「待て!!」

わたしが走りだすと、一瞬呆気に取られていた男も慌てて後を追って来た。このまま駅に逃げ込むのはマズい。と言って駅前の交番は更にマズい。人の合間を縫って走りながら、人が更に多い繁華街へと向かった。黒龍の仲間が打ち上げをしている店があるからだ。こっちの素性はバレたくはなかったが、こうなっては仕方ない。

(ここまで来てプランCとはね…)

内心苦笑しながら新宿の街を走る。カップル、サラリーマン、OL、飲み屋のお姉さまたち。人混みを疾走していくわたしを、皆が振り返る。金色の髪を振り乱し、夜なのにサングラスをかけて、少しでも大人っぽく見せようと選んだ全身真っ赤なミニのワンピースに革ジャン、そして高級ブランドのピンヒール。派手ななりをした少女が、夜の繁華街で反社のオッサンと鬼ごっこしてるのだから当然か。

「あーもう、ヒールが台無しになる…っ」

ピンヒールは当たり前だけど、とてつもなく走りにくい。

「…Shit!」

仲間のいる店の方に曲がろうとしたら回り込まれていた。即座に方向転換して違う路地へ入り、すぐにヒールを脱ぐと手に持って再び走る。こんなに走ったのはニューヨークのエレメンタリースクール以来かもしれない。

(ったく、あんな雑魚相手に何でわたしが逃げなくちゃいけないのよっ)

やっぱり駅までは青宗に送ってもらうべきだったか?と後悔したけど、日本では後の祭りって言うんだっけ?こういうの。あまりにしつこいようなら、一人ひとりバラけさせて倒すしかない。

「バトロワなら1VS多数の基本だってーの!」

ビルとビルの合間に滑り込むと、飲食店の駐車場。そこの柵を超えて物陰に隠れると、後ろから追って来ていた男二人が二手に分かれるのが見えた。一人はわたしが超えた柵を超えて来る。

「クソ!どこ行きやがった…っ」

ブツブツ言いながらわたしの前を通り過ぎていく男の背後を取ると、近くに転がっていたビールの空き瓶を静かに拾う。後ろから首を絞めて静かに落とそうと思ったがやめだ。散々走らされて、わたしは苛立っていた。もうひとりの男が回り込んで来る前に躊躇うことなく、目の前の男の後頭部を空き瓶で殴った。硬いビール瓶が割れる音と共に、男は悲鳴を上げることもなくその場に崩れ落ちる。

you are stupid...オマエは間抜けだ!」

男の背中に唾を吐き、わたしは再び物陰に隠れて回りこんで来るであろう、もう一人の男を待とうとした。だけどその方向から数人の声が聞こえて、奴らが合流したことを察知したわたしはすぐに柵を飛び超えて元来た道へ引き返す。

「あ!いたぞ!!」

背後で男達の声がする。わたしはうんざりしながら、またしても繁華街へと走って行った。そもそもこの赤いワンピースが悪い。夜なのに悪目立ちしすぎる。まあ、チームの、それもボスの特攻服と同じ色にしたのは単なる気まぐれなんだけど。

「あー駅までは無理か…てことは、やっぱ皆のいる店かな」

走れる距離を測りながら、ケータイでココに電話をかける。でも聞こえてないのか一向に出る気配がない。仲間と騒いで飲んでるなら騒音で着信音になんか気づかないかもしれないなと溜息をつく。

「待て…!」

再び男が追いかけて来たのを見て、わたしは天をを仰いだ。

「Shit...!待てって言われて待つやついるかっての!マジしつこい!」

2千万かかってるんだから当たり前だろうけど。こうなったらどこか店に入って助けを乞う?靴を脱いで素足で走っていたせいで、痛みも限界だった。

「…チッ」

またしても行こうとした方向から他の男に回りこまれ、行き場を失ったわたしは逆の道へと走って行った。この通りは華やかな店が沢山あるから人も多い。わたしにしたら好都合だ。

「あれ…でも確かこの辺りってウロウロすんなって言われたっけ…」

新宿で取引きすることが決まった時、ココからひとつ気を付けるべきことを教えられていた。

"新宿は死神と呼ばれてる男が仕切ってる。繁華街は殆どソイツの息がかかってるから気をつけろ。特にその死神が縄張りにしてる歓楽街には近づくなよ"

