人生とは分からないものだな、と思った。あれだけ暴虐武人で、あれほど強かったクソボスが殺されるなんて、チームの誰もが思っていなかったに違いない。
2005年12月25日の聖夜――。
黒龍の10代目総長、柴太寿は、最愛の弟、柴八戒に刺殺され、黒龍はあっけない幕切れとなった――。

――そして2006年・元旦。

「…はあ?黒龍は残したまま東卍に下る?!」

ウチにココと青宗を呼んで新年会をしていた時、その話を聞かされて心底驚いた。去年ココと青宗がクリスマス前に何やらコソコソ動いてるなとは思っていたけど、わたしは留年しそうだったこともあり少しの間、真面目に学校へ行っていた。夜は夜で情報集めの為にアメリカで少し習っていたハッキングの勉強をしていたからチームに起きていたことに無関心だったのもある。

「な、どうしたの?二人とも…青宗は黒龍にあんなに拘ってたのに」
「いや…ボスの件があってオレもちょっと考えた。まで巻き込んだのにごめんな…」

青宗が申し訳なさそうに頭を掻いて謝って来るから、わたしもそれ以上何も言えなくなった。それにわたしとしては青宗ほど黒龍に拘ってたわけでもない。

「ココは…それでいいの…?」
「オレ?オレはイヌピーについてくだけだし、もだろ?」
「そ、そりゃ…そうなんだけど…。え、ってことはわたしも東卍に入るってこと?」
「まあ…そうなるな。マイキーにはすでに話してあるし」

ビールを呷りながら、ココが笑っている。なんて呑気なんだと呆れたけど、マイキーと聞いて興味が沸いた。それに東卍には修二と稀咲くんもいる。

(にしても――修二のヤツ!年末に会った時にはそんなこと一言も言ってなかったクセに…!)

あのヘラヘラした顔を思い出して内心舌打ちをする。例の浅間組の件からしばらく経った頃、彼から電話があった。あの調子で「デートしようぜ」と言って来たから、その後のことも気になったし、二人で会うことにしたのだ。適当に新宿をブラついて、最終的にはアイツの先輩の店――修二と最初にあったビル――で飲むことになった。一瞬、薬でも盛られるんじゃ、なんて変な心配をしたけど、修二もその辺は紳士だった。わたしを助けてくれた時も無理やり女をどうこうする男じゃないというのは感じていたし、実際修二は何もしてこなかった。浅間組の件も自分の独断で親しくしてる風間組へ情報を流したと話していた。

――だからオマエは何も気にすんな。アイツらのことは忘れろ。

もう一度その言葉を言われた時、今度こそ心から安心することが出来た。ただ修二はあの時にはすでに黒龍の件に絡んでいたことになる。でもわたしが何も知らなそうなのを見て、敢えて黙ってたってとこか。アイツ、今度会ったら文句言ってやる。

(ただ…そうなると結果的に稀咲くんが望んだ通りになったってわけか…)

最初に会った時、稀咲くんに東卍に入らないかと誘われたのを思い出し、苦笑が洩れる。あの時は稀咲くんにクソボスがいなくなれば、とダメ元で話はしたけど――まさかね。稀咲くんがボスを殺したわけじゃないんだから。

ココと青宗には未だにその話はしていない。あの時はクソボスのことや青宗のことがあって、抜けるのは無理だからと断ったけど、あのボスが若に殺されて、若も殺人罪で逮捕。実質黒龍は宙ぶらりんのままになっていた。そんな時にまさかココと青宗から東卍に下ると言い出すとは思わなかった。何がどうなってそういう流れになったのか。今更ながらに気になってきた。

「ねえ…どうして東卍に入る流れになったの…?」
「ん?あ~。去年のクリスマス前に東卍の稀咲って奴と知り合ってさ」
「…えっ?」

いきなりその名前が出て驚いた。東卍の壱番隊隊長、花垣という男をボスがボコった後で、花垣を助ける為に若は東卍から黒龍に入った。そこまではわたしも知ってる。だけどボスは約束を破り、東卍を潰そうとしてたようだ。若が黒龍に入れば見逃すと約束したクセに、平気でそれを破るのは何ともクソボスらしいやり口だ。でもそこでボスやココ達に和解を持ちかけて来たのが東卍の参番隊隊長、稀咲くんだったらしい。

