2005年・秋――。

その街はいつ来ても変わることのない雑多な場所だった。喧騒が混じりあい、意味をなさない人々のざわめきや、そこら中に溢れている賑やかな音楽、点滅をくりかえす信号と走る車の排気音、空から無限に垂れてくる黒い帳は、今宵もこの街を覆っていく。

東京――新宿。

キラキラと物悲しい光の坩堝るつぼ の中で、わたし達は今日も生きている。



「――で?どうします?」

イタリア産の高級ソファに深く腰をかけ、ゆっくりと足を組み替える。サングラス越しに魅惑的な笑みを浮かべれば、目の前の男の視線はミニスカートから覗いているわたしの太ももへ釘付けになった。この辺じゃ名の知れた会社の重役らしいが、自社の利益になる商談の最中に女の足を眺めてるようじゃ、大した仕事は出来ないんだろうなと苦笑が洩れる。現に男の額にはじんわりと汗が浮かんでいるし、こんな小娘相手に大の大人が酷く警戒してるらしい。哂わらわれたことに気づくと、男は慌てて視線をわたしの手にあるカラフルなUSBメモリに戻した。

「それが全て本物だという証拠は…?」
「先ほど見せたリストの中からアナタが選んだ人物にご自分で連絡して本人が出た。それが何よりの証拠では?」
「た、確かにそれはそうなんだが…相手が相手だけにコッチとしても慎重になるんだよ。何せ富裕層の大物ばかりだからね」

スーツのポケットからハンカチを出して額の汗を拭うと、男は一つ咳払いをしてから後ろに立っている秘書に合図をした。秘書の手にはA4サイズのバッグが握られている。銀縁の眼鏡が冷たい印象を与える男は、無表情のままそれをわたしの前へ置いた。こちらも後ろに立っている幼馴染に視線で合図をし、彼が中身を確認するまで重役の男を黙って観察していた。おかしな様子もなく、この時ばかりは緊張している様子もないということは、金のことで変な小細工をしてないということだろう。あくまで、金の面・・・では、だけど。
案の定、中身を確認した彼が「確かに約束の金額だ」とわたしの耳元で言った。

「Oh、Okay! It’s a deal商談成立!」

笑顔でUSBをテーブルへ置き、相手の方へ滑らせると、男もホっとしたようにそれを手に取った。取引きが終わったことで安心したのか、男は先ほどよりも柔らかい表情を浮かべている。

「それにしてもこの名簿…どうやって手に入れたのかな?」

個人的興味だが、と付け足した男に、わたしはゆっくりと首を振った。

「その辺のことは聞かない約束ですよね」
「ああ、いや…そうだった。悪かったね、忘れてくれ。君のような若い子が持ってくる情報にしては大物過ぎたんで気になっただけなんだ」
「これでも一応、プロの情報屋なんで。それでは…失礼します」

金を受けとればもうこんなところに用はない。脱いでいた革ジャンを羽織り、後ろの幼馴染を促すと、無駄に豪華な部屋を出て行こうとした。
しかし――現実は早々、楽にはいかないらしい。隣の部屋のドアが開き、見るからに反社ですといった風貌の男が3人出て来た。それぞれ物騒な武器を手にわたし達の行く手を阻む。口ひげの男は鉄パイプを持ち、頬に傷のある男はナイフ。もうひとりの小太りの男は指を鳴らしている辺り、どうやら素手がお好みらしい。

「…この方達は?」
「すまないね。高すぎる報酬を僕の上司が払いたくないみたいなんだ。金は置いて行ってもらおうか」
「…チッ見せ金かよ」
「……っ?」

思わず素で舌打ちをしてしまったわたしを見て、男がギョっとした顔をする。今後もいい取引きが出来れば、と考えて猫をかぶっていたけど、こういうクズ相手にはそんなもの必要なかったみたいだ。