そう言われて最もその死神が顔を出す率が高いと言っていた場所がこの辺りだった気がする。でも今のわたしにはそんなことを気にしている余裕は――ない。

「マジ、しつこい。アイツら…」

人混みをかき分け「待てコラぁ!」と声を張り上げている男達にビビって、たくさんいる歩行者がわざわざ道を空けてしまうのだから困ってしまう。

「あぁ…もう限界…」

いくらわたしが若くて可愛いからって――これは関係ないか――これだけ本気で走ったら足も限界だ。っていうか、裸足だから当たり前だけど。

「ちょっと通りまーす!」

人混みを抜けて巨大スクリーンのある広場まで走る。そこには観光客らしい団体客がいて、更に人でごったがえしていた。なるべく人の波に隠れつつ、追手をやり過ごしてると、息をぜぇぜぇさせてるから周りの人達からは多少は変な目で見られた。その時、背後で「どこ行った?!あの女!」という声が聞こえて来た。声のした方へ視線を向ければ追いかけて来たヤツらが人波にもまれてキョロキョロしている。見た目がもろに反社だからか、周りの一般市民から注目を浴びていた。

「ざまあ」

舌を出して笑うと、わたしは人に隠れながらこっそりと駅方面に戻ろうとした。ただ広場を抜ければ多少、まばらになってしまう。この目だつ服じゃすぐに見つかる可能性大だ。

「あ…このビル抜けられそう…」

辺りを見渡すと、大きなビルが見えた。そこはボーリング場などが入っているようで、混雑している。正面から入り、裏から出ればアイツらの目を誤魔化せそうだ。わたしは一気に走ってビルの中へと入った。でもやっぱり赤は目立つ。すぐに「あそこにいたぞ!」という声が聞こえて舌打ちをした。追いつかれる前に広いビルの中を走り、裏口を探す。すると非常口のようなドアが細い通路の奥に見える。素早くその通路へ身を隠すと奥まで一気に走り、外へのドアを勢いよく開けた、つもりだった。ドアを開いたその瞬間―――ガンッと何かにぶち当たる。あげくその当たった"何か"が後ろへ倒れたのが分かったけど、そのまま扉を押し開いた。まずは左を確認し、次に右へ顔を向けた時、わたしの視界に飛び込んで来たのは、倒れて来た男に驚き、大きく見開かれた鮮やかな金の、虹彩――。

「……誰、オマエ」

黒金の髪をツンと立たせたその男は同年代くらいに見える。その若そうな見た目からは想像もつかない。意外にも低音で艶のある声が、わたしの頭上に落ちて来た――。




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人間の欲が絡み合うギラギラとした歓楽街。バカみたいな人の笑い声や怒鳴り声、何語か分からない言葉を話す陽気な外国人。
この色の褪せた汚い街が、ガキの頃からオレの居場所だった。

「――で?オレの先輩の店で暴れた理由、なんだっけー?」

嘲笑いながら足元に正座をしている男の顔をケータイで映しながら目の前にしゃがむと、吸っていた煙草の煙を吹きかける。ポケットにケータイを突っ込み、代わりに"罰"の手で握ったナイフで震える顎を持ち上げると「ゆ、許して…」という情けない声が男の口から吐き出された。

「ひゃは♡ オレ、そんなこと聞いたっけか」

首を傾げつつ微笑むと、更に男が首を窄める。こんなにビビるなら最初からイキがらなきゃいーのに、頭の悪い男だ。人は金を持ちすぎると、自分がまるで神にでもなったかのように錯覚をする奴がいる。ちょうど、ここに正座させられているバカのように。

「あ~。店の被害は女性客の体を触ったことによる公然わいせつ罪と、グラスやボトルを割ったことで器物破損、止めに入った従業員に対しての暴言&暴行。他に――」
「す、全て損害は払います!!」
「ハァ?金で済むと思ってんのかー?」

まあ、今日までそう思って生きて来たような男なんだろう。ブランドもんの仕立てのいいスーツ、うん百万の腕時計、ピッカピカに磨かれた靴。どこのお坊ちゃんか知らねぇけど、オレの街で好き勝手した罪は重い。

