春千夜くんが誘惑してきます



(き、来ちゃった…)

目の前の家を見上げながら、ごくりと喉を鳴らす。
今朝起きたら、春千夜くんはすでに帰った後だった。まあ今日はマイキーくんのおじいさんが帰ってくるから、お泊り会もお開きと言えばお開きだったけど、ドラケンくんが言うには「オレらが起きたら、もういなかった」とのこと。やっぱり何か怒ってるのかなと心配になった。

(手…あんな風に放したのが良くなかったのかな…)

せっかく温めてくれたのに、ちょっと乱暴だったかもしれないと反省しながら、エマちゃんに春千夜くんの家を教えてもらって、帰りがけ寄ってみたのだ。

(急に来たら…ビックリするかな…)

こうして家を訪ねるのは初めてで、ちょっと緊張してきた。もし春千夜くんが出て来たら、どんな顔で何を言えばいいんだろう。
そう考えれば考えるほど緊張して、なかなかインターフォンを押すことができない。

「あの…うちに用ですか?」
「……っ」

不意に後ろから話しかけられてビックリした。振り返ると、そこには可愛らしい顔をした女の子。前に何度かマイキーくんの家で会ったことのある春千夜くんの妹だ。

「あ…千壽せんじゅちゃん、よね」
「うん。あ…もしかしてエマの友達の…」

「あ、そうだ。ちゃんだっ」

千壽ちゃんもわたしのことを覚えててくれたようだ。少しホっとして「こんにちは」と挨拶をした。

「えっと…その…お兄さん…いる?」
「え、あー…ハル兄?」
「うん」

確か春千夜くんの家はお兄さんがもう一人いて、忙しい父親に代わって二人を面倒みてるということだった。千壽ちゃんはわたしが参加してたことは知らないのか「ハル兄ならマイキーんちに泊りに行ってるから多分いないと思うけど…」と言いながら、鍵を開けてドアを開いた。

「やっぱり靴がないから帰ってないかも」
「え…そ、そっか…」
「ハル兄に何か用だった?自分が伝言しとこうか」
「えっと…大丈夫…また今度にするから」
「そう?じゃあちゃんが来たこと言っておくね!」
「う、うん。ありがとう」

とりあえず春千夜くんは不在ということで、伝言だけ頼んで家に帰ることにした。家に帰ったと思ったけど、いないなら何か用事があって先に帰っただけかもしれない。

(そう言えば…わたし春千夜くんの電話番号も知らないかも…)

ポケットから買ってもらったばかりのケータイを取り出し、アドレスを開く。
来年は高校だからと親が十六歳の誕生日に買ってくれたものだ。まだそんなに登録してる人はいないけど、前にケータイを持ったことを話したら、エマちゃんや場地くん、マイキーくんとは番号を交換した。でも春千夜くんはそれを遠巻きに見てるだけで、何となくそのままにしてしまっていた。
こんなことなら春千夜くんにも聞いておけば良かったと思う。

「ハア…どうしよう…」

今の自分の気持ちを伝えようと思ったのに、会えないとまた決心が鈍っていく。春千夜くんが何で先に帰ったのかも分からないし、もしかしたら昨日のことが原因で嫌われたのかな、と思うと心が沈んでいく。
そこで気づいた。嫌われたと落ち込むのは、やっぱりわたしも少なからず春千夜くんに好意を持っていたんだと。ファン心理かもしれないけど、でも今はもう、遠くから見てるだけでいいとは思えなかった。
春千夜くんに会いたい。会って顔を見て話したい。少し変化した自分の気持ちに驚きながらも、それが今の本心だ。
と言っても今は冬休みだから、エマちゃんちで会えなければ、学校が始まるまで連絡すらつかないかもしれない。あまり自宅に何度も尋ねるのも躊躇われた。
そんなことを考えながら悶々としつつ、自宅前の道を歩いて行くと、近所の人とすれ違う。「こんにちは」と軽く挨拶をしながら歩いて行こうとした時、その人から「あ、ちゃん」と呼び止められた。

「さっきからちゃんちの前に女の子がいるんだけど、あれってお友達?」
「え…?」
「何か誰かを待ってる感じだったけど…」
「え、その子、どんな感じの子ですか?」

冬休みにわざわざ訪ねて来る友達と言えばエマちゃんくらいしか思いつかない。クラスに他の友達もいるけど、彼女達とは学校内でしか絡んでいないからだ。いったい誰だろうと思いながら訪ねると、近所のおばさんは首を傾げた。

「何か金髪の長い髪の子。ちょっと不良っぽい感じで…ちゃんの友達にしては派手だなあと思ってたの」
「え、金髪…ですか?」

それを聞いてギョっとした。女の子と言うから、てっきりクラスの子が通りがかった際にうちに寄っただけかも、くらいに考えていたけど、それってもしかしたら――。

「す、すみません。ちょっと帰ってみます」

近所のおばさんにそう声をかけて一気に走りだした。もしかしたら待ってるというのは春千夜くんかもしれない。そう思うと心臓が一気に早鐘を打ち出した。
大通りに繋がる一本道を走って、右へ曲がると住宅街に入る。そこを真っすぐ走っていくと、確かに前方に見える我が家の前に、派手な金髪が見えた。

(やっぱり春千夜くんだ…!)

