その兄弟、危険につき
0.
何かおかしい。梵天幹部の紅一点、はふと思った。この世には嫌というほど男が溢れているというのに、何故か彼氏が出来ない。自分では人並みにイケてる方だと思っていたのに、最近はバーで飲んでてもナンパすらされない。例えされていい感じになり連絡先を交換しても、その後の連絡が全く来ない。それもこれも幼馴染の春千夜に甘い言葉で勧誘された組織に入ってからだ。
泣く子も黙る日本最大の犯罪組織、"梵天"。
賭博、詐欺、売春、殺人、何でもござれ。どんな犯罪も裏には梵天がいると言われ、警察でもその全てを把握できていないそうな。
そして一番驚いたのは、この組織の頭が、行方不明とされていた自分の従妹だったこと。暴走族のトップだった無敵のマイキーも今や反社会的勢力の頂点に君臨していたなんて夢にも思わなかった。
そんな恐ろしい組織に入ることになったのは、別の組織の借金取りから逃げ回っていた時だった。どこからその情報を得たのか、ピンク色のポニテ男がの前に現れた。いつもの借金取りのお兄さんじゃない。新人か?と思っていたに、ピンクのポニテが言った。
「久しぶりだなァ、」
「…春千夜?」
高校卒業以来、3年ぶりに会った幼馴染だった。最後に会った時、春千夜はマイキーと共に関東卍會というチームを作っていて当時は金髪ロン毛だった。
「誰かと思った…」
3年会わなかっただけで、髪の色と身長、服装がガラリと変わっていたので分からなかった。
(っていうか、あの春千夜がスーツって!)
そこが一番驚いた+気づかなかった理由だ。
――その幼馴染が言った。
「オマエの借金、全額オレが払ってやるよ」
まさに青天の霹靂、九死に一生、棚から牡丹餅。よさげな言葉が全て頭に浮かんだ瞬間だった。ただし、甘い言葉には裏がある。タダより怖いものはない。そんな言葉が浮かんだのは、春千夜という幼馴染がそんなに甘い男じゃないことを知っているからかもしれない。案の定、交換条件を出された。
「その代わり……ウチの組織で働け」
まさか暴走族のチームが犯罪組織へアップグレードしていたとは思わず、もかなり驚いた。ただそんな脅迫めいた言葉でも、藁にも縋りたいと思っていたにとっては神様のお告げくらい貴重なものだった。裏があろうと何だろうと、天下の梵天で働けるなら食うには困らない。
かくして、借金全額返済という餌に釣られ、21歳という若さで悪の巣窟とも言える組織に入ったのは自身。でも一年が経ち、今まさにその決断を後悔しそうになっていた。
1.
都内にある梵天事務所の豪華な一室に、一仕事を終えて戻って来たわたし、は鬱々とした時間を過ごしていた。
「はあ……」
デスクに突っ伏し、無意識に出た溜息にいち早く反応したのは、梵天内ではわたしの上司に当たる、幹部の灰谷蘭さんと灰谷竜胆さんだった。ふたりもちょうど出先から戻って来たようだ。
「溜息なんかついちゃって、どーしたよ」
「何か悩みごとー?」
「う…な、なんですか。ふたりして」
左右を身長のあるふたりに挟まれ、ビクビクしながら上半身を起こした。この兄弟、どちらも最上級のイケメン。そんなふたりに挟まれ、普通なら舞い上がってしまいそうなものだけど、舞い上がる前にふたりの圧で潰されてしまいそうだった。その前に自分をコキ使う上司ということで、そういう対象からは外している。サングラスをしなければ直視出来ないようなキラキラとした顔面から目を反らし、わたしはプイっとそっぽを向いて再びデスクに突っ伏した。
「おふたりには関係ないです」
「またまたー。寂しいこと言うなよ」
「そうそう。お兄さんたちに相談してみ?にお土産もあることだし」
「えっお土産」
ガバっと顔を上げると、わたしの目の前に見覚えのある高級感たっぷりの黒い箱。蘭さんはニコニコしながら"ショコラトール"の箱をちらつかせている。今、大人気のショコラティエ、ジョバンが手掛けた最高級のチョコ。それを見せられたら一瞬で尻尾を振ってしまうのは仕方のないことだと思う。
