2005年、秋――。


稀咲の駒になりそうな女と知り合った次の日、オレはこの前知り合った女とデートの約束をしていた。すっかり日も暮れ、この街はこれから騒がしくなってくる時間だ。

(そろそろ稀咲もあのカフェに行ってる頃か…)

の返事を聞く為、今日も彼女を新宿に呼び出している稀咲は「一人で行く」と言い出し、オレはお役御免となった。まあコッチもデートが今日になったからラッキーって思ったりもしたが、あの女のことは興味あるから本音を言えば一緒に行きたかった。

――二人の方が話しやすい。

稀咲にそう言われた時は一瞬、を口説く気か?とも思ったものの。稀咲は女にまるで興味がなさそうだから、それはないかと自分の単純な思考を打ち消した。アイツとつるんで半年以上は過ぎたが、女よりも、稀咲は上に行く為の準備に余念がない。最初に愛美愛主を利用して東卍にぶつけ、稀咲は東卍の隊長という座に納まることに成功。その後は自ら作った芭流覇羅をオレに預け、また東卍にぶつけた。この前のハロウィンでは死者が出るほどの事件にまで発展した抗争は、全て稀咲が画を描いたものだ。何もかも稀咲の思い通りに動き、結果オレをも東卍に引きこむことに成功したのだから、やっぱりアイツは面白いと思う。

遂に東卍内部から侵食していく計画が動き出した。でもその矢先、稀咲はという存在を知った。聞けばつぶれかかっていた黒龍を今の武闘派チームに変えた男がトップにいるという。でもその裏にいたのは、金になる情報を持ち、チームの資金を稼いでいた、そして九井一という男だった。夕べ稀咲と彼女の話を聞きながら、内心ワクワクが止まらなかった。稀咲の知力と、や九井という男が生み出す財力。これが揃えばデカい組織を作るのも夢じゃなくなる。

(ま…を落とすのは稀咲に任せて…オレはその間のんびり待たせてもらうとするか…。とりあえず今夜は何もかも忘れて女と愉しむに尽きる)

いつもいつも人相の悪い男を相手にするんじゃなく、たまには綺麗な女とのんびりデートを楽しみたい夜もある。
そのデート相手からケータイに"もう着いてる"とメールが入っていた。

「まだ約束の時間まで10分はあるんだけど…せっかちじゃね?」

苦笑しながらも"今向かってる"とだけ返信しておく。今夜の相手はオレの先輩のバーに通って来ていた20歳の風俗嬢だ。この前そのバーで酔っ払いに絡まれてるとこを助けたらお礼がしたいと言われ、連絡先を交換した。彼女はオレが未成年ということさえ知らない。多分、自分と同じ歳くらいだと思ってるだろう。ただデートをするだけの女ならそれで十分だ。そこそこいい女で、男慣れしてる感じが後腐れなさそうで気に入った。

「半間さん、お疲れ様です」
「お~」

この街を歩いてると、顔見知りのヤツから知らないヤツまで、あれこれ声をかけられるのも日常茶飯事だ。

「スーツってことは今日、デートっスか?」
「まーなー」
「羨ましいっす!」

と声をかけて来たのはどっかのクラブのボーイだ。稀咲と知り合う前、たまに厄介な客が来た時に用心棒的なことをよく頼まれていた。バイト代もくれる気のいい男だ。ひたすら羨ましいを連呼する男に笑いながら手を振り、待ち合わせの店まで来ると中を覗いた。彼女は店の窓際の席に座っていて、オレを見ると笑顔で手を振って来る。オレも手を振り返して中へと入った。こういうまどろっこしい普通のデートもたまには新鮮だ。

「待った?」

と彼女の向かいに座ると、店員にコーヒーを注文する。まずはここで食事に行く店を決める約束だった。

「ううん。私が早く着いちゃっただけ。楽しみにしてたから」

そう言って含みのある笑みを浮かべる彼女は、肩を大胆に出している大人っぽい黒のワンピースを着ていた。長い髪を胸元へ垂らし、真っ赤な口紅が彼女の色気を引き立たせている。