――マイキーはこの件に関与してない。する気もない。八戒が黒龍に入ると決めたなら仕方ないと思ってる。だからこれ以上、黒龍とモメる気はない。

そう言われて「はいそうですか」と引きさがるボスじゃない。何度か稀咲くんと話し合いをしてたようだ。でもその矢先、約束を破られたことを知った若がボスを殺すという暴挙に出たのだ。あのボスにだけヘタレな若が一人でボスを殺したなんて、未だに信じられないけど、もしかしたら姉の柚葉もかんでるんじゃないかとは密かに思っている。
最初はココもボスと稀咲くんの話し合いに立ち合いながら様子を見てたようだけど、ボスが死んで結局、稀咲くんに誘われるまま東卍に下った方が自分達に有利だと考えたみたいだった。わたしも稀咲くんに誘われた時は面白そうと思ったから、ココの判断は理解できる。

「あの男、油断できねえけど面白い。オレとの生み出す金が必要だってハッキリ言って来た。その代わり、オレ達の地位は保証するって大口叩きやがったしな。年下ながら大した奴だよ。アイツが言うと東卍を日本最大の組織にするってのも案外いけそうな気がするから不思議だわ」

ココは楽しげにその時のことを話している。でも稀咲くんならそれくらい言いそうだ。そしてそれが本気だからある意味凄い。

は前に会ってるんだったな」
「うん、まあ。助けてもらったって話したでしょ」
「そん時に東卍に誘われたけど断ったんだって?」
「……う…」

バレてたのか、と顔が引きつった。ココは意地悪そうな顔でわたしを見ると「何で黙ってたんだよ」と苦笑いを浮かべた。青宗に限っては半分呆れ顔だ。まさかここに来て去年のことがバレるとは思わない。

「ごめん…。どうせ無理だと思ってすぐ断ったから言う必要もないかと思って」
「いや、そんな話があったことくらいは言えよ。ったく…」

ココも少し呆れ気味だったものの「あーそう言えば」と思い出したように言った。

「半間修二にも会ったぞ」
「…あ、そう」
「お礼言っといた」
「えっ?」

何で?と驚きながらココを見ると、彼は「当たり前だろ」とわたしの額を小突く。

「オマエを助けてくれたんだろ?」
「あ…うん、まあ…」
「ったくオレの知らない間にそんな危ない目に合ってたなんて…言えよ、水臭い」

青宗もちょっと怒ったようにわたしの額を小突く。心配させてしまったんだなと申し訳なく思った。

は何でも一人で解決しようとするとこあるからな。それはオマエのいいとこでもあるけど、そういう状況になってたなら話は別だ。今度からは何でもオレやココに相談しろよ」
「…うん。ありがとう」
「ん」

わたしが頷くと、青宗はやっと笑顔を見せて頭をぐりぐりと撫でてくれる。初めて会った頃のように、青宗もまた、未だにわたしのナイト的な存在だ。

「でも今度から東卍か…。まあ…わたしは二人が行くとこについてくだけだし…やることは変わらないか」
「そういうこと。ああ、だから次の集会の時はも来いよ。マイキーやドラケンと顔合わせしないとな」
「集会か…何か緊張する…マイキーの下につくなんて」
「ああ、でもオレら黒龍は参番隊の隊長の下につくから、直接の上司は稀咲だぞ」
「…え?そうなんだ」

勝手知ったるは何とやらでウチの冷蔵庫から次のビールを取り出しながら、ココが笑った。驚いて青宗を見れば「まあ、オレがマイキーにそう頼んだ」と頷く。青宗はココと違ってこういう冗談は言わない人だから、真剣な顔を見ればそれが事実なのが分かる。

「まあ稀咲に誘われたからな。その辺の話は稀咲に任せてある」
「そっか…分かった」

ならわたしは黙って二人について行くだけだ。黒龍だろうと東卍だろうと、わたしがすべきことは変わらない。
好きな人に必要とされるなら、どんなことでも頑張れるから。それだけが――わたしの唯一の存在価値だ。

「ま、つく相手が誰でもやることは変わらないもんね」
「そーいうことだ」

ココは笑いながらわたしの缶ビールに自分のをコツンと当てて笑った。

総長の佐野万次郎の心を掴み、手なづけ、利用した先に、日本を裏から支配する東京卍會という名の巨大組織が誕生することを、この時のわたし達はまだ知らない。



目の前に座った男は、少しオドオドした様子で店内を見渡した。後ろにはずらりと黒服の男達や側近の一人、山岸が立っている。左眉に派手な傷のあるこの男は、彼の中学校時代からの友達でもあるらしい。疑り深い男で、わたしに会うだけなのに部下を大勢連れて来たのは多分、この山岸の案だろう。わたしが何か仕掛けるとでも思ってるのかもしれない。内心吹き出しそうになりながら、わたしは注がれたワインをゆっくりと口へ流し込んだ。
この店はわたしが仕切っているワインバーだ。そこへご招待したのは東京卍會最高幹部の花垣武道。何だかんだ言いつつも十代の頃からの知り合いだから、付き合いもだいぶ長くなったなと思う。

