春千夜くんが誘惑してきます
「ったく…急に殴りやがって」
場地くんは殴られた頬を擦りつつ、春千夜くんを睨みつけてる。このままケンカにならなきゃいいなと思っていると、春千夜くんは「脅かす方がわりーだろ」とそっぽを向いた。
「が怖がりなの場地も知ってンだろ?」
「わ、わたしなら大丈夫だよ…」
機嫌の悪い春千夜くんを見て、慌てて二人の間に入る。場地くんも短気な方だから、これ以上モメると本当に殴り合いに発展してしまいそうで怖かった。
でも春千夜くんはわたしを睨むと「怖がってたくせに」と大きな瞳をスっと細めるからドキっとしてしまう。確かに怖かったけど。
場地くんはそこで初めて気まずそうに頭を掻くと、わたしに「ごめん」と謝ってきた。
「…悪かったよ。ちょっとふざけようと思っただけ」
「、ごめんね。ウチも止めれば良かった」
そこでエマちゃんも謝ってくるから、こっちの方が恐縮してしまう。あんなことくらいで驚きすぎたわたしも良くないのに。
「いいの。肝試しする時点である程度の覚悟はしてたし…ちょっとビックリしただけ」
「でもごめん。もぉーマイキーが変なこと思いつくからさー」
エマちゃんはそう言いながら後ろで笑っていたマイキーくんをジロリと睨む。主犯はどうやらマイキーくんだったらしい。
「何だよ、エマ。ラストのビックリ要素は肝試しにつきものだろ?」
「反省してないな?」
「いててっ」
そこでちょっとした兄妹ゲンカが始まって、皆も笑い出したことで険悪な空気が和んでいく。少しホっとして隣を見ると、春千夜くんは未だに不機嫌そうだった。
「あ、あの…ありがとね」
「…あ?」
「守ってくれて…」
この騒動ですっかり忘れてたけど、あの時春千夜くんはわたしを守ろうとして場地くんを殴ってしまっただけだ。そう考えるとやけにドキドキしてくる。
「……別に…あんなの当たり前だろ」
春千夜くんは相変わらず素っ気ない言葉を返してきたけど、ほんの少し機嫌は戻った気がする。その証拠に「帰んぞ」と言ってわたしの頭へポンと手を乗せた。たったそれだけなのに安心するんだから、わたしも単純だ。
そこで元来た道を辿って外へ出ると、皆でマイキーくんの家まで歩いて行く。深夜の時間帯は急に冷え込んでくるから、吐息が白く宙へと舞った。
「寒ーい!ドラケン、手繋いで」
「ハァ?やだよ」
「もー!ケチ!」
前ではエマちゃんがドラケンくんにくっついて、いつものじゃれ合いが始まった。それをからかうマイキーくんと場地くんを眺めながら笑っていると、少し前を歩いていた春千夜くんが歩く速度を落とした気がした。
「…寒い?」
「え?あ…少し」
「鼻の頭、赤くなってる」
「え、嘘…恥ずかしい」
慌てて鼻を手で隠すと、確かに冷たくなっている。でも触る手も冷たいから、あまり暖かくはならない。やっぱり手袋を持ってくれば良かったかな、と思っていると、ぐいっと手を引っ張られた。え?と思った瞬間には、冷えた手が春千夜くんの手に包まれて、彼のコートのポケットに収められてしまった。
「え、あ、あの…」
「こうした方があったかいだろ」
「う…うん…ありがと…」
ポケットの中でぎゅっと手を握られて、一気にドキドキと緊張が襲ってきた。これは憧れのポケット繋ぎでは…と思うと、冷えてたはずの頬まで熱くなってくる。
ただ、前を歩く皆に見つかったら恥ずかしい、という思いもこみ上げてきた。
告白をされたものの、今のところわたし達の関係は曖昧だし、自分の気持ちも曖昧だ。なのに手を繋いだりしていいのかな。
――も…オレのこと好きだろ?