わたしの家の塀に寄り掛かり、手持無沙汰にケータイを見ている横顔を見て思わず笑顔が漏れた。

「春千夜…くん!」

思い切って名前を呼ぶと、彼は弾かれたように顔を上げてわたしを見た。
ああ、そうか。きっとさっきのおばさんは春千夜くんが女の子に見えたんだ。
長い髪にあの顔立ちだ。一瞬見かけただけじゃ女の子に見えても不思議じゃない。

「…ど…どうしたの…?」

やっと家の前につくと、一気に走ったせいか息苦しい。呼吸を整えながら訪ねると、春千夜くんは大きな瞳をかすかに細め「おせぇ」とだけ呟いた。

「え…?」
「一時間以上、待ったわ」
「ご…ごめ…ん…」

そんな前から待っててくれたんだと驚きながら、深呼吸の合間に謝った。でも何で先に帰った春千夜くんが、わたしの家の前で待ってたんだろう。

「今朝…何で…先に帰っちゃったの…?」
「あ?あー…」

わたしの問いに春千夜くんは気まずそうに頭を掻くと「皆がいるとゆっくり話せねえし…」とそっぽを向いた。

「だから…待ってた」
「え…わたしを…?」
「ダメかよ」
「う、ううん…あの…実はわたしも今…春千夜くんの家に行ってたの」
「…は?オレんち?」

春千夜くんがギョっとしたように振り返る。まさか同じことを考えてたなんて思わなかった。それだけで嬉しさがこみ上げてきて、さっきまで感じていた不安が消し飛んでいく。

「あの…わたしも春千夜くんと話したくて…あ、家、入る?」

いくら何でも外で立ち話をするわけにもいかない。ついエマちゃんに言うようなノリで春千夜くんを見ると、彼は少し驚いたような顔で首を振った。

「いや…親、いねーんだろ?」
「うん、多分。平日だし仕事かな」
「だったら…そこの公園でいい」
「あ、それでもいいけど…」

意外なとこで気を遣ってくれるんだと驚きながら、春千夜くんの後からついて行く。「何か飲むか?」と訊いてきた春千夜くんが、途中にある自販機でわたしの好きなジュースを買ってくれた。

「…ほら」
「あ、ありがとう」

公園のベンチに並んで腰をかけると、春千夜くんが冷たいジュースのペットボトルを差し出した。お礼を言って受けとると、冷んやりとした感覚が手のひらに移っていく。春千夜くんは温かいミルクティを飲んでいた。

「寒くねえ?」
「あ、うん。今日は天気もいいし、平気」

朝から快晴で、昨夜のような寒さは感じない。春千夜くんは「ならいいけど」と言いながらミルクティに口をつけた。その横顔を見ながら、ふと夕べのことを思い出す。

「あ、あの…昨日はごめんね…」
「あ?何が」
「手…振り払うようなことしちゃって…」
「……あー別に」

わたしが謝ると、春千夜くんはキョトンとした顔で視線を彷徨わせ、軽く笑った。

「アイツら、うるせーからな」

春千夜くんはそう言いながら「気にしてねえよ」と言ってくれた。きっとわたしの気持ちを察してくれてたんだと思う。そこに気づいて、やけに胸の奥が熱くなる。それに今の春千夜くんを見てて、もう一つ気づいた。
夕べ、あの後に素っ気なくなったのは、春千夜くんも皆にからかわれて恥ずかしかったんだと。

「つーか…はオレに何の話があんだよ」
「え…」
「わざわざオレの家に行ったんだろ?何の話?」
「あ、えっと…」

急に核心を突くような質問をされて、ドキドキが復活してきた。
そうだ、さっきは春千夜くんに素直に思ってることを伝えようと思って行ったんだった。と言って、いきなりわたし達、どうするの?なんて聞けない。

「何?何か言いにくい話?」
「え?ち、違う。あの…わたし達の関係のことでちょっと…」
「関係…?オレらの?」

春千夜くんが顔を覗き込んでくるから、大きな瞳と至近距離で目が合ってしまった。近くで見ると凄い迫力だ。目力がハンパないし、まつ毛がバサバサで、やっぱり凄く羨ましいくらい綺麗な瞳だと思う。