「どう?美味しい?このワイン、最近のお気に入りなの」
「え?あ、ああ…美味いよ。さすが。あの潰れそうだった店をこんな素敵にするなんてな」
「ありがとう。改装とか家具や食器、全部に拘って造り変えたんだ」

言いながらグラスを手に花垣の隣に腰を下ろすと、途端に鼻の下を伸ばしてニヤケ顔になる。相変わらず女には弱いようだ。初めて会った頃には真面目そうな彼女がいたと記憶してるけど、あの子はどうしたんだっけ。

「話をするだけなのにそこまでくっつく必要が?」

すぐ後ろに立つ山岸が苛立った声を出す。ホントに邪魔な男だ。

「山岸、いいんだよ。は裏切らない。そうだろ?」
「当たり前じゃない――」

言いながら花垣の膝に手を置くと、すっかり舞い上がった顔をわたしに向けた。昔と随分変わったけど、相変わらず単純ではある。
知り合った頃、花垣武道は単純だけど一本気な性格だったように思う。口は達者なのにケンカは誰よりも弱く、最初は何でこの男が東卍の壱番隊を任されてるんだろうと不思議だった。後で知ったのは、この花垣が東卍の総長だった佐野万次郎の兄に似ているという話。無敵のマイキーもどうやら人の子だったようだ。亡き兄の面影を持つ花垣と知り合い、親しくなって傍へ置いた。だけど稀咲鉄太が東卍に入り、全てを狂わされたうちの一人がこの花垣だ。稀咲鉄太の手のひらで踊らされ、色と欲にまみれたせいで、あの頃の真っすぐな性格は見る影もない。人相すら変わり、今じゃ稀咲鉄太のいいなりだ。

「――協力しようって思ってるのに」
「協力?」
「そう。神力会の傘下組織"神保組"に…手こずってるんでしょ?」

花垣の顔を覗き込み、ニッコリと微笑む。だけど今度ばかりは痛いところを突いたせいか、彼は気まずそうに視線を反らした。多分、他からもせっつかれてるんだろう。花垣は落ち着かない様子でワインをぐいっと飲み干した。

「アイツらの取り引きを潰そうにも、なかなか尻尾をつかませねえ。調べても情報が二転三転して交わされる」
「それで東卍のシマなのに奴らに好き勝手されてるんだ。アイツらがデカい顔して東卍のシマを歩いてるの、タケミっちの管轄だけだよ?」
「ぐ…」

更に痛いとこを突いてしまったらしい。花垣はワインボトルを手に取ると、そのままワインを直接、口の中へ流し込んだ。もったいない。高いのに。

「オレだって…分かってんだよ、このままじゃヤバいって…オレの管轄から崩されて奴らにシマを奪われるようなことがあれば――」
「鉄っちゃんに処分デリートされちゃうね」
「……っ」

花垣の顏から一気に血の気が引いていく。稀咲鉄太がそういう男だというのを花垣は嫌というほど知っているから。

「…おい!稀咲さんに可愛がられてるからって下らねえこと言って武道を追い込んでんじゃねえぞ、コラ」

遂に見かねたのか、山岸がわたしの肩を強く掴んでくる。それを見た花垣の顏が更に青ざめた。

「やめろ、山岸――」

「おいおいおい…山岸ぃ…誰の許可を得てに触ってんだァ?」

その場にいた全員が弾かれたように振り返ると、相変わらず気だるそうに煙草を吹かしながら修二が歩いて来た。約束の時間より30分も遅刻だ。っていうか、この店禁煙だから。

「おっそーい!また遅刻!」
「わりぃわりぃ。ちょっと前の商談が長引いてさぁ」
「それはまだいいとして…煙草消して」
「はいはい…ったく、何も禁煙にしなくたっていいのにさあ」

修二は苦笑交じりで歩いて来ると、部下がサっと出した携帯灰皿に吸っていた煙草を押し付ける。そのまま普通のテンションでわたしの背後に立っていた山岸の肩をぐいっと引き寄せると、振り向かせた瞬間、修二は彼の横っ面を拳で殴りつけた。勢いよく吹っ飛んだ山岸は壁に激突し、飾ってあったヨットの模型オブジェは衝撃で倒れてガシャンと派手な音を立てた。

「あー!それフランスから取り寄せたやつなのに!」
「え?マジ…?」

思わず立ち上がると、修二が「やべ…」と殴った手を振りつつわたしの方へ歩いて来た。コイツは予兆もなしにその時の感情ですぐ手を出すからいつも驚かされる。殴られた山岸も同じなのか、唖然とした顔をしていた。

