2005年、初冬――。


『…こちら現場からです。遺体が上がったのは東京湾沖で、船釣りの最中にそれを発見した客から"人のようなものが何体も浮いている"と通報があり――。なお、発見された6体の遺体は死後一週間ほどで損傷が激しかったものの、暴行された痕跡もあることから何らかの事件に巻き込まれたものとみて警視庁が捜査に――』


修二から電話がかかって来たあの夜から一週間後、そんなニュースが世間を騒がせた。東京湾で人目を避けて沈めるのは難しいので遺体は横浜方面から流れ着いたのではないか、と犯罪専門のコメンテーターが話しているのを聞いて、彼の件とは別の遺体かとも思ったけど、あのチンピラ達をどこの海へ沈めたのかなんてわたしに分かるはずもなく。後日、遺体が暴力団関係者だと分かったことで、敵対していた組織が関与しているのではないか、という追加情報を最後に、その事件のニュースは見かけなくなった。
暴力団組員の6人の遺体が見つかったというなら、やはりあの夜に沈められた奴らなんだろうことはわたしにも分かったけれど。それが分かったところで何を感じるでもなく、ただ他の人はまだ発見すらされてないんだな、としか思わなかった。例え遺体が見つかったところで、アイツは証拠など一切残してないだろう。

その後も時々ニュースを検索しては追加情報をチェックしていたけど、犯人どころか容疑者さえ見つからず、いつの間にかその事件のことは世間も忘れ去って行った。反社の人間が絡んだ殺人事件では、警察も真剣に捜査を続けるという意識にかけるのか、警視庁のホームページには情報を求める内容を載せただけで、それ以上真新しいことは何も出てこないことから、未解決事件としてそのうち風化して行くんだろうなと思う。

あれ以来、修二から電話はかかって来ない。借りた服は念の為、一ヶ月待ってからひとりで新宿の彼のマンションへ返しに行ってきた。宅配ボックスに服を入れ、"ありがとう"と書いたメモを一枚残した。名前は入れてない。服を見れば彼も分かるだろう。
そして――事件からちょうど二か月が過ぎた12月半ばには、わたしも新宿での事件のことはすっかり忘れ去っていた。



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「――え、若が黒龍に入る?」

久しぶりにココが泊った夜、抱き合った後のベッドの中で、その話を聞いた時は少しだけ驚いた。クソボスが何度黒龍に誘っても若は頑なに拒否していたからだ。
若とは黒龍のクソボス、柴太寿しばたいじゅの弟で柴八戒はっかい。ウチのチームではクソボスの弟のことを"若"と呼んでいる。
この若は何故か兄のいる黒龍ではなく、昔知り合った三ツ谷隆という男のいる渋谷の東京卍會という若いチームに入ったのは知っている。
東卍――その名前を聞いて、一瞬修二の顏が脳裏をよぎった。
若は実の兄よりも三ツ谷を慕っているようだったし、黒龍入りはしないだろうと勝手に思っていたけど何があったんだろう。
その答えはココが知っていた。

「実は今日、ボスんちの前で若にバッタリ会って――」

わたしに腕枕をしながら、ココは苦笑交じりで話しだした内容は、若が東卍の仲間を家に連れて来たことが発端だったらしい。その東卍の仲間の名前は花垣武道。壱番隊の隊長ということで、黒龍のシマに東卍がノコノコ現れたことにキレたココとイヌピーが牽制していたら、そこへクソボスがご帰宅。自分の家の前で仲間に囲まれた見慣れない顔がいることに気づいたクソボスは、相手が何者かも知らずにいきなり花垣という男にラリアットをかましたらしい。脳筋ボスらしいやり口だ、とちょっと笑ってしまった。黒龍のシマに東卍が入り込んだことで、クソボスは若にその男を「殴り殺せ」と命令したようだけど、当然のように若はその命令を拒んだ。ところがクソボスは弟の尻ぬぐいをしてやると、花垣という男を殺す勢いで殴り続け、結果…若が仲間の花垣を助ける為に黒龍へ入ると言い出したようだ。

「へぇ…じゃあクソボス喜んだんじゃない?」
「まあ、あの人は"家族は一緒にいるもんだ"って考えの人だしな…」
「何が家族よ。サンドバックの間違いでしょ。若や柚葉を暴力で支配してるクセに…」
「オマエ、ほんと嫌いだよな、ボスのこと」
「……女相手に暴力を振るう奴が嫌いなだけ。…パパみたいにね」

わたしの言葉に、ココは何も応えなかった。わたしの父親がどういう男だったか、ココには前に話してある。
力や金のある権力者というものは、周りが自分に従うのは当たり前だと思っている。だから言うことを聞かなければ力で従わせようとする。パパも家ではそんな一面を持っていた。

わたしがまだ幼い頃、命令に背いた時は容赦なく叩かれたし、酷い時は骨折するほど蹴とばされたこともある。女癖が悪く、家では子供のわたしを殴るあの男の醜い顔は今もハッキリ覚えている。本人は躾のつもりだったらしく、言うことを聞いておけば次第に暴力は収まってきたものの、最後は浮気が原因で離婚。ちゃっかりした性格のママは莫大な慰謝料を払わせ、毎月のわたしの養育費まで支払うことを了承させたのはある意味尊敬する。パパもアメリカでは有名人なので、あまりゴネて評判を落としたくなかったんだろうと、ママの弁護士が勝ち誇ったように言っていた。おかげで日本でも贅沢な暮らしは出来ているけど、その代わりにママの娘への愛情は金と一緒に他へ支払われたようだ。