「オジサーン。その情報、この報酬より高いと思うけどー?アンタ、バカなの?」

ニッコリと微笑みながら、腕を組んでソファにふんぞり返っている男を見下ろせば、相手も鼻で笑ってわたしを見上げた。

「それが君の本性か。なるほど。年齢も24歳ってのは嘘だね。タッパもあってスタイルもいい。度胸もあってすっかり騙されたが…中身はどう見ても17、8にしか思えない。まだ子供じゃないか」
「その子供の足を見て鼻の下伸ばしてたの誰だっけ。オジサン、ロリコン?」
「…く…ガキが…!痛い目みないと分からないらしいな。サッサと金を置いて出て行けばいいものをバカな女だ」

重役の男はチンピラ風の男3人に目で合図をしている。有名会社の重役だからこの手の方法は選ばないかとも思ってたけど、こうなってしまった以上、アレで行くしかない。

「…ココ!プランBね!」
「…はあ…やっぱこうなんのかよ」

幼馴染のココが溜息交じりで項垂れて、思わずわたしは吹き出した。

「なに笑ってやがる!」

早速鉄パイプで殴りかかって来た男はわたしよりも金を持っているココを狙った。その攻撃をココは体勢を低く下げて交わすと素早く男の横っ面を金の入ったバッグで殴る。殴られた男は大げさに悲鳴を上げて、持っていた鉄パイプを床へ落とした。カランと冷たい金属音が室内に響く。

もうひとり、頬に傷のある男はわたしの背後に回っていたようで、いきなり後ろから羽交い絞めにされた。肘で思い切り腹をどつくと、女だと舐めていたらしい男は「うっ」と唸り声をあげて腕の力が緩む。その隙にしゃがんで腕から抜け出すと、男の股間へも思い切り肘鉄するのを忘れない。「ぎゃぁっ」という悲鳴を上げる姿がおかしくて笑っていると、ココが「笑ってる場合か!」とわたしの手を掴み、最後に小太りの男の腹へ蹴りを入れながらドアを開ける。重役の男もまさか反社組織の人間が子供相手に負けるとは思ってなかったんだろう。焦った様子でソファから立ち上がり、追いかけてこようとしてるのが見えた。このままアイツだけ無傷というのも癪に障るし大事なデータは返してもらおう。わたしは「待って、ココ!アレ取り返さないと!」とココの手を離すと、ちょうど部屋から出て来た重役の男のみぞおちの辺りに強烈な蹴りを入れた。チンピラでもない、ただの大人なんてケンカ慣れもしていない。男はピンヒールで内臓に衝撃を喰らった事で、あっけなく床へ崩れ落ちた。あの手ごたえは肋骨が何本か折れたはずだ。

「ぐぁ…っ」
「こんのクソ野郎。裏切ったんだからコレは返してもらうわ」

呻きながら床に這いつくばっている男のポケットから先ほどのUSBを抜き取って、最後に伸ばして来た手をヒールの踵で踏みつける。重役の男は「ぎゃぁぁっ」と情けない叫び声を上げた。でもホテルの廊下には誰も顔を出さない。当然だ。ここの階の部屋はわたし達黒龍ブラックドラゴンが全て嘘の予約で抑えているのだから。ついでに言えば万が一の時の為、廊下には仲間が数人待機していたけど、わたし達の様子を見て大丈夫だと確認したら即座にはけたようだ。もうひとりの幼馴染、イヌピーこと乾青宗がわたしを見てホっとしたように片手を上げて去って行く。

大げさな騒動にして捕まるリスクはなるべく避けたいのと、こっちの素性がバレないよう、大丈夫そうなら即退却と最初にそう指示を出していた。まあその"プランC "までいくこともなく、わたしとココだけで乗り切れたけど。よくもまあ、あんな弱いチンピラを探して来たもんだと呆れる。

「じゃ~ね~! オジサン。いい情報だったのに残念」
「く…お、覚えてろよっ…!オマエらの素性暴いて必ず殺してやる…っ」
「…ぷっぁははは!そんな一昔前のチンピラみたいな台詞、マジで言う奴いたんだ!ウケる」

