彼の孤独な瞳が好きだった。昔よりは笑わなくなったけど、時々見せる柔らかい笑顔も――。


ある晴れた日の午後、東卍が以前集会に使っていた神社へやって来た。
東京卍會は現在、チーム活動をしていないから、ここへ来るのも今ではわたしくらいだろう。
今じゃマイキーも東卍を鉄ちゃんに全て任せて家にこもりっきりで、その面倒をわたしが見てるけど、時々こうして息抜きに出かけたりは出来る。

「じゃあ、ちょっと待ってて」
「おー。なるはやでな」

修二はわたしをバイクから下ろすと、煙草に火をつけながら言った。マイキーのマンションからここまで送ってくれたのは、きっと鉄ちゃんに言われたからだろう。買い物でも何でも、わたしが出かける時はだいたい修二が送ってくれた。

(何か見張られてる気がしないでもないけど…)

鉄ちゃんはわたしに出来る限り、マイキーの傍にいて欲しいみたいだ。情緒不安定になるからだろうけど。
マイキーとは前に助けてもらったことがキッカケで距離が縮まって、その内つき合うようになった。どこか危うさのあるマイキーに、わたしも惹かれてたからだ。でもマイキーは妹の事件があって以降、少しずつおかしくなってる気がする。古参のメンバーが一人、また一人と行方不明になっていくことは、決して無関係じゃない。そんな予感がしていた。
今じゃ残っているのは河田兄弟の兄貴、ペーパーコンビ、武藤くん、そして花垣と千冬だけだ。ドラケンや三ツ谷くんはマイキーとの関係が古い分、今のやり方に好意的じゃなかったメンバーだ。もしかしたら鉄ちゃんとモメてチームを抜けて行っただけかもしれない。でも何となく、それだけじゃない気がしていた。
長い階段を上り切って境内を歩き、目的の場所に向かう。すでに足音で気づいているのか、建物の脇の草むらから猫たちが数匹、顏を出した。
以前、集会後に見つけた猫の親子だ。

「おいで。今日はオヤツも持ってきたよ」

前に置いた餌用の器に、持ってきたトートバッグから猫用のご飯を出すと、猫たちは一斉にカリポリとそれを食べ始めた。猫たちのドライフードをかみ砕く音は何気に耳を心地良くしてくれる。

「オマエ、少し大きくなった?」

前にわたしが見つけた時は、まだ仔猫だった子も、だいぶ体が大きくなってきた気がする。離乳食しか食べられなかった子が、今では母猫と同じようにドライフードをかみ砕いてるんだから、成長が早いなあと笑顔が漏れた。

「あれ…?」
「…え、千冬?」

不意に後ろから声をかけられた。振り向くと千冬が驚いた様子で立っている。彼の手には袋がぶら下がっていて、中には猫用のご飯などが入っていた。

「もしかして…千冬もこの子達にご飯あげに来てたの?」
「まあ…え、まさかも?」
「うん、まあ。気になって時々様子を見に来てたんだけど、お腹空かせてるの見てたら可哀そうで…。あ、ここの神主さんには前に許可もらってるの」
「マジで?」
「神主さんも猫好きで、この子達に寝床を提供してるみたい。もう少し慣れたら飼ってくれるって」

そう説明すると、千冬は明らかにホっとした顔で「なら良かった」と微笑んだ。千冬がわたしにこんな顔をするのは珍しい。最初は何故かわたしのこと「稀咲の女か」なんて言って敵視してたからだ。でもこの子達のことがあってから、態度が軟化した気がする。それだけ千冬が猫好きなんだってことなんだろうけど。

「良かったなー!オマエら」

猫たちの居場所があると分かったおかげで、千冬は嬉しそうな笑みを浮かべて母猫を撫でている。すでに人馴れしている母猫は、怖がる素振りも見せずご飯を夢中で食べていた。

「千冬ってほんと猫好きだよね」
「そっちこそ…」
「まあ、動物って裏表ないじゃない。人間みたいに。だから接してて楽な気持ちになるっていうか」
「…へえ。自分が裏表あるタイプなのに?」

意味ありげな笑みを浮かべながら嫌味を言う千冬を見て、思わず笑ってしまった。まさか笑うとは思っていなかったらしい。千冬はギョっとした顔で「何笑ってんだよ」と呆れたような顔をした。

「フツー怒るとこじゃね?」
「だって、本当にそうだなぁと思ったらおかしくなったんだもん」
「…認めんのかよ」
「まあ、表の顔だけじゃ生きてけないようなことやってきたわけだし…だからかなー。動物といると素の自分でいられるから好きなのかも」
「…フツーの女の子はもふもふしてて可愛いから好きって言うもんだけどな」
「ごめんね。可愛い理由じゃなくて」

再び笑うと、千冬は更に呆れ顔で目を細めている。だけど実際、わたしは可愛い女にはなれないから仕方ない。
去年、家を出る時もママと散々モメて、でも結局、ママは「可愛くない娘になったわね」と呆れたように言って、わたしを見放した。ママとしては、わたしを大学まで入れて、その後にどこぞの御曹司と結婚でもして欲しかったようだけど、わたしが求めてるのはそんな人生じゃない。そんな"普通"はきっと、わたしには向いていないのだ。