「同じの取り寄せるから怒んなって…」
「もー…っていうか急に殴るとかやめて。山岸くん大丈夫?」
「……はい」

口元の血を拭いながら、彼はフラフラと立ち上がった。納得はしていないだろうけど、幹部でもない山岸が修二に立てつけるはずもない。

「アイツがオマエに触ってたからだろ。オレ、悪くねえ」
「子供か!口を尖らすな。それに…いちいち、そんなことで殴られたんじゃたまんないから」
「だから手加減したって。――よぉ、タケミっち。元気してたぁ~?」

修二はわたしと花垣の間に無理やり座ると、その嘘臭い笑みを花垣に向けた。花垣は修二も来た時点で、ずっと顔色が悪い。

「は…半間くんも…来たんだ」
「あ?ダメだった?」
「い、いや、まさか」

花垣は顔を引きつらせながらも、慌てて首を振っている。昔から修二には苦手意識があるようだ。

「あ、オレ、ビール飲みてえ。冷たいの持ってきて」
「はいっ」

その一言で部下の一人が慌てて店のスタッフにビールを頼んでいる。ここはワインバーなのに、と思いつつ、隣に座る修二を見上げた。

「ちょっと狭いってば。向かい側に座って」
「ハァ?やだよ。つーかタケミっちと近すぎじゃね。なぁ?タケミっちもそう思うだろ」
「あ、そ、そうだな。オレがあっちに座るよ」

修二の圧に屈したように、花垣が向かい側のソファに移動する。それを満足そうに見て笑ってるんだから、修二もほんとタチが悪い。

「半間さん、ビールです」
「お~さんきゅー」

部下からグラスビールを受けとると、修二は美味しそうにそれを飲み干し「おかわり~」と頼んでいる。ほんとに昔から修二はマイペース過ぎる。

「んで?どこまで話したんだよ」
「ん?ああ…タケミっちが神保組に舐められてるねってとこまで」
「ひゃは。そうだっけな~。ヤバいじゃん、タケミっち」
「……すんません」

さっきまで伸びてた花垣の鼻も、今じゃ一気に縮んでシュンとなってしまった。でも彼を責めたいわけじゃない。手伝う為に来てもらったのだ。

「タケミっち、本気で神保組を潰す気ある?」
「え?」

身を乗り出して尋ねると、花垣は虚ろな目をわたしに向けた。すでに制裁される気分なのかもしれないけど、こんなことで心を折られても困ってしまう。

「これから日本一の組織になる東卍があんな小さい組に舐められるのはムカつくの。だからさ、一緒に潰しちゃおうよ」
「…つ…潰す…」
「そう。タケミっちみたくアイツらの取り引きを邪魔して弱体化させるなんてまどろっこしいやり方はやめて、一気に潰すの。神保組は神力会の中でも力を持つ組だから潰せばそれだけ神力会の力も弱まる。すると?」
「稀咲さんの負担が軽くなる」

代わりに修二が応えると、花垣はごくりと唾を飲み込んだ。そもそもそれだけの組を花垣に敢えて回したのは若だ。どうせ花垣が失敗しても構わないと思ってたに違いない。そうなったら鉄っちゃんに消されるのは花垣だけだ。

「…どう?わたしも手伝うし」
「え、でも何では協力してくれるんだ?」

花垣は不思議そうな顔で尋ねてきた。

「まあわたしもこの前失敗しちゃって、神力会の息のかかった会社の役員を修二が処理しちゃったの。どっちみち抗争の火種は撒いちゃったから、ならアイツらより先に動いて片腕もいじゃった方が得策でしょ」
「あ、ああ…そりゃ…そうだけど…千冬に相談してみないと…」

千冬とは花垣の右腕で側近中の側近だ。千冬は花垣よりも度胸があるし使える男だと思ってるけど、鉄っちゃんとは因縁があるようで、表向きは普通だけど地味にバチバチの関係だ。今回、鉄っちゃんは絡んでないけど、修二がいると警戒されるだろうなとは思う。

「じゃあ千冬にはわたしから話してみる」
「え…が?」
「うん。タケミっちの為になることなら千冬も分かってくれるはずだし」

わたしは黒龍出身ではあるけど、他の幹部よりは敬遠されてない。きっと千冬なら話をきいてくれるはずだ。

「おい、…あんまアイツと親しくすんなって…」
「あれ、妬いてる?」

冗談で返すと、修二は徐に目を細めて「妬くだろ、そりゃ」と口を尖らせる。捻くれてるはずが、こういう時だけやたらと素直だ。そもそもこの手の冗談は修二に通用しなかったのを忘れてた。

「ちょっと話をしてくるだけでしょ」
「…ふーん。で?オレは――」
「お留守番」
「…チッ。だりぃ」

千冬は修二がいれば本音を話してくれない。ここはわたし一人で会うことにした。

「で…千冬は今どこ?」