渋谷のキラキラしたネオンが見える一室。大きな窓から下界を眺めていると、後ろから腕が伸びてきた。

「…さん」
「ん、千冬…?くすぐったい」

下ろしていた髪を避けられ、露わになった首筋にくちびるを寄せる千冬の腕の中で、大げさに身を捩る。体を反転させて向かい合えば、すぐに降って来るくちびる。小柄なわりに力強い腕に腰を抱き寄せられて、くちびるが更に濃厚に交わった。千冬は長らくお預けされてた犬みたいに夢中でわたしのくちびるを貪ってくる。ちゅぅっと下唇を吸われてビクリと肩が跳ねた。

「ん……ダメ…」
「まだ足りない」

どうにか離したものの、千冬はおねだりするようにくちびるを寄せてくる。それが可愛くて軽くちゅっと啄むと、千冬の腕から逃げ出した。

「はあ…すぐ逃げるんだから…」

千冬は溜息交じりで項垂れると、ネクタイを指で緩めながら目の前のベッドにダイヴをして寝転がった。ここは渋谷の事務所近くにある高級ホテルのスイートルーム。昼間千冬に連絡を取ったらここを指定され、彼が来るのを待っていたところだった。

「いつ来たの?千冬。声かけてくれたらいいのに」
「かけたらさん逃げるでしょ」

千冬が苦笑交じりで上半身だけ起こすと、ベッドに両手をついて苦笑している。相変わらず千冬は真っすぐ一本気な性格だ。故に感情も表に出やすい。

「わたしに取り入っても鉄っちゃんの弱みなんか知らないってば」
「……さんこそ。手なづけたって別に知られて困るような弱み、オレにもないっスよ」
「さあ?それはどうかなぁ」

言いながらベッドに上がると、千冬の方へ這って行く。サラサラの黒髪に手を伸ばせば、千冬の肩が僅かに跳ねた。昔は色を抜いて金髪だった彼も、今はすっかり黒髪も板について来たなぁと思う。個人的には黒い髪の千冬が好きかもしれない。

「今日の商談どうだった?」
「…まあ。どうにか無事に終わりました」
「千冬がそんなに頑張ってるのにタケミっちは好き勝手し放題。そろそろ愛想も尽きたんじゃない?」
「………」

花垣の名前を出すと、千冬はいつもツラそうな顔をする。昔は背中を預けられた相棒だったはずなのに、今はどうだろう。花垣はすっかり堕ちてしまって、彼のシマを実質仕切ってるのはこの千冬だ。千冬が陰で支えてるからこそ、花垣武道は最高幹部を名乗れてる。

「そんな顔しないで…千冬」

そっと頬に触れると、そこがほんのりと色づいて再びわたしへ手を伸ばす。勢いよくベッドへ倒されて、気づけば千冬がのしかかってきた。ベッドに組み敷かれて顔を上げれば、千冬の鋭く大きな瞳と視線がぶつかる。理性と本能のはざまで揺れてる表情がたまらなく愛しいと感じるのは、母性本能だろうか。そんなものがわたしにあるのか甚だ疑問だけれど、千冬のように真っすぐな人は、わたしには眩しすぎる。

「話をしに来たの、わたしは」
「神保組の件ですよね。タケミっちから聞きましたよ」
「それで…?」
さんが手を貸してくれるならオレは助かりますけど…。この現状はマズいと思ってたんで」

花垣が弱気なせいで、彼らのシマは神保組の勢力に圧されている。このままいけば必ず鉄っちゃんは花垣を切るだろう。昔からの知り合いだとか、そういった情は持ち合わせていない男だ。下手を打てばわたしだって始末される可能性がある。

「じゃあ決まり。早速あの組消しちゃおう」
「え…でもどうやって。あそこはかなり武闘派揃いで崩すのは手間ですよ」
「いきなりドンパチはしないよ、もちろん」

そう言ってから体を起こすと、逆に千冬をベッドへ押し倒した。今度は逆にわたしが見下ろすと、千冬は何とも言えない表情でわたしを見つめてくる。

「あの…女性に乗っかられるのは苦手なんスけど…」
「フーン…そうなんだ。なら尚更このまま襲っちゃおうかな」
「……それはそれで大歓迎」

くちびるが触れあうくらいの距離まで顔を近づけると、千冬の瞳がかすかに男の欲を孕む。腰に回された手が線をなぞるように動いて、背中のジッパーを少しずつ下ろしていくのが分かった。それを遮るように上体を起こして、千冬の両腕を引っ張った。

「でもダメ。ほら起きて」
「えー…」
「我がまま言わない」

そう言って腕を引っ張ると、千冬は渋々といった様子で体を起こした。
彼とこういう関係になったのは半年くらい前のことだ。いきなり鉄っちゃんに呼び出されて、こう言われた。