ふと春千夜くんに言われたことを思い出して考える。つい目で追ってしまうのも顔が理想すぎるせいだと思ってた。でもこうして春千夜くんと近くなると、ドキドキするし嬉しい気持ちが湧いてくる。これが好きってことなのかな。
「あー!春千夜とが手繋いでるー!」
その時、突然エマちゃんが振り返って大きな声を上げた。咄嗟に手を離してポケットから手を抜いてしまったのは、恥ずかしかったからだ。
「おー?春千夜とって付き合ってんのかよ」
「マジ?いつの間に?」
エマちゃんの声に反応した皆が一斉に振り返るから、顏が真っ赤になってしまった。
「ち、違うよ…そんなんじゃ…」
「えー?でも手ぇ繋いでたんだろ?春千夜もやるじゃん」
場地くんがからかうように春千夜くんの肩へ腕を回した。でも春千夜くんは少しムっとしたように場地くんの腕を振り払う。
「オマエらに関係ねえだろ」
「へえ~?」
「うっせーな…」
春千夜くんは場地くんを睨みつけると、サッサと先を歩いて行ってしまった。それをマイキーくんやドラケンくんが追いかけていく。その光景を眺めていると、エマちゃんが「ごめん、邪魔しちゃった?」と申し訳なさそうに振り返った。
「ち、違うの、ほんとに…」
手を繋いでたところを見られてしまった恥ずかしさで、わたしは慌てて首を振った。
「わたしが寒そうにしてたからだと思うし…」
「えー?でもさっき凄くいい感じだったよー?あの春千夜があんなことするなんて意外!ね、やっぱりさっきの肝試しで何かあった?」
「…え…っと…」
何かあった、と言えばあった。でも言うのは恥ずかしい。ただ、エマちゃんは絶賛恋愛中だし、相談してみたいとも思う。恋愛初心者のわたしじゃ、春千夜くんからの告白をどう受け止めていいのか分からない。
「……」
「ん?春千夜と何があった?」
どう説明しようか迷っていると、エマちゃんは興味津々で訊いてくる。はずかしいけど、こればかりは第三者の意見を聞いてみたい。
「あ、のね…春千代くんに…」
「…春千夜に?」
「す…好きだって…言われた…」
思い切って事実を口にすると、エマちゃんの笑顔がビシっと固まる。そして「マジ…?」と口元を引きつらせた。
「おーい、オマエら早く来いって!寒いし急ぐぞー」
その時、ドラケンくんが振り返って早く早くと手招きをしてくる。
「い、今行くー!」
エマちゃんは返事をすると、未だに驚愕したような顔でわたしを見ながら「とりあえず帰ってから詳しく聞かせて」と皆の後を追かけていく。その後、家に帰ってから、わたしとエマちゃんは早々にエマちゃんの部屋へ引っ込み、春千夜くんとの間にあったことを詳しく話すことにした。
「え…嘘!…キス?!あの春千夜がっ?」
「し、しー!声が大きいってば、エマちゃんっ」
恥ずかしさのあまり、エマちゃんの口を塞ぐと、彼女はわたしの手を外しながら「大丈夫。マイキーの部屋までは聞こえないよ」と苦笑した。
春千夜くんは皆と一緒にマイキーくんの部屋へ行ったようだ。庭にある倉庫を改良した離れのような部屋で、エマちゃんの部屋からは距離がある。それを思い出してホっと息を吐いた。
「信じられない…いきなりキスとかするようなヤツとは…」
「わ、わたしも驚いたけど…」
「もー何で、今日そのこと話してくれなかったの~?」
エマちゃんは頬を膨らませて肘で突いてくる。確かに昼間は男子メンバーも出かけていたし、エマちゃんに話す機会はいくらでもあった。だけど、こんなことは初めての経験で、恥ずかしい上にどう説明していいのか分からなかったのだ。
「ごめん…春千夜くんがどういうつもりか分からなかったから…言いにくくて」
「まあ…そうだろうけど…でもさっき好きだって言ってきたわけだ」
「う、うん、まあ…」
「そっかー!やっぱりな~。ウチの勘は当たってたってわけね」
エマちゃんは納得したようにうんうんと頷いている。そう言えば昨日、エマちゃんにそんなことを言われた気もする。
「で?春千夜は付き合おうって?」
エマちゃんがずいっと身を乗り出してくるから、わたしも口元が引きつってしまった。
「そ、それは言われてない…」
「えー?嘘ー!何で?」
「わ、分かんない…けど…春千夜くん、わたしも自分のこと好きだと思ってるらしくて、だからそういう言葉は言わなくてもいいと思ったのかも…」
「え…思ってるらしくてって…でも本当にも春千夜のこと好きなんでしょ?」
エマちゃんが当然と言った顔で訊いてくる。その問いにどう応えればいいのかと迷ったものの、ここは正直に話すことにした。
「…す、好き…なのかな…。自分でもよく分からないの…」
「え…まだそこ?」
「う…ごめん…。だって…春千夜くんのことよく知らないし…」
「それを言えばアイツもそうなんじゃない?皆で集まる時に会う程度だったし。でも一緒にいるから見えてくることもあって、それでよく知らなくても好きになることはあるよ。ウチもドラケンのこと全部知ってて好きになったわけじゃないし」