「オマエさあ、自分は何しても許されるって思ってる人種だろ」
「…そ…そんな…ことは…」
「いやいやいや…恰好を見りゃ分かる。趣味は…まあ悪くねぇな。そのス―ツや靴のブランド、オレも好きだし」
「あ…そ、そう…なんですね」

ニッコリ微笑むオレを見て、男はホっとしたような表情を見せた。

「あーでもその腕時計は趣味わりぃ」
「え…こ、これ、ですか…」
「それピアジェだろ。そんだけダイヤちりばめちゃったらキラキラしすぎて秒針見えねーじゃん。本来の役割シカトかよ。なあ、そう思わねぇ?」
「い、いや、これは飾りっていうか――ひぃっ!」

は?みたいな顔で首を傾げただけなのに、勝手に悲鳴を上げて両腕で頭なんか抱えるもんだから溜息が出た。こんなカス殴っても何の得にもならない。警察に逃げ込まれてあることないこと吹き込まれるだけだな、こりゃ。溜息をつきながらコイツの処分をどうするか考えてたその時、オレのケータイが鳴った。

「何だ、稀咲かよ」

約束をしていた女からかと思えば、相棒の名前が表示されて思い切り項垂れる。稀咲からということは、この前話してた新しい"駒"の件かもしれないと、すぐに通話ボタンを押した。

「もしもしー?」
『半間…今どこだ』
「あー新宿のパイセンに頼まれごとしてさぁ。バカ殴ってたとこ」
『オレも今新宿にいる…。浅間組のチンピラが例の"駒"になりそうな女を追っかけまわしてこの辺走り回ってんだよ。見張らせてた奴から連絡が来た』
「はあ?何だ、それ。何で組のモンが女なんか…」
『知らねぇが、その女に何かあったら困る。助けに入るぞ』
「マジ…?そりゃオレらの知り合いか?」
『いや…違う。だがこれをキッカケに出来りゃ話も簡単だろ』

稀咲が言うなら間違いない。役に立つ駒は稀咲本人が見つけてくるが、いつも想像以上にアイツの役に立っている。しかも今回の"駒"はヤクザから助けてでも手に入れたいと思うほど、上玉なのかもしれない

「へぇ、どんな子ー?」

少しだけ興味が沸いて尋ねてみた。

『金髪で真っ赤なミニワンピを着て裸足で走ってた。サングラスしてたな』
「へえ、そりゃ随分と派手そうだ」
『…彼女はハーフだし目立つ。すぐ見つけられんだろ』
「ハーフ?じゃあ美人だ」
『……ハーフイコール美人って案外単純だな、オマエ』

稀咲のツッコミに思わず吹き出した。キッカケがつかめそうだからなのか。稀咲はどことなく機嫌がいい。こういう時の稀咲は十分に楽しませてくれることを、オレは知っている。
だが稀咲にオレが今いる場所を告げていると、後ろで正座させてた男が急に立ち上がった気配がした。

「おい!どこ行く気だ、てめぇ」
「…ひっ!」

オレが電話してる間に逃げられると思ったのか、男が思い切り走り出した。けどビルの裏手にあるこの場所はフェンスで囲まれていて逃げ場はない。逃げるにはビルの中を通らないと無理な作りになっている。だからボコすのにこの場所を選んだ。
男は相当慌てていたのか、ビル内へ戻るドアの方へ走って行った。どうせ中へ逃げても近くで先輩のところの従業員が見張っている。入った途端、捕まるのがオチだ。

「おいおい…無駄だって」

溜息交じりで吸っていた煙草を指で弾き、男の後を追う。すると男は悲鳴を上げながら更に足を速めた。

「ったく…だりぃ~」
『もしもし?何かあったのか?』

稀咲の声がケータイから聞こえてきて、頭を掻きつつ、応えようとした刹那。逃げた男が開ける前に中からドアが勢いよく開くのが見えた。

「あ」

と思った時にはすでにドアは男の顔面を強打し、その反動でソイツはゆっくりとオレの方へ傾いて来た。男なんか受け止めたくもない。ひょいっと避けると、男は尻もちをつく格好で倒れ、そのまま意識を失ったようだ。は?と思う間もなく。今度は中から人が飛び出して来たのを認識した瞬間、オレの視界に鮮やかな赤が映る。金色の綺麗な髪をなびかせて、こっちへ振り向いたのは見たこともない、女――。