バイバーイと手を振りながら先に行ったココのところへ戻りかけた。でもふと足を止めて男を振り返る。

「ああ、それとわたし、これでも16歳なの。更にガキでごめんねー」
「……っ?」
「あ、お金は大事に使わせてもらうね」

驚愕した男の顏に満足したわたしは、ベーっと舌を出して廊下を走って行く。ココが呼んだのかすでにエレベーターが上がってきていた。でもそれには乗らずにわたしはココの手を取ると非常階段の扉を開けた。

「おい、!どこに――」
「あのオッサンの仲間が下のロビーにいたでしょ。もし呼んでたら鉢合わせしちゃうじゃん」
「ああ、そう言えば…いたな」
「ほら、いこ!」

わたし達はすぐに階段を下りて、ひとつ下の階へと移動した。そこから今上がって行ったエレベーターを呼ぶと、それに乗り込む。

「オマエ、よく見てんな」
「そりゃ危ない橋を渡るんだから洞察力は大事でしょ」

ココはなるほど、と言って軽く肩を竦めた。
彼は九井一。小学校からの幼馴染だ。ココとは数年前に亡くなった、もうひとりの幼馴染のイヌピーの姉、赤音を助けるという目的の為に手を組んでお金を集めて来た。彼女が亡くなって、お金を集める必要はなくなったはずなのに、わたし達は未だにこんなことをやっている。
お金なんて――もういらないのに。

エレベーターが1Fロビーに到着して、わたしとココは堂々と高級ホテルのエントランスから外へと出た。出迎えるタクシーやドアマン達を一瞥しながら、仲間の待つ場所へと歩いて行く。

「頂きました~2千万!!どう?上手くいったでしょ?」
「…最後ヤバかったけどな。相手が雑魚で助かった」
「あんなの例え強くたって青宗達が乱入すれば、どうとでもなったよ」

笑いながら振り返ると、ココは「ま、そうだな」とやっと笑顔を見せた。わたしは子供の頃から、ココのそんな笑顔が好きだった。ココや青宗とは家が近所の幼馴染だ。

美人だけが取り柄のわたしの母がアメリカ人の金持ちをたぶらかして結婚、わたしは子供の頃、ニューヨークのアッパーイーストサイドに住んでいた。でも両親が離婚することになり、莫大な慰謝料をふんだくった母は、小学生のわたしを連れて日本へ帰国。たまたま買った家の近くに二人が住んでいた。最初は日本語の分からなかったわたしに色々と優しくしてくれた男の子達をナイトのように思ったものだ。
そしてもう一人、わたしに優しく日本語を教えてくれた女の子がいた。
乾赤音――。青宗の5歳上のお姉さんだ。彼女は綺麗で頭もよく、何より優しかった。漢字の読み書きも出来ないわたしをバカにするでもなく、根気よく色んなことを教えてくれた。一人っ子だったわたしは、まるで本当の姉のように慕い、彼女のことを愛していた。

赤音が火事で重症を負い、莫大な金が必要だと分かった時、そしてココがそのお金を工面する為、悪事に手を染めると言い出した時は、わたしも何の躊躇いもなく同じ道を選んだ。どうしても、赤音さんを助けたかったからだ。わたしは金を集めるには、まず情報が大事だと思った。これは父がいつも言っていたことで、わたしはそれを覚えていた。
ココは独自の手法で悪ガキを集めて金持ちに取り入ることを選び、わたしは傍にいながら接触した人間の情報を細かく集めて行った。

何も暴力だけが金の生る木じゃない。相手によっては様々な情報が武器になることも、金に代わることもある。ココが金持ちからの依頼を受け、わたしは情報を手に入れる。そして手に入れた情報を更に別の人間に売る。わたし達は、その方法で赤音さんの為にお金を集めて行った。
でも――願いは叶わなかった。
お金が集まる前に赤音さんは死に、目的を失い、大切な人を失い、わたしとココの心は空っぽになった。

それ以来、ココは赤音さんの面影を持つ弟の青宗に執着するようになり、今度は青宗が慕っていた男のチームを再建することに手を貸し始めた。必然的にココのパートナーだったわたしも、結局はそのチーム"黒龍"へ入ることになり、今はチームの為に資金を延々と稼いでる。下らないけど、退屈しのぎにはちょうどいい。

