2016年初冬。
――オマエも、稀咲と同じように…オレを利用しただけか?
数年前、マイキーが姿を消す際、わたしに言った言葉を、ふと思い出す。あの夜も、今夜のように月が見えない真っ暗な夜だった。
そうじゃない――。
そう、ハッキリ言えば良かった。
真っ暗な空を見上げてたら、ふと昔のことを思い出して暫し感傷に浸る。ついでに小さな溜息が出た。でもその瞬間、頬に冷たいものが押しつけられて「ひゃ」と変な声が出た。
「も~修二、冷たい」
「オマエが飲みてえっつったんだろ」
苦笑交じりで言いながら、修二はわたしの手にブランデーグラスを持たせた。クラッシャーアイスがたっぷり入ってるせいで、グラスの表面が白く凍りついている。寒くてすぐにバルコニーから室内へと移動した。
中に戻ると、ソファには鉄ちゃんが優雅にブランデーグラスを揺らしながら寛いでいる。こうして見ると、やたらと"ボス感"が漂うから不思議だ。ブランデーグラスは必須アイテムかもしれない。
まあ、実質。東卍は今、鉄ちゃんがまわしてるようなものだけど。
"総長代理"なんて名ばかりで、実際はトップと同じだ。本当の総長であるマイキーは今、鉄ちゃんの手の内にいるんだろう。
元仲間を殺して姿を消したマイキーは、もしかしたら、すでにこの世にいないのかもしれない、とふと思った。
「よくやったな、」
向かい側へ座ると、鉄ちゃんがグラスを持ち上げて笑みを浮かべている。かなり機嫌も良さそうだ。
「元々はわたしが変なオッサンに攫われたのが発端だから。大会社の重役のクセに、まさかバックに神力会がいると思わなかったし」
「あれは部下の責任だ。何の為ににつけてたのか、まるで分かっちゃいねえ。奴らの処分はしたのか?」
「あー…それは太栄が」
そう言ってドアの前に控えているわたしの側近を指させば、鉄ちゃんは「さすが、仕事が早いな」と太栄に声をかけた。
トップに褒められたというのに、太栄は表情一つ動かさず、くいっとメガネを直して「恐縮です」と丁寧に一礼する。その相変わらずの堅苦しさに鉄ちゃんも苦笑いを浮かべた。
「今度から取り引きに行く時、奴を連れてったらどうだ」
「まあ、大きな仕事の時はそうしてるけど、あの日の取り引きは相手が一般人だし、下っ端でもいいかと思って」
「その一般人に薬盛られて危うくヤられそうになってたんだけどなー?」
「…修二、うるさい」
隣に座り、わたしの肩を抱く修二の"罪"をパチンと叩く。あの失態は今、思い出しただけでも忌々しい。
「しかし半間もよくの異変に気付いたな。あの日は別の仕事をしてただろ」
鉄ちゃんは苦笑気味に言いながら、視線を修二へ向けた。そこで大事なことを思い出す。
「あ、そうだ!聞いてよ、鉄ちゃん。修二ってばGPS仕込んでたんだよ。わたしのケータイに!これってもう立派なストーカーだよね」
「あ?そのおかげで助かったんだろが」
ブランデーを飲みながら、シレっとした顔で修二が笑う。
「わたし一人でもあんなオッサン撃退できたし」
「オッサン一人ならな?アイツの部下、全員やっつけたのオレなんだけど。20人はいたからな?」
「あんなど素人のボディガード、何人いようと修二なら秒殺でしょ」
「いや、さすがに手が痛いから」
「じゃあ武器使えばいいじゃない」
「あんな受け身も防御も取れない一般人に武器使ったら死ぬだろ」
「別に今更、20人くらい殺したところで大した変わらないでしょ、修二は」
「いや、オレ、どんだけ大量殺人鬼扱い?」
修二が情けない顔で眉を下げるから、思わず吹き出した。そのやり取りを見て鉄ちゃんがまたか…みたいな顔で苦笑している。