「チョコ、下さい」
ぴょこんと椅子から立ち上がって丁寧に両手を出すと、蘭さんは途端に意地悪な笑みを浮かべた。どうせ"引っかかったな"とでも思ってるだろうけど、ジョバンのチョコが食べられるなら甘い罠に自ら飛び込んでいくのもいとわない。我ながら食い意地が張ってるなあと思う。
「まず話すのが先だろ」
「一つくらい食べたらチョコの甘さでわたしの舌も饒舌になると思うんです」
張り切って応えて更に両手をずいっと出す。このふたりはそこまでチョコに入れ込んでいないと思うから、この箱は絶対わたしの餌用に買って来たもの。だから少し強気になってみる。でもこの兄弟に交渉なんて持ちかけるのは無謀だったかもしれない。
「ふーん。じゃあ…はい」
蘭さんはますます妖しい笑みを浮かべて手の中の箱から美しいフォルムのチョコを一粒取り出し、それを自らの口に咥えた。わたしの視線はチョコに釘付けで、蘭さんが咥えるまでの一連の動きをずっと目で追っていたけど、綺麗な形のくちびるに神々しいチョコが挟まるのを見た時、先に食べられてしまうんじゃないかとそっちがヒヤヒヤした。
「ん」
少しだけ身を屈めてくる蘭さんの顏が目の前に下りて来たのを見た時、何を求めてるのかを悟った。これはいつものアレをやれと言ってるんだな。そう理解して少し背伸びをすると、蘭さんのくちびるからチョコを奪うように食む。後ろで竜胆さんが「えー兄貴ずるい」という苦情を訴えてるけど、わたしは早くチョコが食べたくて奪った甘い粒をすぐに口の中へ入れた。ジワリと幸せな甘味が口内に広がり、うっとりしかけた時。離れたはずの蘭さんのくちびるがわたしのくちびると再会した。
「んむ…っ」
驚いたのは口内に侵入してきた蘭さんの舌が、わたしの熱で溶けかけたチョコを奪っていったからだ。抗議をしようとしても、未だ居座っている蘭さんの舌に舌が絡み取られて上手く言葉が出てこない。ついでに口内に残っていた甘味さえも蘭さんに奪われて行く。
「ん、ちょ…何で蘭さんが食べちゃうのっ」
たっぷり口内を蹂躙された後、涙目で訴えても、蘭さんはペロリと自分のくちびるを舐めて艶のある笑みを浮かべるんだから嫌になってしまう。
「一瞬は味わえたろ?」
「…あんなんじゃ足りない」
「へえ、はもっと濃厚なキスをご所望か」
「そういう意味じゃないですからっ」
ニヤニヤする蘭さんに抗議をしていると、背後からまた別の甘い誘惑が届く。
「じゃあコッチ食べる?」
その声に振り向けば、今度は竜胆さんがチョコの箱と、もう片方の手にかの有名なドンペリニヨンのボトルを持ってソファへ座る。わたしは即座に竜胆さんの隣へ座って尻尾を振った。蘭さんは「節操のないヤツ」と笑ってるけど、わたしは欲しい物に貪欲なのだ。まあ、この性格のおかげで3千万もの借金を作るハメになったんだけど、それも春千夜が全額一括返済をしてくれたからチャラだ。ただし――3千万分の仕事を梵天でしなくちゃならない契約だけど。
「チョコとシャンパン下さい」
竜胆さんがシャンパングラスにドンペリを注ぐのを見ながら、精一杯の愛想笑いを浮かべる。この兄弟の凄いところは、わたしの欲しい物をすでに知り尽くしてるということだ。この事務所に来てから一年。すでに彼らの手のひらで転がされてる気がする。
「おねだりの仕方、間違ってねえ?」
「竜胆さんまでそんなにチューして欲しいんですか」
「うん、して欲しい♡」
「……(素直すぎる)」
そんなに可愛く微笑まなくても。今この場にあのリンギャル(※夜を羽ばたく綺麗なお姉さま連中)達がいたら絶対に鼻血出して倒れてたと思う。だいたい女に困ってないくせに、この兄弟はわたしをかまうことに必死だ。最初は万次郎の従妹だから機嫌を取ろうとしてるのかと思ってたけど、最近どうも違う気がしてきた。この兄弟はそこまでボスという存在に媚びへつらうタイプじゃない。
――え、ってマイキーの従妹なの?