「……誰、オマエ」

ビルの裏口から出て来た女は、オレに気づくと酷く驚いた顔をした。夜だと言うのに、何故かサングラスをしている。

「うわ、背、たか…!」
「…は?」

すっとぼけたようなことを言って来た女は、真っ赤な口紅を塗った唇に、緩やかな弧を描いている。でもそれは、ただ張り付けたような、嘘くさい笑みのように見えた。ついでに言えば、外国人のようにも日本人のようにも見える。

「だから誰だよ、オマエ。そのドアは従業員専用――」
「え?あ…ご、ごめんなさい…。トイレ行こうと思ったら間違えちゃって…」

女は急に慌てたような口ぶりで、そんなことを言いだした。だがトイレに行くにしては、あのドアの豪快な開けっぷりに何となく違和感を覚える。ふと女の足元へ視線を向けてみれば、女は何故か裸足だった。

「ってか、何で裸足?」

と言いかけた時、放置していた稀咲のことを思い出した。いや、正確には稀咲が話していた女の話を。

(金髪でサングラス、赤いミニのワンピに裸足…)

って、もろ目の前の女と同じじゃねぇか、と思った瞬間だった。女の後ろ、またしてもビル内からチンピラ風の男が4人飛び出して来た。次から次へと、トラブルの多い夜だ。

「見つけた…!散々逃げ回りやがって!」
「げ…最悪」
「もう逃がさねえぞ…」

男は手にナイフをちらつかせて、女に凄んでいる。これはどう見ても稀咲が助けたいという追いかけっこの当事者達だ。

(ラッキー。探す手間が省けた)

それにオレのテリトリーでナイフをチラつかせたということは、当然オレへの攻撃と捉えてもいいということだ。

「こ、来ないでよ!」

男達が詰め寄って来た時、何故か女がオレの方へ逃げて来た。あげくオレの背中に隠れたから、男達の意識が当たり前のようにオレへと向く。

「あ?テメェ、この女の彼氏か」
「んなわけねえじゃん。会ったばっかだよ」

オレが笑いながら応えると、女はオレのTシャツをつかんで背中にぎゅっとしがみついて来た。その時、男のひとりがオレの顔をマジマジと見てギョっとした様子で仲間の腕を引っ張っている。

「バ、バカ!コイツ、半間修二だ!」
「…あ?半間…?」
「間違いねえよ…前に見かけたことあるし、その手のタトゥーは忘れねえ…」
「言われてみれば…黒金2トンに…手の甲の"罪"と"罰"…」

そこで気づいたのか、男達は一瞬ひるんだように見えた。まあ、新宿で飯を食ってる組のもんなら、オレのことは話くらい聞いたことがあるはずだ。

「オマエら、オレの先輩のビルに勝手に入り込んでただで済むとは思ってねぇよなぁ?」
「オ、オレ達はその女に用があるだけだ!」
「…だとさ。オマエ、アイツらに何したわけ」
「……別に。仕事しただけよ。裏切ったのはアイツらの方」
「仕事…?」

女だてらに反社のヤツ相手に仕事とは穏やかな話じゃない。でも多少の興味が沸いた。さすが稀咲だ。面白い"駒"を見つけやがる。

「オマエ、何の仕事してんだよ」
「……何だっていいでしょ」
「へぇ、そういう態度…?」

この女が何故ヤクザに追われることになったのか訊いてみたいが、目の前の男達がそれをさせてくれそうにない。

「…その女を渡してくれさえすれば、オマエの先輩のビルは今すぐ出て行く。これでどうだ?」
「ふーん…まあ…オレにこれ以上迷惑かけねぇってんなら――」

と言って女の腕を掴む。ついでにかけていたサングラスを奪うと、女はギョっとしたようにオレを睨んだ。

「ちょ、離してよ!」
「――助けてやってもいーけど?」
「……え?」

腕を引き寄せ、顔を近づけてそう言えば、女の色素の薄いグリーンの虹彩が驚きの表情を浮かべた。

「な、お、おい!半間、裏切る気か、てめぇ!」
「ばはっ!裏切るも何も、おたくらとオレ、何の関係もねーじゃん」
「その女だってオマエと関係ねぇだろ?!」
「いや、彼女はこのビルに入ってる店の…お客様、だよなぁ?」

