それを覚えてくれてたことが嬉しかった。

「あー…それ好きだろ?いっつも買ってくるし」
「…す、好き。ありがとう。え、でも春千夜くんはたけのこ派じゃなかった?」

エマちゃんと盛り上がっていると、マイキーくんが「何騒いでんの」なんて言いながら会話に入ってきた。その時にどっち派かって話になって、その時遊びに来ていたドラケンくんと春千夜くんも、その会話に参加したことを思い出す。確かあの時、春千夜くんは「たけのこ」って答えた気がする。

「別に…どっちかってーとの話だろ、あんなの。きのこもまあ…食ってみたら美味かったから」

そう言いながら箱を開けてる春千夜くんに、思わず笑みが零れてしまった。春千夜くんがあの時のことを思い出して、これを買ってくれたんだと思うと、嬉しいしかない。些細なことなのに何でこんなに幸せに感じてしまうんだろう。

――その人のことを考えるだけで胸がドキドキするし、会えるだけでその日一日が楽しく感じたり…

ふとエマちゃんが言ってたことを思い出した。言われたこと全部、見事今の心境に当てはまってる。
変な始まりではあったけど、春千夜くんとこうして付き合えたのは、本当にラッキーだったかもしれない。まさか自分が恋愛にのめりこむタイプだったなんて思わなかったけど、でも今は新しい自分も発見できて幸せだ。

「何だよ。食わねえの?」
「え?あ…食べる」

春千夜くんが差し出した箱の中から、きのこの形をしたお菓子を摘まむと、それを口へ運ぶ。
いつも食べ慣れてるはずのそれが、この日はやけに美味しく感じた。




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