「へぇ、この前とまた雰囲気が違う」
「半間くんとデートだから気合い入れちゃった。変?」
「いや、綺麗―――」

と言いかけた瞬間、誰かがオレの隣に座った。

「うん、変」
「―――ッ?!」

目の前の女が驚愕したような顔をしたのが視界に入ったが、オレの視線は隣でニッコリ微笑んで足を組んでいるに釘付けになった。ワインレッドの皮ジャンに短い黒のフリンジワンピースを着たは、足元のハイヒールをぷらぷらと揺らしている。

「は?何でオマエがここに…」
「っていうかぁ、どっかのクラブのお姉さんって感じ?メイクも濃いし、肩出しすぎ。やる気満々って感じでぜーんぜんイケてない。修二に似合わない」
「は…半間くん…この子…誰?」
「ああ…コイツは別に――」
「あ、わたし?わたしは修二の夕べのデート相手♡」
「え?」
「おま…っ嘘つくな」

ペラペラと嘘を並べ立てるに、オレの脳みそが追いつかない。ってか何でコイツがここにいる?稀咲と会ってるはずだろ。

「何よ。夕べは情熱的にわたしを抱き上げてくれたじゃない。忘れちゃったの?」

は猫なで声を出しながらオレの腕にしなだれかかってきて。それを見たデートの相手は見る見るうちに目が吊り上がっていくのが分かった。

「半間くんって、あちこちに手を出してるのね」
「いや、出してねえけど」
「お邪魔のようだから帰るわ」

女は怒ったように立ち上がると、そのまま店を出て行ってしまった。それを唖然とした顔で見送っているオレの隣で、は「あ、すみませーん。カフェラテお願いしまーす」と勝手に注文している。

、テメェ、どういうつもりだよ」
「何がー?ホントのこと言っただけでしょ」
「はあ?どこが」
「え、わたしのこと抱き上げたじゃない」
「…あれは…ケガしたオマエを運ぶのに――」

と言い返そうと思ったが、周りが興味津々でオレ達の会話に聞き耳を立ててることに気づいた。そりゃ、今の揉め事は傍から見たらオレが他の女と浮気して彼女に逃げられた男に見えるだろう。

「だりぃ~…オマエ、ちょっと来い」
「え?ちょ、まだカフェラテきてないってば!」
「んなもん飲ませるはずねぇだろ?いーから来いって…」

無理やり腕を引っ張ってレジで会計を済ませる。飲んでもないのにカフェラテの分までちゃっかり入ってるとこが妙にイラっとした。金の問題じゃなく、夕べ会ったばかりのこの女がやけに存在感を放ってる気がしたからだ。

「痛…痛いってばっ」

何とか外まで連れ出すと、は思い切りオレの腕を振り払った。

「何よ。さっきの女、本気だったわけ?ただのセフレなんじゃないの?」
「あ?そーいう問題じゃねぇじゃん…ってかどういうつもりだよ?オレに何か恨みでもあんの」
「恨みなんかないってば。見かけたからちょっと邪魔してやろうかな~って思っただけで…まさか本気にして帰っちゃうとは思わなかったし」
「フツーあんなこと言ったら誤解すんだろ」

プイっと顔を反らすに溜息が洩れた。別にさっきの女とどうしてもデートしたかったとか、ヤリたかったとかじゃねぇけど、何の関係もないコイツに引っ掻き回されんのもだりぃ。

「分かったよ…。なら責任取る。どうすればいい?さっきの女の誤解を解いて連れて来たらいい?」
「あ?いらねえよ」
「ならわたしを気が済むまで殴る?得意でしょ?そういうの」
「女、殴る趣味ねぇんだわ…つーか、稀咲どーしたよ」
「ああ、稀咲くんとはもう会って話してきたの」

は意味深な笑みを浮かべてオレを見上げると、

「じゃあ…もう会わないと思うけどお元気で」
「……は?」

はそう言って歩きかけたが、ふと足を止めるとオレのところまで戻って来た。そして胸元に見覚えのある袋を押しつけて来る。

「あ?何だよ…」
「ほんとは…昨日のお礼にコレ、渡そうと思っただけなの」
「は?」
「じゃあ…バイバイ。半間修二くん」

は笑顔でオレを見上げると、踵を翻して歩いて行く。一瞬呆気に取られたが、ふと押し付けられた袋を見れば、それはオレが好んで付けてるブランドの香水だった。何でがオレの付けてる香水なんて知ってるんだと思ったが、夕べ抱き上げた時に気づいたのかもしれないと思った。袋の中にメッセージカードが入っていて、それには"助けてくれてありがとう。"と手書きで書かれている。そんなことをするような女には見えなかったから余計に驚いてが歩いて行った方へ振り返った。すでに姿は見えないが、オレは自然と後を追うように走り出していた。