お金があれば幸せだと思い込んでいるママは、きっと自分がいい母親だと思っているんだろう。実際、パパから奪った慰謝料を元手にして投資家になったママもまた、お金を稼いでいる部類に入るし、お金の面ではわたしに苦労をさせていないという自負もあるようだった。けど、わたしはお金を稼ぐ母親よりも、傍にいて寄り添ってくれる普通の母親でいて欲しいとベタなことを思っていたこともある。

そんな気持ちはとっくの昔に朽ち果てたし、そういう面では理由は違えど、わたしはココと同じく"お金が嫌い"だ。嫌いな金を稼いでは、また金づるを見つけて稼いでいく。わたし達のやってることは最高に矛盾している。でも今はそれが自分達の存在理由になっているような気がしていた。赤音はもういないのに、ココはお金を稼ぐことが自分の存在する理由なのだと思っていて、わたしはそんなココに必要とされたいから手を貸してる。お互いに報われない想いを抱えてる点では、似た者同士だと思う。

「…ココ」
「ん?まだやりてぇの?」

甘えるようにしがみつけば、ココは苦笑交じりに身体を起こしてわたしの顔を覗き込む。本当は抱きしめて欲しいだけなのに、そんな気持ちを誤魔化しながら「…もっかいして」と、いつもの嘘を唇から吐き出した。
ココがわたしに覆いかぶさると同時に、互いの身体を隠していたデュぺが床に落ちる音がした。薄暗い中で薄っすらと見える引き締まった身体に手を伸ばして、男にしては少し細い背中へ腕を回すと、首筋にココの唇を感じて目を瞑る。

ココと初めて関係を持ったのは赤音さんが亡くなった日の夜で、お互いそういう行為をするのは初めてだった。わたしの家に来たココは、わたしに彼女が死んだことを告げて泣いていた。わたしも泣きながら何か慰めるようなことも言ったかもしれない。ショックが大きすぎて何を言ったのか覚えていないけど、無性に孤独を感じたのは覚えてる。
大好きだった赤音さんに置いて行かれたような気持ちになったのかもしれない。ココはお金が間に合わなかったことを酷く悔いていて、そんなボロボロのココを、わたしは抱きしめることしか出来なかった。
ただの幼馴染で、赤音さんの為にお金を溜めることを誓った仲間で、わたし達の間には男女の愛情なんてなかったはずなのに――。

ココにこの想いを告げたことはない。二人が選んだ関係は、やっぱり愚かだと思ったから。抱き合っている時でさえ、わたし達の間に好きだとか、愛してるなんて言葉は存在しなくて。わたしとココはキスも交わしたことはない。ただ、互いに寂しさを混ぜ合って吐き出す為だけに、身体を重ねる。

「…ん、ココ…」

ココに貫かれる瞬間、無意識にキスをして欲しくて手を伸ばしてしまう。でもすぐに冷静になって、その手をココの肩へ置く。ココからもしてはこない。
ココが赤音さんに告白をした日、居眠りをしていた彼女にキスをしそうになったと前に話してくれた。それが彼女との最後の思い出になったから、キスは出来ないけど、と言われたことがある。
――ちゅーは好きな人とだよ。
そう言われたんだと寂しそうな顔をしてた。ココの時間は、今もあの日で止まってる。
嫌とは言えない腕の中で、我慢の果てに、今日も夜が明ける――。



「まさかこんなにいいチャンスが来るとは思わなかったな」

東卍の隊長格だけで行った集会後、稀咲はニヤリと笑みを浮かべながら言った。確かにあの花垣がキッカケを作ってくれるとは思わなかったが、これで稀咲の計画が動き出す。

「で、どーすんの」
「まずは花垣の動きを見て決める。どうせアイツらマイキーに禁じられたからって黙って見てるタマじゃねえだろ」
「ひゃは♡ ゾクゾクしてきたわ~」

稀咲が花垣を上手く使って黒龍をどう解散に追い込むか、それを考えただけでワクワクしてくる。そして黒龍がなくなればや九井という男を東卍に引き込めるはずだ。よりどころのチームがなくなれば、断る理由はなくなるだろうし、は元々柴太寿から離れたがっていたのだから、九井が動けば彼女もついてくるはずだ。

「んで?半間は彼女と連絡取りあってんのか」
「いや、まだ。そろそろデートに誘おうかと思ってたとこ」

会ったばかりの頃、デートに誘ったら「いいよ」と言ってたのを思い出す。一度、様子見で連絡してみるのもいいかもしれない。

「あまりがっついて彼女が嫌がるようなことだけはするなよ?今後、いい関係を築かないといけない相手だ」
「分かってるよ。がっつくほど女に飢えてねえよ、オレも」
「フン。ならいい」

稀咲は鼻で笑うと「一度家に帰って計画立てるぞ」と先を歩いて行く。さて、今度は誰を駒にして遊ぶ気だろう。花垣、松野、もっと役者は多い方が面白い。稀咲が画を描けば、どんなへぼいシナリオも面白おかしく彩られるのだから、楽しみで仕方ない。こんな風にワクワクさせてくれるのは、今のところコイツだけだ。

「稀咲~。やっぱオマエ、最高だわ♡」