――ハジメくん達と何をやってるのか知らないけど、私に迷惑だけはかけないでね。

そんな縁切りとも言えるような台詞を吐いて、ママはわたしに大金の入った通帳と印鑑を渡して来た。わたし名義の口座にパパから振り込まれている養育費が入ってるらしい。

――それはアンタのだから好きに使いなさい。ハタチまでは振り込んでもらうようになってるから。

まるで手切れ金だと思いながら、額を調べたら五千万は入ってた。ラッキーと思うと同時に、何となく空しくもなり、それは手つかずのまま。そのうち何かの資金にしようと考えていた。
しばしの沈黙が流れて、二人で猫の親子がご飯を食べてるとこを眺めていると、千冬がふと顔を上げた気配がした。

「そう言えば…マイキーくんと付き合ってるって…マジ?」
「…ん?あー…まあ。そういう流れになって」
「フーン…」
「どうして?」
「いや、別に」

プイっと顔を反らした千冬を見て「まさかまだ鉄ちゃんとわたしがって思ってた?」と突っ込んでみると、千冬はすぐに「思ってねえよ」と言い返してくる。そのまま猫の頭を指先で撫でていた千冬は少し複雑そうに「まあ…」と言って顔を上げた。

「稀咲じゃなく、半間かとは思ってたけど…」
「修二?」
「だって常にのそばにいるだろ」
「あー…ほら、修二はその…わたしのボディガードやらされてるから」

これは本当だ。鉄ちゃんがそう修二に命令したらしい。と言っても修二は望んで引き受けたとは言っていた。アイツもたいがい物好きだと思う。

「ボディガード…ああ、は大事な稀咲の資金源だもんな。九井と同じく」
「…そういうわけじゃないと思うけど…」

いや、本当はわたしもそれが理由だとは思っている。この前の神力会の件もあるし、鉄ちゃんが裏で何か怪しいことをしているのは気づいてる。そして今の東卍はすでに変わりつつあった。
古いメンバーは消えて、鉄ちゃんの息がかかった新しいメンバーが増えてきたのがいい証拠だ。そんな中で、鉄ちゃんが新たな敵を作っていないとは言い切れない。わたしに修二をつけたのは、敵がいるかもしれないと、鉄ちゃんが自覚しているせいだと思う。まあわたしも事情を知らないのに誰かに襲われたりもしたくないから、修二の件は文句も言わなかった。

「なあ…」
「え?」
「稀咲…何しようとしてんの。アイツは…マイキーや東卍をどうしてぇんだよ」

千冬は真顔でわたしに尋ねてきた。千冬もチームが少しずつおかしな方向へ向かってることを、薄々気づいてるのかもしれない。

「ごめん…わたしにもわかんない」

千冬にはそう言ったけど、本当は鉄ちゃんの計画を聞いていた。日本最大の犯罪組織を創る。鉄ちゃんは前にそうハッキリと言っていたからだ。
マイキーのカリスマ性、ココやわたしの作り出す金、そして参謀としての鉄ちゃんのブレーンがあれば、それは容易いと修二も話していた。今はその途中段階なんだろう。
もしかしたら、マイキーがおかしくなってきたのも鉄ちゃんの予想範囲内なのかもしれない。

「千冬は…何で東卍にいるの…?古参メンバーは殆どいなくなったのに」
「……オレは…場地さんの為だ」
「ばじ…って…前の壱番隊長?」
「ああ…オレの全てだった人。その場地さんから東卍を任されたタケミっちについて行く。そう決めてんだよ」
「え…タケミっちって…花垣隊長?」
「ああ」

そういうことか、と納得した。
千冬はこう見えて骨のある男だと感じていた。生意気だけど、芯は強いし男気がある。なのに何故、あのケンカも弱い男に付き従ってるんだろうと、前から疑問だった。でも今の話を聞いて、全ては場地という前の隊長の意思を尊重してのことだったようだ。

「そんなに…千冬にとっては凄い男だったんだ。その場地って隊長さん」
「…オレだけじゃねえ。壱番隊は全員、場地圭介に惚れてた」

千冬はどこか誇らしげに言った。それだけ場地圭介という男は、千冬にとって尊敬できる人だったんだと分かる。

「そんな場地さんを…稀咲が殺した」
「……ッ?」

ふいに告げられたその一言で心臓が大きく鳴った。まさか、と思ったけど、違うとも言い切れない。それくらい鉄ちゃんには未だに謎の部分が多いからだ。

「殺したって…どういうこと?鉄ちゃんが…直接何かしたの?」
「…いや。表向きは抗争の末ってやつだ。でもその抗争を仕組んだのは稀咲と――」

「おいおい。古い話してんなァ?」

「……っ」
「修二?」

不意に背後から声がして、わたしと千冬はビクっと肩を揺らした。振り返ると、修二が煙草を吹かしながら歩いてくる。

「遅いから迎えに来ちゃった~」

そう言いながら、修二はわたしの腕をぐいっと引っ張って立たせた。

「まさか千冬と逢引きしてるとは思わなかったけど」
「千冬とは偶然会っただけだよ。この猫を見つけた時は千冬も一緒だったの」
「フーン」

変な誤解をされないよう、きちんと説明すると、修二は僅かに目を細めて千冬を見下ろした。

にあんま変な憶測話しないでくんねぇ?コイツ単純だから信じちゃうじゃん」
「あ?憶測じゃねえだろ。場地さんは――」
「ストーっプ!ケンカしないでよ。猫たちが怖がってる」