(クソ…何なんだ、アイツ…生意気でとんでもねえ女かと思えば、こんなしおらしい真似しやがって…)

途中、分かれ道でどっちへ行ったんだと見渡してみる。こんなにゴチャゴチャ人がいると見つけるのにも一苦労だ。

(つーか、もう会わないってどういうことだ?稀咲が取り込むのに失敗したのか…?これまでヘマしたことねえのに…)

その時、見覚えのある顔が視界に入った。ソイツは数人の男を引き連れてどこかへ走って行く。

(あれは…昨日の浅間組の…?)

頬に傷があった男だ。間違いない。
何であんなに慌てて走って行った――?
嫌な予感がした。昨日の様子じゃまだを捕まえることを諦めたわけじゃない感じだった。なら今夜もがこの街をウロついてないかと探してたとしても不思議じゃない。

「…アイツ…見つかったんじゃねぇの…?」

がどこに住んでんのかは知らねーけど、昨日の今日で新宿の繁華街に来るのは危険なはずだ。

「…チッ。だりぃ…」

気づけば浅間組の男を追っていた。放っておいたって別に構わない。友達でも恋人でも仲間でもない女だ。
せっかくのデートもぶち壊された。あの様子じゃ稀咲の誘いを断ったはずだし助ける義理なんて何ひとつない。だけど、勝手に足が動いていた。

「はあ…何でオレが…」

人混みをすり抜けながら必死に走ってる自分に心底呆れた。こんなに思い切り走ったのはいつ以来だ?途中で「半間さん?!どうしたんすか?!」と知り合いから声をかけられた。

「浅間組のヤツ、見なかったか?!頬に傷のある男だ。派手な柄シャツ着てたはずだ」
「ああ…さっき数人で誰か追いかけてったヤツかな…。何か派手な女の子を追いかけてたっぽいけど」
「それだ!どっち行った?!」
「え?あ、あっちっス!」
「さんきゅ~!」

礼を言ってソイツが指さした方へすぐに走った。

「あんのバカ…やっぱ見つかってんじゃねぇか!」

心底呆れながら、何であの女の為にこんな必死に走らなきゃならないんだとさえ思う。けどアイツが捕まったらどうなるのか、この世界にいれば嫌でも想像がつく。昨日会ったばかりのムカつく女だとしても、それを知ってて見て見ぬフリをしてしまったら…絶対この後飲む酒がマズくなる。そう、それだけだ。

「今度はどっちだ…?」

繁華街から外れた脇道、右か左か――。
その時、脇道から歩いて来たカップルの会話が聞こえて来た。

「ねぇ、通報した方が良くない?」
「そうだなー」

そう言いながらケータイを出している。オレは二人の方へ走って行った。

「ちょっといい?金髪の女、探してんだけど見かけなかった?」
「え?あ、その子なら何か怖い連中にアッチの廃ビルに連れてかれてたけど…何かヤバそうだったから通報しようかと思って――」
「廃ビル…あそこか。助かった!ああ、通報はオレがしとくから」
「あ、そうですか…?じゃあお願いします」

男の方が明らかにホっとしたような顔をした。出来ればヤバイことに関わりたくないと言った顔だ。でもそれはそれでコッチにも好都合だ。警察に介入されればもヤバいかもしれない。

「アイツ…どんだけ手がかかるんだよ…だり~」

急いで目星のつけた廃ビルをまで走って行く。新宿のことなら何がどこにあるか、ほぼ把握していた。この辺りでアイツらが女を連れ込めるような廃ビルと言えば、あのビルしかない。

別にいい人ぶるわけじゃない。この新宿で死神と呼ばれているオレはヒーローでも何でもなく。言ってみればヤクザのアイツらと同じアングラの人間だ。
けど、知り合って言葉を交わしただけの女でも、オレに関わった人間を他人に傷つけられるのは、やっぱり許せなかった。