「まあ、でも…神力会の資金源の一つ、神保組を潰したのは大きい。これで奴らも少しは縄張りを縮小せざるを得ないだろう。タケミチもさすがにには頭上がらない様子だったし、一つ貸しが出来たな」
先ほどまで花垣もここで鉄ちゃんへの報告をしていたが、さすがに居心地が悪かったのか、30分ほどで早々に退散してしまった。花垣は自分が不利な状況に陥ると、途端に逃げ回るところがある。だから他の組織に舐められるのに。
「あそこの縄張りは千冬に任せてもいい?鉄ちゃん」
ふと思い出して尋ねると「オマエの手柄だし好きにしろよ」と言ってくれた。でも隣の男だけはぶーたれた顔で、急に不機嫌になっている。
「ほーんとオマエはアイツに甘いよなァ」
「別にそういうんじゃ…千冬の方が上手く回してくれるから言ってるの」
「フーン…」
「はは。半間はお気に召さないらしいな。ま、後はが機嫌を直してやってくれ。オレはこれからココや天野と新しい事業の打ち合わせがある」
天野、とは元天獄組の会長だ。昔は東卍のケツ持ちをしてた神力会と同じくらい大きな組だったけど、いつの間にか鉄ちゃんが飲み込んで立場が逆転してた。
「まーたココが金儲けの話を見つけてきたんでしょ」
「まあ、そういうことだ。じゃあ、またな」
「お疲れ様です」
そこは修二もきっちり挨拶をして、鉄ちゃんを送り出している。普段は皆の手前、部下の顔を装ってるけど、こうして三人で会う時は、昔のラフな関係に戻るのだ。でも最後はきっちり部下の顔を見せる修二も、かなり大人になったなあと内心苦笑した。この二人も古い付き合いだから、鉄ちゃんも色々信用して、修二に他の幹部達を任せてるんだろう。
「修二はいいの?仕事に行かなくて」
「オレの仕事はオマエの面倒を見ることだから」
そう言って修二はわたしの背中へ腕を回すと、ゆっくりソファへ押し倒していく。太栄が鉄ちゃんを見送りに行ったタイミングを見てたんだろう。そのまま屈んでくちびるを重ねてきた。
「…ん…もう機嫌直ってる…」
「んー?そりゃ邪魔者いなくなったしな」
「邪魔者って…」
「稀咲も分かってて帰ったんだからいーんだよ」
キスの合間にそんな会話をしながら、鼻先が触れあうくらいに顔を寄せて笑う修二は、最後にちゅっと、わたしのくちびるを啄む。わたしと二人きりの時、修二の機嫌がすぐ直るのは、鉄ちゃんもよく知ってるみたいだ。本当に仕事もあるんだろうけど、半分は部下に気を遣ったのかもしれない。
ここ最近は神保組をどう潰そうかと物騒な話ばかりしていたし、面倒ごとが終わった解放感の中でのんびりするのは久しぶりだ。
「今夜は二人でゆっくり飲もうか」
「オレはこのままベッドに直行でもいいけど?」
眼鏡を外しながら、修二は額を合わせて囁く。一瞬、それもいいかも、なんて思ってしまうのは、わたしも修二の腕の中で酔わされたいと思ったからかもしれない。
ほんの僅かな刹那、わたしと修二の間に甘い空気が流れて、互いのくちびるが再び熱を持つ。
でも、その時、鉄ちゃんよりも邪魔者の大きな声が、エントランスから響いて来た。
「!神保組、潰したんだってなぁ!今夜は祝い酒だ!」
「の好きなワイン、持って来たぞー」
ソファの上で重なり合っていたわたしと修二が、視線を合わせたまま固まった。
「はぁ…若と青宗だ…」
「チッ…アイツら……何でこのタイミングにくんだよ…」
一瞬で不機嫌に戻った修二が深い溜息を吐く。今夜は少々荒れそうだ。
その時――修二がぼそっと呟いた。
「…神力会の前にアイツら、殺るか…」
真顔で言うから思わず吹き出した。
意外と本気で言う辺りが、修二の怖いとこでもあるし、可愛いところでもあるのかもしれない。
とりあえず、二人きりの甘い夜はお預けのようだ。