「じゃあ…わたしはここで」

新宿駅近くの交差点まで逃げて来たところで、わたしは足を止めた。ここまで来れば問題ないはずだ。

「は?、帰んの?皆、店で待ってるぞ」
「ん~今夜はママが早く帰るみたいなんだよね~。何か話があるとかで。どーせ新しい男でも紹介したいってパターンだろうけど」
「そっか…なら無理に引き留められねえな。分かったよ」
「じゃあ皆に宜しく。あーそのお金、半分は山分けだからね」
「分かってるよ。オマエの情報のおかげで手に入った金なんだ。明日振り込んどく」
「でもさあ、大金稼いだって半分はあの脳筋ボスに持ってかれるとか思うと何か下がるわ…」

現黒龍の10代目総長はココが青宗の為に見つけてきた。ケンカは恐ろしく強いけど、女子供にも平気で手を上げるようなクソ野郎だ。わたしは大嫌いだけど、ココと青宗がいる限りは黒龍で金を稼いで暇つぶしをするしかない。
わたしの態度を見たココは、僅かに顔をしかめながら苦笑いを零した。

「おい、…少しはボスを立てろよ…」
「ヤダ。わたしはわたしが認めた男以外に尻尾振るつもりはないの。お金集めて特攻服も一新して、消えそうなチームデカくしてボスにしてあげたんだから文句は言わせない」
「はあ…ある意味、オマエが最強だな。女にしちゃケンカも強ぇーし、いっそ女ボスにでもなれば」
「それもやだ。まだ女捨ててない。女ボスなんて男が寄ってこなくなるじゃない。それにケンカじゃなくてわたしのは護身術だから」

父親が富裕層ということは、それなりに目を付けられる。子供の頃、何度か誘拐されかかったことがあり、それを心配した母親が子供のわたしに護身術を徹底的に習わせたのだ。
――この国では自分の身は自分で守るの。
アメリカに住んでた頃、母はよくそう言っていた。おかげで雑魚くらいなら返り討ちに出来るくらいの力はついたから今も何かと助かってる。これで銃も使えればいいけれど、この国の法律ではそれを許してくれないから、わたしのエイム訓練に費やした時間は無駄に終わりそうだ。

「ま、オレとしてもにいなくなられたら困るんだけどな」
「でしょ?ココにはわたしが必要。わたしにはココが必要。それでいいじゃない」
「…だな」
体の相性・・・・もいいしねー?」

ふざけてココの腕に自分の腕を絡めれば、ココは目に見えて動揺した。

「こんなとこで何言ってんだよ…」
「何って…ほんとのことじゃない」
「そういうこと、いちいち言うなって」
「……ごめん」

少し不機嫌になったココを見て、胸の奥が鈍い痛みを訴えてくる。分かってる。わたしとココはそれだけの関係。互いに寂しい時、慰め合うだけの不毛な関係だって。
だからわたしは演じるんだ。本気がバレないように、ひたすら元気で軽い女の子を。

「…ってことでわたしは帰るねー。あ、明日は飲み会やろーよ。夕方迎えに来て」
「りょーかい。んじゃ…気ぃつけて帰れよ」

ココは軽く手を上げて、仲間の待つ店へと歩いて行った。笑顔で手を振っていたけど、ココが見えなくなったところでふっと気が緩んだ。一瞬で顔から消えた笑みは、心まで冷やしていく。

"わたしにはココが必要"

それがどういう意味合いのものなのか、ココは分かっていない。ずっと傍にいてくれるけど、ココはわたしのものじゃない。
ココの心は――赤音さんのものだ。

ココは昔から優しかった。わたしにも、赤音さんにも。そんなココを男として意識するようになったのは、いつからだったろう。ココは最初から赤音さんのことが好きだった。それをわたしも知っていた、はずだったのに。

「はあ…バカか、わたしは」

あんな一言で嬉しくなっちゃって情けない。わたしがいなくなったら困るのは、資金集めの為だ。わたし自身のことじゃない。
けど――ココに必要とされたい。力になりたい。
だからこそ、投資家であるママの顧客データまで盗みながら大金を稼いでる。それも全部ココのため。赤音さんのいなくなった今、わたしを動かしてるのはその想いだけだ。

