春千夜くんが誘惑してきます

薄暗い廊下を、春千夜くんの手に引かれて歩く。触れている指先はさっきから緊張したまま固まっていた。

――オマエが…好きだからだよ。

さっき彼から、嘘みたいな告白をされて、わたしは一瞬パニックになった。
ただ驚きすぎると、人はまず一旦は冷静になるらしい。あり得ないという気持ちが先にきた。でも春千夜くんの大きな瞳は一切揺らぐことなくわたしを見つめるから、ドキドキしていた心臓が更に過酷な状態になった。男の子から好きだと言われるのは初めてで、どう応えていいのかも分からない。それが更にわたしをパニックにさせて、おかしな沈黙が流れてしまった。こんな時、どう言えばいいの?という言葉が頭の中をぐるぐる回って、一向に声に出来ない。でもそんな沈黙を破ったのは、やっぱり春千夜くんだった。

――も…オレのこと好きだろ?
――え…?

思わぬことを言われて凄く驚いた。
わたしが春千夜くんを好き?
余計に何も言えなくなって、黙って春千夜くんを見上げると、彼は初めて目を反らした。

――いっつもそうやってオレを見てたろ、オマエ。

ぼそっと呟かれた春千夜くんの言葉を聞いてドキっとした。その気配が伝わったのか、春千夜くんは再びわたしを見ると「見てたろ…?」と、確認するように訊いてくる。確かに、わたしは多分、自分が思ってる以上に見ていたかもしれない。でも、きっとそれは恋愛感情というものじゃなく、単に春千夜くんがわたしの理想の顔だったから――。

――み、見てた…。でも、それはあの…春千夜くんの顏が…わたしにとっての理想の顔で、だから…つい見ちゃうというか…。
――…顔?

春千夜くんは怪訝そうに眉間を寄せた。つい馬鹿正直に答えてしまったけど、これじゃただのミーハーな女みたいだ。春千夜くんの外見に惹かれてキャーキャー騒いでる、学校の子達と何も変わらない。
でも、わたしはああいう感じじゃなく、純粋に春千夜くんの整った顔が理想すぎて、ついつい目で追ってしまうだけなのだ。
春千夜くんは黙ったまま、何も言わない。怒らせちゃったかなとドキドキしていた、その時だった。

――それって…やっぱ好きってことだよな。
――…へ?

春千夜くんの言葉に驚いて間抜けな声が出てしまった。そんな風に言い切られると、つい目で追ってしまうのは、イコール好きってこと、なのかな…とも思えてくる辺り、随分と単純な女だと思う。こうして見つめ合っていると、次第の頬が熱くなっていくのも、ドキドキが加速していくのも、そういうこと?
自分じゃよく分からず答えに詰まっていると、春千夜くんはかすかに笑った気がした。それは意外なほど優しい笑顔で、またドキドキとは別に心臓がおかしな音を立てた。
それから――ずっと手を繋いで目的地まで歩いている。
あんな会話の後だから、怖いはずの夜の校舎がちっとも怖くない。というか違う意味でドキドキしているから、ハッキリ言って集中できていない。あれ以降、春千夜くんと会話もないから少しずつ気まずくなってきた。結局、好きだと言われたけど、具体的にどうするとかの話もなかったし、これからどう接していいんだろう。
そうこうしてるうちに、目的の四階まで上がってきた。月明かりが薄っすら窓から差し込むだけの廊下。先に行ったはずの皆の気配はしないから、サッサとビー玉を置いて戻ったのかもしれない。

「え、えっと…四階の一番奥の男子トイレって言ってたよね…?」

思い切って話しかけてみると、春千夜くんは「うん」と軽く頷いた。

「大丈夫かよ」
「え…?」

不意に声をかけられ、ドキリとしつつも顔を上げると、春千夜くんがわたしを見下ろしていた。月明りに見える大きな瞳は、凄く幻想的で吸い込まれてしまいそうだ。

「…さっき、青い顔してたから。、怖がりだろ。夕べもホラー映画にビビってたし」
「う…そ、そうなんだけど…」

確かに夕べもビクビクしながら映画を観てた。春千夜くんが隣にいてくれたから、まだ我慢出来たけど――っていうか、今もそうだ。春千夜くんが隣にいて、しかも手を繋いでくれてるから、思ったよりは怖くない。

「だ、大丈夫…。春千夜くんいるし」
「……そーかよ」

言った途端、春千夜くんがプイっと顔を反らす。一瞬怒ったのかとも思ったけど、何となく照れてるようにも感じた。暗がりでも、彼の色白の頬が薄っすら赤く見えるし、繋がれてる手がぎゅっと握られた気がしたからだ。

(春千夜くんて…シャイなのか強引なのか、よく分からない…)

いきなり言葉もなくキスをしてきたり、好きだと言って来たり。と思えば、急に素っ気ない態度を見せる。これって俗に言うツンデレってやつなのかな、と思いながら、ほんのり赤い春千夜くんを見つめた。