そう言って女を見下ろせば、ポカンとした顔をしている。まあ、説明すんのも面倒だと、ひとまず女を後ろへ押しやった。

「ちょ、ちょっと…半間…修二…だっけ?!余計なことしないで――」
「あ?何だよ、うっせぇな…オマエの後始末してやるっつってんだろ。感謝しろよ」
「何でわたしがアンタに感謝しなきゃならないわけ?頼んでないし!」

どうやらこれが女の素顔らしい。その場の状況に応じて色々演じてるらしいが、今回はヘマしてこうなったんだろうな、と苦笑が洩れる。とりあえずさっき逃げられそうになった男を気絶させてくれた礼と、稀咲の大事な"駒"になる女に手を貸してやることに決めた。

「どうした?かかってこいよ。浅間組のメンツがあんだろ?」
「…くっ…」
「ど…どうする?」

男達はオレひとりに対して明らかに怯んでいる。まあ、この界隈でオレに関わった連中がどうなったかくらいは、当然コイツらも知ってるはずだ。

「どうするも何も…半間を敵に回したら新宿にいられなくなる…。コイツは将来有望だってんでボスが可愛がってんだ」
「そ、そうだな…そりゃボスに殺される…。お、おい、女!今は見逃してやる…。だが絶対に逃がさねえからな!」

どうやら男達はあっさり諦めたようだ。そんな捨て台詞を女の方へ投げると、慌てたように店内へと戻って行く。その場に残されたオレは「アホらし…」と溜息をつき、後ろにいる女の方へ振り返った。

「行っちまったぞ」
「…はあ…」

女は強がってたように見えたが、男達がいなくなった後、その場にへたり込んで深く息を吐き出している。相当、逃げ回ったのか、彼女の足の裏は血が滲んでいた。

「オマエ…マジで何したんだよ」
「…アンタに関係ないでしょ」
「いや、少しは関係あんだろ。仮にもオマエを助けてやったんだから」

女の前にしゃがみ、顔をあげさせると、女は思い切り顔を反らした。さっきの態度とは一変、どうやら相当気が強そうだ。

「…オマエ、ハーフ?その髪も瞳の色も本物だよな」
「だったら何よ」
「いや…日本語うめえなって思っただけ」
「はあ?バカにしてんの?」

女はムっとしたようにオレの顔を睨みつけてくる。まあ、気は強いが見た目だけ言えば相当綺麗な顔立ちをしていた。とりあえず稀咲もこっちに向かってるはずだ。到着するまでの間、足の治療くらいはしてやるかと、へたり込んでる女の身体を抱きかかえる。

「ちょ、何すんの?!」
「暴れんなって。足の治療するだけだ」
「い、いいってば!下ろしてよ!」
「いてっ!暴れんなっつってんだろ~?落っことされてえ?」

そう言った途端、女はピタリと暴れるのをやめ、悔しそうに睨みつけて来る。ただ彼女の綺麗な瞳が薄っすら潤んでいることに気づいて、オレは言った通り彼女を抱えてビルの中にあるスタッフルームへと運んだ。

「ちょっと待ってろ」

ソファに座らせてから救急箱を手に戻ると、彼女はどこか居心地の悪そうな顔で座っていた。

「ほら、足出せ」
「い、いい!自分で…やるから」
「いーから。足の裏なんて自分じゃやりにくいだろ?」

ったく面倒くせぇな、と付け足せば、女はムっとしたように目を細めた。それでも多少大人しくなったところで、消毒液を足の擦り傷に吹きかけると、女は「痛っ」と顔をしかめている。相当走ったようで、所々切れて血が滲んでいるのだから、痛いのも当然だ。