――松野千冬の懐に入り込んで手なづけろ。

それはハニートラップにも等しい命令だった。稀咲鉄太は、そういう男だ。仲間にも容赦なく疑いの目を向ける。きっと以前から自分に反抗的な千冬の動向が気になってたんだろう。わたしに彼を誘惑させてそれを探りだして欲しかったようだ。千冬とは最初の出逢いこそ最悪ではあったけど、そのうち和解して親しくなっていった。まだお互い十代という若さだったし、仲良くなるキッカケなんて本当に些細なものだった気もする。黒龍のメンバーで、ココや青宗、そして修二や鉄っちゃんと親しいわたしに、初めは警戒して敵意を向けてきた千冬も、集会場所の神社で仔猫を見つけて保護しようとしたわたしを見て、少しずつ態度が軟化していった。それだけ動物が好きらしい。優しい千冬らしいなと笑ってしまったけど、それからは時々猫の話題で言葉を交わすようになった。

――千冬はに惚れてる。上手くやれば何を企んでるのか話すかもしれない。

わたしですら知らなかった千冬の想いに、鉄ちゃんは気づいていた。鉄ちゃんはよく人間を見ていると怖くなるのはそういうところだ。人の心までも利用して自分の目的を達成しようとする。修二はゴネたけど、鉄っちゃんに宥められ、渋々ながら千冬の件を認めた。けど、今も千冬に会うというと修二は嫌な顔をする。だから今日は揉めないよう一緒には来なかった。

ただ鉄ちゃんは千冬のことを少し見くびってたのかもしれない。わたしが近づいてきたことで、これ幸いとこっちの情報も得ようとする千冬もまた、手段を択ばない男だったということだ。わたしに惚れてようと関係なく、自分の目的を達成させようと目論んでいる。ただ互いに相手の目的を知りながらも、こうして顔を合わせると千冬は昔の彼に戻る瞬間がある。その刹那的な時間が、わたしは好きだった。

「…ん…」

体を起こした瞬間、くちびるを塞がれた。千冬はわたしのくちびるを優しく吸って舌を差し込んできた。控え目に舌を絡ませてくるキスは、もどかしささえ感じるのに、それが逆に気分を高揚させていく。だけど――。

「ん、今日は…ダメ」
「……はあ」

強引にくちびるを離すと、千冬は深い溜息を吐いてわたしの肩越しに顔を埋めた。背中に腕を回してポンポンとあやすように叩くと「子供扱いすんな…」と可愛い苦情を言われた。わたしより2歳年下の彼は、年下扱いされるとスネる傾向にある。

「してないよ。ほら、あっち行って話そ」

体を離してベッドを降りると、千冬はジトっとした目でわたしを見上げて仕方ないと言った様子で後ろから歩いて来た。

「何か飲もう。喉乾いちゃった」

そう言って冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、グラスに注いで千冬へ差し出す。彼もそれを受けとって一気に飲み干した。

「もしかして…半間…さんも来るんスか?」

再びビールを注いであげると、千冬は不満げな視線をわたしへ向けた。きっと拒んだことでそっちを疑ったんだろう。

「ううん。来ないよ。千冬、修二のこと嫌いでしょ?だからアイツはお留守番」
「…そうっスか」
「何で?」
「いや…オレのとこに来るの、嫌がられたんじゃないかと思って」

千冬は修二がわたしに執着してるのを知っている。わたしが千冬と二人きりで会うのを嫌がってることも。

「…まあ。いつものことだから」

苦笑しながらソファに座ると、持って来たパソコンを開く。そこには神保組を潰す計画書を作成してあった。

「ねえ、千冬。ちょっとこれ見て――」

と顔を上げた瞬間、隣に座った千冬に抱きすくめられてビックリした。

「千冬…?どうしたの…」
「稀咲は残酷だよな…」
「え?」
さんはそれでいいのかよ」
「……何が?」

千冬は少しだけ腕の力を緩めると、わたしの顔を覗き込んだ。しばし見つめ合っていると、千冬が先に視線を反らした。

「誘惑に乗っかったオレが言うのも変だけど…半間を愛してるクセにオレとも寝るとか…。そもそもさんにそんなことさせる稀咲はやっぱり許せない」

心臓がドクンと音を立てて、一瞬で指の先が冷たくなる。千冬は真っすぐな性格だから、誰かの為に怒れるくらい優しい人だから、やっぱり、危険なのだ。

「……聞かなかったことにするね」
「…さ――」
「ありがとう。千冬のそういう優しいとこ、好きだよ。でも…出来れば東卍を裏切らないで欲しい」
「………っ」

多分、わたしは千冬が欲しい情報を持っている。でもそれを知ってしまえば、その時は千冬が死ぬ時かもしれない。出来ればそこに近づかないで欲しい。それだけを願って千冬を抱きしめた。