互いに近距離で睨み合う二人の間に入って文句を言うと、猫を気遣った千冬の方が先に身を引いた。でも未だに修二を睨みつけている。こんな場所で殴り合いなんてなったらどうしようと思っていた時だった。

「チッ…うぜえ」

そんな言葉を吐いて、千冬は「帰る」と駐車場の方へ歩いて行く。その後ろ姿を見送っていた修二が、ふとわたしを見ろして頭へ手を置いた。

「千冬と何してたんだよ」
「何って…猫にご飯あげてただけ」
「フーン。他に話は?」
「大したことは…あ、でも前の壱番隊長は鉄ちゃんに殺されたとか言ってたけど、どういうこと?」
「それは千冬の妄想っつーか、ただの勘違いだよ」

修二はへらっと笑みを浮かべて、わたしの頭に置いた手でぐりぐりと撫でてくる。千冬の勘違いと言うわりに、修二はあまりこの話をしたくなさそうに見えた。

「おら、帰んぞ」
「うん…」

修二に促され、素直に頷いた。その前に、持ってきたオヤツを空になった器に入れると、猫たちに「またね」と声をかけて修二の後を追う。

「あ、修二、帰りにコンビニ寄って」
「あ?何で」
「マイキーの好きなどら焼き、買ってきてって頼まれてるの」
「…チッ」
「何よ、その舌打ち」
「あ?んなの…何で惚れた女を他の男の家に送り届けなきゃいけねえんだって思ってるとこへ、他の男の好物まで買いに走らされんのかって思いが追加されただけー」

修二はブツブツ言いながら階段を下りていく。その背中は言葉通り、少し不機嫌そうに見えた。それを言われるとわたしも困ってしまう。

「……またそんなこと言って…」
「そんなこと言いたくもなんだろ。オレの女にはならねえくせに、マイキーの女になるとかありえねえー」
「だ、だからあの時はココのことあったばかりだったし…」
「じゃあ吹っ切れた時にすぐオレのとこにくればよくね?」

修二はふと足を止めて振り向いた。わたしの方が上の段にいるから、ちょうど修二と正面で向かい合う。

「…い、いちいち吹っ切れたから女にしてって言うの変でしょ…?その前にマイキーを好きになったんだから仕方ないじゃない…」
「フーン…好きになった、ねえ…」
「何よ…」
「別に~。じゃあオマエの惚れた男のところへ送らせて頂くわ。早く乗れ」

あからさまに不機嫌になった修二は再び階段を下りていく。だからわたしもそれ以上何も言えなくなった。わたしだって修二のことは嫌いじゃない。抱き合った夜以来、何でも素の自分で話せる唯一の存在だと思ってる。
だからこそ――恋愛関係になるのは嫌なのかもしれない。

「修二…怒らないでよ」
「……」
「修二…?」

ムスっとしたようにバイクにまたがっている修二の服をツンっと引っ張ると「だりぃ~…」といつもの口癖が返ってくる。でも振り向きざま「それ反則だから」と苦笑してくちびるを寄せてきた。あげくちゅっと軽く啄まれ、わたしはビックリしたまま固まった。

「な…何して――」
「オマエが可愛い反応すっから悪い」
「…~…~っ」

べっと舌を出して笑う修二に、わたしの口がパクパクと金魚みたいに動く。言葉にならないから、つい背中をバシッと殴ってしまった。

「いてっ」
「か、勝手にキスしないでよ…っ」
「ひゃは♡ オレ、マイキーに殺されっかな」
「知らない…!早くコンビニねっ」

すぐにバイクにまたがると、修二は呑気に笑いながらエンジンを吹かしている。コイツにとったら人の彼女でも何でも、関係なく手を出してくるからタチが悪い。

「ハァ~…やっぱ稀咲にやめさせりゃよかった…オマエとマイキーの件」
「えー?何?エンジン音うるさくて聞こえないっ」
「何でもねーよっ!行くぞ!」

修二がブツブツ何かを言っていたけど、まさかそんな内容をボヤいてたとは知らずに、わたしはぎゅっと修二の背中にしがみついた。
今はこんな関係が心地いい。何でも思ってることを言い合えるのは、修二しかいないから。
意地っ張りで、素直じゃないこんなわたしを、可愛いなんて言ってくれるのも修二だけだ。
それを恋愛関係になって失いたくない。
どれだけ好きだと思ってくれていても、手に入れてしまえばそれは途端に色褪せる。恋は、いつか必ず終わりを迎えるから。
ズルいと言われてもいい。わたしは、いつまでも修二にとってカラフルな女でいたい。
そうすれば、いつか――。