エマちゃんはそう言って笑った。そう言われてみると、確かにそうなのかもしれない。エマちゃんもマイキーくんと仲良くなったドラケンくんが家に遊びに来るようになって、ちょっとした時の優しさに触れたことで好きになったと前に話していた。
「まあ、でも春千夜はあの通り見た目はいいけど、中身が粗暴だし優しいって感じでもないもんねー」
「そ、そんなことないよっ」
「え?」
呆れ顔で言うエマちゃんに、ついムキになって言ってしまった。確かに最初は不愛想で怖いイメージしかなかったけど、春千夜くんも優しいところはある。さっきだって怖がるわたしのこと守ってくれたし、帰りも寒くないよう手を繋いでくれた。なのにわたしはそれを振り払うように離してしまって、少しの後悔が胸の奥にモヤモヤとした形で残ってる。
帰り道、あれから春千夜くんはわたしの方を一度も見てくれなかった。
「そっかー。でもそれって…やっぱりも春千夜が好きなんじゃない?」
「え…?」
一気に自分の中にあるものをエマちゃんに伝えると、彼女はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。ちょっとだけ怖い。
「そうやってムキになる辺り…すでに好きでしょ、も」
「…そ…そう、なの?」
「そうだよ。だって初めてのキス奪われても嫌じゃなかったって言うし、手だって繋がれても嫌じゃなかったんでしょ?それってもう好きってことじゃん」
「……そ…そっか…」
そこまでキッパリ言い切られると、そうなのかなという気もしてくる。エマちゃんはわたしよりも恋愛に詳しいんだから、この胸にこみ上げてくるドキドキの意味を、わたしよりも理解してそうだ。
「す、好き…って…詳しく言うとどういう感じ?エマちゃんなら分かるよね」
「ん~。その人のこと考えるだけで胸がドキドキするし、目が合うと超幸せだったり、会えるだけでもその日一日が楽しく感じたり、言葉を交わせたら心が満たされるし、気分も上がるし、無駄にニコニコしちゃう」
ドラケンくんのことを考えているのか、そう話すエマちゃんは本当に可愛い。恋をすると女の子は綺麗になるってよく聞くけど、それは事実だと思う。
「は?春千夜に会えた時、テンション上がったりしない?」
「え…と…上がる…かも」
学校の廊下で見かけた時、心臓がドキっとして、つい目で追ってしまう。目が合うと恥ずかしくて反らしちゃうけど、その後はしばらくウキウキしてるかもしれない。エマちゃんちに来た時、たまたま春千夜くんがいたりしたら――確かによく分からない高揚感があったりする。これってエマちゃんの言うテンション上がるってことなのかな。え、でもそうなると本当にわたしは春千夜くんのことが好きってことになる。今回のことが起こる前から、わたしは意識して春千夜くんのことを目で追ってたんだろうか。
――も…オレのこと好きだろ。
あの春千代くんの言葉は…間違ってなかったってこと?
「だいたいね。理想の顏ってことは少なからず好意があるってことと比例するんじゃないかな」
「え…」
「だって芸能人でもまずは見た目から入るじゃない。それと一緒だよ。この女優さんの顔が好きだなーなんて見てると、気づけばファンになってるし、その人が出てるとつい見入っちゃうし」
「あ…確かに…」
思わず納得してしまった。ということは、わたしも最初はファン心理で春千夜くんのことが気になってたのかもしれない。
「春千夜もさー。多分が自分のことをよく見てるって気づいて意識しだして、だんだん気になるようになったんじゃない?」
「えっ?そうなのかな…」
「キッカケなんてそんなもんだよ。でも最初は気になるから始まって、その中にやっぱり少しずつ相手のことを知って惹かれていく過程は絶対あると思うけどね」
「そ、そうだね…」
まさに今のわたしがそれかもしれない。春千夜くんのことは気になってた。でもその人からいきなりキスをされて、ますます意識しちゃって、好きだと言われて、戸惑ったけど嬉しかった。不器用だけど優しいとこもあって、そういうとこが…好きだなって思う。
「明日、ちゃんと春千夜と話してみたら?」
「え…?」
「好きだって言ってくれたなら、もちゃんと自分の気持ち言えばいいんだよ。口下手のアイツに好きだって言わせたんだから、後はがどうしたいかだけじゃない?」
「…わたしが…どうしたいか…?」
そう言われて考えてみたけど、どうしたいと聞かれれば、それは…春千夜くんのことをもっと知りたい。ふとそう思った。
(明日…春千夜くんとちゃんと話そう…)
彼の温もりを思い出しながら、繋がれていた手をぎゅっと握り締める。
エマちゃんの言う通り、春千夜くんのことを考えるだけで、胸がドキドキしてくるのを感じていた。