「バカじゃねぇの…こんなんなるまで裸足で走るか?」
「…ヒールが邪魔だったの」
「そのヒールはどこだよ」
「途中で落とした…はあ…気に入ってたのに」

ガックリしながら溜息を吐いている女に苦笑すると「何笑ってんのよ…」と、すぐ噛みついて来る。

「いや…危ない目にあったってのにヒールのことで落ち込んでっから呑気な女と思っただけ」
「…あんな雑魚、一人でどうにか出来たし」
「ひゃは♡ 嘘つけ。オレに助け求めたクセに」
「求めてない。アンタの背中に隠れて、それ…奪おうと思っただけ」
「ソレ?」

足に絆創膏を貼り、ふと顔を上げれば、彼女はテーブルの上に置いたナイフを指さしている。まさかオレのナイフを奪って反撃するつもりだったのか?と呆れたように彼女を見れば、また顔を反らされた。まるで毛を逆立てた野良猫みたいな女だ。

「オマエ…名前は?」
「…何で応えないといけないわけ」
「一応、こうして治療もしてやってるし、さっきはチンピラ追い返してやったろ。ついでにオマエはオレの名前を知ってるけど、オレは知らねぇし不公平じゃね?」
「…何それ…不公平も公平もないでしょ。そっちが有名人なだけじゃん」

女はそう言って赤い唇を尖らせたが、ふと目を伏せながら視線を泳がせると「…」とだけ応えた。多少は悪いと思っているらしい。全然そんな風には見えねぇけど。

?いい名前じゃん」
「………変な人だね、半間修二って」
「何でフルネームだよ。って、ほら、これでマシになったろ。とりあえずコレ履いてろ」

最後の絆創膏を貼った後、スタッフの誰かが置いて行ったサンダルを渡した。

「何、これ…ダサい」
「ダセーけど裸足じゃ困るだろ」
「…はあ…最悪…」

は心底嫌そうな顔をしながらも、そのサンダルを渋々履いている。男もんだから少しサイズが大きいのか、指がサンダルのすき間から出て赤いペディキュアがやけに目立っていた。

「…何で…」
「あ?」
「助けたわけ?」
「何で…。まあ…オマエがドアぶつけて気絶させた男、先輩の店で迷惑行為したヤツでさ。一瞬逃げられそうんなったとこにオマエが来たから、まあその礼だよ」
「…男?ああ…鼻血出してぶっ倒れてたヤツか…」
「オマエ、相当力入れてドア開けたろ」

あの時の光景を思い出し、オレは軽く吹き出した。その時、と一瞬、目が合う。だがすぐに反らされた。

「新宿の半間修二って言えば…相当ヤバイって有名だけど」
「…まあ、間違ってはねぇな」
「ケンカっぱやくて、手口もえげつないって聞いた」
「ひゃはは…っ。ひでぇ言われよう。ま、あながち間違ってはねぇけど」

苦笑交じりで応えると、はふと笑みを浮かべた。初めてオレに自然な笑顔を見せた気がする。

「え、今笑うとこ?」
「だって…そんなヤバい男が私の足に絆創膏貼ってくれるんだもん。思い出したらジワってきちゃって」

思わず目が細くなった。度胸があるのか、単にバカなのか。どこまでも変わった女だ。でもおもしれえと思った。ヤクザ相手に派手に踊る女。稀咲の"駒"じゃなくても興味が湧く。

「…で、何の仕事してるのかはまだ言いたくねえのかよ」

そう言った途端、スタッフルームのドアが開いて稀咲が顔を出した。

「おー稀咲、早かったじゃん」
「途中で電話切りやがって…」

そう言えば手に持ってんの邪魔だからとポケットに突っ込んだことを思い出す。は稀咲を見て驚いた顔をしていたが、稀咲が嘘臭い笑みを浮かべて「初めまして」と微笑んだ。

「君、さっき追いかけられてただろ」
「え…?アンタ、誰…?」
「オレは稀咲。稀咲鉄太。宜しく」
「稀咲…くん…?」
「鉄太でいいよ。コイツは半間修二。ああ、もう挨拶は済んだ?」
「うん…まあ」

愛想のいい稀咲を見て、も多少は和んだようだ。稀咲は人の心を掴むのがうまい。どういった経緯で稀咲がという女のことを知ったのかは後で聞くとして、今は稀咲の見せるサーカスのようなカラフルな景色を楽しむことにしよう。