――どおりで何となく雰囲気が似てると思った。
――こりゃーうっかり手は出せねえなあ。
初対面の時はそんなことを言ってたくせに、一度わたし流のおねだりをしたらそれ以来、こうしてふたりの方がおねだりのおねだりをしてくるようになってしまった。昔から甘えるのは得意で、子供の頃に「大抵の望みはチューをすれば解決する」という価値観が確立したのは、万次郎のお兄ちゃんで味を占めてしまったからかもしれない。真ちゃんはチューすれば何でも欲しいものをくれたし、最初はバカにしていた万次郎もホッペにチューするだけでデレるくらい純情だった。
そう言えば、その万次郎が今や犯罪組織を率いてるボスだって言うんだから、初めて春千夜から聞いた時は驚いた。その春千夜から「オマエを探してた」と言われた時も驚いたけど、春千夜はわたしが敵対組織の借金者リストに載ってた方が驚いたと半ばキレ気味で言われてしまった。そもそも3千万の借金をしてしまったのは、わたしのもう一つの趣味のせいに他ならない。
とりあえず、その話は置いといて…今は目の前のお宝をゲットしなくては。
「はチョコとドンペリ、どっちが先に欲しい?」
「うーん……じゃあ喉が渇いたので先にドンペリ――」
と言いかけて待てよ?と思った瞬間、竜胆さんが何故かグラスを持ち、シャンパンを口に含むと、わたしの頬を両手で挟んでぐいっと自分の方へ向けた。
「え…んぐ」
声を上げる暇もなく、竜胆さんにくちびるを塞がれる。同時に口内へシュワシュワの液体が流れ込んで来て咽そうになった。ギリギリどうにかゴクンと飲み込んだものの、口端から垂れたものまで丁寧に舐められ、ちょっと頬が赤くなってしまった。前から思っていたけど、このふたりのチューはエロすぎる。こっちからあげてるというより、彼らから何かを取り立てられてる気がするから不思議だ。
「おーい、竜胆。やりすぎー」
いつの間にか反対側に座ってた蘭さんが目を細めながら文句を言っている。ほんとその通りだと思う。
「えーそうか?兄貴なんて舌まで入れてたくせに」
当の竜胆さんはシレっとした顔で笑ってる。この兄弟に甘えるのは失敗だったかもしれない。一年前の自分を少しだけ恨む。
「な、何でそーいうことするんですか…もう少しで鼻から出るとこですっ」
「ぶははっ。そしたらそれも舐めてやるよ」
「…結構です…!」
ニヤニヤとする竜胆さんは本当に憎たらしい。いや顔は可愛いんだけど、蘭さんとはまた別のタイプのいじめっ子だと思う。
「んで?の溜息の原因はなんだよ」
「あーそうだった。本題忘れるとこだったわ」
両サイドを兄と弟に挟まれ、スピーカーの如く話されてるこの状況の中、わたしのしょぼい悩みを話したところで、真面目に聞いてくれる気がしない。でも話さないと延々この状態が続くのかと思うと、それも何となくいやだ。
「えーと…それは…ですね」
言いながら目の前のテーブルに置いてあるチョコへ手を伸ばすと、左側にいた蘭さんに手首をガシッと掴まれた。
「それは話したあとでなー?」
「…う…」
「それともまた口移しで食わせてほしいの?」
「い、いいです…どーせ蘭さんが食べちゃうし」
「よく分かってんじゃん」
蘭さんはニッコリしながら頭をなでなでしてくる。どうも子供扱いされてるようで癪に障る。
「で?ちゃんは何に悩んでんの?あーもしかしてオレに惚れたとか」
「…は?」
「"でもきっと蘭さんには素敵な女性が無数にいるから、わたしみたいな貧乳のお子ちゃまは相手にされないかも…"って悩んでるとか?なら心配すんな。オレはをいつでも受け入れるから。おっぱいも大きくなるように毎晩揉んでやるよ」
蘭さんは綺麗な顔にこれまた綺麗な笑顔を浮かべてシレっと言いのけた。いや爽やかな微笑みと台詞が全然合ってないんですけど。しかも何気にわたしのおっぱいディスられてるし。
「……何バカなこと言ってんるんですか。っていうか何気に失礼です!わたし、貧乳じゃありませんからっ!一応、Cカップはありますし――」
と言いかけた時、「へえ、やっぱCカップかぁ」と、今度は右側から声がした。ジロっと睨めば竜胆さんは厭らしい目つきでわたしのおっぱいをジっと見ている。何となく視姦されてる気分になってきた。
「み、見ないで下さいっ」
両手で胸元を隠して文句を言えば、ふたりとも楽しげに笑いだした。相変わらず人をからかって楽しんでるようだ。春千夜が「あの兄弟には心を許すな」と言ってた意味が今頃になって理解出来た。梵天で働くようになってからは雑用しかやらせてくれないパワハラ兄弟。いや、こうして好物で釣ろうとするセクハラ兄弟でもあるんだから、手に負えない。やっぱりわたしは甘える人を間違えたらしい。
「で?真面目な話、は何を悩んでんの?」
蘭さんがドンペリを注いでそれを飲みだした。わたしも飲みたいけど、それを言えば元の木阿弥。グっと堪えておく。
「だから…最近モテなくなったなぁって思って」
仕方なく目下の悩みを口にすると、蘭さんがギョっとしたように目を丸くした。
「は?オマエは誰にモテたいんだよ」
「誰って別に――」
「ってかオレらにモテてんだし、それで十分じゃね?」
「…はい?」
竜胆さんまでが真顔で言いながらわたしの顔を覗き込んで来る。あまりその可愛い顔を近づけないでほしい。何だって言うんだ、この兄弟は。
「そういうことではなくてですね…わたしは彼氏が欲し――」
「「却下」」
ダブル却下来た。しかも綺麗にハモって左右から。バウワース&ウィルキンスの高級スピーカーも真っ青なくらい綺麗にわたしの耳に届けられた「却下」だった。何を持って却下なのかは分からないけど、仕事はきちんとしてるし――雑用ばっかだけど――彼氏のひとりやふたり作ったとしても却下される理由はないはずだ。
「あの…わたしも一応、22歳の女盛りなので彼氏くらい――」
「「却下」」
連続却下来た。しかもまた綺麗に揃ってるし三代目かなってなくらい美しいハーモニーを奏でられてしまった。
そして、これをキッカケにこの灰谷兄弟の不毛な戦いへ発展するとは、さすがのわたしも思わなかった。
【オマケに続く】