「――!」

いきなり背後から呼ばれて弾かれるように振り向いた。追いかけて来てくれたのかという愚かな想いが過ぎったからだ。けれど、追いかけて来たのはもうひとりの幼馴染だった。

「青宗…?どうしたの?ココなら待ち合せた店に行ったけど」
「知ってるよ…そこで会ったココに…聞いたんだから…」

店から必死で走って来たのか、青宗は肩で息をしながら「あぁー疲れた」と可愛い笑顔を見せた。その笑顔はいつ見ても、赤音さんを思い出させる。

「何よ。お金ならココが――」
「だーからそんなんじゃねえって。が先に帰ったっつーから」
「それだけで追いかけて来たの?」
「まあ…無事な姿も見たかったし…」
「さっきホテルの廊下で見たでしょ」

わたしが苦笑交じりで突っ込むと、青宗は「そうだけど…」と気まずそうに視線を反らす。
彼の気持ちは知ってる――。
あまりイジメるのも可哀そうだ。

「送る為に…来てくれたんでしょ?」

と青宗の顔を覗き込めば、途端に視線を反らして照れ臭そうな顔をする。わたしとココの不毛な関係を知ってるくせに、こんなわたしのことを心配してくれるなんて――。

「まあ、そうとも…言う」

――青宗はどこまでも愚かだ。いや…愚かなのはわたしか。

「ありがとね、青宗。でもわたしなら大丈夫だから。その辺でタクシー拾うし」
「いや、でもアイツらが追いかけて来ないとは言い切れねえだろ」
「大丈夫でしょ。事情が事情なだけに警察にだって通報出来ないだろうし」
「だからだよ。情報も貰えず大金だけ奪われたんだ。向こうだって必死に――」
「だーいじょうぶ。わたしらが黒龍だってこともバレてないし、飛ばしのケータイはすでに処分済み。わたしとココへは辿れない」

ハッキリそう告げれば、青宗は「大した奴だよ」と溜息交じりで微笑んだ。

「いいから皆のとこ戻って」

せっかく大金を稼いだ夜なのだ。青宗にも仲間と楽しく打ち上げして欲しい。彼の背中を押しやると、彼はやっと「分かったよ…」と肩を竦めた。

「あ、明日は飲み会があるからね。ココから詳しいこと聞いておいて」
「りょーかい。じゃあ…明日な」
「うん。バイバイ」

未だ心配そうな顔をしていた青宗も、わたしが笑顔で手を振ると元来た道を戻って行った。その背中を見送りながら「ごめんね…」と呟く。今、優しくされたら青宗にとことん甘えてしまいそうで怖かった。

「さてと…タクシーこの場所だとあんま拾えないんだよなあ…。やっぱタクシー乗り場まで行くか」

辺りを見渡し、沢山の人が行きかうを新宿通りを歩いて行く。途中、数人の男達から声をかけられたけど、笑顔でスルーしながら時計を確認しつつ足を速める。母の彼氏がどこの誰でも興味はないけど、久しぶりに家に帰って来ると連絡があったのは嬉しかった。

「あ、タクシー止まってる」

タクシー乗り場に数台停車しているのが見えてホっとする。まあこの街はこれから人が集まって来る時間帯だから、帰宅するのに乗る人間はそう多くないだろう。一瞬、電車の方が早いか?とも思ったけど、この時間の混雑する電車には乗りたくないし乗り換えも面倒だ。わたしは迷うことなくタクシー乗り場へと歩いて行った。その時――肩を誰かに強く掴まれた。

「見つけたぞ…このガキッ」
「……っ?」

振り返った瞬間、怒りに満ちた男の顏があった。頬の傷を見て、それはわたしがさっき股間に肘鉄を喰らわせたチンピラだと気づいた。男の背後からは見覚えのない男達が4、5人ほど走って来る。仲間を呼んだのか、と思った時、考えるより先に男の手を振り払い、わたしは走り出していた。