「その…と、友達っていうのも何か違うし…どうしたらいいのかと思って――」
「え、付き合ってんだろ、オレら」
「……へ?」
「違うのかよ…」

あまりにアッサリ告げられ、目が点になったわたしを見た春千夜くんは怪訝そうに眉根を寄せた。

「つ…付き合ってる…」

って、まだ「付き合おう」とか言われてないのに?と驚いたけど、春千夜くんの中では夕べの告白で、何故か付き合ってることになっていたみたいだ。
ちょっと放心していたらしい。視界にあった春千夜くんの綺麗な顔が近づいてくるのをボーっと見ていたら、くちびるにむにゅっとした感触があった。
でもそれはちゅっという甘い音を立てながら一瞬で離れていく。

「は…春千夜…くん…?」

驚いて何度か瞬きをするわたしを見て、彼はニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。

「友達じゃこんなことしねえだろ」

どこか確信犯的なようにも思えて、一気に熱が顔に集中していく。

「ぷ…の顏真っ赤」
「…ちょ…こ、こんなとこで…」

家の近所の公園。住宅街にポツンとあるこの公園は、近所の子連れの主婦などが集う場所でもある。今は昼に近いから人気もないけど、すぐ脇の道は近所の人もよく通るから、誰かに見られてないかと、ついキョロキョロしてしまった。でも近所のおばあさんがのんびり散歩をしてるくらいで、幸いこっちには気づいていない。公園の周りを囲むように植えられている樹木のおかげだ。

「ん」
「え…?」

人が焦っているというのに、春千夜くんはどこ吹く風で、わたしの方へ手を差し出してくる。何事かと顔を見れば、大きな瞳がかすかに細められた。

「ケータイ。持ってんだろ?」
「あ…う、うん…ある…けど」
「貸せよ」
「あ…うん」

何で?と思ったけど、言われた通りポケットからケータイを出して、春千夜くんの手のひらへ乗せると、彼は慣れた手つきで番号を入力していく。誰にかけるんだろうと思っていた矢先、春千夜くんの手にあった彼のケータイが鳴り出した。春千夜くんはまずわたしのケータイを何やら操作し、それから自分のケータイを同じように操作すると、わたしにケータイを返してくれた。

「それ、オレの番号。履歴から登録しといた」
「え?あ、ありがとう…」

戻ってきたケータイを開いてアドレスを見ると、一番最初に出てくる「あ」のところに"明司春千夜"とフルネームで登録されていた。確かチームの中では三途と苗字を変えて名乗ってたはずだけど、本名で登録されてたのは嬉しい。

「ああ、それと…アイツらの番号は消しておいたから」
「……え?アイツら…?」
「場地とかマイキーとか?この前、交換してたろ」
「え…うん…」

わたしがケータイを買ってすぐ、交換した二人だ。まだ数少ないわたしのアドレスに入っている唯一の男の子達でもある。

「え、消したって…何で?」
「あ?当たり前じゃん。はもうオレの彼女だし。他の男の番号、登録してんの変じゃね?」
「…そ……そうだね」

消したと言われて驚いたけど、確かに春千夜くんの言うことにも一理ある。わたしも春千夜くんが別の女の子の番号を登録してるのは嫌だと思ってしまった。

「え、でも春千夜くんは女の子の友達とか…」
「いねえ。見る?」

そう言って自分のケータイのアドレスを開くと、わたしの目の前へと翳す。そこに登録してあったのは殆どが東卍の仲間の名前で、わたしも知ってる人ばかりだった。その中に女の子らしき名前は一つもない。何気にモテてる春千夜くんだから、もしかして一人や二人くらい番号を登録してるかもと思ったけど、そんな痕跡は一切ない。東卍メンバー以外の知らない名前も、全てハッキリ男と分かるものばかりだ。

「み、見事に男の子ばかりだね」
「女で親しい奴、一人もいねえしな。何度か聞かれたことあったけど、よく知らねえ女に教えるバカいねえだろ」
「そ…そっか…」

ということは、春千夜くんの中でわたしは「親しい女の子」という枠に入ってるということ?あ、わたし、春千夜くんの「彼女」になったんだっけ。
あまり実感が湧かなくてボケたことを考えながらも、春千夜くんのケータイに初めて登録される女の子がわたしだと思うと、じわじわと幸福感がこみ上げてくる。え、わたし、こんなに春千夜くんのこと好きだったんだ。

「これで安心したかよ」
「え?あ…う、うん…」

ニヤリと笑う春千夜くんを見て、何故か頬が赤くなった。この理想の顔の男の子が自分の「彼氏」なのかと思うだけで、ドキドキしてしまう。

「じゃあ…今からどっか行く?」
「え?」
「…デート…ってやつ」

その言葉を聞いて心臓が大きな音を立てた。自分の人生の中で男の子とデートをする日が来るとは思わなかった。

「うん…行きたい」

思わず頷くと、春千夜くんはかすかに微笑んでくれた。
ハッキリ言って、この時のわたしはだいぶ浮かれてたんだと思う。
春千夜くんの想いが想像以上に強いとは、まだわたしも気づいていなかった。




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