「…何だよ」
「え?あ…何でも…ない」

ジロっと睨まれ、慌てて俯くと、春千夜くんは「行くぞ」と廊下を歩き出す。目的地である男子トイレは廊下の一番奥にあって、わたし達が上がってきた階段からは距離がある。わざわざこのコースを選んだのはドラケンくんだ。
懐中電灯で足元を照らしながら進むと、男子トイレが見えてきた。

「…誰もいねえようだな」

先に春千夜くんが中を覗いてから呟いた。

「どうする?オマエ、ここで待ってるか?」
「え…」

肝試しを終わらせるには、洗面台のところに皆が置いたビー玉を回収しなくちゃならない。でもここは男子トイレだし入るのはちょっとためらってしまう。と言って、一人廊下で待つのも怖い。

「い、一緒に行っていい?」
「……」

思わず春千夜くんの手をぎゅぅっと握ってしまった。一瞬、春千夜くんの肩が僅かに跳ねた気がする。それに何となく大きな瞳が更に大きくなったような…

「…いいけど」
「ほんと?」
「…ああ」

ほんとは男子トイレに入るのも恥ずかしい。でも一人残されるよりはマシだ。それに今は誰もいないし、ちょっと入って出てくるだけなら大丈夫。

「じゃあ…入るぞ」
「う、うん…」

ただの遊びなのに、つい力が入って春千夜くんの手を握り締める。でも春千夜くんも握り返してくれたのが、やけに安心した。夕べから情緒を乱されっぱなしだけど、あのキスだって自然と受け入れてしまってるかもしれない。だってファーストキスだったのに、わたしは春千夜くんに怒っていないし、怒るどころか今では春千夜くんが初めての人で良かったかも、なんて思ってしまってる。

(わたし…やっぱり春千夜くんのこと…?)

さっきから静まりそうにない、このドキドキはそういうことなのかな。小学校の時、クラスの男の子に憧れたことがあったけど、あれとも少し違う気がする。あの時はその子がクラスを盛り上げてくれるような面白い子で、ただ見てるだけで満足してたけど、恋愛としての好きとかじゃなかった。でも春千夜くんのことは…もっと知りたいと思ってる。何を考えてるのか分からないから余計に知りたい。そう思わせられる人だと思う。

「うわ…暗いね」

トイレには小さな窓があるだけで、廊下よりも薄暗い。電気をつけたくなったけど、もし外から見られたらマズいからと、ドラケンくんがそういった類には触れるなと言っていた。だから暗いままにしておくしかない。

はここで待ってろ」
「え…?」

トイレに入ってすぐ、春千夜くんは手を離した。

「暗いし、オレがビー玉回収してくっから」
「う、うん…ありがとう」

見れば奥の方にある洗面台の上には、四つのビー玉が置かれている。先に行ったメンバーが置いたものだろう。最後のわたし達がここへ来た証拠としてアレを回収すれば、目的達成だ。

「き、気をつけて…」
「こんなトイレで何を気をつけんだよ」
「た、確かに…」

春千夜くんのツッコミについ頷くと、彼は軽く吹き出したようだった。

「やっぱ、おもしれー。素直すぎな」
「え…」

普段はあまり見られない春千夜くんの笑顔に、心臓がまたおかしな音をたてた。普段あまり笑わない人の笑顔は凄く威力がある。

(マズい…さっき以上にドキドキしてきた…)

春千夜くんが奥へ歩いて行く後ろ姿を見つめながら、わたしは入り口近くに立って、何度かバレない程度に深呼吸を繰り返す。
春千夜くんは懐中電灯で洗面台を照らすと、そこにあるビー玉を手に取った。そしてそれをポケットに入れて、わたしの方へ振り向く。ちょっとホっとした、その瞬間――。
わたしのすぐ横にある個室トイレのドアが開いて、黒い影が飛び出してきた。

「きゃぁぁぁっ」

あまりに驚いたせいで体が硬直したわたしに黒い影が飛び掛かってくる。そのせいで更にあたしはパニックになった。

「やぁぁ!離してっ」

腕を掴まれた感触にゾっとして、振り払おうと腕を引く。その時だった。すぐにこっちへ戻ってきた春千夜くんが「誰だよ、テメェ!を放せ!」と怒鳴りながら、その黒い影に向かって拳を叩きつけた。

「いってぇ!」

ガンゴンという音がトイレ内に響く。同時に入口の方から明かりで照らされたのが分かった。

「ちょっとー!何、本気で殴ってんの~?春千夜っ」
「あぁ?!」

その声に驚いたわたしと春千夜くんが振り返ると、そこには呆れ顔のエマちゃんとドラケンくん、マイキーくんに至っては爆笑している。そして目の前で尻もちをついて「いってぇな、春千夜!」と怒っていたのは、まさかの場地くんだった。




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